モンドで暮らし始めて、数日。
俺たちの生活は、少しずつ形になってきていた。
冒険者ギルドで依頼を受ける。
依頼をこなす。
報酬をもらう。
その金で食事をして、宿に泊まる。
そして、時間があればキャサリンにテイワットの文字を教えてもらう。
日本にいた頃とは、あまりにも違う生活だ。
それでも最初の頃と比べれば、多少は慣れてきた。
……多少は。
「たかふみ!」
街の中を歩いていると、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返る。
赤い服に身を包んだ少女が、こちらへ駆けてくる。
「アンバー」
「こんにちは!」
アンバーは俺たちの前で止まると、明るく笑った。
「二人とも、今ちょっと時間ある?」
「依頼なら大丈夫だ」
おじさんが答える。
「いや、まだ依頼って決まったわけじゃ……」
俺が言いかけると、アンバーが笑った。
「でも、お願いしたいことがあるのは本当」
「やっぱり依頼じゃん」
「細かいことは気にしない!」
アンバーは胸を張る。
「最近、モンドの近くでヒルチャールが少し集まってるみたいなの」
「ヒルチャール?」
「うん。数そのものは大したことないんだけど、念のため確認しておきたいんだ」
俺は周囲を見る。
モンドの街は今日も平和だ。
市場では人が行き交い、店からは料理の匂いがする。
ここから少し外へ出れば、魔物が普通に存在している。
その落差にも、最近では少し慣れてきた。
「それで、俺たちに?」
「そう。私が偵察するから、一緒に来てもらえると助かるなって」
「分かった」
おじさんが即答する。
「じゃあ決まり!」
アンバーが嬉しそうに笑った。
「たかふみは周囲の確認をお願いね」
「了解」
「おじさんは……」
「戦う」
「うん。頼りにしてる!」
アンバーは迷いなく言った。
その評価が正しいことを、俺はもう知っている。
問題は。
目立たないでほしいということだ。
「おじさん」
「なんだ?」
「なるべく普通に」
「普通に?」
「……いや、忘れて」
たぶん無理だ。
*
モンドを出て、森へ向かう。
アンバーが先頭を進み、俺とおじさんが少し後ろを歩く。
「そういえば」
俺はアンバーに声をかけた。
「蛍とパイモンって、今日も依頼を受けてるの?」
「たぶんね。冒険者ギルドで見かけることも多いよ」
そう。
蛍とパイモンとは、すでに一度会っている。
初対面というわけではない。
冒険者ギルドで顔を合わせたことがあるし、何度か軽く話したこともある。
ただ、深く関わっているわけでもない。
お互いに「同じ街で活動している冒険者」くらいの認識だ。
「二人ともよく依頼を受けてるよね」
「うん。旅人だからね」
アンバーが答える。
「いろんなところへ行ってるみたい」
「なるほど」
その会話を聞いていたおじさんが口を開く。
「蛍は強い」
「おじさん、もう戦ったことあったっけ?」
「見れば分かる」
「……まあ、そうだけど」
ゲーム知識のある俺からしても、蛍が普通の旅人じゃないことは分かっている。
でも、実際にこの世界で会うと印象が違う。
画面越しではなく、現実に存在している。
その感覚には、まだ慣れない。
「止まって」
アンバーが小声で言った。
俺たちは足を止める。
「何かいる?」
「うん」
アンバーが木の陰から先を確認する。
俺も同じ方向を見る。
森の奥。
開けた場所に、ヒルチャールがいる。
一体。
二体。
三体。
「……多いな」
俺が呟く。
「奥にもいる」
おじさんが言った。
「何体?」
「十前後」
俺は目を凝らす。
確かに、木々の向こうにも影が見える。
「十体くらい」
