皇紀五九八年十一月十六日――フォール・ヴァルトルーデとミラン・スフレイヴェルが出会った日から、二年と八日前。エーデ帝国陸軍が創設した特殊部隊、通称タリオンは、訓練のためロザイアという街に滞在していた。エーデ帝国とクルセンド共和国を隔てるノーク川、それに沿うように構成されたその街は、軍人やその家族が多く居住する都市であり、またフォールの生まれ故郷でもあった。
街の中心から離れた人気のない山中。その茂みの中から、不意に一人の青年が立ち上がった。あまりに無防備――に見えるその姿に、彼は目をやってしまった。次の瞬間、青年の銃から発射された弾丸が木陰に向かって直進する。そこに隠れていたカーキ色の服の男、その首元に直撃したのを確認すると、青年――フォール・ヴァルトルーデは周囲を確認してから歩み寄る。
「死にました?」
「……ああ、ほぼ即死だな。ったく、普通に痛いから嫌いなんだよな、これ」
首に当たったゴム弾を忌々し気に投げ捨てて、男はそう呟いた。士官学校出身者だけあって、彼の潜伏は完璧と言ってよかった。彼の敗因は三つ。フォールのあまりに奇怪な行動に目を向けてしまったことと、一瞬その動機を考えて手を止めたこと。そして、彼に視線を逆探知する人知を超えた能力があったこと。それらを全て男の責とするのはあまりに酷だろう。
「……ああそうだ、忘れてた」
そう呟いたフォールは、足元から石を拾うと放り投げた。やがて斜面の下から小さな足音が幾つか聞こえてくる。欠伸を噛み殺しながら彼らを待つフォールの背に、
「……やっぱ格が違えな、第六感持ちってのは」
賞賛半分妬み半分というような男の声がぶつかった。振り向いたフォールと、木に寄りかかりながら苦笑する男の視線がぶつかる。
「……そうですか?」
「ああ、俺だって……16で軍に入ってから、12年はしごかれてんだ。他の奴らもそうだ、皆お前みたいなガキに撃ち負けるなんて許されない立場なのに……昨日も、ラセンって奴に負けた俺の同期は罰走すら課せられなかった。上の奴らは思ってるのさ、第六感持ちのエリート少年様たちの手にかかれば、正規兵なんかゴミ同然だって。それが癪に障ったから潰してやろうと思ったのに、結果はこのザマだ。いずれ、お前たちが丸ごと俺らに取って代わるんだろうな」
肩を竦める男に、何と答えればいいのか青年は咄嗟には思いつかなかった。それ故立ち尽くしている内に、近づいてくる足音は彼のすぐ側まで来ていた。
「隊長っ!」
姿を現した四人の内一人、銀髪の少女――イリスの高い声にフォールが人差し指を唇に当てると、彼女ははっとしたように周囲を見回した。遅れて駆け付けたニュート、エーリヒ、ディルクも彼と正規兵の男を見比べ、状況を理解したように頷く。それを見てようやく、フォールはリラックスした顔で微笑んだ。
「遅かったなお前ら。もうとっくに制圧は終了したが」
「無茶し過ぎなんですよ、隊長は!敵がどこに居るかわからないからってわざわざ見つかりにいくことないじゃないですか!?」
「けどそれで上手くいったし……反射神経勝負なら勝てる自信だってあったからいいじゃん」
「……貴方の仰ることも理解はできますけど!だからといってそんな焦らなくても、もっと他の手を考えてからでもいいのでは!?ラセンの隊とかに勝ちたいのはわかりますけど、それを意識し過ぎて……」
眉を吊り上げ、フォールの至近距離まで迫るイリスの肩に、背後からエーリヒの手が伸びた。
「……あの、副隊長。隊長の策が前のめり過ぎるということは僕も思いますけど……ひとまず、声を落としましょう。隊長の索敵能力があるとは言っても、敵に見つかりたくはないですし」
落ち着いたエーリヒの声に、彼女の乱れていた呼吸も次第に規則正しいものへと変わっていく。やがて落ち着きを取り戻した彼女は、深呼吸してからフォールに向かって深く頭を下げた。
「……申し訳ありません、隊長。理不尽な理由で貴方の判断を糾弾してしまったこと、心から謝罪します」
「いやその、頼むからそんな真剣に謝らないでくれ……お前の意見も筋は通ってるし、俺も無茶し過ぎたって思ってるから……」
慌ててそう付け加えられても、彼女の顔は陰に覆われたまま。自身と言い争っていたときの勇ましさをまるごと反転させたようなその弱気な姿に、どう振る舞うべきかわからない様子のフォール。意図せずこの状況を作ってしまったエーリヒも戸惑いを浮かべる中、これまで沈黙を守っていた青年――ニュートがゆっくりと口を開いた。
