淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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2026/10/22 文章整理


第五十九話「不破へ続く道」

 京から観音寺城へ戻って数日が過ぎると、上洛している間に届いていた坂田郡の報告も、ようやく一通り整理することができた。

 

 年貢の取り決めや寺社の所領、市の扱いなど、確認を要するものは相変わらず多い。それでも後藤但馬守、目賀田次郎左衛門尉、三雲対馬守がそれぞれの役目に従って調べを進めており、仕事が滞っている様子はなかった。父上とも相談し、当面は浅井の頃から続いている取り決めを大きく変えず、問題が生じたところから順に対応する方針となっている。領主が替わったからといって、村々の暮らしまで一度に変える必要はない。坂田の者たちがこれまで通り田を耕し、商いを続けられるようにしながら、六角の支配を少しずつ行き渡らせる方が確かだろう。

 

 報告を読み進めるうちに、同じ坂田郡でも村によって事情が随分違うことが分かってきた。年貢を納める先が変わることを気にしている村もあれば、従来の取り決めをそのまま認めてほしいと申し出る村もある。寺社の所領が絡む場所では、以前の権利がどこまで及んでいたのか、現地の者たちへ確かめなければならないことも少なくない。九万石という数字だけを見ていた頃には想像していなかった仕事が、今では幾つもの帳面となって目の前へ積まれている。

 

 もっとも、その全てへ俺が口を挟む必要はなかった。後藤たちが役目を分け、必要な判断だけを父上へ上げている。俺自身も報告には目を通していたが、すでに指図の出ているものまで改めて考え直すことは控えた。上洛中も仕事が進んでいたのだから、戻ってきた途端に俺があれこれ言い出しては、かえって現地の者たちを混乱させるだけだろう。

 

 それよりも、今の俺には気に掛かることがあった。坂田郡の東に位置する美濃、とりわけ不破郡の情勢である。

 

 浅井が滅び、坂田が六角の領地となったことで、美濃との間を行き来する人や荷の動きを以前より詳しく知ることができるようになった。これまで美濃は近江の隣国であっても、六角がその境に接する土地を直接治めていたわけではない。しかし今では坂田を通じて美濃の動きがこちらへ伝わり、その逆もまた同じことになる。京へ向かう前から篠、弥七、宗兵衛へそれぞれ調査を命じていたが、帰国してから新しい報告が届き始めていた。

 

 その日も、弥太郎が机の上へ三人からの書付を並べていた。開け放した障子の向こうでは蝉が鳴き、庭木を揺らす風にも夏の暑さが残っている。雨の多かった頃に比べれば過ごしやすくなったものの、日中はまだ陽射しが強く、少し身体を動かしただけでも汗が滲んだ。弥太郎が用意してくれた茶を一口飲み、俺は最初に弥七の報告へ目を通した。

 

 坂田から不破へ通じる道は、以前から商人や旅人が使っているものだった。荷馬で通るには支障のない場所が多いものの、荷車を使う場合には道幅や川の水量によって経路を変える必要があるらしい。地図では一本の道として記されている場所でも、実際には荷の重さや天候に応じて幾つかの道を使い分けている。雨の後にはぬかるみを避け、川の水が増せば渡しやすい場所へ回る。そうした事情は以前からあったようだが、最近になって、それまで使っていた道を避け、多少遠回りになる経路を選ぶ商人がいるという。

 

 俺はその部分をもう一度読んだ。道が崩れたという報告はなく、通行を妨げる出来事も確認されていない。弥七自身、経路を変えた者がいることまでは掴んでいるものの、その理由までは確かめられていなかった。

 

 続いて宗兵衛の書付を開くと、こちらにも似た話が記されている。美濃から坂田の市へ来る商人の中には、以前より道中の様子を気にする者が増えているという。ただし、全ての商人が道を変えているわけではない。これまでと同じ道を使い続けている者もおり、荷の種類や取引相手によって選ぶ経路が違うことも考えれば、今のところ大きな変化が起きているとは言い切れなかった。

