淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

12 / 15
第十一話「自分の目」ー中編ー

 三雲対馬守が再び姿を見せたのは、それから五日ほど経った後だった。今度は一人ではない。父上の部屋へ呼ばれて向かうと、対馬守の後ろに三人の男女が控えていた。一人は三十をいくらか過ぎたように見える男で、日に焼けた顔と固い手をしている。もう一人はそれより少し年嵩で、どこにでもいる商人と言われればそのまま信じてしまいそうな柔らかな顔つきの男。そして最後の一人が、三人の中では明らかに若い女だった。歳までは分からないが、少なくとも他の二人より随分若く見える。三人とも刀を目立つように帯びているわけでもなく、俺が前世で「忍者」と聞いて思い浮かべていたような黒装束など当然着ていない。言われなければ、これが甲賀者だとは気付かなかっただろう。

 

「若様。先日のお話の三名にございます」

 

 対馬守に言われ、改めて三人を見る。選んでほしいと頼んだのは俺だが、いざ目の前へ連れてこられると何を見れば良いのか分からなかった。千代丸を初めて紹介された時なら、平井加賀守の嫡男というだけである程度の立場は理解出来た。だが、この三人について俺が知っていることは何もない。顔を見ただけで潜入の腕が分かるはずもなく、歩き方を見て「こいつは出来る」と判断出来るほど俺は忍びに詳しくない。結局、今の俺に出来るのは対馬守が選んだという事実を信用することだけだった。

 

「この者は山野を歩き、道を見ることに長けておりまする。こちらは商人や旅人の中へ入ることを得意としております。そして――」

 

 対馬守の視線が最後の女へ移る。

 

「この者は、人を見ることに長けております」

 

 妙に曖昧な説明だった。他の二人は何となく仕事が想像出来る。道を調べる者と、人の中へ紛れて話を集める者。だが、「人を見る」とは何をするのか。顔色を読むということなのか、それとも相手の言葉の嘘を見抜くという意味なのか。分からないまま女を見ると、ちょうど向こうも俺を見ていた。目が合っても慌てて伏せることはなく、ほんの僅かに目を細めただけだった。

 

 その視線に、何故か引っ掛かるものがあった。

 

「……俺と会ったことがあるか?」

 

 女が一瞬だけ対馬守を見る。それからこちらへ戻した。

 

「お話ししたことはございませぬ」

 

「話したことは、ということは見たことはあるのか」

 

「はい。何度か」

 

「どこでじゃ」

 

「評定の後などに」

 

 思わず黙った。俺の記憶には無い。評定が終わった後なら千代丸と話していたこともあるし、家臣に分からなかったことを聞いていたこともある。そんな時、この女が近くにいたということなのだろう。それなのに俺は一度も気付いていない。

 

「何故見ていた?」

 

「興味がございましたので」

 

 あまりにも素直な答えに、今度は父上が僅かに眉を上げた。対馬守は特に驚いていない。どうやら既に知っていたらしい。

 

「俺に?」

 

「六角の御嫡男は変わった御方だと聞いておりました。幼い頃から評定へ出られ、関で取る銭や、道を通る商人の数ばかり気にしておられると」

 

「ばかりではない」

 

「左様でございますか」

 

 声は真面目だったが、ほんの少しだけ面白がっているようにも聞こえた。

 

「……それで見ていたのか」

 

「はい」

 

「誰かに命じられたのではなく?」

 

「ございませぬ」

 

 俺は対馬守を見る。対馬守が小さく頷いた。嘘ではないらしい。

 

 不快かと聞かれれば、多少は気味が悪かった。自分が気付かないところから何度も見られていたのだから当然だ。だが、それ以上に興味が湧いた。俺が評定で何をしているかを、父上や家臣が知っているのは当たり前だ。千代丸ならいつも隣にいる。だが、この女はそのどちらでもなく、俺が存在に気付かないまま何度か姿を見ていた。そして、少なくとも俺は今まで一度もその視線に気付かなかった。

