Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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34:女神の遣い

「例えば、自分の国が滅びませんようにとか……」

 

「千六百年後のことを今願っても仕方がない。

 先祖さえ生まれていない子どもの葬式を、キャンセルなんて出来やしないさ。

 君こそ、この平和が永遠に続きますようにと願わなくていいのかい?」

 

 凛は唾を呑み込んだ。夢で見た、星をも飲み込む宇宙の闇。それがじっと見つめている。

 

「……願わないわ。

 永遠の平和って、対立もないけど、競争も生まれないということでしょう。

 あなたが、魔術の衰退を指摘したのと同じことよね。それは停滞よ。

 そうなったら、人間は腐って滅びると思うの」

 

 アーチャーはゆっくりと瞬きをした。その色は、茫洋としたいつもの彼の目だった。

 

「たしかに君は賢者だ。

 それ以前に、この願いのスピードはどのくらいなんだろう」

 

「は?」

 

「宇宙で最速なのは、現在のところ光だが、

 それで進んだとしても私の国まで届かないよ」

 

 凛はぽかんと口を開けた。そういえば、そんなことを言っていたっけ。奴隷だった先祖が、五十年をかけて、一万光年の逃亡の果てに新たな惑星を見つけたとか何とか。彼の先祖は、光の二百倍の速さで宇宙を航行していたのだ。

 

「え、ちょっと待って。あんたの国は、地球から……」

 

「ざっと一万一千光年ぐらい離れてる。

 首都のある恒星バーラトは平凡な星だから、

 地球最大級の望遠鏡でも見えるかどうか。

 千六百年じゃ、十分の一を超えたぐらいの距離しか到達しないなあ」

 

「いちまん、いっせん、こうねんって……ええ!?」

 

 たどたどしい鸚鵡返しをした凛に、更なる事実が突きつけられた。

 

「私の時代なら、亜空間跳躍航法で二か月ぐらいで行けるけどね。

 一日百五十光年ぐらいは進む。航路図があるおかげだ。

 そいつがない、未踏の領域を航行したから五十年もかかったのさ。

 自由惑星同盟は、地球のあるオリオン腕じゃなくて、サジタリウス腕にあるんだ」

 

「その、オリオン腕とかなんとかって、何なのよ!?」

 

「銀河の渦の名前だよ。サジタリウス腕はここの一本隣だ。

 銀河系中心に近い方になる」

 

 凛の思考が固まった。改めて聞かされると本当にとんでもない。アーチャーは、先人の苦労をしみじみと語った。

 

「渦の間にある、航行不能宙域を乗り越えるのが大変だったんだよ。

 千六百年後でも、二か所の回廊宙域しか見つかってないんだ」

 

 彼の時代になると、一日に光の何万倍もの距離を飛ぶというわけだ。それでも宇宙は広大で、謎と危険に満ちている。

 

「うそぉ……亜空間跳躍って、それ」

 

「君の言う、平行世界の運用の一歩手前じゃないかな。

 ほぼ時差なく一万光年に届く、超光速通信波なんてのもあるが」

 

 凛は頭を抱え込んだ。聞くんじゃなかった。

 

「ま、世界の内側ってのが地球を指すなら、どのみち範囲外。

 人間のいる領域だとしても、願いが光速なら時間が足りないってわけさ。

 逆に一瞬で届いたら、千六百年後までエネルギーが残るとは思えない。

 エネルギーの恒久的な保存なんて、それこそ第三魔法と同じだ。

 そいつができるなら、聖杯戦争なんて必要ないじゃないか」

 

 道理で、アーチャーが聖杯に願いを抱かないはずだ。ヤン・ウェンリーは千六百年先の未来、一万一千光年離れた星の住人。彼の時代では、その距離も二か月で飛べる。科学が魔法の領域にまで迫っている。だからこそ、限界が見えるのだろう。

 

「ん、待てよ、銀河帝国の首都星になら届く、かなあ?

