淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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第六十七話「新春に交わす言葉」

 十二月も残り僅かとなった頃、父上の命によって観音寺城で評定が開かれた。後藤但馬守、進藤山城守、蒲生下野守、三雲対馬守、平井加賀守、目賀田次郎左衛門尉の六人が揃い、俺と次郎も席を与えられている。議題は美濃の不破郡についてだった。今年の浅井との戦で坂田を得て以来、六角では不破の国人たちの動向を調べ、密かに働きかけを続けてきた。俺も父上や三雲対馬守から経過を聞いていたが、国人たちへの調略が概ね整ったことで、今後の方針を改めて定める必要が生じたらしい。

 

 不破へ関心を向けること自体は、何も最近になって始まった話ではない。近江と美濃を結ぶ街道の先にあり、古くから人や物の行き来が盛んな土地である。かつて坂田を治めていた浅井が六角との間に立ちはだかっていたため、こちらから直接働きかける機会は限られていたが、今では事情が違う。坂田を得たことで不破は六角の領地と接する場所となり、向こうの国人たちにとっても、六角の動きは無視出来ないものになっているはずだった。

 

 もっとも、俺が篠や宗兵衛に調べさせていた事柄と、父上が三雲対馬守らを通じて進めていた調略は、必ずしも同じものではない。篠たちは国人たちの所領や縁組、商人の往来などから現地の事情を探り、父上は以前から六角と繋がりのある者たちを介して、それぞれの家がどのような考えを持っているかを確かめていた。書付から分かることにも限りがあり、相手が使者へ語った言葉を、そのまま本心だと考えるわけにもいかない。とはいえ、幾つもの知らせを照らし合わせれば、少なくとも不破の国人たちが一枚岩ではないことは見えてきていた。

 

 評定が始まると、父上は不破への働きかけが概ね整いつつあることを重臣たちへ告げられた。続いて三雲対馬守が用意していた書付を広げ、これまでに交渉を重ねてきた家々の動向を説明する。六角との関係を深めたいという意向を示した家がある一方、今のところ積極的にどちらかへ味方するつもりはなく、周囲の様子を見守りたいという家もあった。また、一色家との繋がりを重んじ、明確な返答を避けている者もいるという。六角の後ろ盾を望んでいるからといって、直ちに一色家との関係を断つつもりとは限らず、その扱いには慎重さが求められていた。

 

 俺自身は以前から聞いていた話だったため、それほど驚きはなかった。しかし、隣に座っていた次郎は違ったようで、報告が進むにつれて表情を変えていた。坂田を得てからまだ幾月も経っていないというのに、不破の国人たちとの交渉がここまで進んでいたとは思わなかったらしい。父上が意見を尋ねられると、次郎は率直にその驚きを口にした。

 

「父上。これほど多くの家々と話が進んでいるとは存じませんでした。既に六角へ従うつもりの者もいるのでしょうか」

 

「従うことを考えておる者はいる。だが、誼を通じたいということと、家を挙げて従うということは別じゃ。そこを取り違えてはならぬ」

 

 父上はそう答えられ、三雲対馬守も静かに頷いた。今回の調略は、短い間に多くの家を従わせたというものではない。以前から続いていた付き合いに、浅井との戦を経て変化した近江の情勢が加わり、先方も六角との距離を測り始めたという方が近いだろう。次郎も父上の説明を聞き、改めて書付へ目を向けていた。武芸の稽古に励んでいる弟にとっては、兵を動かすことなく他国へ影響を及ぼすという話そのものが、新鮮に感じられるのかもしれなかった。

 

 報告が一通り終わると、父上は不破への出兵について重臣たちの意見を求められた。ただし、出兵を前提に時期を決めるという話ではなかった。調略がこれほど進んだ今、六角が改めて軍勢を送り、不破を直接治める必要があるのか。父上が確かめようとしているのは、むしろその点らしかった。居並ぶ重臣たちもすぐには答えず、しばらくの間、それぞれ考えを巡らせていた。

 

 不破が重要な土地であることに疑いはない。東西の往来を押さえることが出来れば、坂田の守りにも大きな意味を持つだろう。街道を行き来する商人たちの動向を把握しやすくなり、美濃の国人たちへ働きかける際にも有利になる。しかし、そこを直接治めるとなれば、一色家が黙って見過ごすとは思えなかった。国人たちが六角に好意を示しているからといって、軍勢まで歓迎してくれるとは限らず、下手をすれば今まで中立を保っていた者まで敵に回すことになりかねない。

 

