京が近付くにつれて、道の両脇へ集まる人の数は目に見えて増えていった。初めは遠巻きにこちらを見る者がいる程度だったものが、やがて家々の前や道の脇に人だかりが出来るようになり、公方様の姿が見えると頭を下げる者、声を上げる者、その様子を少し離れたところから黙って眺めている者まで現れる。全員が公方様の帰京を心から喜んでいるのか、それとも単に珍しいものを見ようとしているだけなのかまでは分からない。それでも朽木からここまでの道中で見てきたものとは、明らかに空気が違っていた。
俺は馬上から前方と道の両脇へ視線を動かした。京へ入るというだけなら、前世では何度も経験している。修学旅行の引率で来たこともあれば、個人的に寺社を見て回ったこともある。だが当然、目の前に広がっているのは俺の知っている京都ではない。高い建物も舗装された広い道路もなく、代わりに土埃の立つ道があり、その両側へ木と土で造られた家々が続き、所々には寺社の大きな屋根が見える。何度も戦火を受け、昔ほどの姿ではないと聞かされていた。それでも人の数も荷の量も、近江で見てきた町とは比較にならない。これだけの人間が毎日食べ、物を売り、物を買い、どこかへ運ぶ。そのことを考えただけで、頭の中で勝手に数字を並べたくなる。
「若様。前を」
弥太郎の声に視線を戻す。どうやら人の流れへ気を取られていたらしい。公方様の一行が少し速度を落とし、幕臣たちが位置を整え始めている。京へ入ったからといって、こちらの役目が終わったわけではない。むしろ人が増え、見通しが悪くなる分だけ気を付けることは増えている。
「……すまぬ。少し見入っておった」
「珍しいものが多うございますからな」
弥太郎の口元には僅かな笑みが浮かんでいた。以前なら篠が指摘していたようなことまで気付くようになったらしい。からかうような視線を横目に、俺は改めて前方へ意識を戻した。五百を率いている以上、自分一人だけが町を眺めていればいいわけではない。
先へ出ている者からは、道に大きな支障はないと報告が来ている。後ろも遅れてはいない。荷駄を担う馬の一頭が少し歩みを鈍らせているらしいが、交替させるほどではないという。数日前ならその報告を聞けば自分で確かめたくなったかもしれない。今は任せた者が問題なしと判断したなら、その判断を受け取るだけでよいと思えるようになっていた。
公方様の周囲には、京へ近付くにつれて人が増えている。朽木を出た頃には見なかった顔も混じり始め、出迎えに来たらしい武士や使者が順に挨拶へ進んでいる。そのたびに列が少し緩み、また整う。公方様自身も、道中で俺と話していた時とは明らかに違う顔をしていた。背筋を伸ばし、周囲へ向ける視線も強い。こちらへ冗談を言い、竹若丸のことを楽しそうに話していた人物と同じであるはずなのに、今は近付く者全てから将軍として見られている。その視線を受け止めるためなのか、本人の中でも何かを切り替えているように見えた。
立場が人を作る、という言葉を前世で何度か聞いたことがある。あまり好きな言葉ではなかった。立場に就いただけで人間が急に立派になるわけではないと思っていたからだ。教師になったからといって、採用されたその日から全員が立派な教育者になるわけではない。俺自身、何年経っても分からないことはあった。
けれど立場によって求められる顔が増えるという意味なら、今は少し分かる気がする。公方様は朽木にいる時には一人の人間として笑うことが出来た。だが京へ戻れば、周囲はそれだけを許してはくれない。将軍として見られ、判断し、言葉を発することを求められる。
それは俺も同じなのだろう。弥太郎や篠の前で気負わず話す時と、五百の兵を前にして命を出す時。どちらかが偽りなのではなく、どちらも自分なのだ。ただ背負っているものが違う。そう考えているうちに、一行はさらに京の内へ入っていった。
*
