Fate/sn×銀英伝クロスを考えてみた   作:白詰草

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45:眠りと覚醒

 奇しくも凛は、アーチャーにしたのと同じ疑問をその男にぶつけた。同じ黒とアイボリーの服装だが、彼が現れたなら即座に英雄豪傑と認識できただろう。

 

 鍛え抜かれた長身に、灰色がかった褐色の髪と瞳、年齢は三十歳前後ほどか。類まれな美男子だが、目元口元に現れた不遜な笑みが、ただならぬ存在感を醸し出している。誰何の声に、彼は美しい敬礼で答えた。

 

「小官はワルター・フォン・シェーンコップ。階級は中将です。

 司令官不在につき、幕僚の次位者としてマスターに報告します」

 

「その声は……。あっ、あなた、さっきランサーと一騎打ちしてた!」

 

「Ja. 失礼」

 

 恭しい口調で一礼すると、シェーンコップと名乗った男は、優雅な身のこなしでリムジンに乗り込んだ。

 

「大した腕前でした。さすがに、第三艦隊の旗艦に名を冠せられた英雄ですな。

 どうやら全力ではなかったようですが、おかげで当方の被害はゼロ。

 ただし、司令官はしばらく現界ができません」

 

 そのランサーと互角の一騎打ちを演じたこの男も、勇名を馳せた英雄だったことだろう。

 

「その間、ご自分の身はご自分で守ってください。

 私は聖杯戦争の成否なんぞ興味はありませんが、

 人死にが出たら、あの人は御三家を潰しにかかりますよ」

 

 少年少女らを等分に見やる灰褐色の瞳に、危険な輝きが浮かんだ。

 

「そして、閣下からの伝言です。キャスターとは一応の停戦を結んだ。

 門番のアサシンについては不明だが、無用な手出しをしないようにと。

 もう一つ、深山の一家殺人を調べろと。では、小官も失礼します」

 

 言うだけ言うと彼も姿を消した。ついに凛は絶叫した。

 

「な、なんなのよ、一体!?」

 

「遠坂にわかんなきゃ、誰にもわかんないと思うぞ」

 

 もっともすぎる士郎の指摘だった。

 

「そうよ、リン。マスターなのに、アーチャーの宝具を知らないだなんて」

 

「あいつ、最初に銃を出したのよ。使えそうな宝具はこれって。あっ」

 

 凛は髪をかき混ぜながら、己のサーヴァントの策士ぶりに今さら舌打ちした。

 

「使えなさそうだから黙ってたのね。あんの、腹黒め……」

 

「でも正しくないか? あの人数、うちの学校の校庭ぐらいじゃ入りきらないだろ」

 

 士郎の言葉に、セイバーは固い表情で頷いた。

 

「そうですね。およそ千数百人はいたでしょう」

 

「そんなに!?」

 

 金髪が再びと頷く。

 

「いずれも尋常ならぬ勇士たちでした。

 似たような宝具は見たことがありますが、あれとは違うようです」

 

「本当!? どんなのだったの、セイバー?」

 

「前回のライダーも軍勢も召喚しましたが、あちらは固有結界というべきものでした。

 彼らが共有する意志が、軍勢を内包する世界を作り、風景すら変えてしまう。

 ですから、あれだけの広場は不要だったのですが」

 

「うー、それに比べると一見凄いけど、半端よね」

 

 無理もない。未来の英雄なだけに、神秘の格は低いのだ。

 

「真名を開放させずに、互角に打ち合ってくれただけで御の字ってことね」

 

 嘆息する凛に、士郎は思い切って疑問をぶつけた。

 

「なあ、遠坂。アーチャーは何者なんだよ。あの軍勢、絶対におかしい。

 銃が台頭したから、鎧の騎士がいなくなったって、あいつ自身が言ってた。

 でも、何十人もでっかい銃を持ってたんだ。

 それにあの斧、鉄でも銀でも金でもないぞ!」

 

 赤と緑が瞬く。士郎の動揺と口止めを指示した巨漢を見たイリヤが、代表して口を開いた。

 

「どうしたの、シロウ。木こりの話みたいなこと言うのね。なんの斧なの?」

 

 士郎は唾を呑みこみ、解析の魔術の結果を少女らに告げた。

 

「――ダイヤだ。ダイヤみたいなもの!」

 

