無銘の湖光 ~ランスロットとして目覚めた俺は、名を失っても世界を紡ぐ~ 作:カノープス・ギア
『Fate/Grand Order』第六特異点・神聖円卓領域キャメロット。
もしも、あの地にランスロットとガウェイン、二人の騎士が迷い込んだら――。
そんな「もしも」から始まる、独立劇場版IFの予告編です。
本編『無銘の湖光』の第五次聖杯戦争とは異なる、もう一つの可能性の物語。
今回は、二人の騎士が繰り広げる戦いの一幕をお楽しみください。
ブリテンの森は、昼でも薄暗い。
樫の枝が幾重にも重なり、落ちてくる陽は葉の隙間で細く砕けていた。湿った苔を踏むたび、具足の底がわずかに沈む。
「炭焼きの爺さんの話だと、この辺りで道が一本増えたそうだ」
先を歩くランスロットが、倒木を跨ぎながら言った。
「道が増える、ですか」
半歩後ろのガウェインは、左右の木立へ目を配ったまま応じる。
「昨日まで無かった道を歩いたら、同じ切り株に三回戻ったらしい」
「それは単に、迷われたのでは」
「俺もそう言った。そしたら『四十年この森で炭を焼いて、今さら迷うかい』って、杖で脛をやられた」
ガウェインの口元がゆるんだ。
「では今日は、卿の脛の名誉のためにも、何か見つけて帰らねばなりませんね」
「脛の名誉はどうでもいい。……ただ、印は付けとこう」
ランスロットは短剣で樫の幹に浅く十字を刻む。ガウェインは何も言わず、反対側の木へ同じ印を入れた。二人の歩幅は、それきり揃ったまま崩れない。
鳥が鳴き止んだ。
頭上で囀っていた声が、一羽残らず、同じ瞬間に途切れた。
続いて、風が変わる。湿った土と苔の匂いを運んでいた風が、乾き、熱を帯びて頬を撫でていった。森の底で吹くはずのない風だった。
ランスロットの足が止まる。
踏みしめていた苔が、靴底の下でさらさらと崩れていた。土ではない。もっと細かく、もっと軽いものが、具足の縁から零れ落ちていく。
「ガウェイン」
「ええ」
返事より先に、背中が合っていた。
ランスロットの手が柄に掛かり、ガウェインの剣はすでに鞘から半ばまで抜かれている。視線は外へ。互いの死角は、互いの背で埋める。
いま刻んだばかりの十字が、樫の幹ごと白く褪せていく。
葉の影が消えた。
木漏れ日だった光が、隙間という隙間から溢れて、森を塗り潰していく。
◇
白い陽。
焼けた砂と、崩れた石壁。
鎧の割れた騎士が、片膝をついている。剣を杖にしてなお立とうとして、腕が言うことを聞いていない。
その頭上に、刃が掲げられた。
陽を背負い、鋼の縁だけが眩しく光る。落ちた影が、膝をついた騎士の首筋へ真っ直ぐ伸びる。
刃が、振り下ろされる。
刃が、止まった。
止めたのは鋼だった。
砂塵を割って横合いから飛び込んできた剣が、振り下ろされる刀身の腹を下から捉えている。火花が散り、甲高い音が石壁に跳ね返った。
同じ瞬間、もう一振りの刃も止まっていた。
二本の剣が、二人の負傷者へ同時に落ちていた。一本はガウェインの手に、一本はアグラヴェインの手に。
その両方の前に、それぞれ一つずつ影が立っている。
灰色の外套。目深に被ったフードと、口元を覆う布。顔はどこにも見えない。
アグラヴェインの刃を受けた一騎は、剣を斜めに寝かせていた。
受け止めたのではない。落ちてくる力を刀身の上に滑らせ、パーシヴァルの肩から逸らしている。鋼が鋼を擦り、軌道が肘ひとつぶん外へずれた。
その一瞬で、外套の騎士は手首を返した。
逸らした刃を上へ撥ね上げる。アグラヴェインの腕が開き、胴ががら空きになる。そこへ肩から踏み込んで、体ごとぶつかった。
アグラヴェインが二歩退がる。
崩れはしなかった。三歩目で踵を砂に噛ませ、退がりながら剣を引き戻して、もう突きの構えに入っている。喉を狙う最短の線だった。
外套の騎士は刀身の平でその切っ先を叩き落とし、退かずに半歩前へ出る。負傷者の前は譲らない。
もう一方では、刃と刃が真正面から噛み合っていた。
ガウェインの振り下ろしを、外套の騎士は剣を横一文字に構えて受けている。真上からの重みに膝が沈み、具足の下で砂が爆ぜた。
背後にはガレスがいる。退がれば、刃はそのまま彼女へ届く。
外套の騎士は退がらなかった。
沈んだ膝を伸ばし、両腕で刀身ごと押し上げる。ガウェインの剣が浮いた。そこへ柄頭を胸甲へ叩き込み、全身で押し返す。
