淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

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2026/10/22 文章整理


第七十二話「次代を託す者たち」

 永禄五年四月に入ると、観音寺城へ届く報告にも少しずつ変化が見え始めた。坂田からは村々の年貢や所領の扱いについて、なお確認を要する事柄が届いているものの、城や村を受け取ったばかりの頃に比べれば、急ぎの使者が駆け込んでくることも少なくなった。不破でも国人たちとの交渉が続いているが、今のところ兵を動かさねばならぬような知らせはない。

 

 もっとも、何も起きていないからと安心してよい土地でもなかった。美濃の一色家が国人たちへ求める軍役については、いまだ明らかになっていないところも多い。三雲対馬守定持には引き続き注意を払わせ、確かな話が得られれば知らせるよう命じてある。

 

 先月末には、四郎が進めていた楽市の改めも無事に施行された。六角直轄の市に加え、平井と蒲生の市でも同じ日に新しい取り決めが始まっている。後藤但馬守賢豊と目賀田次郎左衛門尉忠朝から届いた報告を見る限り、大きな混乱は起きておらぬらしい。徴収を改められた者の不満まで消えたわけではないが、その辺りは二人に任せておけばよかろう。

 

 実際に始めてみなければ分からぬこともあるだろうし、問題が生じれば現地で事情を確かめた上で判断すればよい。四郎には不破に関わる仕事も預けたばかりであり、いつまでも楽市の帳面を抱え込ませるつもりはなかった。

 

 その四郎について、近頃は家臣たちから話を聞く機会が増えている。

 

 以前なら何か新しいことを始めようとしているとか、また細かなところまで調べているとか、そうした話が多かった。今では後藤から坂田の仕事について相談を受け、三雲から不破へ返す文について意見を求められることもあるという。

 

 先日の評定で仕事を預けたことも無関係ではあるまいが、儂が命じただけで家臣たちの見方まで変わるものではない。共に仕事を進める中で、四郎自身の働きぶりを認めるようになったのだろう。

 

 そんな折、後藤から一つの申し出があった。

 

 次男の後藤喜三郎高治を、右衛門督の近習として仕えさせたいという。

 

 後藤家にはこれまで幾度も力を借りてきたが、後藤から息子の出仕について改めて願い出られたことはなかった。家中の仕事を覚えさせるのであれば、父親の側に置く方が早いはずである。まして後藤は坂田の統治を預かっており、日々の仕事を通じて教えられることも多かろう。

 

 何か考えがあるのだろうと思い、返答は少し待たせることにした。

 

 ところが翌日には、三雲からも似た申し出が届いた。

 

 こちらは次男の三雲成持を、やはり四郎の近習として出したいという。

 

 三雲は不破の交渉を任せている最中であり、先日の評定でも四郎との仕事の分担について確かめたばかりだ。実際に使者や書状を取り次ぐ者が必要になったのかとも思ったが、申し出の文には今後は右衛門督の側で仕えさせたいとある。単に使番を一人増やしたいという話ではなさそうだった。

 

 さらに数日後、甲賀の山中為俊からも息子の山中長俊を出仕させたいと申し出があった。

 

 山中家は後藤家や三雲家とは家中での立場が異なるものの、六角を支える甲賀の有力な家の一つである。その息子まで加わるとなれば、さすがに偶然として片付けるわけにもいかぬ。

 

 三家が示し合わせたという話は聞いていないが、同じ頃に四郎の側へ子弟を出そうと考えた理由は、確かめておく必要があった。

 

 儂は三名へ、日を定めて登城するよう伝えた。

 

 別々に話を聞いてもよかったが、互いの申し出を知らぬまま進めるより、最初から同じ席で確かめた方がよい。三家の息子を受け入れるだけなら難しいことではない。それでも、近習として誰を迎え、どのような立場で仕えさせるのかは、こちらが決めておかねばならなかった。

 

 *

 

 約束の日、後藤、三雲、山中の三名が揃った。

 

 六人衆を集める評定ではなく、儂が三家の申し出について話を聞くために設けた席である。三名とも用向きは承知しており、後藤と三雲は互いの顔を見ても特に驚いた様子を見せなかった。山中だけは幾分緊張しているようで、座に着いてからも背筋を伸ばしたままでいる。

 

 家中での立場を考えれば無理もないが、今日は誰が優れているかを比べるために集めたわけではなかった。

 

「三人とも、右衛門督の近習として子を出したいと申してきたな。儂としても、右衛門督の側に仕える者が増えること自体は構わぬ。だが、何故今なのか、それぞれの考えを聞いておきたい」

 

 最初に答えたのは後藤だった。

 

 膝の前へ手を置き、儂を見上げてから、喜三郎については以前から家の外で仕事を覚えさせるつもりだったと話し始めた。

 

 後藤家の次男として武芸や書付の扱いを学ばせてきたものの、父親の指図を受けて動くばかりでは経験が偏るという。後藤家の中でできることにも限りがあり、いずれ他家の者と仕事をするようになれば、それまでとは違う考え方を求められることもあるだろう。

 

 そこで儂が、何故四郎なのかと尋ねると、後藤は少し間を置いて答えた。

 

「右衛門督様が、これから六角を担われる御方だからにございます。某もいつまでも御屋形様のお側で仕事を続けられるわけではございませぬ。今のうちから倅にも、次の代の御役に立てるようになってもらいたいと考えております」

 

「随分と先の話をするな、但馬守。儂はまだ隠居するつもりはないぞ」

 

