永禄五年七月下旬、美濃国不破郡。
向かいに座る六角右衛門督義治は、想像していた以上に落ち着いた若者だった。
六角軍を率いて坂田から不破へ進み、日根野備中守を相手に勝利を重ねた人物である。まだ若いとは聞いていたが、これほどの戦功を挙げたのであれば、多少なりとも自負が態度に表れるものと思っていた。まして今回は、勝者として帰属を求めるための会談だ。こちらを威圧するような態度で臨んできたとしても不思議ではなかった。
ところが、実際に顔を合わせてみると、そのような気負いは感じられない。挨拶を交わした際にも必要以上に格式を持ち出すことはなく、俺の言葉を最後まで聞いてから返答していた。供の者が座を整える間も急かす様子を見せず、傍らに控える家臣から何事か尋ねられた時には短く言葉を交わしている。相手が年長の武将だからと萎縮することもなければ、総大将としての威厳を示そうとする様子もなかった。
会談の場所には、垂井と大垣の間にある寺が選ばれていた。双方が使者を交わして決めたもので、寺の周囲へ大勢の兵を近付けず、供回りの人数も揃えることになっている。俺が伴ってきた者たちは別室に控え、六角方も同じようにしていた。寺の外では互いの警固が目を配っているはずだが、今のところ揉め事が起きたという知らせは届いていない。
無論、このような場を設けたからといって敵味方の関係が変わったわけではなかった。六角軍は既に垂井まで進み、大垣城では戦に備えて兵糧を運び込んでいる。今日の話し合いが決裂すれば、いずれ杭瀬川を挟んで戦うことになるだろう。その時には目の前に座っている若者が、氏家の兵へ攻撃を命じるのである。
改めて右衛門督を見ると、やはり若い。長く戦場を経験してきた俺からすれば、息子ほどの年頃である。顔立ちにもまだ若さが残っており、蒲生下野守や進藤山城守といった武将たちを率いていると聞いていなければ、大軍の総大将を務めた人物とは思わなかったかもしれない。
ふと、龍興様のことが頭に浮かんだ。
あの方も若くして一色家の当主となられた。先代義龍様が亡くなられてからは、年長の重臣たちを従え、国中の諸将をまとめなければならなくなったのである。祖父の道三様や先代と比べられることもあり、当主として力を示そうとするお気持ちは分からぬでもない。家督を継いで間もない若者にとって、決して容易な立場ではなかっただろう。
ただ、評定の席で意見が分かれると、龍興様が家臣の言葉をどこまで受け止めておられるのか気になることがあった。異論が出れば御自身の考えを強く示されることもあり、俺たちも申し上げる言葉を選ばねばならない。先代から仕える者たちに軽んじられたくないという思いもあるのだろうが、年長の家臣を従えることと、その意見を退けることは必ずしも同じではなかった。
もっとも、目の前の右衛門督は六角家の当主ではない。左京大夫殿が健在で、この若者は父親から軍勢を預かっている立場だ。既に家督を継いでいる龍興様とは背負っている責任が違う。周囲には長年六角家を支えてきた重臣たちもおり、そうした者たちの助けを得られることが、この落ち着きにつながっているのかもしれなかった。
しかし、総大将として軍勢を率いる以上、諸将の意見を聞くだけでは済まないはずだ。日根野備中守は決して戦下手な男ではない。関ヶ原では街道を塞いで迎え撃ち、六角軍の進撃を長く食い止めていたと聞いている。それを破って垂井まで進んだという結果を見れば、右衛門督も肝心なところでは自ら判断を下しているのだろう。
少なくとも、年齢だけを見て侮ってよい相手ではなかった。
「氏家殿。この度は会談に応じていただき、感謝いたします。書状でもお伝えしたとおり、こちらとしては大垣城を無理に攻めるつもりはありません。まずは氏家家中の今後について、お考えを伺いたいと思っております」
右衛門督が口を開いた。
「右衛門督殿のお考えは、書状を拝見して承知しております。氏家としても、いたずらに戦を望んでいるわけではございませぬ。ただ、先代より一色家に仕えてきた身でございます。家中の者たちのこともあり、軽々しく主君を変えるわけにはまいりません」
「無論、それは承知しております。今日この場で帰属を決めていただこうとは考えておりません。まずは書状だけでは十分にお伝えできなかったことを、話し合えればと思っております」
六角軍は既に不破郡を押さえ、大垣へ進もうと思えば進める位置にいる。こちらの返答を待つより、軍勢を見せ付けて帰属を迫る方が手っ取り早いと考える者もいるだろう。だが、右衛門督は初めからそのような態度を取らなかった。
もっとも、穏やかな物言いだけで安心するほど俺も若くはない。むしろ、この若者が六角の利益を何処に置いているのか、詳しく確かめる必要があった。