 

 俺は二枚の書付を並べ、不破へ延びる道を地図の上で確かめた。

 

 商人が道を変える理由など、考え始めれば幾らでもある。通行の際に納める銭が変わったのかもしれないし、取引相手の都合で別の場所へ荷を運ぶようになっただけかもしれない。以前から使っていた道で何か揉め事が起きた可能性もあるが、それを裏付ける報告は届いていなかった。美濃の国人たちの間で何か変化が生じているとしても、商人が道を変えたというだけで、そこまで結び付けることはできない。

 

 もっとも、道を調べた弥七と、商人の往来を見ている宗兵衛の双方が似た変化へ気付いたことには意味がある。ただ、二人が同じ商人の話を聞いているだけという可能性も残っていた。別々の書付に同じことが記されているからといって、それだけで裏付けが取れたことにはならない。

 

「弥太郎。宗兵衛には、実際に道を通った商人から話を聞けるか確かめてもらおう。ただし、無理に事情を聞き出す必要はない。普段の付き合いの中で分かることだけで十分だ」

 

「承知いたしました。商人も、取引の相手や荷を運ぶ先まで知られるのは嫌がりましょうから、そのように伝えておきます」

 

「ああ。何処を通ったのかが分かればよい。理由を話したがらぬ者へ、何度も尋ねる必要はない」

 

 弥太郎は指図を書き留め、宗兵衛へ回す書付を文箱へ収めた。

 

 俺も次の報告へ手を伸ばしかけたが、ちょうどその時、篠が戻ったという知らせが届いた。まだ坂田の調べを続けているものと思っていたので、先に話を聞くことにした。

 

 篠が持参したのは、不破郡の国人たちについてまとめた書付だった。領内の有力な家々の名や所領、縁組による繋がりが記され、以前の報告から新たに分かったことも書き加えられている。ただ、現在の関係については、確かなことばかりではないらしい。

 

 ある家が一色家と折り合いを悪くしているという噂があっても、実際に争っているのか、一時的な行き違いに過ぎないのかまでは分からない。縁組によって繋がっている家同士でも、今の当主たちが親しく付き合っているとは限らず、昔の関係をそのまま現在のものとして考えることもできなかった。

 

 俺は書付へ目を通し、途中に記されていた竹中氏の名で手を止めた。

 

 竹中半兵衛。

 

 前世で知っている名が、自然と頭を過った。美濃の武将として後に知られる働きは覚えているが、今この時点で本人がどのような立場にあり、家中でどれほどの発言力を持っているのか、俺はまだ十分に知らなかった。

 

 そもそも、前世で知っていた出来事と今の美濃が同じように進む保証などない。浅井が滅び、朽木が北近江を押さえ、六角が坂田を得たことで、周囲の家々が置かれた状況は変わっている。史実や原作で知っている名だからといって、その人物が今も同じ判断を下すとは限らなかった。

 

 それに、以前なら何か手掛かりを得た時点で前世の記憶を頼りに考えを進めていただろうが、最近はその記憶自体にも曖昧なところが増えている。知っているという感覚だけで、目の前にいる人間を評価するのは避けたかった。

 

 俺は竹中氏だけを特別扱いすることなく、他の国人と同じように家中の事情を確かめてもらうことにした。

 

「不破の国人たちの間で、大きな争いが起きたという話は聞こえておりませぬ。ただ、以前とは付き合いが変わったと申す者はいるようにございます」

 

 篠はそう述べた後、商人たちの動きについても似た噂を聞いたと付け加えた。もっとも、宗兵衛が掴んだ話と同じものが巡り巡って伝わっているだけかもしれない。俺は篠の書付を宗兵衛の報告と並べ、誰から聞いた話なのか、どの辺りで伝わっている噂なのかを確かめた。別々の者が同じ出来事を見ていたのなら意味も変わるが、一人の商人が口にした話を何人もが繰り返しているだけなら、報告の数ほど確かなものではない。

 

