風龍廃墟での戦いから、数日が経った。
モンドには、少しずつ日常が戻ってきていた。
街を歩けば、商人たちの呼び声が聞こえる。
広場では子供たちが走り回り、噴水の周りにはいつものように人が集まっている。
酒場からは笑い声が漏れ、風車は穏やかな風を受けて回っていた。
風龍が街を襲っていた頃には考えられなかった光景だ。
「……戻ったな」
俺は街を眺めながら呟いた。
隣を歩くおじさんが俺を見る。
「何がだ?」
「モンドの日常」
「そうか」
「……それだけ?」
「他に何かあるのか?」
「いや、ないけどさ」
俺は苦笑した。
この世界へ来てから、いろいろなことがあった。
突然の転移。
見知らぬ世界。
ヒルチャールとの戦い。
モンドでの生活。
そして、風龍トワリンとの戦い。
数日前までなら、こんな生活になるなんて想像もしていなかった。
それでも。
「平和になったな」
「ああ」
おじさんは短く答えた。
「よかったじゃないか」
「まあな」
俺も頷いた。
しばらく二人で街を歩く。
すると、おじさんが突然口を開いた。
「ところで」
「何?」
「今日の昼は何を食べる?」
「……」
俺は立ち止まった。
「おじさん」
「何だ?」
「もう少し余韻に浸ろうよ」
「腹は減る」
「それはそうだけど!」
おじさんは真剣な顔をしている。
「重要な問題だ」
「分かったよ……」
俺はため息をついた。
「まずギルドに行って報酬を受け取ってから考えよう」
「それがいい」
「そこは素直なんだな」
二人で冒険者ギルドへ向かった。
◇
「お帰りなさいませ」
受付に立つキャサリンさんが、いつもの笑顔で俺たちを迎えた。
「おじさん、たかふみ。依頼の報告ですね」
「ああ」
おじさんが依頼書を差し出す。
キャサリンさんは受け取ると、内容を確認していく。
「はい。こちらで間違いありません」
「よかった」
俺は小さく息を吐いた。
テイワットで生活するようになって、改めて実感したことがある。
金が必要だ。
当たり前のことだが、日本にいた頃よりも強く感じる。
宿に泊まるにも。
食事をするにも。
旅をするにも。
何をするにもモラが必要だった。
「それでは、今回の報酬です」
キャサリンさんが袋をカウンターへ置いた。
ずしり。
音がした。
「……おお」
俺は目を丸くする。
「結構あるな」
「今回の依頼は危険度が高かったですから」
キャサリンさんが説明する。
俺は袋を持ち上げてみた。
重い。
「……これなら、しばらく大丈夫そうだな」
「そうですね」
少しだけ安心した。
日本に帰る方法が分からない。
それ以前に、この世界でどう生きていけばいいのかも分からない。
だが、少なくとも今は生活できる。
それだけでも大きかった。
「おじさん」
「何だ?」
「これで宿代とか食事代は、しばらく大丈夫だな」
「ああ」
「よかった……」
肩の力が抜ける。
すると、おじさんが報酬袋を見ながら言った。
「なら、昼飯は少し豪華にするか」
「結局そこに戻るのかよ!」
キャサリンさんが小さく笑った。
「お二人とも、仲がよろしいのですね」
「そう見えます?」
「はい」
「……まあ」
俺は苦笑した。
おじさんは特に気にしていない。
「今日は何を食べる?」
「だから今決めなくていいって」
二人でギルドを出た。
◇
外へ出ると、青空が広がっていた。
風が気持ちいい。
「そういえば」
俺は口を開く。
「トワリンのこと、もう街では普通に話されてるな」
「そうだな」
「少し前まで、風龍がモンドを襲ってるって大騒ぎだったのに」
「状況が変われば、人も変わる」
「まあ……そうだけど」
俺は街を見回した。
人々の表情は明るい。
誰もが以前の生活を取り戻そうとしている。
その中に、俺たちもいる。
不思議な感覚だった。
「あっ!」
聞き覚えのある声がした。
「おじさん! たかふみ!」
二人が振り向く。
アンバーがこちらへ駆けてきた。
「アンバー」
「二人とも、元気そうだね!」
「ああ」
「俺は大丈夫」
「よかった!」
アンバーは笑顔を見せる。
「騎士団もまだまだ忙しいけど、モンドはだいぶ落ち着いてきたよ」
「修理とか?」
「うん。壊れたところも多いからね」
アンバーは街を見回した。
「でも、みんな前向きだよ」
「そうなんだ」
「モンドの人って、そういうところあるから」
アンバーは胸を張る。
「風が吹けば、また歩き出せるんだよ」
「……なるほど」
俺は笑った。
