無銘の湖光 ~ランスロットとして目覚めた俺は、名を失っても世界を紡ぐ~ 作:カノープス・ギア
長い時を越え、再会を果たしたアルトリアとランスロット。
かつての王と騎士は、互いが知らなかった年月と、それぞれの胸に残された思いを語り合う。
ランスロットが守った後も続いていたブリテンの営み。そして、やがて訪れた王国の終焉。
アルトリアは、彼が成し遂げたことを認めながらも、ずっと伝えられなかった願いを口にした。
「あなた自身にも帰ってきてほしかった」
やがて話題は円卓の思い出へと移り、ガウェインとの稽古やトリスタンの竪琴など、懐かしい仲間たちの話に笑いが生まれる。
そんな和やかな時間のなか、衛宮邸に新たな訪問者が現れた。
第12話『観測』、お楽しみください!
士郎の顔に、あ、という色が浮かんだ。
「遠坂だ」
腰を浮かせたまま、士郎は居間の三人を振り返った。アルトリアは湯呑みを置き、背筋をわずかに伸ばしている。さっきまでの笑みが、口元にまだ残っていた。
「遠坂に何を話すかは、会ってから相談するって話だったよな」
「ええ」
バゼットが頷いた。右手を膝の上から座卓の縁へ移し、体の向きを玄関のほうへ直す。
「私たちの事情は、私たちから話します。衛宮くんは、紹介だけしてもらえれば十分です」
「分かった」
士郎は短く言って廊下へ出ていった。
ランスロットは湯呑みを脇へ寄せた。玄関の戸が開く音。士郎の声と、さっきのよく通る声。言葉の中身までは届かない。
足音が二つ、廊下を戻ってくる。一つは迷いがない。もう一つは、居間の手前で少しだけ遅くなった。
障子の向こうに姿を見せたのは、赤い上着の少女だった。黒髪を二つに結い、肩に鞄を提げている。
彼女は敷居の上で足を止めた。
視線が居間を一巡りする。アルトリアのところで一瞬だけ止まり、それからバゼットの左の袖へ落ちて、すぐに離れる。最後にランスロットの上で止まって、そこからしばらく動かなかった。
「……衛宮君」
「うん」
「お客さんがいるなら、玄関で先に言いなさいよ」
「言っただろ、今」
「中に誰がいるかまでは言ってないじゃない」
彼女は士郎を横目で一度にらんでから、ランスロットへ向き直った。
「で、そっちのあなた。サーヴァントよね?」
「ええ、まあ」
ランスロットは座ったまま軽く頷いた。
「隠せるものでもないでしょうし」
「隠す気があるようには見えなかったけど??」
「ないですね。こちらからも、一度お話ししたいと思っていたので」
少女の眉がわずかに動いた。士郎が障子を閉め、座卓の空いた辺へ座布団を一枚置く。
「座ってくれ、遠坂。お茶、今淹れたとこだから」
「……ありがと」
彼女は鞄を膝の横に下ろして座った。背筋は伸びたまま、体の重心がわずかに前にある。いつでも立てる座り方だった。
士郎が彼女の前に湯呑みを置き、自分も元の席へ戻る。
「こっちは遠坂凛。この辺りの……土地の管理をしてる家の魔術師で、今、学校に張られてる結界を一緒に調べてる」
それから、ランスロットとバゼットのほうへ手を向けた。
「で、この二人は――」
「私から」
バゼットが言った。
「バゼット・フラガ・マクレミッツです。魔術協会から、今回の聖杯戦争の件でこの街に来ました」
凛の目が、また一瞬だけ左の袖へ行った。
「……その腕は」
「この街で失いました。経緯は、今夜の話には含めずにおきます。今は療養中です」
凛は口を開きかけて、閉じた。「分かったわ」とだけ言って、それ以上は聞かなかった。
ランスロットは背を伸ばした。
「セイバーのサーヴァント、ランスロットだ」
凛の手が、湯呑みへ伸びかけたところで止まった。
「……セイバー?」
凛はランスロットとアルトリアを交互に見た。
「同じクラスが、同じ戦争に二騎いるってこと?」
「ええ。俺たちも、そこを確かめたくて来たんです」
凛はしばらく黙って二人を見比べた。湯呑みを取り、茶を一口含んでから、卓へ戻す。
「……順番に聞くわ。あなた、いつ召喚されたの? マスターは誰?」
