無銘の湖光 ~ランスロットとして目覚めた俺は、名を失っても世界を紡ぐ~   作:カノープス・ギア

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第7話_再開

 

槍の男は、すぐには応えなかった。

 

堤防の上を見上げたまま、赤い穂先だけが地面のほうを向いている。川から吹き上げる風が青い装束の裾を叩き、枯れ草が足もとで鳴った。

 

「……バゼット?」

 

低い声だった。聞き慣れた調子より、ずっと静かな。

 

「ええ。生きています」

 

それだけ返すのに、思ったより息を使った。バゼットは車の屋根に置いていた右手を離し、背筋を伸ばす。

 

ランサーの口が、一度開いて閉じた。

 

「――そうか」

 

吐いた息が白い。肩がわずかに下がり、槍を握る手がゆるんだのが、この距離でも分かった。

 

「生きてたか。そうか……」

 

笑いかけたような顔が、途中で止まった。視線がバゼットの顔から肩へ落ち、風に揺れる左の袖で留まる。肘の上で折って留めた布は、中身がないぶん軽く動く。

 

ランサーは何も言わなかった。言わないまま、目だけが細くなる。

 

ここからでは、声を張らなければ話ができない。バゼットは堤防の縁へ歩き、コンクリートの階段に足をかけた。手すりは右側にある。一段ずつ、膝と相談しながら下りた。昼から溜まった疲れが脚にあり、肩口の張りは冷えた空気でいっそう固い。

 

空き地の中ほどにいたランスロットが、こちらを見て半歩だけ横へ動いた。階段の下とランサーを結ぶ線を空け、そのかわり、二人と川下の暗がりを一度に見られる位置に立つ。両手はコートの外に出たままだった。

 

ランサーのほうも歩いてきた。槍は下げたまま、急がない足で。階段を下りきったバゼットの数歩手前で止まる。

 

近くで見ると、変わっていなかった。赤い目も、束ねた髪も、退屈を嫌う口もとも。

 

「その腕」

 

「ええ」

 

「誰にやられた」

 

遠回しな訊き方をする男ではない。バゼットも飾らずに答えた。

 

「言峰綺礼です。あの夜、館で。令呪ごと持っていかれました」

 

ランサーの顔から表情が消えた。

 

槍の柄が軋む。石突きが土を噛み、片足が前へ出た。バゼットへではない。彼女の肩越し、川の向こう、街の灯が坂をのぼっていく方角へ。

 

一歩で、止まった。

 

止めたのか、止まったのか、バゼットには見分けがつかなかった。ただ、踏み出した足の下で枯れ草が潰れ、握り込んだ拳の関節が白くなっている。

 

「……あの野郎」

 

歯のあいだから出た声は、それきりだった。ランサーは足を引き、長く息を吐いて、もう一度バゼットを見た。

 

「腕を落とされて、そのまま放っておかれたんだな」

 

「はい」

 

「それでどうやって生きてる。お前、そのままじゃ朝までもたなかったろう」

 

「もちませんでした。一人なら」

 

バゼットは横へ目をやった。

 

「この人が見つけてくれたんです。館に入ってきて、血を止めて、身体を冷やさないようにして、朝まで見張っていた。そのあと、治療のできる相手のところまで運んでもらいました。今こうして立っているのは、その続きです」

 

ランサーの視線が、初めてまともにランスロットへ向いた。頭から靴の先まで、値踏みを隠さない目で。

 

「アンタが拾ったのか」

 

「うん。見つけた時、まだ息があったからね」

 

ランスロットは気負いなく答えた。

 

「できたのは応急の手当てまでだよ。腕は、俺が着いた時にはもうなかった」

 

「……そうか」

 

ランサーは短く黙り、それから顎を引いた。

 

「礼を言う。こいつは、俺が守るはずだった女だ」

 

「受け取っておくよ」

 

ランスロットは小さく笑った。

 

「間に合ってよかったと、俺も思ってる」

 

ランサーは鼻を鳴らした。笑ったのかもしれない。すぐにバゼットへ目を戻す。

 

「で、そいつに連れられて、ここまで来たってわけか」

 

「いいえ」

 

バゼットは首を振った。

 

「あなたを探すと言ったのは私です。会うと決めたのも。彼には、そのための足と目を借りました」

 

