投稿した後に気づいたり、休憩の合間に原作読んで気づいた部分を慌てて修正しているので許してくだせぇ……。
朽木宮内少輔晴綱が討死し、その嫡男である竹若丸が家督を継いだと知ってから、俺は朽木のことを以前より気に掛けるようになった。竹若丸がこれから何をするのか。それを見れば、この世界が俺の知る『淡海乃海』なのか確かめられるかもしれない。そう考えたからだ。
とはいえ、気に掛けることと、知ることは別だった。前世なら、遠く離れた土地で何が起きたのかを知ることなど難しくなかった。新聞があり、テレビがあり、インターネットがあった。検索欄に名前を打ち込めば、正しいかどうかはともかくとして何かしらの情報は出てくる。だが、今は違う。ここは戦国時代だ。朽木で何が起きているのか知りたいと思ったところで、翌日には答えが手元に届くわけではない。
それに、俺には朽木より先に知らなければならないものがあった。六角だ。父上から言われた言葉が、ずっと頭に残っていた。――大きいということは、強いということと同じではない。六角には多くの家臣がいる。蒲生、後藤、進藤、平井。他にも数え切れないほどの者たちがいて、それぞれに領地があり、家があり、守るべきものがある。寺社もあれば商人もいる。北には浅井がいる。皆が六角の名の下に一つになっているように見えて、実際にはそれぞれの思惑で動いている。
俺は、そんな家をいずれ継ぐことになる。竹若丸が何者なのかを確かめることは大事だ。だが、その前に自分の足元すら分かっていないのでは話にならない。だから俺は、それまで以上に評定へ顔を出すようになった。
最初の頃は、そこで交わされる話を覚えるだけで精一杯だった。誰がどこの領主で、どの家とどの家が近く、誰と誰の仲が悪いのか。どこの寺が力を持ち、どこの商人が何を扱っているのか。教師だった頃、人の名前を覚えるのはそれほど苦ではなかったが、それでも覚えなければならないことは山ほどあった。だが、それにも慣れてくると、今度は別のことが気になり始めた。
何故だ。
何故、この道を使うのか。何故、この場所に市が立つのか。何故、ここで銭を取るのか。何故、同じような土地なのに豊かな場所とそうでない場所があるのか。そして、ある日の評定で、その疑問の一つが形になった。
「――では、今月の関銭については、これでよろしゅうございますな」
家臣の一人がそう言い、父上が頷いた。その言葉を聞いた俺は、手元の紙に書いていた文字を止めた。
「父上」
「何じゃ」
「関銭とは、道を通る者から取る銭にございますな?」
評定の場にいた何人かがこちらを見る。以前なら子供が口を挟んだことに眉をひそめる者もいたが、今では俺が何か尋ねることにも慣れたらしい。父上は「そうじゃ。関を通る者、荷を運ぶ者から取る」と答えた。
「一度だけにございますか?」
「場所による。一つの道に関が一つとは限らぬ」
「では、商人は何度も銭を払うことになるのですか?」
「そうなることもあろう」
なるほど。それを聞いた瞬間、前世で習った言葉が頭に浮かんだ。関所の撤廃。楽市楽座ほど有名ではないかもしれないが、戦国大名が領国経済を活性化させるために行った政策の一つだ。人や物の移動を妨げる関を減らす。考えてみれば単純な話だった。何度も金を取られる道と、そうでない道。商人ならどちらを使う。
「父上。関を無くしてはなりませぬか」
評定の場が静かになった。父上は俺を見て、「ほう」とだけ返した。
「関を通るたびに銭を取られるのであれば、商人は嫌がるでしょう。関を無くせば、もっと多くの商人が近江へ来るのではございませぬか」
言いながら、自分でも悪くないと思った。少なくとも理屈は通っている。ところが父上は頷かなかった。
「では、関から銭を得ておる者には、何と言う?」
「……え?」
「関銭を得ておる者がおるから、関がある。寺社もあれば、国人もおる。我ら六角とて関から銭を得ることがある。それを無くすと申すなら、その者らが失う銭はどうする」
言葉が出なかった。考えていなかった。関所を無くす。人と物の移動が活発になる。商業が発展する。前世では、それで一つの答えになっていた。だが、関所を無くされた側がどうなるのかまで考えたことはなかった。
