「煙っ……」
砂埃と火薬の匂いが蔓延るロザイア市庁舎……あるいは市庁舎跡地と呼んだ方がいいだろうか。瓦礫に満ちたその空間を咳き込みながら歩く。時折地面に倒れた人の姿を見つけては息があるか確認し、もう動かないそれを打ち捨てる。敵味方合わせてかれこれ十数人は確認しているが、今の所生存者は一人も見つけられない。見つけたいのかと問われると少々悩むところではあるが。
「……これも、か」
敵兵ではない。服装から考えると市庁舎の役人だろうか。一応は同じ帝国の臣民なのだが、こうして見ても何の感情も湧いてこない。その遺体を瓦礫の山に投げ捨てると、大して面白くもない”作業”に戻る。また新しい遺体を見つけては、失望と共にそれを投げ捨てる。その繰り返し。
「……フォール!」
己の名を呼ぶ声に顔を上げる。声の主、見慣れた顔の少年は、銃床で遺体を突きながらこちらに目線を向けていた。疲れなど感じさせないその様子に、見ているこっちの方が疲れてくる。
「俺はこっちを確認するから、お前は左を見てくれ!」
「わかったヴィル、急げよ!」
無駄にうるさい彼に叫び返すと、踵を返して作業に戻る。あとどれだけ時間が残っているのかはっきりとはわからないが、それほど期待はできないだろう。タイムリミットは援軍の到着。それより先に目的の物を見つけないといけない。俺の探し物を知っているのはヴィルとハルトだけ、この市庁舎での探し物に十分な人数とは言えないが、他に選択肢はない。ただ、探すだけ。
ふと視界の端で何かが動いた。リボルバーを向けても向こうはこちらに気が付いていない。よく見ると、その姿はもう見飽きた戦友の姿で。
「……ニュートかよ、驚かせやがって」
遺体の側に蹲って口元を手で押さえる戦友にため息を吐き、静かに歩み寄る。どうやら嘔吐していただけで大きな怪我はしていないらしい。その事実に安堵しながら軽く背を叩くと、震えながら振り向いた彼と目が合う。
「大丈夫か?いや大丈夫ではないんだろうけどさ」
「……気にしないでいい、ちょっと……気分が悪くなっただけだから。すぐに戻る……」
「無理すんな。さっきから死体しか見てないからな、胃が空になっても仕方ないだろ」
「…………ごめん……」
「問題ない、もうこっちの勝ちで終わった戦いなんだ。どうせ敵は皆死んだか逃げた、援軍が来るまで寝てたって誰も文句言わないって」
もう一度背を叩いてから彼のもとを離れる。特別部隊と言っても、全員十八歳以下の子供なのだ。まだ実戦経験も無い状態で、こんな形で突然戦闘に巻き込まれては精神的に堪えられなくても仕方ないだろう。成績の悪くないニュートですらああなのだから、他にも動けない隊員は多いかもしれない。そいつらにしてあげられることも特にないのが悔やまれる。
(そんなことより、一体どこに……)
砂利程度まで小さくなった外壁のレンガを蹴り飛ばし、視線を左右に走らせる。転がっている瓦礫にせよ遺体にせよ、それが元は何階に位置していたのかを判別するのは非常に困難だ。多分、探し物は上の階にあったはず。少しでも荒れている現場を選んで捜索すること数分、全く成果を得られず苛立ちを抑えきれずにいると、背後から聞き慣れた声に名を呼ばれた。
「見つけたか、ハルト!?」
「わからない、だが見た目はかなりそれっぽいと思うが……!」
つい先程までは重く感じていた脚が軽く感じる。あるいは、重さ含めて何も感じていないだけかもしれない。疲労と興奮でぐちゃぐちゃになる息を整えようともせず友人の下に走り寄ると、彼が指差す先に視線を向けた。
「………………これ、か」
瓦礫の下にその半分ほどを埋め、全体に砂埃を被っていてもはっきりわかる。そこにあったのは、たしかに俺の探していた物だった。いつの間にか合流していたヴィルも、地面に転がるそれを見て歓喜の覗く笑みを浮かべた。
「……その反応は当たりと見ていいんだな?」
「ああ、間違いなくな。感謝するよ、ハルト」
「……いやちょっと待て、俺は無視か?一緒に探した仲じゃ……」
「黙れヴィル。何の成果も挙げられなかった無能にかける言葉はない……と、フォールは言っている」
