ゲヘナ線区はド畜生。 作:シュポニキ
12時30分。太陽が天空の頂点に差し掛かり、アビドス砂漠から吹き付ける熱気が南ゲヘナ駅の鉄骨構造を歪ませる時刻。
南ゲヘナ駅・治安維持部専用休憩室の空気は、穏やかな昼食の香りに包まれていた。
「ふう……今日の弁当も、なかなか美味いな」
ハイランダー鉄道学園・ゲヘナ線区治安維持長の士方リョウは、パイプ椅子の背もたれに深く体重を預け、プラスチックの弁当箱を開けていた。おかずは白身魚のフライと、甘めの卵焼き。一口ごとに噛み締め、茶をすする。
背中の大きな黒い翼は、邪魔にならないよう小さく折りたたまれ、彼の佇まいはどこまでも平和的だった。顔立ちには優しげな笑みすら浮かんでいる。
「やっぱり、午前の勤務が無事に終わった後の飯が一番ですよ。このままトラブルが起きなければ、17時ピッタリにタイムカードを押して帰れる。……完璧な一日だ」
リョウが満足そうに目を細めた、その時だった。
バンッ!!
防音仕様であるはずの分厚い鉄扉が凄まじい勢いで蹴破られ、治安副長の野上ヒヨコが雪崩れ込んできた。その顔は蒼白で、抱えた端末からはけたたましい警告音が鳴り響いている。
「い、維持長ぁぁぁッ! 大変です! 12時28分、アビドス砂漠前〜南ゲヘナ駅間、KP(キロポスト)14付近で緊急事態発生です!」
「……ヒヨコ。落ち着きなさい。ご飯を食べている時に大声を出すと体に悪い」
リョウは穏やかな手つきで箸を置き、お茶を一口飲んだ。
「で? 緊急事態とは何だ。線路上に迷い込んだ野良イヌでもいたか?」
「違います! 温泉開発部です! 奴ら、南ゲヘナ駅の手前3キロ地点の複線中央に、どこからか持ち込んだ超大型削岩ドリルと爆薬を勝手に設置! 『この地下300メートルに極上の硫黄泉が眠っている!』とか叫んで、上下線のレールを爆破掘削し始めました!」
ポタリ、と。
リョウの手から、プラスチックの箸が床に落ちた。
「……何?」
「すでに上り線のレールが約50メートルにわたって粉砕! 下り線にも亀裂が入っています! 現在、ゲヘナ繁華街発・南ゲヘナ行きの1222便が現場手前に緊急停車中! ダイヤの遅延は現時点で18分……このままだと全線麻痺で、本日の定時運行は完全に不可能です!」
「………………」
リョウの表情から、すうっと血の気が引いていった。
怒りではない。狂気でもない。ただ、「今日、17時に帰れるかもしれない」というささやかな希望が、目の前でガラガラと崩れ去っていく絶望。
「……現在の時刻は?」
「12時32分です!」
「……定時(17:00)まで、あと4時間28分」
リョウは静かに立ち上がった。
先ほどまでの穏やかな雰囲気は影を潜め、背中の翼がバサリと大きく広がった。胸元からショートバレル・ショットガンを引き寄せ、保線用ナックルを両拳に装着する。
「……ヒヨコ。現場の正確なGPS座標、および敵の規模と配置データを送れ」
「は、はいっ! 端末に転送完了! 敵勢力は温泉開発部・作業員約30名、大型掘削機1両、爆薬設置済みです!」
「よし」
リョウは南ゲヘナ駅の休憩室の窓枠に足をかけた。強化防弾ガラスがはめ込まれた窓だが、彼は迷うことなくサッシのロックを外す。
「維持長!? ここは4階ですよ!?」
「電車を待っていたら遅延が広がる。……突貫で片付けて、17時までに全員で帰るぞ」
「は、はいっ!」
「保線のトシと、運転士のヨドキに連絡。『3分以内に現場を更地にする。その後は頼んだ』とな」