「国人同士の関係については、もう少し確かめてくれ。今聞こえている噂が、誰のところから出たものなのかも知りたい。ただし、こちらから国人へ働き掛ける必要はない」

 

「承知いたしました。向こうから話を持ち掛けられた場合はいかがいたしましょう」

 

「まずは聞いてきてくれ。誰の意向なのかも分からぬうちに、六角として何かを約束する必要はない。相手が何を望んでいるのか、誰に頼まれて来たのか。その辺りが分かれば十分だ」

 

 篠は静かに頭を下げ、持参した書付について必要な説明を終えると部屋を辞していった。

 

 俺は残された紙を文箱へ収め、改めて地図へ目を落とした。不破郡の国人たちの関係についても、商人が道を変える理由についても、まだ結論は出ていない。情報を集め続けることは必要だが、机の前で同じ書付を何度も読み返したところで、新しいことが分かるわけでもなかった。

 

 そこで弥太郎へ、坂田へ赴くための支度を頼んだ。

 

「坂田へ参られるのですか」

 

「ああ。弥七の報告にある道を、一度見ておきたい。宗兵衛が普段付き合っている商人たちの様子も確かめられればよいと思っておる」

 

「何か問題が起きたのでございましょうか」

 

「まだ分からぬ。だから確かめに行くのだ。道の様子だけなら弥七の報告でも分かるが、実際に荷を運ぶ者たちがどのように使っているのかは、見た方が早いこともあるだろう」

 

 弥太郎は承知したと答え、供の人数や道中の支度を確かめ始めた。

 

 俺も父上へ出向く旨を伝え、坂田の統治に関わる役人たちの仕事を妨げないよう、今回の目的を限っておくことにした。美濃で何が起きているのかを一度の視察で明らかにするつもりはない。今ある報告と実際の道の様子を照らし合わせ、次に何を調べるべきなのかを確かめられれば、それで十分だった。

 

 *

 

 坂田へ向かったのは、それから数日後のことだった。

 

 観音寺を発った朝は薄い雲が広がっていたが、北へ進むにつれて空は明るくなり、昼前には馬上でも背中へ汗が滲むようになった。街道の両側には色付き始めた稲が広がり、農具を担いだ百姓たちが畦道を行き来している。雨の多かった季節を過ぎ、田の色も少しずつ変わり始めていた。

 

 俺の後ろには弥太郎をはじめ数人の近習が付き、案内役として弥七と宗兵衛も同行している。今回は大勢を連れて土地を巡るつもりはなく、道や市の様子を確かめるのに必要な者だけを伴った。

 

 坂田へ入ると、街道の様子は場所によって随分違っていた。荷馬同士がすれ違えるほど広い道もあれば、田の間を抜ける細い道もある。道沿いの村々では百姓が収穫へ向けた仕事を進めており、荷を積んだ馬を引く者や、近くの市へ向かうらしい人々ともすれ違った。

 

 弥七の説明によれば、商人たちは荷の重さや天候によって経路を選んでおり、必ずしも最も近い道を通るわけではないという。荷馬ならば問題なく通れる場所でも、荷車では道幅が足りず、遠回りになる道を使うこともあるらしい。

 

「この先は、雨の後に通りにくくなるところがございます」

 

 弥七が示した場所では、道の端に水が溜まった跡があり、車輪の轍も他より深く残っていた。今は乾いているため馬で進むのに支障はないが、雨が続けば荷車が動きにくくなるのだろう。近くには田へ水を引く溝もあり、道の状態を良くしようとするなら、周囲の水の流れまで考える必要がありそうだった。

 

 俺は馬を下り、道の端に残る轍を確かめた。

 

 地図では僅かな距離にしか見えない場所でも、実際に立ってみれば道の高さや幅が少しずつ違っている。荷を積んだ車が通ることを考えれば、どこで車輪を取られやすいのかも気になる。だが弥七によれば、こうした場所は以前から知られており、最近になって急に通れなくなったという話ではないらしい。

 

「この道が悪くなったから、別の道を使い始めたというわけではなさそうだな」

 