「まず、誰かに召喚された覚えがないんです」
「……どういうこと?」
「気がついたら、この街にいました。呼ばれた声も、陣も覚えていない。俺を呼んだという人もいなかった。現れたのは、そちらの少年がセイバーを召喚するより前です」
「じゃあ、今あなたを繋いでるのはー」
「私です」
バゼットが答えた。
「ただし、召喚者としてではありません。彼が現界した後で、現世への係留として契約を結びました。令呪も、それによる絶対命令権もありません」
「令呪なしの契約……」
凛は口の中で繰り返した。視線がランスロットの胸のあたり、それから座卓の上の空いたところへ流れる。何かを頭の中で並べ直している目だった。
「七騎の枠には?」
「記録を見る限り、該当してません」
バゼットは淡々と言った。
「七騎の召喚記録には、彼が現れた夜のものがありません。ただ、記録そのものに抜けや誤りがないかは、まだ確かめきれていません」
「七騎とは別にいる可能性がある、ということね」
「ええ」
「供給は? あなた、その体で――」
言いかけて、凛は言葉を選び直した。
「療養中なのよね。維持するだけならともかく、戦闘に回す余裕はあるの?」
「いえ、ほとんどありません」
バゼットの答えは短かった。
「今流しているのは、彼が現界を保つのに要る分と、少しの余裕だけです。私の回復を優先していますから、増やす予定も今はありません」
「実際、細いですよ」ランスロットが言い添えた。
「普通に動いて茶を飲むぶんには困らない。ただ、本気で戦えと言われたら、正直厳しい状態だね」
「……正直ね」
「正直に言わないと、あとで困るので」
「分かった。じゃあもう一つ。ランスロットって名前、あなたが自分で名乗ってるだけ? それとも、何か裏づけがある?」
答えたのはアルトリアだった。
「私が証言できます」
凛がそちらを向く。アルトリアは膝の上で手を揃えたまま、まっすぐ彼女を見返した。
「私の知るランスロット卿本人です。顔も声も覚えていますし、先ほど、共に過ごした頃の話もしました。……私が彼を知る詳しい事情は、今は控えさせてください」
凛は数秒、アルトリアを見ていた。
「……分かった。本人だっていう証言として、受け取っておく」
それから、少し声を落とした。
「ただ、それで分かるのは本人だということまでね。今回、どうやって現界したのかは別」
「ええ。私にも分かりません」
凛の目がランスロットへ戻った。
ランスロットは座卓に肘をつきかけて、やめた。少しだけ前へ身を乗り出す。
「もう一つ、聞いておいてほしいことがあります。十年前の戦争にも、俺と同じ名前の騎士が、バーサーカーとして呼ばれていたそうです。先ほど、こちらのセイバーから聞きました」
凛の表情が、わずかに固くなった。
「前回の、第四次のこと?」
「ええ。ただ、俺はその戦争には出ていません。今の俺と、どういう関係にあるのかも分からない。それと、その戦いの終わりに、聖杯から黒い泥のようなものがあふれたとも聞きました」
視界の端で、士郎が膝の上の手を握った。ランスロットは凛に向いたまま、言葉を継いだ。
「俺の現界がそれと関係あるのか、ないのか。今のところ、どっちとも言えない。関係あるなら、知らないままこの街を歩き回るのは危ない。ないなら、ないと分かっておきたい」
凛は湯呑みの縁を指でなぞった。
「……同じ名前で、別のクラス。本人の話とは、繋がらない。それで今回は、呼んだ相手も分からないし、七騎の記録にも見当たらない」
「まとめると、そうなりますね」
「気持ち悪いわね」
「はは、はっきり言いますね」
凛の口の端が、ほんの少しだけ動いた。すぐに元へ戻る。
「それで、私に何をさせたいの? 管理者として届け出を受けろって話なら、先に言っておくけど――」
「そのことで、確かめたいことがあります」
バゼットが遮った。声の調子は変わらなかったが、右手が膝の上で止まっていた。
「遠坂さん。あなたが監督役とどういう付き合いをしているのか、私たちはまだ知りません。今夜ここで見聞きしたことが、そのまま教会へ伝わるのかどうか」