 彼のお姉さんが、皇帝の寵姫になりませんようにと願うか……」

 

 ヤンは髪をかき回しながら、脳裏で距離を計算した。ヴァルハラ星系オーディーンなら、地球から八百光年ぐらいだ。しかしすぐに首を振る。

 

「うーん、どう考えても、そこまで彼に塩を送る義理もないよな。

 というか、むしろ塩を撒いて追っ払いたかったし。

 世界の外側の座にいる英霊が不変なら、意味ないだろうからなあ。

 私なんかが英霊になれるんなら、彼は確実になってるはずだ」

 

 凛のサーヴァントは、聞き捨てならない言葉を続けざまに放った。

 

「あ、あなた……何を言ってるの?」

 

「言峰神父が言ってただろう。世界の内側の願いなら、おおよそ叶うって。

 『内側』に降り立ったサーヴァントの願いは叶う。

 だが、『外側』の座にいる本体に影響を及ぼすものではない。

 そういうことじゃないだろうか。確証も何もない、私の憶測だけど」

 

 暖房の効いている部屋なのに、背筋に霜が下りていく。

 

「君の研究テーマの平行世界とは、

 歴史年表が何冊も隣り合わせに並んでいるような感じなのかねえ?

 本ごとに、ページの記述は微妙に異なっている。

 英霊は本棚の前の閲覧者だけど、サーヴァントは本に突っ込まれたしおり。

 この本の中なら、しおりとして干渉できるけど、よその本には関係ないし、

 本の中に戻れない本体にとって、大した意味はない。

 そう推測しているんだが、どうなんだろう?」

 

 凛の前にいるのは、知恵と戦の女神の使いだった。黄昏に飛び立ち、海鷲の群れを蹴散らし、黄金の有翼獅子をも爪に捕らえる梟。昼の微睡みから目覚めれば、微かな光で彼方を見つめ、わずかな音も聞き漏らさない。

 

「わからないわよ!」

 

「そりゃそうか。一回も成功していないものなあ」

 

「うっ……」

 

 痛いところをずばりと衝かれ、呻き声しか出てこない。ヤンは肩をすくめてみせると、右手の指を立てて、判明しているサーヴァントを挙げていく。

 

「その辺を割り切ったサーヴァントならいいんだがね。

 クー・フーリンは確実にそうだから、敵にはしたくないんだよ。

 ヘラクレスは、イリヤ君の意志に従うだろうから、

 彼女と背後の面々を味方にできるかが鍵だね」

 

「ランサーはわからないけど、イリヤはアーチャーに懐いているものね。

 あのバーサーカーなら、クー・フーリンには有利よ。

 マスター殺しに出られたらまずいけど」 

 

「そいつはランサーの望むところじゃないだろうが、

 令呪に逆らえないのがサーヴァントの悲しさだからなあ。

 早いところ、彼のマスターを割り出しておきたいんだがね」

 

 それも会食の目的の一つだ。キャスターとの会合を乗り切らなくてはいけないが。 

 

「これほど魔術に詳しいキャスターなら、このカラクリも承知のうえだろう。

 それで召喚に応じたのならば、望みによっては折り合える。

 彼女はアサシンの動向を知っているから、同盟なり利害調整をしておきたい」

 

 ヤンは説明を続け、薬指と小指も立てる。生前はほとんどできなかった、戦略家としての本領発揮だった。ここまでで立てられた指は四本。アーチャーを除くと残り二騎になる。

 

「セイバーはどうするの?」

 

 親指が立てられ、次に左手の人差し指も立つ。

 

「一番切実に聖杯を求め、一回失敗しているセイバーがもっとも危なっかしい。

 士郎君に慎二君の対応をしてもらい、彼女にはライダーに目を向けてもらう。

 桜君に対する為にも、士郎君と藤村先生の協力が欲しい。

 彼は君の弟子で桜君の兄貴分、彼女は二人の姉貴分で、最近身近に接しているしね」

 

「そんなことで、大丈夫かしら……」

 

「それが管理者(セカンドオーナー)遠坂凛の腕の見せどころさ。

 お墓参りをしたり、切嗣氏の遺品整理をするのは

 士郎君やイリヤ君にとっていいことだと思うんだ。セイバーにとってもだよ」

 

「セイバーにとっても?」

 

 首を傾げる凛に、ヤンは頷いてみせた。

 

「前回の失敗の遺恨はあるだろう。

 聞いた限りじゃ、円満な主従とは言い難そうだしね。

 余計にむきになるってことはあると思うんだよ。

 その養子と向き合うことで、彼女には見えなかった衛宮切嗣が見えてくるだろう。

 冷静になってから、聖杯の取得をよく考えてほしいんだ」

 

 まどろっこしいと思っていたアーチャーの牛歩戦術だが、二重三重に意味があったのだ。

 

「セイバーを止めてたのはそのせいだったのね」

 

