寿姫の笑みを見て、最初に感じた大人びた雰囲気の理由が少し分かった気がした。
正確な年齢は知らない。十歳以上離れているのではないかという予想にしても、顔立ちや振る舞いから俺が勝手に考えたことに過ぎない。それでも、人の話を急いで評価せず、一度受け取ってから自分の言葉で返すところには、俺よりも多くの人と向き合ってきたような落ち着きがあった。初めて言葉を交わす相手であれば、互いに探り合うような間があっても不思議ではないのに、寿姫にはそうした気負いがほとんど感じられなかった。
だからといって、話しにくいわけでもない。むしろ逆だった。
寿姫は俺の説明を何でも褒めるわけではなく、難しいからと避けることもない。分からないところがあれば尋ね、その上で自分なりに理解した内容を返してくる。そのため、こちらの言葉がどのように伝わったのかも分かりやすかった。話を短くまとめられることには少し複雑な気持ちもあったが、少なくとも大切なところを省かれ、意図の違うものになっているとは感じなかった。
先ほど寿姫は、分からなければ聞けばよいと仰った。考えてみれば当たり前の話なのだが、実際にそれを自然にできる者は、それほど多くないのかもしれない。相手の立場を気にして分かったふりをする者もいれば、自分が知らないことを認めたがらない者もいる。俺自身、父上や重臣たちの前で知らないことを尋ねる時には、今でも少し身構えることがあった。そうした遠慮をほとんど見せず、必要なことを穏やかに尋ねてくる寿姫とは、初対面であることを忘れそうになるほど話しやすかった。
「右衛門督殿は、その坂田へ御自身でも行かれるのでございますか。九万石というほどの土地ならば、一度見て回るだけでも随分時間が掛かるのでしょう。新しく領地を得られた時には、何から御覧になるのです?」
話題は自然と坂田へ戻った。俺は少し考えてから答えた。
「まだ全てを自分の目で見たわけではございませぬ。むしろ、自分一人で全てを見るのは無理なのだと、最近になってようやく諦め始めました。道を見る者、人を見る者、市や商いを見る者と、それぞれ得意な者へ調べを任せております。ただ、報告を受けても分からぬところは、やはり自分でも確かめておきたいと思っておりまする」
「最初から人へ任せられたわけではなさそうですね。『ようやく諦めた』と仰るところを見ると、以前は御自分でできるだけ多くを見ようとなさっていたのでしょう?」
また、そこを拾うのか。
土地の話をしているつもりなのに、寿姫はその説明の中から俺自身の考え方まで見付けてくる。しかも責めるような聞き方ではないため、こちらも妙に隠す気になれなかった。
「……以前は、自分が見ていないものを人へ任せることに、少し不安がございました。ですが、土地が広がり、見なければならぬものが増えるほど、それでは何も進まなくなります。最近は自分の目で見るものを増やすより、誰に何を見てもらうかを決める方が大切なのだろうと考えるようになりました」
「それでも、御自身で見に行かれることはあるのでしょう?」
「ございます。報告を読んでも土地の様子が掴めぬ時や、数字と話がどうにも噛み合わぬ時には、できる限り足を運びまする。書付だけを見ておりますと、書いた者が何を当たり前だと思って省いたのかまでは分からぬことがございますので」
坂田の調べに限った話ではなかった。以前、楽市を試した時にも、帳面の数字だけでは分からないものがあった。市へ来る商人が増えたことは数字から読み取れても、荷を運ぶ道が混み始めていることや、周囲の市が受けている影響までは、実際に人の話を聞かなければ見えてこなかった。
もちろん、全ての場所へ俺自身が足を運ぶわけにはいかない。だからこそ現地を見ている者の報告が大切なのだが、その書付だけで何もかも分かったつもりになるのも危うい。誰が何を見て、何を報告すべきだと判断したのか。その違いにも気を配らなければならなかった。
寿姫は俺の話を聞き、少し興味深そうに首を傾げた。
「では、その時に最初に御覧になるのは何なのでしょう。お城でございますか? 武家の御方でしたら、新しい土地へ入った時には、まず城を見るものだと勝手に思っておりました」