アンバーが頷いた。
「じゃあ、予定通りいこう」
アンバーが弓を構える。
「私が先に攻撃する」
「俺たちは?」
「おじさんは右から回って。たかふみは後ろから敵の動きを見てて」
「了解」
俺は頷く。
おじさんも黙って森の右側へ移動する。
そして。
アンバーが矢を放った。
ヒルチャールの一体に命中する。
「ギャア!」
一斉に敵がこちらを向く。
「今!」
アンバーが叫んだ。
おじさんが走る。
速い。
木々の間を抜け、敵の側面へ回り込む。
ヒルチャールが武器を振り上げた。
「ワーグレント・マグナ――疾風操作」
風が吹き抜けた。
敵の足元が崩れる。
「ギャッ!」
数体が体勢を崩した。
おじさんはその隙を逃さない。
光が手元に集まる。
いつもの光の剣。
「……出た」
俺は小さく呟く。
おじさんが一体を斬り伏せる。
別の敵が横から襲いかかる。
「左!」
俺が叫んだ。
おじさんが振り向く。
剣で攻撃を受け止め、そのまま敵を押し返す。
「ナイス、たかふみ!」
アンバーが叫ぶ。
矢が飛ぶ。
ヒルチャールの動きが止まった。
「そのまま!」
アンバーが連続して矢を放つ。
おじさんが敵陣を駆け抜ける。
戦場が崩れていく。
ヒルチャールが互いにぶつかり、隊列が乱れる。
そこへおじさんが入る。
「……本当に無茶苦茶だな」
俺は呟いた。
強い。
ただ強いというより、戦い方そのものが異常だ。
敵の数。
位置。
武器。
地形。
全部を見ている。
俺がゲーム知識から考えていることを、おじさんは実戦の判断だけでやっている。
「残り三!」
俺が叫ぶ。
「了解!」
アンバーが弓を引く。
矢が飛ぶ。
一体が倒れる。
残り二体。
おじさんが一気に距離を詰めた。
「終わりだ」
二度、光の剣が閃いた。
静かになった。
「……終わった?」
アンバーが周囲を見る。
「終わった」
おじさんが答える。
「早すぎるよ!」
アンバーが笑う。
「十体近くいたんだよ?」
「そうだな」
「たかふみもそう思うでしょ?」
「うん」
俺は頷く。
「また普通に強いんだよな、おじさん」
「普通ではない」
「そこ拾うんだ……」
アンバーが笑い出す。
「二人って本当に面白いね」
「面白くない」
「いや、面白いよ」
そんなやり取りをしていた時だった。
「アンバー!」
森の向こうから声がした。
「ん?」
アンバーが振り返る。
聞き覚えのある声。
「蛍?」
木々の間から、蛍とパイモンが現れた。
「アンバー、ここにいたんだ」
「蛍!」
アンバーが手を振る。
「そっちも依頼?」
「うん」
蛍が答える。
「近くで魔物が出たって聞いたから」
「ちょうど今終わったところだよ」
「えっ?」
パイモンが周囲を見る。
「もう終わったのか?」
「うん」
「またおじさんか?」
パイモンが俺を見る。
「たぶん」
「たぶんってなんだよ!」
おじさんが言った。
「だって、おじさんが一番早いじゃないか!」
パイモンの言う通りだった。
蛍が倒れたヒルチャールを見る。
そして、おじさんを見る。
「さっきの戦い?」
「ああ」
おじさんが答える。
「一緒に戦ってみる?」
蛍が聞いた。
「もう終わった」
「そっか」
蛍は少し残念そうにした。
「でも、まだ近くにいるかもしれない」
俺が言う。
「そうだね」
蛍が頷いた。
「じゃあ、周辺を確認しよう」
「うん」
アンバーも頷く。
しばらくして。
別の場所から、ヒルチャールの声が聞こえた。
「いた!」
アンバーが弓を構える。
蛍も剣を抜いた。
「行こう」
「おう!」
パイモンが叫ぶ。
今度は俺たちも一緒だった。
*
森の奥。
新たなヒルチャールの集団が姿を現した。
