淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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2026/10/22 文章整理


第七十一話「嫡男に託される役目」

 父上が不破に関わる仕事を俺へ預けたいと仰った時、真っ先に気になったのは三雲対馬守の反応だった。

 

 これまで不破の国人たちとの交渉を進めてきたのは対馬守であり、使者の往来も、誰に何処まで話を通すかという判断も、長い年月を掛けて築いてきた伝手を使って進められている。そこへ俺が加わるとなれば、たとえ父上にそのつもりがなくとも、これまで任されていた仕事を取り上げられるように感じるかもしれない。まして俺は六角の嫡男とはいえ、国人たちとの交渉については対馬守ほどの経験がない。父上の命だからといって、そのことを忘れてよいわけではなかった。

 

 対馬守は目の前の書付を揃え、顔を上げて父上へ一礼した。表情からは何を考えているのか窺えなかったが、すぐに異を唱えることも、無条件に承知することもしなかった。

 

「御屋形様。一つ確かめたく存じます。右衛門督様にお任せするのは、我らから届く報告をまとめる役目にございましょうか。それとも、不破へ遣わす使者の差配まで含みますか」

 

「使者は引き続きそなたが動かせ。誰と話をするか、何を聞き出すかについても、これまで通りじゃ。ただし、坂田の道や商人に関わる話が混じれば、後藤らへも確かめねばならぬ。儂のところへ別々に上げる前に、右衛門督に一度見させたい」

 

 父上の答えを聞き、対馬守は小さく頷いた。しかし、すぐには承知したと言わなかった。何か気になることが残っているのだろう。俺も対馬守の立場で考えてみれば、その理由には心当たりがあった。

 

 国人から預かった話の中には、ほかの者へ知られたくない事情もある。六角へ密かに使者を送っていることが一色方へ知られれば、所領や家中の立場を危うくする家もあるだろう。誰を通じて話が届いたのかを明らかにするだけで、相手の素性が分かってしまうことも考えられる。俺自身、篠から受け取る報告を全て家中へ見せているわけではない。情報をまとめる役目を与えられたからといって、対馬守がこれまで守ってきたものまで、何もかも知る必要はなかった。

 

 そこで父上に発言を許していただき、対馬守へ向き直った。

 

「対馬守殿。これまで交渉に用いてこられた伝手や、使者の名まで一つ残らず知らせていただく必要はございませぬ。知りたいのは、相手が何を求め、六角としてどのような返答を要するかというところにございます」

 

 対馬守は黙って俺の言葉を聞いている。俺は続けて、今回の役目について考えていることを伝えた。

 

「今後は御報告いただく事柄が増え、御手を煩わせることもあろうかと存じます。ですが、こちらから勝手に使者を出したり、交渉の相手を変えたりするつもりはございませぬ。必要なことがあれば、まず対馬守殿へ相談いたします。その上で父上の御裁可を仰ぐつもりです」

 

「それを伺えれば十分にございます。相手によっては、文を交わしたこと自体を伏せねばならぬ場合もございましょう。そうしたものは、事情を添えて別にお届けいたします」

 

 対馬守はそう答え、改めて父上へ頭を下げた。

 

 これまでの仕事を奪われるわけではないと分かり、納得してもらえたらしい。もっとも、実際に仕事を始めれば、俺が何を知る必要があり、何処から先は対馬守へ任せるべきなのか、判断に迷うこともあるだろう。その時は改めて相談すればよい。今ここで何もかも決めてしまうより、互いの役目を明らかにしておくことの方が大切だった。

 

 父上は二人のやり取りを聞き終えると、次に後藤但馬守へ目を向けられた。

 

 後藤が気にしていたのは坂田のことだった。新しく得た土地の統治はまだ落ち着かず、村々からの申し出に対する返事一つにも手間が掛かっている。年貢の納入先や寺社領との境を確かめる仕事も続いており、現地の役人たちはそれぞれの持ち場で忙しくしているはずだ。そこへ不破の話が加わったからといって、坂田に置いている者を次々に呼び戻されては困るという。

 

 俺もその点について異存はなかった。坂田のことを知る必要があれば、まず後藤から報告を受ける。現地へ人を遣わして確かめるべきかどうかも、後藤の考えを聞いた上で決めればよい。俺が気になるたびに帳面を取り寄せ、現地の者たちへ同じことを調べ直させるようでは、仕事をまとめるどころか余計な手間を増やしてしまう。

 

「若い者に仕事を任せるのは結構なことにございます。ただ、右衛門督様が気になるたびに坂田から帳面を運ばせるようでは、現地の者が参ってしまいますな」

 

 後藤は真面目な顔でそう言ったが、俺には以前に似たことで叱られた覚えがあった。思わず目を向けると、後藤は何食わぬ様子で見返してくる。父上の口元が僅かに緩み、近くに座っていた目賀田も視線を下げた。

 

