そのあたりはオリジナル人物になってしまうので簡単には決められないので設定落とし込んでから出したいですね。
竹若丸のことを知ってからも、俺の日常そのものが大きく変わったわけではなかった。相変わらず評定へ顔を出し、家臣たちの話を聞き、分からないことがあれば後で尋ねる。ただ、以前とは聞き方が少し変わっていた。浅井や高島、美濃、京の話が出れば、何が起きたのかだけでなく、その話がどこから届いたものなのかが気になる。商人から聞いたのか、現地へ出した者が見たのか、複数の者が同じ話をしているのか、それともまだ噂に過ぎないのか。同じ「そうらしい」という言葉でも、どこまで信じてよいかはまるで違う。その違いを、朽木について対馬守に調べてもらったことで以前より強く意識するようになっていた。
その日の評定では、湖東を行き来する商人が話題になっていた。これまで使われていた道筋を通る荷が減り、別の道へ流れているらしい。理由については、近頃その辺りで揉め事が続いたせいだと言う者もいれば、他の市の方が品を売りやすくなったからではないかと言う者もいた。どちらも有り得そうには聞こえる。だが、聞いているうちに俺には別のところが気になった。
「減ったというのは、どれほどなのでございます?」
話していた家臣が俺を見る。
「さて……以前と比べれば随分と、と聞いておりまする」
「いつ頃からでございます?」
「ここひと月ほどであったかと」
「では、減ったのは商人なのでございますか。それとも荷の量なのでございますか?」
相手の返事が止まった。困らせようと思ったわけではない。商人そのものが減ったのか、一人当たりの荷が少なくなったのかでは意味が違うし、「随分減った」という言葉だけでは十が五になったのか、百が五十になったのかすら分からない。数字が欲しいというより、何が変わったのかを知りたかった。
「亀松丸」
父上に呼ばれて顔を向ける。
「相手を追い詰めるでない」
「そのつもりはございませぬ」
「分かっておる。だが、知らぬものを今ここで問い続けても答えは出ぬ」
「……はい」
その通りだった。以前なら、分からないなら調べればよい、と簡単に考えていたかもしれない。けれど今は、その「調べる」の中に人を動かすことも、時間を掛けることも、聞いた話を確かめることも含まれていると分かる。俺だけが答えを欲しがっても、その場に材料が無ければ何も出てこない。評定が先へ進む中、俺は手元の書付へ「商人」「荷」「時期」「道」とだけ残した。今は分からなくても、何が分からなかったかを残しておけば、後で確かめることは出来る。
そんな亀松丸の姿を、本人の知らぬところから見ている者がいた。
まだ若い女だった。三雲方の者として観音寺へ出入りすることがあり、その日も自分の用を済ませて戻る途中だった。評定の中へ紛れ込んでいたわけでも、亀松丸を探れと命じられていたわけでもない。人が行き交うのを避け、廊下の端へ身を寄せているうちに、評定を終えた六角の嫡男が出てきたので目に留まっただけだ。
六角の嫡男は変わり者らしい。そんな話なら、以前から耳にしていた。幼い頃から評定を覗き、今では当然のように席へ顔を出す。刀や戦の話ばかりを好むのではなく、関で取る銭や市へ入る商人を気にして、何人だった、いつから変わったと細かなことまで尋ねるらしい。偉い家の子供が珍しい遊びをしているだけだと言う者もいたし、御屋形様が跡取りへ政を覚えさせるため好きにさせているのだろうと言う者もいた。女自身も最初は大して気にしていなかった。
だが、何度か姿を見るうちに、少しだけ興味が湧いた。家臣へ命令を並べているわけでもなく、大人らしく見せようとしているようにも見えない。分からないことがあると尋ね、答えが無ければ何かを書き付け、時には聞き過ぎて父親から窘められている。それでも次に見掛ければ、また別の何かを調べている。子供らしいかと問われれば、やはり少し妙だった。
今日も亀松丸は千代丸と並び、評定で書いたらしい紙へ目を落としていた。
「若様、また何か数えるのでございますか?」
「まだ決めておらぬ。ただ、商人が減ったというだけでは何も分からぬであろう」
「某には、減ったのであれば減ったで良いようにも思えますが」
