風魔龍がモンドを襲った翌日。
街には、まだ昨日の騒ぎの名残が残っていた。
壊れた看板。
崩れた建物の一部。
修理のために運ばれていく木材。
そして、いつもより慎重に空を見上げる人々。
「……昨日のこと、みんな相当怖かったんだな」
冒険者ギルドへ向かいながら、俺は街を眺めていた。
「巨大な龍が街の上を飛び回ったんだ。当然だろう」
隣を歩くおじさんは、いつも通りの調子だった。
「おじさんは怖くなかったの?」
「怖いかどうかと、どうするかは別だ」
「……まあ、おじさんらしいけど」
俺は苦笑する。
昨日。
二人は確かに巨大な龍を目の前で見た。
ゲームの中では知っていた存在。
モンド編の重要人物。
風魔龍――トワリン。
だが、現実のトワリンは、俺が知っているゲーム画面の中の存在とは違っていた。
大きかった。
圧倒的だった。
そして何より――。
「……苦しんでたよな」
俺が呟く。
「そうだな」
おじさんも短く答えた。
昨日、おじさんが言った言葉。
――あれは苦しんでいる。
俺自身も、今になってその意味を考えていた。
「ゲームだと、敵として戦うっていう印象が強かったけど……」
「実際には違った」
「うん」
俺は空を見上げる。
今日は穏やかな青空だった。
昨日の嵐が嘘だったように、風車は静かに回っている。
「でも、原作通りになるとは限らない」
「その原作というものが何なのか、俺にはまだよく分からないがな」
「説明すると長くなる」
「そうか」
「……興味ないの?」
「帰る方法を探すほうが重要だ」
「ああ、そうだった」
二人は冒険者ギルドへ入った。
キャサリンさんがいつもの笑顔で迎える。
「おはようございます。おじさん、たかふみ」
「おはようございます」
俺も軽く頭を下げる。
「昨日の件もあって、今日は依頼がかなり増えています」
「昨日の?」
「はい。風魔龍による被害確認や、周辺地域の調査などです」
キャサリンさんが依頼書を並べる。
「魔物の活動が活発になっている場所もあります」
「ヒルチャールとか?」
「はい」
俺の目が止まった。
「……それ、俺たちでも受けられる?」
「もちろんです」
キャサリンさんが一枚の依頼書を差し出す。
「モンド郊外で、ヒルチャールの活動が通常より活発になっているという報告があります。周辺の安全確認が主な内容です」
俺は依頼書を見る。
「昨日の風魔龍と関係してるのかな」
「現時点では不明です」
「だよね」
俺はおじさんを見る。
「どうする?」
「受けよう」
「即答だね」
「報酬も出る」
「そこかよ」
俺は笑った。
だが、内心では別のことを考えていた。
ゲームの知識。
それをそのまま信じるのは危険だ。
昨日、それを実感した。
だからこそ。
自分の目で確かめたい。
「この依頼、受けます」
「承知しました」
キャサリンさんが頷く。
「お気をつけて」
*
その頃。
西風騎士団本部では、ジンさんが騎士たちへ指示を出していた。
「まずは市民の安全を最優先してください」
「はい!」
「昨日の被害地域は、引き続き立ち入りを制限します。建物の安全確認も行ってください」
ジンさんは淡々と指示を続ける。
風魔龍の正体。
襲撃の原因。
再び現れる可能性。
どれも分かっていない。
「そして、風魔龍の行動について報告を集めてください」
ジンさんは窓の外を見る。
「ただ街を破壊することが目的だったとは思えません」
昨日のトワリンの動き。
何度も旋回し、咆哮を上げ、そして去っていった。
「何か理由があるはずです」
*
同じ頃。
ガイアさんは街の酒場で、何人かの冒険者から話を聞いていた。
「風魔龍を見た?」
「ああ。とんでもない大きさだった」
「他には?」
「他?」
「最近、変な連中を見なかったか?」
冒険者は少し考える。
「そういえば……街の外で妙な連中を見たって話はあったな」
「妙な連中?」
「顔を隠してたらしい」
「なるほど」
ガイアさんは笑った。
「ありがとう。助かったよ」
店を出る。
表情から笑みが消えた。
「風魔龍だけが問題じゃない、か」
彼もまた、独自に動き始めていた。
*
リサさんも図書室で調査を続けていた。