 最初に意見を述べた蒲生下野守は、不破を押さえることの軍事的な利点を認めながらも、出兵すれば一色家との戦を覚悟しなければならないと指摘した。進藤山城守も、軍勢を動かすこと自体は六角の力をもってすれば不可能ではないが、戦になれば相応の損害が出ることを忘れるべきではないと述べる。たとえ国人たちの協力によって短い戦で済んだとしても、そこで新たに得た城や村を誰が守るのかという問題は残る。軍勢が引き揚げた途端に情勢が変わるようでは、何のために土地を得たのか分からなくなってしまう。

 

 後藤但馬守は坂田の統治を引き合いに出し、領地を得た後の負担について意見を述べた。坂田では浅井の頃から続く取り決めを当面残しているが、それでも年貢の納入先や寺社領の扱いを巡って、今なお村々から申し出が届いている。昨年の戦が終わってから随分と時間が経ったようにも思えるが、領主が替わったことによる仕事は簡単には終わらない。不破を得れば同じような仕事が増え、しかも美濃の国人たちは近江の国人とは異なる事情を抱えているはずだった。

 

 目賀田次郎左衛門尉も、出兵に必要な米や銭だけでなく、その後に掛かる費用を考えなければならないと述べた。兵を集め、荷駄を整え、城を守る者を置けば、それだけで多くの物資が必要になる。得た土地から年貢が入るとしても、それがすぐに六角の蓄えを増やすことになるとは限らない。現地の取り決めを確かめるまでは従来の年貢を急に増やすわけにもいかず、戦で田畑が荒れれば、その分の収入も失われることになる。

 

 それらの意見に対し、平井加賀守は、直接支配をしない場合にも別の責任が生じることを指摘した。不破の国人たちが六角の後ろ盾を望み、こちらがそれに応じれば、彼らが争いに巻き込まれた際には何らかの対応を求められる。無闇に兵を出せば他国の争いへ深入りすることになるが、約束を交わしておきながら助けを求める声を無視すれば、六角への信用そのものを損なう。軍勢を出さなければ負担がなくなるというものではなく、むしろ何処まで関わるかを慎重に定めておく必要があるということだった。

 

 俺も加賀守の言葉には頷くしかなかった。国人たちにとって六角との関係は、自分たちの所領を守るための手段でもあるのだろう。こちらが望むのは坂田の安全と街道の安定であっても、先方は隣の国人との争いに六角の力を借りたいと考えているかもしれない。互いの思惑が異なるまま曖昧な約束を交わせば、後になって思わぬ問題を招くことになる。

 

 父上は重臣たちの話を最後まで聞かれた後、改めて三雲対馬守へ国人たちの望みを尋ねられた。六角への帰属を求める者が多いのか、それとも今の所領と立場を保ちながら、六角との関係を深めたい者が多いのか。対馬守によれば、現状では後者が多く、所領をそのまま認めてもらえるのであれば六角へ従うことも考えるという家はあっても、自ら進んで土地を差し出したいという者ばかりではないらしい。

 

 その報告を聞き、俺は不破へ兵を進めることの意味を改めて考えた。向こうが六角との関係を望んでいるからこそ、こちらから軍勢を入れれば、その意図を疑われる可能性がある。今の立場を保ちながら六角とも親しくしたいと考えている者にとって、突然の出兵は歓迎すべきものではないだろう。むしろ、それまで六角へ好意的だった者まで、自分たちの所領を奪われるのではないかと警戒するかもしれなかった。

 

「父上。今は不破へ兵を進めず、国人たちとの関係を深める方がよろしいかと存じます」

 

 俺がそう述べると、父上は続きを促すように目を向けられた。俺は、坂田へ敵が迫っているわけでもなく、向こうの国人たちが六角との付き合いを望んでいるのであれば、今すぐ直接支配を求める理由は薄いことを説明した。将来的に不破を得る機会が訪れれば、その時に改めて考えればよい。今は現地の事情を確かめながら、国人たちとの繋がりを強め、近江と美濃を行き来する道を安定させる方が、六角にとって得るものは多いと思っていた。

 

 父上は俺の意見を聞き終えると、暫く黙って重臣たちを見渡された。出兵に伴う利益と負担について、それぞれの意見は既に出揃っている。俺もそれ以上言葉を重ねることはせず、父上の判断を待った。

 

「不破を得る機会があるならば、儂も逃すつもりはない。だが、今すぐ兵を進めねばならぬ理由もあるまい。まずは国人たちとの誼を確かなものとし、坂田の統治を進める。それでよかろう」

 

 父上の言葉に、居並ぶ重臣たちも異を唱えなかった。もっとも、出兵を見送るからといって不破から手を引くわけではない。三雲対馬守には国人たちとの交渉を続けさせ、平井加賀守らとも相談して、六角がどのような約束を交わすべきか整理することになった。所領安堵など、後々の争いへ繋がりかねない話については、父上の裁可を得ずに決めてはならない。また、後藤但馬守と進藤山城守には、坂田から不破へ通じる道の調査を続け、必要となれば軍勢を動かせるよう備えておくことが命じられた。