「あとは魔力の補給だね。戦いで一番重要なのは食料と機動力なんだ。

 武器がなくても、そいつがあれば逃げられるからね。士郎君の調子はどうだい?」

 

 波打つ黒髪を飾るリボンが、力なく右往左往する。

 

「スイッチは出来たけど、肝心の魔術回路の稼働はまだまだよ。

 なにせ、二十六本分も認識が出来てなかったぐらいだもの。

 あいつのは、ちょっと普通じゃなくって、神経と一体化してる。

 わたしが魔力をほとんど感じなかったのは、そのせいもあると思うわ。

 一応、ラインはつながったようだけど、糸みたいなものよ」

 

「満タンまで時間がかかりそうってことかな?」

 

 リボンの蝶が上下に動いた。ガソリン用のノズルではなく、実験用スポイトで給油しているようなものだ。せめて、手動式の灯油ポンプぐらいには動いてくれないと困るのに。

 

 おまけにセイバーのスキルの一つも問題であった。

 

「あんたが止めたのは正しかったと思うの。

 ランサーと戦ったときに、セイバーのスキルが見て取れたけど、

 魔力放出で腕力なんかをブーストしているのよ。その分魔力を食ってるはず。

 今の状態で連戦して、宝具なんか使ったら、彼女は消滅しちゃうわ。

 アーチャーもあんまり連戦しないでちょうだい。

 で、多少は魔力を補うためにも、あんたも食事しなさい」

 

 アーチャーは決まり悪げに黒髪をかき回した。

 

「私まで、君んちのエンゲル係数を悪化させる存在になろうとはね……。

 それにしても、君が料理するなんて意外だなあ」

 

 形のよい眉が、ぴくりと動いた。

 

「見くびらないでよ。ルゥを使っているカレーより、私の方が上よ。

 あんた、中国がルーツって言ってたけど、中華料理って平気?」

 

「うん、コーヒー以外に嫌いなものはないよ。ありがとう、マスター」

 

「じゃあ、客用寝室の掃除でもしてて」

 

 凛は台所へ、アーチャーは寝室へと身を翻したその時、遠坂邸の電話が鳴り響いた。凛は受話器に手を伸ばし、応対する。流れてきたのは英語だった。時計塔からの電話だ。やりとりをするうちに、凛の額に皺が刻まれた。次に白い氷にひびがはいって、蒼い水流が現れる。最後に浮かんだのは、美しき微笑だった。

 

「くわばら、くわばら」

 

 ヤンは呟いた。仰せのとおりに掃除して、落雷を避けよう。そう思ってドアノブを捻ったがピクリとも動かない。魔女の仕業だ。恐る恐る背後を振り向くと、完璧な笑みを浮かべたあかいあくまが手招きをしていた。

 

『あんたが電話に出なさい。嫌味の限りを言ってやって。

 連絡つかないんですって。今回の参加者と前回の参加者、両方がね!』

 

 心話で命じられて、しおしおと電話を替わったアーチャーの眉がはね上がり、マスターのオーダーに応えたのは、それから三十秒と経たない後のことであった。

 

***

 

 凶報二つに、もう一つも吉報とは言えなかった。ロンドンの時計塔からの返事は、時計塔から公式に聖杯戦争に参加した魔術師は二人。彼らの双方と連絡が取れないという。

 

 それに先駆けて、昨晩の内に電話をしたのは、アーチャーことヤン・ウェンリーである。凛の英語力は高いが、聖杯の加護により言語の壁がないアーチャーの方が適任だ。なにより、交渉や尋問の能力は従者が主人に遥かに勝る。

 

 ――始まりの御三家、聖杯の担い手アインツベルンと、冬木の管理者遠坂が望んでいるのは、聖杯戦争を一時停止し、不具合発生の疑いが濃厚な、聖杯のシステムを解析することだ。

 

 この状況下での交戦は、我々ともう一組の主従の望むところではない。しかし、主催者の言葉を信じるのも難しいだろうから、教会からも停戦の呼びかけを行うように依頼した。だが、潜伏行動中のマスターへ伝達できるか定かではない。ゆえに、時計塔からも連絡をお願いしたい。

 

 ヤンの依頼に対し、相手の対応は煮え切らないものだった。さすがにカチンときたヤンは、勤め人ならではの啖呵を切った。

 

