トワリンの身体に残っていた最後の黒い力が、ゆっくりと蠢いていた。
身体に取り付いていた装置は、すでに蛍が破壊している。
それでも。
アビスの力そのものは、まだ消えていなかった。
「グオオオオオッ!」
トワリンが咆哮する。
大きく翼を広げ、風を巻き起こした。
「来る!」
蛍が叫ぶ。
俺は反射的に身を低くした。
次の瞬間、凄まじい風が廃墟を駆け抜ける。
「うわっ!」
瓦礫が宙へ舞い上がった。
「蛍!」
「大丈夫!」
蛍は風の中で踏みとどまっていた。
そのまま剣を構える。
「まだ終わってない!」
蛍がトワリンへ向かって走った。
トワリンが翼を振り下ろす。
蛍は横へ跳ぶ。
巨大な翼が目の前を通過した。
「今!」
蛍が踏み込む。
剣がトワリンの身体を覆う黒い力へ向かって振り抜かれた。
黒い力が弾ける。
「グアアアッ!」
トワリンが苦しそうに身をよじった。
「効いてる!」
パイモンが叫ぶ。
しかし、黒い力は消えない。
むしろ。
トワリンの身体の中央へ集まり始めていた。
「まだ残ってる!」
俺が叫ぶ。
おじさんがトワリンを見る。
「なら、あそこだな」
「うん!」
俺は頷いた。
ゲームで見た光景が頭をよぎる。
装置は壊した。
でも、まだアビスの力が残っている。
なら。
それをどうにかするしかない。
おじさんが前へ出る。
俺には、おじさんが何をしているのか正確には分からない。
ただ。
何かが変わった。
空気が揺れたように感じる。
そして。
トワリンの身体を覆っていた黒い力が、大きく揺らいだ。
「グオオオオオッ!」
トワリンが叫ぶ。
「おじさん、効いてる!」
「ああ」
おじさんは短く答えた。
黒い力が剥がれていく。
だが、まだ中心部分に残っている。
「蛍!」
「分かってる!」
蛍が再び走る。
トワリンが風を放つ。
蛍はその風を受け流しながら前へ進んだ。
「ここ!」
剣を振り抜く。
黒い力が裂ける。
しかし。
完全には消えない。
「硬い……!」
蛍が剣を構え直す。
「もう一度!」
蛍が踏み込む。
今度はおじさんの攻撃によって、黒い力の動きが一瞬止まった。
「今だ」
おじさんが言う。
「うん!」
蛍が跳躍する。
そして。
黒い力の中心へ剣を叩き込んだ。
大きな衝撃が走った。
黒い力が砕ける。
「やった!」
パイモンが叫ぶ。
だが。
「まだだ」
おじさんが言った。
黒い力の一部が、トワリンの身体の奥へ逃げるように移動していく。
「……最後の一つか」
俺が呟く。
おじさんが頷いた。
「ああ」
トワリンが苦しそうに翼を広げる。
「グオオオオオッ!」
風が再び吹き荒れる。
「トワリン!」
ウェンティが叫ぶ。
「もう少しだ!」
トワリンの瞳が揺れた。
「……ウェン……ティ……」
「そうだよ」
ウェンティが声を返す。
「君は一人じゃない」
トワリンの動きが僅かに止まった。
その瞬間。
蛍が走る。
「今!」
おじさんが攻撃する。
蛍はその隙を使って、トワリンへ接近した。
「これで……!」
剣が黒い力を斬り裂く。
黒い影が大きく揺らぐ。
「まだ残ってる!」
俺が叫ぶ。
おじさんが黒い力を見据える。
「……なら」
おじさんが右手を前へ出した。
「まとめて消す」
「……え?」
俺は嫌な予感がした。
「おじさん?」
返事がない。
「おじさん、ちょっと待って」
おじさんの右手が、そのまま前へ向けられている。
周囲の風が大きく乱れた。
「……おい」
俺は一歩下がる。
「それ、本当に大丈夫なのか?」
「問題ない」
「本当に?」
「ああ」
おじさんが答える。
俺はトワリンを見る。
そして、おじさんを見る。
「……頼むから、トワリンまで巻き込むなよ」
「分かっている」
おじさんが静かに答えた。
次の瞬間。
凄まじい衝撃が走った。
「うわあああああっ!」
風龍廃墟が大きく揺れる。
俺は反射的に身を伏せた。
「蛍!」
「大丈夫!」
蛍の声が聞こえる。
顔を上げる。
視界の先で、トワリンを覆っていた黒い力が大きく揺れていた。
「おじさん!」
俺は叫ぶ。
「トワリンごと消す気か!?」
「しない」
「でも、これ!」
「調整している」
「今!?」
パイモンが叫ぶ。
「おじさん、やりすぎだぞ!」
「まだだ」
おじさんは集中している。
広がっていた力が少しずつ一点へ集まっていく。
そして。
トワリンを傷つけることなく、黒い力だけが削られていく。
「……本当に調整してる」
俺は呆然と呟いた。
だが。
最後の黒い力が残った。
「蛍!」
おじさんが叫ぶ。
「今だ!」
「分かった!」
蛍が走った。
風の中を駆け抜ける。
黒い力が蛍へ向かって襲いかかる。
「っ!」
蛍は剣で受け止めた。
「負けない!」
さらに踏み込む。
黒い力を押し返す。
「トワリンを……返して!」
蛍の剣が振り抜かれた。
黒い力が大きく裂ける。
「グオオオオオッ!」
トワリンが叫ぶ。
その声に苦しみが混じる。
「もう一度!」
ウェンティが叫んだ。
「蛍!」
「うん!」
蛍が再び跳ぶ。
おじさんが残った黒い力を押さえ込む。
蛍はその中心へ向かって剣を振り下ろした。
――バキィン!