問われて、俺は少し考えた。
確かに以前なら、城の位置や守りの堅さへ最初に目を向けたかもしれない。城を押さえれば周囲を治めやすくなり、敵が攻めてきた時にも拠点となる。だが、最近の自分が何を気にしているのかを考えれば、答えは別のところにあった。
「今なら、まず道を見ると思います。何処から何処へ繋がっているのか、どれほどの荷を通せるのか、雨が降れば何処で通れなくなるのか。それが分からなければ、兵も米も動かせませぬ。市へ商人が来るにも道が要りますし、城へ物を運び込むにも同じです。城そのものを見ることも大切ですが、城だけを見ても、その城が何に支えられているのかまでは分かりませぬので」
自分で答えながら、正月に弥五郎と話した時のことを思い出した。
朽木の兵が素早く動ける理由を聞き、普段から兵を抱えておくことの意味を考え始めたが、実際に軍を動かすには兵だけでは足りない。米や武具を運ぶ道が必要であり、途中で荷を休ませる場所も要る。雨で川が増水すれば、地図の上では短い道でも使えなくなる。坂田を受け取ってから届く報告を読むようになり、そうしたことが以前にも増して気になるようになっていた。
寿姫はまた少し考えてから、ゆっくりと言葉を返した。
「では右衛門督殿は、城を見る前に、その城へ何が集まり、何処から人や物が来るのかを御覧になるのですね。お城がどれほど立派でも、そこへ米も人も届かなければ、その立派さだけではどうにもならない。そういう理解でよろしいのでしょうか」
「はい。その言い方なら、今の説明より随分分かりやすいかもしれませぬ。ただ、これ以上寿姫に短くされますと、何のために長く話しているのか分からなくなりそうですが」
「でしたら、今の半分ほどは残して差し上げます。全部短くしてしまえば、右衛門督殿も話す楽しみがなくなってしまうでしょうから」
寿姫は穏やかに笑った。こちらが少し冗談めかして言ったことへ、同じ調子で返してくる。その切り返しがあまりに自然なものだから、俺も思わず苦笑した。
「……どうやら、長く話すこと自体は、もう直らないものとして扱われているようですな」
「左京大夫様のお話を伺う限り、その方がよろしいのではございませんか。何年も仰って直っていないのであれば、無理に変えるより、聞く側が慣れた方が早いように思います」
父上が堪え切れず笑った。
「寿姫の仰る通りじゃ。儂が何年言うても直らぬものを、今日初めて会うた寿姫が直そうとする必要はございますまい」
「父上まで何故そちらへ行くのです。太閤殿下の御前で、話が長いことだけが事実のようになっておりまする」
「事実であろう」
即座に返され、今度は太閤殿下まで声を上げて笑われた。俺は少し呆れながら父上へ目を向けたが、そこで別のことに気付いた。
父上も太閤殿下も、寿姫と俺が話し始めてから、ほとんど会話へ割り込んでこなかった。時折笑ったり、父上が俺をからかったりすることはあっても、話題を変えようとする様子はない。寿姫が何かを尋ねれば俺が答え、その答えについて寿姫がさらに言葉を返す。二人はそのやり取りを見ながら、面白そうに耳を傾けている。
太閤殿下の側から見れば、近衛家の姫と六角家の嫡男をわざわざ同じ座へ置いていることになる。父上も、それを承知しているように見えた。
そこで別の意味が頭へ浮かびかけたが、すぐに押し戻した。
寿姫の年齢さえ、俺は知らない。十歳以上離れているかもしれないというのも、整った顔立ちと大人びた雰囲気から勝手に予想しているだけだ。年長に見えるからといって何かが決まるわけではないし、反対に年が離れているように見えることを理由に、別の可能性を否定するのもおかしい。
そもそも太閤殿下からは、寿姫が近江のことを聞きたがっていたと説明されている。その言葉を疑ってまで、今ここで答えを作る必要はなかった。
少なくとも確かなのは、寿姫と話していて、思っていたよりずっと気が楽だということだった。
ふと父上へ目を向けると、ちょうど視線が合った。ほんの一瞬、その口元がさらに緩んだように見えたが、次には何事もなかったように太閤殿下へ顔を向けている。何かを面白がっていることだけは間違いなさそうだったものの、今それを問い詰めれば、また二人の笑いを増やすだけだろう。俺は黙って姿勢を整えた。
