「…………それが、私と彼が初めて会った日の話」
「……なんていうか……変な人っすね。フォールさんも、そのレツィって方も……」
「それは……うん、そうだね。特にレツィはなぁ……いい娘なんだよ?私とフォールが今の仲になれたのも、半分くらいは彼女のおかげだし。いい娘なんだけど……なんだけどなぁ……」
物凄く言葉を選びながら何かを言おうとして、やがて諦めたように苦笑いを浮かべるティーナさん。不意に、何かに向けて手を振りだした彼女の目線を追うと、裏から戻って来たらしいフォールさんとソラという人の姿が見えた。
「おかえり、二人とも」
「随分楽しそうだったけど、何の話してたんだ?」
「んー……ただの昔話。それよりいいの?まだ仕事の話とかあるんじゃ……」
私とフォールさんを交互に見ながら尋ねるティーナさんに、慌てて記憶を辿る。たしか彼とは拳銃の話をしていて、ケッセルが話題に上がったところまでは……
「……思い出したっす。それで、次はケッセルに……」
「ケッセルだと……汽車で帝都まで行って、そこで乗り換えか。じゃあ明日の昼に出るやつでいいか?」
「ええ、あなたさえよろしければ。では駅で落ち合いましょうか」
せめて、彼とティーナさんの時間を奪わないように。慌てて荷物をまとめると、三人に向けて一礼する。扉に手を伸ばしたところで、ティーナさんの声が私の名を呼んだ。
「言い忘れるところだった……あのチョコレート、ごちそうさまでした。すごく美味しかったから……今度は、私から何か贈るね!」
「ああ、あれっすか……喜んでいただけて嬉しいっす。そうですね……その”今度”、楽しみにしてます」
最後にもう一度彼ら彼女らに頭を下げて。私は一人、ウェルトハーツの街路へと踏み出した。
「……随分と色々彼女に喋ってたみたいだけど。本当によかったの?」
ミランが退店してすぐに、ソラの低い声が店内に重々しく響く。俺を責めるようなその声色に肩をすくめて吐き捨てる。
「仕方ないだろ。俺に恋人がいるってバレた以上、向こうが本気になれば遅かれ早かれティーナ・エルマーニという人間に辿り着く。おまけに俺がこの店にいるのを見られた時点で、トチ狂った向こうがお前やお前の親に危害を加える恐れもある。だったら先にある程度情報を開示してやったほうがやりやすい」
「けど、」
「……ソラ、ちょっといい?」
口を挟んだティーナに、俺とソラは仲良く沈黙する。彼女の声は至っていつも通り、圧など感じさせぬ静かな声。それはまるで、自分の意見を通すにはそれで十分だと理解しているようですらあった。
「私は、ミランちゃんと……AEIっていう所が何を考えているかはわからないけど。その人たちがフォールの敵だって決まったわけではないんでしょ?その状況で何もかもを隠そうとするよりは、ある程度教えた方がいいんじゃないかなって。こっちはあなたたちのこと信頼してますよってアピールにもなりそうだし」
「……そうかもしれないけど」
「それに仮に私が狙われるとしても、ここはウェルトハーツだから。この国でも一二を争うくらいには治安がいいし……私たちのことを守ってくれる、優秀な警察の人もいるから。ね?」
こちらへウインクする彼女に、苦笑交じりに頷く。その言葉を聞いても納得のいっていない表情だったソラも、やがて諦めたようにため息を吐くと両手を軽く上げた。ティーナに心酔し切っているソラにとって、ティーナの意見に反抗することは気が進まなかったのだろう。そしておそらく、ティーナもそれを理解していた。
「……ありがと」
小声でそう囁くと、彼女はとぼけるようにそっぽを向いた。そんな彼女の隣の席に座り、掃除に戻るソラを何となしに目で追うこと数分。二の腕あたりをつつかれた感触に目をやると、ティーナは俺の耳元に口を寄せた。
「……一応聞いておくけど、あのミランちゃんって子、信用できるの?」
「それなりには。少なくとも、俺を殺したくて仕方がないってわけではないらしい」
この前のヘルマンの件で、あの女は俺を撃つことだって可能だった。しかし結果として、あいつはヘルマンに銃口を向けた。半ば衝動的な行動だとは思うが、情報源に成り得る存在を殺してまで俺を守ろうとしたあいつの行動は、彼女のことを信じてみてもいいかもしれないと思わせるものだった。
「……とはいってもAEIが何考えてるのかはさっぱりだしな……わざわざ指名してきたってことは、俺で何かしたいんだろうけど……それを探るにはもう少しかかりそう」
「……そっか」
不安を無理矢理飲み込んだような顔で彼女は頷く。その表情を見た俺が口を開くよりも先に、彼女はいつも通りの微笑をこちらに向けていた。
「今日は夜どうしよっか?正直、今から帰って準備するの面倒ではあるんだけど」
「……同じく。どっかで食べてく?」
「そうしよっか。じゃあ……どっちにする?」
右手で二本、左手で三本指を立てると首を傾げるティーナ。数秒瞼を閉じた末に左手を指差すと、彼女はふっと破顔した。
「ん、わかった……ねえソラ?この後さ、一緒にご飯食べに行かない?」
「なんでまた……邪魔者なんか置いて二人で行ってくればいいでしょ」