「怪我人が、わざわざ」

 

「怪我人でも、訊きたいことは自分で訊きます。あなたになら、なおさら」

 

ランサーの眉が上がった。呆れたようにも、懐かしむようにも見えた。

 

「変わらねえな、お前は」

 

「変わりましたよ。腕が一本減りました」

 

「笑えねえ冗談まで言うようになったか」

 

「この数日で、少し」

 

口にしてから、バゼットは自分でも意外に思った。ランサーの前で、こういう返しができるとは考えていなかった。

 

ランサーはランスロットとバゼットを見比べ、槍を肩へ担ぎ直した。

 

「それで、そっちのはサーヴァントだろう。お前、令呪は取られたと言ったな。どういう繋がりだ」

 

「召喚したわけではありません。私が会った時、彼はもう現界していました。マスターも、供給もなしに」

 

「はぐれか」

 

「そう呼ぶのが近いかと。ですから、私のほうから提案しました。魔力の経路と、こちら側に留まるための足場を繋ぐ契約を。彼が承知して、二人で結んだものです」

 

バゼットは右手を上げ、甲を見せた。何の印もない、ただの手だ。

 

「令呪はありません。新しく宿ってもいない。私は彼に何も命じられませんし、彼も従う義務を負っていない」

 

「命令権なしで、英霊を繋いでるのか」

 

「ええ。頼むことと、断られることがあるだけです」

 

「……お前の魔力は。その身体で回せるのか」

 

「細いですよ。彼が静かにしていて、やっと保つ程度です。長く戦わせる余裕はありません」

 

ランサーはランスロットへ目をやった。さっきとは違う、戦う者の測り方で。

 

「道理で薄いわけだ。長くはやれねえな」

 

「そうだね」

 

ランスロットは肩をすくめた。

 

「でも、足りない分は二人で数えてる。今日ここに立つくらいなら問題ない」

 

「アンタはそれでいいのか。令呪もねえ、魔力も足りねえ主だぞ」

 

「俺もそれを選んだ。彼女だけが決めた話じゃないよ」

 

ランサーはしばらく、その顔を見ていた。川の音が、三人のあいだを流れていく。

 

「……要するに、そいつとはお互い納得ずくで繋いだ。で、今日はお前が自分で俺に会いに来た」

 

ランサーはバゼットへ向き直った。

 

「はい。そのとおりです」

 

「そうか」

 

ランサーは槍を担いだまま、空いた手で首の後ろを掻いた。伏せた顔が、ほんの少しだけ笑っている。

 

「なら、いい。――よく来たな、バゼット」

 

「ええ。来ました」

 

バゼットは頷き、それから足もとの土を一度踏み直した。訊くべきことは、ここからだった。

 

「ランサー。今のあなたのマスターは、誰ですか」

 

伏せていた顔が上がる。笑みはもう残っていなかった。

 

「言峰だ」

 

短い答えだった。

 

「お前との線が切れて、次に繋がった先があの神父だった。令呪もあっちの手にある」

 

「……やはり」

 

「さっきの、そいつとの契約な」

 

ランサーは槍の先でランスロットのほうを示し、すぐに下ろした。

 

「お前が新しく誰かと繋いだところで、俺とのあれは戻らねえんだろう」

 

「戻りません。あれは彼との間だけのものです。あなたと言峰の契約には触れられませんし、私とあなたの契約を呼び戻す力もない」

 

「だろうな。こっちは何も変わっちゃいねえ」

 

分かっていたことだった。協会の記録を待ち、手帳に線を引きながら、何度も同じ結論へ行き着いていた。それでも本人の口から聞くと、胸の底に置いていたものが、もう一段沈む。

 

バゼットは息を整えた。

 

「一つ、訊かせてください」

 

「何だ」

 

「私が生きていると、知っていましたか」

 

ランサーは、すぐには答えなかった。逸らしもしなかった。

 

「知らなかった」

 

赤い目が、まっすぐにこちらを見ている。

 

「俺に分かったのは、お前との繋がりがいきなり切れたことと、気づいた時にはあいつが主になってたことだけだ。お前がどうなったかは、誰の口からも聞いてねえ。聞こうにも、切れちまえば前みてえには辿れなかった」

