淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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第六十六話「東へ向けた備え」ー後編ー

 翌朝、坂田から届いた帳面を広げると、最初に目に留まったのは年貢の数字ではなく、村ごとに添えられた細かな注記だった。浅井の頃の取り決めを当面残す村、年貢米の納入先を確かめたい村、寺社領との境を巡って申し出のある村。同じ坂田郡でも事情はそれぞれ異なり、帳面の端には現地の役人が聞き取った話まで小さな文字で書き込まれている。紙を継ぎ足した箇所もあり、目を通すだけでも思いのほか時間が掛かった。

 

 坂田を受け取ってから数か月が過ぎ、城や村の引き渡しは終わっている。六角から遣わした者たちも現地で仕事を始めていたが、領主が替わったからといって、村々の暮らしまで一度に変わるわけではない。以前の約束がそのまま通るのか確かめたい者もいれば、この機会に古い負担を改めてほしいと願う者もいる。どの申し出にも言い分はあるのだろうが、観音寺にいては分からないことが多かった。

 

 その中で気になったのは、年貢米を納める場所についての訴えだった。これまでは近くの城へ運んでいた米を、六角の役人が別の蔵へ集めるよう命じたという。ところが、新しい納入先へ向かう道は雨が降るとぬかるみ、荷車が通りにくいらしい。米を一か所へ集めれば数を確かめるのも保管するのも楽になるが、村の側では人足を増やさねばならなくなる。米の量が変わらなくとも、運ぶ手間は別に掛かるのだ。

 

 俺は地図を引き寄せ、村と蔵の位置を確かめた。さほど遠いようには見えないものの、途中で川を迂回し、小さな坂を越える道筋になっている。地図には渡し場の印もあったが、荷車のまま渡れるかどうかまでは分からなかった。現地の役人が事情を承知しているのならよいが、帳面の記載だけでは判断がつかない。

 

「この村の道について、別に報告は来ているか」

 

 脇で書状を整理していた小姓が文箱を探し、ほどなく一枚の紙を差し出した。村からの申し出と役人の返答は記されているが、道の様子については何もない。俺は書付を帳面へ挟み、後藤へ確認したいことを余白に書き加えた。こちらで納入先を元へ戻すと決めてしまえば、今度は別の村が遠くまで運ぶことになるかもしれない。まずは現地で確かめてもらえばよかった。

 

 他の帳面にも似た話はあった。市へ荷を運ぶ道の手入れを誰がするのか、寺社に納める米と領主へ納める米をどこで分けるのか。坂田を得て米が増えたと喜ぶのは簡単だが、集めるにも運ぶにも人の手が要る。書き付けの数字だけでは、そうした手間はなかなか見えてこない。幾つか印を付け終えたところで、弥太郎が朝の用向きを済ませて戻ってきた。

 

「若様。後藤様がお越しになるのは昼前と伺っておりますが、それまでに全部お読みになるおつもりですか」

 

「全部じゃない。気になるところだけだ。この村、蔵を替えたせいで米を運ぶのが大変になったらしい」

 

 弥太郎は地図を覗き込み、帳面の記載と見比べた。しばらくして頷くと、俺の手元から読み終えた帳面を取り上げ、空いた文箱へ収めていく。

 

「なるほど。ですが、道を見ておらぬ以上、若様にも決めようがございませぬな」

 

「だから後藤に聞く。俺が勝手に決めたら、現地の者が困るだろう」

 

「安心いたしました。また御自分で確かめに行くなどと仰り出すかと思いましたので」

 

「そなたは俺を何だと思っているんだ」

 

「少し目を離すと仕事を増やしておられる御方、と申し上げておきます」

 

 悪びれもせず答えるあたり、相変わらずである。塩津で小夜と揃って休め休めと言っていたのを思い出し、反論しかけたがやめておいた。どうせ弥太郎には、こちらが何を言っても別の返しを用意している。俺が帳面へ目を戻すと、弥太郎は満足そうに茶を替え、次の書付を手の届くところへ置いてくれた。

 

