ゲヘナ線区はド畜生。   作:UMC OGASOU

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第二章 風紀委員会編
8.過剰コンプライアンスの罠


 

翌朝。南ゲヘナ駅のホームは、いつもとは明らかに異質な、ピンと張りつめた空気に包まれていた。

 

「いいですか、風紀委員会の皆さん。本日より、我が委員会による『特別査察指導』を開始します。ハイランダー鉄道学園・ゲヘナ線区の者たちが、これまでどれほど身勝手で違法な運行を繰り返してきたか……本日、その実態を徹底的に暴き、厳格なマニュアル通りに正して見せます!」

 

「「はい、行政官殿!」」

 

南ゲヘナ駅の改札前および第1・第2ホームには、腕章を巻いた風紀委員たちが整然と配置されていた。

その中央に立つのは、ゲヘナ学園風紀委員会行政官・天羽アコ。手元には、ハイランダー本校およびゲヘナ学園の交通管理法規をぎっしりと詰め込んだ、分厚いバインダーが握られている。

 

アコの作戦は完璧なはずだった。

これまではゲヘナ線の職員たちが「緊急避難」や「現場の判断」という名目で、速度超過や暴徒への過剰防衛、即席保線といった違法行為をうやむやにしてきた。だが、こうして風紀委員会が現場の「すべて」を監視し、一挙一手マニュアル遵守を強制すれば、彼らの無法なやり方は一瞬で詰む。

 

「……フフ。どれほど言い訳をしようと、マニュアル通りにやれば彼らが普段いかに手抜きと過剰暴力を重ねていたかが証明されます。17時退勤どころか、午前中のうちに業務麻痺を起こして音を上げるでしょうね」

 

アコが冷笑を浮かべ、時計に目をやったその時。

 

カツン、カツン、と足音が響いた。

 

「おはようございます、アコ行政官」

 

現れたのは、ハイランダー・ゲヘナ線区治安維持長の士方リョウであった。

制服のボタンは一番上まで寸分の狂いもなく留められ、帽子の角度も完璧。その横には、手帳とペンを構えた治安副長の野上ヒヨコが、無表情で控えている。

 

「あら、士方維持長。逃げ出さずに来ましたか。言っておきますが、本日は我が風紀委員会がコンプライアンスの徹底を監視します。一コンマの規律違反も許しませんよ」

 

アコが胸を張って言い放つ。

 

しかし、リョウの反応は、アコの予想とは完全に異なるものであった。

 

「ええ、仰る通りです、アコ行政官」

 

リョウは一切の感情を殺した、氷のように澄んだ声で深く頭を下げた。

 

「我がゲヘナ線区は、行政官のご指摘を深く反省いたしました。これまでの運行はあまりにも現場の裁量に頼りすぎ、コンプライアンスへの意識が欠如していたと言わざるを得ません。つきましては、本日より風紀委員会の皆様のご指導のもと、【ハイランダー鉄道運行管理基本マニュアル(改訂版・全1200ページ)】および【ゲヘナ自治区旅客輸送安全基準】を、一文字たりとも漏らさず『完全遵守』して運行業務を行います」

 

「……は?」

 

アコは一瞬、拍子抜けしたような声を漏らした。

もっと反発し、悪悪と暴論を吐いて抗議してくるものと思っていたのだ。それが、あまりにも素直に、あまりにも恭順な態度で首を垂れている。

 

(な、なにか裏があるのかしら……? いえ、相手が改心してマニュアルを守るというなら、風紀委員会として文句のつけようがないわ。……ふん、口だけで守れるものなら守ってみなさい)

 

「結構な心がけですね。では、見せていただきましょう。貴方たちの『マニュアル遵守』とやらを」

 

「承知いたしました」

 

リョウはすっと背筋を伸ばすと、ポケットからインカムを取り出し、南ゲヘナ駅全構内へ向けてアナウンスを発した。

 

「全職員へ通達。本日より、羽沼アコ行政官のご指示に基づき、安全最優先およびコンプライアンス完全遵守モードへ移行する。マニュアル第1章第1条から第1200条に至るまで、例外なき徹底適用を行え」

 

『了解(りょうかい)で〜す! マニュアル完全徹底、開始(スタート)します!』

 

ヒヨコの無機質な声が響いた瞬間——。

 

南ゲヘナ駅の「地獄のコンプライアンス劇」の幕が上がった。

 

◆

 

午前7時00分。通勤・通学ラッシュの第一波が南ゲヘナ駅へ押し寄せ始めていた。

 

