淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

71 / 79
第六十八話「過ちの先に残すもの」

 二月に入って幾日か過ぎた頃、父上から呼び出しを受けた。用向きは奈津の一件についてだった。正月に弥五郎が観音寺を訪れた際、父上は二月中に処分を決め、朽木へ知らせると約束されている。奈津本人と三雲対馬守への聞き取りは既に終わり、朽木から届けられた書状との照合も済んでいた。これまでの報告を読む限り、奈津が独断で朽木の船や兵について調べていたことは間違いない。幸い、詳しい軍事情報を観音寺へ送る前に発覚したものの、それで問題が軽くなるわけではなかった。

 

 父上が結論を急がなかったのは、奈津一人の不始末として片付けるつもりがなかったからだろう。そもそも小夜の暮らしぶりを知らせるよう命じたのは三雲対馬守であり、配下がその役目を越えた以上、命を与えた側にも責任がある。まして朽木は六角の家臣ではなく、婚姻によって結ばれた独立した家だ。今回の一件を曖昧なまま済ませれば、今後の両家の付き合いにも影響が出かねない。父上が慎重になるのは当然であり、俺も奈津をどのように扱うべきか、簡単には答えを出せずにいた。

 

 ただ、数日前に篠が珍しく自分から願い事を口にしてきたのである。普段の篠は、任せた仕事について意見を求めれば必要なことを答えるものの、他人の処遇について口を出すことはほとんどない。しかも今回の相手は、塩津で不審な動きをしていた奈津だった。最初にその行動へ気付き、俺へ報告したのも篠である。それだけに、何を言い出すのかと思って聞いていたが、願いの内容は予想外のものだった。

 

「若様。奈津へ、今一度だけ機会を与えていただくことは出来ませぬか」

 

 俺は手元の書付から顔を上げた。篠はいつも通り静かに座っていたが、こちらの返答を待つ様子には、普段とは違う緊張が感じられた。

 

「そのほうが奈津を庇うのか。塩津で何をしていたか、一番よく知っているだろう」

 

「承知しております。あの者がしたことを軽く考えているわけではございませぬ」

 

「ならば、なぜだ」

 

 篠はすぐには答えず、膝の上で重ねていた手を僅かに握り直した。奈津を見つけたことについて責任を感じているのかとも考えたが、あの時の篠は命じられた通りに動いている。必要以上に調べを広げず、本人へ確かめたところで俺へ報告した。その判断に誤りはなかったし、俺も責めたことはない。

 

「奈津には、人の動きをよく見る目がございます。湊へ出入りする船や荷の変化に気付き、そこで聞いた話を覚えておりました。ただ、それを何のために、どこまで調べてよいのかを知らなかったのでしょう。自分が役に立つと思えば、そのまま調べを進めてしまう。そうした危うさがあることも承知しております」

 

「その危うさが、今回の騒ぎを招いたのだぞ」

 

「はい。ですが、教えれば改められるのではないかとも思うのです。何処で止まるべきか、誰へ判断を仰ぐべきか。それを知らぬまま働かせるのではなく、最初から教える者がいれば、違った働きも出来るのではないかと」

 

 なるほど。篠は奈津の行動を許してほしいのではなく、改めて使う道を残してほしいと言っているらしい。確かに、奈津が見聞きしたことを覚える力を持っているのは、塩津でのやり取りからも窺えた。だが、その力を今後も調べ物に使わせてよいのかとなれば、話は別だ。俺がそう指摘すると、篠は自分の目が届くところへ置いてほしいと答えた。最初から自由に動かす必要はなく、書付の整理や報告の取りまとめなど、決められた範囲の仕事から教えていけばよいという。

 

「随分と面倒な役目を引き受けようとしているな」

 

「承知の上にございます」

 

「もし奈津がまた命を越えて動けば、そなたの責にもなるぞ」

 

「その時は、私も責を負います。ですが、あの者をこのまま捨ててしまうのは、惜しゅうございます」

 

 篠はそう言って深く頭を下げた。最後の言葉には、いつもの落ち着いた物言いとは違う切実さがあった。俺はしばらく考えたものの、その場で返事をすることは避けた。奈津の処遇を決めるのは父上であり、俺が勝手に働く場所を与えるわけにはいかない。それでも、篠がそこまで言うのであれば、父上へ伝えるだけの理由はあると思った。そう告げると、篠はもう一度頭を下げ、それ以上何も求めずに部屋を辞した。

 

