元服を終え、朝廷より右衛門督へ任ぜられてからというもの、六角義治が評定の場へ座る位置は明確に変わっていた。以前は父である義賢に呼ばれた時だけ末へ控え、そこで交わされる話を聞くことそのものが役目だった少年が、今では当主から見て右手側、出席する一門や家臣の中では最上座に腰を下ろしている。畳の上で見れば、末から数歩前へ出ただけに過ぎない。だが、その数歩が持つ意味を、この場にいる者たちは誰も軽く見ていなかった。六角家の嫡男として元服し、公方より一字を受けて義治と名乗り、さらに右衛門督という官を得たことで、これまで「御屋形様の御子」であった亀松丸は、六角家の次代を担う一門衆の一人、そしていずれ家督を継ぐ武将として表へ出たのである。座る場所が変わったのは、その立場の変化が誰の目にも分かる形になっただけのことであり、同時に、これまでなら子供の言葉として聞き流すことも出来た義治の発言が、今後は「六角家の嫡男がそう考えている」という意味を持ち始めたということでもあった。
蒲生下野守定秀は、目の前で進む評定へ耳を傾けながら、何度か義治へ視線を向けていた。まだ亀松丸と呼ばれていた頃から知っている。幼い嫡男が評定に興味を持ち始め、襖の隙間から顔を覗かせていた姿もよく覚えていた。本人は隠れているつもりだったらしいが、実際には義賢だけでなく何人もの家臣が気付いていたし、時には顔どころか肩まで見えていた。それでも誰も追い払わなかったのは、当主が黙認していたこともあるが、遊び盛りの幼子が家中の政へ興味を向けていることを悪いとは思わなかったからだ。その少年が今では自分より上座へ座っている。席次とは能力への褒美ではない以上、それを不快に思う理由は定秀にはなかった。いずれそこへ座ると皆が知っていたし、六角家の嫡男である以上、元服すれば当然の位置でもある。それより定秀が気にしていたのは、その席へ座った義治自身が、自分の置かれた場所の意味をどこまで理解しているのかだった。上座へ移ったことを単なる身分上の当然として受け取っているのか、それとも、そこへ座ることで自分の言葉まで以前とは違う重さを持つようになったと理解しているのか。定秀にとっては、畳のどこへ座るかより、そちらの方が遥かに重要だった。
以前の亀松丸なら、興味を引かれた話が出れば身体ごとそちらへ傾き、知らない言葉を耳にすれば露骨に視線が動き、自分の考えと違う話を聞けば眉が僅かに寄った。今もそうした癖が全て消えたわけではなく、考え込む時に右手の指先が膝の上で僅かに動くところなどは昔のままだったが、少なくとも浮かんだ疑問や反論を、そのまま口から出すことは減っている。誰かが話している間は最後まで聞き、一度自分の中へ落とし込み、そこから必要なものだけを選んで言葉へする。定秀には、その膝の上で動く指先が、義治が頭の中で話を一つずつ並べ、何が分かっていて、何がまだ分かっていないのかを確かめている時の癖のように見えていた。慎重になったと見ることも出来るし、以前より迷うようになったとも言える。あるいは、単純に考慮しなければならないものが増えただけなのかもしれない。まだ答えを出すには早い。だからこそ定秀は、右衛門督となって初めて大きな役目を与えられようとしている今日の評定で、この若者が何を見て、どう答えるのかを注意深く見ていた。
「右衛門督」
上座から義賢の声が落ちると、官途名を呼ばれた義治が顔を上げるまでに、ほんの一拍だけ間があった。まだ「右衛門督」という呼び名が自分のものとして身体へ馴染んでいないのだろう。その僅かな遅れに後藤但馬守賢豊の目元が動き、目賀田次郎左衛門尉忠朝の口元にもごく薄い笑みが浮かんだが、誰もそこを指摘しなかった。評定では、長く朽木に在った公方が京へ戻るにあたり、六角から出す五百の兵をどのように動かすかが話し合われていた。義賢は義治の反応へ触れることなく、「そなたなら、五百をどう動かす」と問う。それが答えそのものを求める問いではなく、元服した嫡男が「五百」という人数を与えられた時に、最初に何を考えるのかを見る問いであることは、この場の誰もが分かっていた。
