祝言から五日が過ぎ、観音寺城にも普段の落ち着きが戻り始めていた。三日間にわたって催された祝いの宴も終わり、京から訪れていた三淵藤英殿や細川藤孝殿は既に帰路に就いている。弥五郎と小夜も塩津浜へ戻り、城内に残っていた客人たちの姿も少なくなった。奥では女房たちが調度を片付け、表では祝いの品に対する返礼の手配が進められている。俺も昨日から普段の政務へ戻っていたが、朝の過ごし方だけは以前と少し変わっていた。
寿は朝餉を終えると、膳を下げに来た女房へ幾つか尋ねていた。観音寺城へ来てから、女房たちの名前や役目を覚えようとしているらしい。昨日は奥の庭を案内してもらい、そこで咲いている花について話を聞いたという。俺が政務でほとんど足を運ばなくなった場所にも興味を持っているようで、知らないことがあれば自分から尋ねていた。
そんな寿が、ふと俺の手元へ目を向けた。脇には昨夜届いた坂田の帳面が置いてあり、俺は朝餉を取りながら時折そちらへ手を伸ばしていた。寿は少し困ったように微笑むと、俺の前に残っている膳を見た。
「四郎様、今朝もお忙しいのですか。先ほどから、そちらの帳面ばかり気にしておられます」
「坂田から届いたものだ。急ぎではないが、父上へお見せする前に目を通しておこうと思っていた」
「でしたら、まずはお食事を済ませてしまわれてはいかがでしょう。お汁も冷めてしまいますよ」
言われてみれば、寿の膳は既に片付けられているのに、俺の前にはまだ汁椀が残っていた。帳面を閉じて脇へ置くと、寿はそれ以上何も言わず、茶を勧めてくれた。残っていた朝餉を済ませる間、昨日案内されたという庭の話を聞いていると、思いのほか時間が過ぎていた。
「四郎様は、あちらのお庭にはあまり行かれないのですか。季節ごとに花が楽しめると伺いました」
「幼い頃はよく足を運んだが、最近はほとんど行っていないな。気に入ったのなら、今度一緒に見に行こう」
「はい。是非ともお願いいたします」
寿は嬉しそうに微笑んだ。俺も笑みを返し、席を立つ。京で文を交わしていた頃には、こうして同じ屋根の下で暮らす日を楽しみにしていたものだが、実際に夫婦となってみれば、特別な話をしなくとも十分に楽しい。もっとも、政務を放り出して一日中付き合うわけにもいかない。寿には夕刻に戻ると伝え、部屋を後にした。
廊下へ出ると、弥太郎が待っていた。俺の姿を見るなり、何やら満足そうな顔をしている。理由を尋ねる前から、あまり聞きたくない話だという予感がした。
「若様、今朝は朝餉を残されなかったそうですな。奥方様のお力は大したものでございます」
「何だ、わざわざそのようなことを確かめていたのか。俺が普段から何も食べていないような言い方はよせ」
「いえいえ。私が何度申し上げても、お忙しい時には箸を置いてしまわれますから。これからは奥方様にお願いするのがよろしいかと」
「そなたまで寿を味方に付けるつもりか。これでは俺の居場所がなくなるではないか」
弥太郎は声を立てて笑った。幼い頃から世話になっているだけに、こうした時は遠慮がない。俺も苦笑しながら歩き始めたが、後ろから奥方様には若様の昔のお話もお伝えせねばなりませんな、と聞こえてきた。どうやら、しばらくはこの男にからかわれる日々が続きそうだった。
*
昼前、坂田郡から急使が到着した。
案内されてきた男の脚絆には泥が付き、衣服も汗で湿っていた。馬を替えながら急いできたらしく、俺の前へ進み出ると、息を整える間も惜しんで書状を差し出してきた。封を受け取ると同時に、男は声を張り上げた。
「不破の一色勢が国境を越えました! 今須から柏原へ通じる道に兵が入り、こちらの物見と槍を交えております。後ろにも軍勢が続いており、先手だけではございませぬ!」
俺は書状を開き、現地の守備を預かる者からの報告に目を通した。早朝、国境付近の物見が一色軍の接近を確認し、直ちに周辺の村々へ知らせを送っている。柏原の東に置いた兵は街道沿いで敵を牽制していたが、相手の数が増えたため、一部の守備を解いて後退したという。確認できた旗印も複数あり、後続を含めた総兵数はまだ分かっていなかった。
「坂田の守備兵は、まだ戦っているのだな。村々の者は退かせたのか」
