淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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第百一話「忠臣を失いし末路」

 永禄六年三月上旬。美濃国関城。

 

 長井隼人佐道利の処断を命じた日の夕刻、事が済んだとの報告が届いた。使いの家臣は深く頭を下げたまま顔を上げず、問い掛けても必要なことしか答えない。罪人を討ったというのに、まるで家中に不幸があったかのような振る舞いだった。気に入らず早々に下がらせたものの、書院に静けさが戻っても胸は晴れない。父の代から仕えた重臣を討ったのだ。後味の悪さくらい残るのも仕方あるまい。儂はそう自分に言い聞かせた。

 

 道利を疑い始めたのは、先日の軍役を巡る諍いからだった。稲葉山を失い、西美濃を六角に奪われて以来、一色家の威勢は衰えるばかりである。東美濃の国人たちまで兵を出し渋るようになった。今こそ再び戦えるだけの力を示さねばならぬというのに、あの男は負担を軽くせよと諫め続けた。そのうえ儂の許しも得ず諸将と書状を交わし、軍役の取りまとめを進めていた。

 

 道利は一色家のためだと申した。だが、国人の中には六角への帰属を探る者もいる。そのような者と密かに話を進めていても、儂には確かめようがない。先の諍いで扇を振るっても、道利は頑として自説を曲げなかった。主君の怒りを買ってまで国人を庇うのは何故か。一度その疑いを抱くと、これまで知らされなかったことまで裏があるように思えてならなかった。

 

 無論、六角との内通を示す証が見つかったわけではない。道利を捕らえてからも家臣たちは助命を願い出た。先代からの忠臣であり、一色家には欠かせぬ男だと口を揃える。だが、儂にはその言葉さえ恐ろしく聞こえた。関城を守る兵も、国人たちへ使いを出す者も、道利の指図で動く者が少なくない。皆がこれほど慕っているのなら、あの男が本当に背いた時、誰が儂に従うというのか。

 

 処断を命じる際にも、家臣の一人が最後まで翻意を求めてきた。

 

「御屋形様。隼人佐様には長年の御功績がございます。せめて今一度、御本人の申し開きをお聞き届けくだされ」

 

「すでに聞いた。あの男は儂の命に背き、国人どもを庇い続けた。それでもなお許せと申すのか」

 

「御家のためを思っての諫言にございます。何卒、御考え直しを」

 

 男は畳に額を擦り付けんばかりに頭を下げたが、儂は取り合わなかった。ここで許せば、主君の命に背いても功績さえあれば咎められぬと示すことになる。何より、一度疑いを抱いた相手を再び重用する自信がなかった。命令を重ねると男は肩を落とし、力なく退出した。その背中に一瞬、胸が詰まるような思いがした。儂は書状へ目を落としてやり過ごした。

 

 処断から一夜が明けても、関城は一見いつもと変わらなかった。朝餉は定刻に届き、門番も持ち場に立っている。ただ、書院へ運ばれる報告が妙に少ない。道利がいた頃は軍役や兵糧の書付が毎朝のように積まれていたのに、今朝は一通もなかった。代わりの者を呼んでも、帳面を調べているという返事ばかりで姿を見せない。

 

 昼過ぎ、長井家の者たちが道利の遺骸を引き取ったと知らされた。葬儀の支度が進み、城へ詰めていた長井家の家臣の多くが暇を願い出ているという。主を弔いたい気持ちまで咎めるつもりはない。だが持ち場を空けられては困る。役目を引き継いでから出向くよう申し付けると、取次の男は返答に窮した顔をした。

 

 その日の夕刻、軍役の取りまとめに関わっていた家臣を呼び出した。国人から兵を集めるには道利の残した帳面が要る。ところが男は書付を持参したものの、兵数を尋ねると答えが曖昧になった。諸家からの返書も滞っており、どれほど集められるか見当がつかぬという。

 

「隼人佐がいなくなっただけで、何もできぬと申すのか」

 

「恐れながら、あの方が直々に諸将と話を進めておられましたので、確かめねばならぬことが多うございます」

 

「ならば急いで確かめよ。いつまでも死んだ者を頼りにしていては、一色家の立て直しなどできぬ」

 