「それは存じております。御屋形様には、まだまだ我らを働かせていただかねばなりませぬからな」

 

 後藤が平然と返したので、儂も思わず笑ってしまった。

 

 後藤には若い頃から随分と世話になっている。こちらが無理を言えば言い返すこともあるし、仕事が増えれば顔をしかめることもある。それでも必要な時には必ず力を貸してくれる男だ。

 

 その後藤が自分の息子の将来を口にするのを聞くと、こちらまで少し年を取ったような気がしてくる。

 

「喜三郎を儂のところではなく、右衛門督へ預ける理由はそれだけか」

 

「いえ。それだけなら、もう少し先でもよろしかったでしょう」

 

 後藤はそう言うと、坂田での仕事について触れた。

 

 新しく得た土地では、村々からの申し出を受けるだけでも手間が掛かり、浅井の頃の取り決めをどう扱うかという問題もある。四郎は当初、現地の帳面を細かく確かめたがっていたものの、最近では後藤が判断すべきことと、儂の裁可が必要なことを分けて尋ねるようになったという。

 

 楽市についても、施行前の細かな調整は後藤と目賀田に任せ、必要なところだけ相談するようになっていた。

 

「初めの頃は、右衛門督様から次々に尋ねられるので、こちらの仕事が進まぬこともございました。しかし、今は随分と変わられました。こちらの話を聞き、任せるところは任せてくださる。まだお若いゆえ判断に迷われることもございましょうが、家臣としては仕えやすい御方になってこられたと感じております」

 

「本人に聞かせれば喜びそうじゃな」

 

「それは困りますな。右衛門督様には、まだ覚えていただきたいことが山ほどございます。今のうちから十分にできるなどと思われては、こちらも困りますゆえ」

 

 後藤の答えに、儂は頷いた。

 

 四郎は昔から興味を持ったことを細かく知りたがるところがある。知らぬままにしておくことを嫌い、自分の目で確かめようとするのは悪いことではない。しかし、領国の仕事を何もかも一人で調べようとしては、いずれ手が回らなくなる。

 

 後藤もその点を気に掛けていたのだろう。最近になって人へ任せることを覚えてきたのであれば、家臣として仕える者にとっては大きな違いに違いない。

 

「喜三郎は、そのような右衛門督に仕えることを承知しておるのか」

 

「はい。本人にも話しております。武芸ばかりではなく、政務も覚えねばならぬと申しましたところ、少々顔をしかめておりましたが」

 

「正直な倅じゃな」

 

「まったく、お恥ずかしい限りにございます。ただ、右衛門督様のお側であれば、嫌でも書付に目を通すことになりましょう。某が毎日叱り付けるより、よほど身に付くかと存じます」

 

 後藤はそこまで言ってから、少し真面目な顔に戻った。

 

「御屋形様。某はこれまでお側でお仕えして参りました。倅にもいずれ同じように、主君を支える務めを果たしてほしゅうございます。右衛門督様が家督を継がれる頃には、喜三郎も一人前になっていなければ困りますゆえ、今から御側で学ばせたいのです」

 

 儂はすぐには返事をせず、後藤の顔を見た。

 

 家を継ぐ者と、それを支える者が同じ頃から仕事を覚えていく。言葉にすれば当たり前のことだが、これまで儂の側で働いてきた後藤から言われると、また違った重みがあった。

 

 四郎が家督を継ぐ時、今の重臣たちが全員同じように働けるとは限らない。次の代を支える者も育てておかねばならぬという考えは、儂も以前から持っていたことだった。

 

「よかろう。喜三郎については儂も承知した。ただし、近習になったからといって政務を嫌がってよいわけではないぞ。その辺りは、よく言い聞かせておけ」

 

「承知いたしました。右衛門督様からも遠慮なく使っていただければ幸いにございます。倅に甘い顔をなさる必要はございませぬ」

 

 後藤が頭を下げると、隣の三雲が僅かに姿勢を正した。

 

 儂が目を向けると、三雲は成持について、先ほどの話とは少し違う事情があると前置きした。

 

 成持は三雲家の次男で、すでに使者の往来や書状の扱いについて父親の仕事を手伝う機会があるという。三雲としては、いずれ家中の仕事を担わせるつもりでいたが、今のうちに家の外で経験を積ませたいと考えていたらしい。

 

 甲賀の国人と六角家中では、同じ話であっても扱い方が異なる場合がある。父親の側にいるだけでは、その違いを知る機会も限られるのだという。

 

「右衛門督様は、不破の取りまとめを任されました。今後は国人との交渉だけでなく、坂田や街道に関わる話も多く集まることでございましょう。成持には、そうした仕事を御側で学ばせたく存じます」

 

「そなたの仕事を手伝わせるだけでは足りぬか」

 

「某の側では、どうしても三雲家の都合から物を見ることになります。もちろん、それも必要なことではございますが、右衛門督様のお側であれば、六角全体の事情を見ながら考えねばなりませぬ。次男とはいえ、いずれ家を支える者にございます。その違いを早いうちに知っておいて損はありますまい」

 

 三雲の言葉には、後藤とは違った実際的な考えがあった。

 

 成持を四郎へ仕えさせれば、六角家の中枢で経験を積ませることができる。さらに、四郎と三雲家の間で連絡を取り持つ者が増えることにもなる。双方にとって利益がある話だったが、だからといって何もかも都合よく進むわけではない。

 

 三雲家の次男であっても、四郎の近習となれば、主として仕える相手は四郎になる。

 