ガウェインの両足が、砂に二本の溝を刻んで後ろへ滑った。
止まった位置で、彼は自分の剣を見下ろした。
柄を握る指に、まだ痺れが残っている。この陽の下で、力負けすることなどあり得ない。それなのに、いま受けた重みには覚えがあった。
ほんの一拍、太陽の騎士の目が外套の奥を探る。
「下だ」
アグラヴェインと向き合った外套の騎士が、短く言った。
「――承知!」
二振りの剣に光が灯った。
一振りは青みを帯びた銀に、一振りは陽そのものの金に。刀身から溢れた魔力が鋼の輪郭を塗り替え、熱が陽炎になって揺れる。
ガウェインとアグラヴェインが同時に踏み込んだ。
それより先に、二振りの剣が地面へ叩きつけられた。
砂が噴き上がる。
一撃ではなく、地そのものが裏返ったようだった。乾いた大地が砕けて土砂の柱になり、それが崩れて褐色の幕になる。陽が遮られ、昼の戦場が一息で暗くなった。
アグラヴェインの剣が幕を薙いだ。手応えはない。
砂の向こうでは、外套の騎士がパーシヴァルを肩へ担ぎ上げていた。もう一騎もガレスの体を抱え上げている。
「あなた方は……」
パーシヴァルの声が、血で掠れる。
「喋るな。傷が開く」
返ってきた声は低く、それでいて妙に明るかった。
「まずは息をしろ。名乗るのは、その後だ」
二つの影が、砂の幕の奥へ駆けていく。足音が遠ざかる。
ガウェインが砂塵を割って一歩踏み出した。
その背後から、声が届いた。
「よい」
静かな声だった。それだけで、熱した戦場の空気が凍る。
「追うな」
ガウェインの足が止まる。アグラヴェインも剣を下ろした。ただ、その目は砂の向こうから離れない。
風が吹き、褐色の幕が少しずつ薄れていく。
その先にはもう、誰もいなかった。
砕けた地面に、二筋の剣の痕だけが残っている。
アグラヴェインが、低く呟いた。
「……何者だ」
◇
傾いた陽が、岩場を赤く染めていた。
切り立った岩壁の間を、細い道が東へ抜けている。荷を背負った人々が、その道を一列になって進んでいた。老人の手を引く若者、子を抱いた女、空になりかけた水袋を握りしめた少年。誰も口をきかない。足音と、荒い息だけが続いている。
列の最後尾に、灰色の外套が二つ並んでいた。
弦の音がした。
ひどく澄んだ、一音だけの響きだった。岩場には不釣り合いなほど、柔らかい。
ランスロットが振り向くより先に、足元の砂に線が走った。風もないのに、見えない何かが通った痕だけが、一直線に列へ向かって伸びていく。
「右から三本」
「見えています」
見えてはいない。ガウェインは聞いていた。
弦の余韻が消える前に、彼は列と岩壁の間へ踏み出し、剣を下から大きく振り上げた。刀身に重い衝撃が走る。目に映らない刃が、確かに鋼を叩いていた。
一本目を、上へ。
角度を変えて二本目を、岩壁へ。
逸らされた刃が岩肌を斜めに裂き、砕けた石が雨のように降った。三本目は刀身の根元で受け、手首を返して外へ流す。
列のすぐ脇の砂が、深く抉れた。人には届いていない。
子を抱いた女が悲鳴を呑み込み、足を止めかけた。
「止まるな!」
ランスロットの声が、岩場に通った。
「走れ。振り返らなくていい。後ろは俺たちが引き受ける」
女が頷き、また走り出す。列が速さを取り戻した。
そのときにはもう、ランスロットは斜面を駆け上がっていた。
岩の上に、人影がひとつある。
赤い髪。閉じたままの目。腕に抱えた弓は、弓というより竪琴に近い。その指が、弦の上で静かに動いた。
二度、三度。音が重なる。
ランスロットは刃を見ていなかった。見ていたのは、弦を引く指の向きと、肘の高さだった。
一本目が来る線へ、先に剣を置く。刃と刃が噛み、腕に骨まで響く重みが返ってきた。押し返さずに刀身を傾け、受けた力を斜面の下へ流す。
二本目は、半身を切ってやり過ごした。外套の肩口が裂け、肩当てに細い傷が刻まれる。
三本目を、跳ぶように踏み込んで斬り払った。
距離が、半分に詰まる。
トリスタンの指が止まった。
このまま民への攻撃を続ければ、ランスロットに剣の間合いへ踏み込まれる。
だが、トリスタンは退かなかった。
足場を一つ横へ移し、弦を大きく掻き鳴らす。今度の音は一つではなかった。
細かく、速く、雨のように。
