淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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第三十話「収め方」

 蒲生下野守が清水山城へ向かうことになったと聞いた時、俺は当然のように自分も行くものだと思っていた。高島六家を一度ぶつけるべきだと進言したのは俺であり、父上からも最後まで見よと言われている。戦場へ出ることは出来なかったとしても、その後の和睦まで見届けるのが筋だと考えていたからだ。だが評定の終わり際、父上から短く「そなたは残れ」と言われた。理由を尋ねると、父上は少し呆れたように俺を見てから、此度の六角は争いを収める側として表へ出るのだと答えた。高島と朽木を戦わせるべきだと強く主張した俺が、その和睦の席へ六角家嫡男として顔を出せば、必要のない意味まで与えることになる。まして竹若丸が六角の関与をどこまで掴んでいるかも分からない以上、わざわざ相手へ材料を増やすことはない、ということだった。

 

 言われてみればその通りだった。俺が竹若丸ともう一度話してみたいと思っていることと、今この時に六角右衛門督義治として竹若丸の前へ出ることはまったく別の話だ。朽木で別れた時には、次はもう少しゆっくり話せればよいと言った。あの時は本当にそう思っていたし、今もその気持ちは変わっていない。だが、あれから起きたことを考えれば、同じように言葉を交わせるとは限らなかった。竹若丸が六角の関与を知らなければ、俺は真実を隠したまま話すことになる。知っていれば、俺がどこまで関わったかを探られるかもしれない。さらに悪いことに、竹若丸が真相を知らずとも、俺自身には負い目がある。好感を持てる相手だと思いながら、その相手が攻められることを承知で戦を止めなかった。その事実は、相手が知っているかどうかとは関係なく残る。

 

 幕府からは細川兵部大輔藤孝が出るという。公方様が朽木へ手を出さぬよう周囲へ示した意向を、高島六家が結果として破った以上、幕府が和睦に関わるのは当然だった。六角から蒲生下野守、幕府から細川兵部大輔、そして当事者である朽木と残る高島四家。表向きだけを見れば、争いを起こした国人たちを六角と幕府が仲裁する形になる。その形を崩さないためにも、俺は観音寺城に残るべきなのだろう。納得はした。それでも下野守が城を発つ姿を見送った時、胸の奥に残ったものが無くなったわけではなかった。

 

 戦の結果を待っていた時とは違う不安だった。あの時は、高島千二百と朽木三百という数字があり、地形があり、六家の不和があった。少なくとも、何が勝敗に影響するのかを考える材料は目に見えていた。だが今度の相手は人の言葉だった。蒲生下野守が何を隠し、残る四家が何を言い、細川藤孝がどこまで疑い、竹若丸が何を知った上で何を口にするのか。数字へ置き換えることは出来ない。まして一度口にした言葉は、父上が言ったように相手へ渡った瞬間からこちらだけの物ではなくなる。戦が終わった今になって、俺は戦場とは別のところにも同じくらい怖いものがあるのだと感じていた。

 

 下野守が出立した翌日、篠から高島周辺の報告が上がってきた。戦そのものは終わり、高島と田中の城も朽木に押さえられている。村に大きな乱れは見られず、商人の中には早くも道が落ち着くのではないかと話す者までいるらしい。一方で、高島六家がどうして公方様の御意を承知しながら朽木へ攻め込めたのか、その背後に何かあったのではないかと口にする者も出始めていた。

 

「六角の名は出ておるか」

 

「出ております。ただし、六角が命じたと断じるものではございませぬ。高島の者らだけで公方様の御意に背けたのか、と疑う声にございます」

 

「誰かが流しておるようには見えるか」

 

「そこまでは分かりませぬ」

 

 篠はそう答えた。俺もそれ以上は求めなかった。朽木が意図して広げている可能性はある。戦の前から流れていた噂を考えれば、その延長として疑いたくもなる。だが、疑えることと事実であることは違う。何より、今回は六角が実際に後ろから高島を動かしている。誰かが意図して噂を流さなくとも、事情を知る者が少し考えれば同じ疑問へ辿り着いても不思議ではなかった。

 

「篠。今まで通りでよい。誰が何を申したか、分かる範囲だけ持ってこい。朽木がやったと思うから朽木の痕跡を探す、という見方はするな」

 