「街道沿いの村には既に知らせが届いております。山手や西の村へ逃れておりますが、家畜や荷を残してきた者も多く、まだ人が残っているところもございます」
「敵の大将については何か分かったか」
「申し訳ございませぬ。旗印は確かめておりますが、誰が軍勢を率いているかまでは……。私が発った時には、後続の兵も柏原へ向かっておりました」
俺は男を休ませるよう弥太郎へ命じ、書状を持って父上のもとへ向かった。先の越境事件以来、坂田の国境には物見を増やし、村々との連絡も改めさせていた。その備えが働いたのは幸いだったが、今度は以前のような小人数の越境ではない。軍勢がまとまって国境を越え、後続まで送り込んでいる以上、一色家は明らかに戦を仕掛けてきたことになる。
父上の居室へ向かうと、既に進藤山城守と後藤但馬守が呼ばれていた。父上の前には坂田郡の地図が広げられ、その脇に俺が持参したものとは別の書状が置かれている。どうやら、こちらへ知らせが届くよりも早く、別の経路から報告が入っていたらしい。
「父上、坂田から急報が届きました。一色勢が今須から柏原へ向かっております。現地の兵は既に交戦し、一部を退かせたとのことにございます」
「うむ。こちらにも知らせが届いておる。右衛門督、そなたの書状も見せよ」
俺が差し出した書状を読み終えると、父上は進藤山城守へ渡された。先に届いていた報告によれば、関ヶ原方面で一色軍の集結が確認されていたほか、伊吹山麓へ向かう道でも人馬の動きを見た者がいるという。ただし、そちらが一色の兵なのか、近隣の国人の動きなのかまでは分かっていなかった。
「柏原の東で持ちこたえようとすれば、現地の兵を失う恐れがございます。敵の数が増えている以上、醒井方面へ退いて兵を集めるのがよろしいかと」
進藤山城守が地図へ指を置き、街道沿いの守備について意見を述べた。後藤但馬守は避難する百姓のため、既に坂田へ米を送る手配を進めているという。敵軍の侵攻が長引けば、兵だけでなく避難した者たちの食糧も必要になる。軍勢のために人足を集め過ぎれば、村から逃れた者たちの世話も滞ってしまう。
父上は二人の話を聞き終えると、周辺の諸将へ動員を伝えるよう命じられた。城にいる者から軍勢を整え、坂田の守備兵には援軍が到着するまで無理な戦を避けさせる。俺にも出陣を見越して支度を始めるよう言われたが、どこまで兵を進めるかは午後に重臣たちを集めて決めるという。
「右衛門督、そなたも支度を始めよ。城内で動かせる者を確かめ、兵が集まるまでの日数を調べておけ」
「承知いたしました。坂田の守備兵にも、退く場合の連絡を絶やさぬよう申し付けます」
父上は頷かれ、再び地図へ目を戻された。俺は一礼して部屋を辞し、自分の部屋へ向かった。弥太郎には必要な帳面を揃えるよう命じ、俺自身は現地から届いた報告を整理することにした。
*
篠を呼ぶと、ほどなく姿を現した。坂田から急使が来たことは既に耳に入っていたらしく、俺の前へ座ると、懐から小さな地図を取り出した。篠の配下には以前から街道や村々へ出入りしている者がいる。彼らを動かせば、現地の守備兵とは別の経路から敵の様子を確かめられるはずだった。
「篠、今須から柏原へ向かう一色の兵を調べてほしい。先手の数も知りたいが、それ以上に後続と荷駄の動きが気になる。兵糧を何処へ運んでいるか、どの道を使っているかを優先してくれ」
「承知いたしました。今須の道には人を向かわせます。北の山裾へ通じる道はいかがいたしましょう」
「そちらも確かめてほしい。ただし、敵が兵を回していると決め付けるな。村人や商人が見たものと、こちらの者が直接確かめたものは分けて報告するように」
篠は頷き、使える者を幾つかの道筋へ分けると答えた。俺が出陣した後も知らせを届けられるよう、途中で連絡を取り継ぐ者も決めておくという。俺はその手配を任せ、敵陣へ無理に近付く必要はないと念を押した。兵数を確かめるために人を失っては元も子もない。
「それから、道の様子も見ておいてくれ。特に柏原から醒井へ続く山裾だ。兵を伏せられる場所があるか、退く道が塞がれていないかを知りたい」