言い捨てるや否や、リョウは背中の翼を全力で旋回・羽ばたかせた。
アビドス砂漠の灼熱の風を切り裂き、リョウは地平線の彼方に位置する現場へ向かって直進していった。
◆
アビドス砂漠前〜南ゲヘナ駅間、KP14地点。
そこはまさに、地獄絵図と呼ぶにふさわしい惨状だった。
「ハハハハハ! 掘れ! 掘れぇぇぇッ! このシグナル、この地圧! 間違いなく地下にドバドバの極上硫黄泉が湧き出ているぞ!」
「主任! ハイランダーの警告信号が鳴っています! 列車が来ます!」
「うるさい! 温泉の情熱はダイヤの乱れより重いのだ! 邪魔な鉄くず(レール)は爆破しろーッ!」
黄色の作業ヘルメットをかぶった温泉開発部の部員たちが、巨大な超大型削岩ドリル機を線路の真ん中に据え付け、景気良くダイナマイトを破裂させていた。
ドカァン! ドカァン! と盛大な煙が上がり、美しく敷設されていた高張力鋼の複線レールが、無惨にもひしゃげて空中に跳ね上がっている。
その時だった。
風切り音が近づいてきた。
「ん? なんだあの音——」
作業員が空を見上げた瞬間。
砂と破片が全方位へ吹き飛んだ。
爆心地に立っていた温泉開発部員5名が、悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされて砂の小山に突っ込む。
着散の衝撃が収まると、そこには砂煙の中から立ち上がる一人の男の姿があった。
ショートバレル・ショットガンを肩に担ぎ、保線用ナックルから白い蒸気を吐き出す治安維持長・士方リョウである。
「……現在の時刻、12時34分」
リョウの目は、至極冷静だった。まだ17時を過ぎていないため、狂戦士化も冷め切った圧もない。あるのは「最高効率で仕事を終わらせる」という職人としての冷徹な集中力のみ。
「温泉開発部。営業妨害および鉄道インフラの損壊行為により、即時拘束する。……あと3分で片付けるから、全員おとなしく縛られてくれ」
「な、なんだあいつは!? ハイランダーの治安隊か!? やってしまいなさい!」
怒号とともに、サブマシンガンを構えた作業員十数名が一斉に躍り出てくる。
リョウの動きに、一切の無駄はなかった。
最前線の敵が引き金を引くより早く、翼の羽ばたきによる推進力で間合いを詰める。
ズドンッ! とショットガンを至近距離で一発。散弾の衝撃で前衛の3人が弾き飛ぶと同時に、リョウは残弾の薬莢を排出(エジェクト)しながら前に踏み込んだ。
左から襲いかかる作業員の腕を最小限の体さばきでかわし、保線用ナックルを装着した右拳を顎下へ垂直に突き上げる。
ガコンッ! という重厚な打撃音とともに、敵の身体が宙に浮く。
「次」
流れるような回転蹴りで右側の二人をまとめて薙ぎ払い、倒れた隙に手錠を投げつけて拘束。接近してくる敵にはショットガンの銃身(バレル)で直接みぞおちを殴りつけ、一瞬で呼吸を奪う。
無駄な射撃はしない。弾薬の消費を最小限に抑え、急所だけを的確に叩く「省エネ・最短距離」の暴力。
「ひ、ひぃぃぃっ!? なんだあいつ! 強すぎる!!」
「ドリル機を守れ! ダイナマイトを投げ——」
「遅い」
作業員が爆薬の導火線に火をつけようとした瞬間、リョウの翼がしなり、衝撃波が作業員の腕を打った。ダイナマイトがポロリと手からこぼれ落ちる。リョウはそのダイナマイトを足先で軽々と跳ね上げ、無人の削岩ドリルのエンジン排気口へと蹴り込んだ。
ドカンッ!
