モンドの街を出て、しばらく歩いた。
風は穏やかだった。
昨日、風魔龍が現れて街を襲ったとは思えないほど、今日は静かだ。
ただ、街の外へ出ると、少しずつ昨日までとは違う空気を感じる。
魔物の活動が増えている。
冒険者ギルドから受けた依頼にも、そんな報告がいくつかあった。
「……昨日の件から、明らかにおかしくなってるよな」
俺は、手にした地図を見ながら呟いた。
「何がだ?」
隣を歩くおじさんが聞いてくる。
「魔物の動き。昨日までは普通だった場所でも、妙に増えてる」
「そうか」
「あと、昨日見つけた足跡」
「ああ」
俺たちは昨日、ヒルチャールの異常行動を調べた。
そこで、ヒルチャールだけではなく、人間らしき足跡を見つけた。
しかも、その近くには妙な黒い痕跡まで残っていた。
アビス教団。
ゲームの知識がある俺にとって、その名前はかなり嫌なものだった。
ただし。
この世界がゲームと完全に同じだとは思っていない。
俺たちがここにいる時点で、すでに何かが変わっている可能性がある。
「だから、原作知識だけで決めつけるのは危険なんだよな」
「原作?」
「……いや、こっちの話」
「そうか」
おじさんは、それ以上聞かなかった。
こういうところは助かる。
普通なら「何の話だ?」くらい聞いてきそうなものだが、おじさんは妙なところで深掘りしない。
たぶん、本人も似たようなところがあるからだろう。
「とりあえず、昨日の足跡を追ってみよう」
「分かった」
俺たちは森へ入った。
木々の間を進む。
昨日よりも静かだった。
鳥の声も少ない。
「……おじさん」
「分かっている」
「まだ何も言ってないけど」
「何かいる」
「やっぱり?」
おじさんが足を止める。
俺も周囲を見回した。
そのときだった。
森の奥から、人影が現れた。
「……誰?」
俺は思わず立ち止まった。
赤い髪。
黒を基調とした服装。
背中には大きな両手剣。
そして。
何より、見覚えがある。
「……ディルックさん」
思わず名前が口から出そうになった。
だが、慌てて止めた。
ここでは知らないふりをしたほうがいい。
ゲームでは知っている。
モンドの有名人。
酒場の経営者。
そして、夜のモンドを守る人物。
だが、目の前にいるディルックさんは、ゲーム画面の中にいたキャラクターではない。
実際にそこに立っている。
それだけで、妙な緊張感があった。
向こうも俺たちに気づいた。
赤い髪の男――ディルックさんがこちらを見る。
「……」
「……」
「……」
沈黙。
俺は思わずおじさんを見る。
おじさんもディルックさんを見る。
ディルックさんも俺たちを見る。
なんだ、この時間。
先に口を開いたのはディルックさんだった。
「お前たちは何者だ?」
低く、落ち着いた声。
おじさんが答える。
「冒険者だ」
「……それだけか?」
「それ以上必要か?」
「いや」
再び沈黙。
俺は思った。
会話が短い。
ものすごく短い。
「えっと……俺たちは最近モンドで活動している冒険者です」
仕方なく俺が補足する。
「昨日の風魔龍の件もあって、魔物の動きを調べています」
「風魔龍……」
ディルックさんの目がわずかに細くなった。
「お前たちも追っているのか?」
「直接追っているわけじゃありません。ただ、昨日から魔物の動きがおかしくて」
「……そうか」
ディルックさんは俺たちを観察する。
特におじさんを見る時間が長い。
「その剣は?」
「武器だ」
「見れば分かる」
「なら問題ない」
俺は心の中で頭を抱えた。
なんでこの二人、こうなんだ。
「おじさん、もうちょっと説明してもいいんじゃない?」
「必要か?」
「いや、普通はするだろ」
ディルックさんが俺を見る。
「お前は苦労しているな」
「……分かります?」
「ああ」
初対面なのに、なぜか理解されてしまった。
なんだろう。
妙に納得できる。
そのとき。
ディルックさんが森の奥へ視線を向けた。
「この辺りで、何か妙なものを見なかったか?」
「妙なもの?」
「黒い痕跡だ」
俺は少し驚いた。
「見ました」
「どこで?」
「少し先の森です」
「案内できるか?」
「できますけど……」
俺はおじさんを見る。
おじさんは無言で頷いた。
その瞬間。
森の奥から、何かが聞こえた。
「……?」
低い唸り声。
続いて。
木々が激しく揺れた。
「来るぞ」
おじさんが言った。
「何が?」
「敵だ」
「え?」
森の奥から魔物が飛び出してきた。
「うわっ!」
俺は慌てて後ろへ下がる。
ヒルチャール。
それだけではない。
奥にはアビスの魔術師までいる。
「アビス教団……!」
思わず声が出た。
ディルックさんがこちらを見る。
「知っているのか?」
「いや、今の見た目で……」
「そうか」
それ以上は聞かない。
ディルックさんは大剣を抜いた。
刀身に炎が走る。
「下がっていろ」
「俺たちも戦える」
「なら、無理はするな」
ディルックさんが前へ出た。
次の瞬間。
炎が爆発した。
「はあっ!」
大剣が横薙ぎに振られる。
炎が敵をまとめて吹き飛ばした。
「すご……」
俺は思わず呟いた。
知識としては知っている。
ディルックさんが強いことも。
炎元素を使うことも。
だが、実際に見ると迫力が違う。
炎の熱がここまで伝わってくる。
敵が起き上がる。
そこへ、おじさんが踏み込んだ。
「レグスウルド・スタッガ――縛動 拘鎖」
光を帯びた鎖が伸びる。
魔物の身体を縛り上げた。