義治はすぐには口を開かなかった。評定の間の畳へ広げられた絵図に視線を落とし、朽木から京へ至る道筋を目で追う。そのまま答えるかと思われたが、顔を上げると「一つ、お尋ねしてもよろしゅうございますか」と先に断りを入れた。義賢が続きを促すと、義治は「五百は、常に一つとして動かすのでございましょうか」と問い返す。道幅も、休息に使える場所も、馬を通せる箇所も同じではない。五百を一度に止められない場所があるなら、最初から幾つかに分けて動かす方が良いこともある。しかし、自分はまだ朽木から京へ至る道を全て自分の目で見ているわけではない。ゆえに、今この場で一つにするべきか分けるべきかを断言することは出来ない――そう説明する義治を見て、定秀はほんの僅かに顎を引いた。昔の亀松丸なら、まず手元にある条件だけで答えを作ろうとしたかもしれない。少なくとも三年前、関銭を弄り始めた頃の少年にはそういうところがあった。数字を集め、比べ、良いと思った方へ動かす。実際に人と荷が増えたことで、自分の考え方へ手応えも持ったのだろう。だが、その数字の外にいた者を見落とし、後から苦しむ者がいたことを知った。父から「今日見たものだけが全てではない」と叩き込まれ、衰えた市場へ自分で足を運び、数字の減った側だけでなく増えた側にも新しい暮らしが出来ていることを知った。その経験が、今の「知らないものがあるなら、先に確かめる」という答えへ繋がっていることは、近くで見てきた者には十分分かった。
「では、何を先に見る」
義賢がさらに問うと、義治は道幅、馬が通れるかどうか、兵を休ませる場所、水を得られる場所、そして五百全てを一つにして動かす必要が本当にあるのかを確かめたいと答えた。義賢が「敵が出ると思うか」と重ねれば、「分かりませぬ。ただ、公方様を御送りする以上、出ぬと思い込むわけにも参りませぬ」と返す。それならば兵を固めた方が良いのではないかと義賢があえて別の可能性を示しても、義治はそれを即座に退けず、「その場合もございまする」と一度受け止めた。膝の上で右手の指先が僅かに動き、短い沈黙の後に「故に、先に道を見まする」と結ぶ。義賢は何も言わず息子を見つめ、義治も試されていると分かっているのか視線を逸らさなかった。やがて義賢が「よかろう」とだけ答えて次の議題へ移ると、後藤賢豊が小さく息を吐き、進藤山城守賢盛は絵図から義治へ一度視線を移した。誰も褒めはしない。しかし、先ほどのやり取りをそれぞれが自分なりの尺度で測っていることだけは、互いに分かっていた。
その後の評定で、義治は必要以上に発言しようとはしなかった。意見を求められれば答え、自分が以前調べた数字や道の話が役に立つ場面では口を開くが、上座へ移ったからといって発言数まで増やそうとはしていない。元服前なら「嫡男の思いつき」として周囲が受け止められた言葉でも、これからは「右衛門督がそう考えている」という意味を持ち、それが時として家中の者の判断にまで影響する。本人がそこまで明確に意識しているのかは定秀にも分からなかったが、少なくとも軽々しく口を出さなくなったことは確かだった。やがて評定が終わり、義賢が右衛門督以外残れと一言口にすると、義治は評定の間の外で待機していた弥太郎を伴ってその場から離れていく。二人の足音が廊下の向こうへ消えるまで、残った者たちは誰もすぐには口を開かなかった。
「さて、どう見る」
最初に声を出したのは義賢だった。上座で僅かに姿勢を崩し、先ほどまで義治が座っていた場所へ視線を向けながら、それだけを問う。何についてか説明する必要はない。蒲生下野守、後藤但馬守、進藤山城守、三雲対馬守、目賀田次郎左衛門尉、平井加賀守の六人は、皆同じ人物について問われていると理解していた。最初に答えた定秀は、以前より答えを急がなくなったことを挙げた。考えること自体を嫌わないのは昔からだが、以前は一つ答えが出ればそこへ強く寄りかかるところがあり、今は自分の知らないものがある可能性を先に考えるようになった。関銭の件がよほど堪えたのでしょう、と定秀が言えば、義賢も「儂も随分言うたからな」と口元を緩める。ただし定秀は、慎重さを無条件に長所とは見ていなかった。考えることへ寄り過ぎる癖は依然としてあり、戦場では敵が必要な条件を揃えて待ってくれるわけではない。考えてから動くのでは遅い場面に置かれた時、義治がどう決断するのかはまだ見えない。それが定秀の評価だった。
