無銘の湖光 ~ランスロットとして目覚めた俺は、名を失っても世界を紡ぐ~   作:カノープス・ギア

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個人的なことですが、
『エースコンバット8』、素晴らしかったです。
私は目が回って酔ってしまうので視聴勢でしたが、
「Song of Wings -Rise Above-」が流れたとき……胸が熱くなり、泣きました。
諦めない。この空を飛び続ける。
そんな思いを感じさせる、いい曲でした。

一番機を守るバクスター……最高の2番だったよ。
そしてターシャの「終わるもんか!」。
あの音と重なった瞬間は、もう涙が……。
コスター、いいセンスだ(・ω・)bグッ!

……本当はもっと語りたいです。
ジョーカー隊やクィーン隊以外の隊もディーラーについても、
それぞれ語りたいことが山ほどあります。

ただ、ここは『無銘の湖光』の本編なので、今回はこのあたりで。
それくらい、ここでは語りきれないほど泣き、画面に向かって叫んでいたぐらい
胸を熱くさせてもらったゲームでした。
ありがとう、すべての翼へ(`・ω・´)ゞ

◇

さて、第6話です。

ようやく二人が動き出します。

ずれていた針は、これからどのように重なり合うのか。
それとも、さらに狂っていくのか。

お楽しみください。


第6話_動き出す

 

カーテンの隙間が白んでいた。

 

バゼットは天井の木目をひとつ数えてから、右手を敷布について肘を伸ばした。

頭を枕から離す。視界が斜めに流れ、三つ呼吸するうちに戻った。

昨日の朝は、同じことにもっと長くかかった。

 

「おはよう」

 

扉の脇の椅子から声がした。ランスロットは昨夜と同じ場所に座っている。

シャツの袖を肘の手前まで折って、上着は背もたれに掛けてあった。

彼は腰を浮かせかけ、彼女が自分で起きたのを見て椅子へ戻った。

 

「おはようございます。夜の間は」

 

「廊下を二回、ここの人が通っただけ。外は静かだったよ」

 

バゼットは頷き、背中を壁へ預けた。訊かれる前に言っておく。

 

「眩暈は短くなりました。頭の重さも、昨夜よりは引いています。左の肩は張ったままですし、疲れも抜けきってはいませんが」

 

「動けそう?」

 

「部屋の外へ出る程度なら。走れと言われたら断ります」

 

「言わないよ」

 

彼は少し笑って、掌を一度握って開いた。

 

「こっちは変わらず。細いけど途切れてはいない。座ってる分には減らないし、長くやり合う余裕がないのも昨日のまま」

 

「分かりました」

 

それで足りた。

バゼットは寝台の脇の鞄へ手を伸ばし、手帳とペンを膝へ引き寄せる。

彼が椅子を寝台の横まで運んできたので、開いた頁を二人の間へ向けた。

 

昨夜、彼に書いてもらった七つの行が並んでいる。

区分と日付。いちばん下には「昨夜、セイバー」とある。

 

その上に、彼女自身が書いた「一昨夜、現界」の行がある。

七つの記録には、その日付に当たる行がない。

 

ランスロットは頁を上から下まで目で追い、最後の行の下の余白で止めた。

指で示すことはせず、しばらくそこを見ていた。

 

「バゼット。ひとつ提案していい?」

 

「どうぞ」

 

「先に、ランサーを探さないか」

 

バゼットはペンを持ち直した。彼の目はまだ余白にある。

 

「理由を聞かせてください」

 

「俺の方は、この紙の上で行き止まりなんだ。記録に行がない、ってところまでは分かった。でも、そこから先は何を調べればいいのか、今の俺には思いつかない。召喚した相手も陣も覚えてないから、辿る糸がない」

 

彼は顔を上げた。口元は柔らかいままで、声だけが少しゆっくりになる。

 

「知りたいのは変わらないよ。なんでここにいるのか分からないまま消えるのは、やっぱり嫌だ。ただ、ランサーには手掛かりがある。姿も、槍も、君が知ってる。この戦争を追っていけば、どこかで俺の方にも繋がるものが出てくるかもしれない。出てこないかもしれないけど、ここで余白を眺めてるよりは見込みがあると思う」

 

「だから、後回しに」

 

「うん。ひとまず、ね」

 

軽い言い方だった。けれど視線は一度、頁の下へ戻っている。

 

バゼットは余白の左端にペン先を置き、短く線を引いた。

行の頭に付ける印と同じものだ。その横には何も書かない。

 

