モンドで生活を始めて、少しずつ分かってきたことがある。
この街では、冒険者ギルドだけが仕事の窓口じゃない。
街を守っているのは、西風騎士団。
魔物が出れば討伐に向かい、街の治安を守り、困っている住民がいれば対応する。
そして俺たちは、その騎士団ともすでに何度か顔を合わせている。
最初にモンドへ来たとき。
アンバーに拾われて、事情を説明したとき。
そのときに会ったのが、騎士団の団長代理――ジンさんだった。
その後も何度か顔を合わせている。
だから今日、騎士団へ向かうことになっても、最初ほど緊張はしなかった。
「依頼の報告だけだよな?」
「ああ」
「なら、すぐ終わるかな」
「終わる」
「おじさん、それフラグみたいで嫌なんだけど」
「何の話だ?」
「こっちの話」
俺たちは騎士団の建物へ向かって歩いていた。
モンドの朝は、思っていたより騒がしい。
市場では店を開ける準備をしている人たちがいて、街道を行き交う人もいる。
ここに来たばかりの頃は、その一つ一つが妙に新鮮だった。
今では、見慣れた光景になりつつある。
それが少し不思議だった。
数日前まで、日本にいた。
普通に生活していた。
それが突然、知らない世界へ飛ばされた。
最初は帰ることしか考えていなかった。
今だって、それは変わらない。
けれど。
毎日モンドを歩いているうちに、少しずつこの世界の日常が自分の中に入り込んできている。
「……慣れてきたな」
「何が?」
「この街」
俺が言うと、おじさんは周囲を見回した。
「そうか?」
「そうだよ」
「最初から普通に歩いていただろ」
「おじさんはな」
俺は苦笑する。
この人は、異世界に来ても大して変わらない。
問題があれば考える。
敵がいれば戦う。
腹が減れば食べる。
そして、ゲーム機がないことを時々気にする。
順応しているのか、していないのか。
いまいち分からない。
◇
「失礼します」
西風騎士団の建物へ入る。
受付の騎士に用件を伝えると、すぐに話が通った。
「冒険者ギルドの依頼について、団長代理が確認したいそうです」
「分かりました。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
案内されて廊下を歩く。
壁には騎士団に関係するものが飾られている。
俺は何となく周囲を見ながら歩いた。
ゲームで見たことのある場所。
それなのに、実際に歩いてみると印象が違う。
画面越しなら数秒で通り過ぎる場所でも、現実では床を踏む感触がある。
人の声がする。
空気の匂いもする。
ゲームの背景ではなく、ちゃんと誰かが生活している場所なのだと改めて思う。
「おや」
前方から声がした。
見慣れた男が立っている。
片目を閉じた男。
軽そうな笑み。
そして、どこか相手を観察しているような雰囲気。
「これはこれは。噂の異世界人じゃないか」
「……ガイアさん」
「覚えていてくれたか。嬉しいね」
ガイアさんが笑う。
「今日も元気そうで何よりだ」
「まあ」
俺が答える。
隣を見る。
おじさんは無言。
「相変わらずだな、おじさん」
「そうか?」
「いやいや、悪い意味じゃないさ」
ガイアさんは肩をすくめる。
「それで、今日は何の用かな?」
「依頼の報告です」
「なるほど」
ガイアさんが俺を見る。
「冒険者としても、ずいぶん馴染んできたみたいじゃないか」
「おかげさまで」
「モンドの生活には慣れた?」
「少しずつ」
「それはよかった」
軽い会話。
けれど。
俺には分かる。
ガイアさんはただ雑談しているわけじゃない。
俺たちのことを探っている。
もちろん、当然だと思う。
俺だって逆の立場ならそうする。
突然現れた二人組。
片方は奇妙な魔法を使う。
もう片方は、その魔法について詳しい。
しかも、二人ともこの世界の人間ではない。
警戒するなというほうが無理だ。
「ところで」
やっぱり来た。
「君たちは、本当に遠い国から来たのかい?」
「そうです」
「国の名前は?」
「日本」
「日本……聞いたことのない国だな」
