翌朝。
モンドの街には、いつもと変わらない風が吹いていた。
昨日のうちに、旅に必要な荷物はほとんどまとめ終わっている。
だから今日は、まだ挨拶をしていない人たちに会う。
「今日は?」
俺が尋ねる。
「まだ会っていない人に挨拶する」
「そうだね」
昨日も何人かに別れを告げた。
アンバー。
ジンさん。
ガイアさん。
リサさん。
ノエルさん。
ディルックさん。
クレー。
どの人とも、モンドで過ごした時間を思い出す。
そして今日は、これまでの冒険や依頼を通して知り合った人たちに会いに行く。
「なんか……本当に最後なんだな」
「まだ一日ある」
「そうだけど」
俺は苦笑した。
こうして一人ずつ会っていると、少しずつ実感してくる。
俺たちは、もうすぐモンドを離れる。
二人は宿を出た。
◆
「おじさん!」
街の外へ向かう途中。
聞き慣れた元気な声が飛んできた。
「ベネット」
振り返ると、ベネットがこちらへ走ってくる。
「二人とも、旅に出るって本当か?」
「ああ」
「璃月へ行くんだろ?」
「そう」
「そっか!」
ベネットは一瞬だけ寂しそうな顔をした。
だが、すぐに笑顔へ戻る。
「いいな! 俺もいつか璃月まで冒険してみたいんだ!」
「ベネットなら、そのうち行きそうだけど」
俺が言うと、ベネットは胸を張った。
「だろ?」
「冒険者だからな!」
「でも、璃月ってモンドから結構遠いよ」
「それくらいどうってことない!」
「……途中で何か起きそうだけど」
「それは……まあ!」
ベネットが笑う。
「いつものことだ!」
「自覚あるんだ」
「ある!」
即答だった。
思わず笑ってしまう。
「本当にベネットらしいな」
「そうか?」
「ああ」
おじさんもベネットを見る。
「お前なら大丈夫だろう」
「おじさん……」
ベネットが少し驚いた。
「そう言ってもらえると嬉しいな!」
「ただし、無茶はするな」
「分かってる!」
「本当に?」
「……たぶん!」
「そこは『分かった』でいいんじゃない?」
「ははは!」
ベネットは笑った。
そして、少しだけ真剣な表情になる。
「二人とも、気をつけてな」
「ああ」
「璃月でも、困ってる人がいたら助けてやってくれよ」
「それはベネットに言われなくても――」
俺が言いかけて、隣を見る。
おじさんは黙っている。
「……まあ、おじさんの場合は別の意味で心配だけど」
「何だ?」
「何でもない」
ベネットが笑った。
「じゃあ、またな!」
「ああ」
「またモンドで会おうぜ!」
「うん」
ベネットは手を振りながら走っていった。
その背中を見送る。
「元気だね」
「そうだな」
「ベネットとは、結構一緒に戦ったよな」
「ああ」
俺は少しだけ振り返った。
「また会えるといいな」
「会える」
おじさんは迷いなく答えた。
「……そうだね」
◆
次に向かったのは、街の外れだった。
「ここにいるはずなんだけど……」
周囲を見回していると、背後から声がした。
「誰を探しているの?」
「うわっ!」
振り向く。
「モナ!」
「そんなに驚かなくてもいいでしょう」
モナは少し呆れた顔をする。
「占星術師を驚かせるなんて、いい度胸ね」
「いや、普通に後ろから声をかけられたら驚くよ」
「ふふん」
モナは二人を見る。
「旅立つのでしょう?」
「知ってたの?」
「あなたたちの星の動きを見れば……」
そこでモナが少し黙った。
「……まあ、普通に聞いたわ」
「占星術じゃないんだ」
「何か問題でも?」
「ありません」
俺は即答した。
「璃月へ向かうのね?」
「うん」
モナの表情が少し真面目になる。
「なら、気をつけなさい」
「分かってる」
「璃月はモンドとは違う国よ。文化も、人々の考え方も、街の雰囲気も違う」
「それに――」
モナはおじさんを見る。
「あなたたちが探している『帰る方法』が、簡単に見つかるとは限らないわ」
