血と嘘塗れの英雄譚   作:ブラートフィッシュ

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途絶えた足跡

「……クソがっ……!」

 

 蹴りつけた壁から舞い散る埃。それでも収まらぬ苛立ちに死体から離れると、ミランが入れ替わる様に近づいた。

 

「……死因は胸部の刺し傷。死後数日……は経ってますね。争った形跡はないですし……刺し傷も一箇所だけっすかね。随分あっさり殺されたような……」

 

 マルツィオ・ラパロ。ティルピッツ社の工場で七年勤務した三十三歳の下級労働者。クルードC700の廃棄作業を直接行った人間であり、一週間ほど前から無断欠勤中。それらの情報から彼が怪しいと踏んで家宅に乗り込んだ俺とミランだったが、早々にその死体と対面することとなった。

 

「……どう思います?」

 

「死後数日ってのは確かだな。仮にウェルトハーツで俺たちと遭遇したスパイが、慌ててケッセルまで逃亡するなり連絡するなりして口封じしたとすれば……今から一週間前くらいか」

 

「なら、向こうの口封じってのは間違いないっすかね……味方だと思ってた相手に急に刺されたなら抵抗も難しいでしょうし。それはそうと……なんか変な匂いしません?」

 

 ミランの問いに無言で頷く。血とも硝煙とも違う、ある種の香辛料のような奇妙な匂い。あんまりにも薄らとしか感じなかったので気のせいだと思っていたが、どうもそうではないらしい。

 

「まあ、とりあえず探しますか。正直望み薄ではありますけど」

 

 スパイ一派がこの街まで口封じに来た以上、情報源になりそうな物は全て抹消されていると考えるべきだろう。この家で何かしら次につながる物証を得ないと、この捜査も八方塞がりになるのだが……

 

(……にしても、なんか覚えがあるんだよな、この匂い)

 

 記憶の何処かには残っているのだが、それがいつの何処の記憶なのかは思い出せない。段々と積み重なっていく苛立ちと疲労感にため息を吐きながら、家具の中や隙間に手を突っ込む。けれども特に成果はなく。

 

「エンベルトの家も同じでしたけど、本当に何もないっすね」

 

「……こいつは単純に低所得ってだけじゃないか?ケッセルの人間、それも下級労働者となればほとんど貰ってないだろ」

 

「まあ、金で釣るにはちょうどいい相手ってことっすかね……うわっ」

 

 背後から響いた声、どさりと何かが落ちる音。振り向くと、何やら布袋を前にして首を捻る彼女と目が合う。

 

「……天井に隙間があって、なんだろと思ったら落ちて来たんですけど。多分、匂いの出所ってこれじゃないっすか?」

 

「……たしかに。で、中身は?」

 

「…………なんか、塵みたいな……枯れた葉っぱというか……なんですかこれ?」

 

 焦げ茶色の粉末のような何かを彼女から受け取って。その匂いを間近で嗅いだ途端、頭を突き刺されるような感覚が走る。

 

「……フィウム」

 

「フィウムって……あの麻薬の!?」

 

 頷いた俺の手から袋が引ったくられる。訝しげに中身を嗅いだり振ったりするミランだったが、やがて諦めたように両手を上げた。

 

「……ごめんなさい、わからないっす」

 

「まあそうだろうな。使用前のフィウムは無臭なんだから、これの匂い知ってる人間はそうそういないって聞くし」

 

「……じゃあなんであなたは知ってるんですか。まさか、らんよ……」

 

「軍にいたときに知ったんだよ!本来は鎮痛薬とかに使うものだからな、これ!?」

 

 用法さえ守れば、一時的に痛覚を曇らせる便利な薬品に過ぎないのに。刹那的な快楽を求める亡者たちと、そいつらを食い物にし利益を貪る密売人たちの存在は、この薬物に対する悪評を高めに高めていた。帝国中の警察が躍起になって流通ルートを潰そうとはしているものの、いたちごっこに終始しているのが現状である。

 

「それにしてもこの量は狂ってるな……普通に密売人から買おうと思ったら、俺の給料二か月分……下手するともっとかかるんじゃないか?」

 

