朝。
窓の外から鳥の鳴き声が聞こえていた。
俺はカーテンを開ける。
青い空。
いつもと変わらないモンドの朝だった。
「……今日か」
窓の外を眺めながら呟く。
明日。
俺たちはモンドを出る。
次の目的地は璃月。
日本へ帰る方法を探すための旅だ。
「荷物は?」
後ろから、おじさんの声がする。
「昨日のうちに確認した」
「食料は?」
「ある」
「旅の道具は?」
「揃ってる」
「地図は?」
「あるって」
俺は振り返った。
「何回確認するんだよ」
「重要だ」
「はいはい」
荷物の準備は終わっている。
璃月へ向かうために必要なものは、すでに揃えた。
あとは出発するだけだった。
「今日はどうする?」
「ウェンティとレザーに会う」
「それから?」
「街を歩く」
「街を?」
「うん」
俺は少しだけ笑った。
「最後に、もう一度見ておきたい」
「そうか」
二人で宿を出た。
◆
朝のモンドは、すでに人で賑わっていた。
店を開ける人。
仕事へ向かう人。
冒険者たち。
騎士たち。
いつもの日常。
俺は、その景色を眺めながら歩いていた。
「明日なんだよな」
「ああ」
「なんか、実感ないな」
「出れば分かる」
「まあ、そうだろうけど」
二人で広場へ向かう。
◆
広場から、聞き慣れた歌声が聞こえてきた。
「いた」
足を止める。
そこには竪琴を手にしたウェンティがいた。
「おや?」
ウェンティが俺たちに気づく。
「おはよう」
「おはよう、ウェンティ」
「今日はずいぶん早いね」
「明日、璃月へ行くから」
「うん。知ってるよ」
ウェンティは当然のように答えた。
「街のみんなも知ってるんじゃないかな」
「やっぱり?」
「食料や旅道具を買い込んでいたからね」
「だよな」
俺は苦笑した。
「今さら隠しても仕方ないか」
「隠す必要もないだろう?」
「まあね」
ウェンティは竪琴を膝に置いた。
「いよいよモンドを離れるんだね」
「うん」
「最初に会った時と比べると、ずいぶん変わったね」
「そうかな」
「そうだよ」
ウェンティは俺たちを見る。
「最初は、この世界のこともよく分からなかっただろう?」
「まあ」
「今じゃ、モンドで普通に生活してる」
「そう言われると変な感じだな」
「旅をしていれば、そんなものさ」
ウェンティは笑った。
「知らない場所も、しばらくいれば自分の知っている場所になる」
「……」
「そして、いつかそこを離れる」
俺は黙って街を見る。
「モンド、結構好きになったよ」
「うん」
「だから、ちょっと寂しい」
「それはいいことだと思うよ」
「そう?」
「帰りたいと思える場所が増えたってことだから」
俺は少しだけ笑った。
「……なるほど」
おじさんが口を開く。
「だが、俺たちは日本へ帰る」
「もちろん」
ウェンティは頷く。
「そのために璃月へ行くんだろう?」
「ああ」
「なら、しっかり見てきなよ」
「何を?」
「璃月を」
ウェンティは空を見上げた。
「モンドとは違う場所だからね」
「分かってる」
「実際に見れば、もっと分かるよ」
「そうだね」
ウェンティは竪琴を持ち上げた。
「じゃあ、旅立つ二人に一曲」
「餞別?」
「そういうこと」
竪琴の音が響く。
柔らかな旋律。
モンドを吹き抜ける風に乗って、街へ広がっていく。
俺は黙って聞いていた。
短い演奏が終わる。
「……良かった」
「ありがとう」
ウェンティが笑う。
「璃月でも、たまには空を見上げてごらん」
「空?」
「どこへ行っても、空は繋がっているからね」
「……うん」
おじさんもウェンティを見る。
「世話になった」
「こちらこそ」
「また会えるか?」
「風が運んでくれるさ」
「そうか」
「うん」
ウェンティは笑った。
「良い旅を」
「ありがとう」
「またな」
「ああ」
俺たちは広場を離れた。
◆
「次はレザーだな」
「ああ」
二人でモンドの外へ向かう。
森へ続く道。
少し歩いたところで、見慣れた姿が見えた。
「たかふみ」
「レザー」
「おじさんも」
「ああ」
レザーは俺たちの荷物を見る。
「明日?」
「そう」
「璃月」
「うん」
レザーは頷いた。
「遠い」
「だよね」
「危ない」
「分かってる」
レザーは少し考えた。
「でも、行く」
「ああ」
「日本、帰るため?」
「そう」
おじさんが答える。
「分かった」
レザーは街のほうを見る。
「モンド、好き?」
「俺?」
「そう」
俺は少し考える。
「好きだよ」
「俺も」
レザーは静かに頷いた。
「ここ、俺の場所」
「うん」
「璃月にも森ある」
「そうなんだ」
「でも違う」
「モンドとは?」
「違う」
レザーは木に触れる。
「匂い」
「うん」
「風」
「うん」
「人」
「なるほど」
「だから、見る」
「新しいものを?」
「そう」
俺は笑った。
「俺もそうする」
レザーはおじさんを見る。
「おじさん」
「何だ?」
「無理するな」
「ああ」
「たかふみも」
「分かった」
「二人とも」
「約束する」
「約束?」
「うん」
レザーは頷いた。
「なら、いい」
少しだけ沈黙する。
森を風が抜けていく。
「じゃあな、レザー」
「ああ」
「また会おう」
「また」
二人で歩き出す。