「順番は、それで構いません。ですが、外しはしません。あなたの件は、ここに置いたままにします。途中で何か引っ掛かったら、ランサーの話の最中でも言ってください」

 

彼は印を見て、それから彼女を見た。目元が緩む。

 

「ありがとう。じゃあ、遠慮なく言う」

 

「そうしてください」

 

バゼットは頁をめくり、新しい紙の上に「ランサー」と書いた。

その下へ続ける言葉は、すぐには出てこなかった。所在。契約の相手。

拘束。箇条書きにすれば三つか四つで済む。以前なら、そう書いていたと思う。

 

「……私が知りたいのは」

 

ペンを止めたまま言った。

 

「彼が今、自分の意思で動いているのかどうかです。誰と契約しているのかも、どこにいるのかも知りたい。ですが、それは人づてでも記録でも、いつかは分かるかもしれない。彼自身がどう思っているかは、本人に訊かなければ分かりません」

 

「連れ戻したい、とは違うんだね」

 

「戻るかどうかは、彼が決めることです。契約は切れています。私が取り戻すと言って済む話ではない」

 

言い終えてから、右手に力が入っていたことに気づいた。指を緩める。

 

「ただ、何も訊かないまま終わるのは嫌です」

 

「うん」

 

ランスロットはそれだけ返し、少し間を置いてから、頁の「ランサー」の字へ目を落とした。

 

「ひとつ、確認させて。ランサーの今の契約相手は、あの神父だと思う?」

 

「可能性は高いと考えています。私の腕ごと令呪を持っていったのは彼ですから。けれど、彼自身が使っているのか、誰かに渡したのかは見ていません。私は、その後のことを何も知らない」

 

「じゃあ、そこは仮のままにしておこう。神父かもしれないし、別の誰かかもしれない」

 

「ええ」

 

「どっちにしても、ランサーに行き着けば、その先に誰がいるかは見える。神父が何を考えてるのかも、少しは」

 

「手掛かりにはなるでしょう。教会へ直接行くよりは、ずっとましな道です」

 

「教会は行かない。それは昨日のままでいい?」

 

「そのままです。こちらから知らせることは何もありません」

 

バゼットは「ランサー」の下に一行だけ書いた。本人に訊く。その下に、契約の相手は未確認、と小さく添える。

 

ランスロットがそれを読んで頷き、膝に手を置いて立ち上がった。

 

「よし。どう探すかは、これから考えるとして」

 

椅子を元の壁際へ戻しながら、彼は肩越しに振り返った。

 

「その前に朝飯にしようか。俺、腹が減った」

 

あまりに生活じみた切り替えに、バゼットは一度瞬いてから手帳を閉じた。

 

「……ええ。私もです」

 

「昨日の味噌汁が残ってる。あと卵があったから、俺は焼いたのが食べたい。君は?」

 

「同じものを。ご飯は、少なめでお願いします」

 

「了解」

 

彼が台所へ向かう。バゼットは毛布を除け、足を床へ下ろした。

立ち上がる時に寝台の縁を一度握り、揺れが来ないのを確かめてから手を離す。

 

卓まで歩いて、棚から椀と皿を二組出した。片手で一枚ずつ運ぶので往復が増える。

箸を揃え、湯呑みを置いたところで、台所から油の音がした。

 

卵は、彼の皿に二つ、彼女の皿に一つ載ってきた。

 

「多くありませんか、そちらは」

 

「食べたかったから」

 

悪びれもしない。彼は向かいに座り、手を合わせて、真っ先に卵へ箸を入れた。

黄身が崩れるのを見て、満足そうに息をつく。

 

バゼットは箸を置き、右手で椀を持ち上げて味噌汁を飲んだ

一晩置いた分、昨夜より味が丸い。

米は言ったとおり少なめで、最後の一口まで箸が止まらなかった。

 

「食べられたね」

 

「昨日よりは」

 

彼は自分の茶碗の残りをさらえ、湯呑みを空けた。

バゼットも茶を飲み干し、箸を揃えて置く。

 

窓の外は、もうすっかり朝の色になっていた。

 

◇

 

その前夜、町外れの坂道。

 

斧剣が振り下ろされるたびに、アスファルトが割れた。

 

衛宮士郎には、セイバーの剣が見えない。

見えるのは、彼女の両手が何かを握って振り抜く軌道と、そこへぶつかった岩塊のような刃が、わずかに逸れて路面へ落ちる結果だけだった。

 

逸らしている。受け止めてはいない。

 