「対馬守。成持が右衛門督へ仕えるようになれば、三雲家に関わることでも、そなたの望む通りには動かぬ場合が出てくるぞ。父親の考えよりも、主君の命を優先せねばならぬ時もあろう」

 

「承知しております。それが近習として仕えるということにございましょう。倅を三雲家の使者として右衛門督様のお側へ置くつもりはございませぬ。御役目をいただく以上、右衛門督様の御指図に従わせます」

 

「ならばよい。成持の方はどうじゃ。そなたと離れて仕事をする覚悟はあるのか」

 

「本人からも、御側に仕える機会をいただけるのであれば是非にと申しております。ただ、某の仕事から全く離れてよいと考えているようではございませぬ。三雲家から届く文や使者のことについては、自分にも手伝えることがあると申しておりました」

 

 三雲はそこで少し笑った。

 

 成持がどのような言い方をしたのかは分からぬが、父親としては頼もしくもあり、少々口を出したくもなるのだろう。

 

 儂が息子に仕事を取られるのではないかと尋ねると、三雲は首を横に振った。

 

「取られるほどの仕事ができるようになれば、こちらも助かります。ただし、今のところはまだまだにございます。御屋形様からも、右衛門督様のお側で十分に鍛えていただきとう存じます」

 

「四郎の方が先に参ってしまうかもしれぬぞ。成持まで細かなことを尋ねるようになれば、書付が今より増えそうじゃ」

 

「それもよい経験にございましょう。右衛門督様にも、若い者へ仕事を教えていただく機会になります」

 

 三雲が何食わぬ顔で答えると、後藤まで笑い始めた。

 

 二人とも四郎へ息子を預けたいと言いながら、その苦労についてはあまり心配しておらぬらしい。

 

 もっとも、二人の息子が仕事を覚えれば、いずれ四郎の負担も減るはずだ。最初から思うように動けるとは限らないが、それを教えることも主君の役目である。これまで家臣から教わることの多かった四郎にとっては、また違う経験になるだろう。

 

「分かった。成持についても認めよう。ただし、不破の交渉は引き続きそなたが差配せよ。成持を仕えさせたからといって、右衛門督が三雲家の仕事まで引き受けるわけではない」

 

「心得ております。今後とも某の役目は変わりませぬ。成持にも、そのことは十分に言い聞かせておきます」

 

 三雲が一礼したところで、儂は山中へ目を向けた。

 

 後藤と三雲の話が続いている間、山中は静かに聞いていた。二人とは家中での立場も異なるため、口を挟むのを控えていたのだろう。

 

 儂が長俊について尋ねると、山中は一度頭を下げ、それから顔を上げた。

 

「長俊は、まだ若うございます。但馬守様や対馬守様の御子息と同じように働けるとは申しませぬ。ただ、書物を読むことや文を書き写すことを好んでおりまして、家に置いておくだけでは勿体ないと考えております」

 

「学問が好きな倅か。結構なことではないか。だが、それならば、わざわざ右衛門督の近習とせずとも学ばせる道はあろう。何かほかに考えがあるのではないか」

 

「仰る通りにございます。されど、書物を読むことと、実際に人の役に立つ文を書くことは違いましょう。長俊には観音寺城でどのような仕事が行われているのか、その目で見て覚えてもらいたく存じます。家の帳面ばかり見ていては、知ることのできぬものもございますゆえ」

 

 山中は、長俊が家で帳面を整理する手伝いをすることもあると話した。

 

 ところが、書かれていることに疑問を持つと、仕事の途中でも尋ねてくるらしい。答えてやれば納得することもあれば、別の書付を持ち出して確かめようとすることもあるという。

 

 儂は思わず四郎の幼い頃を思い出した。興味を持ったことを確かめずにはいられぬところが、少し似ている。

 

「それは随分と手の掛かる倅じゃな」

 

「まことに。こちらが急いでいる時ほど、妙なことを尋ねて参ります。もっとも、分からぬまま済ませるよりはよかろうと思い、できる限り答えておりますが」

 

「ならば、右衛門督とは気が合うかもしれぬ。どちらも書付を前にして、いつまでも話しておりそうじゃ」

 

 儂がそう言うと、山中は少し表情を和らげた。

 

 後藤と三雲も笑っていたが、四郎の仕事が増えることについては、三人ともあまり気にしていないらしい。

 

 儂としては、書付を読む者が増えるのは結構なことだが、話し合うばかりで仕事が進まぬようでは困る。長俊にはまず年長の近習や小姓たちから、城での働き方を覚えさせるのがよさそうだった。

 

「山中。そなたの望みは、長俊に仕事を覚えさせることだけか」

 

 そう尋ねると、山中は先ほどよりも深く頭を下げた。顔を上げるまで少し間があったが、答える声は落ち着いていた。

 

「山中家はこれまで六角家にお仕えして参りました。これからも、そのことに変わりはございませぬ。ですが、長俊がいずれ家を支えるようになった時、父の言葉だけを頼りにしていては心許のうございます。右衛門督様の御側で仕え、御考えを知り、同じ仕事に携わることができれば、長俊にとって何よりの経験になりましょう」

 

「なるほど。そなたも右衛門督の代を見据えておるということか」

 

「はい。某自身はこれまで通り御屋形様にお仕えいたします。されど、息子の代になっても六角家との結び付きを確かなものにしておきとうございます。長俊が右衛門督様の御側で役目を果たし、信を得られるのであれば、山中家にとってもありがたいことにございます」

 