凛はバゼットを見た。それから、少しだけ目を細めた。
「管理者としてやり取りはするわ。立場上ね。でも、見たものを誰にどこまで渡すかは、私が決める。少なくとも今夜のことを、あなたたちに断りなく流すつもりはないわ」
「……承知しました」
バゼットは頷いた。それ以上は踏み込まなかった。
「今のところは、その言葉を前提にします」
「それでいいわ。私だって、会ったばかりの相手に全部信じてもらえるとは思ってないし」
凛は湯呑みから手を離し、ランスロットのほうへ向き直った。
「で、さっきの続き。何をさせたいの?」
「俺の霊基を、一度見てもらえませんか」
ランスロットは言った。
「現界した時の手がかりが、何か残っていないかと思って。妙なところがあれば、それも知りたい。……自分がどうしてここにいるのか、俺にも分からないんだ。思った以上に、落ち着かなくてね」
「見る、ねえ」
凛は腕を組んだ。
「能力の目安や、今の契約の状態なら確かめられると思う。でも、現界の仕組みまで一度で分かるとは限らないわよ」
「その範囲でも、確かめてもらえるなら」
「それと」凛はバゼットへ目を移した。
「契約で繋がってるなら、そっちの経路も見ることになる。あなたの側も」
「構いません。供給の状態は、私からも説明します」
バゼットは迷わなかった。
「ただし、今夜は流量を増やしたり、経路に強い負荷をかけたりはしないでください」
「分かった。見るだけ。流れに手は入れない。何か引っかかったら、その場で止めて言う。それでどう?」
バゼットは一度だけランスロットのほうを見た。ランスロットが頷くと、彼女も頷いた。
「それでお願いします」
「俺からも、お願いします」
ランスロットは座卓に手をついて、軽く頭を下げた。
凛はしばらく二人を見比べていた。それから組んでいた腕をほどき、鞄の口を開けた。
「……分かった。見てあげる」
小さく言って、中から手帳とペンを取り出す。
「その代わり、見えたものは全部そのまま言うわよ。都合のいいとこだけ伝える、なんてしないから」
「ええ。良い結果ばかりとは思っていません。遠慮なく聞かせてください」
ランスロットがそう返すと、凛は手帳を開いた。
「じゃあ、始めるわよ。そのまま座ってて。楽にしてていいけど、動かないで」
「動かない、楽にする」
「そう。動かないほう優先」
凛は手帳を膝の上に開き、ペンを右手に持ったまま、左の指先を軽く座卓の上に置いた。視線がランスロットの胸のあたりに据えられる。瞳の焦点が、少しだけ遠くなった。
居間が静かになった。士郎が湯呑みを持ち上げかけてやめ、アルトリアは揃えた手をそのままにしていた。バゼットは右手を膝に置き、凛の指先を見ている。
何かに触れられた、というほどの感覚はなかった。ただ、じっと見られているせいか、自分の体の輪郭がいつもよりはっきり感じられた。ランスロットは息を浅くせず、普段どおりに吸って吐いた。
「……クラスは、セイバー。これは間違いない」
凛が小さく言って、ペンを走らせた。
「さっきの話で一番気持ち悪かったのがそこだから、まず確かめたかったの。記録にないからって、クラスまで崩れてるわけじゃない」
「それは、ちょっと安心しました」
「次は、基礎能力ね」
凛のペン先が紙の上を進む。途中で一度手を止め、ランスロットを見直してから、続きを書き込んだ。
「身体能力は、どれも高い。特に敏捷。……宝具の評価も、随分なものね」
確かめ終えると、手帳をくるりと回して座卓の真ん中へ滑らせた。
ランスロットは身を乗り出して覗き込んだ。几帳面な字だった。
筋力:A
耐久:A
敏捷:A+
魔力:B+
幸運:B
宝具:A++
「……へえ。こうして並ぶと、なんだか不思議ですね」
「不思議、で済ませないで。これ、相当高い評価なのよ」
凛は手帳を指で叩いた。
士郎が首を伸ばして紙を見た。
「敏捷A+って、どれくらい速いんだ?」
「相手が動いてから対応しようとしても、間に合わないかもしれない。そういう速さよ」