「……なるほど。つまりスパイ一派は、密輸ルートの一つを掌握していて、ある程度のフィウムを自由に動かせた。その後、そのフィウムを対価にこの男を協力者にしたと。先にフィウム依存症になっていたこいつに声をかけたのか、依存症にするところから始めたのかはわからないっすけど……」

 

「一度依存症になってしまえば、後はそれをちらつかせるだけで好きなだけ操れるだろうしな。まあ金でも釣れそうな相手の餌に、リスクを背負ってまで密輸品の麻薬を使うかって疑問は残るけど」

 

「……そうっすね。別の用途にフィウムを使うからあらかじめ裏ルートを抑えていて、せっかくだから流用した……とかっすか?ただその場合……このスパイ一派、思ったより大規模っていうか……一体何を目的に……」

 

 彼女の言葉を最後に部屋から音が消える。理由は二つ。一つは今ミランが言った通り、敵の規模と目的が見当もつかなくなってきたから。もはや俺たち二人の手には負えない案件であるような気はするが、上にそれを訴えたところで腰を上げるのだろうか。そしてもう一つの理由は、とうとうスパイの足跡を見失ったから。スパイ本人の姿からその拳銃を追いかけてこのケッセルまで辿り着いたが、これ以上後を追うあても術もない。強いて言うなら、フィウム密輸の裏ルートのどれかと繋がっているのは間違いないと思うが……一体この国にその裏ルートが何本あって、どうやって探せばいいのか。

 

「………………」

 

 骸一つと生者二人が屯するその部屋は、重々しい沈黙に包まれたまま、ただ時間だけが過ぎていった。

 

 

 

 

 

 鬱屈とした部屋だ。そう誰かが言った気がして、手元の本から視線を外す。振り向いた先には、不気味な物を目の当たりにしたように、目を見開き硬直する男の姿があった。

 

「……どうかされましたか、先生」

 

「……君は相変わらず、勘が鋭い」

 

「私からすれば、わからない方が奇妙なのです」

 

 無言で首を振る彼。手にした本を放り投げると、床を数秒滑った末に別の本にぶつかって止まる。言語学、神学、法学……数百冊は優に超えるであろう本たち。それらに埋め尽くされた部屋の中で、自分の息を吐く音だけが小さく木霊する。

 

「それで今日は?クルセンド語は先日終わったかと思いますが……エスペリア?ザレヴィア……はないか」

 

「ここ二十年ほどで、かの国におけるザレヴィア語の社会的地位もかなり向上した。そういった意味では、ザレヴィア語を学ぶ意味は十分にあるでしょう……もっとも、今日から始めるのはヴェローナ語ですが」

 

「……そうですか」

 

「想定外かな?」

 

「想定外ではありますが、想定通りの退屈さではあるかと」

 

 反抗的と言っても差し支えないであろう態度にも、彼はバツの悪い顔で目線を逸らすだけ。立ち上がった自分が、閉塞感を放つ窓に近づき、覗き込んだ頃に、ようやく彼は口を開いた。

 

「……若様には、アイスリー家を継ぐという使命があります。御父上以上に身を立て、アイスリーの家名を……」

 

「その話は少々飽きました」

 鉄格子の付いた窓から外を見下ろすと、通りの向こうに数人の子供たちが見えた。自分よりも幾らか年下に見える彼らは、何も考えていないような顔で無邪気に走り回っている。きっと自分とは違い、無知で、愚鈍で、自由な幼子たち。やがて、そのうち一人の視線が自分に突き刺さった。

 

「………………」

 

「若様、そろそろ……」

 

「……ああ」

 

 振り返った先に見えるのは、異常にぼやけた家庭教師の姿。目でもおかしくなったのか、と思い己の双眸を擦ってみても結果は変わらず。

 

『……の、聞いて…………すか?』

 

「……ああ、聞いてるよ」

 

 瞼を閉じると、眩暈のような感覚に襲われ、意識が急速に遠ざかる。快とも不快ともつかないその現象を歓迎しながら、俺はゆっくりと目を開けて。

 

 

 

 

 

「……やーっと起きましたか」

 