後藤但馬守賢豊が見ているのは、より単純に武将としての義治だった。弓も太刀も同年代の若者と比べれば悪くなく、身体も数年前より随分出来てきたが、五百を率いることと五百を戦わせることは全く別である。今回の供奉は戦ではない。それでも、自分の前後に五百人の兵がいて、自分の一言でその進み方や止まり方が変わるという重さを知るには良い機会になる、と賢豊は考えていた。義賢から「怖じると思うか」と問われた時だけは口元を僅かに緩め、「怖じるくらいで良いのでは。初めから五百を率いて怖じぬ若者の方が、某はよほど怖うございます」と答えた。若さゆえの胆力と、何も分かっていない無鉄砲は傍目には似て見えることがある。賢豊が確かめたいのは、義治が五百を単なる「自分が動かせる兵の数」として見るのか、それとも、そこに五百人分の命と暮らしが乗っていると理解出来るのかという一点だった。
進藤山城守賢盛は、慎重になったことを褒め過ぎるべきではないと見ていた。義治は条件を揃え、比較し、そこから答えを出すことを好む。それは政を行う上では大きな強みになり得るし、調べもせず思いつきだけで決める者より遥かに良い。しかし現実には、全ての条件が揃うことなどほとんどない。十のうち六しか分からない時に、その六だけを使って決めねばならないこともある。今は義賢が当主だからこそ、義治は「まだ分からぬ」と立ち止まり、問い返すことも出来る。だが、自分が当主になれば、最後に決断する者は自分しかいない。その時に「条件が足りないから決められない」では家を動かせない。義賢が「決められぬ者になると」と確認すると、賢盛は、そうならないためにも分からないものを残したまま決める経験を今から積ませる必要があると答えた。慎重さという長所が、状況によっては決断の遅れという弱点へ変わる。それを今のうちから見極めるべきだというのが賢盛の考えだった。
目賀田次郎左衛門尉忠朝が面白いと感じていたのは、義治が以前より「銭の向こう」を見るようになったことだった。関銭を弄っていた頃は、人が増えた、荷が増えた、銭が増えたという数字を素直に喜び、梅酸丸を始めた頃も、何個売れた、幾つ残った、どこで多く売れたと細かく記していた。ところが最近は、同じ数字を前にしても、それによって誰が困ったのか、誰が得をしたのか、なぜそこへ人が動いたのかまで尋ねる。商いを見る者としては、その変化は歓迎すべきものだった。ただし、忠朝にも不満はある。義治は未だに自分で細部へ入り過ぎるところがあり、梅酸丸の出来を揃えるために飴の色や固さまで自分で確かめていた時には、さすがに次代の当主がそこまで見る必要があるのかと思ったという。その話には義賢まで「儂も思うた」と苦笑したが、忠朝が言いたいのは冗談だけではなかった。いずれ六角全体を見る者が、一つ一つの仕事を自分の目で確認していたのでは身体が幾つあっても足りない。以前より人へ任せることは覚え始めているものの、「自分で見なければ納得出来ない」という性質はまだ強く残っている。それをどこまで手放せるかも、当主になるまでに覚えるべきことの一つだった。
平井加賀守定武は、他の重臣とは少し違う位置から義治を見ていた。自分の嫡男である弥太郎を幼い頃から義治の側へ置いているため、評定の席で見える右衛門督だけでなく、その外にいる義治の姿まで耳へ入る。「変わった御方ではございます」と最初に言った時には義賢から「それは皆知っておる」と返され、座に小さな笑いが起きたものの、定武自身の評価は決して軽いものではなかった。義治は身分の下の者へ問い掛けることを厭わず、弥太郎にも、甲賀者にも、商人にも、何を見たのか、何故そう思ったのかを聞く。そして返ってきた答えが自分の考えと違ったからという理由だけで退けることも少ない。弥太郎など幼い頃は側仕えというより遊び相手に近いところもあったが、今では自分へ任されるものが増えたことを密かに喜んでいるらしい。ただし定武は、その「人の話を聞く」という性質にも危うさを見ていた。聞いてくれる主人だと分かれば、そこを利用しようとする者も必ず現れる。話を聞くことと、その話を信じることを分けられるかどうか。そこはまだ経験が必要だろう、というのが定武の見方だった。