少し進んだところで、後ろから声が飛んでくる。
「たかふみ!」
振り返る。
「おじさん!」
「ん?」
「また!」
レザーが手を上げる。
「また!」
俺も手を振った。
「またな!」
おじさんも軽く手を上げた。
◆
昼を過ぎた頃。
二人でモンドへ戻った。
「さて」
俺は街を見渡す。
「ここからは?」
「決めていない」
「じゃあ、歩こう」
「ああ」
二人で並んで歩き始めた。
◆
最初に立ち寄ったのは、以前から利用している店だった。
「おや、二人とも」
店主が顔を上げる。
「こんにちは」
「明日だったな」
「はい」
「璃月へ行くんだろ?」
「そうです」
「もう準備はできたのか?」
「昨日のうちに」
「そうか」
店主は笑った。
「食料も買っていたしな」
「見られてた?」
「そりゃ、あれだけ買えば分かるよ」
「ですよね」
「向こうでも、ちゃんと食べるんだぞ」
「分かってます」
店主がおじさんを見る。
「そっちもだ」
「分かっている」
「ならいい」
店主は笑った。
「気をつけて行ってきな」
「ありがとうございます」
「元気でな」
「はい」
二人で店を出る。
「結局、食事の話だったな」
「重要だ」
「分かった分かった」
◆
次に向かったのは、旅道具を買った店だった。
「おう」
店主が二人を見る。
「いよいよ明日か」
「はい」
「道具は足りてるか?」
「大丈夫です」
「璃月までなら、それなりに歩くぞ」
「覚悟してます」
「ならいい」
店主は頷いた。
「またモンドへ戻ってきた時は寄ってくれ」
「もちろん」
「その時は、また何か買ってくれよ」
「分かりました」
「約束だぞ」
「はい」
二人で店を出る。
「こういうの、なんかいいな」
「何がだ?」
「また戻ってこいって言われるの」
「戻ればいい」
「うん」
◆
さらに街を歩く。
何度も顔を合わせた商人。
以前依頼で世話になった人。
街角で顔見知りになった冒険者。
警備をしている騎士。
名前を知らない人もいた。
それでも、声を掛ければ返事が返ってくる。
「明日だったな」
「はい」
「璃月まで気をつけてな」
「ありがとうございます」
「無茶するなよ」
「分かりました」
「向こうでも元気でな」
「はい」
短いやり取り。
それだけだった。
けれど――。
俺には、それが嬉しかった。
ここへ来たばかりの頃。
街を歩いても、誰も知らなかった。
何を売っている店なのかも分からない。
どこへ行けばいいのかも分からない。
どうやって生活するのかも分からない。
何も分からなかった。
今は違う。
道を歩けば、顔を知っている人がいる。
声を掛けてくれる人がいる。
旅立つことを知っている人がいる。
璃月へ向かうことを知っていて、それでも「気をつけて」と送り出してくれる。
「……結構、馴染んでたんだな」
俺が呟く。
「ああ」
おじさんも街を見る。
「最初は、すぐに帰るつもりだったのに」
「うん」
「今は、出るのが少し寂しい」
「そうだな」
◆
夕方。
二人で広場へ戻ってきた。
夕日がモンドの街を赤く染めている。
風車がゆっくりと回っていた。
俺は立ち止まる。
「……ここも、明日から見られないんだな」
「しばらくはな」
「そうだね」
噴水を見る。
石畳を見る。
風車を見る。
何度も歩いた道を見る。
「最初に来た時は、何も思わなかった」
「ああ」
「ただ帰りたかった」
「今も帰る」
「うん」
俺は頷く。
「でも……」
少しだけ笑う。
「ここも好きになった」
「そうだな」
「おじさんも?」
「ああ」
「意外」
「なぜだ?」
「いや、なんとなく」
おじさんは街を見る。
「悪い場所ではない」
「それ、かなり気に入ってるってこと?」
「そういうことだ」
「なるほど」
二人で笑った。
◆
夜。
宿へ戻る。
荷物はすでにまとめてある。
あとは明日の朝、出発するだけだ。
俺は荷物を確認する。
「問題なし」
「食料は?」
「ある」
「水は?」
「ある」
「地図は?」
「あるって」
「確認は重要だ」
「はいはい」
俺は笑った。
確認を終える。
部屋が静かになる。
「明日か」
「ああ」
「璃月」
「ああ」
「……どんな旅になるかな」
「行けば分かる」
「だよな」
俺はベッドへ腰を下ろす。
「モンド編も終わりか」
「そうだな」
「長かったな」
「ああ」
少し沈黙する。
「でも、楽しかった」
「そうだな」
「いろいろあったけど」
「ああ」
「……また来よう」
「もちろんだ」
おじさんは迷わず答えた。
「その時は、もう少しゆっくりしたいな」
「そうだな」
「事件とかなしで」
「それは無理だろう」
「なんでだよ」
「お前たちが行くところには、何か起きる」
「それ、俺たちのせいみたいじゃん」
「違うのか?」
「……否定できない」
俺は苦笑した。
窓の外を見る。
モンドの夜。
街の明かり。
静かな風。
明日には、この景色から離れる。
少し寂しい。
けれど――。
旅は続く。
日本へ帰るために。
次の目的地へ進むために。
「……おやすみ、おじさん」
「おやすみ」
俺は目を閉じた。
モンド最後の夜。
静かな風が、窓の外を吹き抜けていった。
明日。
二人はモンドを出る。
次の目的地――璃月へ。