 

 評定を終えて廊下へ出ると、次郎が俺の隣へ並んだ。調略の進展だけでなく、父上が出兵を急がないと決められたことも意外だったらしい。弟は暫く黙って歩いていたが、やがて不破を得られる機会を逃すことにはならないのかと尋ねてきた。俺は、兵を進めれば必ず土地を得られるわけではなく、得た後にも新しい責任が生じることを話してやった。今の関係を保つことで六角が必要とするものを得られるのであれば、急いで領地を増やす必要はないというのが俺の考えだった。

 

 次郎はすぐには答えず、考え込むように前を向いた。武芸に励み、いつか戦場で働きたいと思っている弟にとって、戦わずに影響力を広げるという話は、少し分かりにくいのかもしれない。しかし、六角を支える立場になれば、兵を動かすべき時だけでなく、動かさずに済ませる方法も考えなければならない。俺自身、坂田の統治に関わっていなければ、今のようには考えなかっただろう。

 

 そうした話を交わしながら互いの仕事へ戻り、残っていた用向きを片付けているうちに、永禄四年は暮れていった。

 

 *

 

 永禄五年の正月を迎えた観音寺城は、朝から年賀に訪れる者たちで賑わっていた。家臣や近隣の国人たちが供を連れて城へ入り、取り次ぎを待つ間にも新年の祝いを交わしている。廊下では小姓や近習たちが忙しく行き来し、贈られた品々を確かめる者や、次の客を案内する者の声が絶えなかった。昨年の浅井との戦を経て六角の領地が広がったこともあり、挨拶に訪れる者たちの顔ぶれにも多少の変化が見られる。

 

 俺も朝から身支度を整え、父上とともに年賀を受けた。坂田へ遣わされている家臣たちの中には、久しぶりに観音寺へ戻ってきた者もいる。父上は昨年の働きを労われ、俺も現地の様子を尋ねながら祝いの言葉を返した。坂田ではまだ多くの仕事が残っているが、今日くらいは新しい年を迎えたことを喜んでもよいだろう。挨拶を終えて座を下がる者たちの顔にも、普段の評定ではあまり見られない穏やかさがあった。

 

 年賀の席では不破についての話も幾つか耳にしたが、父上は細かな政の話を長く続けようとはされなかった。年の暮れに方針を定めたばかりであり、今は各地の様子を確かめながら、国人たちとの関係を育てていけばよい。急ぎの用件がない限り、新年の祝いの席で決める必要もなかった。

 

 そうして挨拶が一段落した頃、朽木弥五郎が小夜を伴って観音寺城へ姿を見せた。塩津浜城で別れてから、まだ二月ほどしか経っていないが、幼い頃から顔を合わせていた相手と離れて暮らしていると、思っていた以上に長く会っていないような気がする。もっとも、今日の弥五郎は朽木家の当主として年賀に訪れている。六角と朽木は独立した家同士であり、俺たちがいくら親しい間柄であっても、公の場では互いに礼を尽くす必要があった。

 

 父上の前へ進み出た弥五郎は改まった言葉で新年の祝いを述べて昨年の協力を労われた。続いて小夜も養父である父上へ挨拶し、塩津での暮らしについて尋ねられると、嬉しそうに近況を話していた。新しい土地での生活にも随分と慣れたらしく、その表情に気負ったところは見られない。父上も安心されたようで、何か困ることがあれば遠慮なく知らせるようにと仰った。

 

 年賀の挨拶が一通り済むと、小夜は以前世話になった者たちにも顔を見せたいと申し出た。父上が快く許されたので、弥太郎が案内役を務めることになり、二人は先に席を辞した。久しぶりに育った城へ戻ってきたのだから、会いたい者も多いのだろう。俺と弥五郎は後ほど合流することを約束して二人を見送ったが、その後、父上が弥五郎へ改めて声を掛けられた。少し話があるというので、俺も同席することになり、三人で奥の座敷へ移った。近習が下がり、人払いが済んだところで父上が口を開かれたが、何の話なのかはおおよそ察しがついていた。

 

「弥五郎殿、先の奈津の一件について、改めて話をしておきたい」

 

 奈津は塩津での一件が発覚した後、朽木で一時預かりだった状態だったが父上の判断ですぐに観音寺へ送り返してもらっていた。父上と対馬守は事情を確かめるため、奈津を対馬守の預かりとし、正式な処分が決まるまで謹慎を命じている。本人への聞き取りも進められていたが、処遇についてはまだ結論が出ていなかった。弥五郎が正月の挨拶に訪れたこの機会に、父上としても調べの結果と今後の方針を伝えておきたいのだろう。

 