あの小さな体で、正面から受ければ潰される。

だから彼女は半歩ずつ位置を変え、刃の腹を叩き、力の向きだけをずらしている。

士郎の目でも、それが並の技でないことは分かった。

一度でも読み違えれば終わる角度を、彼女は続けて四度、五度と通している。

 

それでも下がっていた。

 

一撃ごとに、彼女の踵が坂を削って後ろへ滑る。

鉛色の巨体は止まらない。咆哮とともに踏み込み、斧剣を横へ薙ぐ。

セイバーが跳んで避けた先へ、もう次の振り下ろしが来ている。

 

「衛宮くん、下がって! そこ、巻き込まれる!」

 

遠坂の声が横から飛んだ。彼女は士郎から半歩離れた位置で左手を突き出している。

指先から黒い礫のようなものが続けて走り、バーサーカーの顔へ当たって弾けた。

 

巨体は瞬きもしなかった。

 

「……っ、効いてない。目くらましにもならないなんて」

 

遠坂は舌打ちして、すぐに立ち位置を変えた。撃つ手は止めない。

狙いを顔から足元へ移し、踏み込む先の路面を砕く。

巨体の一歩がほんの少し浅くなり、その分だけセイバーが間合いを取り直した。

 

坂の上で、白い少女が笑っている。

 

「がんばるのね。でも無駄よ。やっちゃえ、バーサーカー」

 

斧剣が唸った。

 

セイバーは見えない剣を立てて迎えた。今度は逸らしきれなかった。

金属が潰れるような音がして、彼女の体が横へ飛ぶ。

ガードレールに背中からぶつかり、鉄の板がくの字に曲がった。

 

「セイバー!」

 

彼女は立った。立ったが、鎧の脇が裂け、青い衣に黒いものが広がっていく。

剣を握る手が一度下がりかけ、持ち直す。息が白く、荒い。

 

バーサーカーが歩いてくる。急がない。逃げ場のない相手へ向かう歩き方だった。

 

セイバーは構えた。足が動いていない。

さっきまで半歩ずつ刻んでいた足が、路面に貼りついたままだ。

 

斧剣が持ち上がる。

 

士郎は、遠坂が何か叫んだのを聞いた。

聞いたが、言葉として頭に入る前に、もう体が前へ出ていた。

 

考えていたわけじゃない。

間に合うとも、何ができるとも思っていなかった。

ただ、あの刃が落ちる先に彼女がいて、自分はその後ろで守られていて、それを見ているのがどうしても我慢できなかった。

 

肩からぶつかった。セイバーの体は驚くほど軽く、横へ押し出される。

 

「シロウ――!?」

 

彼女の声と同時に、腹の横を何かが通り抜けた。

 

痛みはなかった。熱いとも思わなかった。

体が勝手に回って、気づくと頬が路面についていた。

アスファルトが冷たい。その冷たさのすぐ下に、ぬるいものが広がっていく。

 

足の感覚がない。腹から下が、あるのかどうかも分からない。

 

音が遠くなった。

 

咆哮が止んでいる。斧剣が路面を割る音もしない。坂道が、急に静かになっていた。

 

「……なんで」

 

少女の声だった。さっきまでの弾んだ調子がない。小さく、途中で切れた。

 

士郎は目だけを動かした。視界の端で、鉛色の脚が止まっている。

斧剣を振り抜いた姿勢のまま、石像のように固まっている。

その向こうに白い髪が見えた。顔は暗くて分からない。

 

長い間があった。長く感じただけかもしれない。

 

「……つまんない」

 

吐き捨てるような声。靴音がひとつ、坂の上へ向く。

 

「もういいわ。帰るわよ、バーサーカー」

 

巨体が向きを変えた。地面が一歩ごとに揺れ、その揺れが遠ざかっていく。

 

誰かが肩を掴んでいる。セイバーの声と、遠坂の声が重なって聞こえた。

何を言っているのかは、もう拾えない。

 

ああ、止まったのか、と思った。

 

それを最後に、坂道の街灯が滲んで消えた。

 

◇

 

朝食の皿を洗い終えたランスロットが台所から戻ってきた時、バゼットは寝台の上に荷物を並べていた。

 

手帳。ペン。電話。財布。昨夜のうちに畳んでおいた替えの包帯。

部屋の主から渡された薬の紙袋は、口を二度折ってある。

 

持って出る物は多くない。鞄ひとつに収まる分だけにした。

洋館から持ち出した他の荷は、部屋の隅へ寄せておく。

今日のうちに何があるか分からない以上、身軽な方がいい。

 

「ランスロット。鞄の口を開いたまま持っていてもらえますか」

 

