「……おまえ、おっかねえ奴だな」
テレビを見ていたランサーが、ぽつりと呟いた。殺してやりたいほど忌々しかった第二のマスターの名が『現代の青髭』として、散々に夕方のニュースで喚き立てられている。それをなしえたのが、辛辣きわまりないアーチャーの一手だった。
多くの人間は、物事を常識的に判断するものだ。特にこの平和な日本では、複数の殺人犯がいるよりも、一人が複数を殺していると考える。当時も今回も、被害者は子ども。猟奇殺人犯の嗜好と考えたほうが自然でさえある。
たった三本の電話で、聖堂教会という言峰綺礼の防御壁は粉砕された。教会の監視役という大義名分と権力の陰で、暗躍し、ほくそ笑む窃視者。アーチャーを彼のことをそう分析していた。
「言峰神父にもチャンスは与えてありますよ。
出頭し、自分の罪を告白し、やっていない犯罪はそう言えばいい。
警察がちゃんと捜査をしてくれるでしょう」
「だが前の様子を聞くと、その教会が隠蔽工作に動いたんじゃねえのか。
俺も貴様のせいで、今回やらされたがなぁ!」
「どうも、その節はご面倒をお掛けしまして……」
深紅の瞳に睨みつけられて、アーチャーは髪を掻きながら謝罪した。
「言峰神父の場合、教会がどう出るかも一つのポイントです。
神は罪人をこそ救うといいますが、人は神ではありません」
淡々とした口調に、間桐家の居間が一気に冷却された。凛とキャスターが慎二と桜の退院に付き添い、間桐家に到着した後、あれよという間に児童監禁が暴かれたのである。
そして凛の携帯電話に、警察からその旨が連絡された。凛は言峰の被後見人から、この事件の参考人になったわけだ。エミヤから聞いていた。こうなることは八割がた予期していた。だからといって、衝撃がなくなるわけではなかった。
あの男は凛の後見を務める裏で、凛と同年代の子どもたちを監禁し、数年単位で生命力を搾取していたのだ。凛の誕生日には、毎年同じデザインの、だが成長にあったサイズの服を贈り、孤児たちには、魔力調達という名の虐待を毎日繰り返していた。その二面性が怖ろしく、おぞましかった。
携帯電話を持つ手が強張り、白い頬が更に白さを増す。一見してただごとではない。慎二たちの帰宅に付き添っていた葛木教諭が、凛から事情を聞き出した。
「ふむ……。間桐たちを一時的入所させてもらうどころではないな」
常に冷静な葛木でさえ、困惑の色を隠せなかった。凛と慎二、桜を順に見回すと、キャスターで視線を止める。
「……言峰神父の犯行だという確証はまだない。
だが遠坂、いま家に帰るのは勧められん。おまえは一人暮らしだろう。
安全が確認されるまで、間桐の家にいさせてもらったほうがいい。
実の姉妹と義理のきょうだいだ。
こちらのキャスターさんがいらっしゃるなら、間違いも起こらないだろう」
「なっ、遠坂までうちに!? ちょっ、冗談じゃない。
待ってくださいよ、葛木先生!」
声を裏返した慎二の袖を、桜がためらいがちに引いた。
「兄さん。わたしもそうしたほうがいいと思います。
遠坂先輩、……ね、姉さんにもしものことがあったら、わたし……」
「あのね、桜。縁起でもないこと言わないでちょうだい」
「ご、ごめんなさい!」
首を竦める妹に、凛は優しい顔で決定打を放つ。
「でも、心配してくれてありがとう。
もしものことがあったら、喪主は桜がやってね」
ここに医師がいたら、病み上がりの兄妹は再入院を命じられたに違いない。
「んな……!? これ以上葬式が増えるなんて冗談じゃない!」
「いや、間桐に遠坂。私はそこまで言ってはいないが……」
葛木の反論は慎二に届かなかった。キャスターは葛木の真摯な態度に見惚れていて、慎二たちに助け舟を出すそぶりはない。
「家のだってまだ手も付いてないんだぞ」
「お葬式のことなら、わたしにも少しは手伝えると思うわ」
「くっ……、わかったよ!