「左京大夫殿。右衛門督殿は、思っておったよりよく話すな。一昨日の帝の御前では、さすがにこれほど話す姿を見ることもなかったが、己が興味を持ったこととなれば随分と言葉が出るようではないか。寿も普段は人の話をここまで細かく聞き返すことは少ないのだが、今日はよく話しておる」
太閤殿下がそう仰ると、父上はどこか得意そうに頷いた。
「息子は興味のあることにございますれば、放っておいても話しまする。逆に一つ疑問を持てば、そのまま別の疑問まで抱えて帰ってまいりますので、こちらとしては話を止める方が難しいくらいです。京へ来て少しは大人しくなるかと思いましたが、どうやら余計なものまで持ち帰りそうで困っておりまする」
「父上。必要なことを考えているだけにございます。まるで面白そうなものを見付けるたびに、勝手に仕事を増やしているような言い方はやめてください。少なくとも、今日はまだ何も増やしておりませぬ」
「『まだ』と自分で申したな」
返す言葉を失った。
確かにそう言ったが、だからといって今日のうちに何か始めると決めたわけではない。反論の仕方を考えている間に、寿姫が口元へ手を添え、声を立てるほどではないにせよ、明らかに笑っているのが見えた。
ここまで来ると、もう何を言っても父上の思う壺のような気がしてくる。
「寿。折角ここまで話したのだ。右衛門督殿をどう思ったか聞いてみたいものだな。今日初めてまともに話した相手なのだから、決まりきった褒め言葉でなくてよい。実際に話してみてどうであった」
太閤殿下からそう尋ねられると、寿姫はすぐには答えず、少しだけ俺へ目を向けた。急いで無難な言葉を探している様子はなく、これまでの会話を思い返しているように見える。
俺も何を言われるのか気になったが、ここで先に口を挟めば、また余計なことを言ったと父上に笑われるだろう。寿姫の返事を待つことにした。
「御名前や評判から、もっと勢いのある御方なのかと思っておりました。浅井が滅び、坂田を得た六角家の御嫡男でございますから、御自分のなされたことをもう少し誇らしげにお話しになるのかとも思っていたのです。ですが実際には、御自分が分からなかったことや、考えを改めたことまで随分素直にお話しになりますね。それが少し意外でございました」
そこで一度言葉を切り、寿姫はほんの僅かに笑った。
「それと、御話は確かに少し長うございます。ただ、それは御自分の言葉を誤って受け取られたくないからなのだろうと思えば、私はそれほど聞きにくいとは感じませんでした。分からなければ途中で尋ねれば、きちんと答えてくださいますから」
思っていた以上に細かく見られていたらしい。
こちらは寿姫の落ち着いた振る舞いや、話を受け取る時の間の取り方へ目を向けていたが、当然ながら相手も同じように俺を見ていたのだ。しかも、会う前に抱いていた印象と、実際に話してから分かったことを分けて答えている。
俺より年長に見えるという予想はともかく、人の話を聞き、相手がどのような者なのかを考えることには慣れているのだろう。少なくとも、一方的に俺が相手を見る場ではなかった。
太閤殿下は満足そうに頷かれると、そのまま俺へ顔を向けられた。
「では右衛門督殿。寿は如何であった。こちらだけ聞いて、そなたには答えさせぬというのも不公平であろう。今日初めてゆるりと話したばかりなのだから、人柄まで決め付ける必要はない。実際に言葉を交わしてみて、どう感じたかを聞かせてくれればよい」
そう言われると、かえって難しい。
最初に姿を見た時には、綺麗な人だと思った。その後、落ち着いた所作や話し方を見て、俺より随分年上なのではないかとも考えた。だが、それをそのまま答えるわけにはいかないし、今日一番印象に残ったのもそこではなかった。
太閤殿下は人柄まで決め付ける必要はないと仰っている。ならば、今ここで実際に感じたことだけを答えればよいのだろう。
「寿姫は、こちらが話したことをそのまま受け取るのではなく、一度御自身の中で考えてから返してくださる御方だと思いました。長く説明しても要点を別の言葉へ直してくださいますし、その意味が違っていれば、何処で伝わらなかったのかも分かります。ですから……初めて御話ししたにもかかわらず、随分話しやすい御方だと感じました」