 昼前、後藤但馬守が坂田の報告に訪れた。父上を交えた評定ではなく、決まった方針のもとで進めている仕事の確認である。後藤は帳面を広げ、村々からの申し出を現地で処置出来るものと、観音寺で裁可を仰ぐものに分けて説明した。俺が気に掛けていた年貢米の納入先についても、すでに道が悪いとの報告を受け、別の経路が使えるか確かめさせているという。

 

「それなら、こちらから何か言う必要はなさそうですね。今朝、帳面を読んで気になっていたところでした」

 

「はい。村の者からも話を聞いております。蔵を一つにまとめれば都合のよいこともございますが、運ぶ者の難儀を増やしては長続きいたしませぬ。道を確かめてから決めるつもりにございます」

 

「お願いします。村によって事情も違うでしょうし、無理に揃える必要はありません」

 

 後藤は頷き、別の帳面を開いた。寺社の所領についても、以前からの権利をそのまま認めるか、確かめ直すかで村と寺社の言い分が分かれるところがあるらしい。中には双方が古い書付を持ち出し、どちらも自分たちの方が正しいと訴える例もあった。後藤はそれぞれの書付がいつ出されたものかを調べ、近隣の者からも以前の扱いを聞いているという。

 

「但馬守は、どちらの言い分が正しいと見ているのですか」

 

「今はまだ決めかねております。古い書付が残っていても、その後に取り決めを改めたことがあるやもしれませぬ。申す者によって記憶も違いますからな」

 

「急ぐ必要がないなら、確かめてからで構いません。父上の判断が必要な時は、そのまま知らせてください」

 

「承知いたしました。拙速に決めては、後々まで遺恨を残しかねませぬので」

 

 後藤はさらに、寺社の側へ事情を尋ねる際には、村の者も同席させるよう心掛けていると話した。双方から別々に聞けば、同じ出来事についてまるで違う説明が返ってくることもあるらしい。かといって、最初から互いを疑っている者たちを同じ座敷へ集めれば、それだけで口論になりかねない。まず書付を揃え、食い違うところだけを改めて尋ねる。そうした手順を聞いていると、城で帳面を読むより現地の仕事の方がよほど骨が折れそうだった。

 

 後藤はそう答え、調べの済んだところへ印を付けた。俺が考えていたことの多くは、すでに現地で手が打たれているらしい。頼もしい反面、朝から帳面を睨んでいた自分が少し間抜けにも思えたが、後藤は俺の気に掛けた箇所を一つずつ聞き取り、現地の扱いを説明してくれた。仕事を任せるにしても、何を考えて動いているのか知っておくのは無駄ではないだろう。

 

 報告が一段落したところで、俺は坂田の地図を広げた。琵琶湖に面した村々から内陸へ入る道が描かれ、その東には美濃へ通じる街道が延びている。父上から聞いた商人たちの話を持ち出すと、後藤はすでに承知していると頷いた。坂田の市に来る者の中にも、道中の扱いを気にしている商人がいるという。

 

「美濃へ向かう者の中には、以前と違う道を選ぶ者もおります。通れなくなったわけではございませぬが、荷を改められたり、余計な銭を求められたりするのを嫌っているようです」

 

「実際に銭を取られた者がいるのですか」

 

「そのような話は聞きますが、誰がどこで求めたのかまでは確かめられておりませぬ。一色家からの命なのか、国人が勝手に始めたことなのか、それも分からぬままにございます」

 

 後藤はそう言い、地図の東側へ視線を移した。道を変える理由は一つとは限らない。市の賑わいや取引相手の都合で行き先が替わることもあるし、危ういと噂されるだけで荷主が別の経路を望むこともある。ただ、坂田の役人が美濃の噂を追い始めれば、本来の仕事へ差し障る。俺は昨日父上と相談した通り、不破の様子は別に調べさせると伝えた。

 

「但馬守には、坂田のことを優先してもらいたい。商人から自然に聞こえてくる話があれば知らせてください。こちらから調べに人を使ってもらうつもりはありません」

 