「では、まず大垣城について伺いたい。書状には、氏家が引き続き城を預かることを前提に話し合う用意があると記されておりました。これは、六角へ帰属した後も大垣城を氏家のもとへ残すという意味でございましょうか」
「そのつもりでおります。大垣城を得るために氏家家中を追い払うのであれば、わざわざ使者を送る必要もありません。ただし、六角へ帰属していただく以上、これまでとまったく同じというわけにもまいりません」
「と、申されますと?」
「大垣城の守りは引き続き氏家殿に担っていただきたいと思っております。その一方で、六角の兵が大垣を通る際には妨げず、城内にもこちらの兵を受け入れていただきたい。今後の軍役についても、所領や兵力を踏まえて改めて取り決めることになります」
俺はその説明を聞き、最も気になっていたことを尋ねた。
「六角の兵を城内へ入れることについて、異を唱えるつもりはございませぬ。ただ、その兵は誰の指揮に従うのでございましょうか。氏家が城を預かると申しながら、城門の守りや兵の出入りを別の者が決めるのであれば、城主とは名ばかりになってしまいます」
右衛門督は少し考え、傍らに控える家臣へ一度目を向けた。家臣は特に口を挟まず、右衛門督もそのままこちらへ向き直った。
「氏家殿が城を預かる以上、日々の守りまで別の者に命じさせるつもりはありません。ただ、六角から遣わした兵を、すべて氏家殿の指揮下へ置くというわけにもまいりません」
「それでは、城内に二人の指揮官を置くことになりませぬか」
「そうならぬよう、あらかじめ取り決めておきたいのです」
「取り決めを結んだとしても、実際に戦となれば事情は変わりましょう。たとえば城門を閉ざすよう命じた時、六角の将が開門を求めたらどうなさる。あるいは、城内で兵同士が争った場合、誰が裁くのでございましょうか」
俺はあえて具体的な例を挙げた。
六角の兵を受け入れるという話は、口で言うほど簡単ではない。兵の人数が少なくとも、城内へ入った以上は武具を持っている。氏家の命令に従わぬ兵が城内にいること自体、守る側にとって不安の種になる。まして一色家との戦が続くのであれば、六角兵にも自分たちの都合があるだろう。
「城内で争いが起きた場合については、双方の将が協議する形を考えております。ただし、軍勢の出入りや城門の守りまで曖昧にするつもりはありません。そこは氏家殿の御意向も伺った上で、明確に決めておくべきでしょう」
「それでは、城門の管理は氏家が担うと考えてよろしいか」
「平時の守りについては、それで構いません。ただし、あらかじめ駐留を認めていただいた六角兵が持ち場へ戻る際にも、その都度入城を拒まれるようでは困ります」
「……六角の兵に、城主の許しなく門を開ける権利を与えよと申されるのか」
思わず口調が強くなった。
大垣城を氏家へ預けるのであれば、門の管理は城主の権限に属するはずだ。たとえ六角兵であっても、勝手に門を開けられるようでは何のために氏家が城を預かるのか分からない。
「そのようなことは求めておりません。ですが、氏家殿にも考えていただきたいことがあります」
「何でございましょう」
「仮に城内へ百の兵を置くと取り決め、その兵が交代のため城外へ出たといたしましょう。その後、氏家殿が入城を認めぬと申された場合、こちらの将はどうすればよろしいのでしょうか。城門の管理を氏家殿へ任せた以上、従わねばならぬのでしょうか」
俺は答えを考えた。
確かに、六角の兵を城内へ置くと認めながら、城主の判断一つで入城を拒めるのであれば、六角にとって駐留を認められた意味がなくなる。氏家の都合で兵を締め出すことができれば、城内に兵を置く目的そのものが損なわれるだろう。
しかし、だからといって城門の開閉を六角の将へ任せるわけにもいかない。
「取り決めた兵の入城まで拒むつもりはございませぬ。ただし、城主の許しなく勝手に門を開かれては困ります。兵の出入りについては、氏家の者が確かめた上で行うべきかと存じます」
「では、あらかじめ駐留する兵の人数と持ち場を定め、出入りする際の手順についても決めておくのはいかがでしょう。取り決めのない兵を勝手に入れることはせず、氏家殿も約定に従って出入りする兵を妨げない。そのようにしておけば、双方の将が争うことも減らせると思います」
なるほど。城門そのものを六角へ明け渡せというのではなく、あらかじめ認めた兵の出入りについて、氏家が一方的に拒めないようにしたいということか。
それならば、まだ話し合う余地はある。
「右衛門督殿のお考えは理解いたしました。されど、城内へ入る兵の数については慎重に決めさせていただきたい。たとえ門の管理を氏家へ任せると申されても、六角の兵が城内の大半を占めるようでは、家中の者たちも納得できますまい」
俺の言葉に、傍らの老臣も同意した。