 向かいの座席に座った、赤い髪の少女が呆れたように囁く。安そうな座席は列車の振動を大して軽減もせず、忠実に俺の身体へと伝えてくる。ここはどこだ、と答えを求めて窓外に視線を向けるも、夕暮れを通り越した景色はほとんど何の情報も与えてくれない。

 

「もうすぐゲルシュヴァイトっす。乗り換えますよね?」

 

「ああ……一体何時間待てばいいのかはわからないが」

 

「まあ、一晩明かさないといけないのは確定っすからね……ああそうだ、私は帝都に用があるんで、ここで一旦お別れっすね」

 

 手元の荷物を纏めながら呟くミラン。平時と何ら変わらぬ明るい声は、ほとんどの客が眠そうにしている車内では浮いて聞こえた。それ自体は咎めることでもなかったが、彼女の姿にはささやかながら引っかかるものがあった。今の俺たちの状況を思えば、もっと暗い声で吐き捨ててもおかしくないだろうに。

 

「一旦うちの拠点に戻って、情報を纏め直します。もしかしたら、上が何か追加で情報を得ているかもしれませんし……」

 

「……ああ、そうだな」

 

 窓の向こうに広がる宵闇。こちらを押し潰してきそうなその暗さから目を逸らすと、彼女と目が合う。その瞳に映る自分自身はやけにか弱く見えた。

 

「……俺も上に相談してみる。とはいっても元はAEIの仕事だし、何処まで頼りになるか……」

 

「仕方ないっすよ。フォールさんはうちの仕事に巻き込まれただけですし……」

 

「巻き込まれた、ねぇ……なあ、ミラン。そもそもAEIはなんで……この任務に俺を呼んだんだ?」

 

 多分核心に迫るであろう一言に、彼女の肩が跳ねた。俺から逸らされた彼女の視線が迷うように一周ぐるりと回り、また俺の元に帰って来る。ガタゴトと車体が揺れる音が響き、その度に彼女の赤い髪が揺れる。

 

「………………ちなみに、今ってどっかから視線感じます?」

 

「……いや、お前だけだな」

 

「そうっすか……」

 

 それだけ呟いて、彼女は瞳を閉じる。汽笛が響いて数秒、列車はトンネルに入った。一気に暗くなる車内の中で彼女は眠っているようにも見える。時折聞こえる悩まし気な吐息だけが彼女の苦悩を伝えていた。やがてトンネルを抜け、その眩しさに思わず俺も目を閉じ。目が慣れた頃には、意を決した様子の彼女がこちらを見据えていた。

 

「……あの、本当に勘違いしないで欲しいんですけど……今から言うこと、上が勝手に思ってることで私の意思は欠片も入ってないっす。それだけ覚えておいてください」

 

「……ああ」

 

「その、今回の件……うちがこの話を掴んで割とすぐに、帝国の人間に協力者がいるはずだって考えが持ち上がったんすよ。それで……何故か、その協力者の候補にあなたが入っていて」

 

「……は?」

 

「なんでそういうことになるのか、私にはさっぱり……もしかしたら、そうだと嬉しい人間がいるのかもしれないっすけど。だから、スパイを追っかけることと同じくらい、あなたを探るのも私の任務だったんです。けどヘルマンと殺し合いになった時点でその線は消えたし、上……少なくとも私の直属の上司はもうあなたを疑ってません。私が何度もそう言いましたし、この後も念押ししますから。なんていうか……不愉快でしたよね、申し訳ありません」

 

 頭を下げる彼女の姿がぼやけて見える。耳鳴りが車体の音を塗り潰すように大きくなる。彼女に何か言ってやるべきだと思いながらも口が開かない。それほどまでに彼女が語ったことは衝撃的だったし、意味が分からなかった。共和国と最前線で殺し合い、一部のエーデ臣民の恨みを買いながらも打ち破った俺が、共和国との内通を疑われる。そうなる理由などあるわけがないし、あっていいわけがない。その、はずなのに。

 

(…………もう、疲れた。色々と……本当に、疲れた……)

 

 気が付けば、俺は独りでウェルトハーツ駅のホームに立ち尽くしていた。ミランに何と言って別れたのか、家に帰ってティーナに何と話せばいいのか、もう何もわからなかった。

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