「奈津のことでございますか」

 

「うむ。あれから奈津本人と対馬守に事情を確かめた。奈津が朽木の兵や船について探っていたことは間違いない。ただ、対馬守が命じたのは小夜の暮らしぶりを知らせることまでで、それ以上のことは奈津の独断によるものだった。朽木から届けられた書状とも照らし合わせたが、今のところ大きな食い違いは見つかっておらぬ」

 

 父上の説明に、弥五郎は静かに頷いた。塩津で奈津の行動を確かめたのは朽木の者たちであり、本人からも事情を聞いている。調べの結果については、おそらく予想していた範囲なのだろう。弥五郎が気に掛けているのは、奈津が何をしていたかということよりも、その不始末に対して六角がどのような処分を下すかという点のはずだ。俺としても、奈津一人の独断だったという説明だけで済ませてよい話ではないと思っていた。

 

「ただ、奈津一人の不始末として済ませるつもりはない。対馬守も、命を与えた以上は配下の振る舞いに責を負う。奈津の仕置きと併せて、六角として如何に始末をつけるか考えておる」

 

「承知いたしました。私としても、奈津が独断で動いたことを疑っているわけではございませぬ。ただ、朽木へ嫁いだ小夜に付き従う者が、我が家の内情を探っていたとなれば、見過ごすわけには参りません」

 

「無論だ。朽木殿が不快に思われるのも当然のこと。年を越してなお、仕置きについて明らかにできておらぬことは、こちらの落ち度でもある。遅くとも二月中には結論を出し、改めて知らせよう」

 

「そのようにしていただければ、こちらとしても異存はございませぬ」

 

 弥五郎はそれ以上追及しなかったが、これで奈津の一件が済んだわけではない。父上もそれは承知しているのだろう。処分を曖昧にしたまま許しを求めることも、朽木に責任の一端を負わせるようなことも口にしなかった。

 

 俺としても、今回の件は六角の側で始末をつけるべき問題だと思っている。小夜の様子を知りたいという気持ちは理解できるし、嫁ぎ先で不自由していないかを確かめること自体が悪いわけではない。しかし、そこから兵や船の数を調べることになれば話は違ってくる。朽木と六角は婚姻によって結ばれているとはいえ、互いに独立した家だ。親しい間柄だからこそ、踏み越えてはならない一線がある。

 

 何より、今回のことが小夜と弥五郎の間に影を落とすようなことだけは避けたかった。幸い、弥五郎が小夜に責任を求めるような様子は見せていない。だが、それに甘えて六角の側が始末を疎かにするわけにはいかないだろう。

 

 話を終えると、弥五郎はいつもの穏やかな表情に戻った。父上もそれ以上は蒸し返さず、年賀の席へ話を戻した。ひとまず今後の道筋は示されたことになる。あとは約束した通りに処分を決め、朽木へ伝えるだけだ。

 

 奈津の一件に関して話が終わり、父上は俺と弥五郎へ今日くらいはゆっくり過ごすようにと勧められた。父上の前では互いに改まった挨拶をしていたが、二人きりになればいつまでも堅苦しくしている必要はない。

 

 人の出入りが少ない座敷へ移ると、弥五郎は塩津での近況を話してくれた。伊香や浅井の統治も少しずつ落ち着いてきたらしく、以前ほど細かな仕事を自分で確かめずに済むようになったという。俺も坂田の様子を伝え、後藤たちの働きに随分と助けられていることを話した。互いに得た土地は違うものの、領主が替わったばかりの村々を治める苦労には似たところがあるらしい。

 

 暫くはそんな他愛のない話をしていたが、俺には以前から弥五郎へ聞いてみたいことがあった。年の暮れの評定で定まった不破への方針についてである。父上や重臣たちの考えには納得していたものの、独立した家を率いる弥五郎なら、また違った見方をするかもしれない。朽木も昨年の戦で新たな土地を得ており、国人たちとの付き合いや領地の統治について、あいつなりに考えていることがあるはずだった。

 

 俺がそうした考えを話すと、弥五郎は正月早々に仕事の話を始めるのかと苦笑した。それでも聞く気はあるらしく、茶碗を置いてこちらへ向き直る。俺は年の暮れに不破の国人たちへの調略が概ね整ったことと、六角では当面の出兵を見送り、今ある関係を深める方針になったことを説明した。細かな交渉の内容にまで踏み込むつもりはなかったが、六角が何を考えているのかについては、弥五郎にも知っておいてもらいたかった。

 

 弥五郎は途中で口を挟まず、時折頷きながら話を聞いていた。俺が説明を終えると、暫く考えるように視線を落としていたが、やがて顔を上げた。

 

「それで、四郎。俺に何を聞きたいんだ?」

 