 反論できる材料がない。以前、現地で確かめなければ分からないことを観音寺で考え続け、後藤から直接指摘されたばかりなのだ。同じことを繰り返すつもりはないし、今度は不破の仕事まで加わる。何でも自分で確かめようとしていては、後藤だけでなく対馬守にも迷惑を掛けることになるだろう。

 

「承知いたしました。坂田のことは、これまで通り但馬守殿へ相談いたします」

 

 素直に頭を下げると、後藤は満足したように頷いた。父上もそれ以上は何も仰らず、次の者へ意見を求められた。

 

 平井加賀守が確かめたのは、国人たちと交わす約束の扱いだった。

 

 先日俺が下書きをした返書も、加賀守の指摘を受けて幾つか言葉を改めている。国人同士の所領争いについて事情を聞くという話が、いつの間にか六角による所領安堵として受け取られぬようにする必要があった。こちらにそのつもりがなくとも、書状を受け取った者が都合よく解釈すれば、後になって約束が違うと言われかねない。まして六角の嫡男の名で文が届けば、相手は当主の意向に近いものと受け取る可能性もあるだろう。

 

 加賀守は、今後俺自身の名で文を出せるようになるのかと尋ねた。父上はそこまでの権限を与えるつもりはないと明言された。

 

「右衛門督には案を整えさせる。だが、所領を認める文も、兵を出すという約束も、儂の裁可なしに出させはせぬ。そなたも文の扱いについては、よく見てやってくれ」

 

「承りました。右衛門督様にも、何度でも直していただくことになりましょうな」

 

「加賀守殿。すでに随分と直していただいておりますが」

 

「それでも、まだ足りぬところはございましょう」

 

 涼しい顔で返され、俺は口を閉じた。

 

 加賀守の前で文の書き方を論じても、今のところ勝てる気がしない。先日の返書でも、自分なりに考えて書いたものを随分と直されている。しかも、何故その言葉ではいけないのかを尋ねれば、きちんと理由を示されるのだから反論のしようがなかった。対馬守の肩が僅かに揺れたところを見ると、どうやら俺の味方は少ないらしい。

 

 進藤山城守と蒲生下野守からは、国境で急な動きがあった場合の扱いについて意見が出た。

 

 普段の交渉をまとめる者が増えても、いざ兵が必要になった時、使者が何人もの間を行き来して判断が遅れるようでは意味がない。不破の国人たちから助けを求める知らせが届けば、その内容によっては軍勢を動かすべきか直ちに考えなければならないだろう。俺へ報告し、そこから父上へ伝え、さらに山城守たちへ命じるという手順を毎回踏んでいては、間に合わぬことも考えられた。

 

 父上は軍勢を動かすか否かについて、これまで通り御自身が判断すると定められた。急ぎの知らせは俺を経ずに直接父上へ届けてよく、兵の備えについても山城守と下野守が従来の役目を続ける。俺が関わるのは、平時に届く報告を整理し、軍事や国人との交渉が互いにどう関わるかを確かめるところまでだった。

 

 目賀田次郎左衛門尉には、不破へ遣わす使者に掛かる費えを、従来の勘定と分けずに扱うよう命じられた。俺が新たな役目を得たからといって、勝手に銭を使えるわけではない。贈答が必要となれば目賀田へ相談し、父上の許しを得る。使者の人数や往来の回数が増えれば費えも嵩むのだから、今までの勘定から切り離して考える理由はなかった。

 

 こうして一人ずつ意見を聞いていくうちに、俺の役目も少しずつ明らかになってきた。

 

 最後に父上から、今の話で引き受けられるかと問われた。

 

 俺は一度、座に並ぶ六人の顔を見渡した。誰もがすでに自分の役目を持ち、俺より長く六角を支えている者ばかりだ。

 

 対馬守は国人との交渉を進め、後藤は坂田を治め、加賀守は家同士の約束を確かめている。山城守と下野守は軍勢に関わる仕事を担い、目賀田は銭や物資の出入りを預かっている。

 

 その働きを横から動かそうとすれば、かえって仕事を滞らせるだろう。俺に求められているのは、それぞれが知っていることを結び付け、父上が判断する前に見落としがないか確かめる役目だった。自分で全てを決められるわけではないし、分からないことも多い。だからこそ、六人の力を借りなければならない。

 

「謹んでお引き受けいたします。ただ、一人でできることには限りがございます。皆様には、今後とも御教示をお願いいたします」

 

「うむ。ならば、明日から始めよ。まずは今ある書付を読んで、何を誰へ確かめるべきか考えてみるがよい。分からぬことを分からぬまま儂のところへ持ってくるなよ」

 

 父上の言葉に、座の空気が少し和らいだ。

 

 次郎は隣で俺の方を見ていたが、目が合うと小さく頷いてくれた。先ほど山城守と軍勢の動かし方について話していた弟にとっても、これから不破に関わる仕事が増えれば興味を持つことは多いはずだ。

 

 ただし、次郎自身に新たな役目が与えられたわけではない。評定が終わると、あいつは先ほどの話の続きを山城守へ尋ねに行き、俺は残った書付を弥太郎へ渡して片付けを手伝った。

