モンドを離れる日が来た。
旅の荷物は、ほとんど整っている。
食料。
水。
薬。
道具。
これまでの旅で使ってきた装備。
そして、リサさんからもらった本。
俺は最後に荷物を確認すると、宿の部屋を見回した。
「……本当に出るんだな」
「そうだな」
おじさんは荷物を背負う。
「忘れ物はないか?」
「たぶん」
「たぶんでは困る」
「分かってるよ」
俺は苦笑しながら、もう一度部屋を見回した。
机の上。
ベッドの横。
荷物の中。
特に忘れているものはない。
「よし」
「行くか」
「うん」
二人で宿を出た。
◆
モンドの街を歩く。
いつもと変わらない景色。
風車が回り、街には人々の声が響いている。
けれど、俺には少し違って見えた。
今日で、この景色とも一度離れる。
そう思うだけで、妙に意識してしまう。
「……なんか変な感じだな」
「何がだ?」
「毎日見てた街なのに、今日だけ特別に見える」
「そうか?」
「そうだよ」
おじさんは特に気にした様子もなく歩いている。
その時だった。
「おーい!」
聞き慣れた声がした。
「……パイモン?」
振り向く。
そこには蛍とパイモンがいた。
「やっぱりここにいた!」
パイモンが俺たちのところまで飛んでくる。
「おじさん! たかふみ!」
「久しぶり」
俺は笑った。
「久しぶりじゃないぞ!」
「そうだっけ?」
「そうだぞ!」
パイモンが頬を膨らませる。
蛍も俺たちの前で足を止めた。
「旅の準備?」
「うん」
俺は荷物を見せる。
「もうほとんど終わったよ」
「そう」
蛍が頷く。
俺は蛍を見る。
これからどこへ向かうのかは知っている。
ゲームで見た流れも、頭の中には残っている。
だから――。
璃月という言葉を聞いても、驚きはしなかった。
ただ、目の前にいる蛍はゲームのキャラクターじゃない。
ここで実際に出会って、一緒に戦ってきた旅人だ。
「私たちも、璃月へ向かう」
「そっか」
俺は頷いた。
やっぱりそうなる。
けれど、実際に本人から聞くと少し不思議な気分だった。
「モンドでの用事が、終わってから」
蛍がそう続けた。
「……そっか。じゃあ、俺たちと同じ璃月なんだ」
「うん」
パイモンが嬉しそうにする。
「じゃあ、また会えるかもしれないな!」
「そうだね」
「璃月で一緒に飯を食おうぜ!」
「いいよ」
「約束だからな!」
「分かったって」
俺は笑った。
おじさんは蛍を見る。
「お前たちは、これからも旅を続けるのか?」
「うん」
「目的は?」
「兄を探す」
蛍の答えは短かった。
けれど、その言葉には迷いがない。
俺も知っている。
蛍が兄を探して旅をしていること。
その旅が、これからも続いていくこと。
「俺たちも帰る方法を探す」
俺が言った。
「日本へ」
「分かってる」
蛍が頷く。
「目的は違うけど、旅をすることは同じ」
「そうだな」
おじさんが答えた。
◆
四人はそのまま街の一角で話を続けた。
モンドで起きたこと。
これから向かう場所。
それぞれの目的。
俺は蛍たちと話しながら、これまでのことを思い返していた。
最初に会った時。
まだ、この世界に来たばかりだった。
何も分からなかった。
文字も。
モラも。
この世界の常識も。
それでも、蛍やパイモンと出会ったことで、少しずつこの世界を知っていった。
そしてトワリンとの戦い。
あの時も、四人で同じ場所に立っていた。
「一緒に戦ったこと、結構あったよな」
俺が言う。
「うん」
蛍が頷く。
「トワリンの時も」
「そうそう」
パイモンが割り込む。
「おじさん、すごかったよな!」
「そうか?」
「そうだぞ!」
「普通だ」
「普通じゃないって!」
俺は笑った。
「おじさんの普通は基準がおかしいんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
蛍が小さく笑った。
その笑顔を見て、俺も少し嬉しくなる。
ゲームの中で見ていた場面とは違う。
今、この瞬間は現実だ。
自分たちが実際にここで出会い、一緒に戦い、そして別れようとしている。
「なんだか寂しいな」
パイモンが言った。
「パイモンも?」
「当たり前だろ!」
「そっか」
「一緒に戦った仲間なんだからな!」
パイモンが胸を張る。
「忘れるなよ!」
「忘れないって」
俺が答える。
おじさんも頷いた。
「忘れない」
「おじさんも?」
「ああ」
「ならいい!」
パイモンは満足そうに笑った。
◆
やがて、別れの時間が来た。
蛍が俺たちを見る。
「じゃあ、行くね」
「ああ」
おじさんが答える。
「気をつけて」
俺も言った。
「二人も」
「うん」
蛍とパイモンが歩き出す。
数歩進んだところで、パイモンが振り返った。
「おーい!」
「ん?」
「璃月で会ったら、また一緒に飯食おうな!」
「分かった!」
俺が手を振る。
おじさんも小さく手を上げる。
「絶対だぞー!」
「分かった!」
パイモンの声が街に響く。
蛍も振り返って手を振った。
二人の姿が少しずつ遠ざかっていく。
俺は、しばらくその背中を見ていた。
「……行っちゃったな」
「ああ」
「なんか、変な感じ」
「何がだ?」
「ゲームの仲間と別れるみたいな」
おじさんが黙る。
俺は自分で言ってから、少しだけ苦笑した。
「いや……違うか」
「何がだ?」
「ここはゲームじゃないから」
「そうだな」
「蛍もパイモンも、自分で旅をしてる」
「その通りだ」
俺は遠ざかっていく二人を見る。
原作を知っている。
これから起きることも、ある程度は知っている。
それでも、全部が同じになるとは限らない。
ここで出会った人たちは、ゲームの登場人物ではない。
自分の意思で笑い、自分の意思で怒り、自分の意思で旅をしている。
だからこそ――。
また会えるかどうかも分からない。
けれど。
「……また会えるといいな」
「会える」
おじさんが即答した。
「そうかな」
「ああ」
その言葉に、俺は少しだけ笑った。
「じゃあ、そういうことにしよう」
◆
二人で歩き出す。
モンドの街を抜ける。
振り返る。
風車が見えた。
見慣れた街並み。
何度も歩いた道。
そして、そこで出会った人々。
アンバー。
ジンさん。
ガイアさん。
リサさん。
ノエルさん。
ディルックさん。
クレー。
ベネット。
モナ。
フィッシュル。
オズ。
ディオナ。
ウェンティ。
レザー。
そして――蛍とパイモン。
俺は一人ずつ思い浮かべる。
「……結構、知り合い増えたな」
「そうだな」
「最初は誰も知らなかったのに」
「ああ」
「今じゃ、別れるのが寂しいくらいだ」
おじさんは何も言わず、モンドを振り返った。
そして、短く言う。
「世話になった」
「うん」
俺も頷く。
日本へ帰る。
その目的は変わらない。
だから、ここで立ち止まるわけにはいかない。
それでも――。
モンドで過ごした時間は、俺たちにとって確かなものになっていた。
「行こう」
「ああ」
二人で前を向く。
蛍とパイモンとは、別の道へ。
俺たちは、日本へ帰るための道へ。
目的は違う。
それでも、一緒に戦った時間は消えない。
いつかまた、どこかで会う。
そんな可能性を残して――。
二人だけの旅が、再び始まった。