「そうでしょうね」
「どんな国なんだ?」
「普通の国ですよ」
「普通?」
「俺たちみたいな一般人が生活してる国です」
「へえ」
ガイアさんが笑う。
「魔法は?」
「普通の人は使いません」
「剣術は?」
「人によります」
「魔物は?」
「基本的にはいません」
「ほう」
ガイアさんの目が少し細くなる。
「ずいぶん平和な国なんだな」
「まあ……そうですね」
俺は答えながら、少しだけ警戒する。
質問自体は普通だ。
でも。
全部答える必要もない。
俺たちが日本について話せることには限界がある。
そもそも、この世界の住人に日本を説明しろと言われても難しい。
国の大きさ。
人口。
文化。
技術。
インターネット。
ゲーム。
電車。
コンビニ。
説明し始めたら、きりがない。
そして、説明したところで帰れるわけでもない。
「それじゃあ、おじさんは?」
「何がだ?」
「日本ではどんな仕事をしていたんだ?」
「YouTuber」
「?」
ガイアさんの笑顔が一瞬だけ止まった。
「そうだ」
「……なるほど」
何がなるほどなのか、俺には分からない。
ガイアさんが笑う。
「それで、あの戦闘能力か」
「……」
おじさんは何も答えない。
俺は心の中でため息をついた。
説明する気がなさすぎる。
もう少し何か言ってくれ。
いや。
むしろ余計なことを言わないだけマシなのかもしれない。
おじさんの場合、変な方向に説明を始めると、ゲームの話まで広がる可能性がある。
それはそれで面倒だ。
「まあ、いいさ」
ガイアさんはそれ以上追及しなかった。
「無理に聞き出すつもりはない」
「……ありがとうございます」
「ただ」
笑顔のまま、ガイアさんが言う。
「モンドで騒ぎを起こすつもりがないなら、俺たちも君たちを敵として扱う理由はないからね」
「ああ」
俺は頷いた。
その言葉には少し安心した。
完全に信用されたわけではない。
でも、敵扱いされているわけでもない。
今の俺たちにとっては、それだけでも十分だった。
「それなら結構」
ガイアさんは一歩横へ退いた。
「団長代理が待っている。行ってきな」
「はい」
俺たちはその場を離れた。
少し歩いてから、俺は小声で言う。
「……ガイアさんって、やっぱり鋭いな」
「そうか?」
「そうだよ」
「普通に話していただけだ」
「おじさんの普通と俺の普通を一緒にしないでくれ」
「そうか?」
「そうだよ」
いつもの会話だった。
◇
案内された部屋に入る。
「来ましたか」
ジンさんが立ち上がる。
「こんにちは」
「こんにちは、ジンさん」
俺が挨拶する。
おじさんも軽く頭を下げる。
「先日の依頼について、報告を確認したいと思いまして」
「問題ありませんでした」
「そうですか」
ジンさんが書類を見る。
「魔物の討伐数、場所、被害状況……報告内容も一致しています」
「よかった」
「ありがとうございます」
ジンさんがこちらを見る。
「以前は異世界から来たということで、こちらも慎重になっていました」
「はい」
「ですが、これまでの行動を見る限り、モンドに危害を加える意思はないようですね」
俺は少し安心する。
「俺たちも、できるだけ迷惑をかけないようにします」
「助かります」
ジンさんは真面目な表情で頷く。
「異世界人である以上、分からないことも多いでしょう」
「はい」
「困ったことがあれば、騎士団に相談してください」
「ありがとうございます」
横を見る。
おじさんは相変わらず無表情。
「……」
俺は小声で言う。
「おじさんも何か言って」
「助かる」
「それだけ?」
「十分だろ」
「まあ……いいけど」
ジンさんが少しだけ微笑んだ。
「おじさんらしいですね」
「そうですか?」
「ええ」
どうやら、ジンさんにもおじさんの性格はだいぶ理解されてきたらしい。
最初の頃なら、もっと警戒されたと思う。
でも今は違う。
短い言葉しか返さなくても、敵意がないことは伝わっている。
それだけでも大きな変化だった。
「冒険者ギルドからの報告も確認しています」
ジンさんが続ける。