「こう?」

 

「もう少しこちらへ傾けて。……そのままで」

 

彼が両手で鞄を支え、バゼットは右手で一つずつ中へ入れていった

手帳は取り出しやすい外側へ。薬は潰れないよう内側へ。

電話は上着のポケットにするか少し迷って、鞄の浅い仕切りへ差した。

 

留め金は自分で掛けた。片手でも、鞄を膝で押さえれば掛かる。

 

「上着は?」

 

「着ます。左の肩だけ、掛けるのを手伝ってください。袖は通しません」

 

「分かった」

 

右の袖へは自分で腕を入れた。彼が後ろへ回り、上着の左側を持ち上げて肩へ乗せる。張っている場所へ布の重みが触れ、バゼットは息を止めた。一拍置いて、吐く。

 

「重い?」

 

「いえ。大丈夫です、このくらいなら」

 

空の袖が体の脇に垂れている。バゼットはそれを一度見下ろしてから、鞄の持ち手を右手で握った。

 

ランスロットは椅子の背から自分の上着を取り、袖を通した。折っていたシャツの袖口を伸ばして、ボタンを留める。それだけで支度が済んだ。

 

「鞄、持とうか」

 

「歩けなくなったら頼みます。今は自分で」

 

「了解。じゃあ、扉は俺が」

 

廊下へ出ると、突き当たりの戸が開いていた。

ここの主が、奥の間で薬棚の前に立っている。

足音に気づいて振り返り、バゼットの上着と鞄を見て、片方の眉を上げた。

 

「出るのかい」

 

「はい。少し、外を回ってきます」

 

「まだ寝ていた方がいい体だがね。言っても聞かんだろう」

 

「無理はしません。動ける範囲で動くだけです」

 

主は鼻を鳴らしたが、止めはしなかった。バゼットは鞄を足元へ置き、右手を体の前に添えて頭を下げた。

 

「急な頼みを受けていただいて、ありがとうございました。何も訊かずに置いてくださったことも」

 

「そういう約束だったろう。薬は時間どおりに飲みなさい。肩が熱を持ったら、すぐ戻ること」

 

「そうします」

 

隣でランスロットも頭を下げた。

 

「俺からも。寝床も台所も、助かりました。受け入れてくれて、ありがとうございます」

 

主は彼の顔をしばらく眺め、素性を尋ねる代わりに、手をひらりと振った。

 

「食材を使った分、流しがきれいになっていた。それで結構だよ。部屋はそのままにしておく。戻るなら、先に電話を一本」

 

「ありがとうございます」

 

バゼットはもう一度礼を言い、鞄を持ち直した。

 

廊下の先に、玄関の磨り硝子が明るい。ランスロットが半歩前に出て、彼女の歩く速さに合わせた。

 

玄関の三和土で靴を履いたところで、バゼットは足を止めた。

 

「少し待っていてください。話をつけてきます」

 

「話?」

 

「歩いて回れる広さではありません。この街は」

 

ランスロットは頷き、鞄へ手を出した。今度は預ける。バゼットは廊下を戻り、奥の間の戸口から声を掛けた。

 

主は薬棚の引き出しを閉めて振り向いた。

 

「忘れ物かい」

 

「もう一つ、お願いがあります。裏に停めてある車を、しばらくお借りできませんか。燃料は入れて返します。傷をつけた場合の費用も、こちらで持ちます」

 

「あれか....」

 

主は少し考えるように目を細めた。

 

「当分使う予定もないから、構わないよ。何日か使うくらいなら好きにしな。長くなるようなら、一度連絡を入れておくれ」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

主は机の引き出しを開け、木札のついた鍵を取り出した。差し出す前に、バゼットの空の袖へ目をやる。

 

「あんたが握るんじゃないだろうね」

 

「連れが運転します」

 

「なら構わん。返す時も、一声かけてくれればいい」

 

「ありがとうございます。お借りします」

 

鍵は掌に冷たかった。バゼットは礼をして玄関へ戻り、靴を履き直して外へ出た。

 

朝の空気が頬に当たる。建物の脇を回ると、砂利敷きの空き地に車が一台停まっていた。濃紺の四ドアセダン。屋根に薄く埃が載っているが、タイヤの空気は抜けていない。

 

「これを?」

 

「ええ。しばらく借りられることになりました。長く使う場合は、改めて連絡を入れます」

 

ランスロットは車の周りを半周し、前輪の脇でしゃがんで下を覗いた。立ち上がって、ボンネットの埃を指で一筋ぬぐう。

 