「はい。雨の後に避ける者は以前からおりますが、晴れておる時にも別の道を選ぶ者が出ているようにございます」

 

「分かった。道の状態については、今まで通り調べを続けてくれ。新しく傷んだ場所が見付かったなら、坂田の役人へ知らせればよい」

 

 弥七が承知したと答えたので、俺たちは再び馬へ乗った。

 

 途中で川や水路の位置を地図と照らし合わせながら進んだが、今すぐ大きく手を入れなければならないほどの場所は見付からなかった。無論、実際に荷車を通してみれば別の問題が出る可能性はある。しかし今回確かめたいのは補修すべき場所そのものではなく、商人たちが以前と違う経路を使う理由だった。道の状態だけでは、その変化を説明し切れそうになかった。

 

 昼を少し回った頃、俺たちは街道沿いの市へ入った。

 

 道の両側には筵を広げた商人たちが並び、米や塩、干した魚、布などを売っている。荷を積んだ馬が通れば人々が脇へ寄り、買い物に来た百姓たちは店先で品を眺め、値を確かめていた。大きな城下ほどの賑わいではないが、商いが滞っているようには見えない。市へ運び込まれた荷の中には美濃から来たものもあるらしく、宗兵衛はそうした商人たちの顔を幾人か知っていた。

 

 俺は市の端で馬を預け、宗兵衛の案内を受けながら店先を見て回った。市を預かる者への挨拶は済ませたが、今回は税や取り決めについて調べに来たわけではない。以前と比べて商人の数が減っているようにも見えず、扱う品にも大きな変化はないらしい。それでも、道を通っている者たちの様子までは、店先の賑わいだけでは分からなかった。

 

 宗兵衛はその中から顔見知りの商人を見付け、近頃の道中について話を聞いてくれた。

 

 男は荷馬の傍で縄を確かめていたが、宗兵衛の姿を見ると手を止め、普段から付き合いがあるらしく気安く言葉を返した。

 

「美濃からの道はどうだ。近頃、少し遠回りして来る者がいると聞いたが」

 

「大きく変わったことはございませぬよ。荷もこうして運べておりますからな」

 

 男は最初そう答えた。しかし、宗兵衛が普段使っている道について尋ねると、僅かに返事をためらった。

 

「通れぬわけではございませぬ。ただ、以前より気を使うことが増えましてな。少々遠回りでも、馴染みのある道を選ぶ者はおります」

 

 それ以上の事情について、男は詳しく話そうとしなかった。

 

 言葉を選んでいる様子からは、何か知っているようにも見える。だが、単に取引の相手や荷を運ぶ道筋を明かしたくないだけかもしれない。商人にとって、どの道を使い、誰へ荷を届けるのかは商いに関わる話だ。こちらが知りたいからといって、何でも答えてもらえるものではないだろう。

 

 宗兵衛がもう一つ問いを重ねようとしたところで、俺は軽く手を上げて止めた。

 

「今の話だけで十分だ。仕事の邪魔をしては悪かろう」

 

 男は一瞬こちらを見た後、頭を下げた。俺もそれ以上尋ねることなく、宗兵衛へ話を戻すよう促した。

 

 荷馬の支度を終えた男は、他の商人と言葉を交わしてから市を離れていった。その後ろ姿を見送りながら、俺は先ほどの返答を思い返した。

 

 以前より気を使うことが増えた、か。

 

 何に気を使うのかまでは分からない。通行に掛かる銭なのか、道中で顔を合わせる相手なのか、あるいは全く別の事情なのか。はっきりしているのは、少なくともあの男にとって、以前と同じ道を使うことに何らかの不都合があるということだけだった。

 

「宗兵衛。今後も普段通り付き合ってくれ。向こうから話すなら聞けばよいが、こちらから無理に聞き出す必要はない」

 

「承知いたしました。あの者も、話せることがあればいずれ申してくるかと存じます」

 

