淡海乃海 双流の近江   作:はくいろ

78 / 79
第七十五話「公方の祝儀」

 近衛家から寿の婚姻について知らせが届いたのは、三好方の動向を記した書状に目を通していた時だった。近衛家の使者は、六角右衛門督との縁談が正式にまとまり、既に近江との間で祝言の日取りや輿入れの支度について話を進めていると告げた。以前から縁組を考えているとは聞いていたが、こうして具体的な知らせを受けると、思いのほか早く話が進んだようにも感じる。六角の嫡男が近衛家の娘を娶る。家同士の縁組としても、決して小さな話ではなかった。

 

 寿は御台所である鞠の姉に当たる。俺も近衛家を通じてその名を聞く機会はあったが、普段から親しく言葉を交わすような間柄ではない。六角右衛門督についても同じで、左京大夫の嫡男として何度か報告を受けているものの、本人と十分に話したことがあるわけではなかった。それでも、年若くして父親の政務を助け、近江の領国経営にも関わっているという。近頃は不破郡の国人たちとの交渉まで任されているらしく、左京大夫が随分と目を掛けているようだった。

 

 使者から婚姻の見通しを聞いた後、俺は近衛家への返答を用意させた。まずは縁組が整ったことへの祝いを伝え、祝言の日取りが定まれば知らせてほしいと申し添える。幕府からも相応の祝儀を遣わすつもりだった。使者は丁重に礼を述べて下がったが、近衛家の文は机の上へ残した。寿が六角へ嫁げば、右衛門督と俺は相婿になる。将軍と守護家の嫡男という立場は変わらぬものの、近衛の姉妹をそれぞれ妻として迎えることになるのだから、今までとは違った縁が生まれることは確かだった。

 

 もっとも、婚姻が決まったからといって、六角が幕府の求めに何でも応じるようになるとは思っていない。左京大夫は長く近江を治めてきた男であり、自家の利を考えずに兵を動かすような人物ではない。俺が都で何を望んでいるかも承知しているはずだが、それと六角が実際に何をするかは別の話である。とはいえ、今後の幕府を考えるうえで、近江の六角と縁が深まることを喜ばぬ理由もなかった。

 

 俺は文を脇へ置き、先ほどまで読んでいた三好方の報告へ目を戻した。京では相変わらず三好の力が大きい。公方として政を行っていても、こちらの考えだけで物事が進むわけではなく、諸国の守護や国人へ働き掛けるにも、相手の都合を考えねばならない。幕府の名が持つ重みは失われていないが、その名だけで兵も銭も集まるわけではなかった。だからこそ、六角のように実際の力を持つ家との関係は大切にしたかった。

 

 その日の政務を終える頃、俺は御台所のもとへ寿の婚姻について知らせることにした。鞠も近衛家から話を聞いているはずだが、正式に縁組が進んだことを夫である俺が何も告げぬのも妙な話である。近衛家の祝いについて相談する用向きもあったため、近習に取次ぎを命じた。

 

 *

 

 鞠は俺が訪ねるといつも通り静かに迎えた。部屋には京から届いたらしい文が幾つか置かれ、侍女がそれらを片付けているところだった。俺が座ると鞠も姿勢を正して向き直る。夫婦なのだから、もう少し気安くしてもよさそうなものだが、鞠はいつも礼節を崩さない。こちらも政務に追われて顔を合わせる機会が少なく、気付けば必要な用向きだけを話して退出することが増えていた。

 

「寿と六角右衛門督の婚姻が、正式に進むことになったそうだ。近衛家から知らせがあった。六月のうちには祝言を行いたいとの話も出ているらしい」

 

「はい。父からも文が届いております。姉上は以前より近江のお話を伺っておられましたので、今回の縁談が整ったことを喜んでおいでと聞いております」

 

 鞠はそう答え、傍らに置かれた文へ一度だけ目を向けた。姉の婚姻を喜んでいるのだろうが、その声は普段と大きく変わらない。俺が六角へ祝いの使者を送るつもりだと告げると、鞠も寿へ祝いの文と品を届けたいと申し出た。近衛家を通じて送ることもできるが、幕府の使者に託せるのであれば、その方が都合がよいという。

 

「構わぬ。幕府からも相応の者を遣わすつもりだ。用意が整えば使者に持たせよう」

 