何かが砕けるような音が響いた。
黒い力が大きく弾ける。
そして。
おじさんが最後の力を集中させた。
「これで終わりだ」
黒い力が、次々と消えていく。
トワリンの身体から。
一つ。
また一つ。
黒い影が剥がれ落ちる。
「トワリン!」
ウェンティが叫ぶ。
「僕の声を聞いて!」
トワリンの瞳が揺れた。
「……ウェン……ティ……」
「そうだよ」
ウェンティが微笑む。
「帰っておいで」
最後に残った黒い力が、大きく膨れ上がった。
「まだ残ってる!」
パイモンが叫ぶ。
おじさんが構える。
蛍も剣を構えた。
ウェンティがトワリンへ手を伸ばす。
「みんなで終わらせよう」
蛍が頷いた。
「うん!」
おじさんも頷く。
「ああ」
三人が同時に動いた。
蛍が正面から黒い力を斬る。
おじさんが動きを押さえる。
ウェンティがトワリンへ声を届ける。
「トワリン!」
「――ああ!」
トワリンが咆哮した。
その瞬間。
黒い力が完全に砕け散った。
光が弾ける。
そして。
静寂が訪れた。
「……」
誰も動かなかった。
さっきまで荒れ狂っていた風が、嘘のように静かになっている。
俺はゆっくりと顔を上げた。
トワリンがいた。
身体を覆っていた黒い力は、もうどこにもない。
「トワリン……?」
ウェンティが呼びかける。
トワリンがゆっくりと顔を上げた。
「……我は……」
しばらく沈黙する。
「……戻ったのか」
「うん」
ウェンティが答える。
「おかえり、トワリン」
トワリンの目が静かに細められる。
「……長い夢を見ていたようだ」
蛍が剣を下ろした。
「よかった……」
パイモンも胸を撫で下ろす。
「本当に助かったぞ!」
俺もその場に座り込んだ。
「……終わった……」
全身から力が抜ける。
「たかふみ?」
蛍が心配そうに見る。
「大丈夫……」
俺は息を吐く。
「大丈夫だけど……」
隣を見る。
おじさんが立っている。
平然としている。
「……」
「……」
俺は無言でおじさんを見る。
「何だ?」
「いや……」
俺はため息をついた。
「さっきの」
「ああ」
「トワリンごと消す気かと思った」
「そうはならない」
「いや、そういう問題じゃないだろ!」
思わず声が大きくなる。
パイモンも頬を膨らませた。
「そうだぞ、おじさん!」
「やりすぎだ!」
おじさんは少し考える。
そして。
「……加減した」
「どこがだよ!」
俺は叫んだ。
「トワリンは無事だ」
「結果論!」
パイモンも負けずに叫ぶ。
「もっと普通にできなかったのか!?」
「普通にやった」
「普通の基準がおかしいぞ!」
蛍が思わず苦笑する。
「でも……」
蛍がトワリンを見る。
「みんなで助けたんだと思う」
俺たちは蛍を見る。
「おじさんが黒い力を押さえてくれたから、私が攻撃できた」
ウェンティが頷く。
「蛍が最後まで戦ってくれたから、トワリンを救えたんだ」
蛍は少し照れたように笑った。
「……うん」
トワリンが静かに頷く。
「その通りだ」
俺は空を見上げる。
ゲームで知っていた出来事。
だけど。
実際に目の前で起きたことは、ゲームとは全然違った。
蛍が戦って。
おじさんが戦って。
ウェンティがトワリンを支えた。
そして。
俺も、知っていたことを伝えた。
その結果。
トワリンは救われた。
「……よかったな」
俺が呟く。
おじさんが頷く。
「ああ」
トワリンがゆっくりと翼を広げる。
「異界の人間よ」
トワリンがおじさんを見る。
「そして、人間よ」
今度は俺を見る。
「旅人よ」
蛍へ視線を向ける。
「我を救ったこと、感謝する」
「……俺も?」
思わず自分を指差す。
トワリンが静かに頷いた。
「お前の知識もまた、我を救う一助となった」
「……そっか」
俺は少しだけ笑った。
「なら……どういたしまして」
蛍も微笑む。
「うん。よかったね」
ウェンティが楽しそうに笑った。
「みんなで頑張った甲斐があったね」
おじさんも短く頷く。
「ああ」
トワリンはウェンティへ視線を向ける。
「そして、お前にも礼を言おう」
「どういたしまして」
ウェンティが笑う。
「これからは、自分の風で飛ぶんだよ」
「ああ」
トワリンが翼を広げる。
巨大な翼が風を捉えた。
「我はもう、誰かに操られることはない」
そして。
巨大な風龍は、空へ舞い上がった。
風が吹き抜ける。
だが。
もう、その風に苦しさはなかった。
「……行っちゃったな」
パイモンが呟く。
「ああ」
俺も空を見上げる。
トワリンの姿が遠ざかっていく。
蛍が隣に立つ。
「終わったね」
「うん」
俺は頷いた。
おじさんも空を見る。
「これで一段落だな」
「……その言い方だと、また何か起こりそうなんだけど」
「旅なんだから起こるだろう」
「まあ、それはそうだけどさ」
パイモンが笑った。
「とにかく、モンドに帰ろうぜ!」
蛍も頷く。
「うん。帰ろう」
俺たちは歩き出した。
風龍廃墟に、静かな風が吹いている。
トワリンを蝕んでいたアビスの力は消えた。
けれど。
アビス教団が完全に消えたわけではない。
そして。
俺たちの旅も、まだ終わっていない。
日本へ帰る方法も。
まだ見つかっていなかった。