半分はランスロットの足元へ。斜面の岩を削り、踏み込む先を一つずつ潰していく。残りの半分は、ランスロットの頭上を越えて、遠く、坂の下の列へ向かっていた。
詰めてきた剣を足止めし、その背後の守りを薄くする。
下では、ガウェインが一人で列を覆っている。降ってくる音の数に対して、剣一振りでは手が足りない。剣で弾いた一本の陰から、もう一本が抜けた。
荷を積んだ驢馬の手綱が、ぷつりと切れた。
ランスロットは斜面を蹴った。上へではなく、下へ。
「替われ!」
「ええ!」
返事と同時に、ガウェインが坂を駆け上がってくる。すれ違いざま、二人の視線が交わる。それ以上の打ち合わせは必要なかった。
ランスロットは列の背後へ滑り込み、降ってくる音の雨の中へ剣を差し入れた。
一本ずつ、斬る。
大きく払いはしない。刃の通る線にだけ切っ先を置き、最小の動きで軌道を断つ。手首を返すたびに、見えない刃が一本ずつ砂へ落ちていく。外套の裾が千切れ、頬当ての布が裂けても、足は列の後ろから動かなかった。
その頭上を、ガウェインが駆け上がっていく。
彼は刃を避けなかった。
足場を潰しにかかる音を、剣ごと体で押し破る。受けた衝撃を一歩ごとに踏み込みの力へ変え、斜面を一直線に登っていく。避けて進むランスロットとは違う。正面から、重さで道を作っている。
トリスタンが、迫る足音へ顔を向けた。
攻め手と守り手が入れ替わったのを察したように、指が弦の上を滑り、狙いが変わった。列でも、下のランスロットでもない。真っ直ぐ迫ってくる黄金の剣の、その踏み込む足へ。
ガウェインが最後の岩を蹴る。
宙へ跳んだ体が、傾いた陽を背負った。振りかぶった剣が、赤い光の中で金色に燃える。
トリスタンの指が、弦を深く引き絞った。
坂の下で、ランスロットが剣を低く構え直す。降ってくる次の音を、もう待っている。
弦が、鳴る――
◇
白亜の回廊に、靴音が一つだけ響いていた。
獅子王に仕えるガウェインが足を止める。窓から差し込む陽が、籠手を嵌めた右手を照らした。
指を握り、開く。
痺れは、とうに抜けている。それでも彼は、もう一度だけ指を握り込んだ。
あの日、真上から叩きつけた刃を、あの外套の騎士は退がらずに受けた。膝を沈め、押し上げ、柄頭で胸を突いてきた。陽の下で自分を押し返せる者など、この地にはほとんどいない。
ほとんど、だ。
ガウェインは窓の外の陽を見上げ、何も言わずに歩き出した。
◇
机の上に、報告書が二枚並べられていた。
一枚は、東の岩場。避難する民の列が、灰色の外套の二騎に守られて逃れたという。岩壁が深く裂け、斜面に夥しい数の斬痕が残っていた。
もう一枚は、あの日の戦場。砕けた地面と、二筋の剣の痕。
アグラヴェインは二枚を見比べ、それから自分の右の手首に触れた。
刃を滑らされた。撥ね上げられた。剣を受けたのではなく、流された。
あれと同じ剣筋を、彼は知っている。
知っているからこそ、ありえないと分かる。その男の所在は、別の報告がすでに示していた。
アグラヴェインは三枚目の羊皮紙を引き寄せ、短く一行を書きつけた。
――灰の二騎、所在を問わず報告せよ。
◇
「円卓の騎士らしき者が、民を庇った、と?」
玉座の間の端で、ニトクリスが斥候の報告を聞き返した。
「聖都の騎士どもの仲間割れでしょう。あるいは罠です。民を逃がすふりをして、こちらの領へ誘い込む……」
笑い声が、彼女の言葉を遮った。
玉座の上で、オジマンディアスが肘をついている。
「罠ならば、もっと上手くやる。民を守るために、岩壁ごと剣を振るう罠があるものか」
「ですが、ファラオ」
「聖都の騎士が民を斬り、円卓の騎士と見紛う二騎が民を守る。……同じ円卓と決めるには早かろう」
金の瞳が、愉しげに細められた。
「面白い。手は出すな、ニトクリス。その二騎がどこへ向かうか、見届けよ」
ニトクリスは何か言いかけ、口を閉じて頭を垂れた。
◇
夜の野営地で、焚き火が小さく爆ぜていた。
「灰色の、外套の騎士さま、だったよ」
膝を抱えた少年が、藤丸立香とマシュを見上げている。
「二人いた。顔は見えなかった。一人はずっと後ろにいて、見えない矢を一本ずつ斬ってたんだ。もう一人は、岩の上まで駆け上がっていった」
「その方たちは、そのあと?」