 山中はそこで一度言葉を切り、改めて頭を下げた。

 

 後藤や三雲ほど家中の政務に深く関わっているわけではないが、甲賀の国人として六角との関係がどれほど大切かは、よく承知しているはずだった。

 

 儂も山中家を知らぬわけではない。家の者が役目を果たし、代を重ねて六角へ仕えていくことを望むのであれば、その願いを軽く扱うべきではなかった。

 

「分かった。長俊についても受け入れよう。ただし、初めから難しい仕事を任せるつもりはないぞ。まずは城での作法と、近習としての務めを覚えさせる。それでもよいな」

 

「ありがたき幸せにございます。長俊にも、よく言い聞かせて参ります。御側に置いていただけることへ甘えず、務めに励ませます」

 

 山中が頭を下げると、儂は三人を見渡した。

 

 申し出の理由はそれぞれ異なっていたが、誰も軽い気持ちで息子を送り出そうとしているわけではなかった。

 

 後藤は次代を支える家臣を育てようとし、三雲は家の将来と実際の仕事を考え、山中はまだ若い長俊に広い経験を積ませたいと願っている。四郎に対する評価も、期待するものも同じではない。それでも、三人とも息子が四郎の側で働くことに意味を見出していた。

 

 儂は近習として迎えることを認めた上で、三家に出仕の日を揃えるよう命じた。

 

 身の回りの仕事だけでなく、書状や帳面の扱いについても覚えさせることになるだろうが、いきなり役目を細かく決めるつもりはない。本人たちの様子を四郎に見させ、弥太郎らと相談しながら仕事を分ければよい。

 

 三家から来たからといって特別な扱いをする必要はなく、近習として果たすべき務めはほかの者たちと変わらない。

 

「三人とも、息子を預ける以上は右衛門督の指図に従わせよ。父親の名を頼って仕事を選ぶようでは困る。また、右衛門督の近習になったことを理由に、家中で勝手な振る舞いをさせてもならぬ。その辺りは出仕する前によく申し聞かせておけ」

 

「承知いたしました」

 

 三人が揃って頭を下げた。

 

 後藤と三雲には、息子が近習となった後も、それぞれの家で果たすべき役目を疎かにさせぬよう申し付けた。四郎の側に仕えることと、父親の仕事を全て引き継ぐことは違う。

 

 山中にも、長俊が城で暮らすための準備を整えるよう伝えた。若いうちは不慣れなことも多いだろうが、近習として迎える以上、ほかの者と同じように務めてもらわねばならない。

 

 三名には、後ほど右衛門督を交えて話す席を設けることを伝え、一度下がらせた。

 

 後藤と三雲はまだ城内に用向きがあるらしく、山中もそれまで控えているという。儂は三人を見送ると、しばらくその場に残っていた。

 

 後藤は長く儂を支えてきた男であり、三雲にも家中の難しい交渉を何度となく任せてきた。その二人が、今度は息子を四郎へ仕えさせたいと言ってきたのである。

 

 家のためになると考えての申し出であろうし、息子たちに良い役目を得させたいという思いもあるはずだ。儂とて、そうした考えを咎めるつもりはない。むしろ、自らの家と六角の行く末を見据え、次の代のことまで考えてくれているのであれば心強い。

 

 四郎にはすでに弥太郎がいる。

 

 平井の嫡男でありながら、幼い頃から側で仕えてきたため、身の回りのことについては誰よりもよく知っている。近頃は小姓たちも仕事に慣れてきたと聞くが、弥太郎がいることで助けられていることは多いだろう。

 

 そこへ三人が加われば、四郎の仕事の進め方も多少は変わるはずだった。皆が弥太郎のように気安く話せるわけではないし、家ごとの考え方の違いも出てくるに違いない。

 

 それでも、いつまでも弥太郎一人に頼らせておくわけにはいかぬ。

 

 四郎が六角の家督を継ぐ頃には、今の六人衆に代わって仕事を担う者たちも必要になる。後藤や三雲の息子がそのまま父親と同じ役目に就くとは限らないが、若いうちから顔を合わせ、互いの考えを知っておくことは無駄にはならぬだろう。

 

 四郎自身も、同じ頃から働く者たちの得手不得手を知り、何を任せられるか判断する経験を積む必要がある。

 

 もっとも、儂が気を付けねばならぬこともあった。

 

 四郎の側へ有力な家の子弟が集まることは、家中で新たな結び付きが生まれることでもある。若い者たちが親しくなるのは結構だが、父親たちを差し置いて仕事を進めたり、近習であることを理由に家中で大きな顔をしたりするようでは困る。

 

 四郎にも、その辺りはよく言い聞かせておく必要があった。

 

 机の脇に置かれた書付を一枚取り上げると、四郎から届いた不破の報告だった。

 

 三雲が確かめたことと、坂田から届いた知らせを照らし合わせ、返答を要するものだけが分けられている。以前なら、関連する帳面までまとめて持ってきたところだろう。

 

 随分と仕事を覚えたものだと思う一方、これからは人を使うことも学ばねばならぬ。今回の三人をどう扱うかによって、四郎自身にも得るものがあるはずだった。

 

 儂は使番を呼び、右衛門督を評定の間へ呼ぶよう命じた。後藤、三雲、山中にも先ほどの申し出について本人へ伝える席に同席してもらうことにする。

 

 四郎にはまだ何も知らせていない。急に呼び出されれば、不破で何かあったのかと考えるかもしれぬが、それは顔を見てから説明すればよかろう。

 