 そして今日、父上の前には俺と三雲対馬守が揃っていた。六人衆を集めた正式な評定ではなく、奈津の処遇に関わる者だけを呼んだ話し合いである。対馬守の前には、これまでの聞き取りをまとめた書付が置かれていた。父上はまず、その内容に新たな食い違いが見つかっていないかを確かめられたが、対馬守の答えは変わらなかった。奈津へ命じたのは小夜の様子を知らせることまでであり、兵や船、蔵について調べるよう指示した事実はないという。

 

「対馬守。此度のこと、お主は如何に考える」

 

「我が配下の不始末にございます。奈津が独断で動いたことは間違いございませぬが、命を与えた某にも責がございます。役目の範囲を十分に申し含めておれば、防げたかもしれませぬ」

 

「うむ。お主も責を免れるものではない。ただし、奈津が自ら判断して動いたことまで、お主の命のせいにするわけにもいくまい」

 

 対馬守は深く頭を下げた。父上は奈津の処分について、六角から放逐することも考えておられるようだった。今後は小夜の側へ戻せず、朽木に関わる役目を与えることも出来ない。何より、一度命を越えて他家の内情を探った者を、この先も信用して使えるのかという問題がある。仮に奈津が同じことを繰り返せば、今度こそ弁解の余地はないだろう。父上の考えはもっともであり、対馬守も異を唱えなかった。

 

 そこで俺は、篠から受けた願いを伝えることにした。

 

「父上。一つ、お考えいただきたいことがございます」

 

「何じゃ、右衛門督」

 

「奈津の処遇について、篠から願い出がございました。今一度だけ、働く機会を与えていただきたいと申しております」

 

 父上が僅かに眉を上げられた。対馬守も意外だったらしく、俺へ目を向けた。奈津の動きを見つけた当人が、その奈津を引き受けたいと言い出したのだから、驚くのも無理はない。

 

「篠がそのように申したのか。あの者も奈津が何をしたかは知っておろう」

 

「はい。承知した上での願いにございます。自分の監督の下へ置いていただけるのであれば、役目の心得から教え直したいと申しております」

 

「ふむ。対馬守、お主はどう見る」

 

「奈津に働く力がないとは申しませぬ。しかし、あの者が役目を越えたことも事実。篠がどれほど監督すると申しましても、再び同じことが起きぬとは言い切れませぬ」

 

 父上は頷き、改めて俺へ説明を求められた。俺は篠から聞いたことを伝えたが、奈津の能力を理由に処分を軽くしてほしいと頼むつもりはなかった。今回の行動によって朽木の信を損ねた以上、小夜の側仕えから外すことは避けられないし、今までと同じ立場へ戻すことも出来ない。ただ、それと六角で働く道を全て閉ざすことは、別に考えてよいのではないかと思っていた。

 

「奈津には足りぬものがございました。見聞きしたことを覚え、必要と思えば自分から調べる力はあっても、何処までが己の役目なのかを判断出来なかったのです。ですが、それを教えることで改められるのであれば、働く道を残してもよいのではございませぬか」

 

「役目を越えた者へ、また調べ物をさせるというのか」

 

「初めからそのような仕事を任せるつもりはございませぬ。篠の下で書付を整理させ、聞いたことと確かめたことを分けて記すところから教えればよいと考えております。勝手に人へ尋ねたり、書状を送ったりすることも許しませぬ。何を任せるかは篠が決め、任せられぬと判断すれば、そのまま別の仕事を続けさせます」

 

 父上はしばらく黙っておられた。対馬守も書付へ目を落としたまま、すぐには口を挟まない。俺の考えが甘いことは分かっている。奈津の処分を決めるだけなら、役目を解いてしまう方が話は早い。篠の下へ置けば監督する者も必要になり、俺自身もその働きぶりを確かめなければならなくなる。それでも、使える力を持った者を、その一度の過ちだけで捨ててしまうのは惜しかった。

 

「父上。人は生かしてこそ役に立つものだと、某は考えております。無論、誰にでも機会を与えればよいという話ではございませぬ。ただ、奈津には改められるところがあると篠が申しております。ならば、今一度だけ試してみたいのです」

 

「そのように申すなら、右衛門督。奈津が再び不始末を起こした時、お主はどうする」

 

「今度は庇いませぬ。篠にもその覚悟があることは確かめております。もっとも、そうならぬようにすることも、引き受ける者の役目だと思っております」

 

 父上はその返答を聞いても頷かれなかった。俺が続きを待っていると、手元の書付を閉じ、対馬守へ視線を向けられた。

 