 

「では、今日まで」

 

「死んだか、死にかけてるか。どっちかだと思ってた」

 

言い捨てる調子ではなかった。ランサーの視線が、もう一度だけ左の袖へ落ちる。

 

「半分は当たってたわけだ。胸糞の悪い話だがな」

 

バゼットは右手を握り、開いた。

 

館の床で、応えのない経路へ呼びかけ続けた夜を覚えている。届かなかったのか、聞いて来なかったのか。熱に浮いた頭で、どちらとも決められずにいた。

 

「……そうですか」

 

声が思ったより掠れたので、言い直す。

 

「知っていて来なかったのではない。それを、あなたから聞きたかったのです」

 

「当たり前だ。知ってりゃ――」

 

ランサーは言いかけて、口を閉じた。続きは出なかった。舌打ちが一つ、風に流れた。

 

「腕は戻りませんし、あの男があなたを握っていることも変わりません」

 

バゼットは続けた。

 

「ですが、一つは片づきました。ありがとう、ランサー」

 

「礼を言われる筋じゃねえよ」

 

「言いたいから言うんです」

 

ランサーは口の端を歪め、それ以上は返さなかった。

 

堤防の上を、遠くで車が一台通り過ぎる。ランスロットの目がその灯りを追い、音が消えるのを待ってから戻った。

 

「では、今の話を」

 

バゼットは顔を上げた。

 

「今夜あなたがここへ来たのは、言峰の命令ですか」

 

「ここへ、ってわけじゃねえ。街を回るのが今の仕事だ」

 

ランサーは槍を肩から下ろし、石突きを土に立てた。

 

「他の連中がどこで何をしてるか、見てこい。必要なら一当てして、腕と手の内を確かめろ。それを決まった刻限に戻って話せ。そういう言いつけだ。河っぺりに見慣れねえのが立ってたから寄った。そうしたら、お前がいた」

 

「偵察と、威力偵察。それに定時の報告」

 

「そんなところだ。槍兵に斥候をやらせるんだから、人使いの分かった主だぜ」

 

軽く言ったが、目は笑っていない。

 

「話していいのですか。私たちに」

 

「喋るなとは言われてねえ。言われてねえことまで、あいつに義理立てする気もねえよ」

 

「報告は、決まった時刻に戻るんだね」

 

ランスロットが訊いた。

 

「今夜の分は、もう近いのかい」

 

「夜のうちに一度だ。まだ間はある」

 

ランサーは空を見上げ、すぐに目を戻した。

 

「心配しなくても、話の途中で消えたりはしねえよ」

 

「それは助かる。彼女の訊きたいことは、まだ残ってるはずだから」

 

「アンタのもだろう」

 

「そうだね。俺のも」

 

ランスロットはあっさり認めた。ランサーは片眉を上げ、それからバゼットへ顎をしゃくった。

 

「見て回る中で、一人だけ名指しがある。衛宮士郎って小僧だ」

 

「衛宮、士郎」

 

バゼットは音を確かめるように繰り返した。参加者として挙がっていた名前ではない。

 

「こいつからは特に目を離すな、だとよ。理由は聞かされてねえ。見たところは半人前の魔術師だ。ただ、連れてるのが厄介でな」

 

「サーヴァントを?」

 

「セイバーだ。ついこの前、呼ばれたばかりのな」

 

バゼットの息が止まった。

 

協会の窓口が読み上げた七行。その最後の一行に、人の名前がついた。

 

横で、ランスロットが静かにランサーを見ていた。

 

「そのセイバーを、君は自分の目で見たのかい」

 

「見たも何も、槍を合わせた。呼ばれたその場に居合わせたんでな」

 

ランサーは不思議そうに目を細めた。

 

「何だ。そんなに気になるか」

 

「かなりね」

 

ランスロットは短く答え、一度バゼットへ視線を寄こした。

 

記録ではなく、刃を交えた当人の証言。昼の間ずっと欲しかったものが、目の前にある。

 

それでも、先に訊くことがあった。バゼットは小さく首を振る。ランスロットは頷き、それ以上追わなかった。

 

「それは後で、彼から話します」

 

バゼットは言った。

 

「衛宮士郎という少年が、そのセイバーのマスターなのですね」

 