「……」
俺は黙った。
「分かってるよ」
「そう」
モナの表情が少し和らぐ。
「それでも探すのでしょう?」
「ああ」
おじさんが答える。
「日本へ帰る」
「なら、探し続けることね」
モナは腕を組む。
「あなたたちがどこから来たのか、私にはまだ完全には理解できない」
「俺たちも、この世界を全部理解してるわけじゃないよ」
「でしょうね」
モナは小さく笑った。
「だから面白いのだけれど」
「モナらしいな」
「何かしら?」
「いや、なんでもない」
俺は笑った。
「今までありがとう」
「こちらこそ」
「いろいろ教えてもらったし」
「私が教えたことなんて、ほんの一部でしょう」
「それでも助かったよ」
モナは少しだけ視線を逸らした。
「……無事に旅を続けなさい」
「うん」
「そして、もし帰る方法が見つかったら――」
「見つかったら?」
「私にも教えてちょうだい」
「分かった」
モナは満足そうに頷いた。
「それでは、また会いましょう」
「ああ」
二人はモナと別れた。
「占星術師らしい別れ方だったな」
「そう?」
「うん」
俺は笑った。
◆
次に向かった場所には、見慣れた少女がいた。
「我が前に姿を現すとは……」
フィッシュルがこちらを見る。
「異界の魔術師、そして異界の旅人よ」
「こんにちは、フィッシュル」
「ふっ」
フィッシュルが腕を組む。
「そなたらがこの地を去ることは、すでに運命の星々が――」
「旅に出ると聞きました」
オズが静かに口を挟んだ。
「やっぱりオズがいると話が早いな」
俺が言う。
「お嬢様の言葉を理解していただけるだけでも助かります」
「余計なことを言うでない!」
「失礼しました」
フィッシュルが胸を張る。
「異界の旅人よ!」
「はい」
「新たなる大地へ赴くのであれば、我が言葉を胸に刻むがいい!」
「うん」
「未知なる地には、未知なる試練が待ち受けている!」
「うん」
「そして――」
フィッシュルが大きく腕を広げる。
「そのすべてを乗り越えた先に、新たなる運命が――」
「お嬢様」
オズが静かに遮る。
「つまり、『気をつけて旅をしてください』とのことです」
「そういうこと!」
フィッシュルが頷いた。
「最初からそう言えばいいのに」
「たかふみ」
おじさんが小声で言う。
「聞こえてるよ」
フィッシュルが頬を膨らませる。
「我の言葉には深遠なる意味があるのだ!」
「分かってるって」
俺は笑った。
「でも、フィッシュルらしいよ」
「……ふん」
フィッシュルは少しだけ嬉しそうだった。
やがて、フィッシュルの表情が真剣になる。
「異界の魔術師」
「何だ?」
「そなたの力――」
フィッシュルはおじさんを見る。
「精霊魔法、と言ったな」
「ああ」
「旅先でも、その力を己のためだけに使うな」
おじさんは黙ってフィッシュルを見る。
「必要な時に使う」
「そうだ」
フィッシュルは頷いた。
「力を持つ者には、その力をどう使うかという責務がある」
俺は少し驚いた。
いつものフィッシュルとは、少し違って見えた。
「……ありがと」
おじさんが言う。
「うむ!」
フィッシュルは満足そうに頷く。
「そして異界の旅人よ!」
「俺?」
「そなたもまた、我が友としてこの旅を生き抜くがよい!」
「友……」
俺は少し笑った。
「分かった」
「ならばよい!」
オズが頭を下げる。
「お二人とも、どうかお気をつけて」
「ありがとう、オズ」
「こちらこそ」
「また会おうね」
「はい」
オズは穏やかに微笑んだ。
「きっと、また会えるでしょう」
フィッシュルとオズに別れを告げ、二人は歩き出す。
「フィッシュルって、意外といいこと言うよね」
「そうだな」
「……でも、やっぱりオズがいないと大変だな」
「お嬢様、それはどういう意味ですか?」
「聞こえてた!」