 少女たちは顔を見合わせ、次の瞬間に車内が叫びで満たされた。遮音性の高いリムジンが、それを外には響かせなかったが。

 

「な、だ、ダイヤぁ!?」

 

「ああ。斧もあいつ一人が持ってたわけじゃない。

 ほとんど全員が持ってるんだ。あんなでっかいダイヤのを」

 

 現代の技術でも人工のダイヤモンドを作ることはできる。しかし、あれほどの大きさの結晶を作るのは不可能だ。

 

「う、嘘……なんて無茶苦茶……。

 こっちは、宝石剣目指して四苦八苦してんのに、ダイヤで斧ですって!?」

 

 セイバーは、詰めていた息を吐き出した。

 

「とてつもない武具です。どれほどの富があれば可能なのか、見当もつきません」

 

「……どうしてわかったの、シロウ?」

 

 真紅の瞳を向けられて、士郎は夕日色の頭をかいた。

 

「う、その、悪い。遠坂には止められてたけど、つい、解析を……」

 

「もう、やっちゃったことは仕方がないわね。

 あんたが平気ならいいわよ、別に。で、アーチャーの事を知ってどうする気?

 士郎が知るべき相手は、他にいるんじゃないの?」

 

 イリヤしかり、セイバーしかり、そして衛宮切嗣しかり。

 

「それとも敵として知りたいの?」

 

「いや、そういうわけじゃ……」

 

「じゃあ黙ってて。あいつが真名をばらしたからといって、

 わたしが正体を明かすと思ったら大間違いよ」

 

 翠の炎が琥珀を焼き焦がす。

 

「知りたいなら、自分で調べることね。

 でも今は、あんたとセイバーのことを考えた方がいいわよ」

 

「なんでさ」

 

「へっぽこ魔術師を狙うであろう、ランサー、ライダー、

 キャスターに誰が釘を打ったと思ってんのよ。

 わたしも調べ物あるし、明日は籠城するから」

 

 あと一時間ほどで日付も変わるが、幸い明日は日曜日だ。終日霊脈のうえで休めば、アーチャーも多少は回復することだろう。

 

「となると、慎二が狙ってくるのは士郎たちよ」

 

「どうしてなの? 結界の起点、塞いじゃったから?」

 

「それもあるけど、弓道部はまとまったみたいじゃないの」

 

「うん、シロウ、かっこよかった。なぜリンが知ってるの?」

 

 イリヤが首を傾げ、士郎も同調した。

 

「そうだよ。なんで遠坂が」

 

「士郎が遅く帰ってきた理由を、綾子に注進したのはわたしだからよ。

 あいつの指示でね。ことと次第によっては、柳洞君の耳に入れるって」

 

 形のよい唇に、薄く笑みを浮かべるあかいあくまに、士郎とイリヤはドン引きした。あの提案の時点で根回し済みだったたとは、遠坂主従怖すぎる。

 

「柳洞君はわたしのこと仏敵だって言ってるそうだけど、

 中学の時は生徒会でコンビ組んだ仲なの」

 

「それが原因か……」

 

 一成が女子を苦手とするのも、すごく納得だ。あかいあくまだもんなぁ……。

 

「わたしが、弓道部の件をいじめとすっぱ抜けば、予算も切られるし、

 新入生の入部も減るでしょうね。在校生も辞めちゃうかも。

 綾子だって、二年の反慎二派に因果を含めるにきまってるわ。

 だから、すんなり通ったでしょ?」

 

「お、おう」

 

「綾子が連絡してきたのよ。だからもう大丈夫だってね」

 

 夕日色の頭が深々と下げられた。

 

「ありがとうございました……っ」

 

 アーチャーが言ったとおり、魔術を使わなくても方法は無限にある。魔術師といったところで、結局は人間、それも一介の高校生。喜怒哀楽に左右され、人間関係から自由にはなれない。

 

 そこから見れば、間桐慎二は欠点と弱点をさらけ出しているようなものだ。心を射ぬく魔弾の射手が、狙い撃ちしないはずがないのだった。

 

「弓道部の権勢が弱れば、あいつは矛先を楽なほうに向けるわよ。

 ライダーが勝てなかったわたしたちよりも、

 桜を盾にとれる士郎のほうが与し易く見えるもの」

 

「リン、わたしも?」

 