ゲヘナ学園の生徒たちや、周辺の住民たちが自動改札機を通ろうとした、その時である。

 

「止まってください!」

 

改札口に配置されたハイランダー治安隊員が、ビシッと白手袋をはめた手を挙げて乗客たちを遮った。

 

「な、なんだよ!? 電車に乗り遅れるだろ!」

 

「マニュアル第3章『危険物混入防止および旅客安全確認手続』第14条に基づき、乗客皆様のお手荷物および所持品の全件開帳検査を実施いたします」

 

「ぜ、全件手荷物検査ぁ!?」

 

乗客たちが悲鳴を上げると同時に、治安隊員たちは持ち運び用の金属探知機とX線スキャナーを配置し、丁寧すぎる手つきでバッグの中身を一つずつ調べ始めた。

 

「教科書良し、筆箱良し、化粧ポーチ良し、弁当箱良し、……あ、お客様。こちらの缶ジュース、未開封ですが成分表示の確認が必要です。毒物・可燃性物質でないことを証明するため、その場で一口お飲みいただけますか?」

 

「はあぁぁ!? ジュース飲むだけで何分かかってんだよ!」

 

「安全確認手続です! マニュアルの規定ですのでご協力ください!」

 

改札前には、一瞬にして数百人の乗客が長蛇の列を作り、その列は南ゲヘナ駅のロータリーを越えて、はるか先の街頭まで伸びていった。

 

「な、なんなのよこれは!?」

 

現場に駆けつけたアコが、目を見開いて叫んだ。

 

「ちょっと士方維持長! 改札前が埋め尽くされているじゃないですか! どうして手荷物検査なんてやっているのですか!?」

 

リョウは真顔で、手元の厚いマニュアルのページをアコに提示した。

 

「マニュアル第3章第14条です。『治安上の懸念が存在する線区においては、旅客の安全を確保するため、全手荷物の目視および確認を行わなければならない』。ゲヘナ線区は治安上の懸念地域に該当しますから、この規定を省略することは重大なコンプライアンス違反となります。……行政官、手抜きをしろと仰るのですか?」

 

「くっ……! た、確かに書いてあるけれど、普段は抜粋検査で運用されているでしょう!?」

 

「普段の抜粋検査を『手抜き』だとご指導されたのは、他ならぬアコ行政官です。私たちは行政官のお言いつけを守り、完璧に実行しているのです」

 

「なっ……!?」

 

絶句するアコを置き去りにして、今度は第1ホームから耳をつんざくような大声が響き渡った。

 

「「第一進行! 信号良し! 架線良し! 障書物なし! バラス緊結度良し! ホーム足元注意表示良し! 乗客整列状態良し! 風向風速良し! 気圧良し!……」」

 

ホームに並んだ治安隊員と保線員・澤田トシたちが、一線一列になって指差し確認を行っていた。

その数、実に100項目。

 

「お、おいトシ! まだ発車できないのか!?」

 

停車中の列車の運転席から、藤原ヨドキが顔を出して叫ぶ。

 

「バカ野郎! マニュアル第5章『発車前点検100選』の第87項目『ホーム上の雀の有無確認』がまだ終わってねぇんだよ! 雀が架線に触れて短絡事故を起こしたら誰が責任取るんだ! 指差し確認! 雀、見当たらず良し!」

 

「遅い! 100項目確認に15分かかってるぞ!」

 

「文句は風紀委員会に言え! コンプライアンス遵守だオラァッ!」

 

「な……なんなのあの茶劇はぁぁぁっ!?」

 

アコが頭を抱えて叫ぶ。

 

100項目の指差し確認が終わらなければ、列車は一分たりとも発車できない。

結果として、7時05分発の通勤急行は、ホームに停車したまま動かず、後続の列車が次々と線路上で立ち往生(数珠繋ぎ)を始め、ダイヤは一瞬で崩壊した。

 

◆

 

「ア、行政官殿! 大変です!」

 

風紀委員の部下が、青ざめた顔でアコのもとへ駆け寄ってきた。

 

「何事ですか!? これ以上何が起きるというのです!」

 

「KP2地点の踏切です! ハイランダーの保線班が踏切を完全に遮断したまま、動かなくなっています!」

 

「なんですって!?」

 

アコがKP2地点の踏切へ急行すると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

遮断機が下りたままの踏切の前で、トラックやバス、一般車両、果ては通学中の生徒たちが大渋滞を起こし、凄まじいクラクションの嵐が吹き荒れていた。

 