 

 *

 

 その日の夕方、部屋へ戻ると、弥太郎が机の上を二つに分けていた。

 

 片方には坂田に関わるもの、もう片方には不破の国人についての書付が置いてある。その間には、どちらへ入れるべきか迷ったらしい紙が幾枚か残されていた。俺が一枚を拾い上げると、坂田から不破へ荷を運ぶ商人の訴えで、道の途中で銭を求められた場所について記されている。

 

 確かに、どちらか一方へ分ければ済む話ではなかった。坂田の市に関わることでありながら、原因を確かめるには不破の事情も知らなければならない。今後はこうした書付が俺のところへ集まることになるのだろう。

 

「弥太郎。この真ん中に置いてあるものは何だ」

 

「若様が新しい役目を引き受けられたおかげで、行き場のなくなった書付にございます」

 

「新しい役目を引き受ける前からあったものだろう」

 

「それまでは、後藤様へ送るか対馬守様へ送るかで迷っておりました。これからは若様のところへ置けばよいので、少し楽になりましたな」

 

 弥太郎が平然と言うので、俺は紙を持ったまま顔を見た。

 

 楽になったのは誰なのか問いただしたかったが、その前に別の書付へ目が留まった。

 

 数日前に目賀田へ確かめるよう頼んでいた、六角直轄の市における徴収に関する報告だった。後藤からの添書もあり、これまで残っていた幾つかの確認が終わったことが記されている。

 

 楽市の改め方についてはすでに父上の了承を得ていたが、実際に市で何を残し、何を止めるのかを確かめる仕事は続いていた。

 

 今のところ、父上から新たに預かった不破の仕事と、以前から進めていた楽市の改革が重なることになる。

 

 どちらも途中で投げ出すわけにはいかないが、だからといって全ての書付を自分の手元へ集めればよいわけでもない。弥太郎が机を分けていたのは、俺が混乱しないようにという理由もあるのだろう。

 

「これはいつ届いた」

 

「昼過ぎにございます。若様が評定へ出ておられましたので、ほかの書付と一緒に預かっておりました」

 

 俺は机へ座り直し、後藤の添書から先に読んだ。

 

 以前は徴収の理由さえ曖昧だったものについても、誰が銭を受け取り、どの仕事へ使っていたのかが整理されている。橋の修繕や渡し舟に関わる負担は残し、役目の確かめられなかった徴収は止める。必要な仕事であっても、同じ荷に似た名目で重ねて銭を取っていたものは扱いを改める。

 

 その方針は以前から定めていた通りで、今回の報告には各市で実際にどう処置するかが書き加えられていた。

 

 後藤の添書には、従来の徴収で暮らしを立てていた者への手当てについても触れられていた。

 

 橋を見回る仕事を続ける者には、その働きに応じた負担を残す。一方、名目だけが残り、仕事を果たしていない者には今後銭を取らせない。徴収を止めれば収入を失う者もいるが、そのためだけに不要な負担を残すわけにはいかない。

 

 全ての不満が消えたとは書かれていないものの、少なくとも誰が何を失い、何を続けるのかは確かめられたらしい。

 

 俺は未確認と記された箇所を探したが、目賀田から届いた紙の端には、最後まで残っていた二件についても返答を得た旨が書き込まれていた。

 

 三年前に考え始めたことが、ようやく施行の日を決められるところまで来たようだった。

 

「若様。これで、楽市の方も進められますか」

 

「そうだな。まだ父上へ最終の報告をしなければならんが、施行の日を決める段階には来たようだ。……もっとも、今日の書付を見る限り、そなたは不破の方を先に片付けてほしいらしいな」

 

「どちらも片付けていただければ、私が助かります」

 

「随分と正直だな」

 

 そう返すと、弥太郎は笑いながら紙を揃え直した。

 

 楽市に関する書付だけを一つにまとめ、父上へ持っていくものと、目賀田へ返すものを分けてくれる。俺も手伝おうとしたが、机の上の別の束へ手を伸ばすよう促された。不破の新しい役目が増えたばかりで、書付の整理まで全て自分でする必要はないということらしい。

 

 確かに、何もかも自分の手元で確かめていては、仕事が増える一方だ。弥太郎も小姓たちも、以前から書付の整理を手伝ってくれている。今更その仕事まで取り上げる理由はないだろう。

 

 俺は素直に任せることにし、まだ目を通していなかった不破の書状を開いた。

 

 数日後、平井加賀守が俺を訪ねてきた。

 

 評定で交わした文の話に続きがあるのかと思ったが、手にしていたのは不破の書状ではなかった。平井家の領内にある市について、徴収の扱いを調べさせた結果だという。

 

 俺が思わず顔を上げると、加賀守はいつもの落ち着いた様子で紙を差し出した。

 

「右衛門督様。楽市の改めに、平井も加わりとうございます。直轄の市と同じ日に始められるのであれば、こちらもそれに合わせたいと存じます」

 

 予想していなかった申し出だった。

 

