永禄六年一月下旬。三河国岡崎城。
年が明けてからも岡崎城の朝は慌ただしい。東三河からは今川方の動きが伝えられ、西三河の村々からは兵糧の負担を訴える書状が届く。春の作付けを前に兵を戻してほしいという願いもあったが、今川との争いが終わっていない以上、望むままに兵を引き揚げるわけにはいかなかった。
机に並べた帳面を見比べていると、同じ村から兵の不足と年貢の減免を求める書状が届いていることに気付いた。働き手を戦へ送り出したため田畑の世話ができず、それでも隣村との境を守るために兵が必要だという。言い分が矛盾しているわけではない。どちらも切実な願いなのだろう。だからこそ返事を書く手が止まった。
駿府にいた頃は岡崎へ戻りさえすれば、松平の家を自分の手で立て直せると思っていた。実際に帰ってみれば、何か一つを進めるたび別のところで無理が生じる。戦場では目の前の敵に向き合えたが、領内では誰を先に助けるかということまで選ばねばならなかった。
近習が尾張からの使者の到着を告げたのは、そのような折だった。信長殿から書状を預かっているという。俺は帳面を閉じ、使者を通すよう命じた。
以前にも岡崎を訪れたことのある織田の家臣は、礼を取ると書状を差し出した。内容を改めるうち、目がある一節に留まった。信長殿が丹羽長秀を近江へ遣わし、六角との間で国境の安定と両家の協調について話し合ったというのである。
六角右衛門督が西美濃を手に入れたことは、三河にも伝わっていた。稲葉山城を押さえた若武者の話を聞いた時には、その勢いが東美濃へ及べば織田と争うことになるのではないかと思った。信長殿は以前から美濃へ目を向けておられ、遠山一族との縁もある。片方が進めば片方が退くというほど、国人たちの帰属は単純ではない。
ところが書状には、木曽川沿いで無用な衝突を避けるための取り決めを検討しており、商人の通行についても話が進んだとある。正式な同盟が結ばれたわけではなく、東美濃の扱いも未決着らしい。それでも争いを避ける道を両家が探り始めたことは意外だった。
「上総介殿は、六角と盟約を結ぶお考えなのか」
「その可能性も含めてお話ししていると承っております。ただし、東美濃については両家のお考えが異なり、結論には至っておりませぬ」
使者の答えを聞き、わずかに肩の力が抜けた。信長殿が東美濃を諦めたわけではないのだろう。それでも兵を動かす前に話し合うという判断には、こちらも助けられる。
織田と六角が戦えば尾張の兵は美濃へ向かう。その時に今川が三河を攻めれば、信長殿へ援軍を求めたところでどれほど応じていただけるか分からない。反対に美濃との境が落ち着けば、尾張は三河へ目を向ける余裕を持てるかもしれなかった。ただし、期待だけで東の備えを減らすわけにはいかない。
使者を別室で休ませ、俺は酒井忠次と石川数正らを呼ぶよう命じた。信長殿への返書を書く前に、家中でも考えを揃えておきたかった。
*
忠次と数正に続き、大久保忠世、本多正信が書院へ入った。最初に確かめたのは東三河の備えだった。吉良義昭ら今川に心を寄せる者の動きはなお気に掛かり、周辺の国人も必ずしも松平に従いきってはいない。忠次は見張りを減らすことに反対し、数正は村々の負担を気にしていた。
「吉良の動きが読めぬ以上、東の備えを減らすことはできませぬ」
「ですが、春の支度を前に兵を戻してほしいという訴えも来ております。畑が荒れれば次の兵糧にも響きましょう」
忠次の言葉にも数正の言葉にも無理はなかった。敵が動くかもしれぬ場所から兵を引けば城を危うくする。しかし田畑を耕す者をいつまでも城に留めれば、次の兵糧が得られなくなる。俺は各城で必要な兵数を改めて調べさせ、守りを薄くせず村へ戻せる者から順に交代させるよう命じた。忠次は不満を残している様子だったが、数正と相談して案を作ると約束してくれた。