「ありがとうございます。姉上にも公方様からのお心遣いをお伝えいたします」

 

 鞠は丁寧に頭を下げた。それから少しだけ間が空き、俺は寿が京を離れることについて何か気掛かりはないか尋ねようとした。だが、先に鞠が近衛家から届いた文のことを話し始め、輿入れの支度については父が進めているので案ずることはないと告げた。俺もそれ以上踏み込まず、必要な品があれば早めに知らせるよう伝えた。

 

 寿と鞠がどれほど親しかったのか、俺は詳しく知らない。姉妹なのだから幼い頃は同じ屋敷で暮らしていたはずだが、二人が何を話し、互いをどう思っていたのかまで聞いたことはなかった。鞠が姉のことを話す時は、普段より言葉が柔らかくなるようにも感じる。しかし、俺へ向けられる言葉はいつも丁寧で、そこから先へ進むことがない。今日も祝いの品について話がまとまると、ほかに用向きはないかと尋ねられた。

 

 俺は近衛家への返書について簡単に伝え、部屋を辞した。廊下へ出ると奥から侍女たちが何か相談している声が聞こえてきた。寿へ贈る品のことだろうか。振り返って確かめるほどのことでもなく、俺はそのまま政務を行う部屋へ戻った。机には先ほどの三好方の報告が残されており、明日には幕臣たちと相談せねばならないことも幾つかあった。

 

 鞠が寿の婚姻を喜んでいることは分かった。それ以上に何を考えているのかは、結局聞かずに終わった。

 

 *

 

 翌日、幕臣たちへ近衛家と六角家の婚姻が正式に進んでいることを伝えると、予想していた以上に関心が集まった。六角左京大夫とは以前から幕府を通じた往来があり、近江の情勢についても度々報告が届いている。そこへ公方の御台所の姉が六角の嫡男へ嫁ぐというのだから、今後の関係を考えずにはいられないのだろう。祝いの使者について相談するつもりだったが、話は自然と六角家の動向へ広がっていった。

 

 六角は近江南部を治め、昨年には浅井から坂田郡を受け取っている。北近江では朽木家が伊香郡と浅井郡を領しており、両家は親しい関係を保っているという。もっとも、朽木は六角の家臣ではない。朽木が独自に領国を治めていることは幕府でも承知している。六角と朽木が歩調を合わせれば近江における影響力は大きくなるが、両家を一つの家として扱うことはできなかった。

 

 幕臣の一人は、今回の婚姻によって六角との結び付きが深まれば、京の政務にも良い影響があるのではないかと述べた。三好が何かにつけて口を出してくる以上、幕府に近い大名が増えることは望ましい。特に、近江は京へ通じる道を押さえる土地である。諸国からの使者や物資の往来を考えても、六角との関係を良好に保つ意味は大きかった。

 

 だが、別の者は婚姻を理由に六角へ過度な期待を寄せるべきではないと進言した。左京大夫は幕府との関係を重んじているものの、近江の領国経営にも力を注いでおり、坂田を得たばかりの今は新たな土地を落ち着かせる必要があるという。三好に対抗するため兵を出せと求めたところで、容易に応じるとは限らない。むしろ、せっかくの縁組を政治的な要求のために使おうとすれば、六角の警戒を招く恐れがあるとのことだった。

 

「六角が幕府へ力を貸すことは、今に始まった話ではあるまい。左京大夫とて、儂を軽んじておるわけではない。婚姻によって縁が深まるのであれば、今後はより親しく話を進められるのではないか」

 

 俺がそう告げると、幕臣たちはそれぞれ頷いた。ただ、その表情を見れば、皆が同じことを考えているわけではないと分かる。六角の軍勢を三好への備えに使いたい者もいれば、幕府の名を通じて近江との往来を確かなものにしたい者もいる。将軍家と姻戚になったからといって、六角の兵を自由に動かせるわけではない。それを承知しながらも、新たな縁へ期待を寄せるのは自然なことだった。

 

 細川藤孝は、六角右衛門督本人について尋ねた。左京大夫の嫡男として政務に関わっていることは知っているものの、どのような人物なのか詳しく聞きたいという。藤孝は以前から諸家との往来に関心を持ち、相手の家柄だけでなく、その人物が何を考えているのかを気にする男だった。俺も右衛門督については報告を通じて知ることが多く、本人の考えを直接聞いてみたいと思っていた。

