アーチャーが、魔術の心得のある面々を、間桐家に集めようとするのには理由があった。言峰綺礼が確保されるまで、市内の学校は休みになった。十年前の児童誘拐及び先日の一家殺人、そして今回の集団監禁と虐待。全ての犯行の容疑者になった、言峰綺礼を警戒しての措置だ。この機を無駄にせず、聖杯の調査に充てるつもりなのである。
しかし、反対する者もいた。
「あの野郎をほっとく気か!?」
ランサーはアーチャーを問い詰めたが、逆に問い返された。
「私たちが彼を処断する必要がありますか?」
「必要だと!? あの野郎は嬢ちゃんらの親の仇だろうが!」
「彼を確保して罪を調べるのは警察、裁きを下すのが裁判所の仕事ですよ。
それぞれが、給料分の仕事を行えばいいだけの話です」
複雑な事象は割り算で処理すべし。アーチャーは、言峰綺礼の処罰を聖杯戦争から切り離すことにした。魔術は一般社会から秘匿され、通常ありえぬ現象を起こす。
間桐臓硯の人喰いは、その最たるものだろう。臓硯の肉体は、もはや人ではなく、妖蟲の群体であった。本性を露わにして犠牲者を喰い殺すと、何事もなかったかのように人の姿を取り戻す。喰われた者が、喰ったモノの肉体となるのだ。
遺体や凶器は存在しない。それは加害者そのものだ。目撃者も存在しない。すぐさま、次の被害者となっただろうから。常人には、犯罪の痕跡すら見つけることが出来ない。
まだまだ若い管理者にも無理だった。魔術協会と聖堂教会は知っていたのだろうか。自問すると、ろくでもない想像をしてしまう。聖杯戦争の存続のため、見て見ぬふりをしていたのかもしれないと。
――だが。
「聖堂教会には、上層部としての責任をとってもらいましょう。
魔術協会にも、聖堂教会への折衝は折半してもらいます」
「……は?」
「言峰神父が動いてくれないと、凛とアインツベルンの連名で訴えてあります。
教会と時計塔の両方にね。
こうして事件が発覚すれば、上が自主的にやってくれますよ」
短い付き合いながら分かってきたが、この男が淡々と話すのは、感情を抑制している時だ。この温度のない口調、相当に怒りが深そうだ。ランサーは口の端を引き攣らせた。
「……おまえ、怒ってるだろ」
「当たり前です。
きちんと監査すれば、十年もばれないはずがない。
教会上層部がやるべきことを怠っていたんですよ。
高校生の凛たちや、幽霊の我々が尻拭いするなんて冗談じゃない。
給料を貰っている人が、その分働くべきです」
アーチャーは、負った責任の分の仕事はする主義だった。他者にも同じことを求めるのである。
「私は、凛や士郎君に、これ以上一グラムの負い目も作りたくありません。
彼は凛の後見人でした。
教会の子たちは、衛宮切嗣に選ばれなかった士郎君です。
これだけでも、あの子たちが傷つくには十分すぎる」
「悪どいんだか、甘いんだか、分からねぇ野郎だ」
ランサーは後頭部を掻くと、赤い外套のアサシンに目をやり、ふっと息を吐いた。
「……もっとも、そのほうがいいのかも知れんな」
キャスターが頷く。
「ええ、アサシンはそれを知っていたものね。
つまり、坊やが守護者となる分岐点かもしれないわよ」
アサシンことエミヤシロウにとって、非常に居心地の悪い雰囲気になった。ひどいとばっちりだ。
「それもありますね。
なんでもかんでも聖杯戦争で片付けようとするから、歪になるんです」
ヤンはサーヴァントらを前に指を折った。聖杯戦争は魔術儀式。これは、あと一週間程度しか時間がない。
士郎とイリヤ、凛と桜、桜と慎二の問題は家族争議。この戦争が終わった後に、長い時間をかけて取り組むべきものだ。もつれた感情の糸を解きほぐすには、十年、いやそれ以上の時を必要とすることだろう。
だが、言峰の罪は法的に対処可能。それは警察や裁判所の役割だ。必要ないことはしない。他者にできることは適任者に割り振る。そうした思い切りが、事業成功には重要である。
「我々がやるのは、ほかに対処が不可能な黄金のアーチャーに勝つことだけです」
勢力は七対一。しかし、歩兵が戦車部隊を包囲殲滅するようなもの。非常に困難と言わざるを得ないが、監禁されていた子どもという補給は絶った。