「モンドらしいな」
「でしょ?」
アンバーが嬉しそうにする。
「それに、二人にはちゃんとお礼を言わないとね」
「礼?」
「うん」
アンバーはおじさんを見る。
「トワリンのこと」
「別に」
おじさんは淡々としている。
「必要だったからやっただけだ」
「そういうところ、おじさんらしいね」
アンバーが笑う。
「でも、本当に助かったんだよ」
「そうか」
「うん」
アンバーは俺を見る。
「たかふみもね」
「俺?」
「うん」
「俺はそこまで……」
「そんなことないよ」
アンバーは即答した。
「二人がいなかったら、もっと大変なことになってたと思う」
少し照れくさくなった。
「……そっか」
「うん!」
アンバーは笑った。
「これからもモンドに来たら、いつでも声をかけてね」
「ありがとう」
「じゃあ、私は仕事に戻るね!」
アンバーは手を振る。
「またね!」
「またな」
俺たちはアンバーを見送った。
「知り合い、増えたな」
俺が呟く。
「そうだな」
おじさんが答えた。
◇
その後、俺たちは騎士団本部へ向かった。
受付を通り、案内された部屋へ入る。
「来てくれましたか」
ジンさんが立ち上がる。
「おじさん、たかふみ」
「ジンさん」
「改めて、礼を言わせてください」
ジンさんは俺たちへ向き直った。
「モンドを守ってくれて、本当にありがとうございました」
「俺たちは――」
「必要なことをしただけだ」
おじさんが先に言った。
ジンさんは少し微笑む。
「そう言うと思っていました」
「……」
俺は苦笑した。
ジンさんは続ける。
「しかし、感謝しているのは事実です」
「ありがとうございます」
俺が答えた。
「お二人がいなければ、トワリンを救うことは難しかったでしょう」
「蛍たちもいたから」
俺はそう付け加えた。
「俺たちだけじゃないですよ」
「もちろんです」
ジンさんは頷いた。
「蛍さん、パイモンさん、そしてウェンティ。皆さんの力があってこそです」
その名前が出たところで、俺は思い出した。
「そういえば」
「何でしょう?」
「ウェンティって今どこに?」
ジンさんが少し困ったような表情をする。
「彼ですか?」
「はい」
「……まあ、どこかで風に乗っているのではないでしょうか」
「なるほど」
俺は納得した。
「すごくそれっぽい」
「そうだな」
おじさんも頷く。
その時。
「おや、僕の話かい?」
扉の近くから声がした。
「ウェンティ」
「やあ」
ウェンティが笑っている。
「相変わらず仲がいいね」
「そう見える?」
俺が聞く。
「見えるよ」
ウェンティは楽しそうに笑った。
その横から。
「おやおや、いいところに来たな」
ガイアさんが入ってきた。
「ガイアさん」
「やあ、二人とも」
ガイアさんは俺たちを眺める。
「さて――」
軽い笑みが消える。
「トワリンの件は片付いた」
「はい」
ジンさんが答える。
「だが、アビス教団の問題は残っている」
ガイアさんは静かに続けた。
「奴らが何を企んでいたのか。まだ全部は分かっていない」
「……」
俺は黙った。
「だから、騎士団としては引き続き警戒する」
ガイアさんはおじさんを見る。
「特に、異世界から来た二人にはな」
「俺たち?」
「ああ」
ガイアさんは笑う。
「君たちはアビスにとっても、かなり珍しい存在だろうからな」
「……面倒だな」
おじさんが呟く。
「だろう?」
ガイアさんは楽しそうに笑った。
「まあ、焦る必要はないさ」
「そうですね」
俺は頷いた。
「俺たちは俺たちで、帰る方法を探します」
「日本へ、か」
「はい」
ガイアさんの目が細くなる。
「その旅で何か分かったら、知らせてくれ」
「分かりました」
「約束だ」
ガイアさんは軽く手を上げた。
◇
騎士団本部の廊下へ出たところで。
「お二人とも」
柔らかな声が聞こえた。
リサさんだった。
「これから帰るところかしら?」
「はい」
「そう」
リサさんはおじさんを見る。
「ところで、あなたたち」
「何だ?」
「これからも旅を続けるのでしょう?」
「ああ」
「どこへ?」
「まだ決めてない」
おじさんが答える。
俺がすぐに付け足した。
「たぶん璃月です」
「まあ」
リサさんが微笑む。
「璃月なのね」
「はい」
「なら、いろいろと気をつけたほうがいいわ」
「危険なんですか?」
「もちろん、どの国にも危険はあるわ」
リサさんは意味深に笑った。
「でも、それ以上に興味深い場所よ」
「興味深い?」