「はい」

 

「それと、高島の者が六角をどう見ておるかも拾ってくれ。此度のことで、朽木だけを見ておればよい話ではなくなった」

 

「承知いたしました」

 

 篠が下がった後、机の上の高島の地図へ目を向ける。以前なら七つの家の名を書き分けて見ていた場所だった。朽木、高島、田中、永田、高島の平井、横山、山崎。それが今は高島と田中の二つが消えようとしている。線を引き直すだけなら簡単だ。だが地図の線が動けば、その中に暮らす者の主も変わる。税を納める相手が変わり、兵として従う相手が変わり、商いの道も変わる。竹若丸が戦場で勝ったという結果は、もう地図そのものを変え始めていた。

 

 *

 

 蒲生下野守が観音寺城へ戻ったのは、それから数日後だった。帰還したとの報せを受けて間もなく評定が開かれ、父上の前に六人衆が揃った。俺にも席がある。下野守はいつもと変わらぬ様子で座っていたが、よく見れば普段より口数が少ない。父上もそれに気付いているのか、余計な前置きはせずに「話せ」とだけ言った。

 

「和睦そのものは整いました」

 

 下野守はそう始めた。

 

「高島、田中の旧領は朽木の領有とする。永田、高島の平井、横山、山崎の四家は、此度朽木へ兵を向けたことについて謝罪し、その証文を差し出す。今後、高島七頭――高島、田中が無くなったゆえ高島五頭となりますが、その頭領は朽木とする。五頭の間で争いが起きた際は、兵をもって決するのではなく、まず話し合いをもって収める。以上にございます」

 

 思っていたより多くを取ったな、というのが最初の感想だった。高島と田中の所領はすでに朽木が押さえているから、和睦でそれを認めさせたのは現状の追認とも言える。謝罪証文も、実際に兵を向けた四家へ求めるものとしては理解出来る。だが高島五頭の頭領まで取ったことは大きい。これまで高島越中が持っていた立場を竹若丸が受け継ぎ、今後は高島内部の揉め事へ関与する理由まで得たことになる。単に土地が増えただけではない。戦う前には七家の一つに過ぎなかった朽木が、戦の後には残る四家の上に立つ形になった。

 

「四家はよく飲んだな」

 

 後藤但馬守が言った。

 

「他に選びようもございますまい。兵部大輔殿も私も立ち会っております。高島と田中はすでに朽木の手に落ち、四家も戦場ではほとんど何も出来ずに退いた。そこで再び争うと言える者はおりますまい」

 

「それだけか」

 

 父上の問いに、下野守が一瞬黙った。

 

「……いいえ」

 

 やはり何かあった。

 

「申せ」

 

「佐々木越中――高島越中は、生きておりました」

 

 評定の空気が変わった。俺も思わず下野守を見る。高島越中については、生死が最後まで確かではなかった。戦場で討たれたとの話もあり、馬の下敷きになっただけだという話もあり、その後に朽木へ捕らえられた可能性も考えていた。だが、竹若丸が高島越中をどう扱ったのかまでは掴めていなかった。

 

「生きていた?」

 

 父上が低く尋ねる。

 

「はい。それも、竹若丸殿は最初からそのことを我らへ伏せておりました」

 

「詳しく話せ」

 

 下野守の表情が僅かに苦くなる。

 

「和睦の場では、まず此度の一件が誰の責めで起きたものかが問われました。私は、六角家が高島へ朽木を攻めよと命じたことはないと申し上げました。公方様の御意に背く結果となった以上、六角に属する者を止められなかった責は認める。されど此度の戦そのものは高島の内より起きたものだ、と」

 

 それは事前に考えていた筋だ。完全に何も知らないと押し通せば、かえって疑われる。だから六角としての監督責任は認めながら、戦を命じたという肝心なところは否定する。高島の四家も同じように、高島越中から六角の許しを得ていると言われた、自分たちは話し合いのつもりだった、戦へ進めたのは越中だったと話したらしい。

 

「越中一人へ被せたか」

 

 父上の声は責めるものではなかった。

 

「左様にございます。死人であれば、それで終わるはずでございました」

 

 下野守の言葉に、胸の奥が冷えた。そこまで聞けば、この後に何が起きたのかは想像出来る。

 

「竹若丸殿は、それを認めたのか」

 