「黄金のアーチャーを排除するのは、この聖杯戦争中にしかできません。
だが、言峰綺礼の捕縛はそうじゃない」
灰銀の目が丸くなった。
「だから、警察を入れたのか……!」
「そうだよ。出来ないことは、出来る人に任せればいい。
サーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけ。
それが我々の役割だろう?」
マスターと覚しき言峰の行動を限定し、黄金のアーチャーと分断する。これもまた割り算というわけである。
「一番いいのは、言峰綺礼が観念してくれることだ。
サーヴァントとの一蓮托生に賭けるよりは、
令呪で始末し、自首したほうが長生きができる」
何人たりとも裁判を抜きに処罰されない。言峰綺礼も有している日本人としての権利だ。
「まどろっこしいな、おい!」
ランサーは大いに不服そうだったが、アーチャーは厳然と否定した。
「たしかにそうです。
しかし、我々が殺したら、彼は罪を償うことなく終わってしまう。
それではだめです。法と社会の裁きを受けるべきだ。
被害者への賠償を行なう義務と、一対の権利なのですから」
一見上品に正論を述べているようだが、その目するところは違う。死んで逃げるのは許さない。生きながら苦悩し、恥辱に塗れても償えということだった。
言峰は監視役の立場を利用し、聖杯戦争を玩んでいた。バゼット・フラガ・マクレミッツを排除して、ランサーを奪ったのは、より優位に立つためだろうとヤンは踏んでいた。
バゼットを除けば、経験豊かな者は不利なキャスターを引き、残りは未熟なマスターばかり。おまけに因縁の相手の子どもたちだ。彼らが相争うのは、窃視者にさぞや甘美をもたらすであろう。
だが、それは聖杯戦争の枠内で、優位に立っていればの話。秘匿は公開に劣る。孤児の監禁虐待が、魔術絡みだなどと世間は知らないし、考えもしない。一片の情状酌量の余地もない、異常犯罪者だと指弾する。
魔術に無縁なアーチャーは、聖杯戦争より厳しい戦いに、言峰を突き落としたのである。役所と警察へ、ちょっと連絡しただけで。なんと怖ろしい。この男も、現代日本の公的機関も。キャスター主従が等しく抱いた感想である。
「もっとも、あれだけの子どもを虐げることを選んだ人間ですから、
その望みは薄いでしょう。
黄金のアーチャーと行動を共にしていたら、戦わざるを得ないでしょうし」
説明を続けるうちに、アーチャーはどんどん不機嫌になっていった。これは生前のエミヤが対峙した状況だった。サバイバーズ・ギルトの持ち主にとって、塞がっていない傷をかっさばかれ、濃硫酸をぶっかけられるにも等しかったことだろう。
「君も士郎君なら教えておくよ。
ここの士郎君は、自分よりも他人を優先してしまう子だと私は感じた。
聖杯に願えば、何人もの孤児が助かるのなら、やはり考えてしまうだろう。
でも、セイバーの願いとは相容れない」
実はまだ生きていている、アーサー王ことアルトリア・ペンドラゴン。
「彼女は死の縁で、国の滅亡を覆すことを願っている。
この時代からは遥かな昔だけど、セイバーにとっては現在だ。
死にかけの子ども数人と、母国を天秤にかけたら、どちらに針が傾くと思うかい?」
「……それは」
眉を寄せるエミヤに、ランサーは顔を顰めて髪を掻き毟った。
「ま、見ず知らずの子どもを選ぶ理由はないな。
俺がセイバーの立場でもそうするぜ」
ランサーの言葉に、黒い頭が上下動した。
「もしも生きていたなら、私だってそちらを選択するでしょう。
でも、こうしてサーヴァントになった『私』の人生は変えられない。
ならば現在を優先しますよ。そのほうが実りが期待できますからね」
「赤毛と癖毛の坊主と嬢ちゃんたちと、教会の子供たち……」
ランサーは溜息を吐いた。この男が、イリヤが器ということを明かさない理由に思い至ったのだ。そして、霊脈が活断層ではないかという推測を持ち出したことも。
「そして、この街の人間か。坊主に重石をつけやがったな。
というよりは、セイバーを外したかったんだろ?
