無銘の湖光 ~ランスロットとして目覚めた俺は、名を失っても世界を紡ぐ~ 作:カノープス・ギア
これまでの調査で少しずつ見えてきた可能性。
それを確かめるため、二人は新たな一歩を踏み出します。
少しずつ動き始める物語と、二人のやり取りを楽しんでいただければ嬉しいです!
それでは、第13話をお楽しみください!
門の閉まる音が、背中のほうで小さく響いた。
坂の上の夜気は、居間の暖かさを一歩で置き去りにするほど冷えていた。ランスロットは歩幅を少し詰め、バゼットの左、車道の側に並んだ。街灯の間隔は広く、塀の影が道に長く伸びている。
夕食は結局、五人で囲むことになった。凛は食べながら士郎と結界の話を詰め、食器が下げられたあとで、バゼットと番号を交わした。候補地が挙がったら、今度は直接連絡をもらう。霊脈を補助に使う方法の骨組みも確かめ、場所に合わせた細かな手順は、記録を調べてから詰めることになった。
上着の内ポケットには、凛から受け取った紙が二つに折ったまま入っている。帰ったら写すと言ったのを、ランスロットは歩きながら思い出した。
「遠坂さんから連絡が来たら」
バゼットが前を向いたまま言った。
「候補地では、まず私が土地を見ます」
「土地は頼む。周りは俺が見る」
「ええ」
それで話は済んだ。
借りている車は、坂を下りきった先の路肩に停めてあった。ランスロットは鍵を開け、助手席のドアを引いた。
バゼットは左肩を背もたれから浮かせて座り、右手でシートベルトを引いた。一度引っかかったが、二度目で金具が鳴った。ランスロットは彼女が落ち着くまで、ドアを支えて待っていた。
ドアを閉め、運転席へ回る。
キーを回すと、エンジンが低く唸って目を覚ました。暖房の風が、まだ冷たいまま足元へ吹き出してくる。
「じゃあ、行こうか。バゼット」
「お願いします」
ランスロットはハンドルを切り、車を路肩から出した。
深山町の住宅街は、この時間にはもうほとんど灯りを落としていた。狭い道を二つ曲がり、広い通りへ出る。前を行く車のテールランプが、ゆるい下り坂の先で赤く滲んでいた。
王と、また話せた。
それを、うまく一つの言葉にはできなかった。あの国のその後を聞いた。皆が生きた年月を聞いた。自分が帰らなかったことを、あの人がずっと抱えてきたことも聞いた。胸の底で、それはまだ形を変えずにある。けれど、最後には昔の話で笑っていた。あの人も、自分も。
それに、凛が引き受けてくれた。
読めない一行を、他人が几帳面な字で書き留めて、調べると言った。ポケットの紙一枚分、この先へ手が掛かった気がした。
信号が黄色に変わる。ランスロットは早めに速度を落とし、白線の手前で止めた。
隣を見ると、バゼットは窓の外へ顔を向けていた。閉まった商店のシャッター、コンビニの白い灯り。硝子に、彼女の横顔が薄く映っている。
「疲れた?」
「少し」
窓のほうを向いたまま、彼女は答えた。
「座っている時間が長かったので。今夜は、このまま休みます」
「うん。俺も今夜は何もしない。帰って、あの紙を写したら寝る」
「……写すのは、明日でも構いませんよ」
「覚えてるうちにやっとく。すぐ済むから」
信号が青に変わった。車を出す。
少し走ったところで、バゼットがぽつりと言った。
「衛宮くんの食事は、おいしかったですね」
「うまかった。味噌汁、ちゃんと出汁から取ってた」
「分かるのですか?」
「分かる。……たぶん」
窓硝子の中で、彼女の口元がわずかに緩んだように見えた。本人はそれ以上何も言わず、外を向いたままだった。
会話は、そこで途切れた。
途切れても、居心地は悪くなかった。ランスロットは前を見て、ゆるいカーブに合わせてハンドルを戻した。対向車のヘッドライトが一度だけ車内を白く撫で、また暗くなる。
エンジンの音が、低く一定に続いている。暖房の風が、ようやく温かくなってきた。
街の明かりが、フロントガラスの端から端へ、ゆっくりと流れていった。
◇
翌晩、ランスロットは買い物帰りの車を走らせていた。隣ではバゼットが、膝の上の買い物袋の口を押さえている。
昨夜は拠点へ戻ると、凛の紙を彼女の手帳へ写し、それから休んだ。経路には手を入れていない。拠点と車を引き続き使う件は、バゼットが昼のうちに連絡を済ませていた。夕方になって、食料と薬を買い足しに出たのだった。
隣で携帯の振動音がした。
