見たくなかったものまで見る。それが「知る」ということなのだと頭では理解したつもりになったが、実際に自分のところへ戻ってきた最初の報告が「六角の内から広がった噂かもしれない」というものだったことで、俺は少なからず動揺していた。ついさっきまで、甲賀者を三人預けてもらったことにどこか浮ついた気持ちが無かったと言えば嘘になる。自分で情報を集める手段を持った。これでもう、何かを知りたいと思うたびに父上へ頼まなくてもよいのではないか。そんな期待があった。それなのに、最初にその目が拾ってきたものは、外ではなく自分の足元へ向いていた。
「六角の内というのは、六角の者が噂を流しているということか?」
思わずそう尋ねると、女はすぐには頷かなかった。
「そこまでは申し上げておりませぬ」
「だが、先ほど六角の内からと」
「はい。今のところ分かっておりますのは、噂の幾つかが六角の領内から広がったらしいというところまでにございます。六角家中の者が意図して流したものか、領内の商人が勝手に広めたものか、それとも別の誰かが六角の内を使っただけなのか。そこはまだ分かりませぬ」
その言葉を聞いて、胸の内に生まれかけていた疑念が僅かに冷えた。危うく「六角の中に裏切り者がいる」というところまで、一足飛びに考えるところだった。女が持ち帰ったのは、噂の出どころが領内にあるらしいという事実だけであって、その理由も主もまだ分かってはいない。自分で散々、仮定と結論を混同するなと考えてきたくせに、いざ嫌な情報が目の前へ出てくると簡単に先走りそうになる。知識があることより、自分の感情を抑える方が難しいのかもしれない。
「……そうじゃな。今のは俺が先に考え過ぎた」
そう言うと、女の目が僅かに動いた。何か意外なものを見たようにも思えたが、表情そのものはほとんど変わらない。
「それで、どこまでは辿れた?」
「商人が二人、同じ宿でその話を聞いております。別の村で聞いた者もおりますが、その者へ話したのも商いをする男だったと。名まではまだ掴めておりませぬ。ただ、いずれも似た道筋を通っておりまする」
「同じ場所を通った者にだけ、同じような噂が入っているということか」
「その可能性はございます」
そこで俺は、先に戻ってきた二人の報告を改めて思い返した。道そのものには問題がない。盗賊が増えた形跡もない。それでも商人たちは「危ない」と思って別の道へ流れている。そして、その根拠となっている話の言い回しが妙に似ている。偶然で片付けるには少し出来過ぎているが、だからといって誰かが意図的に商人を動かしていると決めつけるにはまだ材料が足りない。ならば、必要なのは答えを急ぐことではなく、三つの情報をもう一度重ね直すことだ。
「対馬守」
「はっ」
「三人を、もう一度同じ件へ向けたい」
「続けてお調べになりますか」
「ああ。ただし、今度はそれぞれ見るものを分ける。道を見た者には、商人が避け始めた道と、逆に増えた道を見てもらいたい。どこからどこへ荷が移ったのかを知りたい。商人へ紛れた者には、実際に道を変えた者へ話を聞いてもらう。誰から最初に危ないと聞いたのか、出来るだけ辿ってほしい。そして、この者には噂そのものを追ってもらう。同じ言い回しがどこまで広がっているのか、最初に聞いた場所が重なるのかを見てくれ」
三雲は俺の言葉を聞きながら、僅かに目を細めていた。最初の時と違い、三人へ同じことを調べさせるのではなく、同じ問題を別の角度から見せる。自分でも、少しずつ使い方が見えてきた気がする。ただ、そこで一つ気になった。
「それと、誰がやったのか分かっても、すぐには手を出すな」
三人のうち二人が僅かに顔を上げ、若い女は黙ったままこちらを見た。
「理由が分からぬうちは、相手が敵かどうかも分からん。商売のために勝手な噂を流しただけかもしれぬし、誰かに頼まれたのかもしれぬ。もし六角の誰かが関わっていたとしても、その者なりの理由があるやもしれん。まずは知りたい。止めるかどうかは、それから決める」
「承知いたしました」