なあ、アーチャーよ」
アーチャーは決まり悪げに頭を掻いた。
「……ばれましたか。
ここからでは過去でも、セイバーにとっては『現在』の願いです。
こんな欺瞞に満ちた戦争に、賭けていいものではないと思うんです。
手に入るのは、汚れた聖杯でしょうし」
キャスターは緩やかに首を振った。
「それ以前に問題があるわよ。
私たちが黄金のアーチャーに敗れ、『器』が満たされて、
セイバーが聖杯を手にする可能性も皆無ではないわ。
セイバーの主、唯一の縁者の身命と引き替えにね。
坊やは許すかしら?」
アーチャーとランサーは顔を見合わせ、後者がずばりと断言した。
「そりゃ無理だな」
「……でしょうねぇ」
二人の見たところ、士郎はセイバーを扱いかねている様子だった。降って湧いた謎の美少女で、実は人間でもなくて、聖杯戦争の駒だと言われても、ろくな知識のない士郎が困るのは当然だろう。
管理者のサーヴァントとして、アーチャーもお膳立てに協力したほどだ。イリヤのメイドのふりをしてもらって、士郎と一緒に学校に行き、授業や部活を参観するうちに、徐々に打ち解けてきたようだ。
だが、切嗣の実娘で、義理のきょうだいのイリヤのほうが、ずっと重みのある存在だろう。
「令呪があるのは、サーヴァントより、マスターの願いを優先するためですからね」
セイバー主従が聖杯戦争の勝者となったら、聖杯はイリヤの復活に使われることだろう。衛宮士郎が、第三魔法の使い手になるのかもしれない。なんと皮肉なことか。
「どんな願いも叶うなんて、どう考えても嘘でしょうに。
そんなものの代償に、自分の生涯も消して、世界と契約するだなんて……。
セイバーに必要なのは、きっとそのどれでもない」
黒い瞳が、鋼色の瞳を仰いだ。
「きっと、凛が君に伝えたようなことに気づくのが必要なんだと思う。
士郎君たちが、それを見つけるまで、
言峰神父に余計なちょっかいを出されるのは困るんだ。
第四次のキャスターは、セイバーの目の前で子どもを惨殺しているし」
「そういえばそうだったな。ふん、外道のやることは似たり寄ったりか。
胸糞の悪い」
「なに!?」
頷くランサーと驚くエミヤが対照的だ。エミヤの生前には語られなかったことかもしれない。
「セイバーのトラウマを、再び掻き毟るだろう。
彼女の体感時間では、半月と経っていないんだよ。
生死の狭間にいる重傷者を、これ以上追い詰めるのは危ない」
黒髪の青年は身を乗り出した。
「繰り返しますが、聖杯戦争は第三魔法復活か、
根源に行くための手段に過ぎないんです。
魔法入手の手段で、家族問題や犯罪の解決なんて、無理があると思いませんか?