「いい車だな。ちゃんと手を入れてある」

 

声が少し弾んでいた。バゼットは鍵を持ったまま、彼の横顔を見る。

 

「念のために確かめますが、運転はできますか。私は、この腕では握れません」

 

「できるよ」

 

間がなかった。料理はできるかと訊いた時と、同じ速さだった。

 

「免許は」

 

今度は間があった。

 

ランスロットは指についた埃を払い、空を見て、それからバゼットを見た。

 

「……ない、ね。少なくとも今の俺は持ってない。身分証もないし」

 

「でしょうね」

 

「本当なら、ちゃんと取りたいんだけどな。教習所に通って、試験を受けて。順番を踏んで乗る方が、気分がいいだろ」

 

彼は濃紺の屋根へ目を戻し、心底惜しそうに息をついた。

 

「でも今から申し込んでも、卒業する頃には戦争が終わってる」

 

バゼットは鍵を握ったまま、しばらく彼を見ていた。

 

「あなたは、召喚の記録にも載っていないサーヴァントです」

 

「そうだね」

 

「それで今、気に病むのは教習所の日程なのですか」

 

「大事だよ。学科もあるんだ、あれ」

 

「そこを残念そうに言わないでください」

 

ランスロットが、堪えきれずに短く笑った。

 

「いや、ごめん。言われてみれば、順番がおかしいな」

 

「おかしいです、かなり」

 

言いながら、バゼットにも小さく笑いが漏れた。

左肩にわずかに響いて、それ以上は続けなかった。

 

彼は笑いの名残を目元に残したまま、掌を上に向けて差し出した。

 

「じゃあ、行こうか」

 

バゼットは鍵をそこへ置いた。

 

「ええ。行きましょう」

 

彼が助手席の扉を開けて、押さえる。

バゼットは屋根の縁に右手を掛け、腰から先に座席へ入った。

足を引き入れ、背を預ける。そこまでは一人でできた。

 

「ベルトを引き出してもらえますか。左へ手を回すと、肩に響くので」

 

「金具は、ここでいい?」

 

「ええ。あとは自分で留めます」

 

彼が帯を引いて渡し、バゼットは右手で金具を差し込んだ。帯のねじれを指で直した。

 

後ろの扉が開き、鞄が後部座席へ置かれる。それから運転席側の扉が開いた。

 

ランスロットは乗り込むなり、座席の下へ手を入れて椅子を後ろへ下げた。脚が無理なく収まる位置で止め、背もたれの角度を一段起こす。ルームミラーを直し、左右のドアミラーを順に見て、窓を少し下ろして右の一枚を指で押した。

 

どの動作にも迷いがなかった。

 

レバーも鏡も、手が先に場所を知っているように動く。昨夜、釜からご飯をよそい、食事を整えていた時と同じだ、とバゼットは思った。覚えた知識を呼び出すというより、長く繰り返した手順に見えた。

 

彼は自分のベルトを留め、こちらの金具へ目をやって、掛かっているのを確かめた。

 

「気分が悪くなったら言って。すぐ停める」

 

「言います」

 

鍵が回る。エンジンは一度で掛かった。彼は音を聞くように少し首を傾け、計器へ目を走らせてから、後ろを振り返った。

 

車が砂利を踏んで動き出す。空き地の出口で一度きちんと止まり、左右を見て、通りへ出た。加速は緩く、揺れが少ない。

 

バゼットは窓の外へ流れる塀を見てから、ハンドルに置かれた彼の手を見た。

 

「よく乗っていたように見えます」

 

「そうみたいだな。どこを走ってたのかは、出てこないけど」

 

彼は前を向いたまま答えた。

 

それ以上は続かなかった。バゼットも訊かなかった。濃紺の車は、朝の通りを川の方へ下っていく。

 

坂を下りきった交差点で、信号が赤に変わった。車が止まる。

 

「最初はどこへ向ける?」

 

ランスロットが訊いた。バゼットは窓の外の標識を読み、頭の中の地図と重ねた。

 

「まず、私のいた洋館の方角へ。ただし、前までは行きません」

 

「理由を聞いていい?」

 

「彼が最後に私と一緒にいた場所です。契約を移された後、あそこを確かめに戻ることがあるかもしれない。あるいは、戻るよう命じられることが。どちらも推測です。今の彼がどこを回っているのか、私は知りません」

 

「前まで行かないのは、神父が見てるかもしれないから」

 

「ええ。私の死体がないことに気づいていれば、見張りを置くでしょう。気づいていなくても、近づいて得るものは少ない」

 

