淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

76 / 79
第七十三話「美濃に広がる亀裂」

 不破郡から届けられた軍役の帳面を読み進めるうちに、俺は次第に腹が立ってきた。兵五十を出すことになっている家が三十しか出せぬと申し、別の家は近隣との所領争いを理由に軍役の軽減を求めている。境目の警固に人を割いている、昨年の出兵で馬を失った、城の修繕に銭が掛かった。書き添えられた事情はそれぞれ違うものの、結局は命じた通りの兵を出せぬという話ばかりだった。しかも、返答そのものを寄越さぬ家まであるという。春のうちに軍役を確かめよと命じてから、いったい何日経ったと思っているのか。

 

 俺は帳面を閉じ、傍らに置かれていた別の書付を手に取った。こちらには父上の代に定められた軍役の数が記されている。もちろん、その全てが今も同じように動かせるとは思っていない。領地の広さが変わった家もあれば、戦で人を失った家もあるだろう。だからこそ改めて調べさせているのに、返ってくるのは以前の取り決めを残してほしいという申し出ばかりだ。兵を減らしたいのなら、せめて何人までなら出せるのか、いつになれば元へ戻せるのかを明らかにすべきではないか。

 

「これでは、いつまで経っても兵の数が定まらぬではないか。何のために帳面を作り直しておると思っている」

 

 思わず声が大きくなると、控えていた祐筆が背筋を伸ばした。叱っているのはこの者ではない。それくらいは分かっているが、苛立ちを抑えることができなかった。父上が亡くなられてから、もう一年近くになる。家督を継いだばかりの頃は、分からぬことがあれば重臣たちへ尋ねればよいと考えていた。実際、安藤守就や稲葉良通、氏家直元は美濃の事情をよく知っており、教えられることも多い。しかし、何かを命じるたびに返ってくるのは、先代の頃の取り決めや国人たちの事情についての話だった。

 

 父上の代にも国人たちの言い分を聞くことはあったはずだ。それでも最後には父上の命令に従わせていた。ところが俺の場合、命令を出せばまず相談があり、相談に応じれば別の申し出が増える。こちらが返答を求めている間にも日が過ぎ、そのうち以前に何を命じたのか分からなくなりそうになる。美濃を治めるのは俺だ。父上の残された家臣たちに助けられていることは認めるが、いつまでも当主としての判断まで委ねているわけにはいかない。

 

 祐筆から、出仕を命じた不破の国人がまだ登城していないと聞かされ、俺は再び帳面へ目を向けた。病を理由に代理の家臣を寄越したものの、本人は数日前に城下で姿を見られたという話まであるらしい。噂が真実かどうかは分からないが、代理の者は軍役について尋ねても、主君へ確かめなければ答えられぬと言うばかりだった。それでは呼び出した意味がない。病で動けぬのなら、いつまで養生する必要があるのかくらい伝えられるだろう。

 

 そこへ、安藤守就らが登城したとの知らせが届いた。今日は軍役について話を聞くため、俺の方から三人を呼んでいたのである。竹中半兵衛も守就に伴われているらしい。俺は帳面を揃えさせ、広間へ運ぶよう命じた。西美濃の事情に詳しい者たちが揃ったのだから、今度こそ話を進められるはずだ。そう考えていたが、半兵衛の名を聞いた時から、胸の奥には別の苛立ちが残っていた。

 

 *

 

 守就は帳面を開くと、しばらく黙って数字を確かめていた。良通と直元もそれぞれ報告を受け取ったが、最初に口を開いたのは守就だった。軍役を減じたように見える家の中には、代わりに街道の警固や橋の修繕を請け負っている者がいるという。兵五十と定められた家でも、そのうち二十を常時の警固へ割いているのであれば、出兵の際に動かせるのは三十となる。数字が異なる理由を確かめずに不足と決めれば、後々揉めることになると説明された。

 