「依頼にも真面目に取り組んでいるようですね」
「生活費が必要なので」
「それも理由の一つでしょう」
ジンさんが少し笑う。
「ですが、結果としてモンドの安全にも貢献してくれています」
「それならよかったです」
俺が答える。
生活費を稼ぐため。
日本へ帰る方法を探すため。
そのために依頼を受けている。
けれど。
こうして誰かの役に立っていると言われると、悪い気はしない。
「ところで」
ジンさんが続ける。
「最近、モンド周辺では魔物の動きに少し変化があります」
「変化?」
「まだ大きな被害にはなっていません」
ジンさんは地図を広げる。
モンド周辺。
森。
街道。
いくつか印がついている。
「ですが、魔物の出現場所が以前とは少し違うようです」
俺は地図を見る。
「原因は分かっているんですか?」
「まだ何とも」
ジンさんは首を横に振る。
「ですから、しばらくは注意してほしいと思っています」
「分かりました」
「依頼を受ける際も、危険な場所には近づかないようにしてください」
「はい」
俺は頷いた。
ゲーム知識から考えても、モンド周辺で何かが起き始めている可能性はある。
でも、まだ確定ではない。
ここで「ゲームではこうなります」なんて言うつもりもない。
必要なときに使えばいい。
それで十分だ。
そのとき。
「失礼します」
部屋にノエルが入ってきた。
「ジンさん、こちらの書類を――」
俺たちを見る。
「あ、おじさん。たかふみさん」
「こんにちは」
「こんにちは」
ノエルが丁寧に頭を下げる。
「お二人とも、モンドでの生活には慣れましたか?」
「少しずつ」
「よかったです」
ノエルは安心したように微笑んだ。
「何か困っていることがあれば、私にも言ってくださいね」
「ありがとう」
「はい!」
ノエルは笑顔で答えた。
そして、俺たちの服装を見る。
「お二人とも、ちゃんと食事は取れていますか?」
「……」
なぜそこを確認されるんだ。
「大丈夫です」
「本当ですか?」
「はい」
俺はおじさんを見る。
「おじさんも?」
「問題ない」
「そうですか」
ノエルは納得したように頷く。
「では、何かあれば遠慮なく言ってください」
「分かりました」
ノエルが部屋を出ていく。
「……」
「いい子だな」
おじさんが言った。
「そうだな」
俺も頷く。
「でも、なんで食事を聞かれたんだろう」
「痩せて見えるんじゃないか?」
「俺?」
「二人とも」
「おじさんはともかく、俺は普通だろ」
「そうか?」
「そうだよ」
どうでもいい話をしながら、俺たちは少し笑った。
こういう何気ない会話ができるようになったことも、モンドでの生活に慣れてきた証拠なのかもしれない。
◇
そのとき。
「まあ」
別の声が聞こえた。
「今日はずいぶん珍しいお客さんが来ているのねぇ」
「リサさん」
部屋の入口に、リサさんが立っていた。
「こんにちは、たかふみちゃん」
「こんにちは」
「おじさんも元気そうね」
「ああ」
リサさんは俺たちを見る。
そして少しだけ笑った。
「そういえば、まだ聞いていなかったわね」
「何をですか?」
「あなたたちの魔法について」
来た。
俺は少し身構える。
リサさんは興味深そうにおじさんを見る。
「精霊魔法、だったかしら?」
「そうだ」
「どんな仕組みなの?」
「精霊と契約して使う」
「なるほど」
リサさんは頷く。
「元素とは違うのね?」
「違う」
「興味深いわねぇ」
それだけ。
もっと質問が来ると思った。
でもリサさんは、それ以上踏み込まなかった。
「詳しいことは?」
「説明するほどでもない」
「ふふっ」
リサさんが笑う。
「ずいぶん秘密主義なのね」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ、今度ゆっくり聞かせてもらおうかしら」
「気が向いたら」
「まあ」
リサさんが楽しそうに笑う。
「それは楽しみね」
俺は心の中で思った。
絶対に気が向かないだろ、それ。
というか。
おじさんに説明を任せると、十中八九話が変な方向へ進む。