「良くない。何故減ったのか分からなければ、また増やしたい時にどうすればよいか分からぬ」
「またそれでございますか」
千代丸の呆れたような声にも、亀松丸は特に気を悪くした様子を見せず、紙へ視線を戻した。それを眺めながら、女は小さく笑った。
確かに、変わっている。
今のところは、それだけだった。亀松丸の器量を測れと言われたわけでも、将来の六角当主として値踏みしているわけでもない。ただ、見掛けると少し気になる。今日は何を聞いているのか、次は何を数えるのか。その程度の好奇心に過ぎなかった。
女は二人が廊下の向こうへ消えるのを見届けると、何事も無かったようにその場を離れた。俺は当然、そんな視線が向けられていたことなど知らなかった。
その頃の俺が考えていたのは、評定で出た商人の話と、先日の対馬守の働きだった。朽木について知りたいと思った時、俺には自分で調べる方法が無かった。父上へ頼み、父上が対馬守へ命じ、対馬守が人を使ったことで、ようやく澄み酒や関、組屋源四郎のことまで知ることが出来た。調べきれなかった部分もある。兵の正確な数は分からず、竹若丸本人の考えなど当然知りようもなかった。それでも、何も知らなかった時と比べれば雲泥の差だった。
もし自分の側にも、ああして外を見てくれる者がいたらどうなるのだろう。その考えは、数日前から何度も頭へ浮かんでいた。浅井で何かあった時、父上から教えられるまで待たずに知ることが出来るかもしれない。米の値が急に上がれば、それが凶作のためなのか、誰かが買い集めているのか、戦支度で需要が増えたのかを確かめられるかもしれない。家臣の間に不満があるという噂が出たなら、本当に不満があるのか、それとも誰かが意図して広めているだけなのかを調べることも出来る。
もちろん、そうした者を持てば何もかも分かるなどとは考えていない。対馬守ですら、短い間に朽木の内情を全て掴んだわけではなかった。知ろうとしても分からないことはある。それでも、材料が一つも無いのと、不完全でも幾つか確かな情報があるのとでは、その後に考えられることがまるで違う。俺のやり方は、見比べることから始まる。前と今を比べる。場所と場所を比べる。聞いた話が本当なのか、別の情報と照らし合わせる。だが、そのためには最初に比べる材料そのものが必要だった。
戦が始まってから、相手が兵を集めていたと聞いても遅い。米が足りなくなってから、今年は収穫が悪かったと知っても遅い。誰かが背いた後で、以前から不満を抱えていたらしいと聞かされても遅い。何かが起きてから知るのではなく、その前に少しでも気付けるようにしたい。そのための目が欲しい。
ただ、欲しいと思ったところで作り方が分かるわけではなかった。前世の俺は数学教師だ。戦国時代の情報組織を一から作る方法など知るはずもなく、忍者について知っていることも小説や映像で見た程度でしかない。甲賀者が便利な道具のように誰の命令でも聞くわけではないことくらいは、今の生活をしていれば分かる。彼らにも家があり、繋がりがあり、従う相手がいる。ならば、何も知らない俺が勝手な形を考えるより、知っている者へ聞く方が早い。
そこまで考えると、頼る相手は一人しか思い浮かばなかった。
三雲対馬守。
朽木のことを調べてくれた、あの男だ。
次に父上の機嫌が悪くない時を選んで、一度相談してみよう。対馬守のところから何人か、俺のために動いてくれる者を預けてもらえないか、と。
それから数日、俺は父上へ話を切り出す機会を窺っていた。別に機嫌が良い日に頼めば何でも許してもらえると思っているわけではない。ただ、評定で揉め事が続いた直後や、難しい書状を何通も読んでいる最中に「甲賀者をください」などと言い出せば、内容以前に面倒そうな顔をされるのは目に見えていた。そうしているうちに、午後の評定が早めに終わった日が来た。父上は部屋へ戻って書付を眺めていたが、眉間に皺も寄っていない。今なら話くらいは聞いてもらえるだろう。そう判断して声を掛けると、父上は書付を脇へ置き、予想していたような顔でこちらを見た。
「今度は何じゃ」
「まだ何も申し上げておりませぬが」
「そなたがその顔で来る時は、大抵何かある」
どういう顔なのだろう。自分では普通にしているつもりなのだが、三年間も似たようなことを繰り返していれば父上にも分かるようになるらしい。