「ああ。ただ、話してくれたとしても、それだけで不破の国人たちの動きと結び付ける必要はない。別の理由ということもある」

 

 宗兵衛は頷き、他の商人についても引き続き様子を見ると答えた。

 

 俺たちは市の中をもう少し歩き、荷の出入りや道の使われ方を確かめてから、その場を離れることにした。見たところ商いは続いており、坂田の領主が替わったことで市が混乱している様子もない。そのこと自体は、今の六角にとって悪くない報告だろう。

 

 市を出る頃には、陽が西へ傾き始めていた。俺たちは坂田の東へ延びる街道へ出て、遠くに重なる山々を眺めた。

 

 あの向こうへ進めば不破があり、さらにその先には美濃の国人たちが治める土地が広がっている。地図を見ている時には、境を越えれば別の家が治める土地なのだと分かりやすく考えてしまう。しかし、実際に道を歩く者たちにとっては、荷を運ぶ先があり、付き合いのある商人や村があるというだけのことかもしれない。

 

 領主の違いによって負担や危険が変わることはあっても、道そのものがそこで途切れるわけではない。坂田を六角が治めるようになったことで、その先にいる者たちが何を気にするようになったのか。商人が使う道の変化も、そうした事情と無縁ではないのかもしれなかった。

 

 俺は弥七と宗兵衛へ、今日確かめられなかったことを引き続き調べるよう伝えた。篠から届く国人についての報告とも照らし合わせ、共通するところがあれば、その時に改めて考えればよい。

 

 今の段階で美濃へ兵を進めるつもりもなければ、国人たちへこちらから働き掛ける理由もない。道を変える商人がいるという話だけで、余計な動きを始めるべきではなかった。

 

 帰路へ向かうため馬首を巡らせると、街道の先から荷馬を引く一行が近付いてきた。俺たちは道の端へ寄ってその一行を通し、夕日に照らされた坂田の田へ向かって馬を進めた。

 

 荷馬の背には幾つもの包みが積まれ、先頭を歩く男が時折振り返って後ろの様子を確かめている。俺はその姿をしばらく眺めていたが、何処から来て何処へ向かうのかを呼び止めて尋ねることはしなかった。あの者たちにも、日が暮れるまでに進んでおきたい道があるのだろう。

 

 *

 

 坂田から観音寺城へ戻ったのは、それから二日後のことだった。

 

 帰路でも幾つかの村や市を通ったが、特に足を止めて調べるようなことはしなかった。弥七からは道の状態について、宗兵衛からは商人たちの往来について、引き続き報告を受けることになっている。俺が現地で確かめたことも、今すぐ何かを決めなければならないほどのものではなかった。

 

 ただ、美濃から近江へ入ってくる商人たちの中に、以前とは違う道を選ぶ者がいることは、実際に話を聞いて確かめられた。その理由については依然として分からない部分が多く、今後の調べを待つしかなかった。

 

 城へ戻ると、弥太郎が留守中に届いた書付を整理してくれた。坂田の統治に関わるものは後藤但馬守たちへ回されており、急ぎの判断を求める報告もなかった。俺は旅装を解いて一息つくと、今回の視察で確かめたことを簡単に書き留めることにした。

 

 弥七の報告にあった道の状態は、おおむね実際に見たものと違わなかった。ぬかるみやすい場所や荷車が通りにくい道も確認できたが、最近になって急に道が傷んだという話ではない。市では商いが続いており、荷の出入りにも目立った混乱はなかった。

 

 一方、美濃から来る商人の中には、多少遠回りになっても馴染みのある道を選ぶ者がいる。少なくとも話を聞いた男は、以前より気を使うことが増えたと申していた。

 

 俺はそれぞれを分けて書き、最後に、今の段階では経路を変えた理由を判断できないと記した。

 

 こうして整理すると、現地まで足を運んで新たに確かめられたことは、思っていたより少ない。道の状態を見て、市で商人の話を聞いた。それだけで美濃の内情まで知ることはできなかったし、確認できたものの中にも、以前から分かっていたことが多い。