「恐れながら、右衛門督殿。城内へ六角の兵を受け入れること自体、氏家家中には不安を抱く者もございましょう。まして大勢の兵が入るとなれば、実際には城を取り上げられたも同然と考える者も出てまいります」
「その点は承知しております。今日はまず、六角兵を受け入れることについて氏家殿のお考えを確かめたかったのです。人数や持ち場については、御家中とも相談した上で決めていただければと思っております」
「では、今日この場で人数を定める必要はないと?」
「はい。ただし、正式に帰属していただく際には、互いに納得できる形で決めておきたいと思っております」
ようやく話を進められるところが見えてきた。
右衛門督は六角兵の駐留を求めること自体は譲らず、俺も城内の指揮権を守るという考えを変えなかった。それでも、城門の管理と駐留兵の出入りを分けて取り決めるのであれば、互いの立場を保つことはできるだろう。
もっとも、実際にどれほどの兵を入れることになるのかによって、話は変わる。百であれば認められることも、五百となれば到底承服できないかもしれない。駐留する兵の扱いだけでなく、六角の軍勢が大垣を通過する際の手順についても、正式な帰属までに決めておく必要があった。
俺は右衛門督を見た。
こちらが強い言葉で迫れば、年齢相応の反応を見せるのではないかと思っていた。だが、この若者は不快そうな態度を取ることもなく、六角の立場から必要なことを問い返してきた。しかも、無理に相手を従わせようとはしない。氏家が譲れぬ部分を示せば、そこを踏まえて別の方法を探ろうとしている。
無茶な条件を押し付けてくるのであれば、こちらも拒む理由を示しやすい。しかし、右衛門督は話し合う余地を残しながら、六角として必要なものを求めてくる。こちらも容易に話を打ち切ることはできなかった。
大垣城についておおよその方向が見えたところで、俺は別の疑問を口にした。
「一つ伺いたい。先ほどから大垣城を氏家へ預けるというお話をいただいておりますが、それは左京大夫殿も御承知なのでございましょうか」
右衛門督は、その問いには迷わず答えた。
「父上には氏家殿との交渉を進めていることを知らせております。ただし、正式な帰属や所領の安堵については、父上の裁可を得なければなりません。大垣城についても、今日この場で勝手に決めるつもりはありません」
「では、右衛門督殿との間で話がまとまったとしても、左京大夫殿が認められぬこともあるのでございましょうか」
「その可能性までないとは申せません」
あまりに率直な返答だった。
俺の傍らに控えていた老臣も、思わず顔を上げた。ここまで話し合っておきながら、最後に左京大夫殿から認められぬと言われては困る。交渉を進める者として、もう少し確かな約束を示してほしいところだった。
「右衛門督殿。それでは氏家としても困ります。城を預けると聞いて帰属した後で、左京大夫殿が別の者を城主に据えると仰せになれば、氏家はどうすればよろしいのでございましょう」
「そのようなことにならぬよう、今日の話を父上へ伝えるつもりでおります。ただ、正式な裁可を得ていないものを、得ているかのように申し上げることはできません」
「左京大夫殿が御認めにならぬのであれば、今日の話も無駄になってしまいましょう」
「そうならぬよう努めます。ですが、氏家殿も龍興殿からの返答を待っておられるのでしょう。こちらだけに今すぐ確かな約束を求められても、難しいところがあります」
その言葉には、俺も返す言葉がなかった。
氏家はまだ帰属を決めていない。稲葉山から援軍を差し向けるという知らせが届けば、俺が六角と戦う可能性もある。それにもかかわらず、右衛門督へ一方的に約束を求めるのは、いささか虫がよすぎる話だった。
ただし、だからといって曖昧な条件のまま帰属するわけにもいかない。
「では、正式に帰属する際には、左京大夫殿の裁可を受けた上で所領の安堵と大垣城の扱いを定めていただきたい。それがなければ、氏家家中を納得させることはできませぬ」
「無論、そのつもりでおります。氏家殿にも御家中へ説明する責任があることは承知しております」
右衛門督は俺の求めを受け入れた。
若い総大将が自らの権限を大きく見せようとして、何もかも認めると申し出る方が、かえって信用できない。後になって当主が認めぬと言えば、それまでの約束など簡単に覆されてしまうからだ。右衛門督は自分の立場を理解した上で、今できる約束と、父親の裁可を必要とする事柄を区別しているようだった。
その姿勢については、素直に評価してよいだろう。
続いて話題となったのは、氏家家中の所領についてだった。
「城については分かりました。では、氏家の所領について伺いたい。書状には従来の支配を尊重するとございましたが、それは家臣たちの知行についても同じでございましょうか」