 父上から許しを得ているのは六角直轄の市に関する改めであって、国人の領内へ一方的に同じ決まりを広げるつもりはなかった。

 

 それぞれの家が持つ市には、以前からの権利や取り決めがある。六角で新しい方針を定めたからといって、国人たちへ当然のように従わせるわけにはいかない。

 

 加賀守もそのことは承知しているらしく、参加するのであれば平井家の責任で市の者たちへ申し渡し、従来の権利を持つ者との調整も済ませると説明した。

 

 差し出された紙には、銭を取る場所と仕事の内容が記されており、すでに家中で一通り確かめた跡があった。橋の維持や渡しに関わる費えについても、従来の扱いを調べた上で残すべきものを分けているらしい。

 

「加賀守殿。御領内のことまでお調べになっていたのですか」

 

「倅から、随分と話を聞かされましてな。初めは商人から取る銭を減らす話かと思っておりましたが、そう単純ではないようで。橋を直す銭までなくしては、結局こちらが困ると申しておりました」

 

「弥太郎が、そのようなことを」

 

「ええ。話が長いのは誰に似たものやら。最後には、我が家でも調べてみぬことには分からぬと言い出しましたので、試しに帳面を持ってこさせたのです」

 

 俺は返す言葉を探しながら、加賀守の書付へ目を落とした。

 

 弥太郎が楽市の仕事に関わってきたのは確かだが、父親にまで詳しい話をしていたとは知らなかった。

 

 もっとも、加賀守は倅に勧められたから参加するのだとは言わない。領内の市を調べ、徴収を改めても必要な仕事を続けられると判断したからこそ、こうして書付を持ってきたのだろう。

 

 紙の端には、橋の維持に必要な人足について別に記してあり、そのための負担は今まで通り残したいと説明された。

 

 俺も橋を直す仕事までなくしてほしいわけではない。何のために銭を取り、誰がその仕事を果たしているのかが明らかになっているのであれば、改めるべきところも判断しやすいだろう。

 

「平井家でそこまでお決めになっているのであれば、異を唱える理由はございませぬ。ただ、直轄の市と同じ日に始めることになる以上、先に父上の御裁可をいただく必要がございます。それまで、領内への申し渡しはお待ちいただけますか」

 

「承知しております。御屋形様の御許しが出るまでは、まだ準備の内に留めましょう。ただ、日が決まってからでは慌ただしゅうなりますゆえ、先にお伝えしておこうと思いましてな」

 

 加賀守はその後、商人の扱いについて二、三の点を確認すると、別の用向きがあると言って席を立った。

 

 俺は見送りながら、手元の書付をもう一度確かめた。

 

 直轄の市だけでも調整に時間が掛かったというのに、平井家では弥太郎の話をきっかけに自領の帳面まで調べている。加賀守の几帳面さをよく知っているつもりだったが、今回は少し驚かされた。

 

 平井家が参加するなら、ほかにも同じように考えている家があるかもしれない。ただし、そのために施行日を先延ばしにするつもりはなかった。

 

 今回の改革は直轄の市だけでも始められるよう準備を進めてきたものであり、参加する家が増えることを理由に、すでに整った仕事を止める必要はないからだ。

 

 加賀守が帰った後、俺は早速弥太郎を呼んだ。

 

 楽市について父親へ話していたことを問いただすつもりだったが、当の本人は何の用向きか分からない様子で部屋へ入ってきた。机の上に平井家からの書付が置かれているのを見付けると、何か思い当たったらしく、少しだけ表情を変えた。

 

「弥太郎。そなた、加賀守殿へ楽市の話をしていたのか」

 

「……父上が何か仰いましたか」

 

「平井家でも改革に加わりたいと申し出てくださった。そなたから随分と話を聞いたそうだが、何も聞いていなかったぞ」

 

「若様から、父上へ話してはならぬとは言われておりませなんだので。それに、まだ父上が参加を決めたわけではございませんでしたから、お伝えするほどのことでもないかと」

 

 弥太郎はそう言いながら、加賀守から届いた書付を手に取った。父親の筆跡を見慣れているのか、内容を確かめるより先に、随分と細かく調べたものですなと笑っている。

 

 俺が隣へ座るよう促すと、弥太郎は平井領内の市について、以前から父親に気になることを尋ねられていたと話してくれた。

 

 最初は六角の直轄市で何を変えるのかという程度だったらしいが、やがて商人から取る銭の使い道や、橋を修繕する人足のことまで話が及んだという。加賀守も領内の市で似たような徴収を行っているだけに、話を聞くうちに自分の領地ではどうなっているのか気になったのだろう。

 

「父上も、初めは銭を取らなくするだけの話だと思っておられたようです。ですが、若様が橋や渡しの仕事までなくしてはならぬと仰っていたことを伝えますと、それなら平井の市でも調べてみる価値があると申されまして」

 

「それなら、先に教えてくれてもよかっただろう」

 

「まだ決まってもおりませぬのに、平井家も加わりますなどと申し上げるわけには参りませぬ。それこそ父上に叱られます」

 