信号が変わり、車が動いた。ランスロットは少し考えてから言った。

 

「じゃあ、館が遠くに見える道を一本だけ通ろう。停まらずに抜ける。そこまでの案内、頼める?」

 

「次を左です。その先は道なりに」

 

「分かった」

 

通りは住宅地へ入った。朝の遅い時間で、歩いているのは犬を連れた老人と、自転車の主婦くらいだった。

 

「ランサーのこと、教えてくれる? 俺は顔も知らないんだ」

 

「青い装束です。体に沿った、鎧というより戦装束に近いもの。髪も青く、後ろで束ねています。槍は赤い。長さは彼の背丈を超えます」

 

「目立つね」

 

「実体でいれば。霊体のままなら、私の目では追えません」

 

「近くまで来て動けば、俺も気づけると思う。ただ、遠くから街じゅうを探れるわけじゃないし、今はそんな余裕もない」

 

「承知しています。無理に広げないでください」

 

バゼットは膝の上の右手を見て、続けた。

 

「速い、というのが一番の特徴です。足も、槍も。正面から打ち合って目で追える相手ではありません。性格は……回りくどいことを好みません。偵察を命じられても、物陰から覗くより、見晴らしのいい場所に立って眺める方を選ぶ男です」

 

「高い所か」

 

「私の知る限りでは。今も同じかどうかは、分かりません」

 

ランスロットは頷き、前方の坂の上へ目をやった。木立の向こうに、洋館の屋根が小さく見えてくる。彼は速度を変えなかった。バゼットは助手席の窓から、門の前と塀の角を見た。人影はない。車は一台も停まっていない。屋根の上にも、何もいなかった。

 

通り過ぎるまで、どちらも口を開かなかった。

 

「気配は?」

 

「なかった。少なくとも、俺に分かる距離には」

 

「では次へ。川へ出て、橋を渡ります」

 

大橋の手前で、車の流れが増えた。歩道には人が絶えない。ランスロットは橋の鉄骨を見上げ、渡りながら左右の川面へ目を配った。

 

「見晴らしはいい。上に立てば両岸が全部見える。でも」

 

「ここで誰かと向き合うことはできませんね」

 

「うん。人が多すぎる。車も途中で止められないし、向きも変えられない。見つけても、こっちが動けない」

 

「橋は外しましょう。渡った先の、駅の周りも同じです」

 

新都の中心は、車の窓から眺めるだけにした。高い建物が並び、屋上はいくつもある。ランスロットは信号で止まるたびに上を見たが、やがて小さく首を振った。

 

「上に立つのが好きな相手を、下から探すのは分が悪いな。向こうからは丸見えで、こっちは首が疲れるだけだ」

 

「同感です」

 

バゼットは背もたれへ頭を預けた。朝から座っているだけなのに、肩の張りが首の付け根まで上がってきている。

 

「ランスロット。少し休みます。どこか停められる場所へ」

 

「了解。腹にも何か入れよう。さっき、パン屋があった」

 

◇

 

公園脇の駐車場は、昼を過ぎても半分以上空いていた。

 

紙袋の中身は、卵を挟んだパンが二つと、甘い菓子パンがひとつ。菓子パンは彼が自分のために選んだものだった。バゼットは卵の方を半分食べ、薬を水で流し込んで、座席を少し倒した。

 

「疲れが出ています。肩も、朝より張ってきました。熱は持っていません」

 

「じゃあ、少し目を閉じてて。周りは見てる」

 

「あなたは」

 

「半日ずっと気を張ってた分、少し重いかな。削れたってほどじゃない。ただ、このまま夜まで街を流しても、見つかる前に俺の方が先に鈍ると思う」

 

隠さない言い方だった。バゼットは頷いて、目を閉じた。

 

ひと眠りして目を開けると、彼は菓子パンの最後のひと欠けを口へ入れるところだった。ハンドルに片腕を載せ、フロントガラスの向こうの木立を眺めている。

 

「起きた? 気分は」

 

「頭は軽くなりました。肩は変わりません」

 

座席を起こす。彼は紙袋を畳み、こちらへ体を向けた。

 

「寝てる間に、考えてたことがあるんだ。聞いてくれる?」

 

「どうぞ」

 

「探して回るのは、もうやめた方がいいと思う。代わりに、向こうに見つけてもらう」

 

バゼットは黙って続きを待った。

 

「ランサーが今、誰のために何をしてるのかは分からない。でも、もし他の陣営を見て回ってるなら、人のいない所に見慣れないサーヴァントが一騎立っていたら、確認しに来る理由にはなるんじゃないかな」