「もしそなたが俺の立場なら、不破の国人たちと、これからどう付き合っていく?」

 

 弥五郎は少しだけ目を細めた。単に兵を進めるかどうかではなく、他国の国人たちとどのような関係を築くべきか。俺が聞きたかったのは、そのことだった。

 

 茶の湯気が二人の間をゆっくりと立ち上っていた。俺は急かすことなく、弥五郎の答えを待った。

 

 弥五郎は暫く考え込んでいたが、やがて手元の茶碗へ視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。六角が不破の国人たちとどのように付き合うべきか。俺が尋ねたのは、単に出兵を見送る判断が正しかったかどうかではない。兵を動かさずに他国へ影響力を及ぼそうとするなら、そこには軍勢を率いて土地を得る場合とは違った難しさがあるはずだった。弥五郎もそのことを分かっているらしく、すぐに結論を口にすることはなかった。

 

「俺なら、まずは相手が何を望んでいるのか確かめるな。六角と誼を通じたいという者が、必ずしも六角へ従いたいとは限らん。そこを取り違えれば、せっかく築いた関係も壊れるだろう」

 

 弥五郎の答えは、年の暮れの評定で父上が示された考えに近いものだった。ただし、あいつが気にしていたのは、国人たちが六角へ何を求めるかという点だけではない。こちらが何を引き受けるのか、それを相手にどう伝えるのかということも重要だという。例えば、隣の国人との争いで助力を求められた場合、仲裁することと兵を出すことでは意味が違う。曖昧な返答をして相手に過度な期待を持たせれば、後になって約束を破ったと言われるかもしれない。

 

 俺もその点については考えていた。六角の後ろ盾を得たいという国人たちにとって、こちらが何処まで力を貸してくれるのかは大きな関心事だろう。だが、不破の国人同士が所領を争うたびに六角が兵を動かしていては、いずれ美濃の争いを丸ごと引き受けることになりかねない。しかも、どちらの言い分が正しいのかを確かめるには現地の事情を知る必要があり、一方だけを助ければ、もう一方からは敵と見なされることになる。兵を出さずに関係を保つつもりが、いつの間にか他国の争いへ深く入り込んでいたということにもなりかねなかった。

 

「だから父上も、所領安堵などの約束を勝手にすることは禁じられたんだ。国人たちとの付き合いを深めることと、所領を認めて六角の支配下へ置くことは違うからな」

 

「それなら、左京大夫様も十分に考えておられるのだろう。だが、四郎。向こうが六角を頼りたいと思う理由も、一つではないはずだぞ」

 

 弥五郎はそう言って、今の不破の国人たちが置かれている立場について話し始めた。六角との関係を深めたいという者の中には、一色家に不満を抱いている家もあるだろう。しかし、単に近くの有力な家と親しくしておきたいだけの者もいるかもしれない。昨年の戦で浅井が敗れ、六角が坂田を得たことで、近江と美濃の境に新たな勢力が現れた。その相手を敵に回さないために使者を送り、贈り物を届けるということも十分に考えられるという。

 

 こちらとしては、友好的な返答が増えれば調略が進んでいると受け止めたくなる。だが、相手にとっては六角を警戒しているからこその行動かもしれない。俺はその指摘を聞きながら、篠がまとめた書付にあった幾つかの家の名を思い浮かべた。六角との付き合いを望むという返答は得られていても、その家が一色家と縁を切るつもりなのか、今まで通りの立場を保とうとしているのかまでは分からない。少なくとも、こちらに好意を示したというだけで味方と決めつけるべきではないだろう。

 

 弥五郎が特に気にしていたのは、六角が不破の国人たちへ過度に期待することだった。いざ一色家との争いが起きた時、普段から付き合いのある家が必ず六角へ味方するとは限らない。逆に、六角が不破の国人を助けると約束していても、その相手が自ら争いを起こした場合まで支える理由はない。互いの関係を長く続けるのであれば、何処まで協力するのかを最初から明らかにしておく方がよいという。

 

「誼を結ぶこと自体は難しくないかもしれん。だが、それを続けるには互いに守るべきことがある。相手が何をしても助けるという約束では、いずれ六角の方が困るぞ」

 

「そうだな。今のうちに父上へも話しておこう。もっとも、加賀守からも似たような意見が出ていたから、既に考えておられるとは思うが」

 

 年の暮れの評定では、平井加賀守も同じようなことを指摘していた。直接支配をしなくとも、国人たちとの約束によって新たな責任が生じる。兵を出さなければ負担がなくなるというわけではないのだろう。弥五郎の話を聞き、俺は父上が三雲対馬守に交渉を続けさせる一方、約束の内容については慎重に扱うよう命じられた理由を、改めて理解した気がした。

 