「……フォール。君のおかげで試験の妨害役はほとんど排除できたはず。さっきのイリスの声に何の反応もなかったから、この近くに残っている可能性は限りなく低い。ここで最後の休息を取ってからゴールまで突っ走れば、十分に一位を狙えると思うけど……どうする?」
「……そうだな。ディルクの負傷も歩行に支障はなさそうだし……なんか雲の動きも怪しい以上、早めに動いた方がいいか。ならここで五分休憩、その後ゴールに向かって移動を開始する。いいな?」
了解、と四重に響いた返事に頷いたフォールは男の方に向き直る。彼らの会話を黙って聞いていた正規兵の男は、軽く手を叩きながらフォールを真っすぐ見据えている。その視線が突き刺さっていた背中に、彼が熱を感じたほどに真っすぐ。
「……協調性もリーダーシップも、判断力も悪くない。やっぱり優秀なんだな、お前」
「ありがとうございます……それと一つ。先程のあなたの発言で、否定しておきたいことが」
「否定したい?何をだ?」
「”僕たちがあなたたちに取って代わる”の部分を。僕たちタリオン二十七人は皆第六感の素質を持った人間……ということになっていますが、実際には第六感を扱える人間は僕を含め五人だけ。軍がどうやって第六感の素質を判断しているのかは知りませんが……素質ありの人間の六分の一しか覚醒しない存在が、安定して供給される正規兵の立場を奪うことなんてあり得ません」
その言葉を最後に、沈黙が場を支配する。イリスたちさえも気を遣って黙り込むうちに、フォールが宣言した休息時間はほとんど過ぎ去ってしまっていた。
「……お前ら、もう出れるか?」
その言葉に頷く四人。手元の銃を確認したフォールは、最後に男に向けて敬礼すると斜面を登り始めた。それに倣ってから彼を追う隊員たちを見届けてから、男は気怠げに息を吐いた。
「……フォール・ヴァルトルーデ……あれが部隊で上から三番目ねぇ……」
第六感を前提にしたものとはいえ、潜伏した敵を炙り出す斬新な発想。危険極まりないそれを独断で実行してしまう軽さ。自身よりも経験の多い軍人相手に勝利する射撃能力、そしてあの副官らしい少女の扱いに苦慮するような青さ。自分を優に超える能力と若さをこれ以上ないほどに見せつけられ、彼の自尊心はめった刺しにされていた。それでもそれをおくびにも出さなかったのは年の功だろうか。
「……それにしても……上はあんな部隊を作って、一体何と戦おうって言うんだ?」
誰にも拾われなかったその呟きを最後に、山中は再び静寂に包まれた。
エーデ帝国陸軍特別養成特殊部隊、通称タリオン。第六感適性者である男女二十七人で構成されたそれは、アルファ分隊からエプシロン分隊までの五つに分かれており、それぞれが第六感所有者によって率いられていた。その内の一つ、デルタ分隊を率いていたのが十七歳の青年、フォール・ヴァルトルーデである。
「……誰の視線も感じない。もう妨害役はいないのか?」
「迂回した分も含めれば、既に八人以上は対処したわけですし……可能性はありますが。いずれにせよ、油断はできないかと」
「そうだな……お前が隣にいると息もつけなくて助かるよ、イリス」
「お褒めに預かり光栄です、隊長」
デルタ分隊を率いる彼と、紅一点の副隊長。軽口を叩きながら歩く二人を隊員の三人は数歩後ろから見つめる。結成されてから二年、良好な関係を築いてきた彼らだったが、それでもフォールとイリスの仲は頭一つ抜けていた。エーリヒとニュートの二人に関しては、イリスの心情――具体的に言うなら、彼女がフォールに向ける想い――に気づいてもいたから、なおさら彼らの会話を邪魔しようとは思わなかった。
「……順調過ぎるのも焦りを招くな……ラセンたちに勝てるかもとなると、余計に」
分隊ごとに成績を競わせる形式の訓練。もう何十回と繰り広げられてきたその競争は、これまで全てガンマ分隊の勝利で終わっていた。初戦最下位というスタートを切ったデルタ分隊は徐々にその成績を上げてきたが、それでも二位が最高記録。そして今、ようやく初勝利まであと一歩のところまで来た……そう彼らは考えていた。
「……ディルク、足は問題ないか?」
「ああ、あと十キロくらいはいけそうだ」