「はい。ただし、すべてを無条件に認めるという意味ではありません。所領を巡って争いがある場所もございましょうし、一色家から新たに与えられた土地については、事情を確かめなければならないと思っております」
「それでは、従来の所領を認めるという話と違ってまいりませぬか」
俺がそう尋ねると、右衛門督は少し意外そうな顔をした。
「氏家殿の御家中が治めておられる土地について、理由もなく取り上げるつもりはありません。ただ、同じ土地について複数の者が権利を主張している場合には、どちらか一方の言い分だけで決めることはできないと申し上げているのです」
「されど、長年争っている土地もございます。六角へ帰属した後になって、その争いを理由に所領を削られることになれば、家臣たちは納得いたしますまい」
「そのためにも、これまでの経緯を確かめたいのです。氏家殿の御家中に正当な権利があるのであれば、それを無視して取り上げるつもりはありません」
俺はその返答を聞き、大垣周辺の所領について考えた。
この辺りにも境を巡って近隣の国人と争っている土地がある。先代の頃から決着していないものもあり、互いに異なる由緒を主張している場所も少なくない。六角がすべての所領をそのまま認めると約束すれば、後になって争いが生じることは目に見えていた。
しかし、問題はその調べが終わるまでの扱いである。新たな主君の裁きを待つ間、これまで収入を得ていた土地から年貢を取れなくなれば、家臣たちは困窮する。領主が替わるというだけで、そのような負担を強いるわけにはいかなかった。
「では、所領を調べている間、年貢は誰が受け取るのでございましょうか。六角の役人が直接取り立てることになれば、氏家の家臣は収入を失ってしまいます」
「争いのない土地については、これまでどおり治めていただければよいと思っております。争いのある土地についても、調べが終わるまで一律に取り上げるつもりはありません。ただ、双方が勝手に年貢を取り立てて村々を困らせるようなことは避けたいところです」
「では、争いのある村については、年貢の納入先も改めて確かめることになりますな」
「必要なところについては、そうなるでしょう。もっとも、これまで村が何処へ年貢を納めてきたのかも、調べる際の大切な手掛かりになります。事情を確かめずに扱いを変えれば、村の者たちまで困らせることになりますから」
その説明には納得できるものがあった。
所領を巡る争いは、一色家のもとでも容易には収まらなかった。六角が美濃へ入ったからといって、古くからの対立まで消えるわけではない。むしろ領主が替わることを利用し、自領を広げようとする者が現れても不思議ではなかった。
右衛門督が調べを求める理由も理解できる。ただし、実際に誰の権利を認めるかについては、左京大夫殿の裁可も関わってくるだろう。氏家家中の者たちにとって、所領を守れるかどうかは何より重要な問題である。その扱いについては、正式な帰属に際して明らかにしておきたかった。
俺は傍らの老臣へ、ほかに確かめておくべきことがないか尋ねた。老臣は少し考えた後、家臣の身分について発言を求めた。
「恐れながら、右衛門督殿。六角へ帰属した後、氏家家中の者が個別に六角家へ召し抱えられることはございましょうか。もしそのようなことがあれば、氏家の家臣が減ることにもなりかねませぬ」
なるほど。その問題は俺も見落としていた。
所領を安堵されても、家臣たちが次々と六角家の直臣になってしまえば、氏家の兵力は減る。本人が望んで仕官することもあるだろうが、六角から誘われれば断りにくい者もいるはずだ。家中を保つのであれば、所領だけでなく家臣の扱いについても確かめておかなければならなかった。
「氏家殿の家臣を、帰属と引き換えに召し上げるつもりはありません。氏家家中のことは、引き続き氏家殿に治めていただきたいと思っております。ただし、今後何らかの事情で他家へ仕えることを望む者が出た場合まで、一切認めぬと約束することはできません」
「それは承知しております。家臣が自ら別の主君を求めることまで、すべて禁じられるものではございませぬ。ただ、六角方から積極的に家臣を召し上げるようなことは避けていただきたいのでございます」
「その点は、双方の取り決めに含めてよいでしょう」
老臣はその返答に満足したらしく、俺へ一礼して下がった。
ここまでの話で、氏家家中を保つために必要な条件はかなり明らかになってきた。大垣城の指揮権、六角兵の駐留、従来の所領と家臣の扱い。いずれも正式な帰属を前提とした話ではあるが、少なくとも右衛門督が氏家を単に降伏させようとしているわけではないことは理解できた。
だが、条件が整いつつあるからこそ、避けて通れない問題が残っていた。