「……そんなにか」
士郎がランスロットを見る。ランスロットは肩をすくめた。
「まあ、足には自信がありましたからね」
「その一言で済む数字じゃないのよ」
凛はそう言ってから、少しだけ声を落とした。
「ただし、これは今見えた範囲の評価よ。全力で戦うところを見たわけじゃないし、今の供給でどこまで動けるかも別の話」
バゼットが小さく頷くと、凛は続けた。
「そこはあとで、経路と合わせて見るわ」
「分かりました」
ランスロットは紙から目を上げた。
「じゃあ、次はスキルを確認するわ」
凛は手帳を手元へ引き戻した。再びランスロットを見て、四つの項目を書き加える。三行目で少し考えてから、最後の行まで書き終え、手帳を卓へ戻した。
対魔力:B
騎乗:B
無窮の武練:A+
湖の騎士:A
「湖の騎士、って」士郎が読み上げた。
「そのまんまだな」
「湖育ちなので」とランスロット。
「……それ、説明のつもり?」
「一応」
凛は小さく息をつき、指先を三行目へ移した。
「私が気になるのは、むしろこっち」
「無窮の武練?」
「ええ。あなた自身は、どういうものだと思ってる?」
ランスロットも、その行へ目を戻した。
「武器が変われば、それに合わせる。崩されたら、立て直す。……まあ、そうやって戦ってきましたからね」
「……なるほど。魔力が多いだけじゃ、こうはならないわけね。あなた自身の腕前、か」
ランスロットは、その行をしばらく見ていた。
剣を振ってきた年月を、正確に数えたことはない。朝の稽古、夕方の稽古、戦場。ガウェインと打ち合った午後。あれが、こういう一行になるのか。
「……これは、嬉しいですね」
「嬉しい?」
「ええ。長く積み重ねてきたものが、こんな形で見えるとは思わなかったので」
言ってから、ランスロットは顔を上げた。
「でも、これで俺の手の内が全部分かったわけじゃないんですよね?」
「もちろん。数字だけで、どう剣を振るかまでは分からないわ」
「それなら、剣のことは俺から話しますよ。必要なことは聞いてください」
アルトリアが、湯呑みを両手で包んだまま、小さく目を伏せた。口元がわずかに動いたのが見えたが、何も言わなかった。
凛は手帳を引き寄せ、並んだ項目を上から下まで、もう一度目で追った。
「……敵に回したら、相当厄介ね」
顔を上げる。さっきまでより、声が低かった。
「速さも力もある。そのうえ、崩されても技で立て直してくる。数字だけで対策を考えたら、読みを外されそうだわ」
「それはどうも」
「褒めてないわよ。警戒してるの」
凛はペンを持ち直した。
「だから、残りもきちんと調べる。どうやって現れたか分からない以上、見落とすわけにはいかないわ」
ランスロットは頷いた。
「ええ。そこは、俺も知りたいところです」
凛は手帳の端に小さく書き足し、再びランスロットへ目を向けた。
しばらくして、座卓の上の指が止まった。ペンも動かない。
彼女は一度視線を外し、座卓に置いた指先をずらして、確かめ直した。
ランスロットは黙って待った。
凛の眉間に、細い線が寄る。目を閉じて息を整え、もう一度。三度目は、ずいぶん長く見ていた。やがて指を下ろし、手帳を引き寄せる。
凛は能力を記した欄とは間を空けて、短く書き込んだ。
「……遠坂さん」
「ちょっと待って」
凛は書いたものを見下ろし、それからランスロットを見た。
「何が見えました?」
ランスロットが尋ねると、凛は少し間を置いた。
「見えたんじゃないの。見えなかった」
凛は手帳を座卓に置き、読み取れた項目を指で示した。
「ここまでは読める。でも、霊基の一箇所だけ、まともな情報が返ってこないの。強すぎて測れないのとも、私が知ってる隠し方とも違う。……何があるのか、まるで掴めない」
「何度か、確かめ直していましたね」
「三回。全部、同じところで引っかかったわ」
凛は手帳の、さっき書いた一行を指先でとんと叩いた。紙の上には、几帳面な字で「一部読取不能。同位置、三回確認」とだけあった。
「理由は……まだ分からないわ」