寿姫が僅かに目を細めた。
「先ほどより、随分きちんと褒めていただけましたね。最初は『話を短くするのが上手い』という御話だったように思いましたが」
「太閤殿下から改めて尋ねられましたので、今度は少し考えて答えました。先ほどは思ったことをそのまま口にしてしまいましたので」
「つまり、先ほどの方が何も考えずに出た御言葉だったのでしょう? でしたら、私は最初の方も覚えておきます。考えて整えられた御言葉より、そちらの方が最初の印象には近いのでございましょうから」
「それは困りまする。後からもっとましな答えを出したのですから、そちらへ直していただけませぬか」
「一度口にしたものを、後から都合よく差し替えるのは、右衛門督殿がお嫌なのではございませんか?」
一瞬、言葉に詰まった。
先ほど、自分が説明の前提まで話そうとする理由を寿姫へ伝えたばかりだった。言葉の一部だけを取り出され、違う意味に受け取られることが嫌だからこそ、理由を重ねて説明してしまう。
ところが今は、先に口にした感想を都合よく整え直してほしいと言っている。寿姫はその違いへ気付いた上で、俺自身の言葉を返してきたのだ。
太閤殿下が声を上げ、父上まで肩を揺らして笑っている。
「右衛門督殿、これは寿の勝ちじゃな」
「……そのようでございます。先ほど話したことを、そのまま返されるとは思っておりませんでした」
ここまで見事に返されては、認めるしかなかった。
寿姫自身は勝ち誇る様子もなく、少し楽しそうに笑っているだけだった。公家の姫との対面なのだから、もっと言葉を選び、当たり障りのない話をして終わるものだと思っていた。それが実際には坂田の話から始まり、道や城のことを語り、最後には俺自身の話し方まで話題になっている。
しかも、話を重ねるうちに、何も知らなかった頃より随分自然に言葉を交わせるようになっていた。
何とも妙な初対面だったが、不快ではなかった。むしろ、もう少し別の話をしてみたいと思えるほどには、この時間を楽しんでいたのだと思う。
*
それからしばらくは、太閤殿下と父上が別の話を交わした。近衛家と六角家のこれまでの関わりや、京に滞在している間の予定など、話題は幾つか移っていった。寿姫は最後まで同席するわけではなく、頃合いを見て一足先に座を辞することになった。
「それでは父上、左京大夫様、右衛門督殿。私はこれにて失礼いたします。本日は普段聞くことのできない近江のお話をありがとうございました。坂田のお話も道のお話も、知らないことばかりでございましたが、次に似たような話を聞いた時には、今日より少し違って聞こえるように思います」
寿姫は太閤殿下へ一礼してから、父上と俺へ向き直った。
その言葉には、単なる挨拶だけではないものが感じられた。少なくとも途中で退屈しているようには見えなかったし、俺自身も話し過ぎたと後悔することなく、ここまで言葉を交わせていた。
「こちらこそ、ありがとうございました。寿姫に話を短くされるたび、何を申し上げたかったのか考え直すことになりましたので、こちらも随分勉強になりました。次に御話しする機会がございましたら、もう少し簡潔に説明できるよう心掛けておきまする」
「無理に短くなさらなくてもよろしいのではございませんか。右衛門督殿が長くお話しになるなら、私が必要なところを短くいたします。その方が、お互いに直すものが少なくて済みそうです」
「それはそれで、説明するたびに採点されているようで落ち着きませぬな」
「でしたら、分かりやすく御話しくださいませ。そうすれば、私も短くせずに済むかもしれません」
穏やかな笑みとともに返され、また言い負かされたような気がした。
しかも寿姫には、相手を言い負かしたという意識さえないのかもしれない。こちらの言葉を聞き、自然に返しているだけなのだろうが、どうにも一枚上手らしい。
「……努力いたしまする」
「楽しみにしております」
寿姫は父上と俺へ改めて頭を下げ、女房を伴って部屋を出ていった。襖が静かに閉じられるまで見送ってから、俺はようやく父上へ目を向けた。