一色家との主従をどうするか。そして、稲葉山城へ送った書状の返答を待っていることを、右衛門督へどう伝えるかである。
「右衛門督殿。所領と城についてのお考えは、よく分かりました。氏家としても、ここまで具体的なお話をいただけたことはありがたく存じます。ただ、帰属については、今しばらく御返答をお待ちいただきたいのでございます」
右衛門督は口を挟まず、俺の言葉を待っていた。
「既に稲葉山城へ使者を送り、龍興様の御意向を伺っております。大垣の守りと援軍について、改めてお尋ねしているところにございます。その返答を確かめぬうちに、一色家との主従を断つと申し上げることはできませぬ」
「氏家殿が稲葉山からの返答を待っておられることは承知しました。先代から一色家に仕えてこられた以上、その御意向を確かめたいと考えるのは当然でしょう」
右衛門督はそこで言葉を区切った。
「ですが、こちらもいつまでも垂井に兵を留めておけるわけではありません」
「それは重々承知しております。六角の軍勢が既に不破へ入っている以上、氏家の返答だけを待っていただけるとは思っておりませぬ」
「では、稲葉山から知らせが届き次第、改めて使者をいただけますか。帰属の可否を直ちに決められなくとも、龍興殿がどのようなお考えなのか、それによって話も変わるでしょう」
「無論、そのつもりにございます。ただ、稲葉山からの返答がいつ届くかまでは申し上げられませぬ。既に使者を送っておりますが、向こうでも諸将と相談する必要がございましょう」
「知らせが遅れるようであれば、その旨だけでも伝えていただきたい。何の連絡もなければ、こちらとしても交渉を続ける御意思があるのか判断できません」
俺はその求めに応じた。
六角軍は不破を押さえたものの、兵糧を消費しながら垂井に留まっているのである。いつまでも返答を待ってもらえるとは考えていない。むしろ、こちらが稲葉山からの援軍を待っていることまで明かした以上、右衛門督が警戒を強める可能性もあった。
しかし、ここで一つ確かめておかなければならないことがある。
「右衛門督殿。稲葉山から援軍が送られることになれば、氏家も一色家の家臣として動かねばなりませぬ。その場合、今日のお話を進めることは難しくなりましょう」
「そうでしょうね」
右衛門督はあっさりと答えた。
「ですが、それは実際に知らせが届いてから考えることです。氏家殿がまだ帰属を決めておられない以上、こちらも大垣城を味方の城として扱うつもりはありません」
「……それは、今後も大垣を攻める可能性があるということでございましょうか」
「あります。交渉が決裂し、大垣を攻める必要が生じれば、軍勢を進ませることになるでしょう。ただ、話し合いを続けると約束している間に、こちらから一方的に攻め掛かるつもりはありません」
思っていた以上に厳しい返答だった。
先ほどまでの穏やかな口調は変わらない。しかし、その言葉には六角軍を預かる総大将としての判断が表れていた。帰属を決めていない以上、氏家はまだ敵である。その事実を曖昧にするつもりはないのだろう。
こちらが帰属を決めるまで安心させるつもりはないということか。あるいは、氏家を信用していないことを示しているのか。そう考えたものの、俺自身も稲葉山からの返答によっては六角と戦うつもりでいる。互いの立場を考えれば、この返答も当然なのかもしれなかった。
「右衛門督殿のお考えは分かりました。氏家としても、返答をお待たせしている間に無用な争いを起こすつもりはございませぬ」
「それならば、使者の往来についても取り決めておきましょう。氏家殿から遣わされる使者については、あらかじめ名と人数を知らせていただければ、こちらの陣まで通せるようにいたします。六角から大垣へ向かわせる者についても、同じようにいたしましょう」
「異存はございませぬ。大垣の兵にも、その旨を申し付けておきます」
続いて、会談を続ける間の軍勢の扱いについても協議した。
垂井から大垣へ向かう街道では、既に双方の物見が活動している。事情を知らぬ兵同士が遭遇すれば、意図せぬ小競り合いが起きることも考えられた。互いの使者を安全に通すのであれば、その周辺で兵が勝手に争わぬよう命じておかなければならない。
ただし、ここで問題となるのは日根野備中守の軍勢だった。
「氏家の兵については、こちらから攻め掛からぬよう申し付けることもできましょう。ただ、備中守の軍勢については、何処まで約束できるか分かりませぬ」
「そこまで氏家殿に求めるつもりはありません。備中守の兵が攻めてくれば、こちらも応じることになります。それとは別に、氏家殿の兵と無益な争いを起こさぬようにしたいのです」
「では、氏家の兵と六角の兵が不用意に近付かぬよう、互いに命じておくということでよろしいか」