「お願いしたきことがございます」
「ほれ見よ」
父上が小さく笑う。少なくとも機嫌は悪くないようだったので、そのまま続けた。
「対馬守より、甲賀の者を何人か私に預けていただきとうございます」
笑っていた父上の表情が僅かに変わった。反対されたわけでも、驚いた様子を露骨に見せたわけでもない。ただ、先ほどまで息子の思い付きを聞いていた父親の顔から、六角家の当主として話を聞く顔へ変わったように見えた。
「甲賀者を、か」
「はい」
「何に使う」
やはり、そこを聞かれた。俺自身も、この数日間で何度も考えたことだった。
「知るためにございます」
「……知る?」
「先日の朽木の件で、私は何も知りませなんだ。竹若丸が何をしているのかも、朽木に商人が増えていることも、対馬守に調べていただいて初めて知りました。今回は父上にお願い出来ましたが、この先も何か知りたいことが出来るたび、父上や対馬守へ頼んで人を動かしていただくわけには参りませぬ」
「それで、自分の者が欲しいと」
「はい。ただ、敵の城へ忍び込ませたり、人を殺させたりしたいわけではございませぬ。近江で何が起きているのか、商人がどこへ動いているのか、米が高くなったなら何故なのか、どこかで兵を集めているなら本当なのか。噂を聞いた時、それが噂だけなのか確かめられる者が欲しいのでございます」
父上は口を挟まず聞いていた。言いながら、自分でも随分地味な使い方だと思った。忍者と言えば、前世なら敵地への潜入や暗殺、火付けといったものが真っ先に思い浮かぶ。だが、今の俺が欲しいのはそういう者ではない。もっと地味で、もっと頻繁に使う目だった。何処で何が起きているのかを見る。人の話を聞く。確かめる。そして戻ってきて教える。それが出来れば、後は俺が比べればいい。
「戦が始まってから、相手が兵を集めていたと知っても遅うございます。米が無くなってから今年は不作だったと分かっても遅い。誰かが六角に不満を持っていたとして、背いてから知るのでは遅過ぎます。何もかも先に分かるとは思っておりませぬ。ですが、知らぬよりは早く気付ける方が良いかと」
「何人欲しい」
否定されなかったことに少し驚いた。もっと「子供が何を言う」とでも言われるかと思っていた。
「三人ほど」
「少ないな」
「最初から大勢を預けられても、私には使い方が分かりませぬ。それに、どういう報告を頼めば良いのかも、まだ試してみなければ分かりませぬ。まず三人ほどで十分かと」
父上がそこで少し笑った。
「まず、か」
しまったと思った時には遅かった。
「三人で終わらせるつもりではないのか」
「必要であれば増やしたいとは思っております」
「必要であれば、な」
父上の笑みが少し深くなる。どうやら余計なところまで見抜かれたらしい。ただ、俺としても最初から大きな情報組織を作ろうなどと考えているわけではない。三人を預かったところで何が出来るのかすら分からないのだ。まず動かしてみて、何が分かり、何が分からないのかを知る。その上で必要なら増やせばいい。関銭の時と同じで、最初から全部を変えるより、小さく始めた方が失敗した時の傷も浅い。
「分かった」
思ったよりあっさりした返事に、今度こそ驚いた。
「よろしいのでございますか?」
「まだ許したとは言うておらぬ。対馬守の話を聞いてからじゃ。甲賀者は儂の蔵にしまってある道具ではない。そなたが三人欲しいと言ったところで、すぐ三人取り出して渡せるものでもなかろう」
その言葉には頷くしかなかった。俺もそこは気になっていた。甲賀者にもそれぞれ家があり、誰と繋がり、誰に従っているのかという事情がある。前世で抱いていた「忍者」という言葉の印象だけで扱えば、確実に間違える。
父上が人を遣り、三雲対馬守が呼ばれた。先日の朽木の件からそう日も経っていないので、また俺が何か言い出したことには気付いたらしい。部屋へ入って頭を下げた後、俺と父上を交互に見た。
「亀松丸が、そなたに頼みがあるそうじゃ」
「若様が某に?」
視線がこちらへ向く。
「対馬守。頼みがある」
「何なりと」
「甲賀の者を、三人ほど俺に預けてもらえぬか」
三雲は返事をしなかった。驚いたようには見えない。ただ、俺が次に何を言うのか待っているようだった。