 

「右衛門督はまだ若いが、左京大夫から相応の仕事を任されておるらしい。近頃は不破の国人との交渉にも関わっていると聞く。父親の名だけで働いているわけではなさそうだな」

 

「左京大夫が嫡男へ仕事を任せること自体は珍しくございませぬ。されど、実際にどこまで判断を委ねているかによって、今後の六角家も変わりましょう。一度ゆっくり話を伺ってみたいものにございます」

 

 藤孝の言葉に、三淵藤英も関心を示した。藤英は六角家の内情について、父子の役割がどのように分けられているのかを確かめる必要があると述べる。左京大夫が当主である以上、幕府から正式な話を通す相手は変わらない。しかし、嫡男が外交に関わるのであれば、今後は右衛門督とも適切な関係を築いておくことが望ましいという。二人は兄弟でありながら、着目するところが少し違うようだった。

 

 俺は二人の話を聞き、祝いの使者について考え始めた。近衛家の姫が嫁ぎ、幕府とも縁の深い六角家の嫡男が祝言を迎えるのである。形式だけ整えた使者を遣わすよりも、俺の考えをよく知る者に祝いを託した方がよい。六角が今後、幕府へどのような協力を考えているのかも、機会があれば聞いてきてもらいたかった。ただし、祝言の場へ赴いて早々に軍勢の話を持ち出すようでは、近衛家にも六角家にも失礼になる。

 

 その日は使者の人選について結論を出さず、まず幕府から贈る祝儀の品を整えるよう命じた。藤英と藤孝は、近衛家との礼儀や六角側の都合を確かめることになった。祝言の日取りがまだ正式に決まっていない以上、こちらから勝手に使者の出立を定めるわけにはいかない。もっとも、六月下旬頃になるという話が本当なら、支度を始めるにはちょうどよい時期だった。

 

 *

 

 数日後、近江から別の知らせが届いた。六角と美濃の一色家との間で、坂田郡を巡る争いが生じているという。発端は不破郡の国人が一色家の命令に逆らったことで、一色の軍勢が城を攻め落とし、逃亡者を追って坂田へ入り込んだらしい。その際、六角領の百姓が斬られ、逃れてきた国人の家臣たちも討たれたという。女子供は一色方に捕らえられ、不破へ連れ戻されたと記されていた。

 

 俺は報告を読み、細川藤孝と三淵藤英を呼んだ。二人とも既に事件のことを耳にしていたらしく、藤英は六角と一色の間で使者が往来していると話した。一色は越境した兵の振る舞いを本意ではなかったとしながらも、六角が不破の国人を唆したのではないかと疑っているらしい。一方、六角は領民を斬った兵の責任を問い、遺族への償いを求めているという。

 

 美濃の国人が一色家と争うこと自体は、幕府にとって直ちに大きな問題となるわけではない。だが、六角領で百姓が討たれたとなれば話は違う。左京大夫が黙っていれば、自家の領民を守れぬと見られるだろう。かといって、一色へ兵を向ければ近江と美濃の争いが広がる。今の幕府にとっても、近江の有力大名が新たな戦に巻き込まれることは望ましいことではなかった。

 

「六角は兵を動かしておるのか」

 

「坂田の警固を強めておりますが、不破へ軍勢を進めたとの報告はございませぬ。一色方も大軍を集める動きは見せておらぬようにございます」

 

 藤英の答えを聞き、俺は頷いた。田の支度が進み、間もなく植え付けの忙しい時期を迎える。今から大軍を集めれば、近江でも美濃でも村々への負担は小さくない。双方とも、そのことは承知しているはずだった。ただし、農繁期だから戦が起きないと決まっているわけではない。小さな争いが重なり、互いに引けなくなれば、季節に関係なく兵を動かすこともあるだろう。

 

 藤孝は、今回の婚姻が六角と一色の争いへ影響する可能性について触れた。六角の嫡男が近衛家の姫を娶り、将軍とも相婿になることは、美濃の一色家にも伝わるはずだという。龍興がそれをどのように受け取るかは分からないが、幕府が六角を後押ししていると考える者が現れても不思議ではない。俺はその言葉を聞き、少し考えた。

 