 男は頭を下げたが、不満げな色を隠そうともしなかった。儂が睨むと慌てて目を伏せたものの、以前ならばすぐに承知の言葉が返ったはずだ。儂は書付を押し返し、下がるよう命じた。男が出て行った後、畳に置かれた帳面の薄さばかりが気になった。

 

 それから数日のうちに、家中の様子は目に見えて変わっていった。まず人の出入りが減った。廊下に控える小姓が少なくなり、使いを頼んでも戻るまで時間が掛かる。いつもなら用向きがなくとも顔を見せた家臣たちは、必要な報告だけを残して去っていった。城内ですれ違う者も、儂に道を譲ると足早に遠ざかる。礼さえ忘れる者を叱りつけたところ、周囲まで一斉に顔を強張らせた。

 

 道利を慕っていた者たちが不満を募らせているのだろう。葬儀が済めば落ち着くと思っていた。ところが長井家の者たちは弔いを終えても登城せず、呼び出しに応じぬ者まで現れた。病を得た、家の片付けが済まぬと理由ばかりが届く。儂は報告を読み、何度も同じところへ目を戻した。

 

 やがて、城門を守る兵の顔触れまで変わっていることに気付いた。見慣れぬ兵が増えたわけではない。長井家の者とともに門を守っていた兵たちが、その持ち場を引き継いでいる。ただ、その配置替えについて儂は何も聞かされていなかった。命じた者を尋ねると、守備を預かる者たちが相談して決めたという。道利が死んでも城は守らねばならぬ。それは分かるが、当主への報告さえないことが気に障った。

 

 守備を任せる者たちを呼び出したが、登城したのは一人だけだった。ほかの者は持ち場を離れられぬという。現れた男も歯切れが悪く、今後の兵の配置は諸将と相談して決めたいと申し出てきた。

 

 儂の命を待たずに兵を動かし、今度は家中の相談を優先するという。怒鳴りつけると男は青ざめたが、考えを改めなかった。以前なら機嫌を損ねた儂を宥めようと、誰かが言葉を尽くしたものだ。ところが男は叱責に耐えるばかりで、詫びもしない。その沈黙が、かえって不気味だった。

 

 その夜は寝付けなかった。道利を処断してから、家臣たちの心が儂から離れていく。あの男が生前から手懐けていたのではないかと疑う一方、別の思いも浮かんだ。もし謀反を企てていたのなら、何故あの時立ち上がらなかったのか。稲葉山を失った儂を関城へ迎えたのも道利だった。それは確かなはずである。

 

 寝床で幾度も身じろぎするうち、道利の最期が気になり始めた。処断を命じてから儂は会っていない。無実を訴え続けたとは聞いていたが、ほかに何を申したのかは知らなかった。今さら聞いてもどうにもならぬ。それでも翌朝、処断に立ち会った者を呼び出した。

 

 男はしばらく口を閉ざしていたが、儂が重ねて尋ねると、道利が家臣たちへ残した言葉を伝えてきた。

 

「隼人佐様は、御家に争いを持ち込むなと仰せになりました。御自分のことで御屋形様に刃を向けるような真似は、決してしてはならぬと……」

 

 儂は思わず顔を上げた。処断を前にして、道利はそのような言葉を残したのか。自らを討とうとする主君に、最後まで刃を向けるなと。信じ難く、ほかに何か言わなかったのかと尋ねたが、男は首を横に振った。目元が赤くなっているのを見て、それ以上は聞けなかった。

 

 男を下がらせた後も、しばらくその言葉が頭から離れなかった。もし本当に儂を案じていたなら、何故あれほど諫言を重ねたのか。苦境を理解していたなら命令に従うべきだったはずだ。そう思いながらも、道利が毎日のように書院へ来ていたことを思い返す。兵を集められぬ事情を説明し、兵糧の不足を伝え、国人をつなぎ留める手立てを探していた。儂はそのたびに腹を立てたが、今はそうした報告を持参する者すらいない。

 

 *

 

 関城の諸将が揃って目通りを願い出たのは、それから二日後のことだった。

 

 長井家の古参の家臣を先頭に、城の守備を担う者たちが書院へ現れた。皆、甲冑を着けず刀も普段どおりである。儂はようやく家中が落ち着いたのかと思った。だが、男たちは座に着いても誰一人口を開かず、先頭の家臣が深々と頭を下げるのを待っていた。