ドリル機が内部から爆発し、黒煙を上げて沈黙する。
「12時36分……鎮圧完了」
わずか2分間。
現場に転がっていた約30名の温泉開発部員は、一人残らず打撲と関節技で無力化され、線路脇の防砂壁に整然と縛り付けられていた。
そこへ、線路の遠方から「ギャリギャリギャリ!」という猛烈な金属摩擦音を響かせて、黄色の小型機関車——保線専用の装甲作業車が滑り込んできた。
ブレーキ音とともに降り立ってきたのは、泥と油にまみれた作業服を着込み、巨大なスレッジハンマーを担いだ男。ゲヘナ線区が誇る名物保線員、澤田トシだ。
「おいリョウ! トラブルの元凶は片付いたか!?」
「ああ、トシ。温泉開発部32名、全員身柄を確保した。それより……線路を見てくれ」
リョウが指差した先を見て、トシは眉間に深いシワを刻み、激しい怒号を上げた。
「バカ野郎が代ぇぇぇッ!! 上り線レール破断! 下り線バラス飛散! マクラ木は黒焦げだ! ふざけやがって、これを一から直すとなると、普通なら本校から大型保線車を呼んで3日はかかるぞ!?」
「トシ」
リョウはトシの肩にそっと手を置いた。その目は真剣そのものだった。
「私には、今日どうしても17時に帰らなければならない理由がある。頼む」
トシはリョウの顔を見つめ、大口を開けてハハハと笑い飛ばした。
「ハッ! 言われなくても分かってんだよ! 俺だってなぁ、今夜は南ゲヘナの居酒屋で煮込みを喰うって決めてんだ! 3日かかる修理? ハッ、笑わせんじゃねえ! ゲヘナ線の保線員を舐めるなよ!」
トシは保線作業車の後部デッキへ向き直ると、咆哮した。
「保線班! 野郎ども、突貫仕事だ!『熱圧着カプラー』と『高強度急速硬化セメント』を投入しろ! 精密な水平出しは捨てろ! 列車が脱線しなければそれでいい!!」
「オーッ!!」
作業車から飛び出してきたゴツい保線員たちが、信じられないスピードで動き始めた。
トシの指揮は狂気的かつ神業だった。
壊れたレールを酸素バーナーで力任せに切り落とし、予備の「特殊高張力鋼短尺レール」を設置。溶接ではなく、高熱で一瞬で結合させる高圧熱圧着カプラーを叩き込む。
ガチィィィン! ガチィィィン!
「トシ! セメントの硬化まであと3分かかります!」
「待てるかバカ野郎! 冷却スプレー全開で吹きかけろ! 表面が固まれば重量には耐えられる!」
プシューーーッ!! と白い冷気が立ち込め、爆破された路盤が強引に形作られていく。
本来なら測量機器を使い、ミリ単位で水平を調整し、段階的に固める工程を、トシたちは己の「長年の勘」と「腕力」だけで数分間に凝縮していく。職人技というよりは、もはや魔法に近い突突貫工事(突撃突貫工事)だ。
その時、遠くのアビドス砂漠前駅方面から、地鳴りのような重低音が響いてきた。
キィィィィィン……ドォォォォォン!!
「……おい、トシ。あの音は」
リョウが振り向くと、遠くの地平線から、ガスタービンエンジンを極限まで吹かした8両編成の列車——1222便が、猛烈な黒煙を上げながら爆風を伴って接近してきていた。
運転席の防弾ガラス越しに見えるのは、ゴーグルを頭に上げ、狂気的な笑みを浮かべる男——運転士、藤原ヨドキだ。
無線機からヨドキの爆音のような声が響き渡る。
『ハハハハハ! おーいトシ! リョウ! 聞こえるかぁ! 遅延は現在22分! この区間で遅れを取り戻さねば、本日のダイヤは全滅だぁぁぁッ!』
「バカ野郎!!」トシがハンマーを振り回しながら叫ぶ。「待てヨドキ! まだ上り線のボルト締めが終わってねえ! レールが固定されてねえぞ!」
『ハッ! 線路があるなら踏む! ないなら跳ぶ! それがゲヘナ線の流儀だろぉぉぉッ! ガスタービン出力、限界突破240キロォォォッ!!』
「正気かあいつは!?」
1222便のガスタービンエンジンが「キィィィィン!!」と悲鳴を上げ、車体側面の排気口からアフターバーナーのような蒼い炎が吹き出した。
【 180 km/h → 200 km/h → 220 km/h → 240 km/h 】
本来の限界速度(220km/h)をあざ笑うかのようにオーバーレブさせ、狂ったような速度で突っ込んでくる1222便。
「くっ……トシ、下がれ!」
リョウがトシの襟首を掴んで線路外へ飛び退いた、その直後。
ドゴォォォォォンッ!!