 言っていることは分かる。だが、それなら何故、最初から帳面にそう記さないのか。こちらが一つ尋ねるたびに古い取り決めが持ち出され、改めて人を遣わして確かめる。その繰り返しではないか。良通は軍役を調べ直すこと自体には賛成しながらも、尾張への備えを続けている今、西美濃で国人たちの不満を増やすべきではないと述べた。直元も、兵を出させるなら兵糧や馬の負担まで考える必要があると続ける。

 

「俺は軍勢を集めよと命じたのではない。出せる兵の数を確かめよと申しておるのだ。それすら出来ぬというのか」

 

「出来ぬとは申しませぬ。ただ、古い取り決めを残したままの家もございます。現地で確かめることをお許しいただきたく存じます」

 

 守就の声は相変わらず落ち着いていた。その落ち着きが、かえって癪に障る。こちらが腹を立てていることくらい分かっているだろうに、まるで子供を宥めるように説明を重ねる。俺は帳面の中から返答のない家を指し示し、その当主が出仕を拒んでいることについて尋ねた。すると守就は、隣家との所領争いが長引いており、城を空けることを嫌がっているらしいと答えた。

 

 そのような事情があるなら、何故こちらへ申し出ない。出仕を求められている以上、まずは一色の当主へ事情を説明すべきではないか。そう問い詰めると、守就は事情を聞ける者を遣わしてはどうかと進言した。言葉だけを聞けばもっともらしいが、既に使者は何度も出している。こちらが求めているのは当主本人の返答であって、新たな使者を立てるための相談ではなかった。

 

 守就が末席の半兵衛へ目を向けたのは、その時だった。半兵衛は静かに頭を下げ、不破の国人とは以前から往来があるため、事情を聞くことならば出来ると申し出た。菩提山城を預かる竹中半兵衛重治。若年ながら知恵者として知られ、守就の娘婿でもある。戦や政務について尋ねれば、筋道を立てて答える男だということは俺も知っている。しかし、何かあるたびに半兵衛なら分かる、半兵衛なら話を収められると言われるのは面白くなかった。

 

「半兵衛。そなたが赴けば、その国人は素直に出仕すると申すのか」

 

「必ずとは申しませぬ。されど、何を案じているのかは確かめられるかと存じます。城を空けることを恐れているのであれば、その理由を知らねば話も進みませぬ」

 

「恐れる? 俺は城を取り上げるとも、所領を没収するとも申しておらぬ。軍役について尋ねるために出仕せよと命じただけだ。それを何故恐れる!」

 

 思わず声を荒らげると、半兵衛は口を閉ざした。こちらを見上げる顔に怯えた様子はない。守就も何か言いたげだったが、すぐには口を開かなかった。その沈黙が気に入らない。俺が怒鳴っている間は黙ってやり過ごし、後になって自分たちの考えが正しかったと示すつもりなのではないか。そう考えると、半兵衛の落ち着いた態度まで俺を侮っているように見えてきた。

 

 半兵衛が優れた男だということは否定しない。むしろ、だからこそ厄介なのだ。守就は半兵衛の進言をよく聞き、周囲の者たちもその知恵を褒める。俺が何かを決めれば、半兵衛なら別の考えを持っているのではないかと期待する者までいるらしい。いくら才があろうとも、半兵衛は一色家に仕える武将の一人に過ぎない。美濃の当主である俺の判断と、同じように扱われては堪らなかった。

 

「安藤。そなたも半兵衛も、俺の命令に従うより先に、国人の言い分を聞こうとする。父上の頃もそうしておったのか。それとも、俺の命令だから軽く見ておるのか」

 

 守就は僅かに顔色を変え、当主を軽んじるつもりはないと答えた。良通も、軍役を明らかにする必要は認めていると続ける。だが、俺が聞きたいのはそのような言葉ではない。必要だと思うのであれば、何故すぐに動かない。命令を果たすための方法を考えるのが家臣の務めであって、命令を控えさせることばかり進言するのはおかしいではないか。

