淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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2026/10/21 文章整理


第十七話「同じ味」

 梅酸丸を売り始めてから半月ほど経つ頃には、最初のように一日ごとの売れ方へ一喜一憂することは少なくなっていた。旅人や商人、荷を運ぶ者が多く通る場所では比較的よく売れ、市の奥や近在の者が多い場所ではそれほどでもない。作った当日のものは評判がよく、翌日まで残れば固くなったと言われることが増える。誰が買い、どこで売れ、どれほど残ったかを帳面へ記し、甲賀の三人にも店先や道の様子を見てもらうようになってから、まだ大雑把ではあるものの、梅酸丸という菓子がどういう者に求められているのかは少しずつ見え始めていた。特に三人の中で人の顔や言葉を見ることが得意なあの女は、客が何を買ったかだけではなく、買う前に何を見ていたか、食べた後に誰と何を話していたかまで拾ってくる。頼んだ以上のことまで見ているのは少々やり過ぎな気もするが、今のところその報告には随分助けられていた。

 

「若様。こちらの方が酸っぱくございませぬか」

 

 千代丸が左右の皿へ置かれた梅酸丸を一つずつ食べ比べ、怪訝そうに右側を指した。見た目に大きな違いはない。どちらも同じくらいの大きさに揃え、梅も米の粉も水飴も帳面に記してある量を使っている。同じ料理人が同じように作ったものだ。それなのに俺も食べ比べてみると、確かに右側の方が酸味を強く感じる。もっと正確に言えば梅そのものが多いというより、左側の方が甘みを強く感じた。

 

 料理人へ確かめても梅の量は決めた通りで、米の粉も同じだった。作った数も変わらない。煮詰める時間に多少の差はあるのかもしれないが、それだけでここまで味が変わるのだろうか。俺が首を傾げていると、部屋の端に控えていた女甲賀者が僅かに視線を上げた。今日は売り場の様子を報告するために来ていたのだが、何か言いたそうにしている。

 

「何かあるか」

 

「昨日、市で二度目に買った者が『前に食べたものより酸い』と申しておりました。店の者は梅が多かったのだろうと答えております」

 

 詳しく聞けば、相手は荷を運ぶ仕事をしている男で、最初に買ったものを気に入り、同じものを求めたらしい。ところが昨日のものは以前より甘くなかったという。どうやら千代丸の舌だけではなかったようだ。

 

 俺はもう一度二つの梅酸丸を見比べた。売れた数だけを記録していたら、こんな違いは「昨日も売れた」で終わっていたかもしれない。二度目に買った者が前と違うと感じた。その情報を女が拾ってきたことで、目の前の味の違いがただの偶然ではなく商いの問題として見え始めた。

 

 そこで水飴についても料理人へ確かめてみた。使った量は同じらしい。だが、同じものなのかと尋ねたところで料理人が僅かに首を傾げた。

 

「同じ飴にございますが……作った者は違いまする」

 

 その答えを聞いて、俺は初めて自分が当然のように同じだと思い込んでいたものを、本当に同じなのか確かめていなかったことに気付いた。それぞれに使った飴が残っているなら持ってきてほしいと頼み、小皿へ分けて並べてもらう。すると違いは思っていた以上に分かりやすかった。

 

 一方は薄い褐色で、匙ですくえばゆっくりと糸を引く。もう一方はそれより僅かに濃い色をしていて、同じ量をすくったつもりでも落ち方が少し早い。口へ含めれば甘さにも違いがあった。どちらも米や麦を使って作った、この時代では普通の飴だ。前世で見慣れた透明で癖の少ない水飴とは違い、穀物の風味も色も残っている。それ自体は分かっていたつもりだったが、作る者や出来具合によって甘さや水分まで変わるというところまでは考えていなかった。

 

「これ、同じ値で買っておるのか?」

 

「大きくは違いませぬ。出来の良いものは多少値が上がることもございますが、その時々にございます」

 

 何をもって出来の良し悪しを判断するのか聞けば、甘さや色、固さなどを見るという。作る者によっても違うし、その日の出来にも左右されるらしい。料理人にとっては当たり前の話なのだろう。俺だけが材料として帳面に「水飴」と一行書いた瞬間、それを一つの同じ物だと思い込んでいた。

