森の中は静かだった。
風が木々の間を抜け、葉を揺らしている。
モンドの街を出てから、俺たちはしばらく歩き続けていた。
昨日の風魔龍襲撃。
その後に増えた魔物。
そして、森の各所で見つかっている妙な痕跡。
冒険者ギルドから受けた依頼も、その調査の一つだった。
「……この辺りだな」
隣を歩いていたおじさんが足を止める。
「地図だとそうなってる」
俺は手元の地図を確認した。
「最近、この周辺でヒルチャールが増えてるらしい」
「そうか」
「あと、森の動物も妙に警戒してるみたいだ」
「……」
おじさんが周囲を見る。
「どうした?」
「気配がある」
「魔物?」
「分からない」
俺も周囲を見回した。
だが、何も見えない。
ゲームなら、こういう場面では敵が出てくるのが定番だ。
しかし。
ここはゲーム画面の中じゃない。
何が起きるかは分からない。
「……来るぞ」
おじさんが言った。
「え?」
次の瞬間。
草むらが揺れた。
俺は反射的に身構える。
だが。
出てきたのは魔物ではなかった。
一人の少年だった。
赤紫色の髪。
獣のような鋭い目。
背中には大きな両手剣。
服装も、雰囲気も普通の少年とは違う。
「……」
少年はこちらを見た。
警戒している。
そして。
「お前たち、誰だ」
短い言葉が飛んできた。
俺は思わず息を止めた。
知っている。
ゲームで見たことがある。
モンドの森で暮らす少年。
狼とともに生きる少年。
「レザー……」
口から名前が出かけた。
俺は慌てて止める。
危ない。
本人の前で知っている情報を出しすぎるわけにはいかない。
「冒険者だ」
おじさんが答えた。
「森の調査をしている」
「冒険者……」
レザーは俺たちを見る。
「何の調査?」
「魔物の異常行動と、森に残っている痕跡だ」
「……」
レザーが周囲を見る。
「森、おかしい」
「やっぱり?」
「動物、逃げる」
レザーは木々を見上げた。
「魔物、増えた」
「それ、俺たちも調べてる」
「そうか」
レザーは少しだけ警戒を緩めた。
「お前たち、悪い人間じゃない?」
「少なくとも、今のところは」
おじさんが答える。
「今のところって何だよ」
俺は思わずツッコんだ。
レザーが首を傾げる。
「変な人間」
「……それは否定できないかも」
俺は苦笑した。
おじさんがこちらを見る。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味」
「そうか」
納得するなよ。
俺がそう思っていると、レザーが鼻を動かした。
「……敵」
「え?」
次の瞬間。
森の奥から咆哮が響いた。
木々が揺れる。
「来る!」
レザーが剣を抜いた。
おじさんも光の剣を構える。
俺は一歩下がった。
草むらからヒルチャールが飛び出してくる。
一体。
二体。
三体。
「多いな!」
俺が叫ぶ。
レザーが前へ出た。
「俺が戦う」
「おじさんも!」
「ああ」
二人が並んだ。
そして。
ほとんど同時に走り出した。
レザーの大剣が横薙ぎに振られる。
ヒルチャールが吹き飛ぶ。
その隙を狙って別の個体が飛び込む。
「おじさん、右!」
「分かっている」
光の剣が閃く。
攻撃が弾かれた。
おじさんが踏み込み、敵を斬り払う。
「……」
レザーが一瞬だけおじさんを見る。
「……」
おじさんも見る。
何も言わない。
「いや、何か言えよ!」
俺は思わず叫んだ。
二人ともこちらを見る。
「何?」
「何?」
「そこまで息ぴったりなのに、なんで無言なんだよ!」
「戦闘中だから」
おじさんが答える。
「必要ない」
レザーも答える。
「……」
俺は何も言えなくなった。
こいつら、似てる。
ものすごく似てる。
しかも。
連携まで妙に噛み合っている。
「左!」
俺が叫ぶ。
レザーが反応する。
大剣で敵の攻撃を受け止める。
その背後から別の敵が飛び込んだ。
「おじさん、後ろ!」
「分かっている」
おじさんが身体をひねる。
光の剣が一閃。
敵が吹き飛ぶ。
そこへレザーが追撃する。
「はあっ!」
大剣が叩き込まれた。
敵が地面を転がる。
「……」
レザーが周囲を見る。
「まだいる」
「右奥!」
俺が指差す。
レザーが走る。
おじさんも同時に動いた。
レザーが敵を正面から引きつける。
おじさんが横から回り込む。
そして。
二人の攻撃が同時に入った。
最後のヒルチャールが吹き飛ぶ。
森が静かになった。
「終わった……」
俺は息を吐いた。
レザーが剣を下ろす。
おじさんも光の剣を消した。
「怪我は?」
俺が聞く。
「ない」
レザーが答える。
「問題ない」
おじさんも答えた。
「……」
「……」
また沈黙。
俺は二人を交互に見る。
「二人とも喋らなすぎ!」
思わず突っ込んだ。