俺は話題を変えることにした。
「リサさんは、俺たちの魔法についてそんなに気になるんですか?」
「ええ」
即答だった。
「この世界で見たことのない魔法ですもの」
「研究対象?」
「そうねぇ」
リサさんは少し考える。
「それもあるけれど」
俺を見る。
「異世界というもの自体が興味深いのよ」
「……なるほど」
「あなたたちの世界には、こちらにはない知識がたくさんあるのでしょう?」
「まあ」
ゲームやネットがある世界だ。
確かに知識だけなら山ほどある。
ただ。
「俺たちも知らないことのほうが多いですよ」
「そうなの?」
「異世界人だからって、何でも知ってるわけじゃないです」
「ふふっ」
リサさんが笑う。
「それは分かっているわ」
思ったより、話しやすい。
もっと研究者らしく質問攻めにされるかと思った。
「それじゃあ、また今度」
「はい」
「ゆっくり話しましょうね」
リサさんはそう言って去っていった。
「……」
「逃げたな」
おじさんが言う。
「逃げてない」
「そうか?」
「そうだよ」
俺はため息をついた。
◇
騎士団での用事を終える。
建物を出る。
俺は大きく息を吐いた。
「疲れた」
「そうか?」
「ガイアさんの質問が地味に怖い」
「普通だった」
「おじさんはそう思うの?」
「ああ」
「……警戒心なさすぎない?」
「必要なことは答えた」
「いや、そうだけど」
俺は歩きながら考える。
ガイアさんは俺たちを完全に信用したわけじゃない。
でも、敵とも見ていない。
ジンさんも同じだ。
最初は警戒されていた。
当然だと思う。
突然、見知らぬ世界から来た人間が二人。
しかも一人は、普通の人間とは明らかに違う力を使う。
警戒するなというほうが無理だ。
それでも。
冒険者として依頼をこなし。
街で問題を起こさず。
魔物から人を守る。
そういう積み重ねで、少しずつ信用されている。
「……まあ」
俺は呟く。
「悪くないな」
「何が?」
「騎士団との関係」
「困ったら頼ればいい」
「簡単に言うなあ」
「頼れる相手がいるなら、頼ればいい」
「まあ、それはそうだけど」
おじさんの言うことも分かる。
全部自分たちだけで何とかする必要はない。
ここは日本じゃない。
分からないことだらけだ。
なら。
頼れる人間がいるなら、頼ったほうがいい。
「そういえば」
俺は思い出す。
「騎士団って、結構忙しそうだったな」
「そうだな」
「ジンさんも大変そうだった」
「仕事だからな」
「いや、それで片づけるのもどうなんだよ」
おじさんは何も答えない。
俺は笑った。
こういう会話も、少しずつ普通になっている。
◇
街へ戻る。
人通りが増えていた。
ただ。
「……?」
少し様子がおかしい。
人々が何か話している。
「聞いた?」
「風龍の話?」
「また見たらしいぞ」
「本当に?」
「昨日も空が――」
俺は足を止めた。
「……風龍?」
聞き覚えがある。
いや。
知っている。
「おじさん」
「何だ?」
「今、風龍って聞こえた」
「聞こえたな」
街の人たちの会話に耳を傾ける。
「最近、空がおかしいって」
「遠くで大きな風が起きたらしい」
「魔物も増えてるんじゃないか?」
「西のほうで見たって話もある」
ざわざわとした声。
俺は黙って聞いていた。
風龍。
それが何を意味するのか。
俺には分かる。
ゲームで知っている。
でも。
今ここで口にする必要はない。
ゲームの知識を、何でもかんでも話す必要はない。
むしろ。
知らないふりをしておいたほうがいいこともある。
「……始まるのかな」
「何が?」
「いや」
俺は首を振る。
「まだ分からない」
おじさんは俺を見る。
「知っているのか?」
「ゲームでは知ってる」
「そうか」
「でも、現実がゲームと同じになるとは限らない」
「ああ」
おじさんもそれ以上聞かなかった。
俺は街の空を見る。
青い空。
白い雲。
いつものモンド。
今までと何も変わらない。
なのに。
どこか空気が違う。
人々の声。
騎士たちの動き。
魔物の増加。
そして――。