いつものようにくだらない言い合いを繰り広げる二人。それ自体はこの数年で飽きる程見た光景だが、神経を削る殺し合いを繰り広げた後にこれをやっているとなると、彼らの胆力に内心感嘆せずにはいられない。イリスたちは命を落とし、生き残ったニュートですらあれだけ憔悴しているのに。
「……フォール?お前も疲れたか?」
半分くらいはお前らのせいだけど、という本音を飲み込んでヴィルに視線を向ける。
「まあ……それなりには。イリスも死んだし……俺も数発もらったし。けど”これ”を見つけられたからな、それだけでだいぶ楽になったよ」
「ならよかった……ところで、実際にこれを目の当たりにした感想は?」
”それ”を軽く蹴りつけながら、意地の悪い笑みと共に尋ねるヴィル。警戒するように周囲に視線を向けるハルトも、こちらに全聴覚を向けているのは見れば容易にわかる。つくづく趣味が悪いと思わなくもないが、探し物に付き合ってもらった恩を考えると逃げる訳にもいかないだろう。未だ興奮冷めやらぬ頭を強引に動かして、十数秒ほど考えて。
「…………何も思いつかない。どんな言葉を持ってくれば、この感情を表せるのか見当もつかない」
「……要は、この光景を見られたことには感動していて、それとは別にお前には作家の才能がないって認識でいいのか?」
「いいよ別に、どうせ君たちには関係ないだろ?仮に俺が本書いたとして、買ってくれるような性格してないし」
呆れた顔のハルトにそう返事して。後頭部辺りに感じた熱に、咄嗟にリボルバーを構えた。僅かに遅れて俺に倣う二人。三つの銃口の先には、かなり遠くからこちらに手を振る少年の姿がぼんやり見えた。
「……あれ、エーリヒだよな?」
「多分。少なくとも敵ではない。それよりフォール、始末をつけるならあいつに見られる前の方が」
「んー……まあそうだな、せっかくだし」
一瞬とはいえ友に向けてしまった銃を握り直し、足元の”それ”に向ける。肺に残った空気を絞り出すように息を吐いてから、左目を閉じて。ゆっくり右手人差し指を曲げると、耳をつんざくような音が鼓膜を揺らし……
俺を、現実世界に引き戻した。
目を見開いた先にあるのは見飽きた天井。己の乱れた息と、隣から微かに聞こえる小さな寝息。数秒もかけて現状を理解し終えると、瞬く間に倦怠感が身体中を埋め尽くした。
「………………またかよ」
極小声で吐き捨てると、首元の汗を手で拭う。喉元まで込み上がって来た何かから逃げるように身体を起こすと、数度深呼吸。枕元の電灯に伸ばしかけた手を慌てて引っこめる。ひとまず収まった吐き気に安堵しながら、狭い部屋の中をテーブルの方へと歩き始めた。
(……どうして俺は、普通に夢を見ることすらできないんだろうな)
夢。人が睡眠中に見る、ある種の幻覚のようなもの。普通の人間であれば、その内容は現実とはかけ離れたものであることが多いだろうに。どういうわけか、俺が見る夢はいつも過去の焼き直し。鬱屈とした記憶に首を絞められ目を覚ますのももう何度目かわからない。それにため息を吐くのが己だけならまだしも、時には隣で眠る彼女までも起こしてしまうのは悩みの種だった。幸いなことに、今夜はそうならなかったようだが。
ぞっとするような気怠さを抱えながらテーブルに辿り着くと、グラスに水を注いで呷る。それはいつも通り生温かったが、今の自分にはこれほどありがたいものもなかった。少なくとも胃の内容物よりは遥かにマシな味をしている。胸を擦りながら時計を覗くと、今は午前三時ほど。起きるには早すぎるが今からベッドに戻ってもそれほどは眠れない、中途半端な時刻。
(大人しく眠れる気分じゃない……明日も仕事なんだがなぁ……)
とはいえ戻って横になる以上の選択肢も持っていない。足音を殺し、髪を撫でつけながらベッドに戻ると、そっと彼女の隣に潜り込む。一瞬身じろいだように見えた彼女だったが、夢の世界から抜け出すには至らなかったらしい。
「……ティーナ」
そっと手を伸ばして彼女の髪を梳く。絹糸のようなそれは滑るように俺の指の間を通り抜けて、シーツの上に落ちた。そんな彼女の身体のほんの一部すら、愛おしくて仕方がなかった。叶うことならずっとそうしていたかったが、彼女を起こすわけにもいかない。それにたとえ気持ちよく眠れない時間だとしても、身体を休めておくに越したことはないだろう。最後に彼女の姿を目に焼き付けてから、俺は静かに瞼を閉じた。