「婚姻はめでたいことだ。だが、それを理由に幕府が一色へ兵を向けるつもりだと思われては困る。祝いの使者を遣わすことと、六角の戦を助けることは別じゃ。その点を取り違えぬようにせねばならぬな」

 

 藤英と藤孝は頷いた。俺は二人へ、今回の争いについて引き続き報告を集めるよう頼み、祝言の場では一色との問題へ無用に踏み込まぬ方がよいと伝えた。相手から話を求められれば聞けばよいが、こちらから軍事的な協力を申し出るつもりはない。六角との関係が深まることは歓迎しているものの、その縁が整う前から余計な争いへ巻き込まれるわけにはいかなかった。

 

 藤英たちが退出した後、俺は近衛家から届いた文をもう一度取り出した。寿が近江へ嫁ぐことになれば、鞠にとっても今までとは違う暮らしになるのだろう。姉が京を離れることを寂しく思うのか、それとも六角との縁組を喜ぶ気持ちの方が強いのか。先日会った時には、そこまで詳しく尋ねなかった。

 

 机の上には三好方の動向を記した書状も残っていたが、俺はすぐには手を伸ばさなかった。近衛家から正式な日取りが届けば、幕府の使者を選ばねばならない。藤英と藤孝ならば、祝儀を届ける役目も、六角家の様子を見てくる役目も任せられるだろう。俺は二人の名を記した書付を手元へ引き寄せ、次に呼び出す際には、祝言への使者について直接話をすることにした。

 

 *

 

 近衛家から祝言の日取りが定まったとの知らせが届いた。六月下旬、六角右衛門督と寿の婚姻を執り行うという。近衛家と六角家の間では既に輿入れの支度が進められており、寿に付き従う者や近江での住まいについても、おおよその話がまとまったらしい。知らせを持参した使者は、近衛家から幕府へも正式に祝言の日取りを伝えるよう申し付けられていた。俺は文に目を通し、以前から考えていた祝儀の使者について、いよいよ人選を決めることにした。

 

 寿が近江へ嫁ぐまで、もう一月もない。近衛家ほどの家であれば婚姻に関する支度も少なくないはずだが、今回は以前から縁談を進めていたため、滞りなく話がまとまったのだろう。六角の方でも、左京大夫が嫡男の祝言を軽く扱うとは思えない。近江の諸将だけでなく、親しい国人や同盟を結ぶ家々からも祝いが寄せられるはずだ。そこへ幕府が使者を遣わすとなれば、相応の人物を選ばねばならなかった。

 

 俺は三淵藤英と細川藤孝を呼び、近衛家から届いた文を見せた。二人は先日から祝儀の支度にも関わっており、日取りが定まったことを告げると、藤英はすぐに使者の出立について話を始めた。京から観音寺城までならば、道中で長く日を費やすわけではない。しかし、近衛家の姫の婚姻である以上、使者が到着してからの取次ぎや、祝儀を渡す相手についても事前に確かめておく必要があるという。

 

「藤英、藤孝。今回の祝言には、そなたたち二人を遣わそうと思う。近衛家との縁組であり、六角にとっても嫡男の婚姻じゃ。幕府として祝いを届ける以上、軽々しい使いで済ませるつもりはない」

 

 藤英は姿勢を正し、藤孝も深く頭を下げた。二人とも驚いた様子は見せなかったが、藤孝は顔を上げると、六角左京大夫へ伝える口上について尋ねてきた。祝いの言葉だけでよいのか、それとも今後の幕府との関係について何か申し添えるべきことがあるのか。その問いには、藤英も関心を持っているようだった。

 

 俺はすぐには答えず、二人の前へ置いた近衛家の文をもう一度開いた。寿と右衛門督の婚姻を祝うことが、今回の第一の役目である。そのことを疎かにしてまで、六角へ政治的な要求を突き付けるつもりはなかった。だが、藤英と藤孝ほどの者を遣わすのであれば、左京大夫や右衛門督が幕府をどう見ているのか、機会があれば確かめてきてもらいたいとも思う。

 

「表向きは祝いの使者じゃ。それを忘れてはならぬ。左京大夫へは、寿との縁組を喜んでおると伝えよ。右衛門督にも、今後は近衛家を通じて縁の深い間柄となることを喜ばしく思っていると申してくれ。そのうえで、話す機会があるならば、近江の様子や幕府についての考えを聞いてきてもらいたい」