その中央で、保線員のトシが、ルーペ(拡大鏡)を持って線路に這いつくばり、微細な傷を覗き込んでいた。

 

「保線員! 遮断機を上げなさい! 道路が大渋滞しているでしょう!」

 

アコが詰め寄ると、トシはめんどくさそうにルーペを外し、頭を掻いた。

 

「あぁ? 行政官殿かい。無理言わないでくれよ。マニュアル第8章『保線安全規定』第45条を見てみな」

 

トシが指差したマニュアルには、こう書かれていた。

『レール表面に0.1ミリ以上の微細亀裂(ヘアラインクラック)を発見した場合、直ちに踏切を遮断し、急速非破壊検査および超音波測定を実施しなければならない』。

 

「見ろよ、このレール。0.12ミリの傷がある。マニュアル通り、超音波測定器が本校から届くまで、この踏切を開けるわけにはいかねぇんだよ。開けたらコンプライアンス違反で俺が風紀委員会に逮捕されちまうからな」

 

「た、たかが0.12ミリの傷で踏切を二時間も閉めるバカがありますかぁぁぁっ!」

 

「バカとは失礼だな! 俺たちは風紀委員会様の仰る通り、真面目にルールを守ってんだよ! 文句があるなら、その傷を魔法で消してみせな!」

 

「くッ…………!!」

 

アコの額に、青筋がピキピキと浮かび上がる。

 

彼らは破れかぶれで暴れているのではない。

ハイランダーの古く形骸化したマニュアルの「最も過剰で、最も非現実的な規定」を完璧に遵守することで、「マニュアル通りにやったらシステム全体が自己崩壊する」という真実を、行政の顔面に突きつけているのだ!

 

◆

 

午前11時00分。

 

南ゲヘナ駅周辺の交通網は、完全に「沈黙」していた。

 

改札前の手荷物検査の大行列は駅前広場を埋め尽くし、乗れない乗客たちで溢れかえっている。

線路上では、100項目確認が終わらない列車が数頭繋ぎになり、全く動かない。

踏切は各地で「0.1ミリの傷」を理由に永久遮断され、ゲヘナ繁華街からアビドス砂漠へ抜ける幹線道路は、数キロにわたって動かない車で地獄の渋滞を巻き起こしていた。

 

「な……なんなのよこれは……。どうして……どうして真面目にルールを守らせているだけなのに、こんなことになるの……!?」

 

アコは駅務室のバルコニーから、大混乱に陥った南ゲヘナ駅周辺を見下ろし、ガタガタと震えていた。

 

手元のバインダーが、重く感じられる。

風紀委員会に届く苦情電話のベルが、駅務室の中でジリリリリリリリリリリリリリッ! と鳴り響き、止まる気配がない。

 

『もしもし!? 風紀委員会か!? なぜ南ゲヘナ駅の電車が動かんのだ! 我が校の授業が開始できないぞ!』

『踏切が開かないせいで、給食の配送トラックが動けないんだが!? どうしてくれる風紀委員会!』

『不当な手荷物検査で私のジュースを飲まされた! 権力のかさ着せだ!』

 

「ひ……ひえぇぇぇっ……!」

 

アコは受話器から漏れ出る怒号の嵐に、思わず受話器を放り投げた。

 

その時、背後の扉が静かに開いた。

 

現れたのは、書類の束を手にした士方リョウであった。

 

「……アコ行政官」

 

リョウの声は、相変わらず温度がなく、冷め切っていた。

だが、その瞳の奥には、過剰コンプライアンスという地獄の術式を完成させた者の、絶対的な圧が宿っていた。

 

「現在の運行状況をご報告いたします。マニュアルの完全遵守により、本日の事故発生率は『ゼロ』。コンプライアンス違反件数も『ゼロ』です。極めて安全で、規律正しい運行が達成されております」

 

「あ……あ……」

 

「ただし」

 

リョウは冷酷に、手元の数字を読み上げた。

 

「全線区における平均遅延時間、【4時間45分】。乗客通過効率、通常の【3%】。踏切開放率、【0%】。本日中に目的地の駅へ到着できる乗客の割合は、概ね1割以下と試算されております」

 

「そ……そんなの……運行していると言えないじゃないですか……!」

 

アコが悲鳴を上げる。

 

「いいえ、運行しております」

 

リョウは一歩前へ踏み出した。

 

「マニュアルに定められた『安全』と『規律』は100%守られております。……アコ行政官。貴女が望まれたのは、このような『正しく、正当で、一歩も前に進まない世界』なのではないのですか?」