 

「もうよい! 不破の国人には今月のうちに当主本人が出仕するよう命じる。病で来られぬというならば、こちらから確かめる者を遣わそう。それすら拒むのであれば、城にどれほど兵を置いておるのか調べさせる。何度も使者を出しておるのだ。これ以上、返答を延ばすことは許さぬ!」

 

 広間が静まり返った。守就は膝の前へ手を置いたまま、しばらく俺を見ていたが、やがて深く頭を下げた。良通と直元も続き、半兵衛は何も言わずに一礼する。誰一人として納得したようには見えなかった。それでも命令は命令だ。俺は四人を下がらせ、祐筆に新しい書状を用意させた。文面を確かめると、城の兵を調べるという箇所について祐筆が僅かに筆を止めたが、俺は書き直させなかった。

 

 四人が退出した後も、しばらく胸の奥が落ち着かなかった。父上の代から仕える重臣たちに、何もかも逆らわれているわけではない。軍勢を動かせと命じれば従うだろうし、国境の備えについても仕事を怠っているわけではない。それでも、俺が何かを決めるたびに慎重であるべきだと言われ続ければ、いずれ命令を出すこと自体が難しくなる。俺は祐筆が整えた書状へ花押を据え、使者へ渡すよう命じた。今度こそ、相手にも一色家の当主が誰なのか分からせねばならなかった。

 

 *

 

 数日後、不破から急使が駆け込んできた。出仕を命じた国人の城で、こちらの使者と城方との間に争いが起きたという。使者が門前で押し返され、供の者が負傷した。城方にも傷を負った者がおり、双方が刀を抜いたらしい。誰が先に手を出したのかは分からないというが、そもそも命令を受けた使者を追い返すこと自体が許されるはずもない。俺は報告を聞き終えるより早く、使者が差し出した書状を奪うように受け取った。

 

「何故、そこまでして出仕を拒む! こちらは軍役を確かめよと申しておるだけではないか!」

 

 書状には、一色家に背く意思はないものの、城へ兵を入れて調べることには応じられぬと記されていた。思わず紙を握り締めた。誰が兵を入れると申したのか。城に置く兵の数を確かめると伝えたことが、何故そのような話になる。こちらの命令を勝手に曲げて受け取り、そのうえ使者を傷付けたというのでは、もはや言い訳にもならないではないか。

 

 使者へ詳しい事情を尋ねても、城方は当主が不在だと言い張り、門を開こうとしなかったという。病で来られぬと言っていた者が、今度は不在だと申す。どれほどこちらを愚弄すれば気が済むのか。俺がさらに問い詰めると、使者は額を畳へ擦り付け、申し訳ございませぬと繰り返した。責める相手が違うことは分かっていたが、今さら怒りを収めることなどできなかった。

 

 報告を聞いていた家臣の一人が、安藤守就へ相談してはどうかと進言した。守就ならば国人の縁者を通じて話を収められるかもしれぬという。俺はその言葉を聞いた途端、思わず立ち上がった。先日の評定では何度も事情を聞くべきだと申し、こちらが使者を遣わして騒ぎが起きれば、今度は守就に頼れという。結局、俺の命令では何一つ片付けられぬと言いたいのか。

 

「守就に頼まねば、国人一人を出仕させることも出来ぬと申すか! 使者を傷付けられてなお、こちらから頭を下げて話し合いを求めよというのか!」

 

 家臣は慌てて首を振ったが、俺はそれ以上聞かなかった。近くに控えていた別の者へ、兵を動かせる武将を呼ぶよう命じる。大軍を出す必要はない。城の周囲を押さえ、改めて当主の出仕を求めればよい。兵を見せれば、相手も事の重大さを理解するだろう。こちらが本気だと知ってなお逆らうのであれば、その時には相応の処置を取らねばならない。

 