 

 前世なら同じ名で売られている材料は、ある程度同じ品質であることを無意識に期待していた。もちろんメーカーが違えば味も違うし、製品ごとの差もある。それでも砂糖百グラムと書けば、その百グラムが昨日とはまるで違う甘さになることまでは考えない。だが、ここではそうではない。誰が何を使い、どれほど水を加え、どこまで煮詰めたかによって、同じ飴という名前でも中身が違う。それなのに俺は梅を何匙、米の粉を何匙、水飴を何匙と決めただけで、同じ味を作れるつもりになっていた。

 

「……足りなかったな」

 

 思わず呟くと千代丸が不思議そうな顔をしたので、量だけ揃えても材料そのものが違えば同じにはならないのだと説明した。帳面を開き、水飴と書かれた欄を見る。今まで記していたのは使った量ばかりだった。だが必要なのは量だけではない。少なくともこの飴については、どこから来たものなのか、誰が作ったのか、色はどうか、柔らかさはどうか。その違いまで見なければ、同じ梅酸丸を繰り返し作ることは出来ない。

 

 俺が帳面の前で考えている間にも、女甲賀者は二つの飴を黙って見比べていた。そこで彼女へ、それぞれの飴を作った者について調べるよう頼んだ。名前だけではなく、どこで作り、誰へ売り、普段どのような飴を作っているのかも知りたい。ただし悪事を探すわけではなく、作り方の違いを確かめたいだけだと伝える。

 

「他の二人にも頼む。飴がどこから入ってくるか、値に違いがあるかを見てもらえ。お主は作る者を見よ」

 

「承知いたしました」

 

 返事には迷いがなかった。こういう時、三人の中では彼女が一番頼みやすい。道そのものを見るなら別の男の方が詳しく、商いの流れや値を追うならもう一人の男の方が向いている。だが人が何をしているか、何を嫌がり、何を隠しているかを見るのは、この女が一番細かかった。

 

 数日後、女は二人の飴作りについて調べた結果を持って戻ってきた。一人は城下からそう遠くない場所で昔から飴を作っている男、もう一人は少し離れた村で農の合間に作って商人へ卸している男だった。同じ飴作りといっても暮らし方からして違う。城下の男は飴を作って売ることを主な生業としているのに対し、村の男は米や麦の出来、農作業の忙しさによって作る量が変わるらしい。

 

 作り方についても大筋は似ているが、使う米と麦の割合が違い、火へ掛ける時間も城下の男の方が長いという。村の男は飴が柔らかければ別の使い道へ回すため、毎度同じところまで煮詰める必要を感じていないようだった。

 

「本人がそう言ったのか?」

 

「いいえ。本人には飴をどのように売るかを聞き、買っている商人と近くの者にも話を聞きました。本人は『いつも同じように作っておる』と申しておりましたが、周りは『日によって違う』と」

 

「本人は嘘をついたのか?」

 

「そうとは限りませぬ。本人にとってはいつも同じやり方なのでございましょう。ただ、若様が仰る『同じ』とは違うのだと思いまする」

 

 その言葉には妙に納得させられた。

 

 同じ作り方をしているつもりでも、米が違い、火が違い、煮詰まり方が違えば出来上がりは変わる。本人が誤魔化しているわけではない。見ているものが違うのだ。

 

 二人を呼んで直接話を聞きたいと伝えると、女は既に対馬守を通せば応じるという返事まで得ていた。俺がそこまで望むと見越していたらしい。少し先回りし過ぎではないかとも思ったが、実際に助かったのは確かだった。

 

「勝手に決めるなよ。だが、助かった」

 

 そう言うと女は一瞬だけこちらを見て、それから静かに頭を下げた。

 

 数日後、観音寺城へ二人の飴作りが呼ばれた。六角家の嫡男から呼び出されたと聞いてどちらも随分緊張していたので、最初に怒るために呼んだわけではないと伝えるところから始める羽目になった。千代丸はいつものように俺の側へ座り、少し離れた場所には例の女甲賀者も控えている。職人二人にとっては余計に緊張する配置かもしれなかったが、俺としては後で同じ話をもう一度説明するより、最初から聞かせておいた方がよかった。