「風元素だけでは説明できない反応……」
昨日の風魔龍が残した魔力。
通常の風元素によるものと比較する。
「やっぱり妙ね」
何かが混ざっている。
ただ、それが何なのかまでは分からない。
「もう少し調べてみましょうか」
リサさんは静かに本を閉じた。
*
そして、街の外。
ディルックさんもまた、一人で動いていた。
彼が追っているのは風魔龍そのものではない。
その周辺で動いている何者か。
「……」
地面に残った痕跡を見る。
魔物の足跡。
人間のものと思われる足跡。
そして。
「アビス……」
ディルックさんは静かに呟いた。
確信にはまだ遠い。
だが、無関係とは考えにくかった。
*
一方。
俺とおじさんは、モンドの外へ出ていた。
「昨日の今日で、また外に出ることになるとはな」
「冒険者だからね」
「俺たちは日本へ帰る方法を探しているだけだが」
「そのためにもモラが必要だろ」
「……そうだったな」
俺は笑った。
モンドで生活するには金が必要だ。
宿も。
食事も。
移動も。
すべて無料ではない。
最初の頃にキャサリンさんから教えてもらった文字やモラの仕組みも、今ではかなり慣れてきた。
「それに」
俺は前を見る。
「昨日の件もある」
「そうだな」
「何か分かるかもしれない」
二人は依頼された場所へ向かった。
*
森の近く。
俺は足を止めた。
「……静かだ」
「静かだな」
「ヒルチャールがいるって話だったよね」
「ああ」
普通なら、何かしらの物音が聞こえるはずだ。
だが。
聞こえない。
俺は周囲を見回す。
「……おじさん」
「分かっている」
おじさんが前へ出る。
少し離れた場所に、何かが落ちていた。
「これ……」
俺が拾う。
壊れた木箱。
その近くにヒルチャールの足跡がある。
「何か運んでた?」
「そう見えるな」
さらに奥へ進む。
足跡が続いている。
「普通のヒルチャールの行動とは違う気がする」
「分かるのか?」
「ゲームの知識だけど」
俺は少し考える。
「少なくとも、俺が知ってる感じとは違う」
「なら、実際に確認するしかないな」
二人は慎重に進んだ。
やがて。
「……いた」
木々の向こう。
ヒルチャールが数体いる。
だが。
その動きがおかしい。
何かを警戒している。
周囲を何度も確認している。
「襲ってこない?」
俺が小声で言う。
「まだ気づいていないだけかもしれない」
そのとき。
ヒルチャールの一体が、何かを地面へ置いた。
「……何だ?」
俺が目を凝らす。
黒っぽい痕跡。
周囲の空気がわずかに変化する。
「おじさん」
「ああ」
「何か変だ」
おじさんが一歩前へ出た。
その瞬間。
ヒルチャールがこちらを向いた。
「来るぞ」
「やっぱり!」
ヒルチャールたちが一斉に襲いかかってくる。
おじさんが剣を構える。
「下がっていろ」
「分かった!」
一体が突進。
おじさんが剣で受け流す。
別の個体が横から迫る。
「ワーグレント・グラッカ――疾風 断刃」
風の刃が走り、敵を吹き飛ばした。
「……相変わらずすごいな」
俺は距離を取る。
おじさんは必要以上に攻撃しない。
一体。
また一体。
動きを止めていく。
やがて、ヒルチャールたちは逃げ始めた。
「追う?」
「いや」
おじさんが首を振る。
「依頼は調査だ」
「そうだね」
二人は戦闘跡を調べる。
先ほどの黒い痕跡。
俺がしゃがみ込む。
「これ……何だろう」
「分からない」
「アビスの力とか?」
「判断できない」
おじさんは触れようとはしなかった。
「危険かもしれない」
「じゃあ、近づかないほうがいいな」
俺は立ち上がる。
そして。
「……待って」
少し離れた場所に、別の痕跡がある。
「足跡だ」
「人間か?」
「たぶん」
二人はその先を見る。
森の奥へ続いている。
「ヒルチャールだけじゃない」
俺が呟く。
「誰かがここへ来てる」
*
モンドへ戻る途中。
俺はずっと考えていた。
「アビス教団かな」
「まだ分からない」
「うん」
おじさんの言う通りだった。
ただ。
昨日の風魔龍。
今日のヒルチャール。
そして、正体不明の痕跡。
「……繋がってる気がする」
「俺もそう思う」