 

 その男には見覚えがある。道利の側近くに仕え、何度も書院へ出入りしていた。以前は儂の顔を見るなり恭しく頭を下げたものだが、今は疲れ切ったような顔でこちらを見据えている。進み出る足取りだけは揺らがなかった。

 

「御屋形様。本日は我ら一同、申し上げたき儀がございます」

 

「隼人佐のことなら、すでに裁きは済んだ。今さら覆すつもりはないぞ」

 

「承知しております。ただ、此度の御処断については、家中の者たちも納得いたしておりませぬ。隼人佐様が六角と通じていた証は、ついに示されませんでした」

 

 済んだ裁きを蒸し返すばかりか、主君の判断を疑うとは何事か。儂は眉をひそめたが、後ろに控える者たちは誰一人咎めようとしない。男の言葉を当然とするかのように、ただ儂の返答を待っていた。

 

「疑わしき振る舞いがあったゆえに処断したのだ。そなたらが納得せぬからといって、儂の裁きが間違っていたことにはならぬ」

 

「……左様にございますか」

 

 男は目を伏せた。それからゆっくりと頭を上げ、傍らに座る者たちを見渡した。誰も口を開かなかったが、互いの意思を確かめるように頷く者がいた。

 

「我らは隼人佐様の御遺言に従い、御屋形様に刃を向けるつもりはございませぬ。されど、これ以上お仕えすることもかないませぬ」

 

 思いがけない言葉だった。長井家の者が奉公を辞するのなら勝手にすればよい。主を討たれて儂を恨むのも無理はないだろう。ただ、城の守備を任せてきた者たちまで同じ考えだとは思わなかった。

 

 ところが、男に続いて城の守備を預かる者まで頭を下げた。

 

「我らも同じ考えにございます。隼人佐様を失った今、御屋形様の御命令に従って兵を動かすことはできませぬ」

 

「何を申すか。そなたらまで儂を見捨てるつもりか!」

 

 思わず声を荒らげたが、誰も顔を上げなかった。儂は座に並ぶ顔を見回した。城の守備も軍役の取りまとめも任せてきた者たちだ。一色家を見捨てるつもりなのか。それとも道利の処断を詫びさせようとしているのか。どちらにせよ、主君へ許される振る舞いではない。

 

「よい。従いたくないのであれば出て行くがよい。関城には儂に忠義を尽くす者だけ残ればよいのだ」

 

 儂が言い放つと、先頭の男は苦しげに顔を歪めた。

 

「御屋形様。関城からお立ち退きいただきたいのは、御屋形様の方にございます」

 

 耳を疑った。関城は稲葉山を失った儂が身を寄せ、再起を図ってきた城だ。その儂を追い出すなど正気とは思えぬ。立ち上がって叱りつけても誰も動揺せず、かえって男たちの顔が険しくなるばかりだった。

 

 廊下へ向かって近習を呼んだ。返事がないので名を重ねて叫ぶと、ようやく小姓が一人現れた。男たちを捕らえよと命じたが、小姓は動かなかった。儂と諸将を交互に見つめ、途方に暮れた末、その場に膝をついた。

 

 そこで初めて、儂は城内の様子が変わっていた理由を理解した。兵の配置替えも、報告が届かなくなったことも、家臣たちが書院を避けるようになったことも、皆この日のためだったのか。長井家だけでなく、関城を守る者たちまで儂の命に従うことをやめている。知らぬ間に話し合い、城から追い出す算段を整えていたのだ。

 

 男たちは儂の命を奪うつもりはないと繰り返した。道利の遺言に従い、決して刃は向けぬという。ただし関城に留まることも許さず、身の回りの者を伴って立ち去るよう求めてきた。馬と道中の食糧は用意するが、兵や兵糧を連れ出すことは認めないらしい。

 

 儂は怒りのあまり言葉を失った。父の跡を継ぎ、美濃の国人たちを従えてきた儂が、昨日まで家臣だった者に城を出よと命じられている。ここで立ち上がり、誰か一人でも斬れと命じればどうなる。目の前の男たちの顔を見る限り、従う者がいるとは思えなかった。

 

 だが、座にいた者たちは誰一人として考えを変えなかった。若い家臣が一人、赤くなった目で儂を見つめていた。道利の助命を願い出た者らしい。口を開きかけたところへ年配の家臣が肩に手を置くと、歯を食いしばって俯いた。