「対馬守。お主が先ほど申した通り、奈津が再び命を越えることはあり得る。篠が監督するとしても、全てを見張っておれるわけではあるまい」

 

「仰せの通りにございます」

 

「ならば、その時に誰が責を負うか、今のうちに明らかにしておかねばならんな」

 

 父上はそう仰ると、改めて俺へ向き直られた。先ほどまでとは違い、その目には父親としての柔らかさがなかった。

 

「右衛門督。そなたは奈津を生かして使いたいと申したな」

 

「はい」

 

「篠も自ら監督を引き受けると申しておる。ならば、奈津一人の話では済まぬぞ。二人を預かるのはそなたであり、再び不始末が起これば、今度はそなた自身の責にもなる」

 

「承知しております」

 

「本当に分かっておるのか」

 

 父上の声は静かだった。だが、その問いにすぐ答えることは出来なかった。父上が何を確かめようとしているのか、ようやく分かった気がしたからだ。俺は先ほど、奈津が再び過ちを犯せば庇わないと答えた。しかし、それは処分を受け入れるという意味であって、実際に誰がその処分を下すのかまでは考えていなかった。

 

「右衛門督。奈津が再び禁を破り、六角の信用を損なうようなことをした時、そなたは奈津だけではなく、監督を申し出た篠も、自らの手で処すことが出来るか」

 

 父上の言葉が終わると、部屋は静まり返った。対馬守も何も言わず、俺の返答を待っている。篠まで処すという言葉を聞いて、胸の内に重いものが沈んだ。篠は俺の命に従って様々な仕事を果たしてきた。今回も奈津の動きを見つけながら、自分の判断で余計なことをせず、俺へ報告している。その篠が自ら監督を引き受けると言ったからこそ、俺も奈津に機会を与えようと考えたのだ。

 

 だが、篠が責任を負うというのであれば、その言葉を軽く扱うわけにはいかない。俺が二人を預かる以上、失敗した時の始末を父上や対馬守へ任せることは出来ないだろう。まして、篠だけはこれまでの働きがあるから許してほしいなどと言い出せば、監督責任を明らかにした意味がなくなってしまう。

 

「父上。奈津が再び禁を破った時、その責を問うことに異存はございませぬ。篠についても、監督を怠り、同じ不始末を許したのであれば、責を免れるものではないと考えております」

 

「儂が聞いておるのは、その先じゃ。責を問うだけなら誰にでも出来る。そなたは二人を生かして使うと申した。ならば、必要となった時には、自ら処す覚悟があるのかと聞いておる」

 

 逃げ道を残さない問いだった。父上は、誰かへ命じて処分させればよいと言っているのではない。二人を使うと決めた俺自身が、最後まで責任を負えるのかを確かめておられる。人は生かしてこそ役に立つ。その考えは今も変わらない。だが、人を使うということは、働きを認めるだけでは済まないのだろう。何かあった時には、その者がこれまでどれほど役に立っていたとしても、処分を下さなければならないことがある。

 

 俺は一度膝の上で拳を握り、父上を見た。

 

「……必要とあらば、某自身の手で処します。奈津も篠も、例外とはいたしませぬ」

 

 言葉にすると、思っていた以上に重かった。父上はしばらく俺を見ておられたが、やがて小さく頷かれた。

 

「よかろう。ただし、その言葉を忘れるでないぞ。人を生かすと申すのは容易い。だが、使うと決めた者の始末まで引き受けてこそ、初めて人を預かることが出来るのじゃ」

 

 父上はそこで対馬守へ視線を移された。対馬守は少し考えた後、奈津に働く機会を与えるのであれば、自分の配下へ戻すべきではないと述べた。自ら命を与えた者が不始末を起こし、その監督責任を問われている以上、以前と同じ関係へ戻しては示しがつかないという。その点は俺も同じ考えだった。

 

「では、奈津の処遇はそのように定めよう。小夜の側仕えからは解き、当面は謹慎を命じる。謹慎が明けた後は篠へ預け、与えられた仕事だけを行わせよ。朽木に関わる事柄へは今後一切関与させぬことを、誓紙にも認めさせるのじゃ」

 

「承知いたしました」

 

「対馬守。お主にも此度の責はある。今後、配下へ命を与える際には、その範囲を明らかにせよ。役に立とうとしたからという理由で、勝手な振る舞いが許されるわけではないことも申し含めておくのじゃ」

 

「はっ。此度の不始末、重々肝に銘じます」

 