「そちらの所属の魔術師にとって、時計塔は生命線でしょう。

 なんらかの連絡方法はお持ちのはずだ。給与口座とか、雇用保険とかね。

 そして、第四次聖杯戦争に、時計塔から参加した魔術師がいるならば、

 是非教えていただきたいことがあります。ご連絡をお願いします。

 は、私ですか? 遠坂のサーヴァントである、アーチャーと申します。

 じゃ、よろしく」

 

 これが、一昨日の深夜に掛けた電話の内容である。ロンドンはちょうど午後のティータイムの頃だった。神秘中の神秘、人から昇華した英霊の一欠片であるサーヴァントが、まさか、こんなに俗っぽい事務連絡を電話でやろうとは。従者にやらせたのは凛だが、電話を受けた時計塔が気の毒になってしまったものだ。

 

 だが、今にして思えば、もっとガツンと言わせてやればよかった。

 

 職員も引っくりかえりそうになったろうが、学び舎も上へ下への大騒ぎになったのは想像に難くない。万事、秘密主義に権威主義、しごく腰の重い時計塔が、翌日に連絡をくれるなど、開設以来の快挙に違いあるまい。

 

「はあ、二人とも連絡がつかないと……。

 お宅の安全対策はどうなっているんですか。

 魔術は死を許容する? 聖杯戦争は魔術師としての栄誉?

 へえ、随分なたわ言をおっしゃるものだ。

 そちらから参加した魔術師も、一家の当主や次期当主になるのでしょう。

 そこからそっぽを向かれて、お宅の今後の経営が心配ですよ。

 私のマスターが入学し、卒業するまで存続するんですかねぇ?」

 

 電話の向こうの人間は押し黙ったらしい。アーチャーの舌が切れ目なく火を噴いたからだ。

 

「前回の正規の参加者は、そちらの講師だったロード・エルメロイ氏。

 こちらは死去なさっていると先日うかがいましたがね。

 前回といい、今回といい、そんな調子だとますます心許ないですね。

 いっそ、名物講師だという方を、アインツベルンと遠坂で招聘し、

 家庭教師になっていただいたほうがいいんじゃないのかな、マスター」

 

 送話口を押さえもせずに、アーチャーは凛に質問した。

 

「後で考えるから、続けなさいアーチャー」

 

 彼の質問に、日本語で答える凛だ。マスターが来年入学しようとしている学校に、サーヴァントが喧嘩を売るなんて……。

 

 しかし、アーチャーの非難にも大いに頷ける。大学に進学したかった人間だけに、時計塔の体制がいたく不満らしく、正論でくるんだ毒舌を叩きつけている。

 

 前回の参加者については、昨日連絡した時に教えてもらうことができた。故人であるロード・エルメロイこと、ケイネス・アーチボルト・エルメロイは、降霊科の神童とまで呼ばれていたらしい。そして、風と水の二重属性を持ち、礼装は水銀。

 

 アーチャーが言うには、アインツベルンはケイネスに協力して貰うべきだったそうだ。敵として排除するより、戦争に敗れることも考慮して、六十年後の布石を打ったほうがいい。略歴を聞くに、たしかに聖杯を研究する適性が高そうだ。

 

『いや、切嗣氏よりも婿入りさせるべきじゃないか。

 アインツベルンの願いは、第三魔法の復活のはずだ。

 切嗣氏の魔術がどんなものかは知らないが、十代で神童と呼ばれた人と、

 魔術師殺しと呼ばれた人では、学者としてどちらが適しているだろうか。

 降霊の専門家ならば、魂の物質化にも大いなる栄光を感じてくれるだろうに』

 

 衛宮切嗣が聖杯にかけた願いを、はっきりと知る者はいない。

 

『士郎君への遺言からすると、正義と平和、救済というのが彼の願いのように思える。

 戦いに勝ったとして、第三魔法を復活させてくれるだろうか。

 あるいは魔法を復活させて、魔法使いになるのが余所者でいいのかい?

 それとも、マダム・アイリスフィールが魔法使いになるならば、

 誰を不老不死にするのか』

 

 今日の授業中、凛に心話で明かされた考察だが、改めて考えると眉間に縦皺が寄ってしまう。こうやって整理されてみると、戦闘力にのみ秀でた傭兵の婿入りには無理がある。衛宮切嗣には、彼なりの願いがあったのではないか。それが舅と一致しているとは限るまい。

 

『魂の物質化を、自分にかけられるならばいいが、無理ならどうする。

 よそ者の夫、魔術師殺しを不老不死にしていいものかな?