「それならば助かります。道のことで確かめておきたいところは、こちらからも申し上げましょう。年貢米を運ぶ者にも関わりますからな」

 

 後藤が指し示した道の中には、俺が今朝眺めていた村の近くを通るものもあった。荷車が通る道と馬に荷を負わせて通る道は必ずしも同じではないらしい。村で米を集める仕事と、美濃へ荷を運ぶ商人の話が思いがけないところで繋がり、俺は地図へ一つ印を加えた。後藤はそれを確かめてから帳面を閉じ、午後の用向きがあると言って席を立った。

 

 昼餉の時刻はとうに過ぎていたが、後藤は次の用件があると足早に廊下を進んでいった。坂田での報告を終えたばかりだというのに、今日は父上のもとでも別の話をするらしい。忙しい方だと呟くと、見送りについてきた小姓が苦笑した。俺が礼を言う間もなく後藤の姿は角を曲がって見えなくなり、残されたのは文箱を運ぶ近習たちだけだった。

 

 後藤を見送った後、部屋へ戻ると弥太郎が新しい茶を運ばせていた。空いた座敷へ腰を下ろすと、朝から広げていた帳面の大半が既に文箱へ片付けられている。俺が礼を言うと、弥太郎は得意そうに胸を張った。

 

「若様の気に掛けておられたことは、片付きましたか」

 

「ああ。後藤がすでに調べさせていた。俺があれこれ口を出す必要はなかったよ」

 

「それは何より。では、午後はお休みになれますな」

 

「いや、美濃の地図を見ておきたいんだが」

 

「……やはり、そう仰ると思っておりました」

 

 弥太郎の呆れ顔に笑いながら、俺は文箱から地図を二枚取り出した。坂田の村々を描いたものと、美濃の西側を描いたものを並べると、近江から不破へ続く道筋がおおよそ繋がる。描いた者が違うため川の曲がり方などは少しずれているが、目印になる村や峠は確かめられた。今では六角の領地から直接向き合う土地となった不破について、知っておくべきことは少なくない。

 

 不破には前世から知っている名前もある。竹中半兵衛などはその一人だが、今の美濃でどのような立場にあるのか、俺はまだ知らなかった。読んだことのある歴史と目の前の情勢が同じように進むとも限らない。まして坂田の領主が替わった今、国人たちが何を考えているかは、実際に話を集めてみなければ分からなかった。

 

 弥太郎は俺の隣から地図を覗き込んでいたが、やがて何も言わずに茶碗を取り替え、午後の用向きを書いた紙を机の端へ置いた。今すぐ返事を出すべき書状はなく、日が暮れる前に確かめればよいものばかりだ。どうやら地図を見る時間くらいは許してくれるらしい。もっとも、時折こちらへ向けられる視線からすると、長居をすればすぐに声を掛けられそうだった。

 

 机の端には、昨日篠へ頼んだ調査の控えがある。弥七には道筋と渡し場、宗兵衛には商人の往来、篠には不破の国人たちの所領や縁組を確かめてもらうことにしていた。三人とも別の仕事を抱えているのだから、返事を急かすつもりはない。俺は後藤から聞いた道の話だけを控えに加え、再び文箱へ収めた。

 

 そこへ近習が来て、篠が書付を持参したと告げた。以前から集められていた不破の情報を整理したものらしい。俺が部屋へ通すよう命じると、ほどなく篠が薄い文箱を抱えて姿を現した。席を勧めると、篠は書付を取り出し、机の上へ丁寧に並べる。

 

「右衛門督様。先日仰せつかった不破の件にございます。新たに人を遣わす前に、これまで届いた知らせをまとめてまいりました」

 

「ああ、助かる。まずは今分かっているところから聞かせてくれ」

 

 篠は頷き、最初の一枚を俺の前へ差し出した。そこには不破の国人の名と所領が記され、余白には縁組や家同士の付き合いについて短い注記が添えられていた。俺は坂田の地図を少し脇へ寄せ、篠の説明に耳を傾けた。

 