 使番が退出すると、儂は三家の申し出を記した書付を揃え、上座の脇へ置いた。

 

 しばらくして三人が再び広間へ入ってきた。それぞれ座に着くのを見届けたところで、廊下の向こうから使番の声が聞こえた。

 

 *

 

 父上から呼び出しがあったのは、不破から戻った使者の報告を読んでいる時だった。

 

 三雲対馬守定持が寄越した書状には、先月まで六角との往来に積極的だった国人が、しばらく使者を控えてほしいと申し出た理由について、新たに聞き取った話が添えられている。

 

 まだ確かなことばかりではなく、返答を急ぐ必要もなかったので、俺は書状を伏せて使番へ用向きを尋ねた。だが、右衛門督を評定の間へという父上の言葉を伝えるだけで、ほかには何も聞いていないという。

 

 今日は評定の予定もなかった。

 

 急ぎの知らせであれば対馬守からも何か届いているはずだが、机には今朝受け取った分しか見当たらない。

 

 俺が立ち上がると、弥太郎が書付の上に小さな重しを置き、手早く片付け始めた。戻るまでそのままでよいと言ったところ、俺の言う「そのまま」を当てにしていると、いつの間にか別の紙が重なるのだと返されてしまった。

 

 反論する前に羽織を差し出されたので、黙って袖を通す。

 

「対馬守殿から何か届いたら、返事を待っていただくよう伝えてくれ。長くは掛からぬと思うが」

 

「承知いたしました。御屋形様のお呼び出しでございますから、若様が思われるほど早く戻られるかは分かりませぬな」

 

「そんなことを言うと、戻るまでに仕事を増やされそうだ」

 

 弥太郎は否定せず、俺が出ていくのを見送った。

 

 あの顔を見る限り、机へ戻った時に紙の数が増えていても不思議ではない。

 

 もっとも、弥太郎が勝手に仕事を増やしているわけではなく、各所から届いたものを整理してくれているだけだ。そこへ文句を言えば、今度は自分で全ての書付を確かめることになりかねない。

 

 俺はそれ以上何も言わず、使番の後に続いた。

 

 評定の間へ入ると、父上の前に後藤但馬守賢豊、三雲、山中為俊の三名が控えていた。

 

 六人衆を集めた正式な評定ではないらしい。だが、坂田の仕事を抱える後藤と、不破の交渉を任されている対馬守が、甲賀の山中と並んでいる理由には心当たりがなかった。

 

 何か共通する用向きがあるのだろうが、三家から同じ日に報告を受けるような仕事を命じた覚えもない。

 

 一礼して座に着くと、父上は俺が口を開くより早く、不破で何か起きたわけではないと仰った。

 

「三人から、それぞれの子を右衛門督の近習として仕えさせたいとの申し出があった。儂も話を聞いて、認めようと考えておる」

 

 思わず三名の方へ目を向けた。

 

 後藤はいつもの落ち着いた顔で座り、対馬守もこちらを見返している。山中は膝を正したまま深く頭を下げた。

 

 父上から近習を増やすと命じられるのであれば、仕事が増えたことを考えての人事だと納得できたかもしれない。しかし、今回は三家の方から願い出たという。しかも仕えさせたいのは単なる使番や小姓ではなく、各家の子息だった。

 

 父上の説明によれば、後藤からは次男の後藤喜三郎高治、三雲からは同じく次男の三雲成持、山中からは山中長俊が出仕する。

 

 喜三郎と成持については父親から名を聞いたことがあり、長俊についても甲賀の山中家の子だと承知していたが、深く付き合ったことはない。

 

 いずれも家を支える立場になるであろう者たちであり、近習として預かる以上は相応の責任が生じる。家の者を一人借りて仕事を手伝わせるのとは、少し事情が違っていた。

 

 俺が三家の仕事への差し障りを尋ねると、後藤が先に口を開いた。

 

「喜三郎には家中の務めを学ばせて参りましたが、某の側でばかり働いていては覚えられぬこともございます。右衛門督様に使っていただき、良いところも足りぬところも見てやってくだされ」

 

「但馬守殿には坂田のことで随分と御苦労をお掛けしております。御子息までお預かりしてよろしいのでしょうか」

 

「坂田の仕事は某が続けます。倅を出したからといって、右衛門督様へ押し付けるつもりはございませぬ。むしろ喜三郎には、父の仕事とは違うものを学んでもらいたいのです」

 

 真面目に答えた後藤は、喜三郎には書付の仕事も遠慮なく命じてほしいと付け加えた。

 

 その言い方で、武芸の方を好むのだろうと察したが、父親の前で余計なことを尋ねるのは控えた。俺の側へ来れば帳面や書状を読むことも多くなる。喜三郎が何を得意とするかは実際に働いてもらわなければ分からないものの、武芸だけを任せるつもりはなかった。

 

 対馬守は成持が使者や書状の扱いを手伝っていることを話し、今後は三雲家の都合だけでなく、六角全体の仕事に触れさせたいと述べた。

 

 俺にとっても、不破の報告を読む手が増えるのは助かる。

 

 三雲から届く書状には、相手の国人が何を求めているのか、これまでどのような話を交わしたのかを確かめなければならないものも多い。以前の報告を探したり、使者の往来を整理したりする仕事だけでも、誰かが手伝ってくれれば随分と違うだろう。

 

 ただし、成持が来たからといって、俺が三雲の交渉を直接取り仕切るわけではない。

 