公方様を御座所まで送り届ける頃には、日はすでに傾き始めていた。途中何度か列を止めることはあったものの、大きな混乱はなかった。公方様の周囲を固める幕臣たちも、京へ入ってからはそれぞれの役目へ戻っていくように動き始め、六角勢も最後まで護衛の形を崩さず目的地へ着いた。門を潜り、公方様と幕臣たちが中へ入っていくのを確認した時、俺はようやく肩から少し力が抜けた。
「終わりましたな」
隣で弥太郎が言う。
「まだじゃ。五百を連れて帰らねばならぬ」
弥太郎は一瞬意外そうな顔をした後、いかにも俺らしい答えだと笑った。少し前までなら俺自身、公方様を送り届ければ役目は終わりだと思っていたかもしれない。だが今は、そう考えるわけにはいかなかった。
後方では五百の兵がそれぞれ決められた場所へ移動し始めている。京の内で全員を一か所へ置くわけにもいかず、今夜の宿も幾つかへ分けてある。馬も休ませなければならない。兵糧の残りや帰路へ使える草鞋の数も確かめる必要がある。御座所へ着いた。それで終わりではない。帰るまでが役目だ。いや、正確には帰ってから父上へ報告するところまでだろう。
「弥太郎。今夜の宿割りと馬の具合をもう一度見ておけ。帰りに使えぬほど疲れているものがおれば、明日のうちに替えを考える。それと怪我人や具合の悪い者もじゃ」
「そちらはすでに確認させておりまする。若様が仰ると思いましたので」
先を越された。弥太郎の少し得意そうな顔を見ながら、俺は苦笑する。
「……頼りにしておる」
「存じておりまする」
そう答えて弥太郎が離れていった後も、俺はしばらくその場に残って周囲を見ていた。兵たちの顔には明らかに安堵が見える。戦へ来たわけではないとはいえ、将軍を護衛して山を越え、京まで来たのだ。緊張していなかった者の方が少ないだろう。
戦わなかった。誰とも槍を合わせず、矢も飛んでこなかった。だからといって何もなかったわけではない。五百人を数日歩かせ、飯を食わせ、馬を動かし、荷を運び、予定した場所へ連れてきた。その途中には馬が脚を痛めたこともあり、草鞋が切れた者もいた。予定していた場所で十分な水が取れず、少し先まで進んだこともある。休憩を取るにしても五百人全員が腰を下ろして食事を終えるまでには時間が掛かり、先頭が動き出しても最後尾はまだ止まっていることがあった。
帳面の中では五百と一つの数字だったものが、実際に動かせば五百人分の身体になる。腹も減れば疲れもする。怪我もする。そんな当たり前のことを、俺は今回初めて本当の意味で知ったのかもしれない。
*
夕刻近くになって、公方様から呼び出しがあった。御前へ出ると、公方様は京へ入った直後ほど張り詰めた顔ではなかったが、それでも道中とは違う。周囲には幕臣が控え、俺も自然と背筋を伸ばした。
「右衛門督。此度は大儀であった。左京大夫にも礼を伝えよ。五百もの兵を出してくれたこと、忘れぬとな」
「勿体なき御言葉にございます。必ず申し伝えまする」
公方様は頷き、それから少しだけ俺を見た。
「そなたも初めての供奉であったな。如何であった」
一瞬、答えに迷った。何を聞かれているのか。京を見た感想なのか、五百を率いた感想なのか、公方様を送った感想なのか。少し考えた後、正直に答えることにした。
「五百という数を、少し軽く考えていたようにございます」
周囲の幕臣の何人かがこちらを見る。公方様も意外そうな顔をしたので、俺は言葉を続けた。
「五百を率いると申すだけなら簡単にございます。されど実際には五百人が腹を空かせ、疲れ、馬も草鞋も傷みまする。止まれば全員が止まるまで時間が掛かり、進めば全員が動き出すまで時間が掛かる。思っていたより随分大きなものにございました」
「戦ではなかったぞ」
「はい。されど戦でなくとも、人を動かせば同じかと」
言ってから、少し生意気だったかと思った。だが公方様は怒らず、むしろ口元を緩めた。
「左京大夫がそなたを寄越した理由が、少し分かった気がするわ」
「父上が何を考えておったかまでは、某にも分かりませぬ」