「……まだ眠い?」
かけられた声に数秒遅れで頷く。差し込む朝日に照らされながら微笑む彼女の姿は、不思議なほどに温かく感じる。その温もりが、昨夜の不愉快な夢で沈む俺の胸を溶かし……それでも、何かが残った。重くて暗い、今にも吐き出してしまいたい何かが。
「最近は帰り遅いことも多いし……あんまり無理しちゃ駄目だよ?……って言っても、警察がそんな気軽に休めないことは知ってるけど」
「大丈夫……それに、帰りが遅れるのもいいことはあるから」
「……いいこと?」
「ドアを開けたらすぐに君と会える」
「…………私は、君と一緒にいられる時間が長いのも嬉しいんだけどな」
呆れと嬉しさが半々になったような表情ではにかむティーナ。そんな彼女に微笑み返すと、冷たいパンを齧りコーヒーで流し込む。だいぶ簡素な朝食だとは思うが、俺も彼女も朝に弱いことを考えるとこのくらいがお互いに楽だった。こうして二人で話していれば、己が何を食べているかなんてさほど気にもならないし。
数分で朝食を終えると、眠い目を擦りながら出勤準備に取り掛かる。鏡の前で髪を確認する彼女を眺めて憂鬱さを忘れようとしていると、不意に鏡の中の彼女と目が合った。
「……そういえばさ、フォール。私の勘違いだったら悪いんだけど」
世間話のような気軽さで口を開いた彼女の方に向き直って。
「最近、夜中に目を覚ますこと多かったりしない?」
あまりに純真で無慈悲な一言を打ち込まれ、掠れた声が喉から漏れた。
「……起こしたか……?」
「んー……たまに、ね。最後に起きたのは三日くらい前だっけ……君が水を飲みに立ち上がったのはぼんやり覚えてる。けどその反応だと、昨日も途中で起きてたの?」
何もかも見透かしたような緑色の瞳。揶揄うような気遣うような、責める色は感じない声。それらに屈するように頷くと、力なくベッドに座り込む。
「そっか。それなら……ありがとうね、フォール。昨夜も起こさないようにしてくれたってことでしょ?」
「礼を言われることじゃない……むしろ、こっちが謝らないと……」
「いいの、全然気にしてないから。それよりも君の方が心配っていうか……あんまり続くようなら、病院に相談した方がいいんじゃない?」
俺の頬に彼女の手が触れて、そっと持ち上げられる。心底不安がるような彼女と至近距離で目が合って。その顔が、不意に何かと重なった。遠い記憶の中で、同じように自分を心配してくれた誰かと。それを自覚した瞬間、喉を不愉快な酸味が逆流してくる。
「っ……!」
「フォール……?」
怪訝そうに目を向ける彼女を制して、さっきの朝食の成れ果てを無理矢理胃に押し戻す。口元を押さえながら慎重に息をすること数秒、やがて不快感は喉の奥に引っ込み、乱れた息も元通りになった。薄っすらと身体に纏わりつく寒気だけを残して。
「…………なんでもない、気にするな」
「……そう?ならいいんだけど」
一応は納得したのか、首を傾げながらも視線を戻すティーナ。辛うじて誤魔化せたことに安堵しながら、上着を掴むと雑に羽織る。
「今日の練習は昼過ぎには終わるはずなんだけど、何かあったりする?用事とか、買っておいた方がいい物とか」
「……大丈夫じゃないか?その辺は先週出かけた時に済ませただろうし」
「それもそっか……あっ、じゃああの店のレモンパイとかは?」
「……買ってきてくれたら嬉しいけど。けど面倒だろ、遠いし……何もこんな寒い時期じゃなくても」
「いいの、どうせ何処かでお茶しようってレツィと話してたし。それに今日は暖かそうだよ、この時期にしては」
窓の外を指差しながら顔をほころばせる彼女。その指の先を確認することも忘れて見惚れていると、彼女の笑みが揶揄うようなものに変わった。
「……そろそろ行ってくる」
「ん、行ってらっしゃい。気を付けてね」
こちらに駆け寄ってくる彼女に軽くハグしてから、玄関の戸を開ける。彼女の言った通り、廊下に蔓延る冷気も、街路に差し込む陽光も普段よりは優しい。優しい、はずなのに。
「……マフラーか何か欲しいって言えばよかったな」
思わず、そんな一言が漏れた。