 

 人を見ることに長けている。

 

 対馬守がそう言った意味を、少しだけ理解した気がした。

 

「俺を見て、どう思った?」

 

 今度は女が僅かに迷った。父上と対馬守の前で、六角家の嫡男について好き勝手なことを言って良いものか考えているのだろう。

 

「構わぬ。申してみよ」

 

 父上が助け舟を出すと、女は頭を下げた。

 

「変わった御方だと思いました」

 

「それは先ほど聞いた。他には?」

 

「……思っていたより、普通の御方でございました」

 

 今度こそ父上が吹き出した。

 

「普通?」

 

「はい。もっと恐ろしい御方かと」

 

「何故そうなる」

 

「幼い頃から評定へ出て、家臣にあれこれ尋ねている御嫡男と聞けば、近寄り難い御方を想像いたします」

 

 随分な噂になっているらしい。

 

「実際には?」

 

「小姓の方に呆れられておられました」

 

 千代丸。

 

 あいつ、他人から見ても俺に呆れていたのか。

 

 父上が笑いを堪えるのをやめたので、それ以上聞くのを止めた。何となく、このまま続ければ俺にとって嬉しくない話ばかり出てきそうな気がする。

 

「対馬守。この三人でよい」

 

「もうお決めになられるので?」

 

「俺には比べる相手がおらぬ。三人を見て誰が優れているかなど分からん。それなら、お前が選んだことを信じる方がよい」

 

 下手に知ったふりをして選び直すより、その方がましだ。それに、実際に使ってみなければ分からない。人を見ることに長けているという女が、本当に俺の求める働きをしてくれるかも同じだった。

 

「では、この三名を当面若様付きとして動かしまする。ただし、先日申し上げました通り、某の下にも置かせていただきます」

 

「ああ。それでよい」

 

「最初のお役目は如何なさいます?」

 

 そう聞かれて、ここ数日考えていたことを思い出した。浅井を調べさせるか、高島を見させるか、あるいは朽木についてもっと詳しく探らせるか。調べたい場所ならいくらでもある。だが、いきなり遠くへ出して、戻ってきた報告が正しいのか間違っているのか判断出来なければ意味がない。

 

「三人とも、同じことを調べてくれ」

 

 三人の表情が僅かに変わった。対馬守も怪訝そうに俺を見る。

 

「同じことでございますか?」

 

「ああ。先日の評定で話に出た、湖東を通る商人のことじゃ。以前使っていた道を通る者が減っているという話があった。何故減ったのか、それぞれ調べてほしい」

 

「三人が、別々に?」

 

「そうじゃ」

 

 対馬守は少し考えた後、俺の意図を探るように尋ねた。

 

「一人で調べれば済むことではございませぬか」

 

「俺はまだ、この三人がどういう報告を持ってくるのか知らぬ。同じものを三人が見れば、同じところを見るのか、それとも違うものを見るのかが分かる。まずそれを知りたい」

 

 対馬守の目が僅かに細くなった。父上も何も言わずこちらを見ている。

 

「それに、三人とも同じ答えを持ってくるとも限らぬだろう」

 

 道を見る者なら、道そのものを見る。商人へ紛れるのが得意な者なら、人から話を聞くだろう。そして人を見ることに長けているというこの女なら、また違うところを見るかもしれない。誰の方法が正しいかを決めたいわけではない。同じ出来事を違う方向から見た時、どれほど違う情報が出てくるのかを俺自身が知っておきたかった。

 

「期間は?」

 

「急がぬ。だが、出来れば十日ほどで一度戻ってきてくれ。分からなければ分からぬでよい。無理に答えを作るな」

 

 三人が揃って頭を下げた。

 

「承知いたしました」

 

 こうして、俺が初めて自分で頼んだ調べ事が始まった。

 