遠坂、葬式の手伝いをしてもらうからな!」
凛は深々と頭を下げた。
「ありがとう、間桐くん。二、三日お世話になります」
こうして、キャスター主従だけではなく、アーチャー主従もまんまと間桐家に入り込むことに成功した。間桐慎二とライダー主従が抵抗する術もないままに。
そして今、テレビの前を占拠していた。大事件の発覚の副産物で、自然死に見せかけた臓硯の検死は早々に終わり、慎二たちは遺体を引き取りに行っている。その足で葬儀社と打ち合わせしてくるそうだ。
留守番を仰せつかったのはキャスターで、ランサーとアサシンも顕現したというわけだ。
「教会上層部がどう出るか、まさに神のみぞ知るといったところでしょう」
子どもの虐待や殺害という最悪の犯行を暴露されて、教会がどう出るだろうか。庇うことはできず、表面的には破門の宣告。裏で異端者狩りに走るのではないか。
「君の生前は、これを君やセイバーに見せつけて、選択を強いたのかい?
まったくひどいことをする。あの子たちにも、君たちにも……」
ヤンはアサシン=エミヤシロウに視線を向けると、ベレーを握りしめて俯いた。
「自分の悪事を相手にすり替え、人を操るんだ。
犯罪者の中でも最悪のタイプだよ。
この件に、士郎君たちを直接関わらせるのはよくない」
「し、しかし……」
口ごもるエミヤに、黒髪の青年はきっぱりと首を振った。
「これは、士郎君たちが乗り越えるべき人生の試練なんかじゃない。
監禁されている子どもたちを最優先しなくてはならない。
士郎君たちが救助したところで、彼らの治療や生活を支えきれはしないんだから」
エミヤの脳裏で、記憶の断片が瞬いた。
「……聖杯に願えば叶うと。でも俺は……」
磨耗し、輻輳した記憶と記録が混ざり合う。何を言い返したのか。彼らを癒すことを望んだのか、やり直しの否定だっただろうか。いや、子ども達のことさえ気付かなかったことはなかったか。エミヤは固く目を瞑った。
「なんと答えたのかもはっきり分からない。
でも、彼らを救えなかったことは、忘れていない……」
ランサーが喉の奥で唸りを発した。
「あのド外道め、どこへ消えやがった!?
こんなことなら契約が切れてすぐ、素っ首を獲りに行ったものを!」
「……悪かったわね。許していたら、もう決着がついていたのに……」
キャスターが決まり悪げに目を逸らし、ヤンは苦笑を浮かべた。
「それですよ。彼が失踪したのも、子どもたちを放置したのも。
私たちが押しかけたのに反応がなかったのもね。
必殺の槍の使い手が、復讐に来る可能性を考え、
取る物も取りあえず逃げたんでしょう。
だから、ぎりぎりで助かったんです」
殺す手間さえ惜しんだのだろう。マスターは契約の切断が感知できる。一方、教会には、サーヴァントの現界を感知する器具がある。言峰綺礼には、令呪の鎖を断たれたランサーの健在がわかるのだ。
最速を誇る白兵戦の雄、ランサー。その真名はクー・フーリン。必ず心臓に中る槍を持つ、ゲリラ戦の名手だ。原初のルーンを用いた戦術の多様性と、七年も戦い抜いた持久力を併せ持つ。
「マスターだったからこそ、ランサーの怖ろしさを知り抜いている」
「そんな男が、よくも子どもたちを殺さなかったものね」
深窓の姫君だったキャスターに、戦士のランサーは後頭部を掻きながら告げた。
「良心や慈悲からじゃねえな。死体を始末しないと腐って臭う。
あの数の墓穴、そう容易くは掘れんぞ」
キャスターの瞳に、半ばまで瞼の帳が落ち、柳眉が吊り上がった。
「そんなことを教えてくれなくても結構よ!」