 

 男たちは儂を恐れていないのではない。憎みながらも、刃を向けることだけは堪えているのだ。道利が残した遺言が、その最後の一線を守らせているらしい。

 

 自ら討たせた男の言葉によって、儂は命を奪われずに済んでいる。そのことが何より腹立たしく、同時に胸の奥を冷やした。

 

 男たちはなおも返答を待っていた。儂は歯を食いしばり、城を出ることを承知した。だが、これで一色家が終わるわけではない。美濃にはまだ恩義を忘れぬ国人がいるはずだ。そのもとへ身を寄せ、兵を集め直して戻ればよい。いずれこの者たちにも過ちを思い知らせてやる。そう考えねば、今の屈辱に耐えられなかった。

 

 翌朝、儂はわずかな供を連れて関城を出た。

 

 用意された馬と荷は一色家の当主を送り出すにはあまりに質素だった。城門の前には兵が並んでいるが、誰も声を掛けようとしない。長井家の家臣たちも黙って頭を下げるだけである。

 

 馬上から関城を振り返る。稲葉山を失った時、道利はここで儂を迎え、再起のために働くと誓った。その言葉を頼りに今日まで過ごしてきたというのに、今は道利もおらず、儂を引き留める者もなかった。

 

 閉じられる城門の音が背に響いた。振り返れば怒鳴りつけそうで、儂は前だけを見る。いずれ関城の者たちは後悔する。主君を追い出したことが知れれば、東美濃の諸将も黙ってはいまい。

 

 儂にはまだ頼れる者がいる。その考えだけを胸に、関城から続く道を進んでいった。

 

 関城を離れて半日が経っても、怒りは収まらなかった。命に背き、諸将と勝手に書状を交わしていたのは道利の方だ。長年の功績があるからといって、疑わしい振る舞いを見逃せるものか。それなのに家臣たちは儂を責め、城から追い出した。主君を見捨てるなど武家の道に外れた行いである。そう思いながら馬を進めたが、供の者たちは一向に口を開かなかった。

 

 付き従うのは数人の近習だけだった。関城に残った者の中には、幼い頃から儂の身の回りを世話してきた者までいる。思い出すたび腹が立ったが、残った供へ怒りをぶつけるわけにはいかない。彼らまで去れば、儂は本当に一人になる。もっとも、そんなことは起きるはずもない。美濃には一色家から所領を安堵された国人が幾らでもいるのだから。

 

 まずは関城に近い国人を頼ることにした。これまでも一色家の軍役に応じ、当主は幾度か儂の前に出ている。事情を聞けば迎え入れてくれるだろう。そこから関城へ帰参を命じる使者を遣わせばよい。道利を慕う者たちも、時が経てば頭を冷やすに違いない。

 

 ところが、先触れに出した近習は浮かぬ顔で戻ってきた。屋敷では門前で足を止められ、当主への取次ぎさえ断られたという。儂が近くまで来ていると伝えても、家中の事情で客を迎えられぬとの返事だった。

 

「儂が訪ねていると知っても、そのように申したのか」

 

「はい。幾度かお取り次ぎを願いましたが、御当主は御不在とのことでございました」

 

「留守であれば仕方あるまい。だが、家臣の一人くらいは顔を出せるはずだ。何か事情があるのではないか」

 

 近習は困ったように目を伏せた。問い詰めたところで返事は変わるまい。儂は別の国人へ書状を出させ、夜は近くの宿で過ごすことにした。宿の主人は初めこそ丁重に迎えたが、儂の素性を知ると口数が減った。食事と寝床だけを整え、用を終えるなり姿を消してしまった。

 

 翌朝、別の国人からも断りの返事が届いた。当主が病を得て客を迎えられぬという。これほど都合よく病人が出るものか。儂を避けているのは明らかだったが、関城から追われたという話だけで、主君への態度まで変えるものなのか。腹立たしさより先に、得体の知れぬ居心地の悪さがあった。

 

 さらに二つの家へ書状を送った。一方は返事すら寄越さず、もう一方は情勢を見極めたいとだけ答えた。いずれも儂が関城から軍役を催促していた国人である。その者たちが、今度は当主の身の置き所を尋ねる書状にさえ応じない。儂は何度も返書を見直したが、書かれた言葉は変わらなかった。