返事をしたのは三雲だった。それから三人も頭を下げた。そこで父上が、しばらく黙って聞いていたことに気付いた。何も言わないので許されているのだろうと思っていたが、ふと視線を向けると、妙に面白そうな顔をしてこちらを見ていた。
「何でございます」
「いや。自分の目が欲しいと言うた割には、随分と慎重じゃと思うてな」
「三人とも、まだ預かったばかりでございます。それに、見えたからといって正しいとは限りませぬ」
「なるほどな」
「一人の話だけを信じれば、その一人が間違えた時に私も間違えます。三人が違うものを見て、それでも同じところへ辿り着くのであれば、少しは信用出来るかと」
父上は返事をせず、しばらく俺を見てから小さく笑った。
「ならば覚えておけ。目が増えれば、それだけよく見えるとは限らぬ」
「どういうことでございます?」
「見る者が増えれば、違うものも見える。違うことを言う者も出る。その時に何を信じるかを決めるのは、目ではない。そなたじゃ」
その言葉は、思った以上に重かった。情報を集めれば答えが出ると思っていたところが、まだ自分の中にあったのかもしれない。だが三人が三つ違う答えを持ってきた時、最後に選ぶのは俺だ。数字なら比べられる。だが、人の言葉や噂は必ずしも同じ形にはならない。それでも決めなければならない時が来る。父上はそれを、この場で先に教えようとしているのだろう。
「心得ます」
「ならばよい。対馬守、続けさせよ。ただし亀松丸の遊びで家中を掻き回すようなことにはするな」
「心得ておりまする」
「遊びではございませぬ」
「分かっておる。だから釘を刺しておるのじゃ」
父上にそう返され、それ以上は言えなかった。三雲たちが下がっていく中、若い女だけが一度こちらを振り返ったように見えた。ほんの一瞬だったので気のせいかもしれない。だが、その目には最初に会った時のような単純な興味とは少し違うものが混じっているように感じた。
次の報告が来たのは、それから六日後だった。今度は三人が別々に戻ってくるのではなく、対馬守と共に揃って俺の前へ座った。その時点で、何かが分かったのだろうと察した。父上も呼ばれていたが、口を挟まず俺に任せるつもりらしく少し離れたところに座っている。
「順に聞こう。まず道は?」
最初の男が頭を下げた。
「商人が減りました道に異常はございませぬ。ただ、そちらから外れた二つの道で荷が増えております。特に一方は、以前より明らかに多くなっておりまする」
「どこへ繋がる?」
男が答えた場所を聞き、俺は頭の中の地図を思い浮かべた。完全に理解出来ているわけではない。それでも、以前に関銭を調べた時に見た道筋と近いことには気付いた。
「次は?」
二人目の男が続けた。道を変えた商人を幾人か辿ったところ、彼らの多くは同じ宿場や市を経由する者から「そちらへ回った方が良い」と聞いていたという。理由はやはり治安だったが、実際に危険を見た者はほとんどいない。さらに話を辿ると、その噂をよく口にしている商人が数人いることまで分かった。ただし、その者たちが互いに繋がっているのかまでは掴めていない。
「最後は?」
若い女が一歩前へ出た。
「噂が広がり始めました時期を追いました。はっきりした日は分かりませぬが、商人が道を変え始めるより少し前に、ある市で似た話が増えております。そして、その市へ出入りする者の中に、同じ言葉を繰り返していた者が少なくとも二人おりまする」
「その二人は誰じゃ」
「一人は商人。もう一人は荷を運ぶ者にございます。どちらも、その市をよく使っております」
「誰かに雇われている?」
「まだ分かりませぬ。ただ――」
女は一度言葉を切り、俺ではなく三雲を見る。三雲が小さく頷いた。
「二人とも、ある関を通る商人と深く付き合っております」
「関?」
「はい」
その名を聞いた瞬間、何かが頭の奥で繋がった。
聞き覚えがあるどころではない。
俺自身が、三年前に何度も帳面で見た場所だった。
関銭を下げた試みを始めてから、通る商人が減った別の道。その先にある関の一つだった。