そこで尾張から届いた知らせを伝えると、忠次は意外そうに顔を上げた。数正も手元の帳面を閉じ、六角との交渉がどこまで進んでいるのかを尋ねた。俺は書状に記された範囲を知らせ、東美濃の帰属については何も決まっていないと付け加えた。
「上総介殿が六角と手を結ばれるなら、尾張の備えにも余裕が生まれましょう。三河としては有り難いことでございます」
忠次はそう言ったが、数正は慎重だった。
「東美濃の国人がどちらへ従うか、まだ決まっておりませぬ。現地で兵がぶつかれば、両家の話し合いも無駄になりましょう」
俺もそれを恐れている。信長殿が協調を望んでいても、現地の者が同じように振る舞うとは限らない。
「正式な盟約が結ばれたわけではない。織田の動きを頼みに三河の備えを緩めるつもりはないが、両家が争わずに済むなら、その分はこちらにも利がある」
誰も異を唱えなかった。織田が美濃で兵を費やさずに済むなら、松平が今川と戦う時にも助けとなるだろう。もっとも相手の事情に期待するばかりでは駄目だ。今、松平がするべきことは、東から攻められても容易には崩れぬ三河を築くことだった。
会談を終えようとしたところで、数正が別の書付を差し出した。野寺の本證寺を巡る揉め事についての報告だった。
近くの村で納められるはずだった米が寺内へ運び込まれ、村の役人がその引き渡しを求めたという。寺側は門徒が納めた米だと主張し、役人が寺内へ入って調べることも拒んだ。さらに役人の一人が強引に立ち入ろうとしたため、騒ぎが大きくなったらしい。同行した者が止め、実際に踏み込むことはなかったものの、寺側は強く抗議しているとのことだった。
俺は思わず書付を握り直した。兵糧の徴収を急がせたのは確かだが、寺の権利を無視してよいなどと命じた覚えはない。数正に確かめると、役人が現地の判断で動いたことが分かった。年貢の未納を見付け、米が寺へ入ったと聞いて焦ったのだろう。だが、米の出所がはっきりせぬうちに寺内へ踏み込もうとすれば、寺の者が怒るのも当然だった。
「寺の権利を重んじることは必要にございましょう。しかし、役人の調べまで拒まれては今後も同じことが起こります」
忠次の口ぶりは厳しかった。寺へ米を移せば年貢を免れられると思われては困るという。確かにそのような前例を作るわけにはいかないが、今回の米が本当に未納の年貢だったのかは分からない。数正も村の帳面を確かめるべきだと考えていた。
「米を寺へ納めたことと、年貢が不足していることは別に確かめる必要がございます。今の書付では決め付けられませぬ」
正信だけは黙っていた。寺の話になってから手元の書付に目を落としたままで、忠次と数正のやり取りにも加わろうとしない。気になって意見を求めると、少し考えてから口を開いた。
「本證寺だけの問題では済まぬかもしれませぬ。上宮寺や勝鬘寺にも同じような権利がございます。ここで無理を通せば、ほかの寺も警戒いたしましょう」
忠次の顔が険しくなった。
「寺の権利を守るためなら、松平の役人は何もできぬままでよいと申すのか」
「そのようなことは申しませぬ。ただ、寺の言い分も聞かねば、かえって騒ぎを広げます」
正信は言い返したが、普段ほど声に張りがない。忠次も苛立ちを隠せず、二人の間には重い沈黙が落ちた。
俺は二人の話を遮ることにした。家臣同士の口論にしてよい問題ではない。寺の権利を守ることと、納めるべき米を確かめることは両立させねばならなかった。
「まず米の出所を調べよ。役人には勝手に寺内へ立ち入らぬよう申し付ける。寺にも使者を遣わし、何を確かめたいのか伝えてくれ」
数正が頭を下げた。忠次はなお何か言いたそうだったが、今回の調べで寺が年貢を隠したと分かれば、その時は改めて処置すると伝えると口を閉じた。正信の表情は少し和らいだものの、安心したようには見えなかった。
評議を終え、皆が席を立った後も、俺にはその様子が気に掛かった。忠次も正信も松平のために働いてくれる家臣である。寺の権利を巡る話だけで、ここまで考えが違うとは思っていなかった。