 呼び出した武将には、まず城を囲んで当主の出仕を求めること、従う者への乱暴を禁じること、周囲の村々へ勝手に兵を入れぬことを申し付けた。ただし、城方が武器を取って抵抗する場合には、兵を退かせるために力を用いても構わぬと命じる。武将は必要な兵糧と人数を確かめ、数日のうちに出立すると答えた。大した城ではない。兵を差し向ければ、相手もいつまでも強情を張ってはいられまい。

 

 ところが、兵が出立した翌日、守就から書状が届いた。出兵を知り、国人の縁者を通じてもう一度話をさせてほしいという。末尾には、竹中半兵衛も事情を聞くために動けると添えられていた。俺は文を最後まで読み、思わず鼻を鳴らした。使者を傷付けた国人が悪いにもかかわらず、こちらが兵を動かした途端に和談を求める。半兵衛なら事を収められるというのか。もしそうなら、最初から命令を聞かせればよかったではないか。

 

 俺は返書を書くために筆を取ったが、すぐには文字が出てこなかった。守就の申し出を認めれば、兵を動かした俺の判断が早計だったと受け取られるかもしれない。かといって、すぐに断れば、今度は家中で俺が意見を聞かぬ当主だと言われるだろう。結局、現地の様子が分かるまで返答を控えることにした。使者には守就の文を預からせ、別の書状を整えるよう命じる。既に軍勢は動いているのだから、今さら引き返させる必要はない。

 

 *

 

 さらに二日後、今度は現地の陣から早馬が駆け込んできた。城の外へ兵を進め、当主の出仕を求めたところ、城方が夜半に兵を出して一色方の番兵を襲ったという。数名が討たれ、負傷者も出たため、現地の将は城へ通じる道を塞ぎ、周囲の高みに陣を移した。城方は門を閉ざして籠もり、近隣の村から人や食糧を集めているらしい。もはや当主を呼び出して終わる話ではなくなっていた。

 

「夜襲だと……。そこまでして俺に逆らいたいのか!」

 

 俺は立ち上がり、使者から書状を受け取った。城方の兵は多くないものの、地形を利用して守りを固めているため、力攻めには相応の損害が出るという。現地の将は包囲を続けながら、城攻めの許しを求めていた。こちらの軍勢は既に死傷者を出している。今ここで兵を退けば、命令に従わなかった国人だけが何事もなかったように残り、一色家の威信は地に落ちるだろう。

 

 だが、すぐに城を攻めよと命じることもできなかった。城が落ちれば、その土地を誰に預けるのか、残された家臣や村々をどう扱うのかという問題が生じる。そもそも俺は城を取り上げるために兵を出したのではない。軍役を確かめ、当主を出仕させることが目的だった。それなのに、いつの間にか一色家の軍勢が城を囲み、攻め落とすかどうかを決めねばならなくなっている。腹立たしさのあまり、俺は手にしていた書状を机へ叩き付けた。

 

「どうして素直に従わぬ! 最初から出仕しておれば、このようなことにはならなかったではないか!」

 

 使者は頭を下げたまま動かなかった。俺が何を言っても、現地で討たれた兵が戻ってくるわけではない。城方も、こちらが怒っているからといって門を開くものではないだろう。そう考えると、余計に苛立ちが募った。守就や半兵衛がこの知らせを聞けば、また兵を動かすべきではなかったと言うに違いない。俺の判断が間違っていたと、家中の者たちが囁く姿まで目に浮かぶようだった。

 

 俺は使者へ、城方に最後の出仕を命じるよう伝えた。門を開き、当主が稲葉山城へ出向くのであれば、今回の抵抗についても事情を聞く。ただし、なお命令に従わぬのであれば、いつまでも包囲を続けるだけでは済まさぬと申し渡す。現地の将には城攻めの準備を整えさせ、兵糧や武具の不足がないよう命じた。周囲の国人たちへも、勝手に城方へ加勢せぬよう伝えさせることにする。

 