ランスロットは、その一行をしばらく見ていた。
それから顔を上げ、バゼットのほうをちらりと見た。バゼットは何も言わず、小さく頷いた。
「……一つ、話しておいた方がいいことがあります」
凛の目が上がった。
「生前、最後に戦った相手のことです。……人でも魔獣でもない。俺たちの世界の外から来たとされる存在でした」
「……世界の外?」
「ええ。古い言い伝えでは、『旧支配者』とも呼ばれていたそうです。ただ、それが本当は何を指す言葉なのか、俺にも分かりません」
ランスロットは少し間を置いた。
「確かなのは、あの戦いで受けた痕が、今も残っていることです」
「残ってる、って。どういうふうに?」
「目に見える傷ではないんです。普段は痛みもしません。ただ、さっき十年前の泥の話を聞いた時、少しざわついた気がして」
ランスロットは静かに続けた。
「……昔の戦いを思い出しただけかもしれません。泥そのものは、まだ見ていませんから」
士郎が膝の上で握っていた手を、少しだけ緩めた。何も言わなかった。
「その話は、私も聞いています」
バゼットが凛へ向けて言った。それから、ランスロットへ視線を移す。
「今はどうですか? 観測されている間に、何か変わりましたか?」
「いえ。今は静かです」
ランスロットは首を振った。
「見られてる感じは、さっきからずっとありましたけど、あれが動いた感じはしない」
「分かりました」
バゼットはそれだけ言って、凛へ顔を戻した。
凛は腕を組み、手帳の一行とランスロットの顔とを、何度か見比べていた。
「……その痕がある場所は、分かる?」
「はっきりとは。傷跡みたいに、ここ、と指させるものじゃないんです。体の中の、どこか奥のほう、としか」
「そう」
凛は小さく息を吐いた。
「観測で読めなかったところと、今の話が関係してる可能性はある。でも、まだ決めつけられないわ」
凛は顔を上げた。
「泥との関係も、現界の理由も、これから調べること。今は何も感じないから安全だ、とは言えないしね」
ランスロットは頷いた。
「それで十分です。……いや、十分ってわけでもないか」
「どっちよ」
「分からないことは多いですけど、少なくとも読めない部分があるって分かった。そこから調べられるなら、前より進んでます」
凛は、しばらく彼を見ていた。
「……普通は、もう少し嫌がるところだと思うけど」
「嫌ですよ。でも、何も分からないまま待つよりはいい。調べる糸口が増えたなら、俺はそれで前に進めます」
凛は何か言いかけて、やめた。代わりにペンを取り、さっきの一行の横へ、小さく書き足した。本人申告あり、関連の可能性、とだけ読めた。
湯呑みを置いたアルトリアが、凛へ問いかけた。
「さらに調べれば、負担がかかりますか?」
「読めないところを無理に探るつもりはないわ。今夜は、ここまで」
凛はページを一枚めくった。
「次は、あなたたちの間の経路。今の流れを確認するだけよ」
「お願いします」
バゼットが右手を膝から浮かせ、座卓の上へ軽く置いた。凛はその手とランスロットとの間へ、指先を宙に置くように差し出した。今度は、さっきよりずっと短かった。
凛はバゼットの手からランスロットへ視線を移し、短く頷いた。
「経路は、ちゃんと繋がってるわ」
ペンを走らせながら言う。
「流れは細いけど、途切れも乱れも見えない」
「その状態を保つようにしています」とバゼット。
「さっき聞いた供給の状態とも合ってるわね」
凛はペンを止め、バゼットを見た。
「これ、あなたが絞ってるのよね。出せなくてこうなってるんじゃなくて」
「両方です」
「余裕は、どのくらいあるの?」
「余裕はあまりありません。今の量なら生活や短い外出に支障はありませんが、出せるだけ流したら、私の体がもちません。だから、今はここで抑えています」
凛は頷き、書き留めた。それからランスロットへ目を移した。
「あなたのほうは? 実際に動いてて、どう感じる?」
「普段は問題ありません。この供給でも、現界は保てています」
ランスロットは、少し考えてから続けた。