「分からぬことばかりじゃな、そなたは」
朽木領で言われたことを思い出し、思わず口元が緩んだ。以前よりは分からないことを分からないと言えるようになったつもりだが、それが良いことなのかと改めて問われれば、まだ自信を持って答えられるわけではない。そのように話すと、公方様は声を立てて笑った。周囲の幕臣の中には僅かに困った顔をしている者もいたが、公方様が楽しそうなので何も言わなかった。
「右衛門督。また京へ来い。此度は供奉であった。そなた自身は京をほとんど見ておらぬであろう」
「……よく御存じで」
「道中でも荷ばかり見ておったからな。竹若丸にも似たようなことを言われておったであろう」
そこまで覚えているのか。人も見るようにしていると返すと、公方様はもう一度笑った後、表情を少しだけ改めた。
「京には人がおる。人がおれば思惑もある。近江だけ見ていては分からぬことも多い。右衛門督を名乗るのであれば、いずれ嫌でも関わることになろう」
「肝に銘じまする」
それ以上長く話すことはなかった。俺は改めて礼を述べ、御前を退いた。廊下へ出てから一度だけ息を吐く。将軍と普通に話せるようになったわけではない。むしろ話せば話すほど、あの人の一言が周囲へ与える影響を考えてしまう。
竹若丸へ近江半国。あれも本人にとっては単なる褒め言葉だったのだろう。けれど聞く者によって意味は変わる。今日の「また京へ来い」も、誰かが聞けば俺と公方様が親しいと受け取るかもしれない。立場が付けば、言葉には自分の意図とは別の意味が増えていく。そのことだけは忘れない方がよさそうだった。
*
京での一夜を終えた翌朝、六角勢は帰路へ就いた。行きと違い、公方様と幕臣たちはいない。守るべき中心が一つ消えた分だけ隊列そのものは動かしやすくなった。それでも五百人であることに変わりはなく、帰りだからといって気を抜くわけにはいかない。
兵たちの空気は行きより明らかに軽かった。役目を終えた安心感があるのだろう。行きには黙々と歩いていた者たちの間にも小さな話し声が増えている。宿で京の話をしていた者も多かったらしい。宗兵衛からは、何人かが土産を買いたがったため、出立に遅れぬ範囲で許したと報告を受けた。
「若様も何か買われればよろしかったのでは? 小夜や猿夜叉丸様へ何かあれば喜ばれたかもしれませぬぞ」
馬上で弥太郎が言う。俺も少しは考えたのだが、結局何も買わずに京を離れることになった。
実際には商人の荷や店先を見るたび、別のことを考えてしまっていた。何がいくらで売られているのか。どこから運ばれてきたのか。人が多いところではどんな品が目立つのか。そんなことばかり見ていて、土産まで頭が回らなかった。
「次に来た時でよい」
「公方様にも、また来いと言われたのでしょう?」
「何故知っておる」
「御前を出られた後、随分難しい顔をしておられましたから」
また顔に出ていたらしい。篠の真似をするなと文句を言えば、弥太郎は長く側にいるから分かるのだと笑った。その顔を見ながら、俺も少し肩の力を抜いた。
帰路は行きよりも楽だった。道を一度通っていることも大きい。どこで休めるか、どこで水を取れるか、どの辺りで道が狭くなるかを皆が知っている。弥七から上がってくる報告も、行きほど細かく確認する必要はなかった。その分、俺は兵たちを見る余裕が出来た。
歩きながら干飯を口へ入れている者がいる。休憩になるとすぐ水を飲み、しばらく何も食べず横になる者もいる。道中、飯を炊く時間が取れない時には携えている物で済ませるしかない。五百人全員へ十分な食事を毎回決まった時刻に用意する。言葉にすれば簡単だが、現実には難しい。天候で遅れることもあれば、道が塞がることもある。敵がいれば飯を炊いている場合ではないこともあるだろう。
戦になれば、もっと酷い。
ふと昔作った梅酸丸が頭を過った。あれなら小さく、荷にもなりにくい。水飴を使っているから、疲れた時に口へ入れれば多少の力にはなるだろう。梅と塩気もある。今の物をそのまま使えるかは分からないが、少なくとも歩きながらでも食べられる。