父上は何事もなかったような顔をしている。一方の太閤殿下は明らかに楽しそうで、俺と父上を見比べながら僅かに笑っておられた。
今ここで何故寿姫を呼ばれたのかと問い詰めれば、こちらだけが余計にからかわれることになるのは目に見えている。俺は一度開きかけた口を閉じ、そのまま姿勢を整えた。
その後も、寿姫との縁談を思わせるような話は一切出なかった。太閤殿下は近衛家と近江の繋がりや京の近況について父上と幾つか言葉を交わした後、本当に何事もなかったかのように俺たちを送り出された。父上も特に寿姫の話題を持ち出すことはなく、最後まで普段と変わらぬ様子だった。
だから、余計に分からない。
本当に寿姫が近江の話を聞きたかっただけなのかもしれないし、今日はまず顔を合わせるだけだったのかもしれない。あるいは父上と太閤殿下の間で、俺にはまだ知らされていない話がある可能性も否定できない。
だが、そう考え始めれば際限がなかった。寿姫の正確な年齢すら知らず、かなり年上に見えるというのも俺自身の印象でしかない。今日交わした言葉以上のことを、勝手に結び付けて考えるべきではないだろう。
近衛家を辞する頃には、陽はすでにかなり高くなっていた。朝より人通りも増え、牛車と荷を運ぶ者たちが行き交う往来には、屋敷の中にあった静けさとはまるで違う音が戻っている。
門前で待っていた供の者たちが父上の姿を認めて頭を下げ、馬の支度を整え始めた。俺もその間に一度屋敷を振り返ったが、当然ながら奥にある座敷の様子など見えるはずもなかった。
門を離れ、供の者たちとの間に少し距離ができたところで、俺は父上へ向き直った。
「父上。昨日から御存じだったのでしょう。少なくとも、今日寿姫と顔を合わせるかもしれぬということくらいは、先に聞いておられたのではございませぬか」
父上は前を向いたまま、少しだけ口元を上げた。
「その程度ならな。太閤殿下から、寿姫も近江の様子に興味を持っておるとは聞いていたし、そなたが来るならば話をさせてみるのも面白かろう、という話もあった。ただ、必ず呼ばれると決まっていたわけではない。だから申さなかった。それだけのことじゃ」
「それだけのこと、と仰いますが、一言くらい教えてくだされば、こちらにも多少の心構えができました。寿姫がどのような御方なのか、御年さえ存じませんでしたから、実際に御会いして少し驚きましたぞ」
「何じゃ。どのように驚いた」
妙に楽しそうに聞かれ、俺は言葉を選んだ。
今ここで下手なことを口にすれば、また父上から余計な話を振られかねない。だが、自分から話を持ち出した以上、何でもないと誤魔化すのもおかしいだろう。
「もっと年の近い御方を、勝手に想像していたようです。実際には随分と大人びて見えましたし、話し方にも落ち着きがございました。正確な御年は存じませんが、下手をすれば十歳以上離れていてもおかしくないのではないかと思ったほどです」
「本人の前で申さなくて良かったな」
「それくらいは分かっておりまする」
思わず顔をしかめると、父上が声を立てて笑った。
別に寿姫を悪く言ったつもりはない。むしろ、その落ち着いた雰囲気には好ましい印象を持っている。ただ、見た目や振る舞いから年齢を推し量ったことを、本人へそのまま伝えてよいとは思っていなかった。
「ならばよいではないか。年が幾つであろうと、今日は普通に話しておった。先に寿姫はそなたよりかなり年上らしいとでも聞かされておれば、今度は年の差ばかり気にして、あれこれ考えたのであろう?」
否定しようとして、口を閉じた。
確かにその可能性はある。寿姫が俺よりかなり年上だと先に聞かされていれば、言葉遣いも話題も必要以上に選び、相手の反応を見るより、自分が失礼なことを言っていないかばかり気にしたかもしれない。
今日も最初は寿姫の大人びた雰囲気に驚いたが、実際に話し始めてからは、いつの間にか年齢のことなど考えずに坂田や道について説明していた。
「……だからといって、何も教えぬというのも極端だと思いますが」
「そなたにはそれくらいで丁度よい。余計なことを知れば、その分だけ先へ考えるのだからな」
「父上は、どこまで考えるような息子だと思っておられるのです」