 篠が差し出した書付には、不破郡の国人たちの名と、おおよその所領が記されていた。家同士の縁組や以前からの付き合いについても分かる範囲でまとめられており、余白にはその話をいつ、どこから得たのかが添えられている。いずれも六角が以前から集めていた知らせを整理したもので、今回の調査によって新しく判明したことではないらしい。それでも、別々の書付に記されていた情報を一つにまとめてみると、これまで気付かなかった家同士の繋がりも見えてきた。

 

 不破の国人たちは、それぞれに所領を持ちながら美濃の一色家へ従っている。しかし、家々の関係は決して単純ではない。婚姻によって縁を結んでいる家もあれば、昔から土地を巡って争ってきた家もある。近隣の国人同士で結び付きが強くとも、当主が代替わりすれば関係が変わることもあるだろう。篠の書付にはそうした事情が簡潔に記されていたが、今の当主たちが互いをどう見ているかまでは分からなかった。

 

「竹中氏についても、幾つか知らせがあるんだな」

 

「はい。ただ、所領や縁組については以前から知られていることが多く、近頃の様子についてはまだ確かな話を得ておりませぬ」

 

 篠は書付の一か所を指し、竹中氏と周辺の国人との関係について説明した。俺も名前くらいは知っていたが、今の美濃における竹中氏の立場を十分に把握しているわけではない。前世の知識から竹中半兵衛という名が真っ先に浮かぶものの、それだけで他の国人より重く扱う理由にはならなかった。今はまず、それぞれの家がどのような関係にあるのかを知っておけばよいだろう。

 

 篠が次に示したのは、一色家との折り合いについての書付だった。以前から不満を抱いていると噂される家が幾つかあるらしい。ただし、何に不満を持っているのかについては話が一致していない。家中の人事に関わるものもあれば、所領を巡る争いが原因だというものもある。中には一色家からの命へ従わなかったという話もあったが、実際に命を拒んだのか、単に使者が到着するまで時間が掛かっただけなのかは確かめられていなかった。

 

「このあたりは、まだ噂の域を出ないわけか」

 

「左様にございます。以前から同じような話は聞こえておりますが、誰が最初に申したことなのか、分からぬものも少なくございませぬ。商人の間で繰り返されているうちに、少しずつ話が変わっているものもありましょう」

 

「それなら、今は確かなことと分けておけばいい。ところで、最近になって実際に兵を動かした家はあるのか?」

 

「今のところ、そのような知らせは得ておりませぬ。国人同士の争いが近いうちに起きると申す者もおりますが、裏付けになる話はございません」

 

 俺は頷き、書付を一枚めくった。そこには不破を通る商人たちの間で、道中の扱いが厳しくなったという噂も記されていた。だが、先ほど後藤から聞いた話と同じように、どこで何が変わったのかは曖昧だった。篠によれば、ある市で聞いた話が別の市へ伝わり、それを坂田へ来た商人が話したというものもあるらしい。何人もの口を経ている以上、最初の話と同じ内容だとは限らない。

 

 篠は今後、以前から付き合いのある者を通じて、不破の国人たちの近況を確かめたいと話した。ただし、すぐに美濃へ人を入れるのではなく、まずは近江へ来る商人や寺社関係の者から聞こえてくる話を整理したいという。こちらが不破へ関心を持っていると知られれば、相手も六角の意向を探ろうとするかもしれない。その点は昨日も話した通り、余計な約束をせず、何か持ち掛けられた時には一度知らせることになっていた。

 

「分かった。その方針で続けてくれ。急いで答えを出す必要はないし、向こうから話があった時も、まずは誰の考えなのかを確かめたい」

 

「承知いたしました。新しい知らせが入りましたら、改めて御報告いたします」

 

 篠は書付をまとめ、静かに頭を下げた。俺は持参したものを預かり、調べの続きを頼んで下がらせた。部屋を出る際、篠は机の上に広げた地図へもう一度目を向けたが、それ以上何かを尋ねることはなかった。俺も地図を畳み、書付と一緒に文箱へ収める。今の段階では、家々の関係を知るための手掛かりが幾つか増えたに過ぎない。それでも、これから届く話を確かめる際には役立つだろう。