「何のためにございましょう」
「知るためじゃ」
父上へ説明したことを、もう一度話した。浅井や高島だけではない。六角の領内で起きていることも知りたい。商人の動き、米の値、道を行き交う人間、家臣たちの領地で起きた揉め事。もちろん全てを三人で調べられるなどとは思っていないし、常に誰かを監視させたいわけでもない。俺が何かについて判断する時、自分のところへ届く噂だけではなく、確かめるための手段が一つ欲しい。そのために三人ほど、普段から俺の頼みを聞いて動いてくれる者が欲しいのだと伝えた。
三雲は最後まで黙って聞き、やがてゆっくり頷いた。
「御考えは分かりました。されど若様、一つお分かりいただきたいことがございます」
「何じゃ」
「甲賀の者は、誰もが同じように使えるわけではございませぬ。人を見ることに長けた者もおれば、山野を歩くことに長けた者もおりまする。商人に紛れるのが上手い者、城や屋敷の内を探ることに慣れた者もおりましょう。それに、我らにも家があり、縁があり、付き合いがございます。若様のお側へ三人置くとなれば、ただ手の空いている者を選ぶというわけには参りませぬ」
「分かっておる。俺も、誰でもよいとは思っていない」
「では、どのような者をお望みで?」
聞かれて、少し考えた。腕の良い者、と答えるのは簡単だ。しかし俺には甲賀者の腕を測る方法がない。潜入が上手いと言われても何を基準にすれば良いのか分からないし、強い者が欲しいわけでもない。ならば、自分に分かる条件から出すしかない。
「対馬守が信を置ける者を頼みたい」
三雲の目が僅かに細くなった。
「某が、でございますか」
「ああ。俺には甲賀のことが分からぬ。分からぬ俺が知った顔をして選んでも仕方あるまい。だから、まずは対馬守が信用出来る者を三人ほど選んでほしい。ただし、出来れば三人とも同じことしか出来ぬ者ではない方がよい」
「違うことを出来る者を」
「一人は人の話を集めるのが得意な者。一人は実際に場所を見て確かめるのが得意な者。それと……もう一人は、俺のところへ戻ってきた時に、何を見たのかきちんと話せる者がよい」
三雲が僅かに笑った。
「最後の者だけ、随分と曖昧でございますな」
「仕方あるまい。俺自身、まだ何が必要なのか分からぬのじゃ」
正直に答えると、父上が横で小さく笑った。三雲も口元を緩めたが、すぐに真面目な顔へ戻った。
「もう一つ。若様のお側へ置くとは申しましても、当面は某の預かりとさせていただきとうございます」
「俺の命では動かぬということか?」
「そうではございませぬ。若様から命を受ければ動かしまする。ただし、危うい命であれば某が止めます。甲賀の者をどう使うかも、初めは某からお教えいたしましょう。それでよろしければ」
少し考えたが、断る理由はなかった。むしろありがたい。俺自身が使い方を知らないと認めたばかりなのだ。いきなり三人渡されて「後は好きにしろ」と言われるより、対馬守が間に入ってくれる方が失敗も減る。
「それでよい。頼む」
「承知いたしました。では、三人選びましょう」
「いつ頃になる?」
「急ぐのでございますか?」
「いや。急いで適当な者を選ばれる方が困る」
「では、少々お時間を」
それで話は終わった。対馬守が下がった後、父上は何も言わず俺を見ていた。
「……何でございます」
「いや。そなたは本当に、妙なものを欲しがると思うてな」
「刀や馬の方がよろしかったでしょうか」
「そちらの方が歳相応ではあるな」
「では、馬もいただけるのでございますか?」
「話を広げるな」
釘を刺されたので黙った。ただ、父上の表情を見る限り、甲賀者を求めたこと自体を悪く思っているわけではなさそうだった。
その日の夕刻、三雲は観音寺を離れる前に一人の女を呼び止めた。まだ若い。少なくとも、長くこの仕事を続けてきた古参には見えない。女は呼ばれた理由に心当たりが無いらしく、僅かに首を傾げながら三雲の前へ座った。
「近頃、御嫡男をよく見ているそうだな」
女の眉が僅かに動いた。
「……誰からお聞きになりました?」
「誰でもよい」
「探っていたわけではございませぬ」
「分かっておる。だから呼んだ」
三雲は女をしばらく眺めてから、何気ない調子で尋ねた。