 

「同じ飴を作ってほしい」

 

 そう言うと二人とも意味が分からないという顔をした。そこで甘さも柔らかさも出来るだけ揃え、昨日作ったものと今日作ったものが大きく変わらないようにしたいのだと説明する。

 

「若様、それは……難しゅうございます」

 

 職人たちによれば米も麦もその時々で違い、水や火加減も毎回同じにはならない。暑い日と寒い日でも出来は変わり、結局は見ながら触りながら作るものなのだという。やはりそうなるかと少し納得した。俺が求めているのは機械で作った工業製品ではない。材料そのものにばらつきがあり、火加減も温度計で測っているわけではなく、職人の経験で決めている。全てを完全に同じにするのは無理だろう。

 

「ならば完全に同じでなくてよい。今より違いを小さくしたいのじゃ。米や麦、水の量を揃え、煮詰め方も出来るだけ同じにすれば、少しは近付かぬか?」

 

 城下の男は量を揃えるだけでは難しいと言いながらも、今より近いものにはなるかもしれないと答えた。詳しく聞けば煮詰め具合が大事らしい。色を見たり、匙から落とした時の伸びを見たり、指へ取って確かめたりして頃合いを判断しているという。

 

「それを教えてくれ。どうなれば良い飴なのか、そなたたちが見ておるものを知りたい」

 

 二人ともさらに困った顔になった。職人の勘を説明しろと言われても難しいのだろう。それは分かる。前世でも長年同じ仕事をしている人間が「見れば分かる」と言うことは珍しくなかった。だが俺が欲しいのは、その「見れば分かる」の中身だった。

 

 その日から飴作りを何度か見せてもらうことになった。最初に米や麦をどれほど使ったのかを記し、水をどれくらい入れたのかも残す。煮詰め始めてからどれほど経ったのかを測りたいところだが、正確な時計などないので香を使ったり日を見たりする程度しか出来ない。それでも何もしないよりはましだった。火の強さも数字では表せないので、薪をどれくらい使ったか、鍋の中がどんな様子になったところで火を弱めたかを聞く。そして出来た飴を並べ、色、粘り、味を比べる。

 

 そこでも女甲賀者はよく動いた。帳面へ数字を書くのは俺や千代丸の役目だったが、職人がどこで迷ったか、何を「いつもと違う」と感じたのかを聞くのは彼女の方が上手かった。俺が火を弱めた理由を尋ねても、職人は頃合いだとしか答えない。それを女が泡の細かさや匙へ取った時の様子について具体的に尋ねると、少しずつ話が出てくる。本人も言葉にしたことがなかったのか、話しているうちに自分が何を見て判断しているのか気付くことまであった。

 

 俺はその様子を横で見ながら少し面白く感じていた。俺は数字にしたい。彼女は言葉を拾う。見ているものは違うが、知りたいことは同じだった。

 

 当然、最初から上手くいくわけではなかった。ほとんど同じ量を使ったつもりでも出来上がったものには差が出る。作った男は「今日は火が強かった」「こちらの米は水を多く吸った」と言う。そのたびに帳面へ書き加える。俺にはその全てを理屈で説明することなど出来なかったし、前世の知識から化学的な答えを持ち出すことも出来ない。知っているのは穀物から甘い飴を作れるという程度だ。だから目の前で起きたことをそのまま残し、違いが出た時に何が違ったのかを一つずつ聞いていくしかなかった。

 

 何日目かには千代丸にも呆れられた。目の前では飴作りの男が匙から落ちる飴の伸びを見せている。千代丸には少しくらい味が違っても食べる者は気付かないのではないかと言われたが、俺が気にしているのは初めて買う者だけではない。一度食べて気に入ったからもう一度買った者が、今度は違う味だと感じれば、それきり買わなくなるかもしれない。

 

 すると少し離れたところから女の声がした。

 

「先日の荷運びの者も『前の方が美味かった』と申しておりました。怒ってはおりませなんだが、次は別のものでもよいとも」

 

 それは俺が一番嫌な答えだった。一度違っただけでそこまで思うものなのかと尋ねると、女は前と同じだと思って買ったからこそではないかと答えた。

 