「先に答えを作らせると面倒な息子じゃな」
即答された。
腹立たしいが、昨日と同じところを突かれている以上、強くも言い返せない。しかも父上にしてみれば、今朝の俺が余計なことを考えずに寿姫と話せたのだから、それで十分なのだろう。
実際には屋敷へ着くまで様々なことを考えていたのだが、そこまで説明すれば、やはり考え過ぎではないかと言われるに決まっている。
それでも、もう一つだけ確かめておきたかった。
「では、今日寿姫と顔を合わせたことに、それ以上の意味はあるのでしょうか。御年のことはともかく、父上と太閤殿下が途中から妙に楽しそうにこちらを見ておられましたので、何も考えていないとは少々思えませぬ」
父上が横目で俺を見た。
「それ以上、とは何じゃ」
「父上。分かって聞いておられるでしょう」
「儂には何のことか分からぬな。寿姫は近衛家の姫で、そなたは六角家の嫡男。京へ来た折に一度顔を合わせ、話をした。それ以上の何を、今から決める必要がある」
「決めるつもりはございませぬ。ただ、何かあるのかを知りたいだけです」
「ならば、何かある時に考えればよい」
父上は平然と答え、そのまま話を続けた。
「昨日、公方様の前で朽木について何と申した。今から先を案じて関係を壊すより、その時に利がぶつかれば改めて考えると話しておったであろう。そなたもその場で聞いておったはずじゃ。自分が納得しておった理屈なら、己にも使ってみよ」
よりによって、昨日の話を持ち出された。
しかも、今の状況とは随分違う話のように思える。朽木との関係は家同士の利害であり、寿姫と今日顔を合わせたこととは、そもそも比べるものが違うのではないだろうか。
「……それとこれとは違うような気がいたします」
「何が違う」
「上手く説明できませぬ」
「ならば、説明できるようになるまでは同じでよかろう。少なくとも今日のところは、寿姫と話して何を思ったか、それだけ覚えておけば十分じゃ」
完全に遊ばれている。
父上はもうこれ以上答えるつもりがないらしく、何事もなかったように道の先へ視線を戻した。俺もすぐには言葉を続けられず、隣を歩きながら今日のことを思い返した。
寿姫と会った。話をした。綺麗な女性で、年齢は分からないが随分と大人びて見えた。そして、思っていたよりずっと話しやすい相手だった。
俺の説明を聞き、自分なりに理解した内容を返してくれる。時には軽口を交わし、こちらの言葉をそのまま使って言い負かされることもあった。
それらは今日実際にあったことであり、別の意味を付け加える必要はない。
父上が何を考えているにせよ、今あるのはそれだけなのだ。
「……分かりました。これ以上は聞きませぬ。ただ、後になって『実はあの時から話があった』などと申されても、知りませぬからね」
「その時は、その時に考えればよかろう」
「父上は本当に、その言葉が便利だと思っておられるでしょう」
「実際便利じゃ」
満足そうな顔をされると、やはり腹は立った。
だが、ここでさらに問いを重ねても同じことだろう。父上はもう笑うだけで、俺が望むような答えを返してくれるとは思えなかった。
宿へ向かう道には商人たちの声が響き、荷を運ぶ者が俺たちの脇を通り過ぎていった。父上も別の用件について供の者へ指図を始めたため、俺はそれ以上寿姫の話を持ち出さず、今朝からの出来事を胸の内で整理していた。
*
宿へ戻ると、弥太郎が外から届いた文をまとめていた。俺の姿に気付くと手を止めたが、すぐに何かを尋ねてくることはなかった。京へ来てから俺が毎日のように考え事を抱えて戻ってくるため、最近は俺から話し始めるのを待つようになったらしい。
それでも、こちらの顔を一度見た後、机へ書付を置く手付きが少し緩んだように見えた。
「お帰りなさいませ。近衛家はいかがでございましたか。昨日の公方様のところほどお疲れには見えませぬので、少なくとも酷く困らされて戻られたわけではなさそうですが、太閤殿下とはゆるりと御話しできたのでございますか」
「できた。一昨日も帝の御前で父上と共に御挨拶はしているが、ゆっくり話したのは今日が初めてに近い。以前、公方様が京へ戻られた時にも一度会っているから、顔自体は何度か見ているのだがな」