 イリヤは表面上最優のセイバーのマスターで、実際は最強のバーサーカーのマスターだ。  ちょっかいを出してくるとは思えなかった。

 

「桜で士郎を釣って、人質にされたらどうするのよ。

 バーサーカーに人質救出なんてできる?」

 

「うー……」

 

 イリヤは頬を膨らませた。ヘラクレスは敵を殲滅するだろう。嵐のごとく周囲を巻き込んで。

 

 凛は肩を竦めると、士郎に紙片を差し出した。

 

「これ、ランサーに渡した携帯の番号よ。

 慎二に呼び出されたら、ランサーを呼んで。

 来るかわからないけど」

 

 11桁の数字に士郎は目を白黒させた。

 

「サーヴァントが電話になんか出るかな……」

 

「一応持ってったみたいだから、気休めだけどね。

 でも、なるべく公衆電話からかけてよ。

 ランサーに士郎の番号を特定されない方がいいって。

 わたしの携帯は仕方がないけど」

 

「それもアーチャーが言ったのか?」

 

「そ。昨日の晩、やけに遺言っぽいことを言ったのよ。

 最初っからその気だったのね」

 

 令呪で底上げして、なんとか消滅を免れるような魔力喰いの宝具。威力は絶大だけど、真名開放の絶好の的になりかねない軍勢。たしかに、あんな状況でもなければ使うメリットはない。でも、ランサーに信義を見せるために、彼はあえて札を切った。

 

 ランサーとマスターが不仲であることを察知したからだった。罅ならこじ開け、溝ならそれを深く広くするために。同盟に与した方が、あらゆる利があることを匂わせた。美酒に美食、彼の願望を叶えられるサーヴァントと宝具。さて、どうするか。携帯電話という糸もつけた。

 

「あと、これ、残りの結界予想図だって。青丸の部分は施術済みよ。

 余裕があるなら士郎の解析と、消去はイリヤに頼むわ」

 

「リン、この弓道場のはもうやっちゃったわ」

 

「そ、ありがと」

 

 ちょうど、遠坂邸に車が到着した。

 

「セラさんも、運転をありがとうございました。助かったわ」

 

 セラは目礼すると、気遣わしげに凛に問いかけた。

 

「いえ、こちらこそ。それにしても遠坂様。

 アーチャー様不在なのに、お一人で大丈夫ですか」

 

「大丈夫よ。伊達に管理者遠坂の工房ってわけじゃないから」 

 

 外に出ようとした凛に先じて、リムジンのドアが開けられた。外側には先ほどの美丈夫が立っていた。

 

「えぇっ!?」

 

「言い忘れましたが、小官は閣下にマスターの警護を仰せつかっております」

 

 凛の手を取ると、実に洗練された動作で降車をエスコートする。

 

「首から下に関しては、ずっとお役に立てると断言いたしましょう」

 

 士郎が震える指先で、アーチャーの代役を指差した。

 

「ちょ、ちょっと待て、遠坂。

 そいつ、アーチャー言ってた女好きの部下その一じゃないのか!?」

 

 映画俳優も裸足で逃げ出す美男子で、しかも美声。特徴が完全に一致。車内と車外から、色とりどりの視線が彼に集中した。

 

「う、嘘ぉ! 冗談じゃないわ。お願い、起きてよ。アーチャー!」

 

 優に頭一つ高い位置から、灰褐色が凛をしげしげと眺めた。

 

「失礼な。見境いのない女好き呼ばわりは不本意ですな。

 小官にも、好みというものがあります。

 フロイラインは大層お美しいが、少々足りませんな。

 年齢もそうですが、ほかもろもろが」

 

「な、なに見てんのよ! む、むかつく……っ!」

 

 凛は拳を握り、肩を震わせた。未成年扱いと女性未満扱いは似て非なるものだ。穏やかな皮肉と慇懃無礼な毒舌もだ。重ね重ね腹が立つし、安心感ゼロ。水際立った容姿も、洗練された物腰もないが、アーチャーは愛妻家の紳士だった。

 

 帰ってきてお願い! 凛の祈りは一部が天に届いたようだ。

 

『……かっこつけたところで、彼には君と同じくらいの娘がいるよ』

 

 意識を取り戻したアーチャーが、気だるそうにマスターに告げ口をした。彼のサーヴァントにも当然伝わる。双方微妙な顔になった。

 