 その言葉で、俺が揃えたいものの意味が少しはっきりした。単に自分が計算しやすくするためではない。買う側が「前と同じものだ」と思えることも大事なのだ。一度食べて気に入り、また買う。その時に味が大きく違えば、前回の経験が次の買い物へ繋がらない。何度も買ってもらいたいなら、同じ名前の商品はある程度同じでなければならない。

 

 梅酸丸の大きさを揃えようとした時には、材料費を計算しやすくするためだと思っていた。だが今ではそれ以上の意味があるように思えた。同じ大きさ、似た味、同じくらいの固さ。同じ銭を払えば昨日と大きく変わらないものが手に入る。その安心そのものに価値があるのかもしれない。

 

 だからといって職人を帳面通りにしか動かさないつもりはなかった。実際に飴を作っている者の方が俺より遥かに詳しい。米の状態を見て水を変えることもあれば、火の様子を見て煮る時間を変えることもある。その判断を全部捨てて「この量、この時間だけ守れ」と命じれば、かえって出来が悪くなるだろう。

 

 必要なのは勘を無くすことではない。勘だけにしないことだった。職人がどこを見て判断しているのか、どの程度なら使えると考え、どこから先を出来の悪いものとして弾くのか。その境目だけでも残せれば、作る者が変わった時に何も分からないところから始めずに済む。

 

「この辺りならよい、という幅を決められぬか」

 

 ある日、俺は飴作りの二人へそう提案した。使うには柔らか過ぎるもの、固過ぎるものを分け、色や粘りについても梅酸丸へ使える範囲を決めたいのだと説明する。

 

 一つの正しい飴を作れと言うから難しい。ならば使える範囲を決めればいい。全く同じではなくても、その範囲へ入っていれば梅酸丸の味は大きく変わらない。そこまでなら職人の違いも残せる。

 

 二人は目の前に並べた幾つかの飴を見比べながら、これは柔らか過ぎる、こちらは煮詰め過ぎている、これは使えると分け始めた。俺はその結果を帳面へ残し、それぞれで梅酸丸を作らせ、今度は出来上がった菓子の味を比べた。完全に同じにはならなかったが、最初に食べ比べた二つほど大きな差は出なくなった。千代丸にも何も説明せず食べてもらうと、同じとまでは言えないが随分似ているという答えが返ってきた。それで十分だと思った。昨日と今日が寸分違わず同じである必要はない。食べた者が別の菓子だと思うほど違わなければ、今のところはそれでいい。

 

 その後は梅酸丸へ使う飴について、誰が作ったものなのか、どの程度の固さなのか、色や粘りが決めた範囲へ入っているかを簡単に記録するようにした。作り手を一人へ絞ることはしなかった。一人だけへ頼れば確かに味を揃えやすくなるかもしれないが、その者が病になったり、米が足りなくなったりすれば梅酸丸そのものが作れなくなる。それに数を増やした時、一人へ全ての負担を押し付けることにもなる。二人、三人と作れる者を残し、その者たちの間で「梅酸丸へ使える飴」がどの辺りなのかを共有した方が、長く続けるには都合がよいと思った。

 

 ところが味のばらつきが小さくなり、これなら一つ問題を越えられたと思い始めた頃、今度は別のところから話が返ってきた。それを持ってきたのも対馬守ではなく例の女だった。

 

「若様。飴を作っております者のうち二人が、今の値では続けにくいと申しております」

 

 その言葉に帳面から顔を上げた。米か麦が値上がりしたのかと思ったが、そうではないらしい。理由は俺が決めた飴の出来にあった。

 

 今までならその日の出来に応じて売っていた。少し柔らかくとも色が濃くとも、それを買う者はいる。だが梅酸丸へ使う飴は俺が決めた範囲へ入らなければ買ってもらえない。そのため何度か作り直す者もおり、良いところへ入るよう以前より火を見ている時間も長くなったという。

 

 その話を本人たちから聞いたのか確かめると、一人は直接そう話したが、もう一人は何も言わなかったらしい。代わりにその妻が、最近は飴の鍋の前から離れられぬ時間が長くなったと愚痴を漏らしていたという。

 

 思わず黙った。

 