レザーが首を傾げる。
「喋る?」
「そう!」
「必要?」
「いや……必要だろ」
おじさんが言う。
「戦闘は終わった」
「そういうことじゃないんだよ!」
俺は頭を抱えた。
レザーが少し考える。
「おじさん、強い」
「そうか?」
「強い」
レザーは真っ直ぐおじさんを見る。
「仲間」
「……」
おじさんは少しだけ黙った。
「そうか」
「うん」
「なら、仲間だ」
「早い!」
俺は思わず叫んだ。
レザーがまた首を傾げる。
「戦った」
「うん」
「助けた」
「うん」
「だから仲間」
「……分かりやすいな」
俺は苦笑した。
でも。
悪くない。
こういう関係も。
レザーは敵意を完全に解いたわけではない。
だが、おじさんに対する警戒は明らかに薄れていた。
「おじさん」
「何だ?」
「その力」
レザーが光の剣を見る。
「精霊?」
「そうだ」
「友達?」
「そういうものだ」
レザーの目が少しだけ輝いた。
「精霊……友達」
「ああ」
「いいな」
その言葉に、おじさんは何も答えなかった。
ただ。
否定もしなかった。
俺はレザーを見る。
ゲームでは知っていた。
彼がどんな場所で生きてきたのか。
どういう境遇なのか。
けれど。
本人から聞いていないことを、俺が勝手に話すのは違う。
知識と現実は別だ。
「たかふみ」
「ん?」
おじさんがこちらを見る。
「何か考えているのか?」
「……ちょっとね」
俺はレザーを見る。
森で一人……いや、狼たちとともに暮らす少年。
普通とは違う人生。
だけど。
本人はそれを不幸だとは思っていないのかもしれない。
なら、外から勝手に哀れむのも違う。
「まあ、本人がいいならいいんだろうな」
小さく呟く。
「何が?」
レザーが聞く。
「いや、何でもない」
俺は笑った。
そのとき。
レザーが突然、森の奥を見る。
「……あっち」
「何?」
「変な匂い」
「匂い?」
「人間じゃない」
レザーは歩き出した。
俺たちもついていく。
少し進んだところで。
地面に黒い痕跡が残っていた。
「……これ」
俺はしゃがみ込む。
見覚えがある。
第8話で見たものと同じだ。
「アビス教団か?」
おじさんが言う。
「たぶん」
レザーが頷く。
「こいつら、森にいる」
「どれくらい?」
「分からない」
「何をしてる?」
「分からない」
レザーは少し考えた。
「でも、嫌な感じ」
「なるほど」
俺は立ち上がる。
「この情報、ギルドに伝える」
「いい」
レザーは頷いた。
「森、まだ危ない」
「レザーはどうする?」
「森にいる」
「一人で大丈夫?」
「一人じゃない」
レザーが森の奥を見る。
「狼、いる」
「ああ……」
そうだった。
レザーは一人じゃない。
彼には彼の仲間がいる。
「じゃあ、気をつけて」
「お前たちも」
「うん」
おじさんがレザーを見る。
「また戦うか?」
「うん」
レザーが答える。
「一緒に」
「分かった」
俺は二人を見る。
なんだか妙に気が合っている。
「じゃあ、俺たちは戻るよ」
「また来る?」
「依頼があれば」
「そうか」
俺たちは森を出る方向へ歩き始めた。
少し進んだところで、俺は振り返った。
レザーはまだそこにいた。
こちらを見ている。
「……また会えるといいな」
俺が呟く。
「会えるだろう」
おじさんが答えた。
「そうかな」
「あいつは森にいる」
「それはそうだけど」
「なら、また会う」
「……単純だな」
「何か問題があるか?」
「ない」
俺は笑った。
森を抜ける。
モンドへ戻る道を歩きながら、俺は今回の調査を振り返った。
魔物の異常行動。
森の動物たちの警戒。
アビス教団の痕跡。
そして。
ディルックやレザーも、それぞれのやり方で事件を追っている。
騎士団も動いている。
蛍とパイモンも動いている。
俺たちも動いている。
「……いろんな人が巻き込まれてるな」
「風魔龍の件か?」
「うん」
俺は空を見る。
昨日まで、ただの青空だった。
今は違う。
そこには、巨大な風魔龍が残した影がある。
まだ事件の全体像は分からない。
ゲームで知っている展開もある。
でも。
実際のテイワットは、俺の知っているゲームよりずっと複雑だ。
「原作通りには、ならないかもしれない」
「また原作か」
「……癖なんだよ」
「そうか」
おじさんはそれ以上聞かなかった。
俺たちはモンドへ向かって歩く。
まずはギルドへ報告する。
それから次の依頼を探す。
そして。
少しずつ事件の正体へ近づいていく。
森の奥では、レザーが一人で俺たちを見送っていた。
そのさらに奥。
木々の影には、黒い痕跡が残されている。
風魔龍。
アビス教団。
そして、モンドに暮らす人々。
それぞれの思惑が、少しずつ一つの事件へと繋がり始めていた。