「では、今日はようやく落ち着いて御話しできたということにございますか。若様が帰ってくるなり難しい顔をされていないところを見ると、公方様の時とは随分違ったようですな」
「公方様ほど次々に問われたわけではない。それに──」
そこで少し言葉が止まった。
太閤殿下と話したことを伝えるだけなら、近江のことを尋ねられたと答えればよい。父上と揃って話が長いとからかわれたことまで、わざわざ弥太郎へ知らせる必要もあるまい。
ただ、今日のことを思い返すと、どうしても別の相手の顔が浮かんでしまう。
弥太郎は急かさず、こちらの続きを待っていた。
「寿姫という御方にも会った」
その瞬間、弥太郎の手がほんの僅かに止まった。
「何だ、その顔は」
「某は何も申しておりませぬ。ただ、近衛家へ行かれて太閤殿下と御話しした後に、わざわざ姫君のお名前まで出されたので、何か印象には残ったのであろうと思っただけにございます」
「何でも先へ繋げようとするなよ。今日初めてまともに御話ししたばかりだ。それに、正確な御年は知らぬが、見たところ随分年上の御方だと思う」
「随分、でございますか」
「ああ。顔立ちだけでは年齢など分からぬ。綺麗な御方だったしな。ただ、所作や話し方が随分落ち着いておられた。二つ三つ上という感じではなかった。もしかすると十歳以上離れていてもおかしくないのではないかと、そう思っただけだ」
弥太郎は少し考えてから頷いた。
「なるほど。御年を伺ったわけではなく、若様がそう見えたということにございますな。それで、その寿姫様はどのような御方でございましたか。今のお話ですと、御姿よりも、実際に御話しした時の方が印象に残っておられるように聞こえますが」
聞かれて、すぐに答えようとしたが、適当な言葉が浮かばなかった。
綺麗だったというのは最初に思ったことだ。大人びていたとも言える。父上と太閤殿下が妙に楽しそうにしていたことも、印象には残っている。しかし、実際に寿姫と交わした言葉を思い返すと、それらよりも先に浮かぶものがあった。
「……話しやすい御方だった。話したことを、そのまま分かったふりで聞くのではなく、一度自分の言葉へ直して返してくる。分からなければ普通に聞くし、長く説明しても途中で面倒そうな顔をしない。それで、坂田を得て九万石分考えることが増えたようだと話したら、『九万石分お忙しくなったのですね』とまとめられた」
弥太郎は少し黙った後、口元を緩めた。
「……随分分かりやすうございますな。その御方、若様の御話を扱うのがお上手なのではございませぬか。某が同じことを申し上げましたら、若様は『そこまで単純ではない』と、そこからまた長く説明を始められそうですが」
「そなたまで言うのか。寿姫にも似たようなことを言われたぞ。ただ、長く話したから短くできたのであって、最初から短ければ理由が分からなかったとも言われた」
「それなら、若様の長い御話も無駄ではなかったということでございますな。長く話される若様と、聞いたものを短くできる寿姫様なら、御話をするには丁度よいのかもしれませぬ」
その言い方に、思わず弥太郎を見た。
「何が丁度よいんだ」
「御話の長さにございます。他に何があるので?」
何とも白々しい顔をしている。
言い返そうとしたものの、ここで別の意味を持ち出せば、こちらが勝手に意識していたことになる。実際、寿姫と話している間には、年齢の違いや父上たちの様子が気になったこともあった。だが、そうした考えを今ここで弥太郎へ説明する必要はないだろう。
俺が黙ったのを見て、弥太郎は何処か得意そうに笑っていたが、それ以上は追及してこなかった。
代わりに、机の端へ置いていた紙を一枚差し出してくる。
「それでは若様、こちらを。坂田から届いた報告にございます」
受け取って目を通すと、道の補修について書かれていた。雨が続いたため通りにくくなった場所があり、現地の役人が人足を集める必要があるか確かめているという。その下には市についての確認があり、さらに別の書付には年貢の納入先や村同士の境についての話が並んでいた。
紙を一枚めくるたび、別の問題が姿を見せる。