「……言うのは遠慮していたんですが、要するにそういうわけなんです」
一気にこの人数を殺してしまうと、後始末が大変になる。聖杯戦争の残り時間、ぎりぎり生きながらえさせればいいのだ。彼らに繋がれた点滴などがそれを物語っていた。
「しかし、これで言峰綺礼の行動はかなり限定されます。
彼は非常に大柄で、服装や髪型を工夫しても誤魔化すのは難しい。
第四次のアーチャーがいるならば、彼が動くことでしょう。
皆さん、警戒を怠らないように」
「でも、私のマスターはどうすればいいのかしら」
愁眉を寄せたキャスターに、ヤンはにこりと微笑んだ。
「ごく普通に生活していただいてください。
あなたも当初のとおりに、間桐兄妹の面倒を見てあげてください。
そうすれば、必然的に安全になります」
今回のアーチャーのマスターの遠坂凛は、警察署で事情聴取に応じているところだ。
居合わせた担任教諭の葛木宗一郎が付き添ってくれている。それが終われば、間桐家まで送ってきてくれるに違いない。キャスターが、間桐家のことを彼に相談すれば、誰もが納得するロマンスのきっかけが誕生することだろう。
「間桐翁の秘密主義ゆえに、桜君にはほとんど魔術の知識がないようです。
慎二君は多少の知識がありますが、魔術回路がありません。
このままだと、令呪のシステムが失われてしまいます。
また十年後に聖杯戦争が起きたら、どんな厄介なことになると思いますか?」
未来の魔術師の扇動で、神代の魔女が目の色を変えた。
「――私の将来のために、今のうちに芽を摘む必要がありそうね」
今度は間桐邸が魔女の巣窟になるに違いない。
「……大丈夫だろうか……」
エミヤは眉間をさすりながら呟いた。数少なかった友人に、聖杯戦争以上の受難が訪れようとしている。
「心配ならば、君も助けてあげるといい」
「なっ……!」
完全に藪蛇であった。有能な怠け者は、立ってる者は親でも使うのである。
「間桐翁は魔道書をかなり残しているらしい。
慎二君は、ある程度独学で読み解いている。調べ物にも人手が欲しいからね。
君なら彼ともうまくやれるんじゃないかな?」
「い、いや、しかし」
「今更だぜ、
口ごもるエミヤに、ランサーが冷静に指摘する。
「あのガキとは友達だったよな、おまえ。あいつも助けてやれ。
女だけに惚れられているうちは、おまえは守護者のままだぜ」
これにキャスターも首肯した。
「ええ、そうね、
善であれ、悪であれ、あまねく信仰を集め、昇華したのが真の英霊よ。
星に認められれば、守護者からの格が上がることもありうるわ。
お嬢ちゃんが言っていたことの焼き直しだけれど、
並行世界で、おまえに感謝を捧げる男女を増やすのも一つの方法かもしれなくてよ」
「そうだね。幸せになる人が増えるのはいいことさ」
「……私は不幸な気がするんだが」
頭半分は低く、ずっと薄い肩にとりすがりたくなるエミヤだった。ヤンは首を傾げた。
「我々は人じゃないからねえ」
がっくりと落ちたエミヤの肩を、ヤンは軽く叩いた。
「かといって、召喚の目的を果たせないわけじゃない。
私も君のこともちゃんと考えるよ。……士郎君」
ガード不能の攻撃が、エミヤシロウの仮初めの心臓を直撃した。アサシンは戦わずしてアーチャーに陥落し、協力することを承服するのだった。
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番外編 ※紅茶の魔術師※
「セイバーがアーサー王だとはなあ……。この世界では実在する人物だったのか……」