 その点については、先日の評定で父上からも明確に命じられている。対馬守も同じ考えだったようで、成持には近習として仕えさせ、三雲家の仕事については引き続き自分が責任を負うと答えた。

 

 山中は長俊がまだ若いことを気に掛けていた。

 

 書物を読むのも文を書き写すのも好きだが、城での務めには慣れていないという。俺が、まずは日々の仕事を覚えてもらえば十分だと伝えると、山中は安心した様子で頭を下げた。

 

 長俊には甲賀で育った者ならではの知識もあるだろうが、それを急いで役立てようとするより、本人が何を得意とするのかを知る方が先だった。

 

「右衛門督。三人とも、出仕の日は揃えるつもりじゃ。今いる小姓たちの働きも変える必要はない。誰に何を任せるかは、本人たちを見てから決めよ」

 

「承知いたしました。皆様から大切な御子息をお預かりする以上、軽々しく扱うつもりはございませぬ」

 

「大切にすることと、遠慮して仕事をさせぬことは違うぞ」

 

 父上の言葉に、後藤が僅かに笑った。

 

 確かに気を遣い過ぎては、三人を送り出す意味がなくなる。家柄を考えれば粗略には扱えないが、だからといって仕事を選ばせたり、難しいことから遠ざけたりしていては、近習として仕える意味も薄れてしまう。

 

 本人たちのできることを見ながら、少しずつ役目を与えていけばよいだろう。

 

 後藤と対馬守は今まで通りそれぞれの仕事を続け、山中にも息子の出仕の準備を任せることで話がまとまった。

 

 三名が退出するのを見送って俺も立ち上がろうとすると、父上から残るよう声を掛けられた。

 

 広間の者たちが少し離れると、父上は先ほどまでの改まった様子を緩め、俺を四郎と呼ばれた。

 

 俺が三名の申し出をどう受け止めたか尋ねられたので、ありがたい反面、予想もしていなかったと答える。

 

 父上は頷き、後藤らから聞いた理由を教えてくださった。

 

 後藤は自分が父上を支えてきたように喜三郎にも次代の当主を支えさせたいと望み、対馬守は成持に六角家の中枢で経験を積ませたいと考えている。山中もまた、息子の将来を思い、俺の側で学ぶことを願ったのだという。

 

 坂田では後藤に何度も手間を掛けさせ、不破では対馬守に教わることの方が多い。二人からそのように見られていたとは知らなかった。

 

 もちろん、次代の当主へ息子を近付けておきたいという家の考えもあるのだろう。しかし、これまで共に仕事をしてきた者たちが、今後も俺の側で働く者を育てようとしている。それは単に近習の人数が増えるという話よりも、ずっと大きなことに思えた。

 

 俺が黙って聞いていると、父上は少し面白そうな顔をされた。

 

「但馬守は、以前のそなたには細かなことを尋ねられて難儀したとも申しておったぞ。最近は人へ任せることを覚えてきたと褒めておったがな」

 

「褒められたのでしょうか、それは」

 

「褒めておる。ただし、まだ覚えてもらいたいことが山ほどあるそうじゃ」

 

 それならば確かに後藤らしい。

 

 俺が苦笑すると、父上も笑われた。すぐに次の言葉を継がず、書付の端を指で揃えてから、静かな声で話を続けられた。

 

「儂を支えてきた者たちが、今度はそなたを支える者を育てようとしておる。四郎、これは悪いことではないぞ。だが、三家の子が来たからといって、三家そのものがそなたの手足になるわけではない。その違いだけは忘れるな」

 

「はい。喜三郎たちには近習として仕事を覚えてもらいますが、父君たちの役目へ勝手に踏み込ませるつもりはございませぬ」

 

「それでよい。近習同士でも意見が違うことはあろう。最初から皆が気の合う仲間になるとは限らぬが、共に働くうちに分かることもある」

 

 父上は若い頃、家臣たちと考えが合わず苦労したこともあったと、少しだけ昔の話をしてくださった。

 

 誰のことかは仰らなかったが、今では父上へ遠慮なく物申す重臣たちも、初めから今のような関係だったわけではないらしい。考えが違えば衝突することもあり、同じ仕事を任せても思うようには進まないことがあったという。

 

 それでも、互いに何を考えているのかを知り、役目を果たすうちに今の関係が築かれてきたのだろう。

 

 俺が後藤や対馬守と接する時も、まだ遠慮しているところはある。新しい三人との間では、仕事を頼む側として別の難しさが出てくるに違いない。

 

「それから弥太郎ともよく相談せよ。三人を教えるために、弥太郎ばかり働かせてはならぬぞ」

 

「父上。弥太郎から何か聞かれましたか」

 

「何も聞いておらぬ。だが、四郎のことは少しは分かっておるつもりじゃ」

 

 父上は笑いながら退出を許された。

 

 どうやら俺が仕事を増やすことについては、弥太郎だけでなく父上にも思うところがあるらしい。

 

 もっとも、今の俺が三人へ一から城の仕事を教えるのは難しい。弥太郎や小姓たちの力を借りる必要はあるだろうが、そのために今までの仕事を滞らせるわけにはいかない。

 

 まずは三人が出仕するまでに、何を任せるのか考えておく必要がありそうだった。

 

 書付を抱えたまま自室へ戻ると、弥太郎は先ほどの報告を別の帳面と照らし合わせていた。

 

 三人の名を告げると手を止め、しばらく俺の顔を見つめる。

 

「但馬守様と対馬守様の御子息、それに山中家の長俊殿ですか。これは、仕事の分け方を考え直さねばなりませぬな」

 