ただ、使えると決めつけるのは早い。どの程度持つのか、暑い時にどうなるのか、一人一日に幾つ必要なのか。五百人、千人、五千人へ配るなら、作れる数や材料、値も確かめなければならない。考えることは多いが、今回実際に五百人を動かしたからこそ見えた問題だった。城に戻ったら、帳面を見直そう。そう考えながら、俺は歩き続ける兵たちへ改めて目を向けた。
*
観音寺城が見えたのは、それからさらに数日後だった。遠くに見慣れた山と城が見えた瞬間、兵たちの間から僅かに声が上がった。京へ入った時とは違う声だった。珍しいものを見た時ではなく、自分の家へ帰ってきた者の声である。
俺自身も思っていた以上にほっとしていた。出立した朝には、城があれほど遠く感じるとは思わなかった。大手へ近付くにつれ、見送りの時と同じように城内の者たちが集まり始める。先に帰還を知らせる者を出してあったため、父上にもすでに話は届いているはずだ。
列を整えたまま大手を潜り、最後の兵が城内へ入ったことを確認する。行きに出た五百から、一人も欠けてはいない。怪我人はいる。馬も何頭か替えた。途中で体調を崩した者もいた。それでも全員が戻ってきた。そのことに気付いた瞬間、胸の中にあったものがようやく軽くなった。
「若様。今度こそ終わりましたな」
弥太郎が隣から声を掛ける。俺は大手の内側へ視線を向けた。少し先に父上がいる。
「いや。父上へ報告するまでじゃ」
弥太郎がいかにも呆れたように息を吐いたので、思わず苦笑した。自分でも細かいとは思う。だが出立する時に父上から任された役目なのだから、最後まで報告して初めて終わりだろう。
二人で馬を進めた。
父上は見送りの時と同じように、大仰な姿勢を取ることなく待っていた。俺が馬を降りて前へ進み、膝をつく。
「父上。ただ今戻りました。公方様は無事、京へお送りいたしました。道中、大きな支障はございませなんだ。怪我をした者、具合を崩した者はおりまするが、此度連れて出た者は皆、戻っております」
父上は俺の顔を一度見た後、しばらく後方へ目を向けていた。戻ってきた兵たちの列を確かめ、それから俺へ視線を戻す。
「ならば、それでよい」
その一言だけだった。褒められたというほどでもない。けれど出立前に言われた言葉を思い出した。無事に連れて行け。そして無事に戻ってこい。それが出来れば十分だと。今の父上の言葉には、任された役目を果たしたと認める意味があるのだろう。
「はい」
俺は深く頭を下げた。
*
その夜、自室へ戻ってからもすぐには眠る気になれなかった。
机の上には京から持ち帰った道中の記録が置かれている。兵の数、馬の数、荷の量、使った兵糧、途中で補った物、休んだ場所、遅れた時間。担当した者が記録したものを集めただけでも、それなりの量になっている。だが帳面に並んだ数字を眺めていると、そこに記された一つ一つが単なる数ではなかったことを思い知らされる。
兵糧の一俵は誰かが背負って運んだ荷であり、馬一頭の不調はその馬に荷を預けていた者の足を止め、隊列全体の進みを遅らせる。休憩の時間が僅かに延びれば先の宿場へ着く時刻が変わり、日が暮れれば野営の準備や警戒に割く人手まで増える。五百という数字の裏側には、それぞれの腹、足、眠り、疲れ、怪我、そして兵たちを支える荷と人手があった。
その横には、以前から付け続けていた別の帳面があった。三年に渡って試してきた市の記録である。商人の数、荷の動き、宿や人足の様子、市から入る銭。その周囲で増えたものと減ったものまで書き残してきたが、以前はそれぞれを別々の問題として見ていた。
市を開けば商人が集まり、商人が集まれば荷が動き、人足が必要になる。人足が増えれば宿や飯を用意する者も要る。そこから銭が生まれ、また別の品や材料が運び込まれる。だが、どこか一つが滞れば他のものも連鎖して止まる。商人が来ても道が悪ければ荷は届かず、荷が届いても人足が足りなければ売り場へ並べられず、品が売れても宿がなければ次の商人は戻ってこない。市というものは、ただ人を集めて店を並べれば成り立つものではなかった。