「それはいつもやってるし、三人で食べたくなる日もあるの。いいでしょ、片づけは手伝うから。ね?」
飼い主にじゃれつく犬か猫のように迫られて、ソラは早々に白旗を掲げた。談笑しながら作業を進める二人を目的もなく視界の中央に置きながら、ふと少し前……ミランが訪れる前の記憶が蘇った。ほんの一時間も経っていないはずなのに、下手すると何か月か前のように思えるその記憶の糸を手繰り寄せる。
「……いつの夢見てたんだっけ」
二人の作業が終わるまでぼんやりと考え続けたものの、その答えは終ぞ思い出せなかった。
ウェルトハーツ発ゲルシュヴァイト行きの列車は、遊びに来た帰りなのだろう、それなりに裕福そうな人間たちでほぼ満席だった。そんな車内のボックス席を一つ占拠する十代の男女は物珍しいのか、あるいは俺がフォール・ヴァルトルーデだと気付いているのか、時折物陰から飛んでくる視線にうんざりしながら、俺は手にした詩集のページを捲った。
「……それ、面白いですか?」
「……あんまり。レツィから借りたやつなんだけど……あいつとは微妙に趣味が合わないんだよな」
ウェルトハーツを出てから六時間ほど経った。最初はそれなりに会話も弾んでいたが、いつまでもそれが続くわけもなく。まだ帝都まで四時間くらいある上、乗り換えのために一晩待ち、さらに帝都からケッセルまでにももう半日以上を要するはずなので……
(………………退屈)
別にミランのことを悪く言うつもりはないが、目の前にいるのがティーナなら、と思わずにはいられない。たまには二人でどこか別の街で羽を伸ばすのも魅力的だが……誰かに見つかって騒ぎになりかねないことを考えると、しばらくは難しいだろうか。
「……そういえば、ですけど」
手にしたペンを器用に回しながら、不意に彼女が口を開いた。
「ヘルマンとの話で、ロザイアの生まれって言ってましたよね?」
「ああ……言った、かも」
「じゃああなたは、軍に入った後たまたま生まれ故郷にいたら共和国軍が攻めてきて、そこでドンパチやり合ったんですか?」
「いや……うーん……まあ、そうではあるか……」
なんとなく頷きにくい話ではあるが、言われてみると確かに何も間違ってはいない。渋々頷いた俺に、彼女は案の定楽しそうな顔で距離を詰める。
「へぇー……本当に変な経歴してるっすね、あなたは。そもそも十九歳の”元”軍人ってだけで相当希少っすよ?」
「うるせえな、十五歳の諜報員に言われたくはねえよ」
「あー、それ言います?」
「言うに決まってるだろ、普通にやりづらいんだよ……うちの署だと俺が最年少だからな?未だに年下のお前と組んで調査してるのが意味わかんねえよ……というか、AEIに入るの止められなかったのか?」
タリオンの中では、入る前に家族やらとひと悶着あったというのは珍しい話でもなかったが。少なくとも胡散臭さでは軍を凌駕するAEIという組織に誘われて、彼女の周りの人間は止めなかったのか。その疑問に、彼女は以前ペンを弄びながら、
「止められはしましたけど……あのまま孤児院いてもなあ、みたいなところもあったので。どっちにいたって私の居場所があるかどうかは微妙というか……」
眉一つ動かさずにそう答えた。
「……そうか」
普段の彼女からすると、不自然なほどに動かない表情。それを見れば彼女の言に嘘が含まれていることは容易にわかった。
それと同時に意外でもあった。多少崩した口調はさておき、彼女の所作はそれなりに育ちの良さを感じさせるものだったから。実際は孤児院育ちという話を信じるなら、AEIの中で教育されたのだろうか。
「ああ、気にしないでくださいっす。別に、自分の境遇に何か思ったりはしてませんから……私の親ってどんな顔だったんだろ、とかはたまに思いますけど」
「まあ、そうだな……」
「……むしろ、私はあなた……たちの親も気になるんですけど。あなたとティーナさんが同棲してるのって、外から見れば駆け落ちみたいなものですよね?なんか言われたりしないんですか?」
「いや……別に。俺の父親はもう俺に干渉できないし、ティーナの母親は怖いくらいの放任主義だし」
「……残りの二人の親は?」
「生まれたときからいないし、誰かもわからん」
「……まあ、シンパシーを感じられるのはいいことなんじゃないですか?お揃いですよ、お揃い」
擁護になっているのかいないのかさっぱりわからない、胡乱極まりない発言に思わず吹き出す。親の顔を知らないミラン、中途半端に知ってしまった俺とティーナ。どちらがまだマシなのかを一瞬考え、そのあまりの不毛さに気付いて小さく息を吐く。
「んなことより、もっと楽しい話しないか?つっても俺は思いつかないけど」
「んー……そうっすねー……」
顎に手をやりながら考え込んだミランは、すぐにこちらを真っすぐ見つめた。それも、キラキラとかいう擬態語が相応しいほどに光り輝く瞳で。
「やっぱり恋バナしません!?あっ、私は初恋すらまだなんで何も話せないっすけど」
「……お前の口縫っていい?」
極力冷たい声になるように言い放つ。それに彼女は、さっきの落ち込みようとは別人のように無邪気な笑みを向け返すのだった。