 

*

 

 それから数日、観音寺城では普段通りの仕事が続いた。朝には各所から届いた書状が仕分けられ、家臣たちが父上へ領内の様子を報告する。坂田からは年貢の収納について新しい帳面が届き、目賀田たちからも蔵や市の扱いについて幾つか確認を求められた。俺は必要なところへ目を通し、判断を要するものは父上へ相談したが、大半は現地の役人たちが以前の方針に沿って処置を進めていた。

 

 塩津へ出掛ける前から取り組んでいた兵の訓練についても、各家から報告が揃いつつある。集まるまでに掛かった時間や、荷駄の支度に手間取ったところなどがまとめられており、中には次の訓練ではこうした方がよいという意見も添えられていた。俺はそれらを目を通す順に分け、急いで改める必要のないものについては、後日まとめて話し合うことにした。冬を迎えようとしている今、何もかも一度に進める必要はない。

 

 その間にも城内では年末へ向けた支度が始まり、台所や蔵の周りでは人の出入りが増えていた。ある日の午後、書付を届けに来た弥太郎から、次郎が馬場でまた年長の者へ手合わせを申し込んでいたと聞かされた。以前から武芸の稽古に熱心だったが、近頃は槍の扱いにも力を入れているらしい。俺が稽古相手の名を尋ねると、弥太郎は笑いながら、兄上にも見てもらいたいと次郎が申していたことを教えてくれた。

 

「それなら、今度少し見に行くか。以前から次は見てほしいと言っていたしな」

 

「喜ばれるでしょうな。ただ、若様へも手合わせを申し込まれるかもしれませぬぞ」

 

「見に行くと言っただけだ。どうして俺まで槍を持つことになるんだ」

 

「次郎様のことでございますからな。兄上がいらっしゃれば、御自分の上達したところをお見せしたくなるのでしょう」

 

 それは十分にありそうだった。四郎は何かと俺へ張り合おうとするところがある。もっとも、武芸については弟の方が熱心だし、俺もわざわざ相手をしてやるつもりはない。そう話すと、弥太郎はどこか残念そうな顔をした。どうやら二人揃って俺が槍を持つところを見たいらしいが、そんな期待に応えるつもりはなかった。

 

 十一月も終わりに近づいた頃、弥七と宗兵衛から最初の報告が届いた。弥七がまとめたのは坂田から不破へ通じる道筋についてで、商人や荷運びの者から聞いた話をもとに、川の渡り場や荷を休ませる村などが記されている。まだ全ての道を確かめたわけではないが、普段は通れても雨が続けば使いにくくなる場所や、荷車を通すには遠回りしなければならないところが幾つか挙げられていた。

 

 一方、宗兵衛の報告には、坂田の市へ来る商人たちから聞いた話がまとめられていた。美濃から運ばれてくる品には大きな違いがないものの、道中の通行を気にする者は以前より増えているらしい。ただし、誰もが同じ道を避けているわけではなかった。ある商人は余計な銭を求められたと話し、別の商人は何も変わっていないと言っている。どこから来て、どの道を通ったかによっても話は異なり、不破全体で通行が難しくなっているとは言えそうになかった。

 

 俺は二人の書付を並べ、地図へ幾つか印を付けた。渡し場や荷を休ませる村の位置を確かめると、商人の話が集まりやすい場所も見えてくる。人の往来が多ければ、それだけ話も集まるのだろう。ただ、同じ噂を何人もの商人が口にしたからといって、それが別々の出来事を示しているとは限らない。宗兵衛もその点は承知しているらしく、実際に見聞きした者の話と、別の商人から聞いた話を分けて記していた。

 

 弥七の報告で特に気になったのは、地図では近道に見えるのに、荷を運ぶ者があまり使わない道があったことだった。途中の坂が急で、雨の後には足元が悪くなるらしい。人が歩くならさほど難しくなくとも、米俵を積んだ荷車や荷馬を連ねて通るには向かないという。今朝まで読んでいた坂田の年貢の帳面でも似た問題があっただけに、俺はその道へ小さく印を加え、後藤にも知らせておくことにした。