最後までほとんど口を挟まなかった三雲対馬守定持に義賢が意見を求めると、返ってきたのは「人を使うことを覚え始められたかと」という答えだった。ただし、使い方が少々変わっている、と定持は続ける。義治へ付けた三人の甲賀者に対し、同じ命令を一律に与えるのではなく、人を見るのが得意な者には人を、道を見る者には道を、商いを見る者には荷や値を見せ、それぞれの性質に合わせて役目を分けている。三人そのものを選んだのは三雲だが、その違いを見出して使い分けたのは義治だった。そこまでは他の重臣たちも一つの長所として聞いていたが、定持が「そして、甲賀者を道具として割り切ってはおられませぬ」と続けたところで、評定の間の空気が僅かに変わった。
義賢がそれを悪いことかと問うても、定持はすぐに良し悪しを決めず、今のところは何とも言えないと答えた。義治は三人へ、「死ぬために使うつもりはない」「戻って報告するところまでが役目だ」「どうしても選ばなければならない時まで、勝手に命を捨てるな」と話したという。それを聞いた義賢は、随分甘いことを言うものだと表情を引き締めたが、定持の見方はもう少し複雑だった。甲賀者にとって、死ぬことそのものに価値があるわけではない。どれほど深く入り込んでも、得た情報を持ち帰れなければ意味がない場面はいくらでもあり、無駄に命を捨てさせないという考えそのものは間違っていない。ただし、それが情へ変わり過ぎれば話は別だった。時には危険と分かっている役目へ人を送り出さなければ、より多くの者を危険へ晒すこともある。義治がそこまで理解したうえで「死ぬな」と言っているのか、それとも未だ自分の命令で人を死なせた経験がないから言えるのかは、定持にも分からない。唯一確かなのは、三人が以前より義治へよく話すようになったことだった。忠を得つつあるのではないかと義賢に聞かれても、定持は「それも、まだ分かりませぬ。故に、見ておきまする」とだけ答えた。良い兆しにも悪い兆しにも、早々と名前を付けずに見続ける。それはいかにも三雲らしい態度だった。
六人の評価を聞き終えた義賢が「皆、随分厳しいのう」と小さく息を吐くと、定秀は涼しい顔で、御屋形様が聞かれましたので、と返した。そこで今度は平井加賀守から、では御屋形様ご自身はどう見ているのかと尋ねられ、義賢が黙る。評定の間にはすでに義治の姿はなく、先ほどまで嫡男が座っていた場所だけが残っていた。幼い亀松丸が襖から評定を覗いていた頃から、関銭を弄って得意になり、その結果の外側にいた者を見落として落ち込み、商いを始め、人を使い、甲賀者を持ち、自分の目だけでは見えないものを見ようとし始めた。その一つ一つを、この場の誰より近いところで見てきたのは義賢である。だからこそ答えは単純な褒め言葉にはならなかった。
「出来ることが増えた、とは思う。だが、それ以上に、出来ぬことを知るようになった」
義賢がそう言うと、六人は黙って続きを待った。幼い頃は、自分で考えて答えが出ればそれで良いと思い、数字が合えば嬉しそうな顔をし、失敗すれば目に見えて悔しがった。今は、自分が知らないものがあることを先に考えるようになった。それは間違いなく成長だろう。だが、進藤賢盛から今すぐ家督を任せられるかと問われると、義賢は一拍の迷いもなく「まだ無理じゃ」と答えた。その速さに何人かの口元が緩み、定秀が、右衛門督が聞けば落ち込むでしょうな、と笑う。義賢も「聞かせる必要はない」と返したが、その後に続いた言葉は父親ではなく当主のものだった。武もまだ足りない。人を見る目も足りない。情報が足りないまま決断する経験も足りない。そして何より、六角という家全体の重さを背負ったことがない。だから今すぐ任せることは出来ない。それでも、しばらく前までは考えもしなかったことを、今では考えるようになった。「いずれ任せられるかもしれぬ、とは思えるようになった」。それだけの言葉だったが、長く義賢へ仕えてきた六人には、その一言が決して軽いものではないと分かった。