「ああ。間違いねえ」

 

ランサーは槍の柄に手を重ね、バゼットを見た。

 

「言峰の命令は分かりました」

 

バゼットは、その顔から目を離さずに言った。

 

「では、あなた自身はどうしたいのですか」

 

ランサーは少し黙った。槍の柄に重ねた指が、一度だけ組み替わる。

 

「どうしたい、か」

 

「ええ。主が誰で、何を命じられているか。それはもう聞きました。私が知りたいのは、その中にいるあなたのことです」

 

「相変わらず、まっすぐ訊きやがる」

 

ランサーは笑い、すぐに笑みを引いた。

 

「主は言峰だ。そこは誤魔化さねえ。見てこいと言われりゃ見に行くし、戻れと言われた刻限には戻る。繋がれてる以上、やることはやる」

 

「はい」

 

「だがな、あいつに尽くす気はねえよ。これっぽっちもだ」

 

声が低くなった。

 

「俺が槍を預けたのはお前だ。あいつは、それを後ろから掠め取っただけの男だろうが。仕事をしてやるのと、主と認めるのは別の話だ。俺の中じゃ一度も混ざっちゃいねえ」

 

バゼットは、右手が震えかけているのに気づいた。コートの裾を握って押さえる。

 

その言葉を、聞きたかった。聞けるとは思っていなかった。

 

「……そう、ですか」

 

「何だ、その顔は。疑ってたのか」

 

「疑ってはいません。ただ、確かめるまでは分からなかった。あなたは、主が替われば替わった先で筋を通す人でもあるでしょう」

 

「筋を通すに足る主ならな」

 

ランサーは鼻を鳴らした。

 

「あれは違う。何を考えてるのか、傍にいてもさっぱり見えねえ。見て回れと言うくせに、勝つ気があるのかどうかも分からん。小僧一人をやけに気にしてる理由もだ」

 

「あなたにも、目的を明かしていない」

 

「ああ。だから見てる。命じられた分は命じられたとおりにやって、その先は俺の目で確かめる。何を見てどう思うかまで、あいつに預けた覚えはねえ」

 

諦めた男の口ぶりではなかった。獲物の足跡を追っている時の、あの目をしている。

 

「正直に言やあ」

 

ランサーは槍を握り直し、バゼットを見た。

 

「お前が生きてたのは、効いた。さっきから、どうにも落ち着かねえ。このまま槍を担いでお前の横に立てたら、どんなにか話が早い」

 

「ランサー」

 

「だが、できねえ」

 

きっぱりと言った。

 

「今ここで俺がお前の側についたら、あいつなら令呪を切りかねねえ。それで何をさせるか、お前なら想像がつくだろう」

 

つく。バゼット自身、一度はあの印を手に宿していた。あれが何を強いられるものか、使う側として知っている。

 

「……あなたの槍が、私に向く」

 

「お前か、そこの恩人にな。俺の意思と関係なく身体を動かされる。そいつだけは御免だ」

 

ランサーの目がランスロットへ流れた。試すような色が混じる。

 

「それともアンタ、あれをどうにかできる口か」

 

「できないよ」

 

ランスロットは首を振った。

 

「そう言えたらよかったんだけどね。今の俺に、他人の令呪を外す手はない。槍が向けば受けるつもりだけど、それは君の望む形じゃないだろう」

 

「違いねえ」

 

「一つだけ訊いていいかな。今夜ここで俺たちと話したこと自体は、君の首を絞めないのかい」

 

「それは俺が考える」

 

ランサーは即座に返した。

 

「アンタらが気を回すことじゃねえよ」

 

「分かった。なら任せる」

 

ランスロットはそれ以上踏み込まなかった。ランサーも、もう一度バゼットへ向き直る。

 

「そういうわけだ。今は動かねえ。あいつの下で槍を振りながら、あいつが俺に何をさせる気なのかを見極める。腹を決めるのは、それからだ」

 

川風が、三人の間を抜けた。

 

バゼットは、握っていた裾を離した。

 

戻ってきてほしい。その一言が、喉のすぐ下にある。けれど今それを口にすれば、自分が彼の首にかかった縄を、もう一方から引くことになる。

 

「分かりました」

 