 冬木の聖杯の力を、ドイツのアインツベルンまで持ち帰れるのか。

 今まで成功していない儀式なんだから、誰にもわからないんだ。

 その場で願いを叶えるほうが、素人には確実だと思えるんだがね。

 凛は宝石に魔力を貯めておくことができるが、魔術師がみんなできるのかい?』

 

『宝石魔術は、流動と変換の特性を持っていないと難しいけど、

 アインツベルンの魔術は錬金術だったわね。

 聖杯の器にそういう仕掛けをしておけば可能かもしれない。

 でも、魔術基盤の冬木から離れて、平気かはわからないわ』

 

 アーチャーの言葉に首を捻りつつ、凛は自分の迂闊さに理科の教科書の裏で歯噛みした。優勝したら魔力をとっておくことを考えていたが、最上質の媒体が大量に必要だ。

金庫ではなくて、遠坂家の地下室から屋根裏まで満杯になるぐらいの宝石が。当然そんなものはない。そこで大量の宝石を願ったら、溜める魔力は残らない。

 

『ああもう、十年での再開なんてイレギュラー、不利ばっかりじゃないの!』

 

『……あのねえ、六十年周期で巡ってくる彗星が、十年で訪れたら凶兆じゃないか。

 正常な軌道を外れてるってことだ。

 衝突するんじゃないかと心配するのが当然で、

 チャンスと思って飛びつく、君たち魔術師がどうにかしてるよ』

 

 ちょうど授業でやっていた地学の内容で皮肉るなんて、何て憎たらしいサーヴァントだろう。とっても悔しいが、口に出して反論できなかった。……授業中だったから。

 

 おのれ、知能犯の確信犯め。思い出しても腹が立つ。凛は、罪もない白菜を一刀両断にして憂さを晴らした。

 

『そんな不測の事態だって、いくらでも起こりうるんだよ。

 外部に助力を頼むなら、価値観を共有できそうな人の方がいい。

 九代も続く魔術の名家ならば、うってつけだろうに』

 

 彼の死去に伴い、教え子がエルメロイの名を継いだ。彼は優れた教師だが、術者としては二流半。エルメロイ家の魔術刻印も失われ、家門の伝統や栄誉も地に墜ちたそうである。

 

 それは、遠坂家が追うことになるかもしれない道だった。父の死に際しては、魔術刻印の保全が間に合った。魔術の知識は伝達もなされた。遠坂時臣が万全の手はずを整えていたからではあるが、後見人言峰綺礼の力も大きい。

 

 さもなくば、アーチャーの嫌味は遠坂家にも浴びせられたのであろう。

 

「へえ、辞められたらお困りになるのに、

 先代のエルメロイ氏の戦争参加は止めなかったんですか。

 その二代目ロード・エルメロイ氏が、前回のイレギュラーのマスターですか。

 で、あなたが名乗られたのは、エルメロイでもベルベットでもなかったですが、

 ご本人はどうしていらっしゃるんですか」

 

 生前は凄腕の事務の達人がいたので、この手の要求はやらずに済んだ。経験がないため、先日に引き続き、ヤンは先輩のやり口を真似てみた。効果は絶大だった。顔の見えない電話ならではのプレッシャーもあったろう。サーヴァントの詰問に、相手はたまらず口を割ってしまった。

 

「は、エジプトへ出張中? ……いいなあ……。実に羨ましい。 

 連絡がつかないんですか? ライバルの本拠地だから難しい?

 いや、学問の府なら競い合い、協力してなんぼでしょう。

 早急に連絡してください。

 ロード・エルメロイ二世と、冬木入りしているはずのマスター二名にです。

 遠坂まで連絡が欲しいと。できれば明日中、不可能ならば明後日までに。

 連絡が来るまで、こちらから時計塔に連絡を続けますからそのおつもりで」

 

 言うだけいって、アーチャーはかなり乱暴に受話器を置いた。

 

「まったく、どうなっているんだ。危機管理がザルどころか枠じゃないか!」

 

 ぶつくさ言いながら、隣のキッチンに入り、椅子にどかりと座り込む。護衛嫌いで、要塞防御指揮官にお小言を食らったのを、遠くの棚に投げ上げた発言だった。だが、それを告げ口をする者はいないのだから構やしない。

 

 イリヤが評するように、アーチャーの声はとおりがよく、食事の準備中の凛にも明瞭に届いていた。

 