「それにしちゃ若い……あ、ああ、さっき、そんなこと言ってたわよね。

 ……ってことは、認知届を出させた部下?」

 

『そうだよ。だから大丈夫だよ、凛。

 シェーンコップ、あの時は貴官を信用するしかなかったが、

 今は、君ならば信頼できると確信しているから頼んだんだ。

 じゃあ、マスターをよろしく頼む……』

 

 翡翠の目が点になった。なんという殺し文句……! 煮ても焼いても食えなそうな美丈夫が目をそらし、尖り気味の顎をさするほどの威力だ。

 

 凛は確信した。

 

「ねえ、アーチャーがもてなかったって、嘘でしょ」

 

「その疑問に関しては、是であり否であるとお答えしましょうか。

 では、小官の警護でよろしいですか、閣下のマスターどの」

 

「よくないけど、仕方ないわね、アーチャーの部下さん。

 ところで、その答えはどういう意味?」

 

「自分のことに関しては、鈍感なお人だというわけですよ。

 閣下は二十代で大将に昇進している。

 それも、平の大将じゃない。わが軍の№3だ」

 

 性格は基本的に知的で温厚。軍人らしい見栄えはしないが、容姿そのものは決して悪くない。

 

「もてないのではなく、そこらの女には手が出せないというのが真相でね」

 

 彼らが語らないから凛は知らないが、アーチャーの奥方は、銀河一の凄腕だったのである。

 

「ありがとう、すごく納得した。じゃ、みんな、おやすみ」

 

 よろよろと遠ざかる赤いコートの背を、車中の面々は不安そうに見送った。

 

「あのような部下を従えていたとは……。

 アーチャーもさぞ苦労をしていたことでしょう」

 

 セイバーはしみじみと呟いた。臣下には、あそこまで遠慮のない毒舌家はいなかった。そういう者が一人いると、主君が許したとしても、他の臣下が黙っていない。臣下同士の舵取りが難しくなる。身分のない国の上下関係も、そう簡単なものではなさそうだ。

 

「大丈夫かな、遠坂……」

 

「たぶん、おそらくは……」

 

 衛宮主従のやりとりは歯切れが悪い。心話が聞こえないから当然である。だが、凛が納得しているらしいのでよしとしよう。懸案事項は尽きることがないのだから。

 

「ランサーをなんとかしたのはいいけどさ、どうしようか……。

 今日の部活、慎二も桜も来てなかった。やっぱり、ライダーのせいだよな」

 

「シロウ、リンの魔術はきっと、水と風の二重属性だと思うの。

 こういうのはとくのがとってもたいへんなのよ。

 だいたいの魔術師は属性が一つだから」

 

「そうなのか?」

 

「でも、魔術は世界の修正で、すこしずつ力が弱まるの。

 だから、ぎりぎりまで待って、魔力でおし流したのかもしれないわ。

 リンやわたしが呪刻を消したのとおなじに」

 

「そんな方法があるんだ」

 

 非常に狭い範囲の魔術しか知らず、自己流でやってきた士郎にとって別次元の方法だった。

 

「でも、とても魔力がたくさんいるの。

 マトウのふたりが来なかったのは、きっとそのせいよ。

 きっとサクラもライダーに協力してる。

 ううん、サクラがマスターかも知れない」

 

「桜が……!?」

 

「サーヴァントはマスターに似るって言われてるわ」

 

 士郎は返答に詰まった。珍しい髪の色や曲線美に富む体形、そして妹であるということ。アーチャーが濁した共通点を突きつけられたのである。

 

「よしんばそうであったとしても、ライダーは斃すべき相手でしょう。

 私も少しですが魔力が溜まってきました。

 学校で、シロウを守るには充分です。ただ、問題は……」

 

「学校だと、人質が多すぎるってことだよな。

 でも、吸血鬼事件みたいな状況だと打つ手なしだ。

 場所が広すぎるし、ライダーは霊体化できる」

 

 沈黙の帳が落ちる。アーチャーは、自分と相手の戦力を把握し、自分の舞台に誘い出して敵を退けている。マスターとの連携も巧みだ。彼自身は弱くても、遠坂凛は五属性を持つ天才。最大の難関、大魔術ほど長い詠唱が必要という欠点を、宝石魔術でクリアしている。それは高い対魔力を持ち、敏捷に優れたライダーに大ダメージを与えるほどだ。