「……商人が増えれば、別のところから銭が入るようになるのではございませぬか」
「どこからじゃ」
「市……でしょうか」
「どれほど増える」
「それは……」
「関を無くして失う銭よりも多いのか?」
「……分かりませぬ」
「では、関を無くした後で商人が増えなければどうする」
答えられない。父上は俺を叱るでもなく、ただこちらを見ていた。
「亀松丸。考えることは悪くない。だが、己に都合の良いところだけを見て物事を決めるな。一方が得をすれば、別の一方が損をすることもある」
「……はい」
「それでも関を無くした方が良いと思うか?」
俺は黙った。分からない。いや、長い目で見れば、おそらく関は少ない方が良いのだろう。それは前世の知識から分かっている。だが、それを父上にどう証明する。関を無くせば商業が発展します。未来ではそう習いました。そんなことを言えるはずがない。
ならば――。
「父上。全部を無くす必要は、ないのではございませぬか」
父上の眉が僅かに動いた。「続けよ」と促され、俺は頭の中でまとまり始めた考えを口にした。
「一つだけ、関銭を軽くします。六角が直接動かせるところだけで構いませぬ。そこで取る銭を少なくするのです。そして、その前と後で、通る商人がどれほど変わったかを調べます。他の関とも比べます。銭を変えていない場所と、軽くした場所。どちらを通る者が増えたのか、市へ来る者が増えたのか。それを見れば、関銭を軽くすることに意味があるのか分かるのではございませぬか」
前世で何度も生徒に言った。分からないなら、条件を整理しろ。比べられるものを探せ。証明できないのなら、確かめればいい。
父上は暫く何も言わなかったが、やがて口元を僅かに緩めた。
「面白い」
「では」
「まだ許すとは申しておらぬ」
思わず肩を落とすと、周囲から小さな笑い声が上がった。父上はそんな俺を見ながら、「まず、どこなら出来るかを調べよ。関を一つ動かすだけでも、関わる者がおる。その者らが誰なのかも調べよ。それからじゃ」と言った。
「はい!」
「それと、亀松丸。己で言い出したことじゃ。途中で飽きることは許さぬぞ」
「……はい」
そこからが大変だった。
関がどこにあるのか。それを誰が管理しているのか。どれほどの銭が入っているのか。聞けばすぐ分かると思っていたのだが、甘かった。
「去年は、ここを何人ほどの商人が通った?」
「さて……」
「では、荷駄は?」
「それも、いちいち数えてはおりませぬな」
「なら、どれほどの銭が入ったかは?」
「それなら帳面がございます」
銭の記録はある。だが、人の数はない。当たり前だ。この時代に交通量調査などない。俺が欲しい数字が、最初から都合よく存在するわけではなかった。
ならば、作るしかない。
父上の許しを得て、六角が比較的直接動かしやすい関を一つ選んだ。まず暫くは、それまで通りの関銭を取りながら、通る商人や荷駄の数を可能な範囲で記録させた。そうして届いた帳面を睨みながら数を確かめていると、隣から千代丸が覗き込んできた。
「若様、いつまでそれを数えるのでございますか」
「全部じゃ」
「昨日も数えておられました」
「昨日の分じゃ。これは今日届いた分」
「……何が面白いのでございます?」
「面白くはない」
「では何故」
「必要だからじゃ」
千代丸が理解出来ないという顔をした。気持ちは分かる。俺だって前世で教師をしていた頃、生徒に似たような顔をされたことがある。
「千代丸。ここを通る商人が百人おったとする」
「はい」
「関銭を半分にして、二百人になったらどうなる」
「……人が増えます」
「そうじゃ。それだけではない。人が増えれば、飯を食う者が増える。宿に泊まる者が増える。物を売る者も増える。そこでまた銭が動く。だから数える」
「なるほど」
千代丸は頷いたが、少し間を置いてから「ですが若様。百人が二百人にならなかったら?」と尋ねてきた。俺が黙ると、千代丸が不安そうな顔になる。
「……その時は、考え直す」
「そういうものなのでございますか?」
「そういうものじゃ」