声は、思ったより落ち着いていた。

 

「戻れとは言いません。今のあなたを、そんな賭けに乗せたくない」

 

「ああ」

 

「ただ」

 

バゼットは一歩、前へ出た。

 

「これで終わりにするつもりもありません。あの夜のことも、あなたが見てきたものも、まだ半分も聞いていない。私は、あなたと話がしたくて来たんです。用件を片づけに来たのではなく」

 

ランサーは目を瞬いた。それから、喉の奥で短く笑った。

 

「言うようになったな、お前」

 

「いけませんか」

 

「いいや。前よりいい」

 

肩から力が抜けた。失ったものは失ったままで、目の前の男は敵の手の内にいる。それでも、呼吸が一つ深く入った。

 

「あなたが、あなたのままでよかった」

 

「人を何だと思ってやがる。主が替わったくらいで中身まで替わるかよ」

 

ランサーは槍を肩へ戻し、いつもの調子で顎を上げた。

 

「さて。こっちは洗いざらい喋ったぜ」

 

その目が、バゼットの隣へ移る。

 

今度は長かった。立ち方、手の位置、足の置き場。順に確かめるような視線を、ランスロットは黙って受けていた。

 

「で、アンタは何者だ」

 

ランサーが言った。

 

「バゼットを拾って、令呪もなしに繋がれて、それで構わねえと言う。物好きにも程がある。どこの誰だか、聞いておきたくなった」

 

「そうだろうね。俺が君の立場でも訊くと思う」

 

ランスロットは体の向きを変え、ランサーと正面から向き合った。両手は下げたまま、声の高さも変えない。

 

「セイバー。ランスロットだ」

 

ランサーの眉が跳ねた。

 

驚いたのは、バゼットも同じだった。クラスだけで済ませることもできたはずだ。相談もなかった。だが、口を挟む場面ではないとも思った。これは彼の名で、彼が出すと決めたのだ。

 

「……待て。セイバーだと?」

 

「そうだよ」

 

「湖の騎士が出てきたのにも言いたいことはあるが、そっちは後だ」

 

ランサーは槍を肩から下ろした。構えたのではない。ただ、手の中に置き直した。

 

「セイバーなら、俺はもう会ってる。さっき話した小僧のところのがそうだ。アンタとは似ても似つかねえ。一つの戦に、同じクラスが二騎も立つかよ」

 

「立たないはずだと、俺たちも聞いてる」

 

ランスロットは頷いた。

 

「だから、さっき君の話に食いついたんだ。順に話すよ。分かってることは多くないけど」

 

「聞こう」

 

「俺がこの街に立ったのは、バゼットが襲われた夜だ。気づいたら夜道に一人でいた。召喚の陣も、呼んだ誰かも覚えがない。そのまま歩いて、あの館で彼女を見つけた」

 

「俺の線が切れた晩か」

 

ランサーが低く言った。

 

「あの小僧がセイバーを呼んだのは、その後だ」

 

「うん。そこは君の話と合う。俺のほうが先にいたことになる」

 

ランサーの目が、バゼットへ向いた。確かめる目だった。

 

「記録は私が調べました」

 

バゼットは答えた。

 

「協会の窓口に届いている召喚の記録は七件。七つのクラスがすべて埋まっていて、最後の一件がセイバーです。その前に別のセイバーが現界したという記載は、どこにもありませんでした。訂正も、追加も」

 

「つまり、こいつは数に入ってねえ」

 

「記録の上では、そうなります。ただ、別のセイバーがいるという話は、今日のあなたの証言とも一致します」

 

「正規の七騎は揃っていて、俺はその外にいるらしい。言えるのはそこまでだよ」

 

ランスロットが引き取った。

 

「どうしてそうなったのかは、俺にも分からない。それを調べてる最中なんだ」

 

「分からねえまま、名乗ったのか」

 

「隠したところで、説明のつかないのは同じだからね。それに、君は彼女の問いに全部答えてくれた。こっちだけ伏せておくのは、あまり気分がよくない」

 

ランサーはしばらく、何も言わなかった。

 

川の音だけがある。バゼットは二人の間の距離を目で測っていた。槍なら一息で届く。届かせるつもりなら、とうに届いている。

 

「……俺はランサーだ」

 