マシュの問いに、少年は首を振った。
「わかんない。走れって言われたから。振り返るなって」
少年の隣で、母親が子を抱き直し、静かに頷いた。
「聖都の騎士とは、違うの?」
立香が尋ねる。
「違う!」
少年は迷わなかった。
「聖都の騎士は....怖い。あの騎士さまたちは、声が……なんか、あったかかった」
焚き火の向こうで、マシュが小さく息を呑んだ。
「先輩」
「うん」
立香は夜の地平を見ていた。
味方かどうかも分からない。会えるかどうかも分からない。それでも、その二人がこの砂漠のどこかで、誰かを逃がしている。
「会ってみたいな」
風が吹き、焚き火の煙が西へ流れていく。
その先の地平に、白い城壁の影が、月明かりを受けて沈黙していた。
◇
白い城壁が、地平を塞いでいた。
砂漠の只中に、山と見紛う高さで聳えている。継ぎ目ひとつない白亜の壁が左右へ果てしなく続き、その中央に、巨大な城門が口を閉ざしていた。
門の前には、隊列が幾重にも敷かれている。
整然と並んだ騎士たちの盾が、陽を跳ね返して白く光る。城壁の上には弓兵の列。この門へ近づく者がいれば、その全てが一斉に応じるだろう。
その正面、砂丘の稜線に、二つの影が並んで立っていた。
灰色の外套が、乾いた風に裾を鳴らしている。
ランスロットが剣を抜いた。ガウェインも抜いた。
二人とも、門から目を離さない。
隊列の騎士たちが気づき、盾を構え直す。城壁の弓兵が弦を引き絞る。その動きの全てを、二人は眺めていた。
「真ん中だ」
ランスロットが言った。
「承知しています」
ガウェインが応じる。それきり、言葉は要らなかった。
ランスロットが剣を正眼から引き、刀身を水平に寝かせる。
ガウェインは剣を高く掲げた。中天の陽が、切っ先の真上にある。
息を吸う音が、重なった。
ランスロットの刀身に、青い光が走った。
鍔元から切っ先へ、蒼銀の魔力が奔流になって流れ込んでいく。抑え込まれた光が刀身の内で圧を増し、鋼が軋むほどに輝きを強める。足元の砂が、魔力の余波に押されて円く退いた。
ガウェインの剣は、陽を呑み込んでいた。
天から降りる光が刀身へ集まり、渦を巻き、熱を帯びていく。黄金が膨れ上がり、周囲の空気が陽炎になって揺らいだ。
門前の騎士たちが、盾を構えたまま左右へ退いた。
二人の視線が、ほんの一瞬だけ交わった。
「――切り開け、
「――打ち砕け!
二振りの剣が、同時に振り抜かれた。
青銀の光が、剣から一直線に放たれる。
刀身の幅をはるかに超えた巨大な光の柱が、砂丘を削りながら真っ直ぐに伸びていく。圧縮されていた魔力が解き放たれ、轟音が遅れて大気を揺らした。
その隣を、黄金の奔流が並走する。
灼熱の光が砂を硝子に変えながら奔り、青銀の柱に寄り添う。
二条の光が触れ合った。
弾き合わない。食い合わない。青銀が黄金を巻き、黄金が青銀を包み、二つの光はひとつの螺旋になって絡み合いながら、さらに速く、さらに太くなっていく。
城壁の弓兵が、矢を放った。
放たれた矢を呑み込んで、螺旋の光が門へ迫る。
白亜の城門が、青と金に染まった。
光が――
劇場版IF
Fate/Grand Order
―神聖円卓領域キャメロット―
太陽と湖の双騎
「合わせてやったんだから、礼くらい言えよ」
「おや。私が合わせて差し上げたつもりでしたが」
特別編・劇場版IF予告『神聖円卓領域キャメロット 太陽と湖の双騎』でした。
今回は、本編とは違った形で、ランスロットの剣技とガウェインとの共闘を描いてみました。
かつて同じ円卓で戦った二人。
互いの腕を認めながらも、どこか張り合ってしまう。
けれど、いざ剣を抜けば、長い説明など必要ない。
そんな二人の関係を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
そして、獅子王の円卓、カルデア、太陽の騎士と湖の騎士。
彼らがこの特異点でどのような物語を紡ぐのか。
それは、また別の機会に。
※本作は独立したIF作品であり、第五次聖杯戦争を描く本編の時系列や設定には直接影響しません。
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次回からは本編に戻り、第9話『Saber』をお届けします。