たぶん。
実際に関銭を軽くしてみると、結果はすぐには出なかった。最初のひと月はほとんど変わらない。二月目も大した違いはない。俺は少し焦った。本当に意味がないのか。ところが、それから少しずつ変化が出始めた。商人の数が増えた。荷駄も増えた。近くの市へ来る者も、それ以前より僅かに増えている。
「増えておる……」
帳面を見ながら、思わず笑みが浮かんだ。
やっぱりだ。
間違っていなかった。
関銭を軽くしてから暫く経ち、数字には確かな変化が出ていた。商人は増えた。荷駄も増えた。近くの市へ来る者も、それ以前より僅かながら増えている。自分の考えが数字として現れたことが嬉しくて、俺は帳面を抱えたまま父上のところへ向かった。
「父上。商人が増えました」
「そうか」
「荷駄も増えております。市へ来る者も以前より多くなりました」
「うむ」
父上は俺が差し出した帳面を受け取って目を通した。俺は結果を待つ生徒のような気分で父上の顔を見ていたが、やがて帳面から目を上げた父上が「ならば成功か?」と尋ねてきた。
「はい」
俺は即答した。すると父上は何も言わず、別の紙を俺の前へ置いた。
「では、これは何じゃ」
受け取って読んでみる。近隣からの訴えだった。何故あの関だけ銭を軽くするのか。こちらを通る者が減った。不公平ではないか。
「……」
「成功か?」
今度は答えられなかった。
「商人は増えた。そなたの考えは間違っておらぬ。だが、一つを動かせば、一つだけが動くわけではない。覚えておけ」
「……はい」
数字だけなら簡単だった。一が二になれば増えた。十が五になれば減った。それだけだ。だが、人間は数字ではない。利益を得れば喜ぶ者がいる。利益を失えば怒る者がいる。そして、そのどちらも六角の領内にいる。
俺はそのことを、ようやく少し理解した。
それでも、止めようとは思わなかった。関を軽くしたことで商人が増えた。それ自体は事実なのだ。ならば次は、その商人が銭を使える場所を作ればいい。
「父上。市について、お話がございます」
「今度は何じゃ」
父上が少し疲れたような顔をしたのは、たぶん気のせいではない。
「新しく商いを始めたい者が、市へ入りやすくすることは出来ませぬか」
「……また面倒なことを考えたな」
「まだ何も申しておりませぬ」
「そなたがその顔をして来る時は、大抵面倒なのじゃ」
酷い。だが否定も出来ない。
「商人が増えても、商いをする場所がなければ意味がございませぬ。新しく来た者でも、商いを出来るようにすれば――」
「座はどうする」
まただ。
俺は言葉を止めたが、今度は以前ほど困らなかった。
「……全て無くす必要はございませぬ」
「ほう」
「六角が動かしやすい市だけで試します。既に商いをしている者を追い出すのではなく、新しく商いをしたい者も入れるようにする。それではなりませぬか」
「寺社は」
「触れませぬ」
「既に権利を持つ者が反対したら」
「話をします。それでも駄目なら、別の場所を探します」
父上は暫く俺を見ていたが、やがて僅かに笑った。
「少しは学んだようじゃな」
その言葉が妙に嬉しかった。
関をどうにかしようとした時の俺なら、おそらく「全部無くせばいい」と考えていた。正しいと思うものをそのまま実行すれば、結果もついてくると思っていた。だが、それでは動かない。ここには俺以外の人間がいて、それぞれに生活があり、利益があり、立場がある。
前世で俺が知っていた「楽市楽座」という四文字の裏側には、きっとこういう面倒事が山ほどあったのだろう。
そこから先は、早かったような、長かったような気がする。
関を試した。市を試した。上手くいったこともあった。上手くいかなかったこともあった。思ったより商人が来なかったこともある。逆に人が集まりすぎて揉め事が起きたこともあった。古くから商いをしている者から文句を言われたこともある。寺社の権益に触れそうになって、父上に止められたこともあった。
そのたびに調べた。何故上手くいかなかったのか。どこが違ったのか。誰が得をして、誰が損をしたのか。数字を集め、話を聞き、もう一度考えた。