 俺が尋ねる。

 

「認めたように見えました。六角も四家も越中に騙されたのであれば、越中こそが公方様の御意を無視し、六角の名まで利用して朽木を攻めたことになる。そのように話を進めたのです」

 

 それから下野守は、高島越中が生きたまま連れて来られたことを話した。縄を掛けられた越中は、自分一人へ全ての責任を押し付けられていると知って激しく怒り、六角から依頼されたこと、高島四家もそれを知っていたことをその場で叫んだという。そして、自分は元々朽木と戦うつもりではなく、途中から左京大夫――父上の意向が変わり、戦へ進むことになったとまで口にした。

 

 俺は無意識に拳を握った。

 

 途中から意向が変わった。

 

 最初は揉め事を起こし、六角が仲裁するだけのはずだった。それを一度ぶつけるべきだと変えたのは、他でもない俺の意見だ。越中へ伝えたのは父上であり、越中も俺の名を知らない。だから和睦の場で「右衛門督が戦を望んだ」と言われたわけではない。それでも、俺には分かる。細川藤孝の前で明かされた「途中から変わった六角の意向」の中に、俺の言葉が入っている。

 

「兵部大輔殿も、それを聞いたのだな」

 

 父上が確認した。

 

「はい」

 

 下野守の答えは短かった。

 

 つまり公方様にも伝わる。細川藤孝がその場で聞いた以上、伝えない理由はない。つい少し前、俺は公方様を朽木から京まで護衛した。その公方様は竹若丸を高く評価し、朽木へ手を出さぬよう周囲へ意向まで示していた。その直後に、高島六家が朽木へ攻め込み、その後ろに六角がいたことが幕府の前で明かされた。俺の名前が表へ出ていないというだけで、自分だけ責任の外に立てる話ではない。

 

 ――これは、言い訳出来ないな。

 

 そう思った。

 

 六角家としてなら、いくらでも言葉は作れる。越中が勝手に六角の意を広く解釈した。六角が許したのは高島内部の揉め事までで、戦までは命じていない。途中で状況が変わり、高島の不満が抑えられなくなった。どれも多少は事実を含んでいる。だが俺自身には通じない。俺は戦になれば人が死ぬと分かった上で、それでも一度当たらせるべきだと進言した。その判断まで越中のせいにすることは出来なかった。

 

「それで、竹若丸殿は?」

 

 俺が尋ねると、下野守の顔がさらに険しくなった。

 

「越中の言葉を遮りました」

 

「遮った?」

 

「はい。越中が何を申しても信用出来ぬ、六角の名を騙った者だとして、場から連れ出させました。その上で、此度の責めは全て越中にある。自らの父の仇でもあるゆえ、朽木にて処断すると」

 

 一瞬、理解出来なかった。

 

 竹若丸は六角の関与を明らかにするために、わざわざ越中を生かしていたはずだ。その越中を細川藤孝と蒲生定秀の前へ出し、六角が裏にいたことを本人の口から言わせた。そこまでしたのなら、六角を問い詰めるのが自然だと思った。公方様の御意に背いたことを理由に謝罪を求めることも出来る。高島・田中領だけでなく、もっと大きな譲歩を六角へ求める材料にもなる。それなのに竹若丸は、自分から越中の言葉を信用出来ないものとして扱い、責任を越中一人へ戻した。

 

「何故……」

 

 口から漏れた。

 

 父上がこちらを見る。

 

「何故じゃと思う」

 

 すぐには答えられなかった。竹若丸が六角を助けた。最初に浮かんだのはそんな単純な考えだったが、すぐに違うと思った。竹若丸に六角を助ける理由などない。俺たちが高島を動かし、結果として朽木へ兵を向けさせたのだ。好意で見逃すような話ではない。

 

 下野守が苦い声を出した。

 

「私を助けたわけではございませぬぞ、右衛門督様」

 

「分かっておりまする」

 

「ならば、お考えなされ」

 

 父上も何も言わない。六人衆の視線が集まっている。俺は一度目を伏せ、頭の中で状況を並べた。竹若丸は高島六家を破った。高島と田中を得た。残る四家はまだ残っている。そこへ六角まで敵に回せばどうなる。朽木は以前より大きくなったとはいえ、六角と正面から争えるほどではない。公方様が味方してくれるとしても、近江南部を押さえる六角と今ここで全面的に対立する利は少ない。