「人を通すだけであれば、幾つか道はございます。ただ、兵を動かすとなれば話は別にございましょう。現地の者にも確かめさせます」
「頼む。三雲対馬守には不破の国人との連絡を続けてもらっている。こちらは軍勢の動きを優先させたい」
篠が退出すると、俺は坂田の地図を広げ、街道と山地の位置を見比べた。一色軍がどれほどの兵を送り込んできたのか、まだ分からない。こちらが十分な軍勢を集める前に醒井まで進まれれば、守備兵はさらに退かなければならなくなる。もっとも、敵も近江へ入れば補給を続ける必要がある。後続の兵や荷駄の動きを把握できれば、敵がどこまで進むつもりなのか、少しは見えてくるはずだった。
俺は弥太郎に、出陣する場合に備えて必要な書状を揃えるよう命じた。すると弥太郎は、既に幾つかの帳面をまとめていると答えた。俺がまだ出陣を命じられたわけではないと指摘すると、弥太郎は何食わぬ顔で笑った。
「若様が観音寺に留まっておられるとは思いませぬでしたから。必要になってから慌てるより、先に整えておいた方がよろしいかと」
「勝手に俺の出陣を決めるな。もっとも、支度をしておいてくれたのは助かる」
「長年お仕えしておりますので、若様のお考えは多少なりとも分かるつもりでございます」
それだけ言うと、弥太郎は帳面を抱えて部屋を出ていった。何処まで本気で言っているのか分からない男だが、こうした時には頼りになる。俺は再び机へ向かい、坂田へ先に送れる兵と、その後に集まる兵を分けて書き出した。
*
午後、父上のもとへ蒲生下野守、三雲対馬守らが集まった。急ぎの協議であるため、城内にいる重臣を中心に話を進め、離れた場所にいる者へは必要な指示を使者に持たせることになった。進藤山城守から坂田の守備について報告があり、後藤但馬守は先に送れる兵糧と人足の見込みを示した。諸将の動員にはどうしても日数が掛かるため、現地の守備兵だけで無理に敵を押し返すことは避けなければならない。
蒲生下野守は地図を見ながら、柏原の東で決戦を挑むのは危ういと述べた。後続の兵が集まるまでは醒井方面で敵を受け止め、兵力を整えた上で反撃する方がよいという。俺もその考えには異論がなかったが、街道だけを守っていれば済むとも思っていなかった。北の山裾を通る道から別の軍勢が進んでくれば、正面で敵を受け止めている兵の側面を脅かされる恐れがある。
「右衛門督はどう見る」
父上から問われ、俺は地図の上へ置かれた駒を動かした。柏原から西へ続く街道には山が迫る場所があり、大軍が自由に広がって進めるわけではない。だが、こちらが同じように狭い場所へ兵を集めれば、敵と真正面から押し合うだけになる。兵力が揃わぬうちにそのような戦いをするつもりはなかった。
「一色勢が兵の数を頼みに進んでくるなら、正面から押し返す必要はないと考えております。街道を守りやすい場所に鉄砲と弓を集め、敵の前進を妨げる。その間に山裾へ伏せた兵を働かせれば、敵も容易には進めますまい」
俺は続けて、伏兵を置く場所については現地の地形を確かめてから決めたいと申し上げた。伏兵を一度に動かすのではなく、敵の対応に応じて別の兵を働かせるつもりだが、道を知らずに兵を伏せても孤立させる恐れがある。蒲生下野守はその話を聞くと、伏兵同士の連絡と、退く道の確保が肝要だと指摘した。
「伏せた兵は、敵に見付かれば逆に攻められることもございます。働かせる時機を誤れば、正面の兵が支える前に討たれましょう」
「その点は承知しております。兵を伏せること自体が目的ではございませぬ。敵の足を止め、こちらが有利な時機に兵を動かしたいと考えております。各隊の配置は、現地を確かめた上で決めるつもりにございます」
俺が話を終えると、蒲生下野守はすぐには返事をせず、何やら考え込むようにこちらを見た。伏兵の配置について気になることがあるのかと思ったが、やがて口を開いた下野守から出たのは、戦の話とは少し違う言葉だった。
「右衛門督様、一つ申し上げてもよろしゅうございますか」
「何でしょう。気になることがあるのでしたら、遠慮なくお聞かせください」
「では、失礼を承知で申し上げます。右衛門督様は、そろそろ我ら家臣への話し方を改められてはいかがでしょうか」