部屋の中が急に静かになったように感じた。もちろん実際には外で蝉が鳴いているし、誰かの衣擦れの音も聞こえる。ただ、俺の意識がそこだけへ集中してしまった。
俺が一つの関で銭を下げた結果、商人の流れが変わった。商人が増えた場所があれば、当然減った場所もある。そのこと自体は三年前に父上から教えられていたし、実際に不満が出たことも知っていた。
だが。
もし今回の噂が、その時に減った側から出ているのだとしたら。
俺が三年前に動かしたものが、形を変えて今戻ってきていることになる。
成功したと思っていた関銭の試み。その裏側で、誰かが損をし、その損を取り戻すために別の手を使ったのだとすれば――。
「若様?」
女の声で我に返った。
「……対馬守」
「はっ」
「三年前の帳面を持ってきてくれ。関銭を変えた後、道ごとの商人と荷駄の数を比べたものだ」
三雲が僅かに眉を動かした。
「何かお心当たりが?」
「あってほしくはない」
口にしてから、自分でも妙な言い方だと思った。それでも、それが正直な気持ちだった。
「だが、もし俺が考えている通りなら――今回のことは、今始まった話ではない」
三年前。
俺が初めて「上手くいった」と喜んだ、あの関銭の試み。
その結果を、俺は増えた側からしか見ていなかったのかもしれない。
三年前の帳面が運び込まれるまで、それほど時間は掛からなかった。関銭の試みを始めた頃、俺が何度も開いて数字を書き足させたものだ。紙の端には当時の自分が意味を確認するために付けた印まで残っている。それを目の前へ広げ、今の報告と照らし合わせていく。試みに使った関では商人も荷駄も増えている。その周辺の市でも人の出入りが増え、結果だけを見れば成功と呼んでいい。だが、商人は何もないところから生えてきたわけではない。新しく近江へ入ってきた者もいたのだろうが、別の道から移ってきた者もいる。三年前の俺もその程度のことは分かっていたから、他の道についても数を取らせていた。そして帳面には、今回名前の出た関を通る商人が試みの後から減っていることも、確かに残っていた。
「……ここじゃ」
指で数字を追いながら呟くと、隣にいた父上が帳面へ目を落とした。
「覚えておらなんだか」
「減ったことは覚えております。ただ……」
言葉が途中で止まった。忘れていたわけではない。あの時も、俺の試みで商人が増えれば別の場所から不満が出ることを父上から教えられた。それで周囲の道も調べたし、関を預かる者たちがどう思っているのかも聞いた。だが、俺が一番見ていたのは試みをした関で商人が増えたか、市が活発になったか、全体として銭が動くようになったかということだった。減った側についても「影響が出た」と認識はした。けれど、その影響を受けた人間がその後どうなったのかまでは追っていない。試みが終わり、一定の結果が出たところで、俺の関心は次のことへ移っていた。
「この辺りの記録は、その後もあるか?」
尋ねると、父上ではなく控えていた家臣が答えた。関そのものの上がりについては残っているが、俺が当時やらせたような商人や荷駄の細かな数までは継続して取っていないという。必要が無くなったと判断されたのだろう。それを責める気にはなれなかった。そもそも、あれは俺が試すために始めさせた記録だ。
「では、市の方は?」
「そちらも詳しい数までは。ただ、以前ほど商いが盛んではないとの話はございまする」
そこまで聞いたところで、若い女が静かに口を開いた。
「若様。噂を流していたと思われる者たちが出入りしております市も、そちらにございます」
帳面から顔を上げる。
「この関を使う者たちか」
「はい。正しくは、この関を通る商人を相手に商いをする者たちにございます。宿、馬、荷を運ぶ者、食を売る者。道を通る人が減れば、その者たちも困りましょう」
言われてみれば当たり前だった。関を通る商人が減る。それは関銭が減るだけではない。宿に泊まる者が減り、馬を借りる者が減り、飯を食う者が減り、荷を運ぶ仕事も減る。俺は三年前、試みをした場所でその逆を見た。商人が増えれば市へ落ちる銭も増える。だから成功したと思った。なら、別の道では同じことが反対向きに起きていたはずなのだ。