「ええ」
リサさんは俺を見る。
「あなたたちのような異世界人が、何を見るのか」
「……」
「少し気になるわね」
「俺たちも、まだ何があるのか分からないですけど」
「それでいいのよ」
リサさんは微笑む。
「旅というのは、知らないものを見るためにあるのでしょう?」
「……そうかもしれません」
「ふふっ」
リサさんは手を振った。
「それじゃあ、気をつけてね」
「はい」
「また会いましょう」
俺たちは騎士団本部を後にした。
◇
夕方。
モンドの街を歩いていると。
「おーい!」
また声がした。
「蛍!」
「パイモン!」
蛍とパイモンがこちらへ向かってくる。
「二人とも、元気そう」
蛍が言った。
「ああ」
おじさんが答える。
「そっちは?」
「元気だぞ!」
パイモンが胸を張る。
「トワリンの件も片付いたし、これでまた旅を続けられるな!」
「そうだな」
俺が答える。
「俺たちも次の国へ行こうと思ってる」
「次の国?」
「璃月」
「おっ!」
パイモンが反応する。
「璃月か!」
「知ってるの?」
「もちろんだぞ!」
パイモンは得意そうに胸を張る。
「璃月は商業が盛んな国なんだ!」
「へえ」
俺は興味を示す。
「なら、モラの心配は少し減るかな」
「どうだろうな」
おじさんが言う。
「食べ物がうまいなら、それでいい」
「また食べ物かよ」
パイモンが呆れる。
「おじさんって、本当に食い物の話が好きだな」
「重要だからな」
「お前もか!」
俺が突っ込む。
蛍が小さく笑った。
「二人らしいね」
「そう?」
「うん」
蛍は少し考える。
「じゃあ、璃月でまた会えるかも」
「そうだな」
俺は頷いた。
「その時はよろしく」
「うん」
「パイモンもよろしくな」
「任せろ!」
パイモンが胸を張る。
「……何を任せるんだ?」
「細かいことはいいんだ!」
俺は笑った。
蛍とパイモンも笑う。
短い時間だったが。
それだけで、少し安心できた。
◇
夜。
俺たちは宿へ戻った。
机の上には、今日受け取った報酬。
旅の荷物。
地図。
そして、モンドで手に入れた細かな品々。
俺は椅子に座り、地図を広げた。
「……璃月」
モンドから東へ。
広大な大地を越えた先にある国。
「本当に行くんだな」
「ああ」
おじさんは荷物を整理している。
「日本へ帰る方法を探すためだ」
「そうだね」
俺は地図を見る。
「モンドでは、何も分からなかった」
「完全に何も、ではない」
「そう?」
「ああ」
おじさんは言う。
「俺たちが知らない世界だと分かった」
「……それは確かに」
俺は苦笑する。
「それに、帰る方法があるかもしれないっていう情報も、まだ何もない」
「なら探す」
「うん」
俺は地図を見つめた。
「璃月へ行って、そこで情報を集める」
「それでいい」
おじさんは頷く。
「急ぐ必要はない」
「でも、いつまでもここにいるわけにもいかない」
「ああ」
俺たちの目的は変わっていない。
日本へ帰ること。
突然飛ばされた理由も。
帰還する方法も。
まだ何一つ分かっていない。
それでも。
少しずつ進むしかない。
俺は地図を畳んだ。
「明日、準備しよう」
「ああ」
おじさんも頷いた。
二人で荷物を確認する。
「食料」
「重要だ」
「薬」
「必要だな」
「地図」
「ある」
「宿」
「璃月で探す」
「モラ」
俺は報酬袋を見る。
「……ある」
「なら問題ない」
「いや、問題はあるだろ」
「何だ?」
「おじさんが無駄遣いしないこと」
「俺は無駄遣いなどしない」
「食事に使うだろ」
「必要経費だ」
「それを無駄遣いっていうんだよ」
俺たちの声が宿の部屋に響く。
しばらくして。
俺は笑った。
「……まあ、いいか」
「何がだ?」
「いや」
俺は窓の外を見る。
夜のモンド。
風車の影。
静かな街。
数日前まで戦場になっていたとは思えないほど穏やかだった。
「モンド、結構好きになったかもね」
「そうか」
「おじさんは?」
「悪くない」
「それだけ?」
「ああ」
「相変わらずだな」
俺は笑った。
モンドで知り合った人たち。
アンバー。
ジンさん。
ガイアさん。
リサさん。
そして、蛍とパイモン。
短い時間だった。
それでも。
もう完全な他人ではない。
「……また来ることもあるかな」
「旅が続けばな」
「そうだな」
俺は地図を畳んだ。
「じゃあ、明日から璃月への準備だ」
「ああ」
おじさんも頷いた。
二人は静かな夜のモンドで、翌日の出発に備えた。