*
廊下へ出ようとした正信を呼び止めた。正信は何か叱責されると思ったのか、少し身構えて座り直した。俺は責めるつもりはないと告げ、寺へ通う者たちの間で何か聞いていないか尋ねた。
正信によれば、門徒の間では近頃の兵糧の徴収を重いと感じる声が出ているらしい。戦へ働き手を取られ、残された者だけでは田畑の世話もままならない村がある。確かな数までは調べていないため評議で言い出せなかったというが、不満の有無を知るだけでも俺には意味があった。
今まで耳に入らなかったのは、役人が報告していなかったためか。それとも村の者たちが武家には言えぬことを寺で打ち明けているためなのか。正信は村で聞いた者の名を軽々しく明かそうとはしなかったが、俺も無理に問い詰めるつもりはなかった。
「殿。寺を重んじる者たちの中には、松平への忠義と寺への信仰を別のものと考えている者もおります。寺の権利を守りたいと申す者が、必ずしも松平に背こうとしているわけではございませぬ」
正信は俺の返事を待ち、視線を上げた。その顔には諂う様子もなく、ただ伝えねばならぬことを伝えたという真剣さがあった。
理屈は分かる。俺とて家臣が何を信じるかまで命じるつもりはない。だが、寺と松平の命令が食い違った時にも同じことが言えるのだろうか。問い掛けかけて、やめた。まだ何も起きていないうちから忠義を試すようなことを言えば、正信を傷付けるだけだ。
「寺の権利を軽んじるつもりはない。ただ、松平の治める土地である以上、領内の秩序も守らねばならん」
正信は深く頭を下げ、今後も寺の様子を知らせると約束した。退出する背中を見送りながら、あれほど遠慮なく意見を言う男に慎重な言葉を選ばせたことが、少しばかり苦しかった。
その日のうちに数正は本證寺へ送る使者の人選を進め、俺も村の帳面を改めて調べるよう命令を書いた。使者には寺内へ踏み込まず、米の出所と役人の振る舞いを双方から確かめるよう申し付けた。返答が届くまでの間、現地で勝手に取り立てを強行することも禁じた。
窓の外では冬の日が傾き、城の警固に当たる兵たちの声が聞こえていた。机の端には信長殿の書状が置かれている。六角が美濃を押さえたことで織田が次の道を探り始めたのなら、松平も今川と向き合うための余裕を作らねばならない。しかし今の三河では、その前に領内の者たちが互いを疑わずに済むようにすることが先だった。
寺との間で話し合う道はまだ残されている。その間に収められるなら収めたい。正信の言葉を思い返しながら、俺は書付に最後の一筆を加えた。明朝には使者が発つ。寺がどのような返事を寄越すのか、確かめる必要があった。
*
永禄六年一月下旬。三河国岡崎城。
本證寺へ遣わした使者が戻ったのは、四日後の昼過ぎだった。
先に報告へ現れた数正は、寺側が調べに応じたことを告げたものの、顔色は冴えなかった。村の帳面では年貢が不足しており、寺には確かにその村の百姓が米を運び込んでいる。しかし、寺が出した受取の記録には寄進として二俵とあり、村の役人が求めていた不足分とは数が合わないという。米を寺へ隠したと断じるには足りず、だからといって年貢の未納が消えるわけでもなかった。
「米を運んだ百姓にも話を聞いたのか」
「はい。昨年の戦で息子が傷を負い、田畑の世話が行き届かなかったそうでございます。寺へ納めた米は、以前からの約束だったと申しております」
その百姓は年貢を免れようとしたわけではないと言い張り、村の役人は苦しいのはその家だけではないと怒ったらしい。寺へ米を納められるなら松平へも納められるはずだというのが役人の言い分だった。村に残された家族の暮らしを思えば百姓の事情も分かるが、徴収を任された役人だけを責めるわけにもいかなかった。
