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生前、妻は魔法少女だった。
学生時代の彼女はひいき目抜きに絶世の美少女であり、可愛らしいフリルのついたスカートに身を包み、突如現れた怪物を華麗に倒してはお茶の間を賑わせ、老若男女の心を
私も、その一人だ。
ごく幼い頃から家族ぐるみで付き合いのあった彼女に、(今となっては気恥ずかしいが)淡い恋心を絶えず抱き続け、魔法少女として活躍しはじめてからもそれは一切変わることはなかった。
だが、心の中では諦めてもいた。この想いは決して成就することなく霧散するものだろう、と。
だから、今でも信じられない心持ちなのだ。
高校を卒業し、魔法少女として一線を退いた彼女が、特段美的でもない、ただの幼馴染なだけの私に交際を申し込み、結婚し、子宝にまで恵まれ……そして、呆気なく死んでしまったのが。
人知を越えた化け物共と毎週のように渡り合ってきた魔法少女は、わき見運転のトラックにはねられてこの世を去った。
あれから十三年。
妻が死んだ時、娘はまだ三歳だった。高校生になった娘はもう、母親のことを覚えていない。
妻の死後、私の手元に遺ったのはそんな忘れ形見の愛おしい娘と、魔法少女時代に使っていた変身ブローチ。そして、死の数日前に撮った家族写真。
それだけが、私と妻と娘が、たった数年間だけ家族として一つ屋根の下で暮らした証明だった。
今、私は妻と暮らしたアパートを引き払い、遠く離れたよその街に娘と引っ越し、そこで暮らしている。
この街に、古くからの知人はいない。引退し、この世を去った魔法少女の夫だと知る者は誰もいない。
お守り代わりにリュックの中に忍ばせた変身ブローチ――その中に居るはずの妖精だけが、その事を知っている。
「……健一、このブローチを太陽に掲げて」
四十五年生きてきて、彼の声を聞いたのは今日が初めてだった。
今、目の前に怪物がいる。
身の丈数メートルの筋骨隆々とした人型で、頭は触手すべてに鋭い歯がびっしり生えたイソギンチャクの様な形だ。
怪物は大通りの真ん中に立ち、雄叫びを挙げて暴れている。
車を薙ぎ倒し、アスファルトを穴だらけにし、逃げ惑う人々を追い回す。かつてテレビで見た、魔法少女の戦う化け物、そのものだった。
十数年ぶりに、この国に怪物が現れた。その事実を受け止める暇もなく、またブローチの中から声がした。
「ケンちゃん、早く! みんなを助けられるのは君しかいない!」
そのあだ名で私のことを呼ぶのは、今まで妻だけだった。
もう長らく耳にすることのなかった、その古い呼び名を聞いた瞬間、導火線に火のついたように、妻の記憶が脳裏を駆けた。
大勢の人々の命を守るため、その幼い身を戦いの場へ、何の
我が身を顧みることなく、名も知らぬ誰かのために命を懸けた少女の……愛した人の、姿。
リュックから取り出し右手に握ったブローチが、淡い光を放っている。
この場に彼女が居合わせたなら、きっと迷うことなくあの怪物に立ち向かったことだろう。
だが、もう彼女はいない。
「代役が、こんな冴えないおっさんなんかに務まるか?」
「君にしか務まらない! あの子を一番近くで見守ってきた君以外には……あの子が選んだ、君以外には!」
ブローチの中から、また声がした。
それで、覚悟が決まった。
もう、彼女はどこにもいない。だが、きっと何処かで見守ってくれているはずだと、この十三年間思い続けてきた。
で、あれば、これ以上の醜態は見せられない。
こんなおっさんに成り果てても、惚れた人には、格好をつけたくなってしまう。まったく、どうしようもない色ボケだ。
おれは、ブローチを天に掲げた。
薄曇りの雲間から差す日の光がブローチを強くきらめかせる。
視界が、まばゆい白光に一瞬包まれ、世界が晴れた。
加齢に伴う節々の痛みがすっと消え、身体は羽根のように軽く、全身の隅々にまで力がみなぎっているのがわかる。
往来の角に立つ、ひび割れたカーブミラー映っているのは、冴えない中年男の姿などでは決してない。
そこにいたのは、在りし日の妻と寸分違わぬ姿形をした、きらびやかな魔法少女その人だった。
鏡越しに、彼女がこちらをじっと見ている。
今なら、なんだってやれそうな気がした。