 もっともな返答だった。

 

 弥太郎は俺の近習であると同時に、平井家の嫡男でもある。父親へ政策について話すことと、家としての判断を代わりに下すことは違う。加賀守自身が調べ、参加するだけの理由があると判断したのであれば、俺から余計なことを言う必要もなかった。

 

 それに、加賀守が今回の改革について考えるきっかけを作ったのが弥太郎だったというのは、少し嬉しくもあった。

 

 普段は俺の側で書付を整理し、仕事を増やすなと小言を言っている男だが、話を聞いているだけで何も考えていなかったわけではないらしい。

 

「それにしても、そなたがそこまで楽市のことを気に掛けていたとは知らなかったな」

 

「三年も若様のお側で話を聞いておりますから、嫌でも覚えまする。以前は余計な銭を取らせぬと仰っていたのに、今では残す銭のことまで考えておられる。父上に説明するにも、昔のお話では間違ってしまいますからな」

 

「嫌でも、というのは余計だぞ」

 

「では、よく勉強させていただいたことにしておきます」

 

 俺が睨むと、弥太郎は悪びれもせずに笑った。

 

 腹立たしいことに、その言い分は間違っていない。最初に考えていた制度と、今実施しようとしているものには違いがある。

 

 商人の負担を軽くすることばかり考えていた頃には、銭を取ることで維持されている仕事を十分に見ていなかった。橋の修繕や渡し舟の維持には人も物も必要であり、そのための費えまでなくしてしまえば、かえって往来する者が困ることになる。そうしたことを一つずつ確かめながら、今の方針へ改めてきたのだ。

 

 弥太郎は書付を元の位置へ戻すと、父親が参加を申し出たことについて、改めて礼を言う必要はないと付け加えた。平井家にとって利益があると判断したからこそ、自分たちで準備を進めたのであって、俺のためだけに参加するわけではないという。

 

 俺はその言葉に頷き、加賀守への返答を用意することにした。

 

 弥太郎にも何か手伝わせようとしたが、すでに別の書付を抱えているからと断られた。机へ目を向けると、不破に関する新しい報告が幾枚か増えている。どうやら俺が楽市の方へ気を取られている間にも、対馬守たちは仕事を進めてくれていたらしい。

 

 それから数日もしないうちに、今度は蒲生下野守から同じような申し出が届いた。

 

 日野の市について、六角の直轄市と同じ方針で徴収を改めたいという。ただし、蒲生領内の全ての市を一度に変えるという話ではなく、すでに調整を済ませた市に限って参加したいという内容だった。

 

 従来の権利を持つ者との話し合いも蒲生家で行い、六角へ新たな負担を求めるつもりはないと記されている。

 

 俺は使者へ幾つか確認した後、目賀田を呼んで平井家と蒲生家の書付を見せた。

 

 目賀田は二つを読み比べ、参加する市ごとに徴収の額が異なることを指摘したものの、制度の基本方針には反していないと判断した。

 

 そもそも橋や渡しに掛かる費えは土地ごとに違う。使う者の数も、必要な人足も同じではないのだから、金額まで揃える必要はなかった。商人へ何のために銭を求めるのかを明らかにし、不当な重複徴収を認めないことが大切なのだ。

 

「では、直轄の市と合わせて進められそうか」

 

「はい。ただし、御屋形様の御裁可をいただく前に、参加する市を確定させておくべきでしょうな。今から申し出る家を際限なく受け入れていては、施行の日を決められませぬ」

 

「それは考えていた。平井と蒲生のほかにも望む家があるかもしれんが、今回に間に合わぬからといって、直轄の市まで待たせるわけにはいかない」

 

 目賀田は頷き、すでに準備を終えている家に限って今回の施行へ加えるのがよいと答えた。

 

 俺もその方針で書付を整え、父上へ報告することにした。ほかの国人へ改めて参加を募り直すようなことはせず、今回間に合わなかった家については、施行後に別途相談を受ければよい。

 

 全ての家が同じ制度を望んでいるわけではなく、従来の権利を変えることに抵抗を覚える者もいるはずだった。参加する家があるからといって、そうでない家にまで同じ扱いを求める理由はないだろう。

 

 *

 

 三月も半ばを迎えた頃、父上へ楽市についての最終報告を行った。

 

 後藤但馬守と目賀田次郎左衛門尉にも同席してもらい、直轄市の調査結果と、平井家、蒲生家からの参加希望をまとめて説明した。

 

 以前の評定で定めた方針を改める必要はなく、今回確かめていただきたいのは、実際に施行する市の範囲と開始日だった。

 

 調査を始めた頃には、徴収を行っている場所や名目を確かめるだけでも時間が掛かっていたが、今では必要な仕事と、それに伴う負担を市ごとに整理できている。ようやく実施の段階まで漕ぎ着けたのだと思うと、少し感慨深いものがあった。

 

 父上は書付を読み終えると、まず後藤へ、徴収を廃止することで現地の仕事に支障が出ないかと尋ねられた。

 