 

 近習の一人が、しばらく人目を避けて身を休めてはどうかと申し出てきた。しかし儂は取り合わなかった。隠れ潜むような真似をすれば、関城を追われたことを認めるばかりか、諸将にまで儂が弱気になったと思われてしまう。何より、頼れる国人が一人もいないなどということはあるまい。儂は行き先を加治田城に定め、佐藤忠能を頼ることにした。

 

 忠能は加治田に所領を持ち、東美濃の国人ともつながりが深い。近頃は軍役を渋っていたものの、一色家に公然と背いたわけではない。儂が直々に赴けば、関城の者たちを説得するため力を貸してくれるかもしれなかった。

 

 加治田へ向かう途中、幾つもの村を通った。田畑では春の支度を始める者の姿が見える。稲葉山にいた頃なら、儂の通行を知った村役人が道へ出てきたものだ。今は道を尋ねれば丁寧に答えるものの、誰もそれ以上近寄ろうとしない。身分を明かさぬ方がよいと供に勧められたが、儂は退けた。一色家の当主が何故、自らの名を隠さねばならぬ。

 

 加治田城の門前には普段より多くの兵が立っていた。紀伊守への面会を申し入れたものの、なかなか返事がない。やがて現れたのは忠能ではなく年配の家臣だった。深々と礼はしたが、城内へ案内する気配がない。

 

「紀伊守はどうした。儂が参ったと伝えたのであろうな」

 

「はい。されど、当主は急ぎの用向きがございまして、御目通りはかなわぬとのことでございます」

 

「ならば戻るまで待とう。城内に部屋を用意せよ」

 

 男は一瞬表情を曇らせ、周囲の兵と目を交わした。やがて改めて頭を下げ、此度は城内へ迎え入れられぬと告げた。理由を尋ねても、加治田の家中には事情があると繰り返すばかりだった。

 

 儂は忠能が病を得たのかと思ったが、そうではないらしい。ならば何故、城へ入れぬのか。声を荒らげて問い詰めると、男はしばらく迷った末に顔を上げた。

 

「恐れながら、長井隼人佐様の御処断については、すでに当家にも知らせが届いております。関城で起きたことも承知しておりますゆえ、何卒お引き取りくだされ」

 

 儂は馬上から身を乗り出した。道利の処断が、忠能の振る舞いと何の関わりがあるというのだ。問い詰めても男は答えず、ただ当主の意向は変わらぬと頭を下げ続けた。

 

 押し問答が長引くにつれ、門前の兵たちの視線が気になり始めた。槍こそ向けぬが、一歩も通すつもりがないのは明らかだった。儂が命じても門は開かず、忠能も現れない。往来の者に一色家の当主が門前払いされる姿を見せ続けるわけにはいかなかった。

 

 儂は歯を食いしばり、馬首を返した。背後から聞こえた城門の閉まる音が、ひどく耳障りだった。

 

 *

 

 加治田での一件は、儂の考えを改めさせるには十分だった。関城の家臣たちが道利を慕っていたのは分かる。主を失った悲しみから儂を恨むのも、まだ理解できよう。だが忠能まで門を閉ざすとは思わなかった。佐藤家が加治田を保ってこられたのは、一色家が美濃を治めてきたからではないか。その儂を助けもせず追い返すとは。馬を進めても、怒りはなかなか収まらなかった。

 

 とはいえ加治田は六角の勢力が及ぶ西美濃に近い。関城での騒ぎが伝わった今、忠能も軽々しく儂を迎え入れられぬのかもしれない。そう考えると、いくらかは合点がいった。ならば境から離れた国人を頼ればよい。東へ進めば、一色家との縁を重んじる者がいるはずだ。

 

 次に思い浮かんだのは岩村城の遠山景任だった。遠山家は東美濃に勢力を持ち、織田との縁も深い。儂が岩村へ身を寄せれば、関城の者たちも無視できまい。遠山の力を借りて諸将を集め、改めて一色家の当主として命を下せるかもしれなかった。

 