「……もうあと二もねえよ……多分」
双眼鏡を数秒覗いて呟いたフォール。その視線は、言葉通り二キロ弱程先の丘を見据えていた。そこに到達することが今回の訓練の目的である。
「……少し急ぐぞ。ニュートとイリスはトラップを警戒、エーリヒはディルクのこと気にしといてくれ。伏兵は俺の第六感でどうにかする」
逸る彼の心とは裏腹に、その声は冷たく抑揚のないものだった。
数時間後。
「……隊長、よろしいですか?」
控えめなノックの後に響いた少女の声。ベッドに横たわった身体を起こしながら促したフォールと、妙に恐る恐るといった様子のイリスの目が合う。
「……何に遠慮してるの?」
「いえ……その、よく考えたらまだお疲れかな、と」
「気にするな、ラセンを煽ってたら疲れも吹き飛んだから」
「ええ……」
欠伸を噛み殺しながら手で促したフォール、首を捻りながらも部屋に入ってくるイリス。二人用の部屋に二人がいるという、至って何ともない状況のはずなのに、妙に狭く感じるのは二人ともだった。やがて小さなテーブルを挟んで腰掛けた彼らは、ジュースの注がれたグラスを軽く合わせる。
「何はともあれ、初の一位奪取おめでとう」
「……ええ、本当にお疲れ様でした」
結局、十五分ほどの差でデルタ分隊はガンマ分隊に勝利した。タリオン結成以来、この手の競争でデルタ分隊が勝利したことは勿論、ガンマ分隊以外の勝利にまで広げても初の快挙。大いに喜びを爆発させた彼らは、散々はしゃいだ。フォールに至っては、ガンマ分隊の長であるラセンを煽りに別の宿舎まで歩きさえした。それでもまだ興奮冷めやらぬ彼は、イリスの二人きりで祝勝会がしたい、という誘いに二つ返事で頷いたのだった。
「ああ、お疲れ。つっても疲れたのはお前の方だろ。俺はお前の面倒見なくていいけど、お前は出来の悪い隊長の面倒まで見ないといけなかったんだから」
「……まあ、隊長が変なことしないか見張るのに意識を割かれたことは……否定しませんが」
最後の最後で彼が見せた、自分を囮に伏兵の場所を暴き自分で倒すという離れ業。その光景を思い出しながらイリスはグラスを傾けた。彼の副官という立場にいながらも、その絶対的な才能の差のせいで彼と同じ景色を望めない。自分にとって”変なこと”にしか見えないあれらの行動も、他の隊長にとっては理解できるし連携も可能なものなのだろうか、と彼女は密かに思った。
「……そういやさ、いつだったか言ってたじゃん。俺たちの隊が一位になったら、なんでタリオンに来たか教えるって」
「ああ……そういえば。よく覚えてましたね、二年くらい前のこと」
自身の記憶からも消えかかっていた約束を掘り起こされ、彼女は僅かに顔を伏せた。五分隊中最下位から始まった自分たちがここまで来たことに対する感慨深さと、大して面白くないことを二年間も引っ張ってしまった後悔が彼女を襲う。躊躇うように数度彼の方を見上げたイリスは、やがて諦めたように深呼吸した。
「……私の父は早くに亡くなりました。その後、母は再婚したのですが……義父は私のことが気に入らなかったようで。私が殴られるだけならともかく、母や弟も巻き込まれることが多々あって……そんな時に軍から誘われたので、断る理由もありませんでした」
「…………それ、母親は止めなかったのか?」
そう聞くフォールの声は普段よりも少し力がない。彼女がその理由に辿り着くのは一瞬だった。そういえばこの人は、母親を知らないのだ、と。
「まあ……止められはしました。そもそも女ですし……タリオンとかいう聞いたこともない部隊ですから、いつまでいれるかもわかりませんし。大した家でもないのに元軍人ともなれば、嫁に貰ってくれる人もいないだろう……とは」
「ふーん……」
考え込むフォールの姿に、イリスは辛うじて笑みを堪えた。
(多分この人は何もわかってないんだろうな……)
フォール・ヴァルトルーデは間違いなく天才であったが、それと同時に絶望的なまでの世間知らずでもあった。生まれてから十三年間、一つの部屋で知識を詰め込まれるだけの人生を送ってきた以上仕方がない部分もあるが。少なくとも彼は、普通の少女が父親という存在に歯向かうことの困難も、女でありながら元軍人という奇怪な経歴が縁談に与える影響も、全く理解していなかった。その理解していないことを今必死に考え込むフォールの姿は彼女にとって新鮮であり、可愛らしさすら感じさせるものだった。