「どう見えた」
女は少し考えた。何か立派な評を求められているのかとも思ったが、自分が見たのは評定を終えた少年が家臣へ細かなことを尋ね、紙へ何かを書き付けている姿ばかりだ。武勇を示したところも、政の大仕事を成し遂げたところも見ていない。だから、思ったことをそのまま答えた。
「変わった御方かと」
「それだけか」
「……面白いとは思います」
三雲の口元が僅かに上がった。
「ならば、ちょうど良い」
「何がでございます?」
「亀松丸様が、甲賀の者を三人ほど欲しいと申された」
女が目を瞬いた。
「私を?」
「まだそうとは言っておらぬ」
「では、何故その話を私に」
「さてな」
三雲はそれ以上答えなかった。ただ、女の反応を眺めながら、先ほど亀松丸から聞いた言葉を静かに反芻していた。人の話を拾うことに長けた者、実際にその場へ足を運んで確かめられる者、そして戻ってきた時、自分が見聞きしたことを余計な飾りを加えず伝えられる者。まだ幼い六角の嫡男が求めたのは、腕の立つ者でも、敵の懐へ忍び込める者でも、人を斬ることに迷いのない者でもなかった。まず知るための者が欲しいと言った。そのうえで三人で十分とは言わず、「まず三人」と口にした。本人がどこまで意識しているかは分からないが、今だけ使える者を欲しがっているのではなく、この先も自分の手元に情報を集める仕組みそのものを持とうとしているように三雲には思えた。だからこそ、最初の三人を軽々しく決めるつもりはなかった。若様付きという名目だけなら適当な者を選ぶことも出来る。だが、ここで誰を置くかによって、亀松丸が甲賀者をどう見るかも、甲賀の者たちがあの幼い嫡男をどう見るかも変わる。使う側と使われる側、その最初の結び目になる三人なのだ。腕だけでは足りない。亀松丸の妙な問い掛けに面倒がらず付き合え、見たものを見たまま持ち帰り、時には主の考えと違うことでも口に出来る者でなければならない。そう考えた時、三雲の目の前にいるこの女は、少なくとも候補から外す理由のない一人だった。
女の方もまた、三雲の言葉を聞きながら、昼間見掛けた亀松丸の姿を思い浮かべていた。廊下の端で紙を手にし、隣にいた小姓と何やら言い合いながら、それでも最後にはまた紙へ目を落としていた少年。六角の嫡男と聞けば、もっと近寄り難く、周囲の大人たちが何でも先回りして整え、その中で何不自由なく育っている子供を想像していた。実際には少し違った。評定へ出ては分からないことを尋ね、答えが曖昧ならさらに問い、商人が増えた減った、荷が多い少ないと、他の子供なら気にも留めないようなことを気にしている。そのくせ、何もかも分かった顔をしているわけではない。父親に窘められれば素直に引き、小姓に呆れられても腹を立てる様子はなく、分からないことがあれば本当に分からないまま考え続けている。噂だけを聞いた時には、ませた子供なのだろうと思っていた。何度か姿を見てからは、その言葉では少し足りない気がしている。変わった御方。それは間違いない。だが、何がどう変わっているのかと問われれば、まだ上手く言葉には出来なかった。
そして今、その少年が甲賀の者を三人、自分の側へ置きたいと願い出たという。誰かを斬らせるためでも、他家の城へ忍ばせるためでもなく、知るために。そこが何より女の興味を引いた。甲賀者を欲しがる武家など珍しくない。だが、多くは敵の動きを探れ、内情を盗め、必要なら邪魔な者を消せと求めるものだ。それを、まだろくに甲賀のことも知らぬ少年が「まずは知りたい」と言った。その言葉が本心なのか、幼いがゆえの甘さなのか、それとも自分たちがまだ知らない別の考えがあるのかまでは分からない。三雲が自分を呼んだ以上、候補の一人として見られているのだろうとは察したが、それを嫌だとは思わなかった。むしろ本当に亀松丸の側へ置かれるのであれば、これまで廊下の端から眺めていただけでは分からなかったものが見えるかもしれない。あの少年は、何故あれほど数字や人の流れを気にするのか。何を知ろうとして、知った先に何をしようとしているのか。もう少し近くで見てみたい。そう思っている自分に気付きながらも、女はそれを三雲へ伝えることはせず、ただ何も決まっていない者らしく静かに頭を垂れていた。