 しかし、供の者たちは慎重だった。岩村までは遠く、道中の国人が頼りになるかも分からない。まず使者を立てて返答を待つべきだという。その言い分はもっともだが、すでに幾つもの家に拒まれている。これ以上返事を待つことには耐え難かった。儂は休息を取りながら岩村へ向かい、先行する使者に来訪を知らせるよう命じた。

 

 旅を続けるうち、関城で持たされた荷が目に見えて減っていった。宿に泊まれば銭が要り、馬にも食わせねばならぬ。近習たちは荷を開いて残りを数えるようになった。かつては訪れる先々で国人たちが宿所を整え、必要なものを差し出していた。今は一色家の当主と名乗っても、宿の者が無償で世話をしてくれるわけではない。銭を払うたび、胸の内に苦いものが残った。

 

 助けを求めた家々からも返事が届いたが、いずれも芳しくなかった。道利の処断を理由に断る家、六角との争いを恐れる家。使者を門前で追い返した者までいた。報告を聞くたび腹が立ったが、相手を叱責しようにも手が届かない。それが何とも歯痒かった。

 

 やがて岩村へ先行させた使者が戻ってきた。遠山景任は書状を受け取ったものの、岩村城へ迎えることはできぬと返してきた。関城を追われた儂を庇護すれば、東美濃の不安定な情勢の中で家中に新たな争いを招くという。ただし道中の安全を願い、必要なら領内を通る便宜は図ると添えてあった。

 

 儂は何度もその返答を読み返した。遠山まで儂を拒むとは。織田との縁が深いとはいえ、一色家との付き合いも長いはずだ。それなのに城へ入れることすら断る。領内を通る便宜など欲しくはない。今の儂に必要なのは兵と城、再び一色家の旗を掲げるための力だった。

 

「景任は、儂を見捨てると申すのか」

 

 使者は俯いたまま答えなかった。景任の書状には儂への敵意など一言もない。だが、庇護だけは断っている。その意味を使者へ問い詰めても仕方がないと分かってはいたが、黙って返書を畳むこともできなかった。

 

 岩村へ向かうのはやめた。迎え入れられぬ城へ押し掛ければ、加治田の屈辱を繰り返すだけだ。街道沿いの宿に留まり、まだ返答のない国人へ改めて書状を出した。どこか一つでも受け入れてくれれば、そこから立て直せる。その望みを手放せなかった。

 

 ところが、待てども返事は届かなかった。ようやく戻った使者は、相手がすでに城門を閉ざしていたと告げた。ほかの家も、客を迎えられぬという。関城に近い国人も、加治田の佐藤も、岩村の遠山も儂を迎えない。西美濃は六角の手にあり、そこを頼るわけにもいかぬ。残された東美濃の家々からも、受け入れるとの返答は一つとして届かなかった。

 

 それでも儂は、まだ連絡のついていない家があるのではないかと供の者に尋ね続けた。近習たちは帳面をめくり、まだ訪ねていない家がないか探していた。やがてその手も止まった。儂の使者と知るや門を閉ざした者までいるという。道利の処断と関城からの追放は、すでに東美濃の国人たちへ広く知られているらしかった。

 

 儂はそのことを知り、初めて言いようのない不安を覚えた。関城を出た時は、どこかの国人が必ず迎えてくれると思っていた。稲葉山を失った時でさえ、道利が関城へ迎えてくれたのだ。今度も同じように助ける者がいるはずだった。それなのに書状を出しても返事はなく、使いを出せば門前で断られる。美濃にこれほど多くの国人がいながら、誰一人として儂を迎えようとせぬ。その事実が、ようやく胸に迫ってきた。

 

 儂は再び道利のことを思い出していた。道利がいた頃、国人たちは軍役を渋りながらも最後には幾ばくかの兵を差し出した。儂はそれを一色家の威光によるものと思っていた。だが、道利が諸将のもとへ足を運び、頭を下げていたからではなかったか。稲葉山を失った後も関城へ兵糧が届き、諸将の使者が絶えることはなかった。あの男が何をしていたのか、儂は一度でも確かめようとしただろうか。

 

 それでも素直に認める気にはなれなかった。道利が忠義を尽くしていたのなら、何故もっと上手く国人を従わせられなかったのか。あの男が死んだだけでこれほど揺らぐなら、生きているうちに手を打つべきだった。そこまで考え、自ら処断を命じたことを思い出す。喉の奥がひどく乾いた。

 