 もっとも、国人たちとの関係を深めることには、軍事以外の意味もある。不破は近江と美濃を結ぶ道が通る土地であり、坂田を得た六角にとっては、以前よりも商人の往来が重要になっていた。年の暮れに宗兵衛と篠が調べていた通行料の騒ぎも、元を辿れば街道の一部で従来とは違う銭を求められたことが原因だった。噂が広まったことで、何も変わっていない道まで商人に避けられるようになっていたのだから、往来を安定させること自体にも十分な価値がある。

 

 俺がその話をすると、弥五郎も商人との付き合いについては思うところがあるらしかった。朽木の領地でも、京や若狭、近江の各地を行き来する商人たちから様々な話を聞くという。彼らにとって大切なのは、何処の家が土地を治めているかということだけではない。荷を安全に運べるか、道の途中で思いがけない銭を求められないか、必要な時に川や湖を渡れるか。そうしたことが日々の商いに直接関わってくる。

 

 ただし、商人たちの話も全て同じというわけではない。ある道を通る者にとっては不便な取り決めであっても、別の道を使う者には関係のない場合がある。まして国人との付き合いによって商いの便宜を得ている者なら、自分に都合のよい話をすることもあるだろう。弥五郎は商人たちの話をよく聞くことを勧めながらも、一人の言葉だけを信じて判断することは避けた方がよいと付け加えた。

 

 その点は俺にも思い当たるところがあった。宗兵衛が聞いてきた話と篠が集めた情報は、最初から全て一致していたわけではない。商人たちは自分が通る道については詳しくても、他の道については噂に頼っていることもあった。だからこそ弥七には実際の道筋を調べさせ、宗兵衛には複数の商人から話を聞いてもらっていたのだ。結果として通行料の問題は収まりつつあるが、それも現地で以前の取り決めが確かめ直されたからであって、六角が何か特別な働きかけをしたわけではなかった。

 

 俺は、不破の国人たちとの関係を深めるにあたり、まずは商人の往来を妨げないことを共通の利益として考えるのも悪くないと思った。近江と美濃の間を行き来する者が増えれば、街道沿いの村や市にも利益が生まれる。六角との付き合いによって商いが安定するのであれば、向こうの国人たちにも関係を続ける理由が出来るだろう。もちろん、それだけで全ての家が六角へ好意を持つとは限らないが、少なくとも互いに争わずに済む理由を増やすことは出来る。

 

 弥五郎もその考えには賛成した。ただし、こちらが通行料を一方的に決めたり、他国の関所へ口を出したりすることには慎重であるべきだという。街道の安定を望むことと、そこを治める国人の権限へ踏み込むことは別だった。国人たちが自分たちの利益を損なわれると感じれば、商人の往来を守ろうとしたことが、かえって反発を招くかもしれない。まずは普段から往来する商人たちを通じて事情を確かめ、必要であれば国人同士の話し合いを助ける程度に留める。その方が、今の六角の立場には合っているということだった。

 

 そうして話しているうちに、俺は不破へ兵を進めないという判断が、思っていた以上に多くの仕事を伴うものだと気付かされた。軍勢を動かさないのであれば、兵糧や荷駄の負担は抑えられる。しかし、その代わりに使者を送り、書状を交わし、商人や国人たちの動きを確かめ続けなければならない。相手の考えが変われば、こちらも付き合い方を改める必要がある。戦をせずに影響力を保つというのは、何もしないまま相手が従ってくれるのを待つことではないのだろう。

 

 そのことを口にすると、弥五郎は少し笑った。俺たちは昨年の戦を経て、それぞれ新しい領地を得ている。土地を治めるために人を動かし、帳面を調べ、以前からの取り決めを確かめる苦労も味わってきた。だからこそ、兵を出さずに済むならそれに越したことはないと考える一方で、軍勢を動かさないことにも別の負担があると分かるのだろう。あいつも朽木の当主として、似たようなことを考える機会が増えているのかもしれなかった。

 

 もっとも、俺が知りたいことはまだ一つ残っていた。六角が不破の国人たちとの関係を深めることについて、朽木の当主である弥五郎自身がどう考えているのかということだ。これまでの話では、あいつは俺の立場に立って様々な意見を述べてくれていた。しかし、六角と朽木は独立した家同士であり、互いに協力しているからといって、全ての利害が一致するわけではない。

 

「弥五郎。今度は朽木の当主として聞かせてくれ。六角が不破の国人たちと関係を深めることを、そなたはどう思う?」

 

 弥五郎は俺の顔を暫く眺めていたが、やがて茶碗を置くと、少し真面目な表情になった。先ほどまでの話とは違い、今度は自分の家のことを考えて答える必要があるのだろう。俺も急かすことはせず、あいつが口を開くのを待った。

 