240km/hで突っ込んできた重装甲列車が、出来立てホヤホヤの、まだ湯気が立っているツギハギのレールに車輪を叩きつけた。
ギャリギャリギャリギャリッ!!
火花が嵐のように吹き荒れる!
完全には固定されていないレールが悲鳴を上げ、車体が右へ左へ激しく傾く。一歩間違えれば、数百トンの鋼鉄の塊が砂漠へ転覆する大惨事だ。
しかし、ヨドキの操縦は神がかっていた。
「ぬおおおおおッ! 倒れるなよ相棒! 荷重移動だぁぁぁッ!」
ヨドキは非常用ブレーキと左右の出力バランスをミリ単位で倒し込み、車輪の脱線ギリギリのラインで車体の体勢を立て直す。跳ね上がったレールを、列車の自重で強引に押し潰しながら突き進む!
ズダダダダダダンッ!!
豪快極まりない音とともに、1222便はツギハギ区間を力任せに走り抜け、何事もなかったかのように南ゲヘナ駅方面の正常なレールへと復帰していった。
遠ざかる列車の最後尾から、ヨドキの無線が入る。
『ヒャッハー! 抜け抜けたぞ! トシ、最高の線路だったぜ! 遅延、残り5分まで圧縮完了!』
「死ねバカ野郎!! 次会ったらハンマーで脳天叩き割ってやるからな!!」
トシは顔を真っ赤にして叫びながら、唾を吐き捨てた。しかし、その口元にはどこか満足げな笑みが浮かんでいた。
砂煙が収まり、現場に静寂が戻る。
突貫修理されたレールは、摩擦熱で赤く光っていたが、とりあえず列車が通れるだけの強度は保たれていた。縛り上げられた温泉開発部員たちは、いま目の前で起きた「限界突破爆走」の光景に、開いた口が塞がらない様子で震えている。
リョウは静かにポケットから時計を取り出し、時間を確認した。
「……12時45分」
遅延は大幅に圧縮され、これなら13時過ぎには正常なダイヤへと復帰できる。17時までの「貯金」はまだ残っている。
「……ふぅ」
リョウは深く息を吐き、保線用ナックルを外すと、トシに向かってペコリと頭を下げた。
「助かったよ、トシ。見事な腕前だった」
「ハンッ! 当たり前だ、誰に口きいてやがる。……だがリョウ、今日のはまだ序の口だぞ。温泉開発部が動き出したってことは、あのバカども、また明日も明後日も掘りに来るぞ」
「ああ。だが、その都度叩き潰すだけだ。……私の定時退勤を邪魔する者は、誰であっても許さない」
リョウの澄んだ瞳に、揺るぎない「労働者の意思」が宿っていた。
「よし、ヒヨコ。南ゲヘナ駅へ連絡して、警備車両を回せ。この温泉開発部員どもを連行する」
「了解です、維持長!」
後方から遅れて追いついてきたヒヨコが、端末を叩きながら駆け寄ってくる。その顔には、圧倒的なトラブル解決スピードに対する誇らしさが溢れていた。
「……しかし、先生がこれを見なくてよかったですね」
「ん? シャーレの先生か?」
「はい。もし先生が1222便に乗っていたら、今の240キロドリフト走行で間違いなく気絶してましたよ」
「……そうだな。先生には、なるべく刺激の少ない、平和なゲヘナ線を見せてあげたいものだ」
リョウは砂漠の空を見上げ、爽やかに微笑んだ。
——こうして、12時30分に発生した大遅延トラブルは、リョウの音速急行、トシの神業突貫工事、そしてヨドキのイカれた限界突破走行により、わずか15分で解決された。
だが、これは「地獄のゲヘナ線区」における、ほんの日常の一コマに過ぎないのである。