 命令を書き終える頃には、日も随分と傾いていた。使者が退出した後、俺は机の端に置かれた守就の文を手に取った。国人の縁者を通じて話をさせてほしいという申し出は、今もそこに残っている。もし最初から守就へ任せていたら、どうなっていただろうか。そう考えかけたところで、俺は文を伏せた。今さら考えても仕方がない。兵を動かした以上、命令に従わせねばならないのだ。

 

 ほどなくして、祐筆が新しい書状を持ってきた。現地の将へ届ける命令を清書したもので、先ほど俺が言い渡した内容が整えられている。俺は一通り目を通し、最後の箇所で筆を止めた。城方が降伏を申し出た場合には受け入れること、ただし当主の出仕は必ず果たさせること。そこまで記したところで、これ以上緩める必要はないと判断した。

 

 俺は書状へ花押を据え、祐筆へ渡した。使者が出立の準備を始めると、広間の外が俄かに騒がしくなる。廊下を行き来する足音を聞きながら、俺はもう一度守就の文へ目を向けた。半兵衛の名が記された箇所が見え、思わず顔をしかめる。やがて俺はその文を別の書付の下へ押し込み、出立を待つ使者を呼ぶよう命じた。

 

 *

 

 永禄五年四月中旬、観音寺城へ三雲対馬守から急使が届いた。使者が持参した書状には、不破郡の国人が一色家の命令に従わず、差し向けられた軍勢によって城を包囲されていると記されていた。発端は軍役の確認と当主の出仕を巡る争いで、一色側の使者と城方との間で刃傷沙汰が起きたらしい。さらに、軍勢が城へ近付いた後、城方が夜襲を仕掛けたことで双方に死傷者が出ており、現地では既に戦が始まっているという。

 

 俺は書状を読み終えると、使者から詳しい事情を聞いた。一色軍の兵数はまだ確かではなく、率いている将についても詳しい報告が届いていない。ただ、西美濃三人衆が直接兵を率いているという話はなく、一色家から派遣された別の武将が軍勢を動かしているようだった。城の周囲では街道の通行が制限され、商人や旅人も遠回りを余儀なくされている。対馬守は現地に人を残しているものの、城へ近付くことが難しくなっており、詳しい戦況を知るまでには時間が掛かるとのことだった。

 

 不破で一色家と国人たちの間に不満が生じていることは、以前から聞いていた。しかし、実際に軍勢を差し向けるところまで進んだとなれば、これまでと同じようには扱えない。今回攻撃された家は、対馬守を通じて六角とも何度か書状を交わしている。正式に六角へ従属したわけではなく、こちらも軍事的な支援を約束したことはないが、関係を持っている以上、その動きを無視するわけにもいかなかった。

 

 俺は不破の国人についてまとめた帳面を開き、今回の報告と照らし合わせた。攻撃された家は以前から隣家との所領争いを抱えており、一色家へ軍役の軽減を求めていたという。もっとも、その申し出がどこまで認められていたのかは分からない。対馬守から届いた別の報告には、城方が一色家による城の調査を警戒していたという話もあったが、一色龍興が実際に何を命じたのかまでは確認できていなかった。

 

 そこへ三雲成持が、父親から届いた以前の書付を持ってきた。成持は使者の往来について記した箇所を示し、今回攻撃された家が最後に六角へ文を寄越した時期を教えてくれた。書かれている内容は所領の境についての相談であり、軍事的な支援を求めるものではない。俺は成持へ、対馬守に引き続き周囲の国人の動きを確かめてもらうよう頼んだ。

 

「成持。一色家がどれほど兵を動かしたのかも知りたいが、それ以上に、周囲の国人たちがどうしているのかを確かめてほしい。既に兵を出している家があるのなら、そのことも知らせてもらいたい」

 

「承知いたしました。父へは、確かな報告と伝聞を分けて送るよう申し添えておきます」

 