 

 報告を読み終えると、俺は三人から届いた書付を一つにまとめ、父上へ見せることにした。調査を始めることについてはすでに許しを得ているが、不破の国人について篠が整理した情報も含め、今どこまで分かっているのかを一度伝えておきたかった。弥太郎へ父上の都合を確かめてもらうと、翌日の夕刻なら時間を取れるとの返事があった。

 

*

 

 父上の私室を訪ねると、火鉢には新しい炭が足され、部屋の中は暖かくなっていた。机の上には読み終えた書状が幾つか重ねられていたが、俺が持参した地図を広げるだけの場所は空けてくださっている。父上は俺を迎えると、まず道筋についての書付へ目を通された。弥七が確かめた渡し場や荷を休ませる場所には、父上も以前から御存じのところがあるらしく、時折地図の上で位置を確かめておられた。

 

「随分と細かく調べたな、四郎。これは坂田の者にも役立つであろう」

 

「はい。米を運ぶ道については、後藤からも幾つか話を聞きました。美濃へ向かう商人のためだけでなく、坂田の年貢を集める際にも使えると思います」

 

「うむ。道を整えるにしても、まずはどこが使いにくいのか知らねばならんからな。もっとも、今すぐ普請を始める話ではあるまい」

 

「ええ。まずは現地の役人へ知らせておくつもりです。必要なところがあれば、後藤からも話が来るでしょう」

 

 父上は頷くと、今度は宗兵衛の報告へ目を移された。商人たちが通る道を変え始めていることは以前から聞いておられたが、実際に何が起きているのかは、まだはっきりしないと分かると、特に驚いた様子も見せなかった。むしろ、話を聞いた相手によって内容が違うことを確かめ、通行そのものが禁じられているわけではないのだなと念を押された。

 

「今のところ、そのような話はございません。荷を改められたり、余計な銭を求められたりしたという話はありますが、誰が命じたことなのかまでは分かっておりません」

 

「ならば、まだ様子を見るべきじゃな。一色家が命じたことなのか、国人が勝手に始めたことなのか、それによって話は随分と違ってくる」

 

 俺が頷くと、父上は篠の書付を手に取られた。不破の国人たちの名が並んだ紙を一通り眺め、幾つかの家について以前から知っていることを教えてくださった。ただ、その中に気になる家があるからといって、すぐに何かを始める様子はなかった。国人同士の縁組や所領の位置を確かめた後、父上は書付を机へ戻された。

 

「一色家との折り合いがよくない者もおるのだろうが、不満があるからといって六角へ近づくとは限らん。こちらが坂田を得たことで、かえって警戒しておる者もおろう。今は無理に話を進める必要はない」

 

「俺もそのつもりです。篠には、向こうから何か持ち掛けられたとしても、その場で約束はせず、まず話を持ち帰るよう命じてあります」

 

「それでよい。ただし、誰が話を持ってきたかはよく確かめよ。家中の者が勝手に動いておるのか、当主の考えなのかによって、こちらの扱いも変わるからな」

 

 父上はそう仰ると、茶碗を手に取られた。俺も自分の茶を飲みながら、篠から同じようなことを尋ねられたのを思い出した。相手から話を持ち掛けられた時、何を答えてよいのか。こちらから何もしないつもりでいても、向こうが六角へ関心を持つことはある。そうした場合に慌てずに済むよう、篠と話しておいたのはよかったのだろう。

 

「ところで四郎。竹中氏の名もあるが、そなたはこの家が気になるのか?」

 

 父上は篠の書付の一か所を指された。俺が思わず顔を上げると、父上はその反応を面白そうに見ておられる。竹中半兵衛という名を前世から知っているだけに、多少気に掛けていたのは確かだったが、今の段階で父上へ詳しく話せることなど何もない。

 

「名前は以前から聞いておりましたので。ただ、今の家中でどういう立場にあるのかも、まだよく分かっておりません。他の国人と同じように調べてもらっています」

 