 

「誘い出す、と」

 

「そこまで上等なものじゃないよ。俺が気配を消そうとしないで、しばらく立ってるだけ。魔力を撒くわけでもない。近くを通った相手が気づくかもしれない、っていう程度の話だ。誰も来ないかもしれない」

 

「来るのがランサーとも限りません」

 

「うん。別の誰かかもしれない」

 

バゼットは膝の上で右手の指を曲げかけた。両手を組むはずだった癖だけが途中まで出て、右手をそのまま腿へ置く。

 

「問題を挙げます。まず、あなたの存在が外へ出ます。記録にないサーヴァントがいると、少なくとも一つの陣営に知られる。次に、来た相手が私を見れば、私が生きていることが知られます。その相手がランサーで、契約者が綺礼なら、報告はそのまま綺礼へ届く」

 

「そうだね」

 

「そうだね、ではなく。あなたはそれをどう見積もっているのですか」

 

ランスロットは少しの間、ハンドルの縁を親指でなぞっていた。

 

「俺が知られるのは、いずれ避けられないと思ってる。隠れたまま調べられることは、昨日でほとんど尽きた。だから、そこは取っていい危険だと思う。君の方は、俺が決めていいことじゃない。君が生きてると神父に伝わったら、狙われるのは君だ」

 

「……ええ」

 

「だから、分けたい。最初に姿を見せるのは俺だけ。君は車にいて、相手が誰か分かるまで顔を出さない。ランサーじゃなかったら、俺はそのまま引いて、君のことは一言も言わない」

 

バゼットは窓の外を見た。子供がひとり、母親に手を引かれて公園の出口を歩いていく。

 

綺礼に知られる。その言葉を頭の中で一度、最後まで転がした。あの男が、仕留め損ねたと知る。もう一度来る。今の身体で、正面から迎え撃つのは無理がある。

 

それでも、ランサーに訊かないまま終わる方が、嫌だった。

 

「条件を足します」

 

「聞くよ」

 

「相手がランサーだと分かったら、車を出るかどうかは私が決めます。あなたが呼ぶのでも、止めるのでもなく」

 

「分かった。そこは君が決める」

 

「車は、すぐ出せる向きで停めてください。私のいる場所から、あなたの立つ位置が見えること。あなたからも、車が見えること」

 

「うん。離れすぎない。何かあれば俺が戻る方が早い距離にする」

 

「それから。教会にも、治療先にも、こちらからは触れません。訊かれても答えない」

 

「言わない。治療先も、君のことも。話すとしても、俺自身のことだけだ」

 

バゼットは息を吐いた。

 

「一つだけ、あなたに預けます。本当に危ないと判断したら、『下がれ』と言ってください。その時は、一度は従います。理由は後で聞きます」

 

ランスロットは、すぐには返事をしなかった。彼女の顔を見て、それから頷いた。

 

「預かる。軽くは使わない」

 

「では、場所です。人が来ず、車を入れられて、すぐ出られる所。見通しが利くこと」

 

「高い建物が近くにない方がいいな。上から先に見られるのは構わないけど、降りてくる道筋がこっちから見えないのは困る」

 

「川沿いはどうですか。新都の外れまで下れば、堤防の内側に空き地が続いています。この時期、日が傾けば人は通りません」

 

「道は?」

 

「堤防の上に一本。車で入れる切れ目が何か所かあったはずです。確かではありません。見て決めましょう」

 

「了解。じゃあ、それでいこう」

 

エンジンが掛かる。車は駐車場を出て、川の方へ折れた。

 

堤防の道へ上がったのは、日が西へ寄り始めた頃だった。左手に川、右手に低い倉庫と資材置き場が続く。最初の切れ目は、降りた先が行き止まりだった。ランスロットは入らずに通り過ぎた。

 

「あそこは駄目だ。入ったら、出るのに切り返しがいる」

 

「次は、もう少し先です」

 

二つ目は、堤防の下が砂利の広場になっていた。川べりの枯れ草まで、遮るものがない。対岸は遠く、こちら側の建物は背の低い倉庫が一棟だけ。広場の端からは、堤防へ戻る坂がもう一本、下流側にも付いている。

 

ランスロットは車を一度広場へ下ろし、ゆっくり一周した。それから上流側の坂の下で向きを変え、鼻先を堤防の道へ向けて停めた。

 

「ここなら、前へ踏むだけで上に出られる。下流の坂は、塞がれた時の二本目」

 

「あなたは、どこに」

 