 こうして奈津の処遇が定まった。父上はその内容を朽木へ伝えるための書状を用意するよう命じられた。奈津が独断で動いたこと、対馬守にも監督責任があることを改めて認め、奈津を小夜の側仕えから外すこと。そして今後は篠の監督の下へ置き、朽木に関する事柄には一切関わらせないことを明記するという。さらに、今回の件について六角側の不手際を認め、再び同じようなことを起こさぬよう家中へ申し渡すことも書き添えられた。

 

 出来上がった書状に父上が目を通され、その日のうちに使者が朽木へ向かった。弥五郎が今回の処分をどう受け止めるかは、返書が届くまで分からない。奈津を手元へ残す判断について、甘いと考える可能性もあるだろう。俺自身、そのように言われれば否定しきれない部分がある。それでも、過ちを犯した者を全て切り捨てることが正しいとは思わなかった。

 

 父上の部屋を辞した後、俺は篠へ渡す書付を整えた。奈津を預ける際の条件を記し、朽木に関する報告には一切触れさせないこと、任せる仕事は篠が判断すること、そして少しでも不審な動きがあれば必ず俺へ知らせることを書き添える。どれも篠には分かり切ったことだろうが、今回は曖昧にしておくわけにはいかなかった。

 

 書付を持ってきた弥太郎へ渡すと、内容を一通り確かめてから少し呆れたような顔になった。

 

「若様。篠も随分と面倒な役目を引き受けられましたな」

 

「自分から願い出たのだから、仕方あるまい」

 

「若様も、結局は引き受けられたのでしょう」

 

「そういうことになるな」

 

「では、篠だけが面倒を見るわけではございませぬな」

 

 俺が返事をしないでいると弥太郎は小さく笑って書付を丁寧に畳んだ。反論するつもりはなかった。篠から願いを聞いた時には、父上へ伝えるだけのつもりだったが、今では俺自身が奈津を預かることになっている。父上が許されたからといって、それで仕事が終わるわけではないのだ。

 

「弥太郎。篠へ渡してくれ。それから、奈津の謹慎が明ける頃に、俺へ知らせるよう伝えておいてほしい」

 

「承知いたしました。もっとも、篠なら言われずとも報告してくると思いますが」

 

「それはそうだろうな」

 

 弥太郎は一礼して部屋を出ていった。俺は机に残された奈津の書付を取り上げ、ほかの報告とは分けて文箱へ収めた。篠にはまだ、父上から何を問われたのか伝えていない。奈津を引き受けることになったと知らせれば、あの女はいつものように静かに頭を下げるだろう。だが、監督の責任がどれほど重いものなのか、今一度確かめる必要があった。

 

 俺は文箱の蓋を閉じ、先ほど父上から向けられた問いを思い返した。奈津だけでなく、篠までも自らの手で処すことが出来るか。俺は出来ると答えた。その言葉を父上の前で口にした以上、今後は軽々しく人を預かることも、情けを掛けることも出来ない。

 

 やがて廊下の向こうから弥太郎が誰かへ声を掛けるのが聞こえた。ほどなく篠が来るのだろう。俺は文箱から先ほど収めたばかりの書付を取り出し、机の上へ戻した。奈津を預けるにあたり、篠にも話しておかなければならないことがあった。

 

 篠が部屋へ入ってきたのは、それから間もなくのことだった。弥太郎から奈津の処遇について聞いていたらしく、俺の前に座ると、普段よりも深く頭を下げた。願い出たことが認められたのだから、礼の一つも言いたいのだろう。だが、今回の決定については、喜ぶより先に伝えておかなければならないことがあった。俺は篠が口を開く前に、机の上へ置いていた書付を差し出した。

 

「奈津の謹慎が解け次第、そなたの下へ預けることになった。ただし、これまでと同じように働かせるわけではない。しばらくは書付の整理などを任せ、勝手に調べを進めたり、他の者へ文を送ったりすることは禁じる。朽木に関わる事柄については、どのようなものであっても触れさせるな」

 

「承知しております。仕事については、奈津の様子を見ながら少しずつ教えてまいります」

 

「そのことだが、もう一つ伝えておく。父上から、そなたと奈津を預かる覚悟について問われた」

 

 篠は書付を受け取ろうとしていた手を止めた。俺が話を続けると、膝の上へ手を戻し、改めて姿勢を正した。父上から何を問われたのか、篠にはまだ話していない。奈津を引き受けたいと願い出た以上、監督の責任を負うことは覚悟しているだろうが、その責任がどこまで及ぶのかについては、俺自身も今日になって思い知らされたばかりだった。

 