義賢は最後に、今度の供奉で義治が何を見るのかが楽しみだと話した。五百の兵を見るのか、公方を見るのか、朽木を見るのか、それとも五百を率いる自分自身を見るのか。定秀が、恐らく全部を見ようとなさるでしょう、と答えると、義賢はすぐ「それで一つ二つ見落とす」と返し、定秀も「それも若様らしゅうございますな」と僅かに笑った。そこには、次代の当主がすでに完成したという安心もなければ、このままでは家を任せられないという悲観もなかった。出来ることと出来ないことの双方を長年見てきた者たちが、亀松丸だった少年を、ようやく一人の武将として本格的に見始めた、その途中にある静かな評価だった。
*
昼を少し過ぎた頃、観音寺城の奥にある庭には、朝の冷たさをいくらか和らげる日が差していた。冬へ向かう風はすでに冷たく、日陰へ入れば肩を竦めたくなるほどだったが、日の当たる廊下に座っている分にはまだ心地よさが残っている。小夜は側にいる女房から何か話しかけられていたものの、返事はどこか上の空になっていた。庭に珍しいものがあるわけではない。ただ、少し離れた渡り廊下を義治と弥太郎が歩いている。それだけなのに、気付けば何度も視線がそちらへ向いていた。元服してから城の中では義治を右衛門督様と呼ぶ者が増え、小夜の周囲にいる女房たちも以前のように亀松丸様とは言わなくなった。評定へ座る場所も変わり、公方を迎えに五百もの兵を率いて朽木へ行くのだと、周囲はまるで急に遠い場所の人になったように話している。それでも小夜の目には、渡り廊下を歩く人物が昨日までと全く別の人になったようには見えなかった。
弥太郎が何かを言えば、義治は少し眉を寄せ、それでも相手がさらに言葉を続けると、今度は呆れたような顔をする。声までは届かないが、あの表情なら「分かっておる」とでも言っているのではないか、と小夜には何となく想像出来た。皆は大人になられたと言う。元服した、右衛門督になった、五百を率いる。その一つ一つは確かに以前とは違うのだろうが、弥太郎と並んで歩き、昔と同じように何かを言い返している様子だけを見れば、それほど変わっていないようにも思えた。側の女房に「先ほどからあちらばかり御覧になっております」と指摘され、小夜は見ていただけだと返したものの、女房が意味ありげな顔をしたため、「何も言わないなら、その顔をやめて」と少し眉を寄せる。慌てて視線を下げる女房を見ながら、小夜自身も、自分が何故何度も義治の方へ目を向けていたのかを考えた。
好いている、というほどのものではない。少なくとも自分ではそう思っている。ただ、猿夜叉丸が城の中でいつもと違うことをしていれば気になるのと似ていた。怪我をしていれば何があったのかと思うし、長く姿が見えなければどこへ行ったのだろうと思う。義治もいつの間にか、それと同じ程度には「何もなければ気にしないが、何かあれば気になる人」になっていた。猿夜叉丸ほど近しくはなく、相手は六角家の嫡男で、今では右衛門督でもある。それでも幼い頃から同じ城の中にいて、時折顔を合わせ、最近では以前より言葉を交わす機会も増えた。そんな人が急に遠くへ出ると聞けば、少しくらい気になるのはおかしくない、と小夜は自分の中で整理した。しかも行き先は朽木であり、公方を迎えて京まで護るために五百の兵を伴う。戦ではないと聞いてはいるが、兵を五百も連れていく以上、何も起こらないと最初から決まっているわけでもないだろう。
そんなことを考えているうちに、渡り廊下を歩いていた義治がこちらへ顔を向けた。目が合うと、小夜は思わず背筋を伸ばす。義治は弥太郎へ何か短く告げてその場へ待たせると、自分だけこちらへ歩いてきた。
「小夜」
「若様」
頭を下げながら、小夜は元服後も城内で近しい者なら若様と呼んでよいと聞いていて良かったと思った。右衛門督様と呼べば、まるで今までよりずっと遠い人になってしまったように感じただろう。
「先ほどから見ておったであろう」
見られていたことに気付いて少し言葉に詰まりながら、小夜は朽木へ行くと聞いたからだと答えた。公方を迎えに行くこと、距離が決して近くないことを確かめた後で、「危なくはございませぬか」と口にすると、義治が一瞬だけ目を丸くする。戦をしに行くわけではない、と言われても、小夜には五百もの兵を連れていくという事実の方が気になった。「心配してくれるのか」と目元を緩めて聞かれ、誤魔化す理由も思いつかなかった小夜は、「……少しだけ」と正直に答えた。