 後藤は橋や渡しなど、必要な仕事に関わる負担は残してあり、調整が難しかった箇所についても現地で確認を終えていると答えた。

 

 目賀田も、徴収の額や使い道を市ごとに記録し、施行後に問題があれば以前の扱いと比較できるよう整えていると説明した。

 

 新しい取り決めを始めた途端、これまでの仕事が立ち行かなくなるようでは困る。二人がそれぞれの立場から確かめてくれたことは、今回の施行に踏み切る上でも大きかった。

 

「では、いつから始めるつもりじゃ」

 

「三月二十五日を考えております。直轄の市については全て準備が整っており、平井家と蒲生家も、それまでに領内へ申し渡すことができるとのことでございます」

 

「直轄の市を一つずつ始めるのではなく、同じ日に改めるということじゃな」

 

「はい。準備が整った市から順に始めれば、商人の往来にも影響が出ましょう。今回は全ての直轄市と、参加が決まった国人領の市で、同じ日に施行したく存じます」

 

 父上は後藤と目賀田へ目を向けられた。

 

 二人ともすでに日程について相談していたので、特に異論はなかった。平井家と蒲生家についても、各家が自らの責任で準備を整えていることを確認すると、父上は書付を机へ戻された。

 

 今回の改めは、直轄市だけであれば六角の判断で進められる。しかし、平井家と蒲生家が参加するとなれば、各家の領内で従来の権利を持つ者たちへも申し渡さなければならない。

 

 準備が整っているという報告は受けているものの、施行後に何も問題が起きないとは限らなかった。その点についても、父上は二人へ改めて確かめられた。

 

「よかろう。その日に始めよ。ただし、国人領については、今回参加せぬ家へ同じことを求めるな。自ら望んで加わる者と、従来のやり方を続けたい者とは分けて扱え」

 

「承知いたしました」

 

「それから、始めた後に商人から訴えがあれば、きちんと確かめさせよ。今度は新しい決まりを盾にして、余計な銭を取ろうとする者が出ぬとも限らんからな」

 

 父上はそう仰ると、後藤と目賀田へ施行後の確認を命じられた。

 

 俺が引き続き全ての市を見て回る必要はなく、改めて判断を要する事柄が生じた時だけ報告を受ければよいという。

 

 先日から不破の仕事を任されていることもあり、父上としては俺の持ち場を増やし過ぎるつもりはないらしかった。もっとも、これまで三年掛けて進めてきた仕事である。後藤と目賀田へ任せるからといって、その後の様子まで知らずにいてよいとは思わなかった。

 

「右衛門督。三年前に始めたことも、ようやくここまで来たな」

 

「はい。随分と長く掛かってしまいました」

 

「長く掛けたからこそ、分かったこともあろう。だが、これで終わりと思って帳面を放り出すなよ。日々の仕事は後藤と目賀田へ任せればよいが、そなたが始めたことなのだからな」

 

「心得ております」

 

 そう答えると、父上は満足されたように頷き、次の書付へ手を伸ばされた。すでに別の用向きが待っているのだろう。

 

 俺も後藤と目賀田へ一礼し、施行に向けた最後の手配を進めるため、部屋を辞した。

 

 それからの日々は、思っていた以上に慌ただしかった。

 

 各市へ定めた日を伝え、従来の徴収を行っていた者たちへ改めて取り決めを申し渡す。商人にも変更の内容が分かるよう、市を預かる者たちには人の集まる場所で告知させた。平井家と蒲生家へも同じ施行日を知らせ、それぞれの領内で準備を進めてもらう。

 

 直轄の市については後藤と目賀田が手分けして確認していたので、俺のところへ届くのは、判断を要するものと準備が終わったという知らせが中心だった。

 

 それでも、新たな取り決めを始めるとなれば、細かな疑問はいくらでも出てくる。

 

 以前から銭を納めていた者が、今後は何処へ納めればよいのかと尋ねてきたり、橋の維持に必要な負担が従来と変わらないことを確かめたいと申し出たりする。

 

 市によって事情が違うため、書付を読んだだけでは分からないところもあったが、その都度現地を預かる者から説明を受け、決めていた方針に従って処置することになった。

 

 その間にも、不破の報告は届いていた。

 

 対馬守からの書状には、国人たちとの交渉について新たに確かめたことが記されており、俺も平井加賀守の意見を聞きながら返答を考えていた。

 

 楽市の施行が近いからといって、そちらの仕事を止めるわけにはいかない。父上から任された役目は、各家から届く報告をまとめ、必要な判断を仰ぐことである。対馬守が使者を動かし、後藤が坂田の仕事を進めている以上、俺のところで書付を止めてしまうようなことは避けなければならなかった。

 

 弥太郎も俺の机へ運ぶ書付を以前より細かく分けるようになり、時には俺が読み終えるより先に、返事を急ぐものを選び出していた。

 

 小姓たちにも用向きに応じて文箱を分けさせているらしく、以前の報告を確かめたい時には、それほど時間を掛けずに探し出せるようになっている。

 

