モンドに、少しずつ平穏が戻っていた。
風龍による騒ぎから数日。
壊れた建物の修復も進み、街には商人たちの声が戻っている。
広場を歩く人々の表情にも、以前の明るさが戻りつつあった。
「ようやく落ち着いてきたな」
俺は街を眺めながら言った。
「ああ」
隣を歩くおじさんが短く答える。
「飯も普通に食えるようになった」
「そこが一番重要なんだな」
「重要だ」
「……まあ、いいけど」
そんなやり取りをしながら歩いていると、冒険者ギルドへ向かう途中で、騎士団の使いが俺たちを見つけた。
「たかふみさん、おじさん。騎士団から呼び出しです」
「俺たち?」
「はい。西風騎士団本部までお願いします」
「何かあったのかな」
俺はおじさんを見る。
「行けば分かる」
「まあ、そうだけど」
俺たちはそのまま西風騎士団本部へ向かった。
◇
本部へ入ると、ジンさんが俺たちを迎えてくれた。
その隣にはガイアさんもいる。
「来てくれてありがとうございます」
「何かあったんですか?」
俺が尋ねる。
ジンさんは少しだけ表情を引き締めた。
「ファデュイから使節が来ます」
「ファデュイ……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の表情がわずかに変わった。
「今回、モンドを訪れるのは――ファデュイの執行官、シニョーラです」
「……シニョーラ」
知っている名前だった。
原作でも重要な立場にいる人物。
その本人が、これからここへ来る。
頭では分かっていても、実際に名前を聞くと妙な緊張感があった。
「どうしました?」
ジンさんが俺を見る。
「いえ……ちょっと驚いただけです」
「そうですか」
ジンさんはそれ以上聞かなかった。
「今回、あなたたちにも立ち会ってもらいます」
「俺たちも?」
「はい」
ガイアさんが口を挟む。
「風龍の件で、君たちはファデュイからも注目されているようだからな」
「俺たちが?」
「妙な魔法を使う冒険者として、ね」
精霊魔法のことだろう。
俺はそれ以上言わなかった。
「分かりました」
おじさんも頷く。
「問題ない」
ジンさんはおじさんを見る。
「ただし、問題を起こさないようにしてください」
「分かった」
即答だった。
ガイアさんが笑う。
「ずいぶん素直じゃないか」
「問題を起こすつもりはない」
「そう願いたいものだ」
俺は嫌な予感がした。
こういう時のおじさんは、だいたい何かやらかす。
◇
しばらくして。
本部の扉が開いた。
ファデュイの一団が入ってくる。
その中央を歩く女性を見て、俺は思わず息を止めた。
シニョーラ。
原作で知っている姿、そのものだった。
堂々とした歩き方。
周囲を圧するような雰囲気。
彼女はジンさんの前で足を止める。
「ジン代理団長」
「シニョーラ殿」
「お久しぶりね」
「モンドへようこそ」
「歓迎されているようには見えないけれど?」
「外交上、必要な対応です」
シニョーラが薄く笑う。
「相変わらずね」
ガイアさんが口を挟んだ。
「今日は随分と大げさな護衛を連れてきたじゃないか」
「念のためよ」
「念のため、か」
ガイアさんは笑っている。
だが、その目は笑っていない。
シニョーラも周囲を見渡す。
そして、俺たちへ視線を向けた。
「……あなたたちが?」
俺が答える。
「俺たちですか?」
「ええ」
シニョーラは俺たちを見比べた。
「妙な魔法を使う冒険者と聞いているわ」
「ああ……まあ」
「モンドで起きた騒ぎの中で、あなたたちが戦っていたことは聞いているわ」
「俺たちは巻き込まれただけですけど」
「そういうことにしておきましょう」
シニョーラの視線が、おじさんへ移る。
「あなた」
「何だ?」
「名前は?」
「……」
おじさんが黙った。
俺は嫌な予感がした。
「おじさん?」
小声で呼びかける。
おじさんは少し考えた。
そして――。
「ウルフガンブラッドだ」
「…………」
俺は固まった。
「……え?」
ガイアさんも眉を上げる。
「ほう?」
ジンさんも一瞬、言葉を失った。
「……ウルフガンブラッド、ですか?」
「ああ」
「いや、おじさん……」
俺は慌てて小声で言う。
「なんでその名前なんだよ!?」
「偽名だ」
「それは分かってるよ!」
シニョーラが俺たちを見比べる。
「……本当に、その名前なの?」
「そうだ」
「……」
微妙な沈黙が落ちた。
ガイアさんが口を開く。
「まあ、本人がそう名乗っている以上、そういうことにしておこうじゃないか」
「ガイアさん!?」
俺は思わず振り返った。
「なんで流すんですか!」
「本人が堂々としているからな」
「そういう問題じゃないですよ!」
ジンさんも困ったようにおじさんを見る。
「……少なくとも、もう少し自然な名乗り方をしていただけると助かるのですが」
「これでいい」
「よくない!」
俺とジンさんの声が重なった。
ガイアさんまで肩をすくめる。
「俺も今のはどうかと思うぞ」
「ガイアさんまで!?」
おじさんは不思議そうに俺たちを見る。