「猿夜叉丸様が遠くへ出られると聞いても、同じように思います」
「そうか。ならば、帰ってこぬと困るな」
「困ります」
「分かった。気を付ける」
あまりにも普通に返され、小夜はかえって拍子抜けした。「それだけでございますか」と思わず聞けば、「他に何を言えばよい」と返され、確かにそうだと納得するしかない。義治は軽く笑い、「ありがとう、小夜」とだけ言って弥太郎のところへ戻っていった。その背を見送りながら、小夜は、以前ならもう少し近いところにいる人だった気がする、と思った。今も同じ城にいるし、話せば今まで通りに話す。それでもこれからは右衛門督として外へ出て、評定に座り、人を率い、公方を迎えに行く。大人になったというより、以前より遠くまで行ける人になった、と言った方が小夜にはしっくり来た。それでも帰ってくる場所までは変わっていない。観音寺城へ戻り、また弥太郎と何かを言い合いながら廊下を歩くのだろう。そう思うと、胸の内にあった小さな落ち着かなさが、ほんの少しだけ薄れた。
*
その日の夕刻、観音寺城の兵具蔵近くでは、普段よりはるかに多くの人間が行き交っていた。公方帰京に伴う護衛の準備が始まり、武具の確認、馬具の手入れ、草鞋や食糧の数、同行する人員の取りまとめまで、普段なら別々に動く者たちが同じ場所へ集められている。五百という数は、評定の中で口にすれば一言で済む。だが、実際に動かそうとすれば五百人分の飯が必要になり、休ませる場所も、履き潰す草鞋も、馬の飼葉も、傷んだ武具の代わりも必要になる。城内の家臣たちにとっては、右衛門督の初仕事である以前に、自分たちが一つずつ準備しなければ何も始まらない大きな仕事だった。
そんな中、若い家臣たちの間では義治の話も自然と出ていた。米が何日分あるかという話から、七日分だと聞いているが本当に五百全員分なのか、そこまでは知らないなら右衛門督に聞かれた時に困るぞ、という軽口へ変わり、いつの間にか「若様は何でも数える」「数だけならまだ良い。何故そうなったかまで聞かれる」「足りぬと言えば何故足りぬ、増えたと言えば何故増えた、知らぬと言えば誰なら知っているのかまで聞かれる」と、日頃の義治評へ話が移っていった。面倒な御方だ、と笑う者はいても、そこに強い恐れはなかった。六角家の嫡男であり、今では右衛門督という官を持つ人物ではあるが、義賢のように一言で場を張り詰めさせるほどの圧はまだない。声を荒らげることも少なく、「分からない」と答えたからという理由だけで機嫌を損ねることもない。
むしろ家臣たちが困るのは、適当に分かったふりをした時だった。「分からぬ」ならそこで終わることもあるが、「大丈夫です」と言えば何故大丈夫なのか、「足ります」と言えば何人に何日足りるのかを聞かれる。先日も馬が三十頭いると報告した者が、そのうち三頭は脚を悪くして使えないと答えたところ、「なら使えるのは二十七頭ではないか」と返されたという話で笑いが起きた。「正しいな」「正しいから困る」。そんなやり取りからも分かるように、若い家臣たちの間ではいつからか、義治について「怖くはないが、誤魔化しにくい」という見方が広がり始めていた。失敗したことそのものより、間違った情報をそのまま上げることの方を嫌うらしいということも、少しずつ知られるようになっていた。
その笑いが不意に消えたのは、兵具蔵の入口側にいた男が口を閉じたからだった。全員がその視線を追うと、義治が弥太郎を連れてこちらへ歩いてくる。今の話が聞こえていたかどうかは分からないが、先ほどまで笑っていた者たちの背筋が一斉に伸びた。頭を下げる家臣たちを見回した義治は、兵糧の確認をしていると聞いたとだけ言い、何日分あるのかを尋ねた。代表して一人が「七日分にございます」と答えると、義治の眉がほんの少し動いた。
「五百全てか」
その一言で返事が止まった。横にいる弥太郎が僅かに視線を逸らし、笑いを堪えているように見えたことが、答える家臣の緊張を余計に強くする。
「……四百八十ほどにございます」
「二十人分足りぬのか」
「はい」
義治はすぐに怒鳴らず、答えた男の顔を見たまま少しだけ黙った。その沈黙の方がかえって怖く、男の額へ薄く汗が浮かぶ。
「ならば最初からそう申せ。足りぬことより、足りぬのに足りると言われる方が困る」