 弥五郎によれば、今のところ六角が不破の国人たちと誼を通じることに、朽木として異を唱える理由はないという。六角が美濃へ軍勢を進めれば、一色家との争いが起きる可能性もあり、その場合は近江全体の情勢にも影響が及ぶ。朽木としても無関係ではいられないだろうが、国人たちとの付き合いを深めるだけなら、直ちに戦が始まるわけではない。むしろ六角と美濃の間で争いが起きずに済むのであれば、朽木にとっても都合がよいということだった。

 

 ただし、六角の影響力が今後さらに大きくなれば、話は変わってくるかもしれないとも言っていた。不破の国人たちが次々に六角へ近づけば、美濃における六角の立場は強くなる。今は単に誼を通じるだけでも、情勢が変われば従属を望む家が現れる可能性もある。その時、朽木がどのような立場を取るべきかは、改めて考えなければならないだろう。

 

 俺はその答えを聞き、少し安心した。弥五郎が六角の動きを全て歓迎しているわけではないことも、朽木の利益を考えていることも分かったからだ。幼馴染としての親しさに甘え、あいつがいつまでも俺と同じ考えでいてくれると思い込むのは危うい。俺が六角のことを考えるように、弥五郎も朽木を守る責任を負っている。そのうえで互いに協力出来るところを探すことが、これからも良い関係を続けるためには必要なのだろう。

 

「何もかも同じ考えでいる必要はないさ。俺は朽木のことを考えるし、そなたは六角のことを考えればいい。そのうえで、互いに力を合わせられるところがあれば、そうすればいいだろう」

 

「ああ。俺もそう思う。これからも何かあれば相談させてもらうよ」

 

 弥五郎は頷き、ようやく普段の表情へ戻った。俺も手元の茶を飲みながら、年の暮れの評定で決まった方針について改めて考えを整理した。今すぐ不破へ兵を進める必要はない。しかし、向こうの国人たちとの関係を深めるのであれば、それに伴う責任や危険を理解しておかなければならない。父上や六人衆も同じように考えているはずだが、今日の話で得たことは、いずれ機会を見て伝えておきたいと思った。

 

 それにしても、正月早々随分と長く話し込んでしまったものだ。窓の外へ目を向けると、冬の陽は少しずつ傾き始めていた。庭の木々は冷たい風に枝を揺らし、廊下の向こうからは年賀に訪れた者たちの声が遠く聞こえてくる。先ほどまで気付かなかったが、手元の茶もすっかり冷めていたらしい。俺が小姓へ新しい茶を頼むと、弥五郎もようやく肩の力を抜いた。

 

「まったく、四郎と顔を合わせると、いつもこうなるな。今日は新年の挨拶に来たというのに、結局は仕事の話ばかりしている」

 

「そなたにだけは言われたくないぞ。塩津へ行った時だって、話を始めたら止まらなかったじゃないか」

 

 そう返すと、弥五郎は笑った。俺も笑いながら、これ以上不破の話を続けるのはやめることにした。せっかく久しぶりに会ったのだから、もう少し気楽な話をしてもよいだろう。何より、小夜と弥太郎が戻ってきた時、まだ仕事の話をしていたとなれば、二人から何を言われるか分かったものではない。

 

 話題を変えて小夜の近況を尋ねると、弥五郎は塩津での暮らしについて楽しそうに語り始めた。小夜は城の者たちともすっかり打ち解け、近頃は土地のことを知ろうと、自分から様々な話を聞くようになったという。朽木の家中でも大切にされているらしく、弥五郎自身も妻が新しい暮らしに馴染んでくれたことを喜んでいるようだった。俺もその話を聞いて安心した。弥太郎は以前から妹のことを気に掛けていたが、今の二人を見れば余計な心配をする必要はなさそうだった。

 

 もっとも、弥太郎が妹を心配すること自体は、これからも変わらないかもしれない。塩津へ届く文にも小夜の身を案じる言葉が多いらしく、弥五郎は時折返事に困ることがあるという。俺にしてみれば、弥太郎らしい話だった。普段は俺の身の回りのことを気に掛け、何かと小言を言ってくる男だが、妹のことになると昔から心配し過ぎるところがある。小夜自身はもう立派に朽木の奥方を務めているように見えるものの、兄にとってはいつまでも幼い頃の妹なのだろう。

 

 そんな話をしているうちに、廊下の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。小夜と弥太郎が戻ってきたらしい。ほどなく取り次ぎの声が掛かり、二人が座敷へ姿を見せた。小夜は先ほどよりも明るい表情をしており、久しぶりに会った者たちと随分話が弾んだようだった。弥太郎も妹とゆっくり話せたことが嬉しいらしく、普段よりも少し柔らかな顔をしている。

 

「殿、四郎様。お待たせいたしました。皆様と懐かしいお話をしていたら、すっかり遅くなってしまいました」

 