 俺が帳面へ書いていないところから、また一つ話が出てきた。

 

 値を上げてほしいと本人が申し出たわけでもないらしい。六角の若様から頼まれているものだからと、負担が増えても口にしない。それが一番困る。以前、商人へ梅酸丸を置いた時に警戒したことと同じだった。

 

 他の作り手についても尋ねると、今のままでよいと言っている者もいた。ただし今より多く作るなら別だという。三人とも同じではない。元々の作り方、他の売り先、飴作りを本業にしているか農の合間にしているか。それぞれ条件が違うのだから、同じ要求を受けても負担まで同じになるわけではない。ここでも「飴作り」という一つの言葉で全員をまとめて考えるべきではないのだろう。

 

「対馬守には話したか?」

 

「まだ申し上げておりませぬ。まず若様へと思いまして」

 

 何故俺へ先に持ってきたのか尋ねると、女は僅かに目を伏せた。

 

「若様が、御自分の目が欲しいと仰ったからにございます」

 

 一瞬、言葉が出なかった。

 

 俺自身が以前言ったことだった。父上や対馬守を通した情報ではなく、自分の近くで直接届く目が欲しい。それをこの女は覚えていたらしい。差し出がましいことをしたのではないかと気にする様子を見せたので、俺は首を振った。

 

「そのままでよい」

 

 むしろこういう情報こそ俺が欲しかったものだった。表立って苦情として上がってくる前の、不満ともまだ呼べない小さな違和感。本人が口へ出さないこと。家族や周囲の者の方が気付いていること。そういうものは帳面だけを見ていても拾えない。

 

 飴の買値については、決めた範囲へ入るものならその分を上乗せすることにした。何となく高く買うのではなく、こちらが求めた出来に見合う銭を払う。今は値を上げなくてよいと言っている者についても、量を増やす時には改めて話を聞くよう頼んだ。

 

「今後もこういうことがあれば、先に持ってこい。本人が言わぬことも含めてじゃ」

 

「私が、でございますか」

 

「ああ。三人の中で、お主が一番人を見ておる。ただし三人の報告を勝手に一つへまとめるな。誰が何を見て、誰から何を聞いたのかは分けて持ってこい。お主の考えと、他の二人が見た事実も混ぜるな」

 

 女は一瞬黙った後、深く頭を下げた。

 

「承知いたしました」

 

 そこから少しずつ三人の使い方も変わっていった。道や荷の流れを見る男、商人や値を追う男、そして人の言葉や様子を拾う女。それぞれが別々に俺へ報告する形は残したが、急いで知らせるべきものや三人の話を並べた方がよいものについては、女が最初に持ってくることが増えた。俺が彼女へ他の二人を指図する権限を与えたわけではないし、三人の頭にしたつもりもない。ただ俺との間を繋ぐ役としては、自然と彼女が最も近い場所へ来るようになった。

 

 その日の夜、俺は梅酸丸の帳面へ新しい数字を書き加えた。飴の買値が上がった分だけ一個当たりに掛かる銭も僅かに増える。今までの売値を変えなければ、当然こちらへ残る銭は減る。だが、その分だけ味のばらつきが小さくなり、二度目、三度目と買う者が増えるのであれば、目先の利益が減ったからといって損だとは言い切れない。反対に利益を守ろうとしてすぐに売値を上げれば、今度は旅人や荷運びの者が買わなくなるかもしれない。材料の質、作り手の手間、売値、買う者の数、最後に残る銭は全て繋がっていて、どこか一つだけを良くして終わる話ではなかった。

 

 そしてその帳面の横には、甲賀の三人から上がってきた報告が置かれている。飴を運ぶ道、商人が払っている値、作り手の家で漏れた愚痴。同じ梅酸丸について調べていても、三人が拾ってくるものはまるで違う。もし一人だけを使っていたなら、俺はその一人が見た世界だけを全てだと思っていたかもしれない。三人いるから違いが分かり、その違いがあるから何を見落としているのかを考えられる。

 

 そこでふと妙なことに気付いた。

 

 梅酸丸でやっていることと、甲賀の三人でやっていることは思っていたより近い。

 

 飴は作る者によって出来が違う。

 

 報告も見る者によって違う。

 