「やっぱり、あんたの言ったことが正しかったような気がするわ。

 これは魔術の勝負、マスターには殺すまでの危害を与えないって、

 そういうことを時計塔に言ってたのかもしれない。

 そして、十年前の冬木の災害と、聖杯戦争との関連があると思っていないんだわ。

 参加者との連絡もままならないなんて!」

 

 ぼさぼさになった髪を更にかき混ぜて、アーチャーは渋面を作った。

 

「そのとおり。脱落したサーヴァントはいないが、

 マスターはその限りじゃないのかもしれないなあ」

 

 凛は、海老の殻を剥く手を止めた。

 

「うう、じゃあ、こういうことよね。

 所在とマスターがはっきりしない、ランサー、キャスター、アサシンの、

 三分の二が時計塔の魔術師のサーヴァントだって。

 で、二人とも連絡が取れない。脱落してるのかもしれないって!」

 

 悲観的だが、蓋然性の高い推論である。アーチャーは楽観論を捻り出してみた。

 

「キャスターはアサシンの動向を知っている。

 この二者のマスターが、連携して篭城しているのならいいんだが」

 

 これは即座に駄目だしを食らった。

 

「よくないでしょう、よけいに危険よ!

 私と士郎とイリヤにアーチャーじゃ、死にに行くようなものじゃない」

 

 事象を分析すれば当然だが、この子は賢いとヤンが感心するゆえんだ。素質の差はあれど、ほぼ独学なのは凛も士郎も一緒だろう。学び、考え、改善することの適性が、魔術師としての二人の格差につながっている。良い悪いではなく、向き不向きということだが、双方の交流は互いに実りをもたらすだろう。

 

 そんな前途有為な少年少女を、若死にさせるなんてとんでもない。

 

「だからこそ、夜じゃなくて昼間に行動するんだよ。

 おおっぴらに集団行動する人間が、いきなり失踪したら不審に思われる。

 あのキャスターならば、そんな下手を打たない」

 

 たしかに一理ある。

 

「だといいんだけど……。

 まあ、柳洞くんも普通に学校に来てるし、

 お寺の参拝者が帰ってこないなんて騒ぎも聞かないし、

 なんとかなるかしら?」

 

「士郎君に、藤村先生にも同行していただくように頼んでもらおう。

 日程的にきっとそうなるだろうけど、念を入れてね」

 

「わかったわ、士郎に電話しとく。

 イリヤと一緒に、藤村の親分さんに話を聞くんだから、

 藤村先生も同席するでしょうしね。弓道部は午後からだし」

 

「ただ問題は、私が長時間実体化する必要がある。大丈夫かい?」

 

 凛は海老の殻剥きを再開しながら、昂然と宣言した。

 

「やってやろうじゃないの! そうと決まれば食事よ。あんたは掃除!」

 

 アーチャーは首を竦めた。

 

「ま、魔力節約のために霊体化しようかなーと……」  

 

「霊体化は節約にはなるけど、魔力の取り込みには効率が悪いのよ。

 あんたも寝てるうちに実体化してるでしょ。だから、サボらないでやりなさい」

 

「はいはい……」

 

 遠坂家の家具は、どれもこれも由緒あるアンティークだ。掃除が下手ということを差し引いても、ヤンは十倍になった腕力で扱いたくない。彼の世界の地球では、全面核戦争によって、地上の多くが灰燼と化した。地下金庫などに保管されていた美術品と異なり、木製家具は日用品だ。ゆえにほぼ全てが焼失した。たとえ難を逃れていたとしても、ヤンの時代まで千六百年もの時が流れている。

 

 もしも、どこかからこの家具で発見されたら、とてつもない金額になるはずだった。宇宙暦八百年にあるとするならば、ゴールデンバウム王朝の皇宮『新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)』ぐらいだろう。

銀河帝国の皇帝でも、入手できるかわからない貴重品なのだ。

 

 根っから小市民のヤンは、へっぴり腰で、そろりそろりと不器用にはたきを動かした。それでも、階下から食事の支度を告げる声が聞こえる頃には、ひととおりの埃をはたき、箒で集めてゴミ箱に。カーテンをしたまま、細く窓を開けて、空気を入れ替える。

 

「それにしても、どうしたものかね……。わかった、今行くよ」

 

 明日のランサーとの食事をどう乗り切ったものか。マスターらやセイバーが思うほど、ヤンも能天気に楽しみにしているわけではない。凛が作ってくれたのが、最後の晩餐となるのかもしれなかった。


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