「ただ、戦闘となれば話は別です。短く切り上げるならともかく、長引いた時までもつとは言えませんね」
凛は手帳の上で、二つの列を分けるように線を引いた。
「現界は維持できる。でも、戦闘は別問題、か。増やすなら、あなたの体への負担も考えないとね」
バゼットが頷くと、凛は手帳に目を戻した。
ランスロットは、二つに分けられた紙面からバゼットへ目を上げた。
「バゼット。一つ、相談してもいいかな」
「はい。何でしょう」
「現界した理由は、やっぱり知りたい。さっきの読めない部分も、このままにしておく気はないんだ」
バゼットは黙って聞いていた。
「この先、退くか戦うかを選ばなきゃならない時もあるだろう。そこで動けるだけの余裕は作りたい。でも、あなたに無理をさせてまで出そうとは思わない」
彼女は少し考え、頷いた。
「私も調査は続けたいです。記録の確認や、私にできる判断は引き受けます。ただ――」
右手が、座卓の縁をつかんだ。
「回復すれば、流せる量も変わるでしょう。ですが、まだ増やせるとも決まっていません。そこは当てにしないでください」
「うん。今夜、増やしてほしいわけじゃない。方法を調べて、試せそうなら、その時に二人で決めよう」
「ええ。実際に試す時は、私の体のことも、私自身に判断させてください」
「もちろん。そのつもりで相談してる」
バゼットの右手が、卓の縁から離れた。
「方法が見つからなければ、今できることを考えましょう。それでも、選べる手はあります」
バゼットの答えには迷いがなかった。ランスロットは少し笑った。
「そうだな。よろしく頼むよ」
凛は二人の返答を待ってから、手帳に短く書き足した。
「なら、今の係留はそのままにして、安定させる方法を探しましょう。供給も、二人の体の状態を見ながら考えるわ」
「心当たりがあるんですか?」
「ある。使えるかどうかまでは、調べてみないと言えないけど」
凛はページをめくり、白いところを広げた。
「私が考えてるのは、霊脈よ」
「係留を整えるのに、使えるんですか?」
「使えるかもしれないわ。冬木の霊脈なら、うちに記録がある。今の契約は変えずに、繋がりを安定させる手助けができないかと思って」
ペン先が紙の上に、簡単な線を二、三本引いた。地図というほどのものではなかった。
「ただ、場所も術の条件も、調べてからよ。今の契約に合うかも分からないし、土地を使えたって、あなたの負担が消えるわけじゃない。供給するのは、あくまであなたなんだから」
バゼットは頷き、自分の手帳を座卓へ置いた。右手でページを開き、折り目を押さえてからペンを取る。
「それと、もう一つ」
凛は線の脇に、小さく印をつけた。
「十年前の泥のことよ。本当に溢れたなら、土地に何か痕跡が残ってるかもしれない。うちの記録と今の土地を照らし合わせてみるわ。さっきの読めない部分や、あなたの現界との関係は、その結果を見てから。今は一緒くたにしない方がいい」
「そうですね」
ランスロットは少し考えてから、言葉を継いだ。
「記録と土地のことは、遠坂さんにお願いします。俺も、体のことで気づいたことがあれば伝えます」
「ええ。私が観測したことと食い違っても、遠慮せずに言って。読めないところを無理に探るつもりはないわ」
「分かりました。何かあれば、すぐに」
バゼットがペンを止め、顔を上げた。
「では、候補を選ぶ時から参加させてください。移動も含めて、今の体で無理がないかを見たいので」
「分かった。場所を決める前に、あなたに回す」
凛はバゼットを見て、少しだけ口の端を上げた。
「慎重なのね」
「今の体では、なおさらです」
「その方がいいわ。私だって、初対面の人に全部任せてもらっても困るもの」
それからふいに、凛は士郎へ顔を向けた。
「で、衛宮君。こっちの話が増えたからって、学校のほうを放り出すつもりはないわよ」
「分かってる」
士郎はすぐに頷いた。ランスロットが首を傾けると、士郎は少しだけ声を落として言った。
「学校全体を包む結界だ。まだ未完成だけど、中にいる人間を巻き込むらしい。遠坂が結界を調べて、俺は人の出入りに気をつけることになってる」