 

 もっとも、今回の目的は美濃の情勢を一度に明らかにすることではない。弥七の報告が実際の道の様子と合っていることを確かめ、宗兵衛が聞いた話についても、商人から直接聞く機会を得られた。それだけでも、今後の報告を判断する際には役立つだろう。

 

 俺は書き終えたものを弥太郎へ渡し、明日にでも父上へ報告するつもりだと伝えた。

 

 弥太郎は書付を文箱へ収めると、少しばかり安心したような顔をした。

 

「若様。此度は、現地で新たな仕事をお引き受けにならなかったようでございますな」

 

「父上にも言われていたからな。それに、道を見ただけで何を直すかまで決められるわけでもない」

 

「それなら何よりでございます。坂田から戻られるたびに新しい御用が増えては、後藤様方もお困りになりましょう」

 

 弥太郎はそう言いながら、机の端を片付け始めた。

 

 俺としては、現地で判断しなければならないことがあれば、その場で決める必要もあると思っている。ただ今回は、そうするほどの問題が見付からなかっただけだ。

 

 道を補修するにしても、誰が人足を出すのか、どれほどの費用が掛かるのかを確かめなければならない。たまたま俺が通ったからという理由で、現地の役人が進めている仕事へ横から指図を増やす必要はなかった。

 

 もっとも、そこまで説明すれば、また考えることを増やしていると言われそうだった。俺は弥太郎へ言い返す代わりに茶を飲み、残っていた書付へ目を通すことにした。

 

 翌日、父上のもとを訪ねると、ちょうど手元の書状を読み終えたところだった。取り次ぎの者が退出するのを待って座につき、坂田で確かめたことを順に報告した。

 

 道の状態については弥七の書付と大きな違いがなかったこと。市についても以前と変わらず商いが行われていたこと。その一方で、美濃から来る商人の中には遠回りになる道を選ぶ者がおり、実際に話を聞いた男も、以前より気を使うことが増えたと答えていたことを伝えた。

 

 父上は途中で口を挟まず、俺が話し終えるまで静かに聞いておられた。

 

 報告に使った書付へ目を落とした後、机の脇に置かれていた地図を引き寄せる。坂田郡の東に不破があり、さらにその先へ美濃の土地が広がっている。父上は道筋を一度確かめてから、こちらへ顔を向けた。

 

「それで、四郎。そなたは美濃で何か起きておると思うか」

 

 俺は少し考えてから答えた。

 

 商人の動きが変わっていることは確かに気になる。だが、それだけで美濃の国人たちが争っているとは言えない。取引相手が変わったのかもしれないし、道中で徴収される銭や荷の扱いに違いが生じた可能性もある。あの商人が詳しい事情を話したがらなかったことにも、国人同士の争いとは関係のない理由があるのかもしれなかった。

 

「何か変わったことはあるのかもしれませぬ。ただ、それが国人たちの動きによるものなのかまでは分かりませぬ。宗兵衛には商人の話を、篠には国人同士の関係を引き続き調べさせておりますので、もう少し様子を見たいと考えております」

 

「うむ。道を変えた者がおるからといって、すぐに国人同士の争いへ結び付けるわけにはいかぬな」

 

 父上はそう答えると、地図の坂田郡へ指を置き、そこから東へ続く道を目で追った。

 

「美濃の内で何か起これば、いずれ坂田にも影響が及ぼう。ゆえに知らずにおるわけにはいかぬ。されど、向こうの者が騒いでおるからと、こちらまで慌てる必要はない。まずは何が起きておるのかを確かめることじゃ」

 

 俺もその考えに異存はなかった。

 

 六角が美濃へ関心を持っていることは、公方様との対面でも父上が認めておられる。しかし、関心を持っていることと、実際に兵を進めることは別の話だ。坂田の統治もまだ始まったばかりであり、近江の内側にも確認すべきことは残っている。美濃の国人たちがどのような関係にあるのかさえ分からないまま、その争いへ関わろうとするのは避けたかった。

 

