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なろうなどにもマルチ
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「正直いって君と婚約を解消したいんだ」
交友を深めるという名目で設けられているお茶の席で、ローレンツ伯爵家嫡男、ミハイル・ローレンツは申し訳なさそうに卓の向こうへ座る婚約者、ナオミ・メルツェル伯爵令嬢にそう言ってのけた。
「理由をお伺いしたいところです……一応確認をさせていただきますが、もしかしてここ最近親しくされているハースニール男爵家のご令嬢──アンナ様でしたか、彼女が理由ですか?」
「そうだね! なにせアンナの方がいい体をしているからなぁ。まあ冗談さ! でも性格も軽くて楽なんだよね。僕が何を言っても笑ってくれるし普段から男らしいとおだててくれるし、かといって唯々諾々と言うことを聞くだけじゃなくて適度に甘えたわがままも言ってくれるんだ。君は僕と会うたびにあれはいかがなものだと思うとか、これはナニナニだとか、僕が何かいえば『いえ、でもそれは』と否定から入るし、正直疲れちゃうんだよね。いや、悪意がないのは分かるよ。ただ滅茶苦茶疲れるんだよね、休まらないんだ。君は僕に完璧を要求するけど、僕はほら、こういう性格だからさ。君とこれから何年何十年と暮らしていくと思うとしんどくてしんどくて!」
ナオミは眉毛一本すら動かさなかった。 目の前の男が口走っている内容が、どれほど救いようのない低能の妄言であるかを正確に理解していたからである。 貴族同士の婚姻は領地と利権と血統を縛り合わせる契約であって、個人の感情など介在する余地は皆無なのだ。
「つまり
「うん、まあそうだね!」
「そうする事で両家がどういった損失を被るかご理解の上ですか?」
どうせ何も分かるまい、とナオミは内心大きなため息をつく。思えばこのミハイルという男は最初から
──多分この後、彼は満足に答える事ができないか、もしくは頭に血を上らせてこの場を立ち去るのでしょうね。彼は女を露骨に下に見ているから。やり込められれば頭にきて当然ね。
ナオミとしては、むしろそうでなくては困るといった所だった。頭も顔も性格も良いミハイルの弟、ルシアンと婚約を組みなおし、ミハイルは廃嫡されるだろう。そこまでは読めている──
つもりだった。
◆
「無論分かっているとも! 君のところのメルツェル領は国内屈指の穀倉地帯だけど、収穫した小麦を外へ運び出すための街道と河川港を押さえているのは僕のローレンツ領だろ? だからこれまでうちが通行税を割り引いて、君のところが安く食糧を卸すことで両家は長年持ちつ持たれつでやってきたわけだ。当然そこには僕らの家だけではなく大小さまざまな貴族家も関わってきている! ただ昨今は王宮で中央集権を進めたい宰相派が地方貴族の関税自主権を狙っているからねぇ……。ここ最近は、せっかく僕らの家が築き上げた
「え……は、はい、そうだと……おもいます……」
ナオミは仰天した。アホで低能のボンボンがこれ以上ないほど正確に両家の状況を把握している事に。すると、そんなナオミの顔を見て心中を読んだかのように、ミハイルは苦笑いを浮かべながら言った。
「ナオミ、君は僕を露骨に見下しているけれど、別に僕でなくとも貴族家に生まれた者なら皆これくらいの政治力学は心得ているものだよ! あとね、もう少し気持ちを隠す努力をした方が良い。君の表情、視線の遣り場、足の位置、声色──ありとあらゆる要素が君の内心を僕に伝えているんだ。別に僕だけがこういう事を出来るわけじゃない。皆出来るのさ。
ついでにおっぱいも大きいしね、と嘯くミハイルを見てナオミは不意に、目の前に立つ男が自身の知るそれとは全くの別人に見えた。
「それで両家の被る損失なんだけど、要は僕らが損をしなければよいんだよね。だからローレンツ伯爵家の主導で、先月君のお父上と『東部通商共同規約』の調印を済ませたのさ」
ナオミは一瞬呆気にとられたような表情を浮かべた。
──え……先月? お父様と?
ナオミは父であるメルツェル伯爵からそんな事を一言もきいていない。
混乱冷めやらぬ中、ミハイルは続けた。
「メルツェル領の穀物輸送とローレンツ領の河川港を一本化して、利益の分配率を恒久的に固定したんだよ。周囲の小貴族たちにも運送の優先枠を配分して仲間割れを防ぐ仕組みにしたから、宰相派の離反工作もこれで完全に封じ込めたわけ。もちろんトンプソン侯爵が割り込む隙もない。つまり両家の結束を担保するのに僕たちの婚姻なんていう脆い鎖はもう必要ないんだよ。まあそこまで話を持っていくのは中々苦労したし、僕も色々と交渉の場に出向いて──ああ、それはもう君には関係のない事か。ちなみに君が乗り換えを期待していた僕の弟だけど、彼は王宮の重鎮の娘との縁談が決まったから諦めてね。君も嫌いな僕と結婚なんかしたくはないだろう? それで──どうかな、これならすべて丸く収まる完璧な手だと思わないかい?」
ミハイルは立ち上がり、言葉を発せないナオミに近づき、その背に回って囁くように言った。
「君は最初から僕を試していたよね。僕が君の相手としてふさわしいかどうか。最初は面白いなと思ったんだ。普通はそういう事はしないから。だってそうだろう? 試すっていうのはさ、お眼鏡にかなわなければ切り捨てても良いって意図をもって行われる敵対的な挑発だと僕はとらえているんだけど、自分からそれをすれば、自分もまたそうされないわけがないよね。だから僕も君を試したのさ。君が僕の結婚相手としてふさわしいかどうかを。結果は──不合格だよ、君。何か言いたい事はあるかい?」
ナオミは何も言い返せない。
何を言えば良いのか分からなかったからだ。
彼女が知る世界とは、美麗な立ち絵と都合の良い選択肢で進む乙女ゲームの世界だ。その世界のテンプレートに照らし合わせると、ミハイルは愚鈍な噛ませ犬にすぎず、女を見下しては自滅し、聡明な弟ルシアンに家督を奪われるというのが筋書き・お約束であった。領地経営や宮廷の派閥争いなど、ヒロインの前に立ちふさがる障害を彩るための耳障りの良い背景設定にすぎなかったのである。
何を言えばいいのか。
これからどうなるのか。
何も何も、分からない。
ただ、自分が何やらよくない状況にあることだけは分かっていた。
かすかにひゅう、ひゅうと鳴る音が聞こえる。
自分の喉から鳴っている音だと気づいたのは、数秒経ってからだった。
(了)