 

「承知いたしました。されど、六角から何か求められた場合は、如何いたしましょう。美濃の一色との件もございます。幕府の考えを問われることは十分に考えられます」

 

 藤英の問いはもっともだった。一色と六角の争いについては、その後も使者の往来が続いていると聞く。六角は坂田の百姓を斬った兵の責任を問い、一色は不破の国人が六角と通じていたことを問題にしているらしい。互いに大軍を動かしてはいないものの、和解が成立したという知らせもない。今回の祝言を機に、左京大夫が幕府の仲裁を求めてくる可能性はあった。

 

「聞くことは構わぬ。だが、そなたたちの判断だけで幕府が兵を出すと約束したり、一色へ命を下すと申し渡したりしてはならぬ。必要とあれば儂……いや、俺のもとへ話を持ち帰れ。祝いの席で決めるべきことではあるまい」

 

 藤英が頷くと、藤孝も今回の役目を心得たと答えた。二人には祝儀の品と書状を託すが、それとは別に近江の情勢についても見聞きしたことを報告してもらう。左京大夫と右衛門督の考え方だけでなく、家臣たちがどのように仕事を分け、領国を治めているのかも知りたかった。六角は近頃、坂田郡を得て領地を広げている。そのような時期に嫡男へ政務を任せているのだから、何か考えがあってのことだろう。

 

 藤孝は六角右衛門督との対面を楽しみにしていると話した。以前から若い嫡男が領国経営に関わっているという報告は耳にしていたものの、その人物がどのような考えを持ち、何を得意としているのかまでは分からないという。藤英も、左京大夫がどれほど嫡男へ仕事を委ねているのかを知りたいようだった。ただ、二人とも祝いの場で相手を問い詰めるようなことはしないと約束した。

 

 俺は二人に祝儀の支度を進めるよう命じ、近衛家との間で必要な連絡を取らせることにした。藤英は出立までの日取りを確かめ、藤孝は祝いの品について担当する者と相談すると申し出た。二人が退出すると、俺は机に残った近衛家の文を畳み、別の書状へ目を移した。祝言が決まったことで一つ仕事が増えたが、悪い気分ではなかった。

 

 *

 

 使者の人選が決まると、幕臣たちの間でも六角との縁組についての話が増えた。ある者は、今回の婚姻を機に六角から幕府へ人を出してもらってはどうかと申し出た。京で政務を行うには、諸国の事情に通じた者が必要であり、六角の家臣であれば近江や美濃の情勢についても詳しいだろうという。別の者は、三好との関係を考えれば、六角に京へ兵を出してもらえるよう、今から話を進めておくべきだと主張した。

 

 どちらも幕府の力を強めたいという点では理解できる。しかし、婚姻が決まったばかりの六角へ、早速人や兵を求めるというのは性急に過ぎる。左京大夫が幕府との関係を重んじていることは知っているが、だからといって六角の家臣や兵をこちらの都合で動かせるわけではない。近江では新しく得た坂田の統治も続いており、美濃との境には不穏な動きまである。そうした事情を無視して要求を重ねれば、縁組を喜んでいた相手にも不信を抱かせるだろう。

 

「六角が幕府へ力を貸すのであれば、それは喜ばしい。だが、右衛門督が寿を娶るからといって、左京大夫の兵まで我らのものになるわけではない。縁が深まった時こそ、相手の事情を軽く見てはならぬ」

 

 俺がそう告げると、幕臣たちはそれ以上強く求めなかった。ただ、中には納得していない様子の者もいる。三好が京で力を振るっている以上、幕府にとって頼れる大名は一人でも多い方がよい。せっかく六角と近しい間柄になるのだから、その機会を逃したくないのだろう。俺も同じように考えないわけではないが、無理に動かした相手が次も力を貸してくれるとは限らなかった。

 

 その後、藤英が使者の支度について報告に来た際、俺は幕臣たちから出た話を伝えた。藤英は人を出してもらうこと自体は難しい話ではないとしながらも、六角の嫡男が婚姻を迎える今、そうした要求を重ねるのは避けるべきだと述べた。藤孝も、まずは祝言を通じて相手と親しくなり、今後の往来を増やすことが先だという考えだった。

 

「六角右衛門督がどのような人物かも、まだ十分には分かっておりませぬ。今から多くを求めるより、直接言葉を交わし、互いの考えを知ることができれば、それだけでも今回の使いには意味がございましょう」