 ある日、俺が楽市の書付を探していると、弥太郎が机の端から一枚を抜き出して差し出した。

 

 すでに目を通したはずなのに見当たらず、あちこち探していたところだったので、思わず礼を言うと、弥太郎は少し得意そうな顔をした。

 

「若様が何処へ置かれたか忘れてしまわれるので、最初から分けておいた方がよろしいと思いまして」

 

「そなた、こちらが忘れることを前提に仕事をしているのか」

 

「以前からでございます」

 

 あまりにも当然のように答えるので、俺は思わず笑ってしまった。

 

 確かに、弥太郎がいなければ、これほど多くの書付を整理するだけでも相当な手間が掛かっていただろう。最近は小姓たちも仕事に慣れ、必要なものを取り次ぐだけでなく、以前の報告を探し出すこともできるようになっている。

 

 俺が何もかも自分でやろうとすれば、かえって皆の仕事を増やしてしまうのかもしれない。

 

 弥太郎が差し出した紙には、施行を控えた市で最後に確かめるべきことが記されていた。以前なら自分で現地へ足を運びたくなったところだが、今は役人たちの報告を待てばよい。

 

 必要な仕事を任せ、その結果を受け取って判断する。そのやり方にも、少しずつ慣れてきたように思えた。

 

 *

 

 三月二十五日、六角直轄の市と、今回参加を申し出た平井家、蒲生家の市で、新しい取り決めが一斉に施行された。

 

 俺はその日、観音寺からほど近い直轄の市へ足を運んだ。

 

 以前から何度か様子を見に来ていた場所だったが、今日の市にはいつもより多くの者が集まっているように見えた。商人たちの中には新しい取り決めを聞きに来た者もいるらしく、市の入口近くでは役人が幾人かに囲まれていた。

 

 荷を運ぶ者たちが立ち止まって話を聞いているため、通り道が少し狭くなっていたが、役人が場所を移すよう声を掛けると、人の流れはほどなく戻った。

 

 市の中では、普段と変わらず商いが行われている。

 

 荷を積んだ馬が通り、商人たちが品を並べ、買い物に訪れた者たちが声を掛け合っていた。今日から取り決めが変わるといっても、市の様子が一変するわけではない。新しい決まりを知らずに来た者もいるだろうし、以前と同じように銭を用意している商人もいるはずだった。

 

 市を預かる者から説明を受け、俺も徴収の様子を確かめた。

 

 以前は同じ荷について似た名目で銭を求められていた場所でも、今日からは取り決めに従って扱われている。橋や荷置き場の維持に必要な銭は残されていたが、その理由と額は商人にも伝えられていた。

 

 もっとも、全ての者が一度の説明で納得するわけではない。以前と何が違うのか尋ねる商人もおり、役人たちは用意していた書付を確かめながら答えていた。

 

 同じ銭を納めるにしても、何のために求められているのかが分かれば、払う側の受け止め方も違うだろう。しかし、理由が明らかになったからといって、負担そのものを軽く感じるとは限らない。商人にとっては手元から銭が出ていくことに変わりはなく、納得できないところがあれば尋ねるのも当然だった。

 

 俺が様子を見ていると、荷を運んできた商人の一人が、これまでは取られていなかった銭まで新たに求められるのではないかと尋ねてきた。

 

 俺はその場で答えることを避け、市を預かる役人に説明させた。

 

 今回の改革は新たな徴収を増やすためのものではなく、従来の負担を整理したものである。必要な仕事に関わる銭は残すが、役目のない徴収や重複していた負担は改める。

 

 役人はそのことを一つずつ説明し、商人からの問いにも用意していた書付を示しながら答えていた。

 

 商人は何度か質問を重ねた後、ようやく得心したらしく、荷を運ぶ者へ声を掛けて歩き出した。

 

 俺が横から説明してしまえば、話はもう少し早く終わったかもしれない。しかし、これから市を預かる者たちが新しい取り決めを運用していく以上、役人自身が説明できなければ困る。今日ここへ来ている商人だけに説明して済む話ではないのだから。

 

 市を離れる前に、俺は役人へ、今日のうちに寄せられた訴えや疑問をまとめておくよう命じた。

 

 施行初日である以上、普段とは違うことも起きるだろう。書付を読んでも分からない者がいれば、改めて説明する必要もある。しかし、それを理由に取り決めを勝手に変えられては困る。

 

 判断に迷うことがあれば後藤か目賀田へ知らせ、必要な場合には父上の裁可を仰ぐよう申し付けた。今のところ大きな混乱は見られなかったが、今日一日で全てが分かるわけでもない。しばらくは現地から届く報告を確かめていくことになるだろう。

 

 観音寺へ戻ると、別の直轄市からも報告が届き始めていた。

 

 同じ日に施行したとはいえ、各地の様子が一斉に分かるわけではない。遠方の市については知らせが届くまで幾日か掛かるし、今日の仕事が終わってから初めて分かる問題もあるだろう。

 