数正は帳面を調べるうちに、もう一つ困ったことが分かったと続けた。百姓の家が納入を延ばしてほしいと願い出た際、村の役人は兵糧の催促を理由に聞き入れなかったという。だが、その役人も城から早く米を揃えるよう命じられていた。誰もが自分の役目を果たそうとして、互いを追い詰めていた。
俺は数正へ、米の未納をそのままにはせず、家の働き手が戻る見込みや田畑の様子を確かめて納入の時期を改めて考えるよう命じた。村の役人にも勝手に寺へ入ろうとしたことは咎めるが、未納の責めをすべて負わせるつもりはないと伝えさせる。数正は承知したものの、似た事情の村はほかにもあると念を押してきた。
その通りだろう。一軒を救えば済む話ではない。それでも調べもせずに米を取り立てることを認めれば、次に同じことが起きた時も寺や村の者に怒りを向けるしかなくなる。
寺側は米について引き続き調べると約束した一方、寺内への立ち入りを認めないことだけは譲らなかった。数正によれば、本證寺の僧たちは今回の件が上宮寺や勝鬘寺にも伝わっていることを気に掛けているらしい。松平が寺の権利を奪おうとしているという噂まであり、寺を訪れる者の間で不安が広がっているという。
俺は書付を置いた。寺内へ兵を入れるなど命じてもいないのに、話ばかりが先へ進んでいる。怒りを覚えたが、使者を遣わしただけで不安が消えると思う方が甘かったのかもしれない。
*
夕刻、忠次が東三河の備えについて報告に来た。今川方に目立った動きはないが、城を守る兵の交代が遅れており、村へ戻すと約束した者の一部を引き留めざるを得ないという。家へ帰れると思っていた兵の落胆を考えると気が重くなったが、現地の守りを薄くすることもできなかった。
話を終えた忠次へ本證寺の件を伝えると、案の定、納得しかねる顔をされた。寺の調べだけに頼っていては、今後も寺内へ米を運べば年貢を免れられると思われるのではないかという。
「寺の権利を守るためなら、松平の役人は何もできぬのでございますか」
「そのようなことは申しておらん。だが、年貢だと確かめぬうちから寺の米を奪えば、こちらが道理を失う」
忠次は口を閉じたが、しばらく拳を膝に置いたままだった。兵糧が届かず困る兵の姿を見ているだけに、米を集める役人の苦労も人一倍知っているのだろう。俺はその苛立ちを責めることができなかった。
やがて忠次は、役人を咎めるなら城から出す命令にも余裕を持たせてほしいと申し出た。期限を厳しく定めたまま無理な徴収だけを禁じられても、現場ではどうにもならぬという。正しい指摘だった。俺は思わず苦笑し、兵糧の配分を数正と改めて調べるよう命じた。
忠次が頭を下げて退出した後も、その言葉は残った。寺を守ろうとする正信と、松平の命令を守らせたい忠次。二人の考え方は違っても、どちらも目の前の者たちを見捨てたくないのだろう。家臣同士が対立していると嘆く前に、その違いを受け止めるのが当主の務めだった。
*
翌日、本證寺から使僧が訪れた。
数正を同席させて迎えると、年配の僧は騒ぎが生じたことを詫びたうえで、寺内への立ち入りを今後も認めないよう願い出た。先日の使者には伝えたはずだが、岡崎の当主から直接確かな返答を得たかったのだろう。俺は使僧の様子を窺った。口調は穏やかでも、寺の権利に触れる時だけは目を逸らさなかった。
「寺の権利を軽んじるつもりはない。ただ、松平にも領内を治める務めがある。米の出所を確かめることまで拒まれては困る」
「その点は承知しております。寺としても、門徒が年貢を免れるために米を隠すようなことを認めるつもりはございませぬ。ただ、寺内へ武家の役人が踏み込むことだけは、お許しいただきとうございます」
使僧の言葉に偽りがあるようには思えなかった。寺にも守らなければならぬものがあり、譲れば門徒に顔向けできなくなるのだろう。俺は寺の記録と村の帳面をそれぞれ調べ、食い違うところは数正を通じて確かめることにした。これなら寺内へ立ち入らずとも調べを続けられる。使僧はほっとした様子で頭を下げた。