 

 では、六角の関与を明らかにしながら問題にはしないことで、何を得る。

 

「……残しておくため」

 

「何をじゃ」

 

「父上。竹若丸殿は、六角が関わったという事実を消したのではございませぬ。兵部大輔殿と下野守の前で一度明らかにした上で、問題にしない形へ戻しておりまする」

 

 父上の口元が僅かに動いた。

 

「続けよ」

 

「公方様には伝わります。六角にも、竹若丸殿が知っていると分かりました。されど表向きには越中一人の罪として終わった。ならば六角は面目を失わずに済みまするが、今後朽木へ何かをしようとすれば、竹若丸殿は此度のことを持ち出せる」

 

「貸し、と見るか」

 

「それだけではないと思いまする」

 

 自分で答えながら、少しずつ形が見えてきた。貸しなら返せば終わる。だが今回の話は違う。越中が何を言ったかを細川藤孝も知っている。父上も知っている。下野守も知っている。そして竹若丸が知っている。表向きに無かったことへしたからといって、事実そのものが消えたわけではない。

 

「六角が朽木を攻めれば、今度こそ公方様へ『以前から六角に狙われていた』と申せまする。此度の越中の言葉も、その証になります。つまり……」

 

「首へ縄を掛けられたようなものじゃ」

 

 父上が引き取った。

 

「はい」

 

 父上は面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、怒っているようには見えなかった。

 

「それでも締めぬところが厄介よ。ここで儂を責めれば六角と争うことになる。責めずに引けば、こちらは表向き何も失わぬ代わりに、次から朽木へ手を出す時は此度のことを考えねばならぬ。小さい身体でよく考えるものじゃ」

 

 誰も反論しなかった。

 

 竹若丸がどこまで最初から考えていたのかは分からない。それを全て先読みしていたと決めつけるのも違うだろう。だが結果として、竹若丸は六角を敵にせず、六角に対する強い札を手元へ残した。その上で高島と田中の領有を認めさせ、残る四家から謝罪証文を取り、高島五頭の頭領となった。戦場で勝ったから有利になったのではない。勝った後に何を残し、何を問題にせず、何を自分の手元へ置いておくかまで選んだからこそ、その勝利がさらに大きなものになっている。

 

 俺は勝敗が決まれば政治が始まると思っていた。違ったのかもしれない。戦う前に噂を流し、戦場で敵を崩し、逃げた相手をどこまで追うかを決め、取る城を選び、和睦の場で隠していた越中を出し、六角の関与を一度明るみに出した上で、あえて責めずに収める。どこまでが最初からの策で、どこからが状況を見て選んだものかは分からない。それでも竹若丸にとって、戦場とその後の政治は俺が考えていたほどはっきり分かれていないように見えた。

 

 *

 

 それで終わりではなかった。

 

 二月も下旬に入った頃、再び急な評定が開かれた。父上の前には六人衆が揃い、俺も呼ばれている。三雲対馬守の顔がいつも以上に険しかったため、何か起きたことはすぐに分かった。

 

「高島の永田、高島の平井、横山、山崎の四家が城を捨てました」

 

 最初は意味が分からなかった。和睦したばかりだ。朽木は四家を攻めないとし、四家も謝罪証文を出して高島五頭の一員として残った。その直後に、自分たちから城と領地を捨てる理由が思い浮かばない。

 

「朽木が攻めたのか」

 

 後藤但馬守の問いに、三雲対馬守は首を横へ振った。

 

「攻めておりませぬ。四家が自ら逃げ、その後に朽木の兵が領内へ入りました」

 

「何故じゃ」

 

 父上が尋ねる。

 

「和睦を終えて清水山城を離れた後、四家の当主らは帰路で何者かに襲われておりまする」

 

 場の空気が変わった。

 

「襲われた?」

 

「はい。ただし、助けたのは朽木の者にございます。朽木領内で四人が殺されれば、朽木がやったと疑われ迷惑する。ゆえに主の命で助けた、と申したそうにございます」

 