 父上はさらに、篠へどのような指図を出しているのかも確かめられた。

 

 俺は国人たちの所領や縁組を調べさせていること、向こうから話を持ち掛けられた場合には相手の立場を確かめること、六角として勝手な約束をしないよう命じていることを説明した。

 

「そのような話が来たとしても、誰が何を求めているのかを知らぬうちには、こちらも判断できませぬ。今は向こうの事情を確かめるだけに留めるつもりでおります」

 

「それでよい。調べは続けさせよ。ただし、向こうへ六角が何かを企てておると受け取られるような振る舞いは避けさせるのじゃ」

 

「承知いたしました」

 

 父上から特に指図を改めるよう命じられることはなかった。俺も現地で確かめたことを報告できたので、それ以上長居する必要はない。今後の調べについては篠たちへ任せ、何か新しい話が届いた時に改めて相談すればよいだろう。

 

 報告を終えて父上の部屋を辞した時には、すでに日が高くなっていた。

 

 廊下を歩いていると、庭の向こうから木刀を打ち合わせる音が聞こえてきた。馬場の方へ向かっていた次郎が途中で稽古を始めたのかと思ったが、木々に遮られて姿までは見えない。続いて誰かが声を掛けるのが聞こえ、再び木刀の音が響いた。

 

 俺は足を止めることなく自室へ戻り、弥太郎へ篠と宗兵衛から新しい報告が届いたら知らせるよう頼んだ。

 

 それからしばらくの間、不破について目立った動きは伝わってこなかった。

 

 宗兵衛からは商人たちの往来について幾つかの報告が届いたものの、道を変える理由は人によって異なり、特定の国人が通行を妨げているといった話も確認できない。以前から使っていた道を変えない者もいれば、荷を運ぶ先の都合で別の経路を選んだ者もいた。中には道中の様子を気にする者もいたが、何を気にしているのかまでは、やはりはっきりしなかった。

 

 一方の篠も、国人同士の関係について調べを続けていた。

 

 以前と付き合いが変わったという噂はあるものの、それを裏付ける動きが見付かったわけではない。報告には確かめられたことと噂に留まることが分けて記されており、俺も宗兵衛の書付と照らし合わせてみたが、すぐに結論を出せるほどの材料は揃わなかった。

 

 それでも報告が増えるにつれ、以前は一つの話として捉えていたものを分けて考えられるようになってきた。

 

 道を変える商人がいることと、国人同士の付き合いに変化があるらしいこと。その二つが同じ原因によるものなのか、それぞれ別の事情なのか、今はまだ分からない。だが、分からないからと放っておくことと、確かめる前に答えを決めることは違う。俺は集まった書付へ日付と出所を添え、次の報告が届いた時に比べられるよう整理しておいた。

 

 ある日の夕刻、自室へ戻ると、弥太郎が新しい書付を一通持ってきた。

 

「若様。篠から報告が届いております」

 

「不破のことか」

 

「はい。これまでとは少し違う話がございます」

 

 受け取って目を通すと、不破郡の国人たちについて記されていた。所領や家同士の付き合いに関する報告が続き、その末尾に、これまでにはなかった話が添えられている。

 

 坂田へ出入りする者の中に、不破の国人と繋がりを持つ人物がいるらしい。その人物が最近になって六角の様子を尋ねていたという。

 

 ただし、誰の意向で動いているのかまでは分かっていない。特定の国人から命じられて来たのか、それとも自分の付き合いの中で六角の動きを気にしただけなのか、現時点では判断できないようだった。

 

 俺はその部分をもう一度読み返した。

 

 坂田の領主が浅井から六角へ替わった以上、隣国の者たちがこちらの方針を知りたがるのは当然だろう。年貢や市の取り決めが変われば、坂田へ荷を運ぶ商人にも影響する。六角が美濃へ兵を進めるつもりなのかを気にする者がいても不思議ではないし、そうした話は商人や旅人の間でも交わされているはずだ。

 