しかし、帰り際にもう一つ願い出た。上宮寺や勝鬘寺でも松平の役人を警戒する者が増えており、寺の権利を改めるつもりがないことを知らせてほしいという。俺がそのつもりはないと答えると、使僧は再び深く礼をした。その安堵した表情を見て、ようやく話が一つ片付いたと思いかけたが、同席していた数正は浮かない顔だった。
使僧が去ると、数正は門徒たちの間に広まった噂までは今回の約束で収まらぬだろうと告げた。寺側にこちらの考えを伝えても、それが村々の者へ届くとは限らない。俺はほかの寺にも使者を遣わすことにしたが、兵を連れて威圧することは禁じた。争いを避けるために遣わした使者が、かえって争いの種を蒔いては困る。
*
それから二日後、尾張へ返書を送る支度が整った。
信長殿から届いた書状には、六角との交渉がなお続く見込みだと記されていた。正式な盟約が成立したわけではなく、東美濃の帰属も定まっていない。それでも尾張と近江が互いに兵を向けずに済むなら、松平が今川と向き合ううえでも大きな助けになる。俺は両家の協調が進むことを喜ばしく思うと記し、三河の備えについても必要な知らせを交わし続けたいと伝えた。
寺の件をどう書くかは迷った。隠したところで、いずれ尾張にも噂は届くだろう。かといって、まだ話し合いの途上にあることを家中の乱れとして大きく伝える必要もない。俺は寺社との間で所領の扱いを巡る話し合いが続いていることだけを簡潔に添えた。こちらの弱みを誇張するつもりはなかったが、友好を結ぶ相手に何も伝えぬままでは、後でかえって不信を招く。
返書を渡した直後、近習が上宮寺の周辺から届いた報告を持ってきた。寺へ集まる者が増え、役人が寺内へ踏み込もうとした話が広まっているという。中には松平が寺の権利を奪うつもりだと口にする者までいるらしい。紙を読み進めるうち、せっかく使僧と話した時の安堵が薄れていった。
俺は忠次と正信を呼んだ。二人へ報告を示すと、忠次は早く事情を確かめるべきだと主張し、正信は参詣する者が増えたことだけで敵意を疑うべきではないと答えた。どちらの言い分も分かる。俺は寺に兵を向けることを禁じたうえで、正信には門徒たちが何を恐れているのか聞かせ、忠次には役人が再び勝手な振る舞いをしていないか確かめさせることにした。
「殿。寺の権利を守りたいと願う者が、皆松平に背こうとしているわけではございませぬ」
正信は前にも同じことを言った。その声には今度、わずかな苛立ちがあった。疑われること自体が不満なのかもしれない。俺は頷き、寺と争うつもりはないと答えた。だが、正信の言葉を聞いても、松平へ従うことと寺の権利を守ることがぶつかった時の答えまでは見付からなかった。
二人が退出した後、机に広げた三河の絵図へ目を落とした。東には今川の力が残り、西には盟約を結んだ織田がいる。その先の美濃では六角が領地を広げ、信長殿は争う以外の道を探り始めた。松平にもいつか三河の先へ目を向ける日が来るかもしれないが、今は村の米一つを巡る問題すら容易に収められない。
駿府にいた頃、岡崎へ帰ることだけを願った。戻ってきた今は、家臣も領民も同じ思いで動くわけではないと知った。それでも相手の考えを知ろうとすることを諦めれば、残るのは力で従わせる道だけになる。俺はそのような三河にしたいわけではなかった。
書院の外では冬の風が吹き、警固の兵が交代を知らせる声を上げていた。明日は数正から米の調べについて報告を受け、忠次と正信からも寺の様子を聞くことになる。俺は返書を運ぶ使者が出立したと聞いてようやく筆を置き、明朝の評議に備えるよう近習へ申し付けた。
寺への信仰と主君への忠義が、いつか互いを傷付けるようなことにならねばよい。その願いを胸に留めながら、俺は書院を後にした。
一話の文字数はどのぐらいが読みやすいですか?
-
このまま
-
5000文字前後
-
15000文字前後
-
1~5000文字