アーチャーことヤン・ウェンリーは膝を抱えて呟いた。場所は遠坂邸の居間。お気に入りのソファの隅っこである。
「それがなにかまずいってのか?」
「私の世界では、複数の人物をモデルとした創作上の人物だと考えられています。
だって、ヨーロッパを統一して、各国の王が忠誠を誓ったりしてるんですよ。
イギリスがヨーロッパを統一したことは、歴史上一度たりともなかったのに」
「お、おう……」
また始まったようである。ランサーは助けを求めるように周囲を見回した。鋼の色と目があった。
「なあ、アサシンよ。っつーか坊主。
おまえ、セイバーの元マスターだろ。聞いとけ、聞いとけ」
俺の代わりに。そう言い捨てると、ランサーはさっさと逃げ出した。褐色の偉丈夫の顎が落ちた。
「なっ……!?」
アサシンことエミヤシロウの正体は、槍と弓の騎士にもすでにばれていた。大地と星空。戦いの場こそ違うが、戦場を駆けた英雄たちは判断力に富んでいる。
イリヤが器と知っていて、魔力で編んだ無数の刃を繰り出す者。二つの条件を満たすのは、この世にただ一人しかいない。
「私には隠さなくてもいいよ、士郎君」
「アーチャー、いや……ヤン提督……」
この呼びかけにふっと黒い瞳が細められた。
「懐かしい呼び方だ。でも君はこの時代の住人だよね。
それを知っているということは、守護者の君に迷惑を掛けていたかな?」
褪せた白い髪が下がった。精悍な顔に苦渋が滲む。
「率直に言って、消滅を願うぐらいには……」
ヤンは眉を下げて、髪をかき混ぜた。
「あーー、我々が原因だったか。そりゃ、悪かったねえ。
百五十年の戦いのせいで、我々は麻痺してしまっているが、
この日本で生まれ育った君には耐え難いだろう」
エミヤは曖昧に首を振った。
「私は、養父の理想を求め、正義を果たすには戦いしか思いつかなかった。
ここではなく、政情の不安定な国で、弱者を救う戦いに手を染めた」
より多くの人を救うために、少数を切り捨てざるを得なかった。エミヤの基準は命の多寡だ。先日まで救っていた人々が、今日は切り捨てるべき側になる。自分がないエミヤは、他者からの判断ができず、共感もされなかった。
「ついには、周囲がすべてが敵となり、絞首台送りだ。
だから、あなたという存在が不思議でならなかった」
圧倒的な大軍に、寡兵で立ち向かう。命を惜しんだ部下に、裏切られても不思議はない。しかし、彼の軍は最高水準の士気を保ち続けた。ヤン・ウェンリー最大の魔術だ。
「きっと、私は一人では何もできないからだ。
だからみんなに助けてもらった。
そのためには、みんなに私の考えを理解してもらわなくてはいけない」
会議で言葉を尽くし、戦場の行動で示す。戦いはなにも生み出さない。そう言いながらも、一人でも多く生還させるために、最適手を陣頭で打ち続ける。
「要するに、私に賛同してくれる人が集まっていたからだと思うよ。
君はなんでも一人でできるが、でも助けを求めたほうがよかったんじゃないかな?
手が二本しかないのに、それ以上を救わなくちゃならない時、君はどうする?」
「……より多くを救える方を選ぶ。私はそうしてきた」
黒髪の智将は、若返った顔に苦笑を浮かべた。
「私なら、まず助けられる人を助けるよ。
次は、助けた人に救助に加わってもらう。
どんどん助かる人が増えれば、より多くの人を助けられる」
そして、最初に手を伸ばした者が、人々の輪の中心になるだろう。
「なんでも一人でやる必要はないんだよ。正義の味方も王様もそれは一緒さ。
ねえ、士郎君、セイバーにもそう伝えて欲しいな」