 だからといってどちらか一方を正しいとして他を捨てるのではなく、何が違うのかを見なければならない。梅酸丸では味を完全に一つへ揃えるのではなく、「この範囲なら使える」という幅を決めた。情報も同じなのかもしれない。全員へ同じことを見ろと命じれば、それぞれの得意な目を潰すことになる。それよりも報告の形だけをある程度揃え、誰が、どこで、いつ、何を見て、何を聞いたのかを残しておけば、違う目で見たものを並べられる。

 

 翌日、三人を呼んだ。

 

 女が一番近くへ座り、残る二人がその横へ並ぶ。まだ三人とも対馬守の目の届くところにいる者であり、完全に俺だけの忍になったわけではない。それでも以前と比べれば、俺から直接頼むことは増えていた。

 

「これから報告する時に残してほしいものがある。いつ、どこで、誰から聞いた話なのか。自分で見たことなのか、人から聞いたことなのか。それから確かだと思うことと、そうではないものを分けてほしい」

 

 道を見る男が眉を寄せた。今までの報告でもそうしているという。確かにその通りだった。俺が気にしているのは中身ではなく、それぞれの書き方が違うことだ。

 

 目の前へ三つの報告を置く。一人は結論から書く。一人は見た順に書く。女は相手の言葉を多く残す。どれが悪いわけではない。むしろそれぞれの癖があるから拾えるものも違う。だが後で並べる時には少し手間が掛かる。

 

「中身を同じにせよとは言わぬ。見るものも変えなくてよい。ただ初めに、何を見た報告なのか分かるようにしてほしいのじゃ」

 

 そう説明すると女が小さく頷いた。

 

「梅酸丸と同じでございますか」

 

 思わず彼女を見る。どういうことか聞けば、飴を作る時も全ての職人へ同じ作り方をさせるのではなく、守るところだけを決めていたと言う。

 

 少し悔しいが、俺より先に言われた。

 

「……そうじゃ。お主たちを同じ目にはせぬ。道を見る者は道を見ればよい。商いを見る者は銭と人の流れを見ればよい。お主は人を見よ。ただし三つを並べた時、どこが同じでどこが違うのか分かる形で持ってきてほしい」

 

 三人が頷くのを確かめてから、もう一つ考えていたことを伝えた。これからは女に三人の報告を俺のところへ持ってくる役を任せたい。ただし他の二人の頭にするわけではなく、指図する権限を与えるつもりもない。急ぐものがあれば先に知らせ、三つ揃ってから見せた方がよいものなら揃えて持ってくる。その際、自分に都合よく内容を削ったり、三人の考えを一つにまとめたりしないこと。それだけを頼んだ。

 

 本人は少し驚いたようだったが、話を聞き終えると迷わず頭を下げた。残る二人にも異論はないらしい。

 

 役職を与えたわけではない。特別な名を付けたわけでもない。それでも、その日から少しだけ何かが変わった。

 

 女は以前より俺の近くへ来るようになった。報告を持ってくる回数が増え、俺が何を知りたがるのかを尋ねることも増えた。俺もまた三人へ同じ命令を出すのではなく、それぞれの得意なものを考えて頼むようになった。

 

 道を見る者には人や荷がどちらへ流れたかを。商いを見る者には値と売れ方を。女には、その間にいる人間が何を考えているのかを。

 

 もちろんそれだけで全てが分かるわけではない。むしろ三つの報告が食い違うことも増えた。同じ市を見ているはずなのに、一人は人が増えたと言い、別の一人は商いは増えていないと言い、女は見物する者が増えただけだと持ってくる。最初ならどれが正しいのかと迷ったかもしれない。今は三つとも正しいこともあるのだと思える。

 

 人が増えた。

 

 だが買う者は増えていない。

 

 珍しい菓子を見に来ただけの者がいる。

 

 数字だけなら一つに見える変化でも、見る場所を変えれば意味が違う。

 

 梅酸丸の味を揃えるために、俺は職人の違いを消すのではなく、違いを残したまま使える範囲を決めた。甲賀の三人も同じだ。三人を同じように動かすのではなく、それぞれ違う目を持ったまま報告の形だけを少し揃える。

 