それは人の心の問題なのですから。
……魔術や魔法を生み出すという、人の心の」
神秘はより高い神秘に打ち消される。人の心こそ、神秘の最高峰ではないだろうか。ヤンはそう思う。人の心には、魔法でも魔術でも太刀打ちはできないだろう。
「聖杯戦争で実現可能なものと、そうでないものを切り分けましょう。
マスターたちが生き残れば、魔法以外は達成できるんですからね。
時間はかかるでしょうが」
ヤンは目を細めた。士郎たちと同じ年だった頃の自分が頭をよぎる。父が亡くなって、心ならずも入学した士官学校の二年目。苦手な教科は本当に大変だったけれど、好きで楽しい授業もあった。少ないながら友人もできて、片思いが始まり、時には笑えるようになった。全てを失っても、生きている限り、人は前に進めるのだ。
「あの子たちにとって、時間が最良の薬となることでしょう」
第四次聖杯戦争から十年。少年少女のマスターらの心を癒すには、同じかそれ以上の年月がかかるだろう。だが、この世界ならばそれも可能なのだ。この子たちが、戦争の訪れない世界を存続させてくれるなら。
ヤンはサーヴァントらに深々と一礼した。どうにかにベレーを落っこっとさずに。
「そのためにも、改めてお願いします。あなたがたの力をお借りしたい」
「な、な、な、なにやってんだよ!」
裏返った声が、居間の空気をかき回す。間桐慎二と桜が帰ってきたのだ。慎二の口が戦慄くのも無理もなかった。親戚を自称するキャスターは認識していたが、赤青黒と三人もサーヴァントが増えている。
空気が揺らぎ、紫銀の髪が翻った。ライダーが実体化して、桜と慎二を背後に庇う。
「遠坂のアーチャーはともかく、そいつらは……」
キャスターの朱唇が弦月を象る。
「あら、これは私の僕よ」
慎二は蒼褪めながらも、桜の一歩前に出て、青い武装の美丈夫を見据えた。
「そっちの青い奴は、たしかランサー」
では、未知の赤い外套の偉丈夫は? 褐色の端正な顔の灰色の瞳には、知性が感じられる。
「……ってことは、もう一方はバーサーカー、じゃないな。アサシンか?
なんで、キャスターが二騎もサーヴァントを従えてるんだよ!?
ちくしょう、ルール違反もいいところじゃないか!」
菫色の瞳が嗤いを浮かべた。
「何を言っているの。
魔術師がサーヴァントを従えるのは、この戦争のルールでしょう?」
「そういうことよ。受け入れなさい、ライダーとそのマスター」
新たな声が割って入り、慎二と桜は弾かれたように振り向いた。
「と、遠坂、そうだ、なんでおまえがキャスターを……」
慎二が震えながら伸ばした指は、仁王立ちした凛に向けられた。
「そんなの、同盟を組んだからに決まってるでしょう。
聖杯戦争は、力比べじゃなくて魔術儀式よ。
だったら、最強の魔術師を味方にしない手はないわ」
それは人間の魔術師ごときではなく、魔術師の英霊に決まっている。
「……その手があったじゃないか!
なんで、こんなのが出てくる触媒を用意したんだよ、あのクソジジイ……」
庇っている者に手ひどいことを言われ、ライダーの肩が落ちる。
「あの、君の言い分も理解できるが、ライダーを責めるべきじゃないよ。
君たちは病み上がりだ。せめて、席に座って話し合いをしないか?」
アーチャーはベレーを脱ぐと、遠慮がちに提案した。
「チッ! アーチャー、またおまえか!」
「え……この人がアーチャー?」
驚いた桜はライダーに問い掛けた。頷きに、紫水晶の流れが揺れる。黒髪に黒目。凛や慎二たちよりも、よほどに日本人らしい色彩だ。桜よりは頭一つほど高いが、長身といえるほどではない。やや痩せ型で、表情は優しく、とてもライダーを退けた相手とは思えなかった。
「はい……ですが……」
「相談している場合?
あんたたちはとっくに負けて、わたしたちに生かされてるようなものよ。
さあ、さっさとこちらの軍門に下りなさい」
控えめな胸をそらした凛に、アーチャーは小さく首を振った。そして、穏やかな声と口調で爆弾を投げ込んだ。
「いや凛、こう言うべきだよ。
七騎で協力しなければ、勝てない敵が待っているだろうとね」