 一瞬、誰も口を開かなかった。誰が襲ったのか。考えるまでもなく、いくつかの可能性が頭へ浮かぶ。その中に六角も含まれることを否定出来なかった。和睦の席で四家は、六角の関与を知っていた。高島越中の証言も聞いている。六角が自分たちの口を塞ごうとしても不思議ではない、と四家が考える理由は十分にある。

 

 視線を感じた。

 

 一人ではない。

 

 何人かが俺を見た後、すぐに目を逸らした。

 

「……俺ではないぞ」

 

 思わずそう言った。

 

 私的な言葉が出たことに気付いたが、訂正する気にはならなかった。あまりに露骨ではなかったとしても、俺を疑った者がいたことは分かる。元は小さな揉め事で終わらせる予定だった話を、戦へ進めるよう強く主張したのは俺だ。失敗した高島四家が六角の関与を外へ漏らす前に消そうとした――そう考えられても、まったく筋が通らないわけではない。

 

「義治ではない」

 

 父上が短く言った。

 

 それだけで視線は消えた。

 

 だが胸の中には、別のものが残った。自分は今、周囲から「必要なら口封じまで考えるかもしれない人間」と見られたのかもしれない。実際にはそんな命令など出していないし、出そうとも考えなかった。それでも人を戦わせるべきだと主張したことは、周囲から見た俺の輪郭まで少し変えたらしい。自分が何を考えているかだけではなく、自分の行動が他人にどう見えるか。それも政治の一部なのだろう。

 

「四家は六角が口封じに動いたと思ったか」

 

 進藤山城守の言葉に、三雲対馬守が頷いた。

 

「その可能性が高いかと。先の戦の前から、高島では六角と公方様に潰されるという噂が流れておりました。そこへ和睦の帰りに襲われ、助けたのが朽木。六角に属しておれば、いずれ本当に消されると考えても不思議ではございませぬ」

 

「だから領地を捨てた」

 

「はい。領地を惜しんで命まで失うより、逃げることを選んだのでしょう」

 

 俺は高島の地図を思い浮かべた。残る四家が全て城を捨てたなら、今の高島にはその空白を押さえる者がいない。そして竹若丸は、つい先日の和睦で高島五頭の頭領になった。

 

「朽木は何と言っておる」

 

 父上の問いに、三雲対馬守が一通の書状を差し出した。

 

「四家が城を捨てた以上、このまま放置すれば盗賊や素性の知れぬ者に利用される恐れがある。高島五頭の頭領として放置出来ぬため、領地を接収した。御理解頂きたい、と」

 

 評定の場に重い沈黙が落ちた。

 

 理屈は通っている。

 

 あまりにも綺麗に。

 

 高島五頭の頭領という立場は、ほんの少し前の和睦で四家自身が認めたものだ。その頭領が、配下とも言える四家の土地が無主になったから治安維持のため接収する。少なくとも表向き、竹若丸が他家の城を武力で奪った形にはならない。

 

「……出来過ぎておるな」

 

 目賀田忠朝が呟いた。

 

 蒲生下野守が不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「朽木であろう」

 

「証はございますか」

 

 俺がすぐに尋ねると、下野守がこちらを見る。

 

「ない」

 

「ならば、朽木がやったとは決められませぬ」

 

「されど、一番得をしたのは誰じゃ」

 

 答えは分かっている。

 

「……竹若丸殿です」

 

「そういうことよ」

 

 下野守は苦い顔をした。和睦で四家へ敵意がないと見せ、安心して帰したところを何者かに襲わせる。その直後に朽木の者が助ければ、四家が疑う相手は朽木ではなく六角になる。しかも戦の前から、六角に見捨てられる、あるいは潰されるという噂は十分に広がっていた。恐怖の土台はすでに出来ている。襲撃そのものは、それを現実だと思わせる最後の一押しにしかならない。

 

 だが、それはあくまで推測だ。実際に襲わせた者を捕らえたわけではない。竹若丸の命令書があるわけでもない。朽木の者が助けたことだけなら、竹若丸側の説明通り、自領内で余計な死人を出したくなかったとも言える。

 

「対馬守。朽木の仕業と示せるものは」

 

「ございませぬ」

 

「八門――いや、朽木の手の者については」

 

「分かりませぬ。甲賀、伊賀の者でないことまでは見ておりまするが、それ以上はまだ」

 

