梅酸丸を作った翌朝、俺は真っ先に昨日残しておいたものを口へ入れた。作った直後には程よく柔らかく、噛めば水飴の甘みの後から梅の酸味と塩気が追ってきたはずなのだが、一晩置いただけで随分と様子が違う。食べられないほどではないものの、昨日より明らかに固く、表面も乾いている。隣で同じものを口へ入れた千代丸も、何度か噛んだ後で微妙な顔をした。
「昨日より固うございますな」
「やはりそう思うか」
「昨日の方が美味しゅうございました」
「正直で結構じゃ」
売るつもりなら、作った直後だけ美味くても意味がない。朝作ってその日のうちに城内で食べ切るだけなら構わないが、市へ運び、商人に預け、誰かが買うまで置かれるとなれば一日や二日は持ってくれなければ困る。さらに、夏と冬で固まり方も変わるだろうし、水飴の量を増やせば柔らかくなる代わりに手へ付きやすくなる。米の粉を増やせば形は保ちやすいが、口当たりが悪くなる。昨日は「食べられるものが出来た」と喜んだが、商いにしようと考えた途端、調べることが一気に増えた。
そこで、昨日と同じ材料を使いながら割合を少しずつ変え、三種類作らせることにした。水飴を少し多くしたもの、昨日と同じもの、米の粉を僅かに増やしたもの。梅の量まで一緒に変えてしまえば、何が原因で違いが出たのか分からなくなるので、そこだけは揃える。前世で実験と呼べるほど立派なことをしていたわけではないが、一度に一つだけ条件を変える程度のことなら数学教師でも知っている。
「若様。また数字を書いておられますな」
「書かねば、どれがどれか分からなくなる」
「食べれば分かるのでは?」
「今日ならな。三日後にも同じことを言えるか?」
千代丸が黙ったので、三つの皿へ印を付けた。今日、明日、明後日、それぞれ同じものを食べて変化を見る。固さだけではなく、梅の味がどうなるのか、表面がべたつかないか、匂いがおかしくならないかも確かめる。保存という言葉を使えば簡単だが、この時代に俺が知っているような包みや冷蔵の手段があるわけではない。だからこそ、最初から長持ちすることを期待するより、実際にどれほど持つのかを知る方が先だった。
その一方で、もう一つ片付けなければならないことがあった。自分で思い付き、自分で試すだけなら台所の中で済むが、市へ出して銭を取るとなれば、六角家の嫡男という俺の立場が否応なく付いて回る。俺が「これを売りたい」と言えば、商人が本当に断れるのか。買う側も、六角の若様が作らせたものだと知れば、味が気に入らなくても銭を出すかもしれない。そんな売れ方をしてしまえば、俺が知りたい「本当に欲しいと思って買ったのか」という答えは得られない。結局、この話も父上へ通さずには始められなかった。
父上の前へ試作品を置き、これまでの経緯を説明すると、案の定、最初に聞かれたのは味でも作り方でもなかった。
「何故売る」
「銭が欲しいからにございます」
「随分と素直じゃな」
「隠すことでもございませぬ。甲賀の三人を動かすにも銭が要ると知りました。今は父上から出していただいておりますが、いずれは自分で使う分の一部くらい、自分で生み出せるようになりとうございます」
父上は梅酸丸を一つ摘まみ、しばらく眺めた後で口へ入れた。何度か噛み、特に顔色を変えることもなく飲み込む。
「不味くはない」
「それは褒めておられますか」
「不味くはないと言うておる」
どうやら最大級の評価を期待するべきではないらしい。
「それで、これを誰に売らせる」
「そこを御相談したく」
「自分で市へ立つつもりではあるまいな」
「さすがにそこまでは考えておりませぬ」
「ならば商人へ預けることになる。だが、そなたが直接持ち込めば、相手は売れぬとは言いにくかろう」
「私も、それを気にしております」
父上は少しだけ目を細めた。俺が何を問題にしているのかを理解したのだろう。
「では、どうする」
「私の名を出さずに売れませぬか。最初は少ない数で構いませぬ。商人には、試しに扱う菓子だとだけ伝え、客にも誰が作らせたかは知らせない。その上で、何個置いて何個売れたか、どんな者が買ったかだけ後で教えてもらえれば」
「商人には誰が頼んだか分かる」