遠くから聞こえたオズの声に、俺は笑った。
◆
昼を過ぎた頃。
二人は酒場の近くを歩いていた。
「次は……」
俺が言う。
「ディオナ」
「そうだ」
「どこにいるかな」
探していると――。
「おじさん」
小さな声がした。
振り返る。
「ディオナ」
ディオナがこちらを見ている。
「……旅に行くんだって?」
「ああ」
「璃月?」
「そう」
「ふーん」
ディオナは腕を組んだ。
「別に、どうでもいいけど」
「そう?」
「そうよ」
俺が笑う。
「じゃあ、別れの挨拶はなし?」
「……」
ディオナは少し黙った。
「ちゃんと帰ってきなさいよ」
「うん」
「それだけ」
「ありがとう」
「だから、お礼なんて――」
ディオナが言葉を止める。
「……まあ、いいけど」
そして、おじさんを見る。
「あんた」
「何だ?」
「ちゃんとたかふみを守りなさいよ」
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
「……ならいい」
ディオナは少しだけ安心した顔をする。
「璃月でも、怪我したらちゃんと手当てするのよ」
「分かった」
「あと、変なもの食べない!」
「それはたかふみに言ったほうがいいんじゃない?」
「たかふみは大丈夫そうだから」
「俺は?」
「……あんたよりはマシ」
「ひどいな」
俺は苦笑する。
ディオナは少し笑った。
「……まあ」
そして、二人を見る。
「悪い人じゃなかったし」
「ディオナ……」
「だから、ちゃんと帰ってきなさい」
「うん」
「モンドに戻ってきたら――」
ディオナは少し迷う。
「……その時は、また話してあげる」
「ありがとう」
「別に、あんたたちのためじゃないから!」
ディオナは顔を背けた。
「分かった分かった」
「笑うな!」
「ごめん」
ディオナは最後に小さく手を振った。
「……じゃあね」
「またね」
「気をつけて」
「うん」
二人も手を振る。
◆
夕方。
二人はモンドの街を歩いていた。
昨日も、今日も。
たくさんの人と話した。
そして、まだ会っていない人もいる。
「……結構会ったな」
俺が言う。
「ああ」
「一人ずつ話してると、いろんなこと思い出す」
「そうだな」
俺は歩きながら街を見る。
モンドに来たばかりの頃は、何も分からなかった。
ただ帰りたかった。
日本へ帰ることだけを考えていた。
それは今も変わらない。
けれど。
「みんな、また会おうって言ってくれたな」
「ああ」
「俺たちが異世界人でも」
「関係ない」
「……そうかもね」
俺は笑った。
最初は、ゲームのキャラクターだと思っていた。
でも違った。
アンバーも。
ベネットも。
モナも。
フィッシュルも。
ディオナも。
みんな、ちゃんと生きている。
笑って。
怒って。
悩んで。
俺たちと話している。
「だから……また会いたいって思うんだろうな」
「そうだな」
おじさんは前を向いた。
「帰る方法を探す」
「うん」
「それは変わらない」
「分かってる」
おじさんは少しだけ間を置いた。
「だが」
「ん?」
「また戻ってきてもいい」
俺は目を丸くする。
「……おじさんからそんなこと言う?」
「何がだ?」
「いや」
俺は笑った。
「なんでもない」
二人はそのまま歩き続けた。
モンドの風が吹く。
街の旗が揺れる。
夕日が石造りの建物を照らしている。
「今日はここまでかな」
「ああ」
「明日は?」
「まだ別れを言ってない人がいる」
「そうだな」
俺は頷いた。
「明日はモンド最後の日」
その言葉を口にした瞬間。
胸の奥が少しだけ締め付けられた。
けれど、まだ旅立つわけではない。
明日がある。
そして明日には――。
モンドで最後に会うべき人たちがいる。
「帰ろう」
「ああ」
二人は宿へ向かって歩き出した。
モンドの街に、夕暮れの風が吹いていた。