 成持が下がると、俺は弥太郎へ父上への取次ぎを頼んだ。既に戦闘が起きている以上、兵数や将の名が分かるまで報告を控えるわけにはいかない。弥太郎は必要な書状を揃え、使番を呼ぶよう小姓に伝えた。俺が立ち上がる頃には、先ほどまで広げていた帳面も片付けられている。慌ただしい中でも普段と変わらぬ手際で仕事を進めてくれるのはありがたかった。

 

 *

 

 その日の夕刻、坂田から新たな報告が届いた。落城した国人の一族が、家臣や家族を伴って不破郡から逃れたらしいという。城を脱出した者たちは幾つかの組に分かれており、そのうちの一つが六角領の坂田郡を目指していると記されていた。女や子供を連れているため、山道を使ってもそれほど速くは進めないらしい。ただし、実際に坂田へ入ったことまでは確かめられておらず、何処を通っているのかも分からなかった。

 

 俺は報告を持って父上のもとへ向かった。城を失った国人が六角を頼ろうとするのは不思議ではない。これまで不破の国人たちとは使者の往来を続けており、中には一色家との関係が悪くなった場合のことを尋ねてきた家もあった。ただし、六角と正式な約束を交わしているわけではなく、逃れてきた者を保護することと、失った城を取り戻すために兵を貸すことは分けて考える必要がある。

 

「右衛門督。坂田へ逃れてきた者があれば、まず身元を確かめさせよ。武具を持つ者については、勝手に領内を歩き回らせぬようにする。ただし、女や子供まで追い返す必要はない。事情を聞くまでは、村の者に面倒を見させてもよかろう」

 

「承知いたしました。一色方の兵が後を追ってくることも考えられますので、境の警固にも知らせておきます」

 

 父上は頷かれ、逃れてきた者を追って一色の兵が現れたとしても、現地の判断だけで争いを起こさぬよう念を押された。国境を越えた者を六角が保護するかどうかは、相手の身元や事情を確かめてから決めればよい。しかし、一色家の兵が六角領内で勝手に武具を振るうことまで認めるつもりはないとのことだった。俺は命令を文にまとめ、坂田の役人と後藤但馬守へ届けるよう使番に申し付けた。

 

 その夜は、不破から届いた報告を幾つか確かめてから休んだ。翌日も新たな知らせはなく、俺は対馬守へ逃れた一族の行方を調べてもらうよう文を送った。城が落ちてから既に何日か経っている。逃れた者たちが無事ならよいが、女や子供を伴っている以上、何処かの村で休まねばならないはずだった。

 

 *

 

 さらに翌日の昼過ぎ、坂田から早馬が駆け込んできた。

 

 使者が案内されてきた時、俺は喜三郎から街道の警固について報告を受けていた。使者は馬を飛ばしてきたらしく、衣服には泥が付き、顔にも疲労の色が濃い。俺が用向きを尋ねると、その場に膝をつき、坂田で一色方の兵による殺傷が起きたと告げた。

 

「右衛門督様。一色方の兵が六角領内へ入り、不破から逃れてきた者たちを襲ったとのことでございます。止めようとした村の若い男も、斬り伏せられました」

 

 俺は手にしていた書付を机へ置いた。使者に落ち着いて話すよう促すと、坂田の役人から預かった書状を差し出された。封を解いて目を通すと、そこには使者の言葉よりも詳しい事情が記されていた。

 

 事件が起きたのは、柏原に近い境目の村だった。不破から逃れてきた一団が、前日の夕刻に坂田へ入ったという。武具を持った男たちが十人ほど、その後ろには女や子供が続き、荷を積んだ馬も二頭いたらしい。合わせて二十人余りの一団で、男たちの中には傷を負った者もいた。彼らは村へ着くと、ここが六角領であることを確かめ、水と休める場所を求めたという。

 