バゼットは袋を足元へ下ろし、右手で携帯を引き出した。
「遠坂さんです」
「うん」
ランスロットは前を向いたまま頷いた。
バゼットは通話に出て名乗ると、スピーカーに切り替え、携帯を運転席寄りのカップホルダーへ立てた。
「車の中です。彼も聞いています」
『なら話が早いわ』
凛の声は、昨夜の居間で聞いたときより少し硬かった。背後で紙をめくる音がする。
『候補、一つ見つけた。市街から離れた山の中よ。うちの記録だと、霊脈の流れが地表の近くまで上がってる場所がある。係留の補助に使えそう。ただ、記録が古いの。今も使えるかは、行って見ないと分からない』
隣で手帳を開く音がした。続いて、ペンが紙を擦る。
「経路を教えてください」
『新都側から県道を北へ。途中で林道に分かれる道があって、舗装は途中まで。車で入れるのは、その先の広くなってるところまでだと思う。そこから先は古い作業道を歩くことになるわ』
「作業道の長さと、勾配は?」
『記録だと、歩いて十五分くらい。きつい登りじゃないけど、手入れされてるかどうかまでは分からない。倒木とかあるかもね』
ペンの走る音が止まった。
往復なら三十分ほど。足場が悪ければ、もっとかかる。
「分かれ道の目印は、何かありますか?」
ランスロットが口を挟んだ。
『県道沿いに、閉まったドライブインがあるわ。看板だけ残ってるやつ。その少し先を右』
「了解」
ランスロットは曲がり角を頭に留め、二人の話に耳を戻した。
「流れの深さ以外に、記録と照合する点は?」
バゼットが続けた。
『澱みや細りがないかも見て。それと、今の係留を繋げる口にできるか。そこはあなたの目で判断して。乱れそうなら、いったん止めて調整して』
「承知しました」
『それと』
凛の声が、そこで少しだけ緩んだ。
『私は今夜、学校の件で動けないの。一緒には行けない。だから、何か異常があったら連絡して。こっちでも記録と照らし合わせるから』
「そうします」
手帳を閉じる音がした。道の先は、まだ街の灯りが続いていた。
「行けます。今夜、見てきます」
『分かった。気をつけてね』
通話が切れた。
バゼットは携帯をポケットへ戻した。
「県道を北へ」
「うん。次の交差点で曲がる」
ランスロットはウインカーを出した。車は流れから外れ、新都の外れへ向かう広い道へ入っていった。
しばらくは、灯りが途切れなかった。ガソリンスタンド、ファミリーレストラン、深夜まで開いている量販店。それが、ある信号を境に急にまばらになる。道の両側に畑が広がり、民家の窓が遠くにぽつぽつと浮かぶだけになった。
やがて、看板だけが残った建物が、ヘッドライトの端に白く浮かんだ。錆びた文字は半分読めない。ランスロットは速度を落とし、その少し先で右へ入った。
道が細くなり、カーブごとにヘッドライトが杉の幹を照らした。ランスロットは手前で速度を落として曲がる。舗装の継ぎ目が見え、さらにアクセルを緩めた。
隣で、肘掛けをつかんでいた右手が離れた。
舗装が途切れ、砂利の音がタイヤの下で鳴りはじめたところで、道の片側が広くなった。車が数台停められるくらいの空き地だった。
ランスロットは車の鼻先を来た道へ向けて停め、エンジンを切った。
音が消えると、静けさが急に厚くなった。
「着いた」
「ええ」
バゼットがベルトを外すのを見て、ランスロットも車を降りた。靴の下で砂利が少し沈む。湿った土と落ち葉の匂いがして、街の夜よりずっと冷たかった。
車の前を回ると、彼女もドアの縁を右手で支えて降りてきた。
空き地の奥、杉の間に、細い道が口を開けている。落ち葉に半分埋もれてはいるが、人の足で踏まれた跡がまだ残っていた。ランスロットは空き地を一巡り見渡し、彼女へ目を戻した。
「行きましょう」
「行こう」
彼が一歩、彼女の左側へ寄った。
作業道は、入ってすぐに空き地の気配を置いていった。
杉の枝が頭上で重なり、月の光は細い筋になってしか落ちてこない。バゼットはコートのポケットから小さな懐中電灯を出し、右手で点けた。白い輪が、彼女の二歩先までを照らした。ランスロットはその後ろにつき、光の届く足場と木々の間へ交互に目をやった。
凛の言ったとおり、登りは緩い。落ち葉と下草に埋もれかけても、斜面に沿って均された踏み跡はまだ追えた。