思いもよらぬ言葉に、俺は下野守の顔を見た。軍勢の配置を相談していたはずが、どうして俺の話し方になるのか。隣にいた三雲対馬守も何か言いたそうな顔をしていたが、口を挟まずにいる。父上も下野守を止める様子はなかった。
「話し方、でございますか。何か失礼がございましたでしょうか」
「いいえ。その逆にございます。我らに対して、少々丁寧に過ぎると申し上げたいのです」
下野守はそう言って、穏やかに笑った。
「右衛門督様が我ら年長の者を敬ってくださるのは、ありがたいことにございます。されど、右衛門督様は六角家の嫡男であり、これまで領内の政にも深く関わってこられました。坂田の仕置や市の改めなど、御自身のお考えで進められたことも少なくありませぬ。我らとて、いつまでも幼い若君としてお仕えしているわけではございません」
下野守はそこで一度言葉を切り、俺の様子を確かめるように目を向けた。俺が黙っていると、さらに話を続けた。
「この度は近衛家から奥方様を迎えられ、御自身の一家も持たれました。既に六角家を支えるお立場にございます。これから先、我らへ命を下すことも増えましょう。その折に、いちいち家臣へ遠慮されていては、かえって我らが困ります」
「しかし、下野守をはじめ、皆には幼い頃から世話になっております。そのことを忘れるつもりはございませぬ」
「無論、それは我らも承知しております。ですが、昔のことをお気になさる必要はございませぬ。家臣へ命じることと、相手を軽んじることは違います。右衛門督様には、もう少し堂々としていただきたいのです」
言われてみれば、俺は年長の重臣たちに対して、自然と丁寧な言葉を選んできた。幼い頃から顔を合わせ、時には叱られ、助けられてきた相手ばかりである。それだけに、今さら自分が上に立つような物言いをすることには、多少の抵抗があった。もっとも、相手がそれを望んでいないとなれば話は別だった。
俺が返事を考えていると、それまで黙っていた三雲対馬守が口を開いた。
「下野守殿の申すこと、私ももっともだと思います。右衛門督様は、我らの意見をよく聞いてくださる。それはありがたいことでございますが、何も言葉遣いまで遠慮していただく必要はございませぬ。むしろ、はっきり命じていただいた方が、こちらも動きやすうございます」
「対馬守までそのように言うのか」
「無論でございます。これからは我らの方が、右衛門督様の御指図に慣れねばなりませぬからな」
三雲対馬守はそう言って笑った。父上も口元に笑みを浮かべておられ、どうやら俺だけが戸惑っているらしい。
「四郎、下野守の言う通りだ。そなたが家臣を敬うことを、儂も悪いとは思わぬ。だが、相手に遠慮して命を曖昧にしてはならぬ。そなたはいずれ六角家を背負う身だ。今から少しずつ改めておくがよい」
父上にまで言われてしまえば、俺もいつまでも言い訳をしてはいられない。考えてみれば、弥太郎や篠には普段から遠慮なく指示を出している。それが年長の重臣になると、昔から世話になっているという気持ちが先に立っていたのだろう。俺は居並ぶ重臣たちの顔を見渡し、小さく息を吐いた。
「分かりました。では、今後は……」
そこまで言い掛けたところで、下野守がわずかに眉を上げた。俺も自分の言葉に気付き、思わず苦笑する。
「……分かった。今後は改めることにする。ただし、急には慣れぬかもしれん。その時は勘弁してくれ」
「ははっ。それでこそ右衛門督様にございます」
「下野守、あまり面白がるな。俺としては、随分と妙な気分なのだぞ」
「いえいえ。これも右衛門督様のためにございます。何でしたら、今後も気付いた折には申し上げましょう」
「それは遠慮しておこう。話し方を改めるだけで、毎度説教されていてはかなわん」
俺がそう返すと、下野守だけでなく三雲対馬守まで声を立てて笑った。父上も笑っておられたが、やがて軽く咳払いをされると、軍議を続けるよう促された。
俺は改めて地図へ向き直り、蒲生下野守へ声を掛けた。
「下野守、先ほどの話に戻るが、先手の兵には無理な攻撃をさせたくない。まずは守りを固め、敵の動きを探らせよう。主力が揃うまで持ちこたえられる場所を確保してほしい」