風龍の噂。
「……」
俺は少しだけ不安になる。
この世界に来てから、まだ数日。
ようやく生活にも慣れてきたところだった。
それなのに。
どうやら、この世界は俺たちがゆっくり生活することを許してくれるほど、平和ではないらしい。
「帰る方法を探す」
俺は小さく呟く。
「そのためにも、まずは生き残らないとな」
「そうだな」
おじさんが答える。
俺たちは再び歩き始めた。
◇
夕方。
宿へ戻る途中、俺は何度も空を見上げた。
特に変化はない。
ただの空だ。
それなのに、妙に気になる。
「たかふみ」
「ん?」
「腹減った」
「……それかよ」
「夕食の時間だ」
「はいはい」
俺は苦笑する。
世界の危機かもしれない。
風龍がどうとか。
魔物がどうとか。
帰る方法がどうとか。
いろいろ考えていた。
でも。
腹が減る。
それは俺も同じだった。
「今日は何食べる?」
「肉」
「昨日も肉だっただろ」
「今日も肉だ」
「……異世界に来ても食生活変わらないな」
「肉は肉だ」
「名言っぽく言うな」
俺たちはそんなくだらない会話をしながら歩く。
モンドの街は、いつも通りだった。
人々は笑っている。
店は営業している。
酒場から声も聞こえる。
子供たちが走っている。
風が吹いている。
平和だ。
少なくとも、今は。
俺はその光景を見ながら思った。
こういう時間が、いつまでも続けばいい。
そんなことを考える自分が少し意外だった。
最初は帰ることしか考えていなかった。
それなのに。
今は、この街の日常が壊れることを少しだけ怖いと思っている。
モンドに住み始めて、まだ数日。
それでも。
ここで出会った人たちは、もう俺たちにとって無関係な人たちではなくなっていた。
アンバー。
ジンさん。
ガイアさん。
リサさん。
ノエル。
そして、冒険者ギルドのキャサリンさん。
まだ知り合ったばかりの人たちばかりだ。
それでも。
少しずつ、この世界での人間関係ができ始めている。
「……変な感じだな」
「何が?」
「いや」
俺は首を振る。
「何でもない」
◇
宿に戻る。
夕食を終える。
部屋に戻ると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
俺はベッドに座る。
今日一日のことを思い返す。
冒険者ギルド。
騎士団。
ガイアさん。
ジンさん。
リサさん。
ノエル。
そして。
風龍の噂。
「……」
ゲームなら。
ここから先に起きることを、俺は知っている。
でも。
これはゲームじゃない。
目の前にいる人たちは、ゲームのキャラクターじゃない。
アンバーも。
ジンさんも。
ガイアさんも。
リサさんも。
みんな、この世界で生きている。
だから。
知識があるからといって、何もかも思い通りになるとは限らない。
むしろ。
俺が余計なことをしたせいで、何かが変わる可能性だってある。
「たかふみ」
「ん?」
「何か考えているのか?」
「ちょっとな」
「そうか」
おじさんは、それ以上聞かなかった。
俺も無理に話そうとは思わなかった。
今はまだ。
確かなことが少なすぎる。
ただ一つだけ。
俺たちは日本へ帰らなければならない。
そのためには、この世界で生きていく必要がある。
冒険者として依頼を受ける。
モラを稼ぐ。
情報を集める。
そして。
帰還方法を探す。
それだけだ。
「明日も依頼探すか」
「ああ」
「文字も勉強しないとな」
「ああ」
「あとモラの計算も」
「ああ」
「……おじさん」
「何だ?」
「本当に帰れると思う?」
少しだけ間があった。
「探すしかない」
短い答えだった。
でも。
それで十分だった。
「……そうだな」
俺は頷く。
「探すしかないか」
窓の外を見る。
夜のモンド。
静かな街。
風が吹いている。
その風の向こう側で、何か大きなものが動き始めている。
まだ俺たちは、その姿を見ていない。
まだ何も起きていない。
それでも――。
平穏だったモンドに、大きな事件の気配が近づいていた。
俺は窓を閉めた。
そして、明日のことを考え始めた。