「はい。ただし、敵の動きを確かめるための物見まで禁じるつもりはありません。互いの軍勢が近くにいる以上、警戒を続けるのは当然でしょう」
備中守は龍興様から軍勢を預かっている武将であり、俺の命令で自由に動かせる相手ではない。六角方もその点を理解しているのであれば、氏家が負うべき責任の範囲を明らかにできる。
双方の軍勢は現在の備えを維持し、相手の支配する場所へ理由なく兵を進ませない。使者の通行については事前に連絡を取り、不測の衝突が起きた場合には事情を確かめるための連絡を交わす。そのような取り決めを結ぶことで、ようやく会談の主要な議題を終えることができた。
話が一段落したところで、寺の者が昼の支度について尋ねに来た。
思っていたよりも長く話していたらしい。窓の外には夏の日差しが差し込み、庭先では供の者たちが水を求めている姿も見えた。右衛門督は寺の者へ礼を述べると、俺にも食事を勧めてきた。
俺はその申し出を受け、用意された膳をいただくことにした。
食事の間は交渉の話を控え、近江と美濃の街道や今年の暑さについて言葉を交わした。右衛門督は垂井へ入ってから町の者たちと話す機会があったらしく、兵が通ることで商人や百姓に負担が掛かっていることにも触れていた。俺も大垣の周辺では避難を考える者が出ていると伝えたが、それについて特に驚いた様子はなかった。
「大垣は近江へ向かう商人も多うございます。戦が始まれば、城下だけでなく周辺の村々にも影響が出ましょう」
「垂井でも同じような話を聞きました。兵が通るだけで商いを控える者もいるようです。戦が長引けば、町の者たちも困るでしょうね」
「そのためにも、できることなら戦を避けたいものでございます」
「そこは同じ考えです。ただ、戦を避けるために譲れぬこともございますから、難しいところですね」
右衛門督はそう言って、少し苦笑した。
俺も口元を緩めたが、その言葉が軽いものでないことは分かっていた。互いに戦を望んでいないからといって、すぐに和睦できるものではない。主君への忠義も、家中の存続も、簡単に捨てられるものではなかった。
食事を終えると、俺たちは今日の会談で決まったことを改めて確かめ合った。所領と大垣城の扱いは正式な帰属を前提に協議を続け、六角兵の駐留人数や軍役の細かな条件については、氏家家中の意見も踏まえて決める。稲葉山城から返答が届けば、俺から右衛門督へ知らせることになった。
「本日は随分とお時間をいただきました。氏家としても、六角のお考えを直接伺えたことはありがたく存じます」
「こちらこそ、氏家殿と話ができてよかったと思っております。大垣のことは今後の美濃にも関わる話ですから、互いに納得できる形を探したいものです」
「そのためにも、まずは稲葉山からの返答を待たせていただきたい」
「承知しました。次の知らせをお待ちしております」
右衛門督はそれ以上、帰属を促すような言葉を口にしなかった。俺も今の段階で新たに約束できることはなく、会談はそこで終わりとなった。
寺を出ると、供の者たちが帰りの支度を整えていた。六角方の兵も既に集まっており、互いに決めた人数を超える者が近付いている様子はない。俺は馬へ向かいながら、先ほどまで話していた右衛門督の姿を思い返した。
若い総大将だからといって、扱いやすい相手ではなかった。こちらの事情を聞きながらも、必要なところでは簡単に譲らない。大垣を攻める可能性についても、曖昧な返答で安心させようとはしなかった。
それでも、相手が何を求めているのかは分かった。氏家が六角へ従うのであれば、大垣城と家中を保つ道は残されている。しかし、それを選ぶには、一色家との主従を断たなければならなかった。
龍興様と右衛門督では立場が違う。そのことは十分に承知している。六角家中の重臣たちが支えているからこそ、右衛門督にも余裕があるのかもしれない。だが、今の一色家に欠けているものが何なのか、考えずにはいられなかった。
先代義龍様から受けた御恩は今も重い。龍興様を支えるべき立場にあることも変わらなかった。それでも、大垣城と家中の者たちを守るために選べる道が一つではないと知ったことは、俺にとって大きな意味を持っていた。
俺は供の者へ出立を命じ、大垣への帰路に就いた。
*
氏家直元との会談を終えて垂井へ戻った時には、既に日が西へ傾き始めていた。
陣所へ入ると、弥太郎が先に戻った使者から知らせを受けていたらしく、俺を迎える支度を整えていた。会談の場では双方の供回りが争うこともなく、垂井までの帰路にも異変はなかった。今日の取り決めが今後も守られるかどうかは分からないが、まずは無事に話し合いを終えられたことになる。
「若様、氏家殿との会談はいかがでございましたか」
「思っていた以上に話は進んだ。ただし、帰属については稲葉山からの返答を待ちたいそうだ」
「では、まだお決めにならなかったのでございますな」