千代丸もいつの間にか、俺が帳面を広げていても「またでございますか」としか言わなくなった。時には一緒に数字を数え、時には市へ出入りする商人について家の者から話を聞いてきてくれる。最初は俺の小姓として父上から付けられた千代丸だったが、三年近くも一緒にいれば、もはやただ身の回りの世話をするだけの存在ではなかった。
「若様」
「何じゃ」
「こちらの市ですが、先月より商人が増えております」
「どれほどじゃ」
「そこまでは……」
「数えておらぬのか」
「某まで若様のようになったら、父上が泣きます」
「どういう意味じゃ」
「そのままの意味にございます」
「千代丸」
「はい」
「明日から、お前が数えよ」
「お断りいたします」
即答された。
小姓というのは主人の命令を聞くものではなかっただろうか。
そうしているうちに、一年が過ぎた。二年が過ぎた。そして、三年が過ぎようとしていた。
六角は変わったか。
そう聞かれれば、俺は首を横に振るだろう。俺が変えられたのは、本当に小さな部分だけだった。六角の領内には相変わらず多くの関がある。座もある。寺社は強い。家臣たちはそれぞれの領地を持ち、それぞれの事情で動いている。
前世では、教科書にほんの数文字で書かれていた。関所の撤廃。楽市楽座。書くのは簡単だった。試験に出れば、その意味を答えればいい。教師になってからは生徒に説明する側だったが、俺自身も結局は知識として理解していただけなのだと思う。
実際にやるのは、笑ってしまうほど難しい。
「三年もかけて、この程度か……」
思わず口から零れた。
「三年しか経っておらぬ」
声に顔を上げると、父上がいた。
「父上」
「何を不満そうな顔をしておる」
「別に、不満では……」
「なら、その顔は何じゃ」
俺は手元の帳面を見た。
「もっと出来ると思っておりました」
「何をじゃ」
「関を減らし、市を増やし、商人をもっと呼び込むことを」
「それで?」
「ほとんど何も変わっておりませぬ」
父上は少し黙った後、「亀松丸」と俺の名を呼んだ。
「三年前のそなたなら、儂に関を全て無くせと言うたであろうな」
「……はい」
「今は?」
「出来ませぬ」
「何故じゃ」
「困る者がおります。無理に進めれば、その者たちが六角から離れるかもしれませぬ」
「ならば、三年前とは違う」
俺は父上を見た。
「国を動かすとは、そういうものじゃ。一日で何もかも変わると思うな」
父上はそれだけ言うと、俺の前にあった帳面を一冊手に取った。
「それに、儂は三年前、このような物を読むことになるとは思っておらなんだ」
「役に立ちませぬか?」
「誰がそのようなことを申した」
父上は鼻で笑った。
「続けよ」
「……はい」
嬉しかった。たったそれだけの言葉なのに、不思議なくらい嬉しかった。
前世の俺には、父親はいなかった。だから、父親に認められるというのがどういうものなのか、俺は知らなかった。教師だった頃、生徒が褒められた時に見せる顔を何度も見てきた。いい歳をした自分が、今になって同じ気持ちを味わうとは思わなかった。
三年。
そう思ったところで、ふと頭に浮かんだ。
――三年?
三年前。父を失った少年がいた。
朽木竹若丸。
忘れていたわけではない。時折、朽木という名を耳にするたびに気にはしていた。だが、六角のことを知るだけで毎日は過ぎていった。
俺には父上がいた。分からないことを聞けば教えてくれた。間違えれば止めてくれた。失敗しても、次を試すことが出来た。それでも三年かかった。いや、三年かけても、この程度だ。
竹若丸は違う。
あいつは三年前に父を失った。そして幼いまま、朽木家の当主になった。俺が父上に叱られ、家臣たちから教わり、千代丸と帳面を睨み、失敗してはやり直していたのと同じ三年を、竹若丸は当主として過ごしていたことになる。
かつて立てた仮説が、再び頭をもたげる。この世界が、俺の知っている『淡海乃海』なのか。竹若丸が、俺の知っているあの竹若丸なのか。
確かめるには、あいつがこの三年間で何をしたのかを知ればいい。
俺は手元の帳面を閉じた。
――朽木は、今どうなっている?
原作読んだり史実確認したり、頭がパンクするぅ!!