 もっと大きなことを頼むべきだったのかもしれない。せっかく甲賀者を三人も預けてもらったのだから、浅井や朽木を探らせた方が有益だったのではないかとも思った。だが、使い方も分からない道具をいきなり重要な場所へ持ち込む気にはなれなかったし、そもそも彼らは道具ではない。俺が彼らのことを知らないのと同じように、彼らも俺が何を求めているのか知らない。最初は互いに慣れるところから始めればいい。

 

 それから八日ほどは、特に何も起こらなかった。三人が何処で何をしているのか、俺には分からない。毎日のように報告へ来るわけでもなく、途中経過を知らせてくることもなかった。最初の二、三日は気になったが、考えてみれば調べている最中なのだから当然だった。俺はいつも通り評定へ出て、千代丸と帳面を眺め、時折父上から問題を出されるように六角のことを考えた。

 

 そして九日目の夕刻、最初の一人が戻った。

 

 道を見ることに長けているという男だった。

 

 結論から言えば、道そのものに大きな問題は無かった。橋が落ちたわけでも、大きな崩れが起きたわけでもない。近頃その周辺で盗賊が増えたという話も確かめられず、旅人が避けなければならないほど危険になった形跡はないという。

 

 翌日、二人目が戻った。

 

 商人へ紛れることを得意とする男の報告では、確かに別の道を選ぶ商人が増えていた。ただし理由を尋ねても答えはまちまちで、「最近あの辺りは危ないと聞いた」「面倒事が起きているらしい」「別の道の方が安全だと言われた」といった曖昧な話ばかりだった。実際に襲われた者や、揉め事へ巻き込まれた者には会わなかったという。

 

 二つの報告を並べたところで、俺は妙な違和感を覚えた。

 

 道は危なくない。

 

 だが、危ないと思っている者は多い。

 

 なら、その「危ない」という話はどこから出た?

 

 三人目が戻ったのは、その日の暮れだった。

 

 若い女は俺の前へ座ると、対馬守が同席していることを確認してから、静かに頭を下げた。九日前と比べても特に疲れた様子はない。ただ、その目だけは初めて会った時より少し鋭く見えた。

 

「どうであった?」

 

「若様。一つ、妙なことがございました」

 

 その言葉に、自然と姿勢が正された。

 

「申せ」

 

「皆、同じことを申しまする。あの道は危ない、揉め事が増えた、別の道を使った方が良い、と」

 

「それは二人からも聞いた」

 

「はい。ですが――」

 

 女が僅かに間を置いた。

 

「話す者によって言葉が違うはずなのに、その噂だけは妙に言い回しが似ております」

 

 部屋の空気が少し変わった気がした。

 

「どういう意味じゃ」

 

「最初は、同じ噂を聞いた者同士だから似るのだと思いました。ですが、村も違えば、聞いた相手も違います。それなのに『あちらでは揉め事が増えた』『荷を持って通るのは危ない』『別の道を使った方が良い』と、同じ順に話す者が何人もおりまする」

 

 俺は黙って聞いた。

 

「それで?」

 

「元を辿りました」

 

「分かったのか」

 

 女はすぐには答えなかった。

 

 その僅かな間に、先ほどまでただの商人の噂だったものが、急に別の形を持ち始める。

 

「全てではございませぬ。ですが、少なくとも幾つかは同じところから広がっております」

 

「どこじゃ」

 

 女は俺ではなく、一度だけ対馬守を見た。

 

 対馬守の顔から、先ほどまでの穏やかさが消えた。

 

 それを見た瞬間、胸の奥に嫌な予感が生まれた。

 

「申してよい」

 

 対馬守の許しを得て、女が再び俺へ向き直る。

 

「六角の内にございます」

 

 思わず息を止めた。

 

「……六角の?」

 

「はい」

 

 外から仕掛けられた話ではない。

 

 少なくとも今見えている限りでは、六角の側から出ている。

 