「承知いたしました。そのように手配いたします」
下野守は先ほどまでと変わらぬ様子で頭を下げた。俺の方はまだ少し落ち着かなかったが、こうして話してみれば、思っていたほど難しいことではないらしい。三雲対馬守も何事もなかったように書状を取り出し、不破郡の国人たちについて報告を始めた。
以前から使者を交わしている家の中にも、一色家の命令に不満を抱く者がいるという。ただし、今の段階で六角への帰属を明言している家はなく、こちらが戦で敗れれば一色方へ戻る者も出るだろうと三雲は見ていた。俺はその話を聞き、今のうちに無理な約束を交わす必要はないと伝えた。
「対馬守、交渉は続けてくれ。ただし、先方を急がせる必要はない。こちらが坂田でどのように戦うかを見てから態度を決める者もいるだろう。帰属を望む家があれば、その時に知らせてほしい」
「御意。引き続き使者を交わし、動きがあれば直ちに御報告いたします」
父上はその報告を聞き終えると、しばらく地図を眺めておられた。やがて顔を上げ、居並ぶ重臣たちへ静かに告げられた。
「此度は坂田から一色の兵を追い払うだけでは済まさぬ。敵を不破へ押し返した後、そのまま兵を進める。不破郡を我らの手に収めよ。あの地を一色に預けたままでは、坂田の者に安堵して暮らせとは言えぬ」
室内が静まり返った。後藤但馬守は筆を止め、蒲生下野守も顔を上げた。不破郡を攻め取るとなれば、国境を守るだけの場合とは必要な兵も物資も違ってくる。城を攻略した後には守備兵を残さねばならず、年貢や村々の取り決めについても手を入れることになる。父上はそれらを承知した上で、今回の戦で不破郡を得ると決断されたのだ。
「三雲、不破の国人には我らへ帰属する道を開いておけ。降る者は受け入れる。ただし、口先だけの降伏で兵を隠し、一色へ通じるような者まで許すつもりはない。所領については家ごとに調べ、後から争いを残さぬようにせよ」
「御意。先方との連絡を続け、帰属を望む家があれば知らせを届けさせます」
父上は頷かれると、今度は俺へ目を向けられた。その表情を見て、自然と背筋が伸びた。
「此度の軍勢は、右衛門督を総大将とする。蒲生下野守、進藤山城守はこれを助けよ。儂は観音寺に残り、後詰と領内の差配を引き受ける」
父上の言葉を聞き、俺は一瞬だけ息を止めた。出陣するつもりではいたが、総大将として軍勢の進退を預けられるのは初めてになる。隣では蒲生下野守が静かに頭を下げ、進藤山城守も異論を挟まなかった。俺は膝を進め、父上へ向かって深く頭を下げた。
「承知いたしました。坂田の敵を退け、不破郡を六角の手に収めて御覧に入れます」
「うむ。諸将の言葉をよく聞け。だが、最後に軍を進めるか退くかを決めるのはそなただ。そのことを忘れるな」
「はい。肝に銘じます」
父上はそれ以上何も仰らず、後藤但馬守へ向き直って兵糧の手配について指示を出された。俺も蒲生下野守と進藤山城守を呼び寄せ、先に坂田へ送れる兵を確かめ始めた。動員の知らせは既に各地へ送られており、早い者は明日にも出立できるという。主力が揃うまでには多少の時間が掛かるが、現地の守備兵を支えるための先手だけでも急がせる必要があった。
俺が蒲生下野守と軍勢の配置を相談していると、廊下の向こうから足早に近付く音が聞こえた。取次の者が現れ、坂田から二度目の急使が到着したと告げる。父上が通すよう命じると、男は息を切らしながら書状を差し出した。
俺はそれを受け取り、封を破った。柏原方面の守備隊は街道沿いの拠点を一つ捨て、醒井方面へ後退していた。一色軍の先手は既にそこを越え、後続の旗も見え始めているという。幸い、村々への避難の知らせは間に合っているようだったが、街道の守備はさらに西へ下がらざるを得ない状況になっていた。
書状を置くと、蒲生下野守がすぐに地図を引き寄せた。進藤山城守の指が柏原と醒井の間で止まり、父上もこちらへ目を向けられた。俺はその場で先手の出立を早めるよう命じることにし、まず弥太郎を呼んだ。
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