 

 対して、士郎ができるのは強化と解析ほか少々。しかし、セイバーにきちんと魔力を供給するとなったら、どれほど余裕があるか。そんな事情もあって、セイバーも長時間の大立ち回りはできない。

 

「遠坂は気をつけろって言ったけどさ、あっちが誘うなら乗ってみるのも手かな……」

 

「それはどうかしら。ねえ、シロウ、わたしの目を見て」

 

「ん?」

 

 言われるがままに、一対のルビーを覗き込む。瞬時に意識に霞がかかった。

 

「どう? 見える? これがアインツベルンのお城」

 

 操り人形のように、少年の首が動いた。

 

「イリヤスフィール! 一体何を!?」

 

「セイバーがうるさいから、ここまでにするわね」

 

 士郎が弾かれたように頭を上げた。

 

「いまのは一体なんなのさ!」

 

 そこはちょうど、衛宮家の門の前だった。セラを除く全員が車から降り、玄関へ歩きながら、イリヤは肩越しに妖艶な視線を投げかける。

 

「これが魔眼よ。わたしのは大したものじゃないけど。

 でもシロウ、抵抗力がなさすぎね。

 メドゥーサの魔眼じゃ、あっという間に石にされちゃうわ」 

 

「う、そっか……」

 

「だからね、何か言ってきたら、わたしといっしょに行きましょ」

 

「イリヤ!」

 

「平気よ。

 バーサーカーは、ライダーを討ったペルセウスの孫で、

 ペルセウスよりもずっと強いの。わたしのバーサーカーは最強なんだから。

 それにわたしは、アインツベルンのマスターなんだから、

 マキリのマスターに挨拶すべきでしょ?」

 

 戦争ではなく、本来の魔術儀式に立ち返ろうと呼びかけるわけだ。弓道部という権力の足場を崩すのは、そのための呼び水である。

 

 サーヴァントに浮かれ、力を揮って悦に入っているうちに、より強力な陣営にがっちりと周囲を固めらる。彼がこだわる学校生活が危うくなれば、必ず権力に擦り寄ってくる。御三家で最も格上の、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの誘いかけに

無関心ではいられまい。寺からの帰り道に囁かれた、辛辣極まりないアーチャーの分析だった。

 

 その一方で、彼はこうも言った。イリヤが入ることで、慎二を制御できるかもしれない。慎二の行動は、魔術への劣等感や嫉妬がない交ぜになったものではないか。強力な魔術師のイリヤが、そうではない存在を尊重すれば、満たされてはいかないだろうか?

 

「これに関しちゃ、私たちではダメさ。一発食らわせてしまったからね。

 何より、君は家格、実力、サーヴァント、三拍子揃って凛に勝る」

 

 慎二の自尊心を満たすには、つれなき凛より上の存在に認められることだ。

 

「その仲介役となりうる士郎君に、危害は加えにくいだろう。

 一方、凛は君と士郎君の仲裁者さ。

 ライダーの力を削げば、戦争の熱が冷めて、計算も働くようになるんじゃないかな。

 弓道部のいざこざから思うに、彼は相応に頭のいい、能力のある人間だろうからね」

 

 アーチャーは、宝具を使うことを考えていたのだろう。自分が消滅、あるいは行動不能になるのを見越して、イリヤには融和戦術を伝授したのである。

 

「どうしてそんなに戦いを避けるの?」

 

「聖杯戦争なんて、戦わなくても実現できるからさ。

 アインツベルンが第三魔法復活の賛同者を募ればいいんだ。

 七人による共同研究ってわけだね。以下、御三家がテーマを持ち回りする」

 

「魔術は秘匿しないと力が落ちちゃうのに」

 

「魔術基盤は、広く信仰を集めたほうが強力だというのに、

 ちょいと矛盾を感じるなあ。

 世界が豊かになって、神や幻想に縋らなくてもよくなったからかな」

 

 温暖な冬木は、冬の風もどこか優しい。森々と冷気を結ぶアインツベルンの森とは違う。常緑の木々、咲き初めた白梅が香り、水仙が蕾をほころばせる。彼方に銀嶺を望む空は、澄み切って明るく蒼い。アーチャーはそれを愛おしそうに見ていた。

 

「そんな今の世を見たい、楽しみたいって英霊を呼べばいいんだ。

 二週間楽しんだら、自殺してもいいって納得ずくで来てくれる相手を」

 