 

「ッ……!」

 

アコは言葉を失った。

 

リョウの言葉は、完璧な正論であった。

現場がなぜ速度を出し、なぜ手荷物検査を省略し、なぜ直感で保線を行っていたのか。それは、この過酷なゲヘナ線区で「まともに人間と物を運ぶ」という最低限の機能を維持するための、現場の血と汗の知恵だったのだ。

 

それを「違法だ」「ルール違反だ」と卓上の理屈で叩き潰した結果が、この目の前の大惨状であった。

 

「……どうされますか、行政官」

 

リョウはすっと時計に目をやった。

 

時刻は、11時30分。

 

「このままマニュアル遵守を継続すれば、本日のダイヤは深夜を過ぎても復旧しません。もちろん、私たち治安維持部も、現場の保線員も、【マニュアル確認作業が終わらないため、本日は全員深夜まで確定で残業】となります」

 

「残業……!」

 

その言葉を口にした瞬間、リョウの瞳から、ふっと光が完全に消え去った。

 

「……あーあ。残業か。アコ行政官のせいで、今日も17時に帰れないなぁ。……どうしてくれんのよ、これ」

 

ドクン、とアコの心臓が跳ね上がった。

 

リョウの体から立ち上る、恐ろしいまでの「冷気」。

17時超過の狂戦士化とはまた違う、過剰なコンプライアンスを押し付けられて残業を確定させられた労働者の、底知れない怨念と圧力が、アコの全身を押し潰さんばかりに膨れ上がっていく。

 

「ひ……ヒッ……!?」

 

「アコ行政官。私たちは指示に従いましたよ? マニュアルを守りましたよ? なのに……どうしてこんなに遅延が出るんでしょうねぇ? ねぇ、答えてくださいよ。行政官なんでしょう? ルールを教えたんだから、解決策も教えてくださいよ」

 

リョウが一歩、また一歩と近づいてくる。

その背後の影が、まるで巨大な黒い化け物のように広がり、アコを呑み込もうとしていた。

 

「た……助けて……先生ぇぇぇっ!」

 

耐えかねたアコは、悲鳴を上げて先生の後ろへと隠れ、その服の裾をガタガタと震える手で掴んだ。

 

「あ、あはは……士方くん、アコちゃんも反省しているみたいだから、そのへんで……ね?」

 

先生が苦笑しながら間に入ると、リョウはハッと正気に戻ったように立ち止まり、すっと深呼吸をした。

 

「……失礼いたしました。あまりのコンプライアンスの美しさに、少し心が乱れてしまいました」

 

リョウは胸ポケットから、一枚の提案書を取り出し、アコの前に提示した。

 

「アコ行政官。提案がございます」

 

「な……なに……?」

 

アコが先生の背中から恐る恐る顔を出す。

 

「本日午後の運行より、我が治安維持部に【現場の状況に応じたマニュアル緩和および緊急時現場判断権】の特例認可を与えていただけますか? さすれば、わずか15分でこの大渋滞を解消し、17時までに全ダイヤを正常化させてみせます」

 

「15分で……!?」

 

「はい。手荷物検査は従来の不審者限定抜粋検査へ。指差し確認は10個の主要項目へ短縮。踏切の微細傷はトシの急速目視確認により即時開放。……すべて、私たちがこれまで行ってきた『現場の知恵』です」

 

アコは、手元のバインダーと、窓の外の大混乱、そしてリョウの冷徹な瞳を交互に見つめた。

 

選択肢はなかった。

このまま自分のプライドを守って過剰コンプライアンスを強制すれば、ゲヘナ学園全体の交通が完全に麻痺し、自分は風紀委員長であるヒナから怒号と説教を喰らうことになる。

 

「くっ……! くそぉぉぉっ……!」

 

アコは悔しさに唇を噛み締めながら、提案書に殴り書きで「承認」のサインを叩きつけた。

 

「認めます! 認めますわよ! 現場の判断権を特例として認可します! だから早く……早くこの地獄の大渋滞を解消しなさい!」

 

「承認、確かに受け取りました」

 

リョウは提出書類を胸ポケットに収めると、すっとインカムを掲げた。

 

「全職員へ通達。特別指導の第一段階終了。これより『ゲヘナ線区・現場流超急速復旧運用』へ移行する。15分で全遅延を圧縮しろ」

 

『了解ぃぃぃぃぃぃっ! 待ってましたぁぁぁッ!』

 

インカムから、トシとヨドキの歓喜の叫びが轟いた!