「……ちなみに、貴方は……その、元軍人の女は、そういった……対象にはなりませんか?」
「そういった、って……要は恋愛とか結婚とかってこと?」
「はい」
視線が交わらぬように俯きながら尋ねた彼女。それとは対照的に、フォールは普段と何ら変わらない様子で、
「……どうでもいい」
そう答えた。
「大体そういう意味じゃ俺の方が駄目だろ。親が気に食わないからって家出して、ヴァルトルーデとかいう存在しない家名を名乗って……こんな狂人に比べたら、元軍人なんて経歴どうでもいいだろ」
「……お言葉ですが……生まれてから十三年ずっと一室に閉じ込めて、ひたすら勉強させるだけの親なんて、家出されても仕方ないと思いますよ」
「だとしても、だろ……まあこう言っちゃなんだけど、お前より何かおかしい人間なんてその辺にたくさんいるし、気にしなくていいんじゃないか?少なくともお前はいいやつだから……お前と結ばれる人間は幸せだろうな」
空のグラスを弄びながら呟くフォール。彼が自分に視線を向けていないことはイリスも察していたが、それでも彼女は俯いた姿勢を維持し続けた。万が一にも、今の自分の顔を見られないように。
数十秒か、下手すると一分以上か。それだけ経って、ようやく平静を取り戻したと確信したイリスは、伏せていた顔を持ち上げて。彼に向けて口を開こうとした瞬間、小さくとも重々しい音が響いた。
「……何、今の音」
「…………砲撃音……のようにも聞こえましたが」
イリスの返答に、フォールは緩慢な動作で立ち上がった。現実を認識し切れていない彼を急かすように、二度三度と同じ音が響き宿舎を揺らす。
「これだけ続くと、事故って線は消えるな……」
「ですが……誰かが意図的に、この砲撃を行っていると?そんなことが可能なのは、ロザイアに配属された帝国軍と……」
「……ノーク川の向こうのカエル共?」
その一言で、イリスの顔が真っ青になった。重苦しい沈黙に支配される部屋、その間も響く砲撃音。数秒目を閉じて考え込んだフォールは、やがて小さくため息を吐いた。
「イリス、あいつらを全員集めろ。ベータ分隊も含めて完全装備でな。俺はハルトと話して作戦を立てる」
「了解しました……!」
部屋を出た二人は左右に分かれて駆け出す。左に向かったフォールは一つの部屋の前で立ち止まり。次の瞬間、勢いよく開かれたそれに思い切り顔を殴られた。
「……探す手間が省けた、助かる」
部屋の主にしてタリオンベータ分隊の長、ハルトナー・ブラントは肩を竦め、うずくまるフォールに向けてそう呟いた。
「緊急事態じゃなかったら一発殴ってるよ……で、あれは共和国軍の攻撃ということでいいと思うか?」
「あと二年残ってる不可侵条約をあの国が破るかって話だろ?俺はやると思うが」
「ならどうする」
「逃げるしかないだろ、ここにいるのは俺たちを含めて十一人だぞ?」
「そうだな……とりあえずもう一個の宿舎まで退こう。指揮官やラセンと合流しないことには……」
部屋の前で話す二人は奇妙なほど落ち着いている。年齢を考えれば、他の隊員のように慌てふためいても何らおかしくないのに。その落ち着きようを見れば、この二人と他の隊員が違うということを理解できるだろう。
「……裏口から出て林を突っ切り、山を越える。あとは山道をなんやかんや歩けば、主要な道を通らずにあいつらと合流できる……どう思う?」
「……ラセンたちが逃げるとしても、まともな道は通らないだろうから……結局山の方に行くしかないのか。それなら行き違いのリスクもない……ありだな、乗るとしよう」
視線を合わせて頷いた二人の下にイリスが駆け寄る。訓練時と同じ軍服姿で小銃を携えた彼女は真剣な面持ちで二人を見上げた。
「用意は?」
「総勢九名、いつでも出発可能です」
「じゃあ、今すぐ……」
言いかけたハルトナーを制するようにフォールの手が伸びる。意図を探るように向けられた二つの視線。それを意に介していない様子で、彼は手を顎に当てて考えた。
「全員一斉に逃走すると追撃された場合に面倒だ…………一個、俺に策がある」
そう呟いたフォールは、視線を同格の友人ではなくイリスに向けた。それはまるで、その策においては彼女の方が重要度が高いと暗に示しているようでもあった。