「何が問題なんだ?」
「全部だよ!」
俺は即答した。
シニョーラは無言で俺たちを見ていた。
そして、ため息をつく。
「……話を進めてもいいかしら?」
「すみません!」
俺は反射的に頭を下げた。
「あなたは?」
今度はシニョーラが俺を見る。
「俺は、たかふみです」
「たかふみね」
「はい」
シニョーラは頷いた。
そして再びおじさんを見る。
「ウルフガンブラッド」
「ああ」
「あなたは、どこから来たの?」
「遠い国だ」
「……どこの国?」
「……」
おじさんが黙る。
俺は少し安心した。
さすがにそこは言わないらしい。
だが。
「日本」
「おじさん!」
俺は思わず叫んだ。
「それ言うの!?」
「聞かれたから答えた」
「そういう問題じゃない!」
ジンさんが額に手を当てる。
「……話が進みませんね」
ガイアさんも苦笑する。
「これはなかなか大変だな」
シニョーラの表情が徐々に険しくなっていく。
「……あなたたち」
低い声だった。
「本当に……」
俺は思った。
まずい。
かなりまずい。
そして――。
おじさんがシニョーラを見た。
「……化粧、濃いな」
「おじさん――――っ!」
俺の叫びが本部内に響いた。
「今それ言う!?」
全員が固まる。
「……」
「……」
「……」
シニョーラの顔から表情が消えた。
ガイアさんがゆっくり顔を背ける。
「……これは俺でも庇えないな」
「ガイアさん!?」
ジンさんも目を閉じた。
「……」
「ジンさんまで!」
シニョーラのこめかみに青筋が浮かぶ。
「……あなた」
「何だ?」
「随分と失礼なことを言うのね」
「そうか?」
「そうよ!」
声が大きくなる。
俺は慌てておじさんの腕を引っ張った。
「おじさん、もうやめよう!」
「分かった」
「本当に?」
「ああ」
俺はホッとした。
だが――。
おじさんはシニョーラをもう一度見る。
「……近くで見ると、もっと濃いな」
「おじさん――――っ!」
「なんで追加するんだよ!」
「思ったことを言っただけだ」
「今はそれを言っちゃダメなんだよ!」
シニョーラの表情が完全に引きつった。
ガイアさんは顔を背けたまま。
ジンさんも何とも言えない表情をしている。
そして。
騎士団側の視線が、全員おじさんへ集まった。
「……」
「……」
「……」
「なんだ?」
「おじさんのせいだから!」
俺が叫んだ。
シニョーラは深く息を吸った。
「……あなた」
「何だ?」
「本当に……」
一歩、前へ出る。
「失礼な人ね!」
おじさんの表情が変わった。
目が泳ぐ。
肩が縮む。
「……怖い」
「急に弱くなった!?」
俺は叫んだ。
「さっきまで普通に言い返してたじゃん!」
「この人は怖い」
「自分で怒らせたんだろ!」
「知らん」
「知らんじゃない!」
シニョーラが声を荒らげる。
「あなたが喧嘩を売ったんでしょうが!」
「……」
おじさんは黙った。
「……怖い」
「なんなのよ、あなた!」
シニョーラは呆れたように息を吐いた。
ガイアさんが口元を押さえている。
「ガイア」
ジンさんが小声で言う。
「笑ってはいけません」
「分かっているさ」
そう言いながら、ガイアさんの肩はわずかに震えていた。
「絶対笑ってるだろ……」
俺は呟いた。
シニョーラはおじさんを睨みつける。
「……ウルフガンブラッド」
「何だ?」
「あなたのことは覚えておくわ」
「……分かった」
「次に会う時は、もう少し礼儀を覚えておくことね」
「努力する」
「本当にそうしてちょうだい」
シニョーラはそう言い残し、ファデュイの一団とともに本部を出ていった。
◇
扉が閉まる。
「……行ったな」
俺が呟く。
「ああ」
おじさんが答える。
「怖かった」
「だから自分から怒らせたんだろ!」
「知らん」
「まだ言うのかよ!」
ガイアさんが笑う。
「なかなか面白いものを見せてもらったよ」
「面白がらないでください」
「悪かった」
そう言いながらも、ガイアさんはまだ笑っている。
ジンさんが俺たちを見る。
「冗談はここまでにしましょう」
「はい」
俺が答える。
ジンさんは表情を引き締めた。
「ファデュイには、今後も警戒が必要です」
「分かっています」
俺は頷いた。
ファデュイ。
そして、シニョーラ。
原作で知っていた存在と、実際に言葉を交わした。
しかも――。
「ウルフガンブラッド」
シニョーラが最後に呼んだ名前が、頭に残っていた。
「……おじさん」
「何だ?」
「絶対、名前覚えられたよ」
「そうか?」
「ああ」
おじさんは少し考える。
「別にいい」
「よくないと思うけどな……」
俺はため息をついた。
こうして、ファデュイの執行官――シニョーラとの初めての接点ができた。
これから先、彼女と再び顔を合わせることになるのか。
それは、まだ分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
おじさんの偽名――ウルフガンブラッドは、確実にシニョーラの記憶に残った。
そして俺たちは、静かに騎士団本部を後にした。