さらに棚の奥には、昔作らせた梅酸丸の記録も残っている。材料の量、出来上がった数、硬さ、保存した日数、売れた場所。最初は単に売れる物を作って、自分の目となる者を持つための銭を少しでも得ようと始めたものだった。味を整え、形を揃え、包み方を考え、どのような場所で売れるのかを確かめる。その程度の小さな試みだったはずなのに、今になって見返すと、そこにも材料を集める者、作る者、包む者、運ぶ者、売る者がいる。梅酸丸一つを作るだけでも、決して一人の工夫だけで完結するものではない。
その三つが、今は別々のものに見えなかった。
人が動き、物が動き、銭が動く。そして兵も動く。どれも数だけでは動かず、その向こうには必ず人がいる。人を動かすには食わせなければならず、その食べ物を運ぶには道と人足、馬が必要になる。それらを動かすには銭が要り、銭を得るには物を売り、商いを成り立たせなければならない。市も軍も表面だけを見れば別のものに思えるが、実際には多くの人と物の流れによって支えられているのだ。
五百の兵を動かした今回の供奉で、はっきりしたことがある。兵を増やすだけが家を強くすることではない。五百人を予定した場所へ連れて行き、腹を空かせたまま倒れさせず、怪我や遅れへ対処し、馬を休ませ、荷を失わず、また五百人を連れて帰る。そのために必要な仕組みを整えることも、兵を持つ者の務めなのだろう。槍を増やし、弓を揃え、兵を集めるだけでは、いざという時にその力を使い切れない。戦場へ着く前に疲れ果て、腹を空かせ、荷が尽きれば数の多さなど何の意味も持たなくなる。
それも軍の力だ。いや、軍だけではない。市を開き、道を整え、宿を増やし、物を作り、銭を巡らせることも、いずれは同じところへ繋がっていく。領内で人と物が滞りなく動けば、兵を動かす時にも余裕が生まれる。逆に普段から人も物も動かない領地では、急に兵を集めても必要な物を揃えられない。そう考えれば、六角家を強くするために俺が今から出来ることは、まだ幾らでもあるように思えた。
俺は一番上にあった道中の帳面を開き、今回の供奉で何がどれだけ必要だったのかを改めて確かめ始めた。兵一人が一日に食べる量、馬一頭が必要とする飼葉、荷駄の数とそれぞれに積める重さ、休憩を取るために必要な時間、怪我人が出た時に隊列へ生じる遅れ。道中で補える物と城から持ち出さなければならない物も分けて考える必要がある。梅酸丸を携えるなら、どの程度の数を用意し、どれほどの期間保存出来るのかも確かめなければならない。
考えるべきことは多い。だが、今までのように思い付いたことを一つずつ試すだけでは足りない。人を動かすために必要なものを、最初から最後まで一つの流れとして見なければならない。俺は筆を取り、帳面の端へ兵糧、水、飼葉、荷駄、休息、道、人足と書き並べた。
その一つ一つに、今回の道中で見た兵たちの顔が重なっていく。歩きながら干飯を口へ入れていた者、休憩に入るなり水を飲んで地面へ腰を下ろした者、脚の痛む馬を気遣いながら荷を別の馬へ移していた者。誰か一人の不調が、本人だけでなく周囲の者たちの手を必要とする場面も何度もあった。帳面へ記した数字や項目の裏には、そうした人々の働きや苦労がある。
数字の向こうにいる者を忘れずに。それだけは、これからも心に留めておかなければならない。俺は帳面へ視線を落としたまま、もう一度筆を動かした。今度は思い付いたことをただ並べるのではなく、それぞれがどう繋がり、何が足りなければ人の動きが止まるのかを確かめるために、最初から書き直し始めた。
一話の文字数はどのぐらいが読みやすいですか?
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