「それは仕方ありませぬ。ただ、買い取らせるつもりはございませぬ。売れた分だけ銭をもらい、残ればこちらへ返してもらいます。商人が損をする形にはしたくありませぬ」
「その商人の手間はどうする」
そこで言葉に詰まった。売れた分の銭をそのまま全部受け取るつもりで考えていたが、店先へ置き、客へ説明し、品を渡し、銭を受け取るのは商人だ。その手間を何も数えず、売れた分だけこちらへ寄越せと言えば、結局は六角の嫡男という立場を使ってただ働きさせるのと変わらない。先日、市で教えられたばかりだった。商人の数だけを見て、その商人を相手に暮らしている宿や馬屋、人足の存在を見落としていた。今度は、菓子を作る者と買う者の間に立つ商人の仕事を、最初から数の外へ置こうとしていたらしい。
「……売れた分から、いくらか渡すべきかと」
「いくらじゃ」
「そこは、まだ」
「ならばそこから考えよ。物を売るのは、作った者と買った者だけではない」
「商人の取り分も含めて、値を考え直します」
「それならばよい。対馬守に話して、変にそなたへ気を遣わぬ商人を一人選ばせよう。ただし――」
「はい」
「売れたからといって、すぐ数を増やすな」
一瞬、先に言おうとしていたことを取られたような気がした。
「何故か分かるな」
「一日売れただけでは、珍しさで買われたのか、本当に欲しがられたのか分からぬから、でございましょう」
父上が僅かに笑った。
「少しは分かるようになったな」
数日後、梅酸丸五十個が城下の市へ出た。父上の言葉通り、対馬守が選んだ商人へ預け、俺の名は出さなかった。商人には、売れ残っても買い取る必要はなく、売れた分だけ後で精算すること、手間賃として一定分を残してよいことを伝えた。そしてもう一つ、出来れば買った者がどんな者だったかを覚えておいてほしいと頼んだ。名前まで聞く必要はない。旅人なのか、近くの者なのか、大人なのか子供なのか、それくらいでいい。
結果が戻ってきたのは、その日の夕方だった。
「三十七」
帳面へ書かれた数字を見ながら呟くと、報告に来た対馬守が「五十のうち、三十七個が売れたそうにございます」と続けた。数字だけを見れば半分以上が売れているのだから、初めて置いた菓子としては悪くないようにも思える。だが、最初から「三十七売れれば成功」と決めていたわけではないし、五十全部売れると思っていたわけでもない。数字が出たというだけで、その数字が良いのか悪いのかを判断する物差しがまだ無い。
「誰が買った」
「旅の商人が最も多く、次いで荷を運ぶ者。市の者もおりますが、それほど多くはなかったとのこと。子供へ買い与えた者も数人おりまする」
「一人で幾つも買った者は?」
「おります。旅へ出る者が五つほどまとめて買った例が二つ」
そこは興味深かった。理由を尋ねると、道中で食べるためだという。甘みと塩気と酸味があり、一口で食べられる。持ち歩きやすいものにしたいという狙いは、少なくとも一部には合っているらしい。味についても、酸っぱいと言った者、もう少し甘い方がよいと言った者、今のままでよいと言った者に分かれていたが、それはむしろ自然だと思えた。五十人近くを相手にして、全員が同じ感想を持つ方が不自然だ。
「残った十三個は?」
「店へございます」
「明日もそのまま売ってもらおう。ただし、新しいものは足すな」
対馬守が少しだけこちらを見た。
「古くなったものを売るので?」
「どこまで売れるかを見たい。明日になって固くなり過ぎるなら、それも分かる。それに今日三十七売れたからといって、明日また同じように売れるとは限らぬ」
翌日の昼過ぎ、残り十三個のうち売れたのは七個だった。そして、そのうち一人から「昨日食べたものより固い」と言われたらしい。保存の試しでも一日経つと固くなることは分かっていたが、自分たちが「少し固くなった」と感じることと、銭を払った客が「昨日より悪くなった」と感じることでは意味が違う。商品として考えるなら、作った者が食べられると判断するだけでは足りず、買った者が同じ銭を払う価値があると思うところまで保たなければならない。
「作った当日に売る方がよいな」
「では毎朝作らせますか?」