「奈津が再び禁を破った時、俺は奈津だけではなく、監督を引き受けたそなたも自らの手で処すことが出来るかと問われた。俺は、必要とあらば出来ると答えた」

 

 篠は僅かに目を伏せたものの、取り乱した様子は見せなかった。ただ、すぐに返事をすることもなく、しばらく黙って俺の言葉を聞いていた。

 

「無論、奈津が勝手なことをしたからといって、何も確かめずにそなたまで罰するつもりはない。監督を尽くしていたのか、気付く機会があったのか、その時に何をしていたのかは調べる。だが、そなたが不始末を見逃したり、命じられた監督を怠ったりしていたなら、これまでの働きがあるからといって庇うわけにはいかない。父上にも、そのように申し上げた」

 

「……それで結構にございます」

 

 篠は顔を上げ、静かに答えた。奈津を庇うために自分まで危うい立場へ置くことについて、何か言いたいことがあるのではないかと思ったが、その表情に迷いは見られなかった。

 

「私が願い出たことでございます。奈津を引き受けると申しながら、しくじった時だけ若様に助けていただこうとは思っておりませぬ。ただ、あの者が仕事を覚えるまでには、多少の時が掛かるかと存じます。最初から人の動きを探らせるようなことはせず、与えられた仕事を確かに果たせるようになるまで、私の目の届くところへ置きとうございます」

 

「それでよい。奈津には見る目があるとそなたは言ったが、その力をすぐに使わせる必要はない。まずは命じられたことを守れるかどうかだ。俺も最初から働きを急がせるつもりはない」

 

 篠は頷き、改めて書付を受け取った。自分が望んだこととはいえ、監督する者が一人増えるとなれば、これまでの仕事にも影響が出るだろう。それでも引き受けたいというのだから、奈津に何か見込むところがあるのは間違いない。俺としても、篠がそこまで評価している者を、働かせもせずに捨ててしまうのは惜しかった。

 

「それにしても、そなたがここまで他の者を庇うとは思わなかったな。奈津のどこを気に入ったのだ」

 

 少し冗談めかして尋ねると、篠は困ったような顔をした。

 

「気に入ったというわけではございませぬ。ただ、あの者は自分が見聞きしたことをよく覚えております。調べを進めたことは間違いでございましたが、何の役にも立たぬ者ではございませぬ。誰かが教えれば、もう少し違った働きが出来るのではないかと思ったのです」

 

「なるほど。では、その誰かになるつもりなのだな」

 

「はい。願い出た以上、最後まで面倒を見るつもりにございます」

 

 篠は当然のことのように答えた。普段は与えられた役目を黙々とこなしている女だが、こうして話していると、意外なところで頑固な一面があるらしい。もっとも、他人を教える役目を引き受けるというのは、言うほど簡単なことではない。奈津が素直に従うかどうかも分からず、仕事を覚えるまでにどれほど手間が掛かるかも不明だ。それでも篠が自分から願い出たのだから、今は任せてみるほかないだろう。

 

「分かった。奈津の謹慎が解けるまでに、任せる仕事を決めておけ。それから、あの者を預かる時には、今回の処分が何を意味するのかをそなたの口からも伝えてほしい。俺からも話をするが、日々の仕事で教えるのはそなただからな」

 

「承知いたしました。奈津が再び同じ過ちを犯さぬよう、よく申し含めます」

 

「頼む。だが、そなた自身も無理をするなよ。手に余ると思えば、早めに知らせろ。奈津を引き受けたからといって、そなた一人で何もかも抱え込む必要はない」

 

 篠は少し意外そうに俺を見たが、すぐに頭を下げた。俺が話を終えると、書付を懐へ収めて部屋を辞していった。その後ろ姿を見送りながら、父上が最後に問い掛けられた言葉を思い返す。奈津だけではなく、篠も自らの手で処すことが出来るか。俺は出来ると答えたが、その言葉を実行するような日が来ないことを願うばかりだった。

 

 もっとも、願うだけで済ませるつもりはない。篠が奈津を預かる以上、俺にも二人の働きぶりを確かめる責任がある。問題が起きてから処分を考えるのではなく、その前に気付けるようにしておかなければならないだろう。俺は机の上に残っていた奈津の書付を文箱へ収め、別の報告へ手を伸ばした。六角としての処分は定まったが、奈津が与えられた機会をどう使うかは、これからの話だった。

一話の文字数はどのぐらいが読みやすいですか?

  • このまま
  • 5000文字前後
  • 15000文字前後
  • 1~5000文字
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。