「驚かないのか」

 

「驚いております。ですが、若様が御三方のお名前を繰り返している間に、机を幾つ用意すればよいか考えてしまいました」

 

 弥太郎はそう言って、使番の出入りする場所と書付を保管する部屋について話し始めた。

 

 今いる小姓たちの控える場所を変える必要があるか、三人へ最初に何を覚えてもらうか。出仕の日が揃うのであれば、城内を案内する者も決めておいた方がよいという。

 

 俺は父上から聞いたばかりの話を伝えたつもりだったが、弥太郎はもう受け入れる準備を考え始めていた。

 

 父上の仰った通り、すでに仕事を増やしてしまっているのかもしれない。

 

 俺が手伝うと申し出ると、まず今朝から残っている不破の文を読んでほしいと返され、結局は自分の机へ戻ることになった。

 

 *

 

 三人が出仕したのは数日後だった。

 

 弥太郎が小姓たちと相談して控える場所を整えてくれたおかげで、以前から部屋を使っていた者たちの動きを妨げずに済んだ。机や文箱も必要な分が用意されており、使番が出入りする場所には余裕が残されている。俺が考えていたよりも手際よく準備が進んでいたらしい。

 

 挨拶を受けた後、俺は三人と少し話し、家でどのような仕事をしてきたのか尋ねた。

 

 喜三郎は武芸の話になると答えが早く、成持は使者の往来に関する問いへ落ち着いて応じた。長俊は年長の二人に遠慮している様子だったが、帳面の整理を手伝った経験については、尋ねたことを順序よく話してくれた。

 

 それぞれ育ってきた家も違えば、これまで任されてきた仕事も違う。初対面で分かることなど限られているが、少なくとも三人とも近習として仕えるつもりで来ていることは伝わってきた。

 

 最初から仕事を決め付けるのは避けたかったが、本人たちが慣れるための取っ掛かりはあった方がよい。

 

 成持には使者の記録、喜三郎には進藤山城守賢盛から届く軍事関係の書付、長俊には日々の報告の整理を手伝ってもらうことにした。

 

 いずれも判断を任せるのではなく、まず内容と扱いを覚えてもらうための仕事である。書付には他家へ知られてはならないものもあるので、最初のうちは弥太郎が選んだものから扱わせることにした。

 

 誰がどのような仕事を得意とするかについては、今後の働きぶりを見ながら考えればよいだろう。

 

 軍事の書付を扱う喜三郎にも、いずれは年貢の帳面を読んでもらうつもりだと話した。本人は一瞬だけ口を結び、それから承知したと答えた。

 

 その様子を見る限り、後藤が政務について心配していた理由も、少し分かる気がした。

 

 もっとも、武芸に熱心なことを咎めるつもりはない。近習として仕える以上、武芸の心得も必要になるだろう。ただ、今後は軍勢や領地に関わる仕事にも触れることになる。喜三郎自身も、武芸だけを覚えていればよいとは考えていないようだった。

 

 弥太郎が城内を案内する間、俺は不破の書状に戻った。

 

 夕方になって三人の様子を聞くと、成持は使番の出入りする場所を、喜三郎は馬場と武具を預かる場所を、長俊は帳面の保管場所を特によく確かめていたらしい。

 

 それぞれ興味を持つところが違うようで、弥太郎も案内しながら幾つか質問を受けたという。

 

 成持は使者が戻った際の取り次ぎについて尋ね、喜三郎は馬場を使う際に誰の許しが必要なのかを確かめていたらしい。長俊に至っては、帳面を何処へ保管し、必要なものをどのように探し出すのかまで聞いてきたという。

 

 弥太郎は最後の話をしながら、紙の分け方について随分と質問されたと笑っていた。

 

 俺に似ていると言いたげだったが、言葉にはしなかったので、こちらも聞かなかったことにした。

 

 翌朝、三人は弥太郎と共に控えていた。

 

 成持は以前に届いた使者の記録を日付ごとに並べ、喜三郎は山城守から預かった書付を読んでいる。長俊は村々の報告を分けながら、時折弥太郎へ確かめていた。

 

 小姓たちも普段通りに出入りしており、人が増えた割には仕事の流れを大きく変えずに済んでいる。

 

 俺も不破から届いた文を読み、必要な返答を書き留めていた。

 

 先日から使者の往来を控えたいと申し出ている国人については、対馬守から改めて事情を聞いている。今すぐ返事を出す必要はないが、以前の書付と照らし合わせておきたいところが幾つかあった。

 

 やがて成持が一枚の紙を持ってきた。

 

 同じ使者の往来について、帳面と添書とで日付が食い違っているという。

 

 確かめてみると、片方は使者が出立した日、もう片方は相手方へ着いた日を記したものらしく、別の報告を見なければ断定できなかった。

 

 使者が何日掛けて目的地へ着いたのかも分からず、どちらかを書き間違いと決めるには早い。

 

 成持は自分なりの見立てを述べたが、勝手に書き直さず、先に俺へ見せに来たらしい。

 

「対馬守殿へ確かめよう。どちらも誤りとは限らんから、今はそのまま残しておいてくれ」

 

「承知いたしました。ほかにも似た記録がないか、併せて見ておきます」

 

 成持はそう答えると、元の席へ戻っていった。

 

 父親の仕事を手伝っていた経験があるだけに、記録の食い違いへ目を向けるのも早いらしい。それでも、自分の判断だけで書き直さなかったのはよいことだった。

 