千代丸が簡単に言ったので、俺は首を振った。
「それをやれば、作る側が大変になる」
今の五十個なら大したことはないかもしれない。だが百、二百と増やせば、一日に作れる数にも限りが出るし、城の料理人へいつまでも菓子作りをさせるわけにもいかない。彼らには本来の仕事があり、梅酸丸だけを作っているわけではない。売れるからという理由だけで数を増やせば、その分だけ誰かの手間が増え、今度は目に見えないところで無理が生じる。
そこで初めて、俺は帳面に「作る時間」という欄を加えた。これまでは水飴、米の粉、梅がどれだけ必要かという材料のことばかり見ていたが、それだけでは足りない。一度に何個作れるのか、何人いればその数を作れるのか、仕込みから形を整えるまでどれほど時間が掛かるのか、作った後は何日まで同じ味と固さを保てるのか、さらに店へ置いた時には売る側へどれだけ渡すのか。売れた数だけを見ても商い全体は分からない。作るまでに使った人の手間も、売るまでに掛かる時間も、売れ残った分も、全て合わせて初めて一つの商品として見られるのだと、ようやく分かり始めた。
次の試しでも、百個へ増やすことはしなかった。まずは同じ五十個をもう一度作り、今度は二十五個ずつ二つの場所へ分けて置いてもらう。一方は前と同じ市の商人、もう一方は旅人や荷運びの者が多く通る場所。値段も味も大きさも変えず、違うのは売る場所だけにした。結果は思った以上にはっきり分かれ、前と同じ市では二十五個のうち十一個、旅人が多く通る場所では二十二個が売れた。
数字を見た瞬間、胸の奥に小さな興奮が生まれた。同じものを同じ値で売っているのに、置く場所が違うだけで倍近く差が出る。それは、梅酸丸そのものが誰にでも好かれているわけではなく、必要とする者がいる場所へ置いた時に強く売れるということになる。前世なら当たり前の商売の話なのかもしれないが、自分で条件を揃え、実際に数字として差が出るのを見ると意味が違った。
「旅人向けということか」
「商人もよく買うと聞きましたな」
対馬守がそう言ってから、道中で少し口へ入れられるのが良い、大きな菓子ではなく一口で食べられるのも都合がよいと伝えてきた。そこまではある程度狙っていた部分でもある。だが、俺が本当に気になったのは、旅人が多い場所で二十二売れたことより、前と同じ市で十一しか売れなかったことだった。
「前の市で十一個買った者は?」
「近くに住む者が多かったそうで」
「最初は三十七売れたのに、二度目は十一か」
「一度食べれば満足した者もおるのでしょうな」
その言葉で、最初に見た三十七という数字の意味が変わった気がした。一度目に多く売れたのは、本当に味が好まれたからではなく、見慣れない菓子が置かれた物珍しさで買われた可能性がある。二度目に十一まで減ったのは、もう一度銭を払って食べたいと思うほどではなかったからかもしれないし、単にその日に市へ来た人間が少なかっただけかもしれない。逆に旅人の多い場所で二十二売れたのは、味よりも持ち運びやすさ、一口で食べられること、甘みと塩気があることが道中に都合良かったからとも考えられる。同じ「売れた」という数字でも、そこへ至る理由が違えば意味はまるで違う。
俺はそれまでの結果を帳面の上へ並べ直した。最初は五十個中三十七。翌日は残った十三個のうち七。そして別の日には、同じ二十五個ずつでも一方が十一、一方が二十二。足し算をして割合を出すだけなら難しくも何ともない。だが、本当に知りたいのはその計算結果ではなく、何故買ったのか、何故買わなかったのか、何故二度目は減ったのか、何故場所を変えただけで増えたのかという、その数字が生まれるまでの道筋だった。そこが分からなければ、次に味を変えるべきなのか、場所を変えるべきなのか、値を変えるべきなのかさえ判断出来ない。
前世で生徒へ数学を教えていた頃、答えだけを書いて途中を省く者にはよく「何故そうなった」と聞いた。数字が合っていても、考え方まで合っているとは限らない。偶然正しい答えへ辿り着いたのなら、数字を少し変えられただけで次は解けなくなる。今になって、自分が売上という答えだけを見て、同じことをしようとしていたのだと気付いた。売れた数を眺めて喜ぶだけではなく、その数がどうして生まれたのかを知らなければ、売れなくなった時に直す場所さえ分からない。