 小夜がそう言って頭を下げたので、俺も弥五郎も気にすることはないと答えた。せっかく育った家へ戻ってきたのだから、久しぶりに会う者たちとの時間を大切にしてもらいたい。弥太郎も、妹が嬉しそうにしている姿を見て安心したのだろう。二人は席を勧められると、先ほど誰と会い、どのような話をしたのかを楽しそうに語り始めた。

 

 ところが、小夜は俺たちの前に置かれた茶碗や書付のない座敷を見渡すと、ふと何かに気付いたような表情を浮かべた。弥五郎もその視線に気付いたらしく、僅かに姿勢を正す。俺にはその時点で、何を尋ねられるのか大体の見当が付いていた。塩津を訪ねた時にも似たようなことがあり、今日も結局は長い時間、不破の話をしていたのだから仕方がない。

 

「殿も四郎様も、また難しいお話をなさっていたのでしょう?」

 

 穏やかな口調ではあったが、こちらの返事を聞くまでもなく確信しているようだった。俺は近況を話していただけだと答えかけたものの、隣の弥五郎が困ったように笑っているのを見て諦めた。あいつも同じ言い訳を考えていたのだろう。二人揃って黙ってしまったため、小夜は少し呆れたような顔になり、その隣では弥太郎が笑いを堪えていた。

 

「まったく、お二人は昔からお変わりになりませぬな。顔を合わせれば、何かと難しい話を始められるのですから」

 

 弥太郎がそう言うと、弥五郎もとうとう笑い出した。俺としては、昔からそこまで仕事の話ばかりしていた覚えはないのだが、今の俺たちを見ていれば反論しても説得力がないだろう。小夜も笑いながら、今日はせっかく皆で集まれたのだから、少しくらい仕事を忘れてほしいと告げた。俺と弥五郎が揃って頷くと、ようやく満足したらしく、夫の隣へ腰を下ろした。

 

 新しい茶が運ばれてくると、話題は自然と小夜の幼い頃のことへ移っていった。弥太郎が昔の話を持ち出すたびに、小夜が自分にも言い分があると口を挟み、弥五郎が面白そうに二人の話を聞いている。俺も幾つか覚えていることはあったが、何しろ随分と昔の話だ。弥太郎が覚えている出来事でも、俺には思い出せないものが少なくなかった。

 

 やがて弥太郎が、小夜が幼い頃に稽古の道具を勝手に持ち出し、自分を困らせたことがあったと言い始めた。小夜はすぐにそれを否定し、使っていない時に少し借りただけだと主張する。どちらが正しいのかは分からないが、二人のやり取りは昔から変わらない。俺には見慣れた光景だったものの、弥五郎にとっては新鮮だったらしく、妻の知らなかった一面を見つけたように笑っていた。

 

「それなら、俺も小夜の幼い頃の話を聞いてみたいな」

 

「殿まで、そのようなことを仰るのですか」

 

 小夜が少し困ったように夫を見ると、弥太郎はますます楽しそうな顔をした。俺もここで口を挟めば、今度は自分の失敗談を持ち出されるかもしれないと思ったが、せっかくの正月である。少しくらい昔の話でからかわれるのも悪くはないだろう。

 

 弥五郎は朽木の当主となり、小夜はその妻として塩津で暮らしている。弥太郎も俺の側近として多くの仕事を任されるようになり、俺自身も六角の嫡男として、以前とは違う責任を負うようになった。皆がそれぞれの立場を持ち、気軽に顔を合わせることは難しくなっている。それでも、こうして四人が揃えば、昔と変わらないところはいくらでも残っていた。

 

 俺は運ばれてきた新しい茶を口に運びながら、三人の顔を見渡した。弥太郎は小夜の言い分に苦笑し、小夜も兄へ遠慮なく言い返している。その様子を弥五郎が楽しそうに眺めており、俺も自然と笑みが浮かんだ。先ほどまで考えていた不破の国人たちのことも、坂田の統治のことも、今は少し脇へ置いておけばよいだろう。

 

「よし、弥太郎。その話を聞かせてくれ。ただし、小夜の言い分もきちんと聞くからな」

 

「もちろんにございます。では、あれは若様がまだ幼くあらせられた頃のことで――」

 

「兄上、最初から大袈裟に話すのはおやめくださいませ」

 

 弥太郎が話し始めると、小夜は早速口を挟み、弥五郎はとうとう声を立てて笑った。俺もつられて笑いながら、二人の昔話へ耳を傾ける。

 

 新しい年を迎えても、考えなければならないことはまだ多い。だが、それらは明日からまた向き合えばよい。

 

 今はただ、久しぶりに揃った四人で、懐かしい話を楽しむことにした。

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