道幅が狭まったところで、バゼットが一度振り返った。ランスロットは一歩ほど後ろ、彼女の左寄りを保っていた。道が開けると斜面側へ寄り、木立を見渡す。前の明かりが動くのに合わせて、また歩き出した。
最初の倒木は、道を斜めに塞いでいた。幹は膝の高さほどで、苔が表面を覆っている。
バゼットは懐中電灯で幹の両端を照らし、右の根元のほうが低いのを確かめてから、そちらへ回った。明かりを右脇に挟み、右手を幹へついて、足を片方ずつ越えさせた。
両足が向こう側の土に着くのを待ち、ランスロットも幹を跨いだ。
しばらく登ると、道は尾根の肩を回り込むように右へ曲がった。杉の中に、葉を落とした広葉樹が混じりはじめる。足元の落ち葉が変わり、柔らかい土の匂いが強くなった。
バゼットは一度立ち止まり、明かりを道の先へ向けた。
踏み跡は曲がり角の先で、細い沢筋へ向かって下っている。凛の話にはなかった沢だ。水の音はしない。ただ、明かりの輪の中の土が、ほかより黒く光っていた。
「少し下ります。そのあとで、また登りです」
「うん」
ランスロットは彼女の足元へ目を戻した。
下りは数歩だった。バゼットは歩幅を詰め、足裏全体で土を踏んでいく。一歩、二歩。三歩目に、明かりが濡れた木の根を照らした。
彼女の踵が、その縁を滑った。
白い輪が大きく跳ね上がる。体が左へ傾いたときには、ランスロットはもう一歩を詰めていた。
背と腰へ手を添え、倒れかけた体を支える。左肩には触れず、足が地面を捉え直すまで待った。
バゼットが肩越しに振り返った。ほんの拳一つ分の距離だった。
ランスロットは彼女の足元へ目を落とした。右足が根のない土へ置き直され、踵が沈んで止まる。手にかかっていた重みが軽くなった。
「大丈夫?」
「ええ」
返事のあとも、彼女は一瞬こちらを見ていた。
ランスロットは手を離し、一歩下がった。バゼットが前へ顔を戻すのを見て、沢筋の上流と、今下りてきた道を順に確かめる。
足元へ明かりが戻った。彼女はコートの裾を一度払い、沢筋の向こうの登りを照らした。踏み跡は、そこからまた斜面を上がっていく。
「こちらです」
「了解」
バゼットは歩き出した。
明かりが足元の根を拾い、向こう岸へ移っていく。ランスロットも沢の底を渡った。
沢筋を越えると登りは緩くなり、杉に代わって広葉樹の枝が頭上に広がった。厚い落ち葉が足音を吸い込んでいく。
しばらくして、踏み跡の先が開けた。
斜面の途中に、木のまばらな平らな場所があった。踏み跡の先から奥の木立まで、落ち葉の積もった地面がひらけている。右手には杉が残り、左から奥へかけては広葉樹が囲んでいた。枝の網がそこだけ薄く、月の光が地面まで届いていた。
バゼットは足を止め、明かりで地面を一巡りさせた。
落ち葉の下は土が締まり、石が少ない。昔、誰かが均した場所かもしれない。今上がってきた踏み跡が、背後の木々の間へ続いていた。
「ここのはずです」
「うん」
ランスロットは平地の縁まで出て、止まった。彼女と森の奥の間に立ち、斜面の上と下、左右の木立へ順に目をやる。帰りの踏み跡は背後にある。下り口の土は乾いていた。
バゼットは平地の中ほどまで進み、右膝を落とした。
懐中電灯を足元へ置き、コートから出した手帳を落ち葉の上で開く。凛の条件を書いた頁。その端に明かりを寝かせて載せると、頁は風にめくれなくなり、地面も低く照らされた。
バゼットが右手を土の上に置いた。掌を少しずつずらし、手帳の頁と地面を交互に見ている。
ランスロットは彼女から目を外し、森の奥へ耳を澄ませた。枝の擦れる音。斜面の下から吹き上げてくる風に、下草が鳴る。足音らしいものは聞こえなかった。
「ランスロット」
「うん」
平地の縁に立ったまま、ランスロットは顔だけを彼女へ向けた。
「今の供給は、どう感じますか?」
「いつもと同じ。細いけど、途切れてない」
「昔の痕は?」
「静かだ。ここに来てからも変わらない」
バゼットは頷き、手帳へ目を落とした。
「流れは記録どおりです。ここでは詰まりもありません。奥の状態までは確かめられませんが、この場所なら試せます」
ランスロットは、周りをもう一度だけ見渡した。それから、彼女のほうへ体ごと向き直った。
「やろう」
バゼットは右手を土から上げ、手帳の脇の落ち葉を払った。露出した土に、指先で術式の印を描いていく。凛から聞いた方法を、この場所の流れに合わせて整える。
描き終えて、顔を上げた。
「こちらへ。右手を、ここに」