それからさらに数日、作る量そのものは大きく変えず、売る場所や味を少しずつ変えて試した。旅人には今の酸味が比較的好まれ、子供にはもう少し甘い方が受けが良かった。ただし、甘みを増やせば水飴を余計に使うので材料の銭が増えるし、柔らかくなれば翌日まで保ちにくくなる。子供へ合わせて甘くすれば旅人が好んでいる酸味と塩気が弱くなるかもしれず、誰にでも好かれる味を目指した結果、結局は誰にとっても特別欲しいものではなくなる可能性もある。そこで、最初から全ての者へ売ろうとする考えを捨てた。
梅酸丸は、まず道を行く者へ売る。商人、荷運び、人足、旅人。長く歩き、少し腹が空いた時に、立ち止まって食事をするほどではないが何かを口へ入れたい者たちを最初の相手にする。そう決めると、考えるべきことが随分整理された。大きさは今のまま一口で食べられる程度に揃え、甘みを増やし過ぎず、梅の酸味と塩気を残す。翌日には固くなるのだから、今のところ遠くへ運ぶことはせず、その日のうちに多く売れる数だけを置く。誰にでも売ろうとするのではなく、何のために買うのかがはっきりしている者へ向けて作る方が、商品としても分かりやすかった。
そして、一度に作る数も急には増やさなかった。売れると分かった瞬間に百、二百と作れば、最初の数日は珍しさもあって売れるかもしれない。だが、その後も同じ数が売れる保証はないし、料理人へ余計な仕事を増やし、梅や米の粉、水飴をまとめて集め、それで大量に売れ残れば、利益どころか損になる。まず五十を作り、その五十がどう売れるかを見る。次も同じ五十を作り、同じ条件なら似た結果になるのかを確かめる。その売れ方が安定してから、ようやく少しだけ増やす。その繰り返しを続けた。
十日ほど経った頃、俺の前には最初のまとまった帳面が出来ていた。使った水飴、米の粉、梅の量、一度に作った数、実際に売れた数、残った数、置いた場所、商人へ渡した分、そして最後に手元へ残った銭。額だけを見れば決して大きくはない。三人の甲賀者を長く動かせるほどでもなく、これだけで父上から銭を出してもらわずに済むようなものでもない。それでも、最初に材料へ使った銭より、最後に手元へ戻ってきた銭の方が確かに多かった。自分で考えたものを作り、六角の名を伏せたまま誰かが自分の意思で銭を払い、その一部が利益として残った。その事実は、額の大小とは別に、思っていた以上に嬉しかった。
「若様、儲かっておりますな」
帳面を覗き込んでいた千代丸が言う。
「ああ」
「では成功でございますか?」
以前の俺なら、そのまま頷いていたかもしれない。売れた。材料や商人へ払った分を引いても銭が残った。それなら成功だ、と簡単に考えただろう。けれど今は、その言葉を使うにはまだ早いと思えた。
「まだじゃ」
「まだなのでございますか?」
「今は売れておる。だが、一月後も同じように売れるかは分からぬ。数を増やした時にも売れるか分からぬし、作る者の負担が増えれば、今と同じ値で作れるかも分からぬ。それに、この銭を得るために誰かへ無理をさせておらぬかも見なければならん」
そう言いながら帳面の端に並ぶ数字を指でなぞると、千代丸は少し黙った後、「以前の市のことでございますか」と尋ねてきた。もちろん、それもある。三年前、商人が増えた数字を見て成功したと思った。その裏で、別の道では商いを失った者たちがいた。今回は同じことをしたくない。
梅酸丸が売れることで、水飴を作る者、梅を売る者、米の粉を用意する者には新しい商いが生まれるかもしれない。だが俺が急に大量に買えば値が上がり、それまで同じ材料を使っていた別の者が困る可能性もある。作る数を増やせば、今の料理人だけでは足りなくなり、いずれ菓子を作るためだけの人手が必要になるかもしれない。その時に誰を雇い、どれだけ銭を渡すのか。売る場所を増やせば、既にそこで似た菓子を売っている者の商いを奪うこともあるだろう。一つの菓子が売れるというだけでも、材料を作る者から店先に立つ者まで、思っていた以上に多くの人間へ繋がっている。