 ところが、村の者たちが事情を聞いている最中、不破の方角から武装した一団が現れた。数は三十人ほどで、一色方の指物を掲げ、逃れてきた者たちを追っていたらしい。追っ手は村へ入るなり、逃亡した国人の一族を引き渡すよう求めた。村の者たちは自分たちだけでは判断できず、坂田の役人へ知らせるので待ってほしいと伝えたという。

 

 その時、村に住む若い男が追っ手の前へ出た。男は農具を置き、ここから先は六角の領地であること、武具を持って村へ入り、人を連れていくならば六角の役人に話を通すべきだと訴えたらしい。村の年寄りも後ろから声を掛けたが、一色方の兵は聞き入れなかった。

 

「村の者の話では、その若者が道を塞ぐようにして止まるよう求めたところ、一色方の兵の一人が馬を進め、そのまま斬り付けたとのことでございます。若者はその場に倒れ、助け起こそうとした者も刀を向けられ、近付けなかったそうにございます」

 

 俺は書状から顔を上げた。村の者が、領内へ勝手に入ってきた兵を止めようとして斬られた。相手が何を言い、どのような態度であったとしても、六角領の百姓が一色家の兵に討たれてよい理由にはならない。俺は使者に、その若者が助かったのか尋ねたが、返ってきたのは既に息を引き取ったという答えだった。

 

 さらに悪いことに、一色方の兵はそのまま逃れてきた一団へ襲い掛かったという。武装した家臣たちは女や子供を逃がそうとしたものの、数で劣るうえに長い逃亡で疲れ切っていた。村へ続く道で抵抗した者たちは次々と斬り伏せられ、最後まで武具を手放さなかった男たちも討たれた。村の者たちは家の陰や田畑へ逃げ、争いが収まるまで近付くこともできなかったらしい。

 

 逃れてきた一団のうち、女や子供は殺されなかった。しかし、一色方の兵は彼女たちを捕らえると、縄で手を縛り、逃げられぬよう互いに繋いだという。泣き叫ぶ子供を抱えた女まで縄を掛けられ、男たちの遺体を残したまま、不破の方角へ連れ去られていった。坂田の警固を担う者たちが知らせを受けて駆け付けた時には、一色方は既に境を越えて引き揚げた後だった。

 

 書状を読み終えた俺は、すぐには口を開けなかった。不破の国人を追ってきた兵が、六角領へ入ったことを知らなかったとは考えにくい。村の者が境を越えたことを告げ、そのうえ役人へ知らせるので待てと求めている。それでも一色方は武具を振るい、六角の領民を討ち、逃れてきた一族の女や子供を連れ去ったのである。

 

「一色方の兵が引き揚げるところを見た者はいるのか」

 

「はい。村の者だけでなく、近くの道を通っていた者も見ております。女や子供を縄で繋ぎ、徒歩で連れ戻していたとのことでございます。坂田の役人は、目撃した者からそれぞれ話を聞き取っております」

 

 俺は頷き、喜三郎に使者の話を書き留めさせた。使者へは一色方の指物や兵の数、村の若者が斬られた場所について、分かる範囲で答えてもらう。城方の武装した者が討たれたことも重大だが、六角の領民が斬られたとなれば、もはや不破の国人だけの問題ではない。逃れてきた者たちが何者であろうと、六角領内で勝手に兵を動かし、人を殺すことを許せば、今後も同じことが起こりかねなかった。

 

 俺は弥太郎を呼び、父上への取次ぎを急ぐよう伝えた。弥太郎は使者の様子を見て何かあったことを察していたようだが、詳しい話を聞くと表情を引き締めた。喜三郎には書付を持って同行するよう命じ、成持には対馬守へ送る急ぎの文を用意してもらう。長俊には不破から逃れた一族について、これまでの書状から身元を確かめられるものを探すよう頼んだ。

 

 *

 

 父上は俺たちの報告を最後まで聞かれた。使者が村の若者の最期について話した時、僅かに眉を寄せられたものの、途中で言葉を挟むことはなかった。女や子供が縄で繋がれ、そのまま不破へ連れ戻されたことまで聞き終えると、書状を手に取ってしばらく目を通された。