 そんな穏やかな顔で、二月の空気よりも冷めたことを言う。呆気に取られた凛とイリヤに、彼はなんともいえない笑みを浮かべたものだ。

 

「応じる相手は、けっこういると思うんだよ。

 特に、日本の英霊を呼べるように改正すればさ。

 この国では、戦死者を英霊と呼ぶそうじゃないか。

 彼らが生を捧げた国の繁栄を、守ろうとした人の行く末を、

 その目で見ることができるなら。……私なら見たいなあ」

 

 彼もまた、そういった人々を指揮した軍人であった。一つ一つの言葉が、少女達の心に沈殿していく。 

 

「日本には、神様を呼んで収穫を祈願したり、

 亡くなった人の魂が、子孫のところへ里帰りする信仰があるそうだ。

 死後に戦ってもう一度死ねと言うよりも、

 期限が来たら贄として協力してもらうけど、

 現世を楽しんでくださいとお願いしたら、受け入れてくれるんじゃないかな?」

 

 イリヤの父は、徹底的な合理主義で、敵を排除した男だと聞いた。だが、アーチャーは、システム自体をもっと割り切ったものにしろと言う。聖杯戦争に勝つことだけを教えられて育ったイリヤにとって、頭を殴られたような衝撃だった。

 

「ねえ、シロウ。

 ライダーとセイバーが戦っているときに襲われたら、

 シロウが相手のマスターと戦うのよ。

 マトウシンジやサクラと戦える? いざとなったら殺せる?」

 

「……わからない」

 

「逆に、セイバーがライダーのマスターを殺しても平気?」

 

「あ……」

 

 琥珀が大きく見開かれた。士郎は、サーヴァントを倒すことばかり考えていた。マスターを狙うのはれっきとした戦法だが、自分にできるのか。あるいはセイバーに命じることができるのか。動揺した顔に向かって、イリヤはにっこりと微笑んだ。

 

「シロウはほんとにヘッポコね。殺せるのが魔術師よ。

 わたしがシロウにやったみたいに」

 

 イリヤは身を翻すと、離れへと向かった。背を向けて流れる銀の髪。追いすがろうとした士郎に、小さな声が聞こえた。

 

「あの時はゴメンね。でも必要になったら、きっとまたやるわ。

 シロウはどうするのか、考えておくのね」

 

「何をさ?」

 

「セイバーは聖杯がほしいんでしょ?」

 

 立ち尽くす士郎を置いて、小さな背が遠ざかる。セイバーの望みは、聖杯を手に入れて国を救うことだと聞いた。士郎は、セイバーの望みを叶えてやりたいと思っていた。

 

 でも、それに立ち塞がるのが、慎二と桜だったら? とんでもないステータスを誇る、最強のバーサーカー ヘラクレス。使い勝手のよくない宝具を巧みに運用し、不敗を守るアーチャー ヤン・ウェンリー。

 

 遠坂、アインツベルンの陣営は、アーチャーの主導で一応のまとまりがついている。士郎は、幸運にもそれに乗っかっていたに過ぎない。あくまで間桐が聖杯を望むなら、セイバーのために友人と妹分を殺せるのか。

 

「じいさんが言ってたのは、これだったんだ……」

 

『誰かを助けるということは、誰かを助けないということだ』

 

 その先を見ていたのがアーチャーだった。数少ない魔術師が、六十年周期で殺しあったら、御三家なんてとっくに滅びてしまっただろう。それを防ぐルールがあったのではないか? 伝わっていないのなら、今後は折り合う形を求め、少なくとも人間に犠牲が出ないようにすべきだと。

 

「でも戦いの中で、より多くを助けるんじゃ遅いんだ。

 もっと前に、やらなきゃならないことがあったんだ」

 

 それは、秘匿を旨とする魔術では不可能だ。公明正大に、多くの味方をみつけ、力になってもらうこと。幽霊のサーヴァントではなく、人間のマスターが、人間に対して行わなければならない。士郎に弓道部をまとめさせたのは、きっとその手始めだったんだろう。

 

 じゃあ、自分がなすべきは。士郎は拳を握りしめた。

 

「慎二に聞かなきゃ。あいつの願いを」

 

 『魔術師』ではなく、『友人』として対することじゃないだろうか。


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