ようやく、ランサーが口を開いた。

 

「と、それで済ませるつもりだったんだがな」

 

舌打ちとも笑いともつかない息が漏れる。

 

「先に看板を出されて、こっちだけ頬被りってのは座りが悪い。クー・フーリンだ」

 

バゼットは息を呑んだ。

 

その名を、彼が自分から口にするのを聞いたのは、契約を結んだ日以来だった。

 

「クー・フーリン」

 

ランスロットは、ゆっくりと繰り返した。

 

「名前は知ってるよ。まさか本人から聞けるとは思わなかった」

 

「へえ。どう届いてた」

 

「アルスターの英雄として、名は知ってるよ。それ以上は噂と伝承だ。今日からは、こうして話した相手のほうを覚えておく」

 

「口のうまい騎士だ」

 

「本心だよ。ありがとう。名乗ってくれて嬉しい」

 

ランサーは鼻で笑った。口元には、まだ笑みが残っていた。

 

その目が、ふいに細くなる。

 

槍の穂先がわずかに持ち上がり、足が肩幅に開いた。それだけで、空気の重さが変わった。バゼットの背筋に、覚えのある冷たさが走る。

 

「本当ならな」

 

ランサーは言った。

 

「数に入ってねえセイバーなんてのを見つけたら、一当てして確かめるのが俺の仕事だ。湖の騎士の剣がどれほどのもんか、俺自身も見てみてえ」

 

ランスロットは動かなかった。右手は空のまま、重心だけがわずかに落ちる。右足が、バゼットとの間を空ける方向へ半歩ずれた。

 

「来るなら受けるよ」

 

静かな声だった。

 

「でも、俺からは抜かない。今夜は、そのために来たんじゃないから」

 

「だろうな」

 

ランサーは、その足の位置を見ていた。それからバゼットを見た。左の袖と、冷えて色の薄くなった顔を。

 

穂先が下がった。

 

「やめだ」

 

槍が肩へ戻る。張りつめていたものが、嘘のようにほどけた。

 

「こいつの命を拾った男を、こいつの目の前で突くほど野暮じゃねえ。だいたい、今の供給じゃ長くやれねえって、さっき聞いたばかりだ」

 

「助かるよ。正直、今やると後が続かない」

 

「そこは見栄を張れよ、騎士だろう」

 

「張って彼女に倒れられたら、俺が怒られるんだ」

 

「怒りますよ」

 

バゼットは言った。思わず出た声だった。

 

「あなたにも、ランサーにも」

 

ランサーが声を上げて笑った。今夜、初めて聞く笑い方だった。

 

「おっかねえ。なら、なおさらやめとくか」

 

笑いを収め、彼はランスロットへ顎をしゃくる。

 

「万全になったら、その時は付き合え。今日のところは、これで終いだ」

 

「覚えておくよ。約束まではできないけどね」

 

「それでいい」

 

ランサーは肩の槍を軽く揺すり、空を仰いだ。西の赤みはもう消え、堤防の上に最初の星が出ていた。

 

「そろそろ刻限だ」

 

星を見上げたまま、ランサーが言った。

 

「戻って、今夜の分を話さなきゃならねえ。遅れりゃ遅れたで、理由を訊かれる」

 

「ええ」

 

バゼットは頷いた。引き止める言葉は持っていない。持っていたとしても、使ってはいけない夜だった。

 

それでも、このまま背を向けさせる気にはなれなかった。

 

「ランサー」

 

「ん」

 

「……次に会った時、続きを話しましょう」

 

ランサーが顔を下ろした。

 

「訊けていないことが、まだあります。あなたに話していないことも。今夜だけでは足りませんでした」

 

いつ、どこで、どうやって。次に会うあてはまだなかった。それでも、今のうちに伝えておきたかった。

 

ランサーは、にやりと笑った。

 

「おう。今度は、もう少しマシな場所でな。吹きっさらしの河原で立ち話ってのは、怪我人に付き合わせるもんじゃねえ」

 

「私一人で選んだ場所ではありませんよ」

 

「俺も選んだな」

 

ランスロットが片手を上げた。

 

「見つけてもらいやすい所を探したら、こうなったんだ。次はもっと気の利いた所を考えておくよ」

 