 今ある情報で分からないことを、勝手に埋めてしまっては後の者が困る。何故違っているのかを確かめるまでは、そのまま残しておけばよいだろう。

 

 成持が戻ると、今度は長俊が書付を二枚抱えて弥太郎のところへ向かった。

 

 同じ村から届いた申し出と役人の返答を、日付順に離してよいのか尋ねている。

 

 弥太郎は二枚を受け取り、続けて読めるようにまとめた上で、日付の違いが分かるようにしておくのだと教えていた。

 

 申し出と返答を離してしまえば、後から確かめる時に別々の文を探さなければならない。かといって日付まで同じように扱えば、いつ何が決まったのか分からなくなる。

 

 長俊は何度か頷き、机へ戻ると自分で紙を綴じ直し始めた。

 

 その様子を見ていると、山中が書物や帳面を好むと言っていたことも頷ける。まだ仕事に慣れていないため確かめることは多いが、説明を聞けば自分で手を動かしている。

 

 初めから全てを覚えられるわけではないだろうし、今は弥太郎や小姓たちから仕事の進め方を教われば十分だった。

 

 喜三郎はしばらく軍事関係の書付を読んでいたが、やがて山城守に確かめたいことがあると申し出た。

 

 書かれている兵の数と、別の帳面に載る人数が合わないらしい。

 

 俺が見せてもらうと、一方には番を勤める者だけが記され、もう一方には交代の者まで含まれていた。

 

 同じ城についての報告でも、何を数えたものなのかが違えば数字も変わってくる。以前の訓練でも、集まった兵の数と実際に行軍できる人数が必ずしも同じではないことを確かめたばかりだった。

 

 喜三郎は説明を聞いて納得したものの、まだ疑問が残るようで、今度は交代の頻度について尋ねてきた。

 

 そこは山城守の方が詳しいので、後ほど直接確かめてもらうことにした。

 

 喜三郎は少し嬉しそうに承知したと答え、早速尋ねたいことを書き留めている。武芸を好むだけあって、兵や城の守りに関わる話には興味があるのだろう。

 

 もっとも、今は三人とも与えられた書付を読んでいるだけである。仕事の進め方を一つ覚えたからといって、すぐに難しい判断を任せるわけにはいかない。

 

 誰から届いた話なのか、以前の報告と何が違うのか。そうしたことを確かめ、必要な相手へ尋ねるところから覚えてもらえばよいと思った。

 

 弥太郎が三人の間を回る様子を眺めながら、俺は筆を置いた。

 

 朝のうちに済ませるつもりだった返書はまだ一通残っているが、今まで自分や弥太郎が読み進めていた報告に、別の目が加わったことで拾えるものも増えたらしい。

 

 成持は日付の違いに気付き、長俊は書付の綴じ方を確かめ、喜三郎は兵の数が合わないことを疑問に思った。どれも今すぐ大きな判断を要するものではないが、見過ごしたままにするよりはよほどよいだろう。

 

 ただ、その分だけ弥太郎が三人から質問を受けていることも気になった。

 

 父上からは、三人を教えるために弥太郎ばかり働かせるなと言われている。今のところは本人も慣れた様子で答えているが、これが毎日続くとなれば、やがて自分の仕事へ差し障るかもしれない。

 

 俺も必要なことは自分で教え、ほかの小姓たちにも分かる範囲で手伝ってもらう必要がありそうだった。

 

 弥太郎がこちらへ来たので、対馬守へ確かめる文を用意してほしいと頼むと、机の端へ別の紙を置かれた。

 

「若様。こちらが先ほどの分でございます。次はどの書付を御覧になりますか」

 

「早いな。では、不破から届いた返答の写しを頼む」

 

「承知いたしました。今日は三人とも初めての仕事ですから、あまり急かさぬようお願いいたします」

 

「分かっている。そなたも無理に全部を見ようとするなよ」

 

 弥太郎は一瞬こちらを見て、それから笑った。

 

 恐らく、普段から仕事を抱え込みがちな俺に言われたのがおかしかったのだろう。

 

 もっとも、今日の様子を見ていれば、弥太郎にも少しは人へ任せることを考えてもらわなければならない。今まで一人で手際よく進めていたことも、三人が仕事を覚えれば分けられるようになるはずだった。

 

 少し離れたところでは、成持が喜三郎へ紙を一枚渡し、長俊は小姓の一人から新しい報告を受け取っている。

 

 互いにまだ遠慮はあるようだが、与えられた仕事については必要な言葉を交わし始めていた。

 

 三人が出仕してから、まだ幾日も経っていない。これから同じ場所で働くうちに、考えが合わず言い合うこともあれば、互いの得意なことを知る機会もあるだろう。

 

 最初から思うように働けるとは期待していないし、仕事を教える手間が増えることも承知している。それでも、父上や後藤たちが俺へ三人を預けた理由を考えれば、今のうちから共に仕事を覚えていくことには意味があるはずだった。

 

 俺自身も、これまで家臣たちへ仕事を任せることについて少しずつ学んできたばかりである。

 

 今度は自分より若い者たちに、何を教え、どのような仕事を任せるべきか考えることになるのだろう。分からないことがあれば弥太郎にも相談し、必要なら父上や重臣たちの意見を聞けばよい。

 

 まだ三人の得手不得手も十分に分かっていないのだから、今から先のことまで決める必要はなかった。

 

 俺は弥太郎の用意してくれた写しを広げ、対馬守へ返す文の続きを書き始めた。

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