「売れるから作る。それだけでは足りぬのですね」
「ああ。何故売れるのかが分からなければ、売れなくなった時に何も出来ぬ。それに、儲かれば何をしてもよいわけでもない」
「難しゅうございますな」
「だから面白いのかもしれん」
自分で口にしてから、少し笑った。前世では、数学の問題には大抵答えがあった。授業で扱う問題ならなおさらで、途中で間違えても、正しい答えそのものは必ずどこかに存在している。けれど今やっていることには、一つの正解などない。値を下げれば売れるかもしれないが手元へ残る銭は減る。値を上げれば一個当たりの利益は増えるが、買える者が減る。甘くすれば子供は喜ぶかもしれないが、道中で食べる者には今の酸味と塩気の方が良いかもしれない。たくさん作れば一度に多く売れる可能性はあるが、その分だけ売れ残る危険も増える。どれも計算だけでは答えが出ないからこそ、小さく試し、記録し、比べ、その数字の向こうで何が起きたのかまで見るしかない。三年前からやっていること自体は変わらないのに、何を見るべきなのかだけは少しずつ増えていた。
机の上には、梅酸丸の売上を記した帳面と、甲賀の三人を動かすために必要な銭を書いた書付が並んでいる。今の梅酸丸の利益では到底足りない。三人が近江の中を動くだけでも宿、食事、馬、人との付き合いに銭が消え、いずれ美濃や若狭、京まで常に見ようとすればさらに必要になるだろう。情報そのものには形がないが、それを得るためには確かに人が動き、その人を動かすために銭が要る。だから梅酸丸も今の規模で終わらせるつもりはない。ただし、必要だからと急いで百を千にするつもりもなかった。
今必要なのは、五十をいきなり百や千へ増やすことではなく、その五十が何故売れるのかをもっと確かに知ることだ。同じ味、同じ大きさ、同じ値で作った時に何度でも似たように売れるのか。一度だけではなく繰り返し買う者がいるのか。料理人へ無理をさせずに同じ数を作り続けられるのか。作る度に材料の量や味が変わらず、売る側も無理なく扱えるのか。そして、入ってきた銭が何処から来て、材料、人手、商人の取り分として何処へ消え、最後にどれだけ残るのか。そこまで分かって初めて、五十を百へ増やす意味がある。
そう考えながら、帳面の隅へ新しい欄を加えた。売れた数だけではなく、どんな者が買ったのか、その場所は何処だったのか、そして出来る範囲で二度目に買った者がいたかどうかまで残す。正確な名を一人一人取るつもりはないし、そんなことをすれば商人にも客にも余計な負担になる。それでも同じ者がもう一度銭を出して買ったと分かれば、最初の一個が物珍しさだけで売れた可能性は少し下がる。俺が本当に知りたいのは、一度売れたかどうかではない。その者が食べ終えた後、もう一度欲しいと思ったかどうかだった。
梅酸丸を最初に作った時には、そんなところまで考えてはいなかった。ただ、甲賀の三人を動かすために、自分で銭を得る方法が欲しかっただけだ。けれど実際に作り、売り、銭が動くのを見ているうちに、銭そのものより、何故その銭が動いたのかの方が気になり始めた。誰が何を欲しがり、何故そこへ銭を出すのか。何処へ置けば売れ、何処では売れないのか。同じ物でも、それを必要とする相手が変われば価値まで変わる。それを知ることもまた、俺が欲しがった「自分の目」の一つなのかもしれない。
人の動きを知りたくて甲賀の者を持ち、その甲賀者を動かす銭を得るために商いを始め、商いを始めたことで今度は人が何を求め、何処へ動き、何に銭を払うのかを見るようになった。随分と遠回りな話だと思う。それでも、机の上に置かれた二つの帳面を見比べていると、不思議とまったく別のことをしているようには思えなかった。片方には人が何処へ動き何を話しているかが記され、もう片方には誰が何処で何を買ったかが残っている。形は違っても、どちらも結局は人を知るためのものなのだ。
梅酸丸がこれから何処まで売れるのかは、まだ分からない。近江の外へ出せるようになるのか、今の小さな商いのまま終わるのか、それすら決まっていない。それでも少なくとも、最初の五十個を店先へ置いた時より、俺が見るものは確実に増えていた。