「ああ。先代から一色家に仕えてきた者だからな。家中のこともあるし、そう簡単には決められんだろう」
俺は弥太郎に会談の内容を伝え、大垣城の扱いや所領についてはおおよその方向がまとまったことを知らせた。正式な約束を交わしたわけではないが、氏家は帰属後に起こり得る問題を具体的に確かめようとしていた。城内の指揮権や家臣の扱いにまで話が及んだことからも、少なくとも六角へ従う場合のことを真剣に考えているのだろう。
「若様、氏家殿は随分と慎重なお方のようでございますな」
「慎重というより、守るべきものが多いのだろう。氏家殿自身が従うと決めたところで、家中の者たちまで簡単に納得するとは限らん。長く一色家に仕えてきた家なのだからな」
「ですが、龍興が援軍を出すと申せば、氏家殿は戦を選ばれるのでしょうか」
「その可能性はある。今日の会談でも、そのことははっきりと伝えられた」
弥太郎は少し意外そうな顔をした。
「それほどまでに申されたのでございますか」
「まだ一色家の家臣なのだから、隠す理由もないのだろう。こちらとしても、正式に帰属するまでは味方として扱えんと伝えてある」
弥太郎はそれを聞き、今日の会談で交わした取り決めについて詳しく尋ねてきた。氏家からの返答を待つ間は不用意な衝突を避け、使者の往来を保証することになっている。だが、日根野備中守の軍勢まで同じ約束に従うわけではないため、各隊への連絡にも注意が必要だった。
そこへ蒲生下野守が訪れた。
下野守には会談の間も大垣方面の警戒を続けてもらっていたが、今のところ大きな動きはないという。杭瀬川の東側には一色方の物見が残っているものの、こちらへ攻撃を仕掛けてくる様子はなく、六角方も必要以上に兵を近付けていないらしい。
「右衛門督様、氏家殿との話は進みましたか」
「ああ。所領と大垣城については、帰属を前提とした条件ならばおおよそのところで考えが一致している。ただし、稲葉山からの返答を待ちたいとのことだ」
下野守はそれを聞くと、少し表情を険しくした。
「……それは、氏家殿が帰属を考えておられるということでございましょうか。それとも、稲葉山からの援軍を待つための時間を得られたということでしょうか」
その指摘には、俺も考えさせられた。
氏家が帰属を真剣に考えていることは、会談での態度から感じ取れた。しかし、それが事実であると確かめられたわけではない。こちらを安心させておき、その間に大垣城の守りを固めることも考えられる。氏家直元ほどの武将であれば、その程度のことを思い付かないはずもなかった。
「どちらの可能性もあるだろう。だが、氏家殿が約定を守っている間は、こちらも不用意に兵を進ませたくない。今ここで攻め掛かれば、せっかくの交渉を無駄にすることになる」
「それは承知しております。されど、備中守の所在もまだ確かめられておりませぬ。氏家殿への配慮ばかりを優先して、こちらの備えが遅れては困ります」
「無論だ。物見まで引き揚げるつもりはないし、兵糧の道についても守りを続ける。氏家殿との約束は、こちらから不用意に攻撃を仕掛けぬというものだ。敵の動きを確かめることまで禁じたわけではない」
「それならば問題はございませぬ。ただ、大垣方面だけでなく、備中守の軍勢が動く可能性のある場所についても警戒を続けたいと存じます」
下野守の考えには異存がなかった。
今の六角軍は関ヶ原を越えて垂井まで進んでいるが、日根野備中守の軍勢を壊滅させたわけではない。備中守は兵をまとめて退いており、その所在も確かめられていなかった。氏家との交渉が続いている間に別の場所から攻撃を仕掛けられれば、こちらも応じなければならない。
「下野守には引き続き周辺の警戒を頼みたい。それと、氏家殿とは使者の往来についても取り決めを結んでいる。双方が事前に知らせた使者は、安全に通すことになった。各隊にも伝えておいてくれ」
「承知いたしました。使者が通る道と人数についても、あらかじめ知らせていただいた方がよろしいでしょう。事情を知らぬ兵が捕らえてしまっては困りますゆえ」
「そうだな。弥太郎、その取り決めについて書き留めておいてくれ」
「承知いたしました」
弥太郎が筆を取ると、下野守は続けて今後の進軍について尋ねてきた。
「氏家殿の返答を待つ間、大垣への進軍は見合わせることになりましょう。ですが、いつまでも垂井へ兵を留めるわけにもまいりませぬ。返答が遅れた場合は、いかがなさいますか」
「まずは稲葉山と大垣の動きを確かめる。氏家殿が約束どおり知らせを寄越すのであれば、それを踏まえて判断するつもりだ」
「稲葉山から援軍が向かっていると分かった場合には?」
「その時は話が変わる。大垣へ進むのか、こちらで迎え撃つのか、敵の兵数と動きを確かめて決めることになるだろう」