 儂は扇を取り出そうとして、手を止めた。道利を打ち据えた時にも、儂はこの扇を握っていた。額から血を流しながら、なお国人の負担を軽くするよう訴えた顔が浮かぶ。儂は扇を開けぬまま膝元に置いた。

 

 あの時、儂は何を守ろうとしていたのだろうか。兵を集めて一色家の力を示すことしか考えていなかった。道利が何故止めようとするのか、聞く前に腹を立てた。諫言を重ねる相手が許せず、ついには謀反まで疑った。証もないまま処断したことを、今になって何とも思わぬわけではない。だが、認めようとすれば胸の奥で何かが拒んだ。

 

 あの時の儂には、それ以外の道が見えなかった。

 

 *

 

 関城を出てから幾日も過ぎた頃、供の者の一人が暇を願い出てきた。男は美濃に家族を残しており、旅が長引けば暮らしが立ち行かぬという。儂が声を荒らげても、深く頭を下げたまま考えを変えなかった。ほかの近習も引き留めず、気の毒そうに見送っている。関城で諸将に背かれた時の苦さが蘇った。

 

 男が去ると、残る供が次の行き先を尋ねてきた。美濃の国人はもはや頼れず、宿に留まる銭も尽きかけている。これ以上返書を待っても何も変わるまい。儂はしばらく畳を見つめ、ようやく口を開いた。

 

「……美濃を出るほかあるまい」

 

 儂がそう答えると、近習たちは驚いたように顔を上げた。自分の口から出た言葉とは思えなかった。美濃は一色家が治め、儂が生まれ育った国である。稲葉山を失っても東美濃で再起を図ることができた。その土地から、今度は誰にも迎え入れられぬまま去らねばならぬ。

 

 畳の上の荷は、旅立ちの頃とは比べものにならぬほど少ない。あれほど激しかった怒りも、今は長く続かなかった。国人を不忠者と罵ったところで戻る者はいない。関城の諸将を罰しようにも従う兵がない。一色家の当主という名だけが残り、その名を頼りに駆け付ける者は美濃のどこにも現れなかった。

 

 儂は旅の支度を命じた。美濃を離れた後、どこへ向かうかはまだ決めていない。外に出れば頼れる者が見つかるかもしれぬが、確かな当てもなかった。ただ、ここに留まっていれば残る供まで去ってしまう。そのことが恐ろしくなっていた。

 

 翌朝、儂たちは宿を発った。田畑では春の支度が進み、村には穏やかな日差しが落ちている。彼らにとっては、関城で誰が討たれ、一色家の当主がどこへ向かうかよりも、今日の畑仕事の方が大切なのだろう。馬を進めても、道端に膝をつく者は一人もいなかった。

 

 かつては諸将が儂の前に集まり、競うように忠義を申し述べた。稲葉山を失った後も、道利だけは儂を見捨てず一色家の再起に力を尽くした。その忠義を疑い、死なせたのは儂自身だった。

 

 もし道利が生きていたなら、今も関城に留まることができたのだろうか。答えなど得られるはずもなかった。道利はもう戻らない。家臣たちに見放され、国人に門を閉ざされたという事実も変えられぬ。唇を噛み締めたが、胸の苦しさは消えなかった。

 

 供の前で弱気な姿は見せられぬと、儂は馬上で背筋を伸ばした。一色家の当主である限り、再起を諦めるつもりはない。だが、次に誰を頼るべきかと考えても、すぐには名が浮かばなかった。

 

 道利がいれば、何か策を示したのかもしれぬ。思い掛けた途端、儂は顔を歪めた。自ら死なせた男に、なお策を求めようとしている。その情けなさに、誰より儂自身が耐えられなかった。

 

 儂は顔を上げ、行く手の山々を見据えた。その先に何が待っているかは分からない。美濃を出たところで、一色家の当主として迎えてくれる者がいる保証もない。それでも、もはや戻る城も帰参を命じられる家臣もいなかった。

 

 関城を追われた時は、いずれ諸将が詫びを入れ、迎えに来ると思っていた。今も胸のどこかで、誰かが呼び止めてくれるのを待っているのかもしれぬ。だが背後から聞こえるのは供の馬の蹄の音だけだった。

 

 儂は手綱を握り直し、美濃の外へ続く道を進んでいった。

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