 ただ、篠がわざわざ報告の末尾へ書き加えたということは、普段の噂とは少し違うところがあったのかもしれない。

 

 不破の国人と繋がりを持つ人物が、近頃の六角の様子を尋ねていた。今分かっているのはそこまでだが、相手が誰の意向で動いているのかによって、その意味は随分変わるだろう。

 

 これまでは、こちらから美濃の国人たちがどう動いているのかを調べていた。その相手もまた六角の様子を見ているのだと思えば、何も一方的な話ではない。坂田を得たことで、六角と美濃の国人たちとの距離は以前より近くなっている。その変化を意識しているのは、こちらだけではないのだろう。

 

「弥太郎。筆と紙を頼む」

 

 弥太郎が支度を整える間、俺は篠の書付を机へ置き、返事に何を記すべきか考えた。

 

 相手が何者なのか分からない以上、こちらから接触を求める必要はない。だが、誰と付き合いがあり、どのようなことを尋ねていたのかは確かめておきたい。特に、坂田を六角がどのように治めているかを気にしているのか、それとも美濃に対して何か動くつもりがあるのかを探っているのかでは、受け取り方も変わってくる。

 

 筆を取り、篠への返書を書き始めた。

 

 まず、その人物が誰と関わり、何を尋ねていたのかを確かめること。ただし、こちらから接触を求めたり、六角の考えを伝えたりする必要はない。もし相手から改めて話があれば、その内容を聞き、誰の意向なのかを確かめた上で知らせるようにと記した。

 

 書き終えた紙を読み直し、余計な指図を加えていないことを確かめてから弥太郎へ渡した。

 

「篠へ届けてくれ。向こうから話が来れば聞けばよいが、こちらから何か約束する必要はないと伝えておいてほしい」

 

「承知いたしました。先方が六角の様子を尋ねていた理由も、引き続き確かめさせますか」

 

「ああ。ただし、無理に探らせることはない。篠が普段の調べの中で分かる範囲でよい。相手の意図が分からぬうちに、こちらから動くのは避けたい」

 

 弥太郎は頭を下げ、返書を届けるために小姓を呼んだ。

 

 俺はその間に不破の地図を広げ、坂田との間を結ぶ道へ目を向けた。弥七が調べた道筋の先には、幾つもの国人の所領がある。宗兵衛が話を聞いた商人たちも、そのどこかを通って坂田へ来ているのだろう。

 

 先ほどの人物がどの道を使っているのか、誰のところへ出入りしているのか、そこまで分かれば新しい手掛かりにはなるかもしれない。

 

 もっとも、今のところ相手が何を望んでいるのかは分からなかった。こちらへ協力を求めたいのかもしれないし、単に六角の動きを警戒しているだけかもしれない。それとも、国人たちとは直接関係のない事情で坂田へ来ている可能性もある。今ある話から一つを選び、確かなことのように考える理由はなかった。

 

 障子の向こうでは陽が傾き、庭の木々が長い影を落としていた。

 

 俺は地図を畳もうとしたが、篠の報告に記されていた人物のことが気になり、もう一度だけ書付へ目を通した。これまでは美濃について調べる側のつもりでいたが、向こうにも六角の動きを知ろうとする者がいる。そのこと自体は当然であっても、こうして具体的な話として届くと、坂田を得たことで生まれた新しい関わりが、少しずつ形になってきたように感じられた。

 

 やがて小姓が返書を持って廊下を遠ざかっていった。俺は篠の報告を他の書付と一緒に文箱へ収め、地図を畳んで机の端へ置いた。

 

 今夜これ以上考えても、相手が誰の意向で動いているのかが分かるわけではない。篠が新しいことを掴めば、いずれ報告が届くだろう。

 

 弥太郎も残った書付を片付け始め、部屋には夕暮れの静けさが戻ってきた。俺は障子の向こうへ一度目を向けてから、机の上に残っていた坂田の帳面を手元へ寄せた。

 

 不破については次の報告を待つことにし、今は確かめられる仕事から片付けておけばよかった。

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