「五体」
俺が確認する。
「盾持ちが一体」
「分かった」
蛍が頷く。
「私が正面から行く」
「じゃあ私は援護するね!」
アンバーが弓を構える。
「おじさんは?」
パイモンが聞く。
「後ろ」
おじさんが答えた。
「後ろ?」
「状況を見る」
「珍しいな!」
パイモンが驚く。
「たかふみ」
「何?」
「見ておけ」
「はいはい」
おじさんが前へ出る。
蛍が同時に走った。
二人が並んで敵へ向かう。
蛍の剣が盾を弾く。
ヒルチャールがよろめいた。
おじさんが一歩下がる。
「今だ」
光の剣が閃く。
蛍が一体を倒し、おじさんが別の一体を吹き飛ばす。
アンバーの矢が飛ぶ。
敵の動きが止まる。
「あと二体!」
俺が叫ぶ。
「任せて!」
蛍が走る。
剣が振り抜かれた。
残った一体をおじさんが倒す。
数秒後。
戦闘は終わった。
「……」
蛍がおじさんを見る。
「強いね」
「蛍も強い」
おじさんが答える。
「そう?」
「ああ」
二人はそれ以上何も言わなかった。
でも。
なんとなく、お互いの実力を認めたことだけは分かった。
「なんだか変な感じだな」
俺は呟く。
「何が?」
アンバーが聞く。
「いや……」
俺は二人を見る。
「強い人同士って、こういう感じなのかなって」
「どういう感じだよ?」
パイモンが首を傾げる。
「俺にも分からない」
「なんだそれ!」
パイモンが笑った。
*
森の調査は、その後しばらく続いた。
幸い、大規模な群れや危険な魔物は見つからなかった。
「これなら大丈夫そうだね」
アンバーが言う。
「今日はありがとう、二人とも」
「こっちも助かった」
俺が答える。
蛍もこちらを見る。
「またギルドで会うかもね」
「そうだな」
俺は頷く。
冒険者ギルドでは、これまでも顔を合わせていた。
でも今日は違った。
初めて一緒に戦った。
それだけのことなのに、少しだけ距離が近くなった気がする。
「じゃあ、私たちはこっちへ行くね」
蛍が言う。
「うん。気をつけてね!」
アンバーが手を振る。
「蛍、またな」
おじさんが言う。
「うん」
パイモンも手を振る。
「じゃあな、おじさん! たかふみ!」
「また」
俺も手を振った。
蛍たちは森の奥へ進んでいく。
俺たちはモンドへ戻る。
別々の道。
別々の目的。
だけど。
同じ世界で、それぞれの旅をしている。
そんな距離感が、今はちょうどよかった。
*
モンドへ戻る道。
「今日、どうだった?」
アンバーが聞いてきた。
「何が?」
「蛍と一緒に戦ったこと」
「普通だった」
おじさんが答える。
「おじさんはそうだろうね」
俺は苦笑した。
「俺はちょっと不思議だったかな」
「不思議?」
「ゲームで知ってるキャラクターが、普通に目の前にいるから」
「……たかふみ」
おじさんが俺を見る。
「言うなよ」
「分かってる」
俺は慌てて周囲を見る。
アンバーは意味が分からないという顔をしていた。
「何の話?」
「なんでもない」
「そう?」
「うん」
俺は笑ってごまかした。
モンドの城壁が見えてくる。
街の中へ戻れば、いつもの生活が待っている。
冒険者ギルド。
モラ。
宿。
食事。
文字の勉強。
そして。
日本へ帰る方法を探すこと。
何も解決していない。
だけど、今日も一日を生き延びた。
それだけで十分なのかもしれない。
「たかふみ」
「ん?」
「飯」
「……帰ったらすぐ?」
「すぐだ」
「本当に食べること好きだな、おじさん」
「重要だからな」
「はいはい」
俺は笑った。
異世界での生活は、まだ続いていく。
そして俺たちはまだ知らなかった。
このモンドで、やがて大きな事件が始まろうとしていることを。