 俺はまず手元に届いた報告へ目を通し、大きな混乱が起きていないことを確かめると、残りは後藤と目賀田からの知らせを待つことにした。

 

 それから数日のうちに、各地の報告が揃った。

 

 平井家からは、領内の市で新しい取り決めを申し渡し、予定通り施行したとの知らせが届いている。

 

 蒲生家でも同じ日に改革を始めており、商人から幾つか質問があったものの、特に大きな問題は生じていないという。六角直轄の市についても、施行そのものは滞りなく進んだらしかった。

 

 ただし、従来の徴収に関わっていた者から不満が出た場所もあった。

 

 仕事を失う者がいる以上、全てを喜んで受け入れてもらえるとは考えていない。以前から得ていた銭がなくなることを不満に思う者もいれば、新しい取り決めでは自分の仕事がどう扱われるのか、改めて説明を求める者もいるだろう。

 

 後藤はすでに現地の役人へ事情を確かめさせており、目賀田も新しい取り決めに反する徴収が行われていないか確認を続けている。

 

 今すぐ制度を改め直す必要のある問題は見付かっておらず、俺も二人の判断に任せることにした。

 

 施行したばかりの取り決めを、その場その場で変えていては、商人も役人も何に従えばよいのか分からなくなる。まずは決めた通りに運用し、実際に不都合があると分かったところを確かめればよいだろう。

 

 父上へ施行の結果を報告すると、直轄の市と参加した国人領の市で、予定通り始められたことを労っていただいた。

 

 俺は今後の確認を後藤と目賀田へ任せることを伝え、父上もそれを認められた。

 

 楽市については、これで当初予定していた改革を一通り終えたことになる。新たに問題が起きれば対応する必要はあるが、少なくとも今回の施行を巡って、改めて大きな評定を開く理由はなかった。

 

 最初にこのことを考え始めた頃は、商人から取られる余計な銭をなくせば、それだけで市の往来が増えるのではないかと思っていた。

 

 しかし、実際に調べてみれば、徴収された銭で維持されている仕事もあり、古くからの権利によって暮らしている者もいる。それらを一度に改めようとすれば、商人のために始めたことが、別の者の暮らしを脅かすことにもなりかねなかった。

 

 後藤や目賀田たちが調べを進めてくれたからこそ、何を残し、何を改めるべきかを考えられたのだと思う。

 

 今後も問題がないとは言えないが、少なくとも施行に必要な仕事は終わった。三年掛けて進めてきたことに、ようやく一つの区切りが付いたのだった。

 

 部屋を辞して自室へ戻ると、弥太郎が机の上にあった楽市の書付を片付けていた。

 

 これまではいつでも取り出せるよう手元へ置いていたものだが、今日からはほかの帳面と一緒に保管して構わない。今後の報告も後藤と目賀田から必要なものが届くことになるのだから、俺の机へ全て並べておく理由はなかった。

 

 俺がそう告げると、弥太郎は嬉しそうに紙を揃え、文箱へ収めていった。

 

「若様。これでようやく、楽市の書付が片付きますな」

 

「そうだな。長かったが、何とか終わった」

 

「では、机も少しは広く使えるようになりますか」

 

「そうなればよいが……」

 

 俺が言い終えるより先に、廊下から小姓が声を掛けてきた。

 

 三雲対馬守から新しい書状が届いたという。

 

 弥太郎は俺の顔を見て小さく笑い、空いたばかりの机へ文箱を一つ運んできた。

 

 中身を確かめると、不破の国人たちとの交渉について、幾つか新しい返答が入っている。今日で楽市の書付が片付いたところだったが、父上から預かった役目はまだ始まったばかりである。

 

 対馬守がこれまで通り交渉を進めている以上、その返答が届けば、こちらも必要なことを考えなければならなかった。

 

「若様。楽市の次は、こちらにございますな」

 

「分かっている。だが、せめて片付けたばかりの場所へ置いてくれ。今度は何処に何があるか分からなくなるぞ」

 

「それでしたら、最初から私にお任せくださればよろしいのです」

 

 弥太郎はそう言って、机の中央へ書付を並べ始めた。

 

 俺も隣へ座り、対馬守から届いた文を一通ずつ開いていく。最初の書状には、不破の国人から寄せられた返答のほかに、こちらから遣わした使者が新たに確かめたことが記されていた。

 

 以前の報告と照らし合わせる必要がありそうだったので、弥太郎へ声を掛ける。

 

「弥太郎。先日の不破の帳面を出してくれ。それと、加賀守殿へ見せた返書の写しも頼む」

 

「承知いたしました。……若様、先ほどまで机が広くなると喜んでおられたのではございませぬか」

 

「喜んでいたのはそなただろう」

 

「そうでございましたか。では、今度こそ私も喜べるよう、早めに片付けていただきとうございますな」

 

 弥太郎は笑いながら文箱を開き、必要な書付を取り出した。

 

 俺は差し出された帳面を受け取り、不破から届いた新しい報告と並べて読み始めた。

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