浅井の頃から続いている取り決めを残すだけで済む場所もあれば、その取り決め自体を確かめ直さなければならない場所もある。道を直そうにも誰が人足を出すのかという話になり、年貢を別の場所へ運ぶなら、今度は荷を受け取る側の支度も必要になる。九万石という数字だけを見て喜んでいた頃が、随分昔のことのように感じられた。
その時、昼間聞いた言葉が不意に頭へ戻ってきた。
──九万石分お忙しくなられた、と考えた方が。
なるほど、確かにこの紙の束を見る限り間違ってはいない。むしろ、一つの報告を読めば別の確認が必要になり、その結果として新しい書付が増えていくのだから、九万石分で済んでいるのかさえ怪しく思えてくる。
思わず口元が緩んだらしく、向かいから弥太郎の視線を感じた。
「若様。今、少し笑われましたか。坂田からの報告に、それほど面白いことでも書かれておりました?」
「何でもない。続きの紙を寄越せ。この分では、九万石分どころでは済まぬかもしれぬ」
「今の御言葉は、寿姫様から伺ったものではございませぬか?」
「……黙っておれ」
弥太郎はそれ以上追及しなかった。ただ、差し出してきた次の紙を受け取る時、口元に浮かんだ笑いだけは隠す気がないらしい。俺はそれを無視し、報告の続きを読んだ。
坂田から届く書付は、これからも増えていくだろう。道の補修も、年貢の取り決めも、市の扱いも、一つずつ確かめていかなければならない。観音寺へ戻れば、現地へ遣わした者たちの報告を整理し、必要なものは父上や重臣たちと相談することになる。寿姫と話したからといって、目の前の仕事が減るわけではなかった。
ただ、昼間のやり取りを思い出すと、これまでとは少し違った気持ちで書付を読めるような気がした。
寿姫は武家の領地について詳しくないと仰っていたが、知らないことをそのままにせず、自分の分かる形へ直して話してくださった。俺の説明を聞いて、九万石分忙しくなったと笑いながらも、何故そうなるのかという理由まで受け取っていた。
あれほど長く話す必要があったのかと考える一方で、あのように聞いてもらえるのなら、また別の話もしてみたいと思ったことは確かだった。
もっとも、次にいつ顔を合わせるのかは分からない。父上と太閤殿下が何を考えていたのかも、今のところは確かめようがなかった。今日一度話しただけで、寿姫のことをよく知ったつもりになるのも違うだろう。
少なくとも、今ここで先のことを考えても仕方がないという父上の言葉には、一理あるのかもしれなかった。
俺は手元の報告へ目を戻し、年貢米を運ぶ道について書かれた箇所をもう一度読み直した。弥太郎は隣で別の書付を揃え、俺が印を付けたものを後で確かめられるよう脇へ分けている。いつもと変わらない仕事のはずなのに、紙をめくるたび、昼間寿姫が口にした短い言葉が不意に浮かんできた。
九万石分忙しくなった。
そう考えると、目の前へ積まれた帳面も少しばかり違って見える。坂田を受け取った直後には何から手を付けるべきかと頭を抱えたこともあったが、今は誰に何を任せればよいのかを考えられるようになっている。一度に全てを片付ける必要はない。分からないことがあれば人へ尋ね、調べてもらえばよい。寿姫との会話も、そうして互いに言葉を交わすうちに、自然と話が進んでいったのだった。
弥太郎が次の書付を差し出してきたので、俺はそれを受け取り、必要な箇所へ目を通した。
昼間のことを詳しく話すつもりはもうなかったが、どうやら弥太郎は何か気付いているらしく、時折こちらの顔を見ては口元を緩めている。今さら何を言ってもからかわれるだけだろうから、俺は気付かぬふりを続けることにした。
近衛家で何があったのかと問われれば、寿姫と近江の話をした。それだけで間違いはない。
だが、今日初めてまともに言葉を交わした相手の話し方や、何気なく返された言葉まで、こうして仕事の合間に思い出しているのも事実だった。そこへ無理に理由を付ける必要はないだろう。
少なくとも、寿姫と話した時間が思っていた以上に楽しかったことだけは、俺自身も認めていた。
一話の文字数はどのぐらいが読みやすいですか?
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