数学なら、片方が増えれば片方が減ったと数字で分かる。だが、この世界で減っているのは数字だけではない。その数字の向こうに、生活している人間がいる。
「父上は、このことを分かっておられたのでございますか」
思わず尋ねると、父上は少し考えてから答えた。
「ここまでのことは知らぬ。儂も一つ一つの関や市の者が、その後どう暮らしておるかまで見てはおらぬからな。ただ、そなたが一つを動かせば一つだけが動くわけではないとは申したはずじゃ」
「はい」
「それでもやらせた。何故か分かるか」
問われて、すぐには答えられなかった。父上は結果を予想していたのだから止めればよかった、と一瞬思った。だが、それでは俺は何も学べない。何より、実際に試みたことで得たものもある。商人が増え、市が活発になった。それ自体まで間違いだったわけではない。
「……良くなるものもあったから、でございますか」
「それもある。何かを変えれば、得をする者も損をする者も出る。それを恐れて何もせねば、何も変わらぬ。問題は、損をする者が出ることではない」
父上は一度そこで言葉を切り、帳面を指で軽く叩いた。
「そなたが、その者たちを見ておらなんだことじゃ」
胸に刺さった。
「増えた商人は数えた。増えた荷も数えた。市で使われる銭も見た。それで成功したと思うた。だが、減った者たちが三年後に何をしておるかまでは見なんだ。違うか?」
「……違いませぬ」
認めるしかなかった。自分では比べているつもりだった。変化を見るため、試した場所とそうでない場所を比べた。それでも、その比較は「この政策に効果があるか」を確かめるためのものだった。効果があると分かった後、その影響を受けた人間まで追い続けてはいない。数学の問題なら答えが出れば終わる。だが、政は答えを出した後も人間が生き続ける。
「では、どうする」
父上の問いが来ることは分かっていた。
俺は帳面と三人の報告を見比べた。噂が意図的に流されたのなら、それは放置出来ない。実際には危険ではない道を危険だと思わせ、商人の流れを変えている。六角領内の商いに余計な歪みを作る行為だ。しかし、その者たちが単純に六角へ害を与えたくてやったのかと言えば、おそらく違う。自分たちの市へ客を戻したかった。商いが減り、仕事が減り、それをどうにかしたかった。そのために嘘に近い噂を利用したのだとすれば、理解出来ることと許してよいことは別だった。
「まず、噂を止めます」
「どうやってじゃ」
「噂を流した者を捕らえて終わりにはしたくありませぬ。まだ誰が始めたかも確かではございませぬし、その者だけを止めても、困っている理由が残れば別の者が似たことをするかもしれませぬ。ですが、嘘で商人を動かすことを放置するのも違います」
「では?」
「その関と市について、もう一度調べとうございます。三年前からどれほど商いが減ったのか、今どれほど困っているのか。それから、その道を再び使う理由を作れないか考えます。ただし、こちらの関銭を元へ戻して、商人を無理に戻すつもりはございませぬ」
父上の目が少し細くなる。
「何故じゃ」
「それでは、今度はこちらで増えた商いを壊します。片方を元へ戻すために、もう片方を元へ戻していては同じことの繰り返しになります」
答えながら、ようやく考えがまとまってきた。道を通る理由は関銭だけではない。市に欲しい物がある、宿が使いやすい、馬を替えられる、別の土地へ行くのに便利だ。ならば、商人を奪い合う以外にも出来ることはあるかもしれない。前世の知識を持ち込んで大掛かりな新しい商売を始めなくても、その土地が元々持っているものを調べれば何か見つかる可能性はある。
「その土地で何が出来るかを見る、か」
父上が俺の考えを読んだように言った。
「はい。ただ、それで本当にどうにか出来るかは分かりませぬ」
「それでよい。分からぬうちから出来ると言う者の方が信用ならん」