 

◆

 

そこからのゲヘナ線区の動きは、まさに「神業」であった。

 

「手荷物検査終了! 怪しい奴以外は全員改札へ叩き込めぇぇぇっ!」

 

治安隊員たちが手際よく乗客を改札へ流し込み、わずか3分で改札前の大行列が消失!

 

「指差し確認! 進行良し! 以上! ヨドキさん、出してください!」

 

「おうよ保線員! ガスタービン全開! 120キロで突っ込むぞぉぉぉっ!」

 

ホームで立ち往生していた列車が、猛烈な加速とともに次々と発車! わずか5分で数頭繋ぎの列車群が解消され、正常な間隔を取り戻していく!

 

「トシ! 踏切はどうだ!?」

 

「0.12ミリの傷だぁ? こんなもんバラスの粉末とセメントで埋めときゃ10年は持つわ! 遮断機上げろ! トラック通せぇぇぇっ!」

 

バコンッ!

 

踏切の遮断機が上がり、大渋滞を起こしていた車列が一斉に動き出す!

 

11時30分に「完全停止」していた南ゲヘナ駅の交通網が、リョウたちの無駄のない、あまりにも洗練された「現場の暴力」によって、わずか12分間で完全に正常ダイヤへと復帰したのである。

 

「す……すごすぎる……」

 

先生は、バルコニーからその光景を見て、思わず感嘆の声を漏らした。

 

規律やマニュアルを無視しているのではない。

彼らは「乗客を運ぶ」という最大の目的のために、何が本当に必要で、何が不要かを、地獄のような現場で極限まで削ぎ落として洗練させてきたのだ。

 

「……ハァ……ハァ……」

 

アコは、膝から崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。

 

完全に、敗北であった。

卓上の論理と規律で現場を支配しようとした結果、過剰コンプライアンスの罠にはまり、相手の「プロの技術」の正当性を証明させられる結果になってしまったのだ。

 

「……覚えていなさい……ハイランダー……」

 

アコは悔し涙を浮かべながら、先生の手を借りて立ち上がった。

 

「今日は……今日のところは、特例を認めます……! ですが、これで終わったと思わないことですわ! 次は……次は現場の『物理的な速度違反』と『過剰暴力』を、直接現場で取り締まってみせますからねっ!」

 

アコは捨て台詞を残すと、半泣きになりながら風紀委員たちを引き連れて撤収していった。

 

◆

 

16時59分。

 

南ゲヘナ駅の駅務室。

 

静かな夕暮れの光が差し込む部屋で、士方リョウはすっとタイムカードを取り出していた。

 

ピピッ、ピピッ(16:59:58)

 

ガチャンッ!

 

【 16:59:59 打刻 】

 

「ふぅ……」

 

完璧な打刻を終え、リョウは満足げに胸を撫で下ろした。

 

「お疲れ様です、維持長! 今日も無事に17時退勤達成ですね!」

 

ヒヨコが笑顔で温かいお茶を差し出す。

 

「ああ、お疲れ様、ヒヨコ。一時はどうなるかと思ったが……アコ行政官が察しの良い方で助かったよ」

 

リョウはお茶を一口すすり、窓の外の美しい夕焼けを見つめた。

 

「マニュアルとは、安全を守るための道具であり、現場を縛り首にするための縄であってはならない。……彼女もこれで、少しは現場の痛みを理解してくれたと良いのだがね」

 

「……あはは、どうだろうね」

 

隣で見ていた先生は、苦笑いしながら心の中でつぶやいた。

 

(アコちゃん、絶対にこれで諦める性格じゃないし……次はもっと直接的な『実力行使(イオリたち)』を投入してくるだろうな……)

 

だが、リョウの表情には、何の憂いもなかった。

 

どんな試練が訪れようと、どんな過酷な査察が押し寄せようと、彼とゲヘナ線の仲間たちが目指す場所は、ただ一つ。

 

「さて……今日も定時で帰るとしよう。明日の勤務も……楽しみだな」

 

爽やかな笑みを浮かべ、リョウは鞄を手に取って、黄昏時のホームへと歩み出していくのであった。

 





リクエストあればこちらへ↓
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=345737&uid=485160

リクエストに対する返信
「レッドウィンター連邦学園の鉄道事情を知りたいです!」

いつか書きますね。
だけど、レッドウィンターには(多分)連邦生徒会とが運営する、「ツンドラ横断鉄道」があることは確認されてるんで、それを舞台にするか、それ以外のオリジナル路線にするかは考えさせてくださいな。
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