 三雲対馬守の答えを聞きながら、俺は自分の三人の顔を思い出した。篠、弥七、宗兵衛。彼らに同じことを探らせても、おそらく三雲以上のものは出ないだろう。竹若丸が本当に別の情報網を持っているのなら、今の俺ではその姿さえ捉えられていないことになる。それを無理に探らせて三人を危険へ近付けるべきでもない。

 

「証が無い以上、朽木がやったと外で申すことは出来ませぬな」

 

 俺が言うと、父上が頷いた。

 

「そうじゃ。疑うのは勝手じゃが、疑いだけで兵は出せぬ」

 

 そこで一度言葉を切り、父上は高島の地図へ視線を落とした。

 

「さて、どうする」

 

 誰に向けた問いかは分かった。

 

「右衛門督」

 

「はい」

 

「そなたはどう見る」

 

 俺は少し考えた。戦が終わる前なら、こんなに短い間に朽木が高島のほとんどを手に入れれば、危険だと考えたかもしれない。実際危険ではある。朽木の力は一気に増した。高島と田中だけでなく、残る四家の旧領まで押さえれば、以前の小さな朽木とは比べ物にならない。だからといって、今ここで攻めることが六角にとって得になるとは思えなかった。

 

「今、朽木を攻めるべきではないと思いまする」

 

 何人かがこちらを見る。

 

「理由は」

 

「まず、攻める理由を作れませぬ。四家は自ら城を捨てました。朽木は無主となった土地を、高島五頭の頭領として押さえたと申しておりまする。自作自演である証が無い以上、それを理由に朽木を討つのは難しゅうございます」

 

「他には」

 

「公方様の御意もございます。高島六家がその御意に背いて朽木を攻め、その背後に六角がいたことを兵部大輔殿はすでに聞いております。その直後に六角自身が朽木へ兵を出せば、高島を使って朽木を攻め、失敗したから今度は自ら兵を出したと見られまする」

 

 父上は黙って聞いている。

 

「さらに、高島越中殿が生きている可能性も捨てられませぬ。竹若丸殿は処断すると申しただけで、その場で首を確認させたわけではございますまい」

 

 下野守が渋い顔で頷く。

 

「左様」

 

「ならば、生かしておる可能性があります。六角が兵を出せば、今度こそ越中殿を公方様の前へ出すかもしれませぬ」

 

「それで?」

 

「何より、竹若丸殿を潰したところで、高島が元へ戻るわけではございませぬ」

 

 自分で口にして、そこが一番大事だと思った。仮に朽木を攻めて勝ったとする。竹若丸を追い落とし、高島の土地を六角が取り戻したとしても、高島六家が以前のように戻るわけではない。高島と田中は家そのものが崩れ、残る四家も自ら領地を捨てた。そこへ六角が直接入れば、今度は六角自身が高島全体を治めなければならなくなる。商人が朽木へ流れたという最初の問題も、それだけでは解決しない。

 

「今必要なのは、朽木を敵にすることではなく、朽木が得た力を六角の外へ向けさせぬことかと存じまする」

 

 父上の眉が僅かに上がった。

 

「朽木は大きくなりましたが、六角と争わずに済むなら、その方が竹若丸殿にとっても利があるはずです。ならば、此度のことを理由に敵とするより、六角と争わぬ方が得だと思わせる方がよいかと」

 

「随分と竹若丸を買うようになったな」

 

「出来る者を、出来ぬことには出来ませぬ」

 

 そう答えると、父上の口元に僅かな笑みが浮かんだ。

 

「好いておるからではないか」

 

「それとこれは別にございます」

 

 弥太郎に似たようなことを言われたばかりだったので、今度は即答した。

 

「竹若丸殿に好感を持っていることは否定いたしませぬ。されど、六角に害をなすのであれば話は別です。逆に、六角と争わず互いに利を得られるのであれば、出来る相手だからこそ使えるものも多いかと」

 

「使う、か」

 

「我らだけが使うという意味ではございませぬ。向こうも我らを使うでしょう」

 

 父上が声を上げて笑った。

 

「それでよい。片方だけが得をする付き合いなど長くは続かぬ」

 

 場の空気が少しだけ緩んだ。下野守はまだ面白くなさそうだったが、それでも朽木を攻めるべきだとは言わなかった。父上も最初から、そのつもりはなかったのだろう。

 