その後の確認で、予定より同行する者が今朝になって二十人増えたため不足が出たことが分かると、義治はそれ自体を強く責めなかった。事実を一つずつ並べ直すように、いつ人数が増えたのか、明日までに不足分を揃えられるのかを確かめた後、「一度に城下から買うなよ」とだけ注意を加えた。予想外の指示に家臣が顔を上げると、義治は、五百人分の物を短い期間で一つの場所から集めれば値が動き、今回の供奉とは何の関係もない城下の者まで米や味噌を高く買わなければならなくなるかもしれない、と説明した。足りないのは二十人分なのだから、急いで一所から買い集める必要はない。幾つかに分け、余裕のあるところから買い、宗兵衛にも市の値動きを見させる。そこまで指示すると、義治は説教を続けることもなく、弥太郎を伴って次の確認へ向かった。
姿が見えなくなってから、家臣たちはしばらく黙っていた。やがて一番若い男が「……やはり聞かれましたな」と口にし、周囲から「だから申したであろう」「しかも理由までな」と苦笑が返る。怒られなかったことを不思議がる者には、足りないことそのものではな、と別の者が答え、もし御屋形様ならどうしただろうという話になれば、結局最初に「何故足りぬ」と聞かれるのだから大して変わらない、という結論になってまた小さな笑いが起きた。しかし先ほどまでの軽口とは少し空気が違っていた。細かい御方だ。面倒でもある。けれど、何を言えばいいか分からない主人ではない。足りなければ足りないと言えばよく、分からなければ分からないと言えばよい。その代わり、誤魔化せば必ずその先まで聞かれる。そして、二十人分の兵糧が足りないという話から、城下の米価まで考えが飛ぶ。家臣たちにはその理屈の進み方を完全には理解出来なくても、「若様ならそう考える」という人物像だけは少しずつ共有され始めていた。
観音寺城の中で、亀松丸を知っている者は多い。好奇心の強い子供だったと覚えている者も、帳面ばかり付けていたと笑う者も、関銭を弄って人の流れを変えたことを知る者も、その後に市場へ何度も足を運んでいたことを知る者もいる。その少年が元服し、右衛門督となったからといって、城の者たちの記憶から昔の姿が消えるわけではなかった。むしろ昔を知っているからこそ、変わったところと変わらないところの両方がよく見える。慎重になったと見る者がいる一方で、細かなところへ拘る性質は昔から変わらないと言う者もいる。以前より人の話を聞くようになったと感じる者もいれば、義賢ほど人を従わせる威はまだないと見る者もいる。どれか一つだけが正しいのではなく、それぞれが自分の立場と距離から見た義治の姿だった。
義治自身が自分をどう見ているかとは別に、周囲ではすでに「六角右衛門督義治」という人物への評価が少しずつ形を持ち始めていた。元服した姿も、右衛門督という官途名も、それまでに積み上げてきた評価を一日で作り替えることは出来ない。これから何を命じ、何を人へ任せ、どんな結果を出し、失敗した時に何を認め、どこで決断するのか。その積み重ねを、義賢や六人衆は次代の当主を測る目で見て、城の家臣たちは日々の仕事の中から見て、小夜のように政とは違う場所にいる者はもっと身近な表情や振る舞いから見ていた。同じ一人の人物を見ながら、見えているものはそれぞれ違う。それでも皆が共通して感じ始めていることが一つあるとすれば、亀松丸と呼ばれていた頃と全く同じ少年ではなくなりつつある、ということだった。
そして間もなく、その義治は観音寺城を離れる。これまで城の中で見られ、試され、失敗し、そのたびに周囲の誰かから何かを教えられてきた若者が、今度は六角家の名を背負い、五百の兵を伴って家中の外へ出る。重臣たちは、その道中で義治が何を見るのかを考えていた。家臣たちは、自分たちの若い主人が五百をどう動かすのかを気にしていた。小夜はただ、何事もなく戻ってくればよいと思っている。それぞれの視線も期待も同じではないが、誰もが自分なりの位置から、少しずつ形を変え始めた若者を見ていた。観音寺城の中で亀松丸を知る者たちにとって、六角右衛門督義治として初めて城を出る日は、義治本人が思っている以上に、その変化を確かめる日になろうとしていた。