「頼むぜ。酒の一つも出る所がいい」

 

「探しておく。彼女が薬を飲まなくて済む頃に」

 

ランサーは短く笑い、バゼットへ向き直った。笑みが少しだけ浅くなる。

 

「死ぬなよ、バゼット」

 

「あなたもです」

 

「俺は死なねえよ。簡単にはな」

 

それからランスロットへ向き、顎を一度引く。ランスロットも同じだけ頷き返した。

 

「またな、クー・フーリン」

 

「その名は、でかい声で呼ぶなよ。ランスロット」

 

青い背が、こちらへ向いた。

 

地面を蹴る音は一度きりだった。堤防の斜面を駆け上がった影が、鉄塔の骨組みを踏み、川向こうの屋根の連なりへ消える。追おうとしても、目が間に合わなかった。

 

バゼットは、その方角を見ていた。

 

風が左の袖を揺らす。肩口の張りは変わらず、脚は重い。立ち尽くしていた時間のぶんだけ、身体は冷えている。

 

それなのに、ここへ下りてきた時より、息が楽だった。

 

「行ったね」

 

隣で、ランスロットが言った。

 

「ええ」

 

バゼットは答えた。目はまだ、川向こうの暗がりにある。

 

「行きました」

 

◇

 

礼拝堂には、灯りが二つしかなかった。

 

祭壇の脇の燭台と、奥の扉から漏れる細い光。長椅子の列は闇に沈み、石の床が足音を硬く返す。ランサーは実体を結んだまま、通路の半ばで足を止めた。これ以上近づく気にはなれない。

 

言峰綺礼は、祭壇の前に立っていた。

 

「戻ったか」

 

「刻限どおりだ。文句はねえだろう」

 

「聞こう」

 

ランサーは、回った道筋と見てきたものを短く並べた。橋と新都、深山の坂。あの小僧の屋敷は外から眺めた分だけ。槍を抜く場面はなかった。語ることは多くない。言峰は一度も口を挟まず、最後まで同じ姿勢で聞いていた。

 

「以上だ」

 

「そうか」

 

神父は、ゆっくりとこちらを向いた。燭台の火が、その顔の半分だけを照らしている。

 

「ほかに、変わったことは」

 

川風の匂いが、まだ鼻の奥に残っていた。

 

片方だけ空になった袖。生きています、と言った声。令呪のない契約を、自分も選んだと答えた男。数に入っていない、二人目のセイバー。

 

言うべきことなら、山ほどあった。言峰が聞きたいのは、まさにそういう話だろう。

 

ランサーは、槍を肩に担ぎ直した。

 

「別に。報告するほどのもんはねえよ」

 

言峰の目が、ランサーの上に留まった。

 

長い時間ではなかった。蝋が一滴、燭台の受け皿に落ちるまでの間だ。その目から、何かを読み取れたためしはない。今夜も同じだった。

 

「そうか」

 

神父はそれだけ言い、祭壇へ向き直った。

 




評価・お気に入り登録、ありがとうございます。
読んでくださっている皆さまの反応、とても励みになっています。

さて、次回はすぐに第8話へ進まず、少しだけ幕間へ。

ランスロットがこれまでどんな時間を生きてきたのか。
戦う騎士としてだけではない、彼の人生の一端を描ければと思います。

本編では立ち止まって描きにくい時間を、少しだけ。
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日本からアベンジャーズ入りしました。尊敬する人?五代さんと一条さんです(作者:ken4005)(原作:MARVEL)

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総合評価:10420/評価:8.18/連載:107話/更新日時:2026年10月04日(日) 00:17 小説情報

お金貯まったからホロウレイダー辞めるわ(作者:イグアナ)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

将来悠々自適な生活を送るため、節約生活をしながらホロウレイダーとして活動していたイツキは、ついに貯金が目標額へと到達した。▼「お金貯まったからホロウレイダー引退するわ」▼「えっ」▼ホロウレイダーとしてのアカウントごと削除して、これからは表の人間として生きていくことにしたイツキだったが、軽いアルバイトくらいは続けることにして、ヤヌス区の六分街に店舗を構えるレン…


総合評価:18914/評価:8.76/連載:41話/更新日時:2026年10月09日(金) 04:15 小説情報


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