「朽木は潰さぬ」

 

 父上が言った。

 

「大きくなったというなら、その大きさごと使えばよい。もっとも、使われぬよう気を付けねばならぬがな」

 

「はい」

 

「対馬」

 

「はっ」

 

「朽木の手足は引き続き調べよ。無理はするな。分からぬものを無理に掴もうとすれば、こちらの指を噛まれる」

 

「承知いたしました」

 

 その言葉を聞きながら、俺も同じことを考えた。竹若丸を知りたい。だが、知りたいからといって無理に覗き込めば、相手もこちらを見る。情報を集めることと、相手を刺激しないこと。その両方を考えなければならない。

 

 *

 

 評定が終わった後、自室へ戻って高島の地図を広げた。少し前まで、そこには七つの家があった。朽木、高島、田中、永田、高島の平井、横山、山崎。それぞれが小さな領地を持ち、それぞれの利を考え、互いに牽制しながら高島という一つの地域を形作っていた。俺は、その六家と朽木を一度ぶつければ力の差が明らかになり、その後に六角が仲裁すれば関係を組み直せると考えた。

 

 確かに力の差は明らかになった。竹若丸が勝ち、高島六家が負けた。そこまでは俺の考えた通りだった。だが実際に起きたのは、それだけではない。高島と田中は戦場で崩され、その城と領地を失った。残る四家は和睦で竹若丸を頭領と認め、その直後に自ら城を捨てた。そして竹若丸は、高島五頭の頭領としてその空白を埋めるという名目まで手にしていた。

 

 一つ一つだけを見れば、理由がある。高島と田中の領地を得たのは、攻められた側が勝って押さえたから。四家から謝罪証文を取ったのは、実際に朽木へ兵を向けたから。頭領となったのは、同じ争いを再び起こさせないため。四家の旧領を押さえたのは、彼ら自身が城を捨て、土地が無主になったから。どの一つを取っても、竹若丸が理由もなく奪ったとは言いにくい。ところが、それを全部繋げて見ると、高島七頭という形そのものが、たった一度の戦を境にほとんど消えようとしている。

 

 俺は竹若丸に高島を渡すつもりなどなかった。竹若丸を勝たせるために戦を認めたわけでもない。ただ一度、朽木と高島六家をぶつけて力の差を分からせ、その後に六角が間へ入る。それだけのつもりだった。自分なりに先を考え、戦になれば死人も出ると分かり、その責任まで受け入れたつもりでいた。それでも、俺が見ていた「先」はあまりに近かったらしい。

 

 戦を始める前に口にした「一度」という言葉が、頭へ浮かぶ。一度ぶつかればよい。一度勝敗を付ければよい。たったそれだけのつもりだった。だが、その一度の勝敗を竹若丸は高島と田中の領地へ繋げ、和睦へ繋げ、頭領の地位へ繋げ、さらに残る四家が消えた後の領地へまで繋げた。俺にとっての「一度」は一度の戦だったが、竹若丸にとっては、その一度をどこまで先へ繋げられるかの話だったのかもしれない。

 

 もちろん、四家を襲ったのが本当に竹若丸の命令かどうかは分からない。証拠はない。分からないことを、分かったことにしてはいけない。だが、それを除いても同じだった。竹若丸は戦場で勝つだけでは終わらず、その勝利をどう政治へ変え、どの相手を敵にせず、どこまでを自分のものとして残すかを考えていた。少なくとも、結果としてそういう形を作った。

 

 俺は地図の上に指を置いた。

 

 朽木から始まり、高島、田中、そして残る四家の土地へ指を動かす。少し前まで別々だった場所が、今は一つの勢力として繋がろうとしている。

 

 勝ち方だけではない。

 

 勝った後に何を取り、何を残し、誰を敵にしないか。

 

 そこまで含めて戦なのだとすれば、俺が見ていたものはまだ浅かった。

 

 父上から言われた「最後まで見よ」という言葉の意味が、また一つ増えた気がした。

 

 俺は一度、力の差を分からせるつもりだった。

 

 その一度で十分だったのだ。

 

 竹若丸にとっては。

 

 俺は地図の上の高島を見つめたまま、しばらく指を動かさなかった。

 

 勝ち方だけではない。

 

 収め方まで、俺の想像とは違っていた。

 

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