「そうか。ならば、それでよい。名を知っておることと、相手を知っておることは違うからな」

 

 父上はそれ以上尋ねず、書付を俺へ返された。俺も何か言い足すことはせず、受け取った紙を元の順番へ重ねた。前世の知識があるからといって、今の半兵衛が何を考えているのかまで分かるわけではない。そもそも、まだ本人と会ったこともないのだ。名前だけで期待を膨らませても仕方がなかった。

 

 最後に父上は、冬の間は坂田の統治を優先し、不破については今の調べを続けるよう仰った。俺としても異存はない。坂田ではまだ確認しなければならない取り決めが多く、現地の役人たちも忙しく働いている。美濃については、商人や国人の動きに何か変化があれば知らせてもらえばよい。今すぐ兵を動かすような話ではなかった。

 

 父上のもとを辞した後、俺は自室へ戻り、三人から届いた報告をそれぞれ文箱へ収めた。弥七には道筋の確認を続けさせ、宗兵衛には商人の話を集めてもらう。篠には国人の家々について、今ある情報の裏付けを取るよう伝えることにした。いずれも急がせる必要はない。書状を整え終えたところで外を見れば、日が傾き、庭の木々が長い影を落としていた。

 

 その時、廊下から夕餉の支度を知らせる声が聞こえ、弥太郎が部屋へ入ってきた。机の上が片付いているのを見るなり、珍しいものでも見たように目を丸くする。

 

「若様。今日はもうお終いでございますか?」

 

「ああ。続きは明日でいい」

 

「それは結構なことでございます。塩津へ行かれた甲斐がありましたな」

 

「どういう意味だ。俺は以前から、休む時はちゃんと休んでいるぞ」

 

「左様でございますか。小夜へも、そのようにお伝えしておきましょう」

 

 弥太郎は澄ました顔で答えた。俺が何か言い返そうとすると、先に文箱の蓋を閉じてしまう。こういうところは本当に昔から変わらない。俺より少しでも隙を見つければ、すぐにからかってくるのだ。もっとも、こちらが言い返しても楽しそうに笑うだけなので、まともに相手をするのも馬鹿らしかった。

 

「年が明ければ、小夜も観音寺へ来るんだったな」

 

「はい。弥五郎様と御一緒に年賀へお越しになると伺っております。父上も母上も楽しみにしておられますから、今から待ち遠しゅうございます」

 

「そなたもだろう。塩津では、あれだけ小夜と話していたのに」

 

「妹とは何度会っても話すことがございます。それに、若様のお世話ばかりでは、兄としての務めも果たせませぬので」

 

「俺の世話は関係ないだろう」

 

 思わず笑うと、弥太郎も声を立てて笑った。小夜が嫁いでから、こうして兄妹の話をする機会は以前より少なくなった。それでも弥太郎が妹のことを気に掛けているのは、塩津での様子を見ればよく分かる。正月に小夜が戻れば、また二人で昔の話をしているのだろう。俺もその席に混ざるつもりだが、あまり余計なことを話されないよう、今から少し用心しておいた方がよいかもしれなかった。

 

 弥太郎に促されて立ち上がると、廊下には冷たい風が入り込んでいた。庭では落葉を掃き集めていた者たちが仕事を終え、箒を抱えて奥へ戻っていく。冬が近づくにつれ、日が暮れるのも随分と早くなった。俺は文箱の蓋が閉まっているのを確かめ、灯明を一つ消してから部屋を出た。

 

 先を歩いていた弥太郎が振り返り、夕餉には温かい汁物が出るそうだと教えてくれた。昼餉を簡単に済ませていたことを思い出し、途端に腹が減ってくる。俺が少し早足になると、弥太郎は何がおかしいのか、小さく笑いながら後をついてきた。

 

 廊下の先からは、夕餉の支度をする者たちの声と、器の触れ合う音が聞こえてくる。俺は冷えた指先を袖の中へ引っ込め、明かりの灯る奥の間へ足を向けた。

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