「トワリンを操ってる?」
「可能性はある」
「ゲームではそうだった」
「だが、ここはゲームではない」
「分かってるよ」
俺は苦笑した。
「だから、慎重に考えてる」
原作知識は便利だ。
けれど。
それに頼りすぎると危険でもある。
自分たちが存在している。
それだけで、すでに世界は変わっている可能性がある。
「……何が起こるか分からない」
「だから準備する」
「うん」
おじさんは静かに答えた。
「必要なら戦う」
俺は少しだけ笑った。
「おじさんの場合、戦うって言うと怖いんだよな」
「なぜだ?」
「いや、何でもない」
*
その日の夕方。
モンド。
ジンさんのもとへ新しい報告が届いた。
「郊外でヒルチャールの異常行動?」
「はい」
ジンさんが報告書を見る。
「風魔龍事件との関連は?」
「現在調査中です」
「分かりました」
その情報は、ガイアさんのもとにも届いた。
リサさんも別の報告を受ける。
ディルックさんも独自に同じ地域へ目を向ける。
そして。
冒険者ギルドから戻った俺も、そのことを知った。
「……同じ場所?」
俺は驚いた。
自分たちが調査した場所。
そこを、騎士団も調べようとしている。
「少しずつ繋がってきたな」
おじさんが言う。
「うん」
俺は地図を見る。
昨日の風魔龍の飛行経路。
今日のヒルチャール。
見つかった痕跡。
それらを頭の中で並べる。
「やっぱり、偶然じゃない」
俺は呟いた。
「誰かが動いている」
*
その頃。
モンドの酒場では、ウェンティが一人で静かに酒を飲んでいた。
いつものように軽い笑みを浮かべている。
だが。
その目は遠くを見ていた。
「……トワリン」
小さく呟く。
「君は、まだ苦しんでいるんだね」
風が窓から入ってくる。
ウェンティは目を閉じた。
「何とかしてあげないと」
彼にも目的がある。
戦うことではない。
トワリンを救うこと。
そのために必要なものを探している。
*
夜。
宿へ戻った俺は、ベッドに腰を下ろした。
「今日一日で、かなり情報が増えたな」
「そうだな」
おじさんは窓の外を見ている。
「でも、まだ分からないことばかりだ」
「うん」
俺は天井を見る。
ゲームでは知っていた。
モンド編の大まかな流れ。
風魔龍。
アビス教団。
そして、その先にある戦い。
だが。
今の状況は、ゲームの記憶だけでは説明できない。
自分たちがいる。
おじさんがいる。
精霊魔法という、この世界には存在しなかった力まである。
それに。
ゲームでは見なかった出来事も起こり始めている。
「……ゲームより複雑になってる」
「そうか?」
「うん」
俺は起き上がる。
「でも、だからって何もしないわけにはいかない」
「同感だ」
「明日も依頼を受けよう」
「帰る方法を探すためか?」
「それもある」
俺は少し笑った。
「事件を調べれば、何か分かるかもしれないから」
「なら、明日も行くか」
「うん」
二人の目的は、日本へ帰ること。
それは変わらない。
だが。
モンドで起きた事件に関わるうちに、二人の前には別の目的も見え始めていた。
風魔龍。
トワリン。
アビス教団。
そして、正体不明の異変。
まだ、点と点でしかない。
だが。
少しずつ。
それぞれの調査が、同じ場所へ向かっていた。
ジンさんは騎士団として。
ガイアさんは独自の情報網から。
リサさんは魔法の痕跡から。
ディルックさんは裏側から。
ウェンティはトワリンを救うために。
蛍とパイモンは、自分たちの目的のために。
そして。
おじさんと俺は、冒険者として。
それぞれの道は違う。
それぞれの目的も違う。
それでも。
その先に待っているものだけは、少しずつ同じになり始めていた。
――アビス教団。
俺は窓の外を見る。
静かな夜だった。
「……明日は何が起こるんだろうな」
「分からない」
おじさんが答える。
「でも、何か起きたら対処する」
「そうだね」
俺は笑った。
今は、それでいい。
原作通りになるかなんて、もう考えても仕方がない。
ここはゲームの中ではない。
自分たちが生きている、現実のテイワットなのだから。
そして。
モンドを巡る事件は、静かに次の段階へ進み始めていた。