 

「斬られた村の者は、六角の百姓で間違いないのだな」

 

「はい。現地の役人からも、そのように報告が届いております」

 

「ならば、まずその者の家を確かめよ。遺された者がおるなら、当面の暮らしに困らぬよう取り計らわせるのじゃ。逃れてきた者たちの亡骸も、そのまま道端へ捨て置くことは許さぬ」

 

 父上は続けて、目撃者の話を詳しく聞き取ること、一色方が何処から六角領へ入ったのかを確かめること、坂田の警固を担う者たちに勝手な追撃を禁じることを命じられた。現地の者たちも、目の前で村の若者が討たれたとあれば、怒りを抑えるのは難しいだろう。しかし、今から不破へ兵を追い掛けさせても、連れ去られた者たちを取り戻せるとは限らない。相手が既に城へ戻っているのであれば、今度はこちらが一色領へ攻め込んだことにもなりかねなかった。

 

「父上。一色方が連れ戻した女や子供についても、行方を確かめさせていただきたく存じます。何処へ連れていかれたのかが分かれば、今後の対応も考えられます」

 

「うむ。対馬守に任せよ。ただし、救い出そうなどと勝手に動くことは禁じる。まずは確かなことを調べさせるのじゃ」

 

 父上はそう仰ると、控えていた者へ進藤山城守と蒲生下野守を呼ぶよう命じられた。後藤但馬守へも急ぎ使者を出し、坂田の村々と街道の警固を確かめさせるという。俺は父上の命令を書き留め、すぐに文を用意すると申し出た。

 

 退出しようとしたところで、父上から声を掛けられた。

 

「右衛門督。今回の件について、一色家から何か申し開きが届いておるか確かめよ。まだ何も届いておらぬのであれば、それも報告させるのじゃ」

 

「承知いたしました」

 

 俺が頭を下げると、父上は再び坂田からの書状へ目を落とされた。机の上には、不破の戦が始まった頃から届いている報告が並んでいる。その一番新しい書状には、六角領内で百姓が斬られ、武装した者たちが討たれ、女や子供が連れ去られたことが記されていた。

 

 自室へ戻ると、弥太郎が使番を待たせていた。俺は父上から命じられたことを伝え、後藤但馬守へ送る文を整えた。対馬守には一色方の兵が境を越えたことだけでなく、連れ去られた者たちの行方と、現地の将が誰の命令で動いていたのかを確かめていただく必要がある。俺が筆を走らせている間、成持は別の文を用意し、喜三郎は坂田の警固に関わる報告を広げていた。

 

「若様。後藤様への使いは、すぐに出せます」

 

「ああ。対馬守殿への使いも別に頼む。今回の件は、出来るだけ早く伝えたい」

 

 弥太郎が頷き、書状を受け取った。俺は最後の文へ花押を据え、封をするよう頼んだ。使番が出立すると、部屋には再び静けさが戻ったが、俺はすぐに次の書付へ手を伸ばす気になれなかった。机の端には、坂田から届けられた報告が置かれている。村の若者が追っ手を止めようとして斬られたこと、逃れてきた男たちが討たれたこと、そして女や子供が縄で繋がれて連れ戻されたことが、簡潔な言葉で記されていた。

 

 俺はその書状をもう一度手に取り、村の若者について書かれた箇所へ目を向けた。名はまだ記されていない。誰の子で、どのような暮らしをしていたのかも分からない。ただ、六角の領内へ入ってきた兵を止めようとしたことだけは、そこにはっきりと書かれていた。俺は書状を畳まず机の上へ戻し、坂田の役人に尋ねることを一つ書き加えた。

一話の文字数はどのぐらいが読みやすいですか?

  • このまま
  • 5000文字前後
  • 15000文字前後
  • 1~5000文字
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。