父上はそう言うと、若い女を含めた三人へ視線を向けた。
「亀松丸の言う通り調べよ。だが、今度は噂だけではない。市と、その周りに暮らす者を見てこい。何を売り、何を買い、何で銭を得ておるのか。それが三年前からどう変わったか、分かる範囲でよい」
三人が頭を下げる。俺が命じる前に父上が指示を出したことへ不満は無かった。むしろ、今の俺では思い付かなかった部分まで補ってもらえた気がした。
「それと」
俺は若い女を見る。
「噂を流した者についても、引き続き調べてくれ。ただし、気付かれるな。誰が悪いかを決めるためではない。何故そうしたのかを知りたい」
「承知いたしました」
女はいつものように短く答えたが、その目は以前よりこちらを真っ直ぐ見ていた。最初に会った時は、俺を珍しいものでも見るような目だった。それが今は、何かを測っているように感じる。自分が評価されているのだろうかと思ったが、聞くのも妙なのでそのままにした。
三雲たちが下がった後、父上は帳面を閉じずにそのまま俺の前へ置いた。
「これは捨てるな」
「捨てるつもりはございませぬが」
「なら、時々見返せ。新しい帳面ばかり作っておると、昔の自分が何を見落としたか忘れるぞ」
その言葉に、少しだけ苦笑した。前世でも、生徒が間違えた問題を消して正しい答えだけを書き直していると注意したことがある。どこで間違えたのかを残しておかなければ、また同じところで間違えるからだ。まさか今度は父上から、自分自身について同じことを言われるとは思わなかった。
「父上」
「なんじゃ」
「三年前、私が増えた商人を見て喜んでいた時、こうなると思われていたのでございますか」
「ここまで具体的には思うておらぬ。だが、誰かが得をすれば面白く思わぬ者が出ることくらいは分かっておった」
「なら、教えてくだされば」
そこまで言って、自分で止めた。
父上が笑う。
「教えてほしかったか?」
「……いいえ」
答えながら、少し悔しくなった。だが本当に、その時に全て教えられていたら今ほど身には染みなかっただろう。
「そなたは知りたがる。数を欲しがり、理由を欲しがり、分からぬことをそのままにしておくのを嫌う。それは悪いことではない。だがな、亀松丸」
「はい」
「見えるものが増えるほど、自分が正しいと思いやすくなる。そこは気を付けよ」
返事をするまでに少し時間が掛かった。自分の目が欲しいと思った。父上から聞いたものだけではなく、自分で確かめられるものが欲しかった。それ自体は間違っていないと思う。だが、自分で集めた情報だから正しいわけではないし、三人が持ち帰った話を並べたからといって、そこから出した俺の答えまで正しいとは限らない。
「覚えておきます」
そう答えると、父上はそれ以上何も言わなかった。
その夜、三年前の帳面を自室へ持ち帰った。千代丸が横から覗き込み、また昔の帳面を見ているのかと不思議そうにしていたが、事情を説明すると少し黙った後、「若様が珍しく御自分の失敗を調べておられるのですね」と言ったので頭を軽く叩いておいた。失敗と決まったわけではない、と言い返したものの、自分でも以前ほど強く否定する気にはなれなかった。成功した部分は確かにある。だが、その成功だけを見て終わったことが失敗だったのかもしれない。
紙の上に残された三年前の数字を眺めながら、俺は改めて思った。情報が足りなければ、間違える。だが、情報が増えれば間違わなくなるわけでもない。見えるものが増えれば、今度は何を見るべきかを選ばなければならなくなる。その選び方を間違えれば、目がいくつあっても同じだ。
俺は自分の目が欲しかった。
そしてようやく手に入れた目が最初に見せてきたものは、外敵でも未来の脅威でもなく、三年前の自分が置き去りにしていたものだった。
それなら、まずそこから見直すしかない。
窓の外では夜の虫が鳴いていた。机の上には三年前の帳面と、今日届いた三人分の報告が並んでいる。その二つを見比べながら、俺は初めて、自分の目を持つということの意味を少しだけ理解し始めていた。