 俺が欲しいと思ったのは、自分の目だった。

 

 そして初めてその目が持ち帰ったものは、俺が見たかったものではなかった。

「どこじゃ」

 

 そう尋ねると、女はすぐには答えず、一度だけ対馬守へ視線を向けた。その動きはほんの僅かなものだったが、それまで静かに報告を聞いていた対馬守の表情から、先ほどまでの穏やかさが消えるのが分かった。何か、俺にそのまま伝えてよいのか判断を仰ぐ必要がある内容なのだろう。そう思った瞬間、胸の奥に嫌な予感が生まれた。もし単に噂の出どころが遠国の商人や旅人だったのなら、女がわざわざ対馬守へ確認する必要はない。六角にとって無視出来ない相手か、あるいはもっと身近な場所に関わる話なのではないか。そこまで考えたところで、対馬守が低い声で言った。

 

「申してよい」

 

 許しを得た女は、再び俺の方へ向き直った。先ほどまでと同じ落ち着いた様子だったが、その一言を口にする前に僅かに間があった。

 

「六角の内にございます」

 

 思わず息を止めた。外から誰かが仕掛けているのではない。少なくとも今この場で分かっている範囲では、噂は六角の領内から広がり始めているということになる。もちろん、それだけで六角家中の誰かが意図的に動いていると決めつけることは出来ない。商人が勝手に話を広めたのかもしれないし、誰かが六角領内の者を利用しただけかもしれない。それでも、自分の足元から出ている可能性があるという事実だけで、話の重さは一気に変わった。

 

「……六角の?」

 

「はい」

 

 女は短く答えた。その一言を聞きながら、俺は自分が何を期待していたのかに気付いた。甲賀者を三人預けてもらった時、俺は自分の目が欲しいと思った。父上や対馬守を通さず、自分で確かめられる目。外で何が起きているのかを知り、危険が近付く前に気付けるための目。どこかで、そうして得られる情報は自分にとって都合の良いものになると無意識に思っていたのかもしれない。浅井が兵を動かしている、高島で何か揉めている、どこかの商人が怪しい。そういう「外にある問題」を見つけてくれるものだと。

 

 だが、最初にその目が持ち帰ったものは違った。六角の内。自分たちの側から生まれているかもしれない問題だった。外敵なら警戒すればよい。相手が誰か分かれば、それに備えることも出来る。だが、自分たちの中から何かが生まれているのであれば、話はもっと複雑になる。誰かが不満を抱えているのかもしれない。商売上の利害がぶつかっているのかもしれない。あるいは、もっと単純な理由で噂が広まっただけかもしれない。何も分からないからこそ、今ここで答えを急ぐべきではなかった。

 

「誰だ」

 

 それでも、口から出たのはその問いだった。誰が始めたのか。誰が広げたのか。名前が分かれば安心出来る気がしたのかもしれない。だが、女は慌てることもなく、静かに首を振った。

 

「そこから先は、まだ確かめておりませぬ。幾つか同じところへ繋がる話はございますが、誰が最初に始めたのか、誰かが意図して流したのかまでは掴めておりませぬ」

 

 その返事を聞いた時、不思議と落胆はしなかった。むしろ、そこでようやく自分が何を求めていたのかを少し理解した気がした。俺が欲しかったのは、聞きたい答えを持ってきてくれる者ではない。分からないことは分からないと言い、見えたものだけをそのまま持ち帰ってくれる目だ。都合の悪いことを隠さず、確かでないことを確かだと言わない。そうでなければ、いくら人を増やしても意味がない。

 

 知るということは、欲しい答えを聞くことではない。外にいる敵を見つけることだけでもない。自分の思い込みと違うものが出てきても、それを見なかったことにせず受け止めることなのだ。そして、自分の目を持つということは、見たくなかったものまで見えるようになるということでもある。最初に持ち帰られたこの報告は、俺にそのことを思い知らせるには十分だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。