「広場の真ん中より、少し川寄り。君の席から見える。走れば、すぐ戻れる距離だ」

 

バゼットは窓越しに、その場所を目で測った。枯れ草の手前。車との間に、隠れられる物は何もない。

 

「いいでしょう」

 

彼がエンジンを切った。鍵は差したままにしてある。

 

川面が、傾いた日を受けて赤く光り始めていた。

「窓を下ろしておいてください。声が届くように」

 

「うん」

 

ランスロットは助手席側の硝子を半分まで下げ、それから自分の扉を開けた。川の匂いのする冷えた空気が、車の中へ入ってくる。

 

「どのくらい待つ?」

 

「日が落ちきって、肩に冷えが来たら切り上げます。その時は言います」

 

「分かった。俺の方が先に怪しいと思ったら、戻ってくる」

 

扉が閉まった。彼は砂利を踏んで、広場の中ほどへ歩いていく。上着の裾が風に少し煽られた。枯れ草の手前で止まり、川を背にして、こちらへ半身を向ける。

 

言っていたとおりの位置だった。助手席の窓から見える。

 

彼は何もしなかった。剣を出すわけでも、構えるわけでもない。両手を体の脇へ下ろし、時々、堤防の上と倉庫の屋根と下流の坂へ目をやる。散歩の途中で足を止めた男にも見える。ただ、身を隠すつもりがないことだけは、車内からでも分かった。

 

バゼットは座席に背を預けたまま、彼の向こうの空を見た。

 

赤が薄れていく。対岸の工場の煙突に灯りが点き、橋の方角から列車の音が渡ってきて、消えた。堤防の道を車が一台通る。速度を落とさずに行ってしまう。

 

倉庫の屋根。誰もいない。上流の坂。誰もいない。

 

自分でも順に確かめていた。彼が見ていない間は、彼の背中側を。

 

川面の光が鈍くなり、足元から冷えが上がってくる。右手で上着の前を寄せた。左の肩はまだ熱を持っていない。あと少しは待てる。

 

広場の真ん中で、ランスロットが一度こちらを見た。バゼットは小さく頷いた。まだいい。彼も頷き、また川下へ目を戻した。

 

堤防の上に、街灯がひとつ点いた。

 

空の色がほとんど抜けた頃だった。

 

ランスロットの首が動いた。

 

それまでの、順番に見回す動きとは違った。下流の坂の上、一点へ向いて、止まる。肩の線が変わった。力が入ったのではない。下ろしていた両手の、指だけがわずかに開いた。足の幅が、砂利の上で半歩分ずれる。

 

顔は見えた。目元から、さっきまでの柔らかさが引いている。怒っているのでも、硬くなっているのでもない。目の前の一点へ、注意がすべて揃った顔だった。

 

「バゼット」

 

声は低く、短かった。

 

「来た」

 

バゼットは窓枠に右手を掛け、彼の視線の先を追った。

 

下流側の坂の上。堤防の縁に、さっきまでなかった影が立っている。

 

人の形だった。背が高い。片手に、身の丈より長い棒のようなものを提げている。街灯の光は届いておらず、暮れ残りの空を背にして、輪郭しか分からない。

 

影は動かなかった。広場を見下ろしている。ランスロットを見ている。

 

それから、坂を下り始めた。歩いている。急がない。砂利を踏む音が、ここまで届かないほど軽い。

 

一歩ごとに、輪郭の中へ色が入ってくる。

 

体に沿った、青い装束。後ろで束ねた髪が、歩みに合わせて揺れる。肩に担ぎ直した長柄の、穂先から柄までが、残り火のような赤。

 

息が止まっていた。

 

あの歩き方を知っている。槍を肩へ載せる時の、手首の返し方を知っている。面白いものを見つけた時に、顎を少し上げる癖も。

 

右手が扉の把手を探して、引いていた。

 

足を下ろす。砂利が靴の下で鳴った。屋根の縁を掴んで体を起こし、扉の横に立つ。視界は揺れなかった。左の肩の張りだけが、まだそこにあった。

 

ランスロットが、一瞬だけこちらを振り返った。

 

何も言わなかった。目が合って、彼はまた前を向いた。

 

青い影が、広場の端で足を止める。

 

喉が乾いていた。声は、思っていたより小さく出た。

 

「――ランサー」




ようやく動き出した二人。
まず最初に確かめるのは――ランサーが今どこにいて、何をして、何を思っているのか。

次回――

「ランサー死す」

デュエルスタンバイ!


ランサー「勝手に殺すな」

……嘘です。死にません。
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