 

 藤孝の言葉に、俺は頷いた。左京大夫とは以前から幕府を通じて付き合いがあるが、右衛門督とはこれからの関係になる。将来、六角家を率いる男が幕府にどのような考えを持つかは重要だ。だが、それを一度の使いで全て知ろうとする必要はない。藤孝には、話せる範囲で構わぬから右衛門督の考えを聞き、戻ったら報告してほしいと伝えた。

 

 祝儀の品についても、おおよその支度が整ったという。右衛門督へは太刀と馬を贈り、寿へは御台所からの品とは別に、幕府からも祝いの品を用意する。左京大夫へ届ける書状には、嫡男の婚姻を喜ぶ言葉を添えた。品の数や扱いについては近衛家とも相談しており、祝いの場で不都合が生じぬよう藤英が確かめているらしい。俺は一通りの報告を聞き、細かな支度については二人に任せることにした。

 

 *

 

 六月中旬に入ると、京でも雨の降る日が増えてきた。朝から降り続く日もあれば、昼過ぎに急に空が暗くなる日もある。道が悪くなれば使者の往来にも時間が掛かるため、藤英たちは祝言の数日前には近江へ入れるよう出立の日を定めていた。近衛家から寿の輿入れに関する知らせも届いており、支度は滞りなく進んでいるという。

 

 その頃、御台所から寿へ贈る祝いの品が整ったとの知らせがあった。俺は以前から頼まれていたことでもあり、藤英たちへ託す前に一度確かめることにした。鞠のもとへ向かうと、侍女たちが幾つかの包みを揃えていた。寿へ贈る衣や身の回りの品のほか、鞠自身が認めた文もあるらしい。近衛家から既に祝いの品が用意されているはずだが、姉妹として別に届けたいものがあるのだろう。

 

 鞠は俺が品を確かめる間、静かに控えていた。近衛家から届いた知らせでは、寿も輿入れの日を心待ちにしているらしい。俺がそのことを話すと、鞠は僅かに表情を和らげ、姉上は一度決めたことには迷わず向き合う方だと答えた。幼い頃からそうであったのかと尋ねると、鞠は少し考え、昔から周囲の話をよく聞きながらも、最後には自分の考えをはっきり口にする人だったと話した。

 

「姉上は、慣れぬ場所へ参ることを案じていないわけではないと存じます。それでも、六角のお家で暮らすことを楽しみにしておられるようです。以前にお会いした折のことも、文に書いておられました」

 

「右衛門督のことか。寿は、随分と気に入っておられるようだな」

 

「はい。姉上があのように人のことを詳しく尋ねられるのは、珍しいことにございます」

 

 鞠の返答は穏やかだったが、そこには普段よりも少しだけ親しみが感じられた。姉のことを話しているためだろうか。俺が右衛門督について聞いている話を幾つか伝えると、鞠は静かに耳を傾けていた。若くして領国経営に関わっていることや、左京大夫から外交の仕事を任されていることを話したが、鞠が特に関心を示したのは、寿が近江でどのように暮らすことになるのかという点だった。

 

「六角のお城では、姉上がお暮らしになる部屋も整えられているのでしょうか」

 

「近衛家との間で既に話を進めておると聞く。左京大夫も嫡男の婚姻を軽く扱うまい。必要な支度は整えておるはずだ」

 

「左様でございますか。それならば、安心いたしました」

 

 鞠はそう答えたが、すぐに別の話を始めることはなかった。俺も何か言葉を掛けようとしたものの、寿の暮らしについて知っていることは限られている。藤英たちが近江へ赴けば、いずれ詳しい様子も分かるだろう。そう伝えると、鞠は丁寧に礼を述べ、祝いの品を使者へ託してほしいと頼んできた。

 

 俺は承知し、侍女たちが包みを運び出すのを見送った。鞠の文については封が整えられており、中身を確かめる必要もない。姉妹の間で交わす言葉まで、俺が知ることではなかった。部屋を出る際、鞠は寿が無事に近江へ着き、良い祝言を迎えられるよう願っていると述べた。俺は必ず使者に伝えると答え、その場を辞した。

 