「今夜来たのも、本当はその話よ」凛が付け足す。
「予定が狂っただけ」
「……話し込んでしまいましたね」とランスロット。
「別に責めてないわよ。私が引き受けたんだから」
凛はそう言って、手帳を閉じかけた。アルトリアが、そこで口を開いた。
「凛。土地を調べる時、十年前の戦いの終わりについて、必要なら私の覚えていることも話せます」
凛がアルトリアを見る。
「その時、記録と食い違うところがあったら、確かめてもいい?」
「ええ。私が見たことなら。ただ、見ていないことまではお答えできません」
「その時は頼むわ」
凛は短く言っただけで、それ以上は踏み込まなかった。
それから、手帳の最初の観測のページへ戻り、結果を別のページへ書き写した。元の一枚を破り取る。
「これ、渡しておくわ。こちらにも控えは残したから」
差し出された紙を、ランスロットは受け取った。几帳面な字が並んでいる。一番下の、一部読取不能、の一行も、そのまま残っていた。
しばらく、それを見ていた。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは、何か分かってからにして」
「いや。引き受けてくれて、助かりました」
凛は何も言わず、手帳を鞄へしまった。
ランスロットは紙を二つに折り、バゼットの手帳へ目をやった。
「あとで、そっちにも写しておこうか?」
「お願いします」
バゼットは頷き、自分の手帳の、今書いたばかりの行を指先で押さえた。
「じゃあ、今夜はここまでね」
凛が鞄の口を閉じた。
「まず、うちの記録から候補を探してみる。場所を決める前に、衛宮君を通して連絡するわ。それでいい?」
「それで構いません」とバゼット。
「頼みます」とランスロット。
凛は頷き、立ち上がりかけた。その時、士郎が湯呑みを盆へ集めながら言った。
「遠坂、帰る前に飯食っていかないか。結局、誰もまだ食べてないんだ」
凛の動きが、中腰のまま止まった。
「……まだ食べてなかったの? この時間まで?」
「色々あったんだよ」
アルトリアが、ほんの少しだけ目を伏せた。ランスロットは、さっきの彼女の顔を思い出して、笑いを飲み込んだ。
凛は四人の顔を順に見回し、それから小さくため息をついて、座布団の上へ座り直した。
「……じゃあ、いただくわ。結界の話も、まだ済んでないし」
第12話『観測』、いかがでしたでしょうか?
今回は、遠坂凛によるランスロットの能力観測を中心にお届けしました。
ようやく明らかになった、ランスロットのサーヴァントとしてのステータス。
なかなか高い能力を持っているようですが、それでも彼のすべてが分かったわけではありません。
なぜ正規の七騎とは別に現界したのか。
そして、凛にも読み取れなかった謎の部分とは何なのか。
まだまだ分からないことばかりですが、少しずつ明らかにしていければと思っています!
さて、ここからは少し余談を。
皆さんは『Call of Duty(CoD)』のキャンペーンをプレイされましたか?
賛否両論ある作品だとは思いますが、私はプレイしていて、少し怖さを覚えました。
もし将来、本当に戦争が起きたら、こんな状況になることもあるのだろうか。
そんなことを想像してしまったんですよね。
もちろん、ゲームの描写がそのまま現実になるとは限りません。
それでも、フィクションを通して現実の未来を考えさせられることもあるのだな、と感じました。
皆さんはどう感じましたか?
さて、本作のお話に戻りまして。
次回は少し趣向を変えて、ランスロットのプロフィールをFateのサーヴァント・マテリアル風にまとめた特別資料をお届けする予定です!
第12話までに明かされた情報を中心に、彼がどのような騎士なのかをご紹介できればと思っています。
こちらも楽しみにしていただけると嬉しいです!
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