「では、大垣へ進む場合の支度も進めておくべきでございましょうな」
「ああ。氏家殿が従うなら城を攻めずに済むが、断られた場合のことも考えておかなければならん。兵の損害と今後の補給についても確かめておきたい」
下野守はその方針に同意し、各隊の備えを確認するため持ち場へ戻った。
今回の会談で得られたものは少なくないが、氏家が必ず帰属するという保証はどこにもない。話し合いの成果を重く見過ぎれば、かえってこちらの判断を誤ることにもなるだろう。交渉を続けることと、戦に備えることは分けて考えておかなければならなかった。
俺は弥太郎から書付を受け取り、観音寺城へ送る報告を認め始めた。
氏家が直接会談に応じたこと、従来の所領と家臣の処遇について大きな隔たりがなかったこと、大垣城を引き続き氏家へ預ける方向で話を進めていることを記す。また、六角兵の駐留や今後の軍役については、正式な帰属が決まってから具体的に取り決める必要があることも伝えた。
父上がこれをどのように受け取るかは分からない。大垣城は西美濃へ進むうえで重要な拠点であり、氏家へそのまま任せることに懸念を示される可能性もある。しかし、今の六角軍が大垣を攻め落としたとしても、その後の守りを担う兵を新たに用意しなければならない。氏家が従うのであれば、その家臣団を残した方が現実的だと考えていた。
何より、大垣城を攻めずに得られれば、その分だけ兵の損害を抑えられる。関ヶ原での戦でも、こちらは決して少なくない犠牲を払っている。勝ち続けているからといって、兵がいくらでも補充できるわけではなかった。
俺は今日の会談で氏家が示した懸念についても記し、正式な帰属が決まった場合に必要となる裁可を願い出た。六角兵の駐留人数や所領の扱いについて、父上の考えを確かめておかなければ、氏家から帰属の申し出があった際に対応が遅れる恐れもある。
書状を認め終えると、弥太郎へ明朝の使者について相談した。
「若様、氏家殿からの返答よりも先に、左京大夫様から御返書が届くことになりましょうか」
「どうだろうな。氏家殿のもとへ稲葉山から知らせが届く時期にもよる。父上からの返答を待つ間に、向こうから帰属の申し出があるかもしれん」
「その場合には、正式な裁可を待っていただくことになるのでございますな」
「ああ。ただ、こちらで進められる話まで止める必要はない。帰属の意思が確かめられれば、城内へ入る兵の数や今後の軍役についても、具体的に話し合えるだろう」
弥太郎は書状を受け取り、使者の手配を進めると答えた。
その後、兵糧についての報告にも目を通した。関ヶ原を越えてから荷駄の往来は増えているものの、街道の警固に兵を割いているため、前線へ送れる物資には限りがある。垂井での滞陣が長引けば、それだけ消費する兵糧も増える。氏家との交渉が続いているからといって、補給の手配を怠るわけにはいかなかった。
翌朝の軍議では、各隊の兵数と物資の状況を確認し、必要な備えを進めることにした。大垣へ進む道の警戒、関ヶ原から続く輸送路、不破の国人たちへの対応。どれも氏家の返答とは別に進めなければならない仕事だった。
ようやく一段落したところで、弥太郎がこちらの様子を窺った。
「若様、夕餉の支度をいたしましょうか」
「そうだな。今日は随分と話したから、腹が減った」
「それはようございました。会談からお戻りになってからも、ずっとお話をなさっておられましたので」
「氏家殿との話をまとめておかねばならんからな。後になって約束を取り違えては困るだろう」
「それは承知しております。ですが、明日も朝から軍議がございます。今夜は早めにお休みくだされ」
弥太郎はそう言うと、俺の返答を待たずに夕餉の支度を命じに行ってしまった。
やれやれ。随分と世話を焼くようになったものだ。
もっとも、今日ばかりは弥太郎の言うことにも一理ある。氏家との会談では思っていた以上に神経を使ったし、明日以降も片付けるべき仕事は多い。今夜のうちに無理をしてまで進める必要のあるものは、もう残っていなかった。
しばらくして夕餉が運ばれてくると、弥太郎もようやく満足したようだった。俺は食事を取りながら翌朝の支度について幾つか確認し、必要なことを伝え終えると、それ以上仕事の話を持ち出すのはやめた。
大垣からの返答がいつ届くかは分からないが、氏家が帰属を決めるまでにも、こちらで進めておくべきことはある。明日は予定どおり軍議を開き、各隊の状況を確かめることになるだろう。
俺は夕餉を終えると弥太郎へ明朝の支度を任せ、その日は早めに休むことにした。
んー、交渉系が多くなるとどうしても会話が多くなってしまい、更に文字数がえらいことになる……。
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