 その方が俺には使いやすい。

 

 そして、その三つの目を俺のところまで繋ぐ役を今はあの女がしている。

 

 ある夕方、彼女が一人で報告を持ってきた。梅酸丸の売れ方とは別に、市の外れで米を買い集める商人が少し増えたという話だった。俺は梅酸丸とは関係のない話を何故持ってきたのか尋ねた。

 

「若様は、関係があるかないかを御自分で決めると仰いました」

 

 以前、噂を調べていた時のことだった。

 

 自分たちで結論を決めず、見たものを持ってこい。

 

 俺が言った。

 

「……よく覚えておるな」

 

「若様のお言葉ですので」

 

「全部覚えられても困る」

 

 女はほんの少しだけ笑ったように見えた。

 

「ならば、忘れた方がよいものは仰ってください」

 

「それも困る」

 

 思わず笑った。

 

 千代丸とは違う。

 

 父上とも違う。

 

 対馬守とも違う。

 

 この女との距離も少しずつ形を持ち始めているのかもしれない。

 

 机の上には最初に作った頃と比べれば随分形の揃った梅酸丸が並び、その横には三人分の報告が置かれていた。色も完全には同じではない。それでもどれを口へ入れても最初に穏やかな甘みが広がり、その後から梅の酸味と塩気が追ってくる。報告の方も同じで、書いた者によって目の付けどころは違うが、いつ、どこで、何を見たのかは以前よりずっと追いやすくなっていた。

 

 千代丸が梅酸丸を一つ摘まみ、何気なく口へ入れた。

 

「若様。最近はどれを食べても同じような味がいたしますな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、思わず口元が緩んだ。

 

「それが一番聞きたかった」

 

 千代丸は美味いと言われるより嬉しいのかと不思議そうにしたが、今の俺にとってはそうだった。美味いものなら運が良ければ一度は作れるかもしれない。だが一度美味かったものを次も、その次も、別の者が作っても大きく変わらないようにする方が難しい。

 

 千代丸はもう一つ梅酸丸を手に取りながら、なるほどと小さく頷いた。俺自身も口に出して初めて考えがはっきりした気がした。目指していたのは俺が毎回そばに立ち、材料を量り、鍋を覗き、出来上がったものを一つずつ食べて合格を出さなければ成立しない商いではない。料理人が変わっても、飴を作る者が変わっても、決めた範囲を守り、記録を見て、違いが出た時にはその原因を探せる形にしたいのだ。そうしなければ梅酸丸はいつまでも俺が一つ一つ面倒を見なければ続かない。

 

 それは甲賀の三人にも同じことが言える。俺が毎回細かな指示を出さなければ動けないのでは意味がない。何を見るべきかを理解し、それぞれの得意な目で見て、必要な形で戻してくる。そして俺へ届く途中で情報が消えないようにする。そのための繋ぎとして、あの女が少しずつ役割を持ち始めていた。

 

 俺一人が知っていることには限界があるし、俺一人が見られるものにも限界がある。だったら自分がその場にいなくても同じことを続けられる形を残せばいい。誰か一人の記憶や勘だけへ頼らず、何を見て、どこまでなら良しとし、違った時には何を確かめるのかを残しておけば、次の者がそこから始められる。もちろん帳面へ書けば全て解決するほど簡単ではない。それでも何も残さず「上手い者に任せる」よりは、少しずつ同じ場所から始められる。

 

 その考えは梅酸丸だけに使えるものではないような気がした。今はまだ飴と梅を混ぜた小さな菓子と、たった三人の甲賀者で試しているだけだ。けれど人が変わっても同じように出来る形を作ること、出来たものを記録し、比べ、必要なら直すことは、商い以外にも使えるのではないか。兵を集める時、荷を運ぶ時、関で人や物を数える時。そして人から情報を集める時にも。

 

 その日の最後に帳面を閉じる前、俺は余白へ短く一つだけ書き残した。

 

 ──同じように出来る形を残す。

 

 その横には女甲賀者が持ってきた報告が置かれていた。

 

 目の前にあるのはまだ小さな梅酸丸と、三人の忍だけだ。

 

 けれど、そのどちらも俺がいなくても動き続ける形へ変わり始めていた。

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