「今だ」
おじさんが走る。
手に光が集まる。
光の剣。
それを一閃。
魔物が吹き飛んだ。
「……」
ディルックさんが一瞬だけおじさんを見る。
「変わった力だな」
「そうか?」
「元素ではない」
「違う」
おじさんは短く答える。
「精霊魔法だ」
「そうか」
ディルックさんはそれ以上聞かなかった。
その判断の速さに、俺は少し驚いた。
普通ならもっと質問するだろう。
でも、今は戦闘中だ。
まず敵を倒す。
その判断は合理的だった。
「おじさん、右!」
「分かっている」
横からヒルチャールが飛び込んでくる。
おじさんが身体をひねってかわす。
そこへディルックさんの大剣が振り下ろされた。
「終わりだ」
炎が弾ける。
ヒルチャールが吹き飛んだ。
「……連携、うまくない?」
俺は思わず呟いた。
「偶然だ」
おじさんが答える。
「いや、絶対偶然じゃないだろ」
戦いながら、二人は自然と役割を分担していた。
ディルックさんが正面から敵を押さえる。
おじさんが動きを止める。
そしてディルックさんが一気に叩く。
逆に、おじさんが接近したときには、ディルックさんが別の敵を抑えている。
「……強いな」
ディルックさんが呟いた。
「おじさん!」
「何だ?」
「今、褒められた?」
「そうか?」
「たぶん!」
敵の数が減っていく。
最後に残ったアビスの魔術師が、魔法を放った。
「異界の者よ!」
魔力が集中する。
「来るぞ!」
俺が叫ぶ。
おじさんが動く。
「ワーグレント・マグナ――疾風操作」
風が巻き起こる。
魔法の軌道が逸れた。
その隙にディルックさんが突っ込む。
「はあああっ!」
大剣が障壁へ叩き込まれた。
炎が炸裂する。
障壁に亀裂が入った。
「おじさん!」
「ああ」
おじさんが駆ける。
光の剣を振り上げる。
「――そこだ」
一閃。
障壁が砕けた。
アビスの魔術師が後方へ吹き飛ばされる。
ディルックさんが追撃する。
炎をまとった大剣が振り抜かれた。
魔術師は森の奥へ逃げていった。
「逃げた!」
俺が叫ぶ。
「追うか?」
おじさんが聞く。
ディルックさんは首を横に振った。
「今は追わない」
「いいの?」
「目的は分かった」
ディルックさんは地面を見る。
そこには黒い痕跡が残っていた。
「アビス教団が、この地域で何かをしている」
俺も地面を見る。
「やっぱり……」
昨日見たものと同じ。
風魔龍事件。
ヒルチャールの異常行動。
そして、アビス教団。
点だったものが、少しずつ線になっていく。
「風魔龍にも関係しているんでしょうか」
俺が聞く。
「可能性はある」
ディルックさんは答えた。
「だが、確証はない」
「そうですよね」
「だから調べる」
短い。
本当に短い。
でも、分かりやすい。
ディルックさんは地面に残った痕跡を調べた。
「この先に何かある」
「俺たちもそう考えてます」
「なら、別々に調べよう」
「え?」
「人数が多ければ、相手に警戒される」
確かにそうだ。
「分かりました」
ディルックさんがこちらを見る。
「お前たちは、無茶をするな」
「そっちも」
「……」
ディルックさんが一瞬だけ目を細める。
そして。
「お前たちは変わっているな」
「え?」
「だが、悪くない」
それだけ言うと、ディルックさんは背を向けた。
赤い髪が風に揺れる。
そのまま森の奥へ歩いていった。
「……行っちゃった」
「俺たちも行くぞ」
「うん」
俺たちは反対方向へ歩き始めた。
しばらく無言だった。
そして。
「おじさん」
「何だ?」
「ディルックさん、強かったな」
「ああ」
「おじさんも強いけど」
「ああ」
「……どっちが強い?」
「戦ってみなければ分からない」
「そりゃそうだけど」
俺は苦笑した。
「でも、二人とも戦い方が全然違った」
「そうか?」
「ディルックさんは正面から押すタイプ。おじさんは相手の隙を作って攻撃するタイプ」
「なるほど」
「あと二人とも会話が短い」
「……」
「何で黙るんだよ」
「別に」
「いや、さっきから思ってたんだけど」
俺は笑った。
「強い人って、会話が短いよな」
「そういうものか?」
「たぶん」
おじさんは少し考える。
「なら、俺も強いということか」
「そこに繋げるなよ!」
思わずツッコんだ。
少しだけ緊張が解けた。
だが。
俺は再び森の奥を見る。
さっきの戦闘。
アビス教団。
黒い痕跡。
そして風魔龍。
「……やっぱり、何かある」
「そうだな」
「原作でもアビス教団はトワリンに関わってた」
「また原作か」
「あ」
しまった。
おじさんは首を傾げる。
「まあいい」
「いいの?」
「あまり気にしていない」
「……助かる」
俺は苦笑する。
原作知識は便利だ。
でも、それを絶対の答えにしてはいけない。
ここはゲームではない。
俺たちは、この世界で生きている。
だから。
実際に見たものを信じる。
「とりあえず、次の手掛かりを探そう」
「ああ」
二人は歩き続けた。
その背後。
遠く離れた場所では、ディルックさんもまた別の道を進んでいた。
目的は同じ。
アビス教団を追うこと。
だが。
互いの目的も、事情も、まだ詳しくは知らない。
それでいい。
今は。
必要以上に踏み込む必要はない。
それぞれが、それぞれのやり方で動く。
その結果として。
少しずつ、同じ事件の中心へ近づいていく。
モンドを襲った風魔龍。
異常な魔物の動き。
そして暗躍するアビス教団。
事件はまだ始まったばかりだった。