 廊下へ出てから、ふと先ほどの鞠の言葉を思い返した。姉のことを話す時、鞠は普段よりも幾分言葉が多かった。近衛家での暮らしや幼い頃のことなど、俺が知らぬ話もあるのだろう。だが、夫婦になってから今日まで、そうした話を聞く機会はほとんどなかった。何かを尋ねれば丁寧に答えるものの、鞠の方から話を広げることは少ない。俺も政務を理由に、必要な用向きが済めば部屋を出てしまうことが多かった。

 

 今さら何を話せばよいのか、すぐには思い付かなかった。鞠が姉の婚姻を喜んでいることは分かったのだから、今日のところはそれでよいだろう。そう考え、俺は政務の間へ戻った。

 

 *

 

 細川藤孝と三淵藤英が近江へ向けて出立する日、俺は二人を呼び、最後に言葉を交わした。祝儀の品と書状は既に整えられ、御台所から寿へ贈るものも別にまとめられている。近衛家との間で必要な取次ぎも済んでおり、あとは道中で大きな支障がなければ、祝言に先立って観音寺城へ到着できるはずだった。

 

 藤英は出立に際して、六角左京大夫へ伝える口上を改めて確かめた。俺は以前に申し渡した通り、婚姻を祝うことを第一とし、幕府が今回の縁組を喜んでいることを伝えるよう命じた。右衛門督へは、将来の六角家を担う者として今後も親しく付き合いたいと伝えてほしい。六角の家臣たちとも話す機会があれば、無理のない範囲で近江の様子を聞いてきてもらいたかった。

 

「藤英、藤孝。今度の婚姻は、寿と右衛門督の祝いじゃ。六角へ何かを求めるために遣わすのではない。そのことだけは忘れるな。近江の様子を知る機会ではあるが、祝いの席を無粋な話で乱すようなことはするなよ」

 

「承知いたしました。六角左京大夫様にも右衛門督様にも、公方様のお祝いのお気持ちをお伝えいたします。そのうえで、機会があればお話を伺ってまいりましょう」

 

 藤英が答えると、藤孝も頭を下げた。俺は二人の顔を見て、少し笑った。藤英は慎重に事を進める男であり、藤孝は相手との会話から多くを知ろうとする。兄弟でありながら物事の見方には違いがあるが、今回のような役目にはかえって都合がよい。どちらか一人だけなら見落とすことも、二人であれば気付くことがあるだろう。

 

 出立の支度が整ったと告げられ、二人は改めて一礼した。俺は無事に役目を果たして戻るよう声を掛け、送り出した。藤英と藤孝が退出すると、控えていた者たちも祝儀の品を運ぶために部屋を離れ、先ほどまでの賑わいが収まった。

 

 俺は机に戻り、近衛家から届いた婚姻の日取りを記した文へ目を落とした。六月下旬には寿が近江へ嫁ぎ、六角右衛門督は妻を迎える。そうなれば、俺たちは近衛家の姉妹をそれぞれ妻とする相婿になるわけだ。今までは左京大夫を通じてしか知らなかった右衛門督とも、今後は直接言葉を交わす機会が増えるかもしれない。

 

 もっとも、近江と美濃の間にはまだ不穏な動きが残っている。六角と一色の使者の往来は続いており、双方とも軍勢を集めてはいないものの、争いが収まったという知らせはなかった。藤英たちも道中で何か耳にすることがあるだろう。俺は帰着後に詳しい報告を受けることにして、まずは二人が無事に祝儀を届けることを願った。

 

 その日の夕刻、近習から藤英と藤孝が京を発ったとの知らせが届いた。俺は報告を聞いて頷き、机に積まれていた書状の中から三好方の動向を記したものを取り出した。祝いの使者を送り出したからといって、京の政が静かになるわけではない。近衛家と六角家の婚姻が整うまでにも、片付けねばならないことは幾つも残っていた。

 

 俺は書状を開き、三好方の動きについて記された箇所へ目を通した。窓の外では、先ほどまで降っていた雨が上がり、庭の木々から雫が落ちている。近江へ向かった二人も、今頃は道を進んでいることだろう。俺は次の書状を手に取り、控えていた近習へ、明日のうちに話を聞いておきたい者の名を幾つか告げた。

 

一話の文字数はどのぐらいが読みやすいですか?

  • このまま
  • 5000文字前後
  • 15000文字前後
  • 1~5000文字
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。