ランスロットは平地の縁を離れ、彼女の正面に片膝をついた。描いたばかりの印の上へ、右手を伏せて置く。掌の下で、冷たい土がわずかに沈んだ。
肩越しに森の奥を一度確かめ、顔を戻す。バゼットの右手が、手の甲へ重なった。
指の付け根に彼女の掌の温度が触れる。細く続いていた経路は、まだいつもと変わらなかった。
「始めます」
「うん。頼む」
バゼットが息を一つ吐いた。
手の甲に、かすかな張りが生まれた。細く続いていた流れへ、足元から温かいものが重なる。ランスロットは手を動かさず、その変化を待った。
「どうですか?」
「……少し、温かい。足元から上がってくる感じがする」
「痛みは?」
「ない」
温かさはそこで増すのをやめた。手の甲へ重なる掌は動かず、流れも途切れない。
「もう少し、進めます」
「うん」
温かい流れが再び増した。手の甲の張りが強まり、腕の内側が引かれた。
「今、少し引かれた」
ランスロットが顔を上げた。
「いったん戻します」
腕の内側の張りが収まった。知らずに力の入っていた指を緩める。
「今は?」
「ちょうどいい。さっきより、力を回しやすい」
「では、この幅で続けます」
ランスロットは頷き、重ねた手をそのままにして待った。
流れが増し、また戻る。さっき腕を引いた張りは戻ってこなかった。届いた力を身体へ回すと、途中で押しとどめられるようだった感触が薄れている。
「流せる幅は広がりました。ただ、私の余力が増えたわけではありません。今は、無理のない量に戻します」
「分かった」
流れが細くなって、落ち着いた。肩から腕へ力を通してみる。量は抑えられているのに、先ほどよりも素直に届いた。
手の甲から、彼女の掌が離れた。
「……終わりました」
少し遅れて、息を吐く音がした。ランスロットは印の上から手を上げ、掌の土を払った。右手をゆっくり握って開く。
立ち上がり、右の肩を一度回した。軽く膝を沈め、また戻す。
顔を上げたバゼットへ、少し笑ってみせた。
「これなら動ける」
バゼットは手帳を押さえていた懐中電灯を、傍らの地面へずらした。手帳を閉じてコートへしまい、明かりを拾って立ち上がる。足元の落ち葉が、小さく鳴った。
「こちらの流れも、落ち着いています」
「そっか。……ずいぶん違うよ」
ランスロットは自分の右手をもう一度見て、それから彼女へ目を戻した。
「ありがとう、バゼット」
「……私の仕事です」
バゼットが小さく息を吐いた。手帳をしまった右手が、コートの脇へ下りた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
頭上で、枝が風に擦れ合っている。どこか遠くで、夜の鳥が一声だけ鳴いた。足元の落ち葉が、自分の重さでゆっくりと沈んでいく音。平地の縁から先の木立は、月の光の届かないところから順に黒く塗られていた。
その奥で、音がした。
ぼこっ。
粘りのある水の中から、何かが膨らんで、破れたような音だった。
ランスロットは音のほうへ顔を向けた。半歩動き、彼女と木立の間へ入る。懐中電灯の明かりは足元に留まっていた。
風が、枝を揺らした。
鳥は、もう鳴かなかった。
ぼこ。
さっきより少し低い。水面がゆっくりと持ち上がって潰れるような、湿った重い音が木々の間を渡ってくる。
間があった。
ぼこっ、ぼこっ。
第13話、いかがでしたでしょうか?
今回は、ランスロットとバゼットの二人に焦点を当ててみました。
凛の協力によって見つかった霊脈の候補地。
そこで、バゼットの専門知識を生かした新たな試みが行われました。
これまで魔力供給の制約を抱えていたランスロットですが、少しずつ本来の力を発揮できる環境が整い始めています。
とはいえ、すべての問題が解決したわけではありません。
そして何より、最後に聞こえてきた不気味な音。
あれはいったい何なのか……。
その答えは、次回のお楽しみということで!
個人的には、今回のような二人の何気ない会話や、互いの得意分野を生かして協力する場面も大切にしていきたいと思っています。
戦闘だけでなく、こうした日々の積み重ねから生まれる関係も楽しんでいただけたら嬉しいです。
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皆さんの反応が、今後の執筆の励みになります!
それでは、次回もお楽しみに!